本日の稽古で、「離脱」について学ぶ。
代表師範が「黒帯なので、こういう離脱の仕方も出来るように」との事で、通常学んでいたものとは若干違う離脱法を学んだ。
これが、離脱は出来るのであるが、理合の求める動きが出来ない。
結果が一緒でも、そのプロセスが違うと全く別のものになってしまうのが、技の難しいところである。
合気道の様な「型稽古が中心」の武道においては、動きが出来るようになってしまうと、その中身を問いながら技を研鑽する事がないがしろになってしまう恐れがある。
しかし、本当の理合を知り、自分の業や動きの中に取り組めるようにしていかなければ、本当に合気道の技を身に付けたとはいえない。
それを今回の離脱法一つとっても感じるところである。
「離脱できたんだからいいじゃないか!」
それは言い様で、実は良くない。
合気道の理に適っているが、傍からは不思議な動きを身に付けたいのであれば…
代表師範が「黒帯なので、こういう離脱の仕方も出来るように」との事で、通常学んでいたものとは若干違う離脱法を学んだ。
これが、離脱は出来るのであるが、理合の求める動きが出来ない。
結果が一緒でも、そのプロセスが違うと全く別のものになってしまうのが、技の難しいところである。
合気道の様な「型稽古が中心」の武道においては、動きが出来るようになってしまうと、その中身を問いながら技を研鑽する事がないがしろになってしまう恐れがある。
しかし、本当の理合を知り、自分の業や動きの中に取り組めるようにしていかなければ、本当に合気道の技を身に付けたとはいえない。
それを今回の離脱法一つとっても感じるところである。
「離脱できたんだからいいじゃないか!」
それは言い様で、実は良くない。
合気道の理に適っているが、傍からは不思議な動きを身に付けたいのであれば…