遊び相手。「遊びのオジサン」のお仕事です。スクールカウンセラーとしては、心理面接や行動観察が本来の業務ですが、それだけでは圧倒的に足りない気分だからです。「気分で仕事をしてはならない」という人もいるでしょう。でも、そういう気分屋の気分ではないんですね。心理面接をしたり、行動観察ほしたり出来る子どもは、ほんの少数でしょ。でも行動観察でクラスに入りますとね、授業に集中できない子が、自分に関心を持ってほしいという子が、自分の気持ちを抑え過ぎている子が、何人も何人も見つかります。それにクラスに入れるクラス自体が、ほんの一部ですし、限られた時間内では、心理課題が見つからない子だっているはずでしょ。感触として申し上げることですが、今の日本の小学生は、少なく見積もっても、その半分が「愛着障害」だと私は感じています。その子たちの心理面接もしたいのですが、物理的に時間が全く足りません。それで遊びが大事になります。
つい先日も、時間が珍しくあいたものだから、放課後に子どもたちと遊びました。それは、以前母親面接をしていた小学校2年生です。この子は知的な遅れはないのですが、クラスの授業には「ついていけない」ので、今は自立支援学級にいる子です。その子が「遊びのオジサン、遊ぼぉ」というので、一緒に遊びました。砂場でジャンプしたいというので、走り幅跳びをして遊びました。「遊びのオジサン」が手をばちっと叩くと、その子は走り出して、ジャンプ。「じゃぁ、次はオジサンね」。そして、私がジャンプ。そんなことを2・3回やってると、「私もいれて」、「ほくも入れて」と何人かの子どもがやってきます。その子たちが入ると、2年生の子は、スゥーと、その場を離れます。一対一の関係が必要だからです。「ゴメンね」と心の中で言います。
それで、後から来た子たちも、走り幅跳びを楽しそうにやり出します。「4メートル」「3メートル50センチ」、「4メートル80センチ」…。歩幅で距離を概算して伝えます。子どもたちは距離を伸ばそうとする子もいますけれども、遊び相手をしてもらうことが、愉しいことを一緒に愉しんでもらうことが、実に愉しそうです。子どもは遊びで、足りないものを補うことがよくあります。「愉しいこと」、「遊び相手になってもらうこと」、「愉しいことを、一緒に愉しんでもらうこと」が足りないのだと思います。ここに日本の学校の病理を私は見る訳ですね。
繰り返し申し上げていることですが、学校はスコレ、教育はエデュカティオ、陽気で楽しい雰囲気で、愉しく面白いことを一緒にやることで、子どもも大人もポテンシャルを引き出しあうのが、本来の学校教育の在り方です。でも、今の日本の学校は、堅苦しい雰囲気で、面白さまで掘り下げぬままに、正しいことを、一方通行で教えていることが多いのじゃぁないかしらね?
子どもたちの遊び相手になっている遊びのオジサンの寝言だったら、嬉しいですけれどもね…。
正しいことよりも、愉しいことこそが、眼の前の子どもを肯定するんですがね。
ですから、
正しいことより、愉しいことを 是非!
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