今の日本の学校は、その多くは創造性を見失っているために、「善意の暴力」を子どもに押し付けて、子どもから悦びを取り上げています。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p48の第4パラグラフから
遊びと演劇の繋がりに到達して、ご承知のように1つの演目の主人公である、エディプス王の子どもの頃の運命がもつ、心理社会的な重要さに関して、一言申し上げておくのが良いと思います。戯曲全体の秩序のいつくかの側面を並べる時、私どもはこれまで、だんだんと増えていく共演者たちを、勘定に入れてきませんでしたね。共演者たちは、子どもが大きくなるにつれて(身体を一番使う場所、身体の使い方、感じ方)、大切なやり取りをする人たちです。もちろん、最初は、お母さんです。お母さんは、共生の舞台において、「最初の他者」(である自分)に、絆を感じさせる力をもたらします。この「最初の他者」が、見てきたように、(子どもの)わがまま(現実には、ナルシスは、かなり特殊なケースです)を許す人にもなりますし、さらには、そのようにして、今、根源的信頼を(子どもに)プレゼントすることにもなります。根源的信頼は、後で議論しますけれども、一番根源的で、打てば響く関係の中で育まれる態度のことです。
「わがまま」と言ったら、許されないことの代名詞でしょ。「わがままは、最高の美徳」と言ったのは、ノーベル文学賞を受賞した、ヘルマン・ヘッセでした。子どもの内は、その子どものわがままは、「最高の美徳」として大事にすることが、子育ての知恵なんですね。こうすることによって、初めて赤ちゃんは、自分は値打ちもの、お母さんと世の中は、結局は、当てになる、という感じ、すなわち、根源的信頼感を育むことができる、って訳ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます