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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,
今日から,Arenas of Interplay やり取りのある遊びの遊び場 に入ります。 p.67,下から5行目途中から。2訂版。
#遊びの一番の役割 #全体の事情にピッタリ合わせる役割
の続き。
もし,他の人生の様々な舞台,すなわち,遊びそのものは,あらゆる生活場面にある陽気で楽しくすることができる自由とその限界とピッタリとイコールであることを描こうと思えば,ピーター・ウォルフが「働きの全体性」と呼んだものに注意を払わなくてはなりません。「働きの全体性」とは,成長し生きる場が広がっている人が,力を身に着けることです。その力は,身体が伸びることから知的な理解が進むことも,本能に似た力から対人関係のやり取りまで,こういう働きの限界までを含みます。例えば,青年のころは,仲間世代やイデオロギーの世界が「働きの全体性」の割り当てになります。陽気で楽しい関わりや愉しみも新しいものに展開していますが,ひとりびとりの陽気で楽しく生きることを生涯にわたって辿ってみると,どんな遊びの関わりに,その子どもの手が届くのかを地図に落とすだけではなくて,あらゆるやり取りのある遊びも地図に落とすことを意味することでしょうね,やり取りのある遊びは,「何のために生きるのか」を全体像との繋がりで見るヴィジョンの中でいつでも展開するものですが,そのヴィジョンは,かなりの人数の人ひとりびとりが,それぞれ自分の世界をともに不動にするのです。
アンパンマン同様,「何にために生きるのか」がハッキリするのは,全体像との繋がりの中のことだ,ということに決まっています。逆に,今のニッポンの多くの人が,生きている意味が分からないのは,全体像との身体的繋がりがないからです。
全体像につながったヴィジョンのおかげで,人は,不動になるのです。神の命の回転,いつでも2人がピッタリとかみ合う人生では,陽気で楽しく生きることと,不動にされることが,唯一無二になります。
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