今宵に聖書の言葉は,再び,μακάριοι マカリオイです。
これは,エリクソンのライフサイクルでは,1歳,2歳の時の発達課題である,「自分の感性(を生きる指針・法則として)に従って善い感じ」(a sense of autonomy)となります。全く同じことなんです。
これは以前,このブログで取り上げたことがあります(聖書の言葉 : マカリオイ μακάριοι とエリクソン)。
今回改めて取り上げたのは,ここのところ立て続けで,ここが課題になっている子ども達に出逢ったからです。しかも,その子ども等は,人一倍感性が鋭い子ども達なんです。エネルギッシュな子もいれば,非常に静かで繊細さが目立つ子の場合もあります。でも,共通するのは,なかなか言葉にできない感性,感受性,センス・オブ・ワンダーの鋭さですね。
子どもが好きなことをしていて,親もそれを一緒に楽しめる心のゆとりがある場合は素敵ですね。でも,子どもが好きなこと楽しいことをしていれば,『そんなことをしている暇があったら,宿題を先にしなさい」という親の方がはるかに多い。学校は学校で忙しく,アートや体育の時間がそもそも少ないうえに,英数国に比べて,一段低く見られがち。ヴァン・デ・コーク教授もいっていますが,アートや体育は発達トラウマ障害(DTD)の子どもにとって,英数国よりも大事なのに,それが真っ先につぶされがちでしょ。
セラピーの基本は,「あなたが,楽しいこと,好きなこと,『いいなぁ』って感じることは,宝物。それはあなたらしさに繋がっているから」ということ。それから,「自分の感性を大事にすることは,わがままや身勝手とは真逆です。人から自分の感じを大事にして貰ったら,嬉しいもの。自分の感じを大切にしていると,自ずから人の感じも大切にしたくなるものですよ。そうしたら,その人はあなたと仲の良い,大事な人になりますよ」ということ。
その人の「自分の感じ」,感性を徹底的に肯定すること,それを態度で示し続けることが,祝宴の時のような笑顔と,腹の底からの晴れ晴れとした喜びが湧きだす,絶対条件ですね。
放蕩息子が帰還した祝宴の話と一緒でしょ。
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