
オイラはあっちゃ行ったり、こっちゃ来たり。
いいと思ったら落とされて、道を外れ、戻ったり、戻れなくなったり。
今よーやくわかったぜい!人は、弱くないってことが!
オイラは走ることにした。
歩くのはやめた。
お陰さまで走っている。
いいかい。キッスマイアッスホールだ!勝手に寝てろ。ファックしてな!どうよ。
パワーを発散してるよ。行き所の無い暴力をね。
たぶん人はもともと走りたがってるんだ。
オイラは知ってるよ。何故走らなかったか。
走らない理由を無理矢理引っ張り出してくっつけてるだけだったんだ。
仕事が忙しい。デートも忙しい。
膝に悪い。時間が無い。
疲れる。明日やろう。
オリンピックに出るわけじゃない。
走るとすっきり生き返った気分になる。
猛烈な勢いで新陳代謝が進み、細胞が総取替えされる。
だから『気分』じゃなくて、本当に生き返る。
今日はオイラ1号だけど、明日はオイラ2号だ。
走ると前向きな思考が生まれてくる。
常に腹圧を意識できるので、ちょこっとだけ腹が凹んだ。
走ることは、どんな運動よりも理にかなっていて基本なんだって。
走れない人はどういう状態になるか知ってるよ。
ゲッティングアウトできないんだ。
膝が外を向いて、片足交互のバランスが取れないで、
精神的な踏ん張りが弱くて失敗するんではないかな?
勝手なこと言ってると思うかい?
オイラ思うに検証しないで、それは違うとか、そんなはずない、と言ってはいけないと思うんだ。
世の中には起こる事象があって、それを説明するにはデータ検証というものがあるのだ。
データというのは難しいものではない。数値ばかりというわけでもない。
実証の基になるものだ。
これは手法だし、会話や意思伝達の有効性を効率的に行なう具体的施策ってやつだ。
なんでこういう事を言ってるかというと、
意思を伝えることも、走ることも、ゲッティングすることも、
自分自身を確かめるためにあるということだ。
オイラが世の中に存在してると意識できるわけよ。
そうでも思わないとやっていけないでしょ。