有利な立場をいいことに、ウソで固めた体制にあぐらをかいて、アザケリ顔でニンマリしててもね、「化けの皮」がはがれた後の惨めな末路を辿ることになりますからね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.227の第3パラグラフから。
さらに、ルターは気が付いたんですよ。自分自身が教えていること、説教していることと、彼が話をしている神の名において組織だってやっている、(カトリック教会の)金もうけ主義と金もうけ主義の看板が、全く違ってる、ってことにね。ルターが大事な時にいつもそうしているように、このときも、自分に「そんなことは、お止めなさい」などと言いそうな人には相談などせずに、行動しました。ルターは修道院に入ったのが前で、ルターが結婚したのは、その後です。ルターの親しい友達さえ知らないうちに、諸死者記念日の前に、たくさんの人たちが、ザクセン選帝侯のコレクションの聖遺物がお城の広場に広げられるのを見に来た時に、ルターは、お城の門に95箇条のテーゼを釘づけしたのでした。
ルターは実に言葉の人ですね。言葉は、情報ツール、コミュニケーションツールじゃぁないんですね。ヴィジョンと行動に結びついている、イキイキ、ピチピチ、実感のある、いのち言葉なんですよ。ですから、言葉を食べると、行動が始まります。言葉の人ルターは、誰にも相談せずに、自分から行動を起こす人でした。カリリック教会の「看板に偽りあり」って気づいた時に、激しく行動することになりました。
「看板に偽りあり」と気付いた私どもも、このルターの生き方に学ぶ者でありたいですね。
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