インターメッツォ : 「美しい」原節子さん 見えないところが滲み出る不思議 増補版一番大事なことを見落としている不安 アイデンティティ、自分を確かにさせることは、この世の栄華においては、出来ない…。 Young Man Lut......
今朝の聖書の言葉は,「祝福の源」です。
世の中で,すごいね,と言われることと言ったら,大きな家,お金持ち,社長さんや,大臣でしょうか? 小学生の頃にならっていた剣道の年老いた先生が,「『偉い人』が偉いとは限らない」とおっしゃって,意味は解らなかったんですが,その語り口からして大事な教えだと感じたことがありました。いまみたいに,大きな家に住んでいる社長さんが,東芝や東電とこみたいに,多くの人が不幸になったり,会社が立ちいかなくなったりするのに,自分が得することや面子を優先しているのが分かって,剣道の古老の先生のおっしゃっていたことは,「本当のことだ」と分かります。
聖書で「祝福の源」と言ったら,『旧約聖書』の初め「創世記」第12章~に出てくるアブラハムです。神様がアブラハムに対して直接「祝福の源」にしますよ,と語っています。それを聞いた,当時はまだアブラムと呼ばれていたアブラハムは,「もう私は年寄りだし,難民ですし,子どももいないし,そんなの無理でしょ」と思ったって言うんですね。今,難民と言えば,ヨーロッパを見たり,ニッポンが全然受け付けないことを考えたりすれば,「迷惑」の代名詞みたいに思われますでしょ。その「迷惑」の代名詞が「祝福の源」とされるんですね。
でも,年老いた奥さんに子どもが生まれて,その子の名前をイサクと名付けたってんですね。イサクは,「彼は笑う」という意味だそうですよ。生まれて来た子どもも,父親のアブラハムも笑ったでしょうけれども,まず神様が笑ったのでしょうね。神様は,思いもよらないところに,約束通り,すごいね,不思議だね,と言う出来事をもたらしてくださいます。神様の笑いから,私どもの大笑いが生まれます。
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