私は、こころは、「イメージと話し言葉と出来事の組み合わせからできています」と日頃から申し上げています。世間でよく言われていることは、「人生は思い通りにはなりません」ということかもしれませんね。思い=イメージ通りにならないのが人生、ということでしょう。でも、夢=イメージが、実現=出来事になったら、こんなにうれしいことはありませんでしょ。勇気100倍、希望が湧いてきますでしょ。そうありたいものですね。
本田哲郎神父様の『釜ヶ崎と福音』p.135~
受肉した神の子イエスのことを「御ことば」といったりしますが、それは「神のことば」ということであり、神の現し出しておられる方という意味です。人間には見ることも触れることもできない神を、自分の生活に受肉させ、生活化した方だから、それが御ことばなのだということです。もし、わたしたちがイエス・キリストによって現われた神の心を生活化していないのに、頭の中だけでさぐり出したことばを語るということは、御ことばを伝えていることにはならない。…
かんじんなのは中身の薬です。お互いそれぞれが自分の生活の現場で現す生きざまに、キリスト、本物のキリストが語られているか、です。
聖書の言葉を、インターネットで紹介している人がいますね。それはそれで、意味があるでしょう。しかし、その紹介した聖書の言葉を、その方がどのように生きたのかは、語られたことがありませんね。
今宵、本田哲郎神父様が教えてくれたことは、能書きよりも、薬、すなわち、聖書の言葉をどのように生きているのか、その生き方が大事です、大事にしてくださいいね、ということですよね。そして、それこそが、本物の礼拝なんですよね。
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