ジョン・カボット・ジンさん。『大きな不幸を生き切ること』から。今晩から、求めないこと。
5 求めない
私どもがしているほとんどすべてのことは、目的があって、やってることですし、その目的は、何かを手に入れることだったり、どこかに行くことだったりします。しかし、瞑想する時には、この目的がある態度が邪魔になります。それは、瞑想は、人がやる他の活動とも、違うものだからです。瞑想はたくさんの作業と、ある種のエネルギを必要としますけれども、究極的には、瞑想とは、何にもしないことなんです。瞑想は、≪本当の自分≫になること以外の目的がありません。この皮肉な言葉が、自分の姿を示してくれますよね。こんなことを言ったら、二律背反に聞こえますし、キチガイじみてるでしょ。でもね、この二律背反とキチガイじみてることから、自分自身を別の視点から眺める方法が分かるかもしれません。それは、≪偽りの自分≫であることを少しずつ止めて、≪本当の自分≫にだんだんとなることです。これは、求めない態度を意識して養うことですね。
エーリッヒ・フロムが、To have or to be ? という本を書いてますね。瞑想は、to haveを止めて、to beに徹することを学ぶことですね。beingに徹することです。ちょっと難しい響きがありますでしょ。でもね、頭でっかちになっちゃダメよダメダメ。beingって、生きていること、生かされていることを喜ぶことだからです。それは、
これは、小さなことを見つめてもできますね。小さな虫や鉱物を見つめてもできます。あるいは、大きなもの、空を見上げたり、星座を見たり、望遠鏡で星雲を眺めても良い。そのときに、その美しさでも、精緻な姿でも良い、そういうことに気付いて、驚き、あるいは、畏れるところから、生かされていることにある、圧倒的な、しかし、静かな悦びを味わうことが出来ますよね。まど・みちおさんみたいに、ね!
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