今朝の聖書の言葉は,ϕανερώσει τῆς ἀληθείας,ファネロセイ・テス・アレセイアス,真理の明るさ,です。
この言葉は,『新約聖書』のパウロさんの手紙,4つのイエス・キリスト物語が終わったあたりにある「コリント人への第2の手紙」第4章2節に出てきます。
「宣教の務め
4章 1それゆえ、われらは(神に)あわれまれてこの務めを持つので、心を落とさず、2恥ずべき隠しごとを捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理の明らかさによって、神のみ前に自らをすべての人の良心に対して推薦しています。」
前田護郎先生は「真理の明らかさ」と正確に訳しています。このアレセイアスは属格ですから,「~の」とやるのが正確だからです。主格的な属格と,対角的な属格になる場合があります。主格的な属格で訳すと,「真理が明らかになっていく」となりますが,対角的に採ると,「(誰かが)真理を明らかにする」と言う感じになります。新共同訳は,対角的に取っています。前田先生は,真理の力,神の力の主権性を認めていますから,主格的に翻訳していると考えられます。
宣教,伝道と言うと,宣教師,伝道師らが頑張っていく感じに受け取られる場合が多いと思います。特に熱心な方はそうだと思います。私もどちらかと言うと,そういう風に受け取る傾向が強いんですね。ついつい自分が前のめりになりがちなんです。
そうすると,いつの間にか,真理よりも自分が大事,という人間の罪深さが出てしまいます。
でも,前田護郎先生が正確に翻訳している様に,真理の力はダイナマイトの力ですから,岡本太郎さんではないですが,「真理は爆発だぁ」なのです。
神様のなし給うことには,すべてに時がありますから,真理も爆発する時があります。花火みたいに,真理はバンバン,次から次へと爆発しているんじゃぁない。
最近そのことに改めて心至りましたので,ご報告です。
誰に? ☺
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