子どもの頃って、そんなに光っていたかしらね。私の場合は、真黒だったんだけれどもね。それでも光るのかしらね?
p349の4行目途中から。
この言い伝えに私どもが驚かされるのは、現代においては、私どもは子供時代を発見した者だからです。すなわち、私どもは、子どもを守る者だというわけですね。何から守るかと言ったら、それは、いつの時代にもいる、子どもに『何か良いことを教えよう』とする輩からですね。この手の輩は、子どもを「何か良いことを教える」ことで、自分が誇らしく、正しいことをしていると勘違いしている思慮のない大人です。こういう連中は、子どもは、根っから弱く、悪く、厳しくしないとダメな分からんチンで、あるいは殺されても仕方がない消耗品としてしか、お取扱いできないんですね。
エリクソンは大人に対して厳しすぎますよね。「殺されても仕方がない消耗品としてしか、お取扱いできない」と大人のことを「こき下ろしている」からです。でもね、エリクソンは、たくさんの子どもと、子どものころに心配りしながら、たくさんの大人の臨床をしてきた人ですよね。その人が子どもに向かい合う大人に対して、言っているんですよね。ですから、子どもを消耗品扱いするような大人が実際にいたんです。これは、今の日本に暮らしている私どもにも、心当たりがあることじゃぁ、ないですか?それは、虐待やネグレクトなんかをしてる大人だけでもないんですね。一人の子どもをお気に入りにして、他の子どもを励ますつもりで、比較する大人たちですね。この人たちもやっぱり、人は誰でも地球よりも重たい価値があることを忘れてるでしょ。比較された人格は、人格であることを止めて、消耗品になっちゃいますからね。
ここの件は、臨床家エリクソンの面目躍如たるところでしょうね。何か「良いことを教えよう」とする大人、やっぱり日本では、教員に多い人種です。日本の学校が病んでいる一つは、この手の「良いことを教えよう」とする教員が多いからでしょう。子どもが家庭で傷ついている場合が多いのに、学校までもが、子どもを、「良いことを教える」ことを通して、傷つけているんですからね。勘違いも甚だしい!!
日本の学校の教員や管理職は、頭を丸める必要はありませんが、メタノイアが必要なことだけは、確かでしょうね。
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