勘(鍛え抜かれた直感)にも、目的があるらしい。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.208、真ん中あたりから。勘の話の続きです。
私にとってハッキリしていたのは、ジェームズが家出をするのは、母親がジェームズを傷つけるからであって、ジェームズが反抗的な問題行動をとったからではない、という事です。家出は、いくら虐待を受けてても、ジェームズの年を考えたら、尋常な事じゃぁありません。たとえ、一番ヒドク打たれ、ネグレクトされた小学生たちが、唯一無二の両親を見失うのが怖がるよりも、変化や奇妙なことを怖がる傾向にあるとしても、家出は尋常ではありません。この年齢の子どもたちは、見通しのないことの苦しみよりも、ハッキリとした苦しみの方を好むものですからね。その子どもが幼ければ幼いほど、馴染の人たちや馴染んだ状況が、それだけ大事なのが普通です。このような子どもたちは、暴力的で危険な両親のもとに返してほしい、と私に頼んでくることがよくありますね。しかし、ジェームズは、違いました。ジェームズの行動は助けを求めている人たちの行動であって、愛着や関係を育むのが難しい人たちの行動じゃぁなかったんですね。
子どもは、ひどい親でも、親元に帰りかだるのが普通です。子どもは、他の親、他の選択肢を知らないのが普通ですから、暴力的な親が当たり前と勘違いをしやすいからです。しかし、ジェームズは親元から家出をした訳ですね。命の危険を感じていたからでしょう。だから、普通はやらない家出という緊急脱出に至ったに違いありませんね。
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