(これは昨日の深夜眠れなかったので書いた文章だ。
傲慢で散漫で自分勝手に書いたものだ。
心理学を専攻してた人は笑っちゃう内容かもね。)

インターネットでGYAOという映画無料サイトがある。
それから我家は光フレッツなんで、光ファイバーで映画配信がされる。画質はDVD並み。
先日背筋を痛めて寝たきりになったので、1日中映画を見ていた。
『CURE』という邦画を見た。サスペンスホラーで役所広司主演。
平凡な人間に催眠をかける事で、その奥底に眠る鬱憤を殺人という形で晴らす。
その人間たちは殺人の後、妙にすっきりした顔をする。
つまり『CURE=治療』されたということ。
催眠をかけちゃう殺人教唆は萩原聖人。
刑事が役所広司。ラストではほとばしる暴力性をさらけ出してしまう。
とても後味が悪く、背中の痛みが更に増した。最低の映画だ。
こんなの映画館に行って見ちゃうのか?ノーサンキューだ。
でもインターネットで見てしまった。
俺はこういう映画や、『羊たちの沈黙』なんかのたぐいの映画を見ると、
本当につくづく考え込んでしまう。人の心の闇というやつにだ。
こんなこと本当にあるんだろうか?人間にはこういう一面があるんだろうか?
実際、社会にはこういう事件ばかり。腐るほど報道されている。
そうでしょ?そんな事件しかない。家族を平気で殺してしまう。あり得る?でも事実。
オイラはその社会に住んでいる。
だからその映画やニュース報道の裏にある真実をさぐりたくなってしまう。
うええ、気持ちわり~で済んじゃうと時間や映画代がもったいないもんね。
でも根本的に心理学とか人間の行動学に興味があるのは否めないんだな。
(ここから先はDEEPだから興味ない人は読まない方がいい。
これは個人的な記録でパーソナルブログ。じゃ、公開するなって?)
何故、心理に興味を持ったか、それを決定づける出来事が中学のときにあったんだ。
子供のとき誰でも降霊に興味を持ってキツネを呼んだりする、あれだ。みんなもやったね。
同級生の菊池君はそれを勝手にアレンジして、10円玉ではなく人間に施してしまった。
守護霊を呼んでみよう、なんて遊んでいただけだったのだ。
たぶん降りてきたのは動物の低級霊か、
あるいは(被験者は)催眠状態に陥っただけなのかわからないけど、
学級委員長が椅子を持って暴れたり、優等女子がスカートを脱いだり、
放課後の静かなはずの教室が大混乱になった。
菊池君はそれを何回も繰り返した。実はかけられる方も喜んでいた。
菊池君のメモ帳には予約スケジュールが入るようになった。
みんな、菊池君に催眠をかけて欲しいとせがんだ。
かけられた連中は、催眠が覚めると何事も無かったようだった。
菊池君自身はクラスメイトの豹変ぶりを楽しんでいたのだ。
オレはオレで、降霊はありえないと思っていた。
菊池君の行為は催眠だと信じた。
彼は自己流に、そして後先のことを考えずにやった。
ある日、大学出たての女教師が催眠から覚めずに取り返しの付かないことになり
そのときをもって菊池君はその能力を封印した。
バカな女教師はみんなの見ている前で泣きじゃくったんだ。
菊池君は大きくなるにつれ普通の少年になり、20歳過ぎてウインドサーファーになった。
上手かった。今は立派なホテルマンだ。
そんな出来事を見たオレがわかったことは、人間には裏があるということ。
裏と言うには語弊があるかな。内緒にしておきたい性格や、違う世界の自分だ。
人間には奥に自身の知らない自分がいちゃったりするということだ。事実だ。
もちろん知らない自分が無い人もいるさ。無さ過ぎるのもよくない。
薄っぺら人間になってしまう気がする。そんな人もとても多い。
そういうことからくる我々のディープな精神状態は日常生活で自己治癒されていく。
海で遊んだり、いい音楽や映画を見たり、本を読んだり、怒ったり、泣いたり。
もしかして流行のヨーガなんかはどうなんだろう?
それ自体が一種の自己催眠であり、自己療養であると、そんな内容の本を読んだ。
例えば、女性が理由なく怒る(怒りたくて怒る)理由には
内面に潜んだ邪悪な自分に対する怒りの現われとも書いていた。
ここからはオイラの意見だ。
幼少期のトラウマ(幼少期とは限らないかも)からくる、自己防衛と逃避は、
大人になってからでは治療しきれない。染付いてるからだ。
じゃあ、なんで染付くんだろう?
それが楽だからだ。
あるいは邪悪な自身が本人を食い潰していくからだ。これは自信がない。勝手に言ってる。
男が女に『あんたって成長しないわね』って言われる所以のところじゃないかな。
邪悪と言うには語弊がありすぎるか?
もう一人の自分だ。あるいは本当の?
それは特定の環境で見つけられる。酒だ。それとパニック状態だ。
酒が変えるんではない。本来の自分が表に出る引き金になってるだけだ。
ドラッグは違う。ドラッグは感覚が研ぎ澄まされるもので幻覚を見なければ精神的には良い。
本来の自分はどうなんだろう。邪悪なのかな。性善説と性悪説だ。
オレは思うよ。それは人それぞれの生き様で決まっちゃうんだ。
生き様は本人とそのまわりの環境によるんだ。
特定環境ではエゴが出る。エゴは良くない。相手を滅ぼす。自分もだ。
もちろんそういった特定の環境じゃなくても、
言葉の端々やちょっとした表情やしぐさにも出る。
マンウオッチングが得意な人がいる。そういう人はそこまで解析する。
出来ない人は、人を見る目が無いとも言われる。
すぐにわかる場合もあるし、知り合って10年後にわかる場合もたくさんある。
知り合って長い時間の後にわかってしまうのはしんどいよ。
あまりにも辛い大きな大きな重荷になっていくからね。
あまりにも辛い大きな大きな重荷って想像がつくかい?
いい例えがある。
『君は誰?』と聞かれて、山田太郎と答えたとしよう。
では次にこう聞かれる。
『山田太郎君、君は一体誰?』
そこで答えを見いだせなかったり、考え込んでしまうなら、君は失われている。
映画で言ってた。聞かれた人は何も答えられない。
何もわかっちゃいない、ということなんだってさ。
自分を知るということはとてもヘヴィーなんだね。
自分の知らない自分がこっそりほくそ笑んでるかもよ。
オイラは時折自分を見失いそうになることがあった。
事故や葛藤の中でだ。
そういうとき、自分に問いかけた。
『○○○君、君は誰なんだい?』
答えは凄く難しいけど、少し救われる。(ような気がする)
傲慢で散漫で自分勝手に書いたものだ。
心理学を専攻してた人は笑っちゃう内容かもね。)

インターネットでGYAOという映画無料サイトがある。
それから我家は光フレッツなんで、光ファイバーで映画配信がされる。画質はDVD並み。
先日背筋を痛めて寝たきりになったので、1日中映画を見ていた。
『CURE』という邦画を見た。サスペンスホラーで役所広司主演。
平凡な人間に催眠をかける事で、その奥底に眠る鬱憤を殺人という形で晴らす。
その人間たちは殺人の後、妙にすっきりした顔をする。
つまり『CURE=治療』されたということ。
催眠をかけちゃう殺人教唆は萩原聖人。
刑事が役所広司。ラストではほとばしる暴力性をさらけ出してしまう。
とても後味が悪く、背中の痛みが更に増した。最低の映画だ。
こんなの映画館に行って見ちゃうのか?ノーサンキューだ。
でもインターネットで見てしまった。
俺はこういう映画や、『羊たちの沈黙』なんかのたぐいの映画を見ると、
本当につくづく考え込んでしまう。人の心の闇というやつにだ。
こんなこと本当にあるんだろうか?人間にはこういう一面があるんだろうか?
実際、社会にはこういう事件ばかり。腐るほど報道されている。
そうでしょ?そんな事件しかない。家族を平気で殺してしまう。あり得る?でも事実。
オイラはその社会に住んでいる。
だからその映画やニュース報道の裏にある真実をさぐりたくなってしまう。
うええ、気持ちわり~で済んじゃうと時間や映画代がもったいないもんね。
でも根本的に心理学とか人間の行動学に興味があるのは否めないんだな。
(ここから先はDEEPだから興味ない人は読まない方がいい。
これは個人的な記録でパーソナルブログ。じゃ、公開するなって?)
何故、心理に興味を持ったか、それを決定づける出来事が中学のときにあったんだ。
子供のとき誰でも降霊に興味を持ってキツネを呼んだりする、あれだ。みんなもやったね。
同級生の菊池君はそれを勝手にアレンジして、10円玉ではなく人間に施してしまった。
守護霊を呼んでみよう、なんて遊んでいただけだったのだ。
たぶん降りてきたのは動物の低級霊か、
あるいは(被験者は)催眠状態に陥っただけなのかわからないけど、
学級委員長が椅子を持って暴れたり、優等女子がスカートを脱いだり、
放課後の静かなはずの教室が大混乱になった。
菊池君はそれを何回も繰り返した。実はかけられる方も喜んでいた。
菊池君のメモ帳には予約スケジュールが入るようになった。
みんな、菊池君に催眠をかけて欲しいとせがんだ。
かけられた連中は、催眠が覚めると何事も無かったようだった。
菊池君自身はクラスメイトの豹変ぶりを楽しんでいたのだ。
オレはオレで、降霊はありえないと思っていた。
菊池君の行為は催眠だと信じた。
彼は自己流に、そして後先のことを考えずにやった。
ある日、大学出たての女教師が催眠から覚めずに取り返しの付かないことになり
そのときをもって菊池君はその能力を封印した。
バカな女教師はみんなの見ている前で泣きじゃくったんだ。
菊池君は大きくなるにつれ普通の少年になり、20歳過ぎてウインドサーファーになった。
上手かった。今は立派なホテルマンだ。
そんな出来事を見たオレがわかったことは、人間には裏があるということ。
裏と言うには語弊があるかな。内緒にしておきたい性格や、違う世界の自分だ。
人間には奥に自身の知らない自分がいちゃったりするということだ。事実だ。
もちろん知らない自分が無い人もいるさ。無さ過ぎるのもよくない。
薄っぺら人間になってしまう気がする。そんな人もとても多い。
そういうことからくる我々のディープな精神状態は日常生活で自己治癒されていく。
海で遊んだり、いい音楽や映画を見たり、本を読んだり、怒ったり、泣いたり。
もしかして流行のヨーガなんかはどうなんだろう?
それ自体が一種の自己催眠であり、自己療養であると、そんな内容の本を読んだ。
例えば、女性が理由なく怒る(怒りたくて怒る)理由には
内面に潜んだ邪悪な自分に対する怒りの現われとも書いていた。
ここからはオイラの意見だ。
幼少期のトラウマ(幼少期とは限らないかも)からくる、自己防衛と逃避は、
大人になってからでは治療しきれない。染付いてるからだ。
じゃあ、なんで染付くんだろう?
それが楽だからだ。
あるいは邪悪な自身が本人を食い潰していくからだ。これは自信がない。勝手に言ってる。
男が女に『あんたって成長しないわね』って言われる所以のところじゃないかな。
邪悪と言うには語弊がありすぎるか?
もう一人の自分だ。あるいは本当の?
それは特定の環境で見つけられる。酒だ。それとパニック状態だ。
酒が変えるんではない。本来の自分が表に出る引き金になってるだけだ。
ドラッグは違う。ドラッグは感覚が研ぎ澄まされるもので幻覚を見なければ精神的には良い。
本来の自分はどうなんだろう。邪悪なのかな。性善説と性悪説だ。
オレは思うよ。それは人それぞれの生き様で決まっちゃうんだ。
生き様は本人とそのまわりの環境によるんだ。
特定環境ではエゴが出る。エゴは良くない。相手を滅ぼす。自分もだ。
もちろんそういった特定の環境じゃなくても、
言葉の端々やちょっとした表情やしぐさにも出る。
マンウオッチングが得意な人がいる。そういう人はそこまで解析する。
出来ない人は、人を見る目が無いとも言われる。
すぐにわかる場合もあるし、知り合って10年後にわかる場合もたくさんある。
知り合って長い時間の後にわかってしまうのはしんどいよ。
あまりにも辛い大きな大きな重荷になっていくからね。
あまりにも辛い大きな大きな重荷って想像がつくかい?
いい例えがある。
『君は誰?』と聞かれて、山田太郎と答えたとしよう。
では次にこう聞かれる。
『山田太郎君、君は一体誰?』
そこで答えを見いだせなかったり、考え込んでしまうなら、君は失われている。
映画で言ってた。聞かれた人は何も答えられない。
何もわかっちゃいない、ということなんだってさ。
自分を知るということはとてもヘヴィーなんだね。
自分の知らない自分がこっそりほくそ笑んでるかもよ。
オイラは時折自分を見失いそうになることがあった。
事故や葛藤の中でだ。
そういうとき、自分に問いかけた。
『○○○君、君は誰なんだい?』
答えは凄く難しいけど、少し救われる。(ような気がする)