エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

道徳的・倫理的敏感さを、ピカピカに!

2014-11-16 13:13:01 | アイデンティティの根源

 

 リンカーンの言葉「私は奴隷にもなりなくなきゃ、同じくらい奴隷持ちにもなりたくない」は知りませんでしたね。でもね、これは奴隷についての話だけでもないですよね。現代にも生きている言葉です。

 それはね、やり取りにない関係は嫌だ、ということを示す言葉で、次のように「翻訳」できますよね。

 「私は人を支配したり、人をコントロールをするのは嫌だ。同様に私は、人から支配されたり、コントロールされるのも嫌だ」

ってね。

 p221の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 様々な黄金律は、もちろん、言外の論理の厳然さを図り、それぞれの論理に至る倫理的高さの程度を図る、倫理について議論するのに、多くの素材を提供しました。私の研究分野は、人間の人生の巡り合わせを臨床研究することですが、それが示しているのは、論理的長所やスピリチュアルな価値を議論することは遠慮する代わりに、「道徳的・倫理的敏感さには、敏感なものもあれば、鈍感でどうしようもない感じがするものまでいろいろあること」を、人間の良心が発達する上で、それぞれの発達の舞台に従って、区別することなんですね。

 

 

 

 

 これは、エリクソンの業績を、最も短い言葉で言ったところじゃぁないですか? 道徳的・倫理的敏感さがある大人が関われば、子どもは自ずから良い良心、すなわち、人を大事にする「良い良心」が育まれます。逆に、道徳的・倫理的に鈍感な大人が関わった場合、子どもは、他罰的・自罰的な「悪い良心」を育てることになっちゃいますでしょ。この「悪い良心」があらゆる心の病の温床です。

 ですから、私どもは自己内対話を通して、道徳的・倫理的敏感さを、ピカピカに磨き上げなくちゃあね。

 

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