日ごろから子どもに「よいことを教える」ことに熱心な人は、なぜいけないのか? 自分がいつもしていることを「否定」されてるようで、お腹立ちのことでしょうね。ごめんなさいね。真実ということは、一面では厳しさもありますからね。でもね、慈愛と配慮(摂理)に満ちているから安心です。
なぜなら、子どもは教えられずとも「良いことを知っている」からですね。子どもは、おのずから、「善い方向」にオリエンテーションされてんです。それは、子どもの遊びを、「よーく見ている」と分かります。自分に何か心理的課題があるときには、誰からも、何も教えられていないのに、その心理的課題を解決するような遊びをしていることがハッキリわかります。その事実を、何度目にしても、繰り返し体験しても、不思議でなりませんよ。でもね、心理的課題をいやす方向に、子どもの心が向いていることだけは確かです。
また、人に親切にすることはいいことで、意地悪やいじめはダメだ、ということは道徳で習わなくたって、子どもははっきり知ってる、ということです。足りないのは、その知識ではなくて、「正しいこと」を実践している大人のモデルと、「正しいこと」を実践するためエネルギー。口先で「正しいこと」をいう人はゴマンと、日本にはいます。でもね、日本人は自分が利益になるときに「正しいこと」をするんであって、「正しいことが損」となれば、俄然やらなくなる人種です。「正しいこと」よりも、「空気」を重んじるのが日本人の特色ですから、「空気が汚れ」たり、「空気が悪に染まる」ことになれば、「汚いこと」でも、「悪いこと」でも平気なのが日本人の特色なんですね。ナショナリストに怒られちゃうかしらね。でも、≪超越≫を知らずに、≪いまここ≫での利益が最も大事なんですから、「汚いこと」や「悪いこと」でも、利益に結びついてりゃぁ、「会社のためだ、仕方がない」「上があぁ言っている以上、やむを得ない」てな口実を立てて、その「汚いこと」や「悪いこと」をセッセとやるんですね。その証拠は、日本軍の数々の所業ですし、戦争に向かった時の、時の権力の心理と行動ですし、今の日本のいたるところに広がっている、目に余るほどの「ウソとゴマカシ」を指摘すれば、足りるでしょう。ですから、「正しいこと」は、大人よりも子どものほうがよっぽど知っています。
ただ、マナーに関することは、子どもはわかりません。これはマナーを外国人が分からないことと同じなんですね。マナーは社会によって違います。たとえば、トイレ。日本では、トイレは入っているときも、入っていない時も、ドアを閉めておくのがいいでしょ。でもね、アメリカでは、トイレは入っているときはドアを閉めますけど、入っていないときは、開けとくのが良い。それは「ドアが開いている」≒「トイレを今すぐ使えますよ」というメッセージになるからです。そういうマナーは社会が変わると違いますから、それは教える必要があります。でもそれは「絶対に正しい」ことではなくて、社会によって変わる「相対的に正しい」ことに過ぎない。すると、おのずから、その伝え方にも工夫が必要でしょう。
このように、子どもには、「正しいことを教える」必要は全くありません。むしろ、大人がやるべきなのは、子どもをありのままに肯定することです。それは何も難しいことを申し上げているんじゃぁ、ありませんよ。子どもを肯定していることを伝える唯一の方法は、≪やり取りのある関係≫だけなんですね。ですから、子どもに「正しいことをしてもらおう」となったら、「正しいことを教える」のじゃぁなくて、≪やり取りのある関係≫をする時間を、定期的に設けることなんですね。日本では、家庭でも学校でも、逆をやってますからね。
ですから、今日からあなたも、定期的に、できれば、子供さんと≪約束≫して、その≪約束≫にあなたが忠実に従って、≪やり取りのある関係≫をやる時間を持ってくださいね。お願いしましたよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます