今晩は、政治を考えます。
昨日、鬼怒川の堤防が、茨城県常総市で、決壊しましたね。お近くの方が、安全と安心を確保されることを、切に願う次第です。
自然災害でも、堤防が決壊することが、いかに危険なことか、再び私どもは、見せつけられましたね。私どもは、東日本大震災を経験し、海の堤防が決壊して、たくさんの人を失い、また、傷ついたり、大切な家族や財産を失った仲間(日本市民)を持ちました。自然災害の恐ろしさと、その歯止めとしての「堤防」がいかに大事かを改めて、私どもは思い知らされましたね。
日本は敗戦後70年間、戦争をしてきませんでした。憲法9条と憲法前文のおかげです。それは、文字通り、戦争を防ぐ叡智であり、私どもの大事な、戦争防止の「堤防」であると私は考えますね。そこで改めて、憲法前文と、憲法9条を確認します。まずは、憲法前文です。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
これを読めば、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」している私ども日本市民の決意を、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちは裏切り、「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」はずなのに、その信託も、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちが、ないがしろにしていることが、ハッキリ分かります。
憲法9条は、
「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄すほる。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
これを読んだら、やはり自衛隊そのものが、問題になりますね。少なくとも、武器は全く入りません。戦車や戦艦も、戦闘機も要りません。東日本大震災でしたように、レスキュー部隊に特化した方が、この憲法9条を生かすことになります。
ましてや、その武器と、せいぜい警察部隊でしかない自衛隊を海外に出して、集団で人殺しをさせるようなことは、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと」願う日本市民の願いを踏みにじることでしょう。
したがって、私どもはアベシンちゃんと悪魔の仲間たちの戦争法案を廃案にさせるだけではなく、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちを政権の座から1秒でも早く引き摺り下ろし、日本市民の理想と念願を実現する政治を作り出さなくてはなりませんね。
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