新しい話し言葉で語られる、新たなヴィジョン、何よりもそれが必要な時代です。
Young Man Luther 『青年ルター』p.225の第3パラグラフから。
ルターが有名になった出来事を、いくつか論じてますが、歴史書や歴史映画が、繰り返し語ってきたことを、私どもはここで繰り返し、お話したいと思えません。あるいはまた、教義上の「ねばならないこと」や、原文を書き換えてることや、口伝えに伝えられているおバカな事件に対して、一貫した歴史的な意味を意味づけたいとも思いません。こういったことは、この若き修道士が、一時、叫び、活字にしたものです。ルターがずっと抱えていた葛藤と、公にしていた指導性の間の関係を十分に価値づけることもできません。私どもが素描できるのは、マルティンが自分を確かにできずにいる危機から、中年の危機に至る道を理解する程度です。
エリクソンは、遠慮がちに筆を進めます。ルターの様々な歴史的な事件にいちいち反応はしません。目的がハッキリしている人ですね。エリクソンという人は。それは、自分を確かにさせる道、に意識が焦点付けされてる訳ですね。そのルターの流儀をハッキリさせたいから、そこに筆を集中させていると考えられますね。
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