土佐レッドアイ

アカメ釣りのパイオニアクラブ

第5回アカメフォーラム 釣りの歴史(2)

2014-05-15 07:29:00 | アカメ釣り大会
九州のアカメ釣り



 この「かごしまの魚譜 潮の香りと渚の稚魚と」という本は1987年4月22日に出版されました.著者の今井貞彦さんは鹿児島大学名誉教授で1984年に亡くなられています.随筆など,新聞や雑誌に寄稿されていたなかの魚をテーマにしたものだけを集めて編集されたものです.
 アカメのことを「南日本新聞1981年11月5日」に「オキノフナ■ペットとして最高の魚」の題で書かれています.「先日の新聞で一.一メートル、十八キログラムのオキノフナ(スズキの一種)が、種子島の熊野港で釣りあげられたという記事を見た。オキノフナは標準名アカメという魚で、宮崎の大淀川で往時から有名なマルカである。
 マルカは、宮崎市の鮮魚商の店頭でも秋冬にはときどきみかけられる。スズキに似ているが、幅が広く丸みをおびており、全体は白銀色だが、目がルビーのように深い紅色で、アカメという和名はその特徴によるものであろう。店頭で見るマルカは三十センチメートルほどのものが多いが、古くは橘橋付近までさかのぼって来て、橋の上から子ネコを餌にして三尺(九十センチメートル)大のものを釣ったという言語道断の話しを聞いたことがある。
(青文字は引用)」

 子ネコを餌に大物を釣ったと聞いたと読んだときには,私も吃驚仰天しました.はたして,子ネコでアカメが釣れるのでしょうか?四万十川では「水を飲みに来た牛をアカメが引っぱり込んだ」という話しがあるそうですが,これはまあ,フフフと笑って済む話しですが.

 これを読んだあなた,不届きなことを連想しているでしょう. 試してはいけませんよ.絶対に.

先日の新聞で一.一メートル、十八キログラムのオキノフナ(スズキの一種)が、種子島の熊野港で釣りあげられたという記事を見た。」とありますが,その記事がこれです.

 


 この新聞の切り抜きは種子島へアカメ調査に行ったとき,釣った丸山さんご本人にお借りしてスキャンしたものです.写真の右側が丸山さんです.
 丸山さんは1981年9月19日に,中種子町熊野港で午前5時すぎ,ボラの一匹がけで1.1メートル,18㌔と1.06メートル,15㌔のオキノフナを釣っています.

 新聞には「丸山さんは釣り歴二十年だが、こんな大物は初めてで、地元の漁師も驚いた。友人の卸業・岩崎修さん(三五)に手伝ってもらって魚拓にとり、知人や親せきも集まってダレヤメのサカナにした。」青文字は引用.






 次に紹介するのは1982年、南日本新聞が23回にもわたって連載した「マルカよ!お前は」という、アカメをとりあげた大ルポルタージュです。宮崎県ではアカメをマルカという地方名でよびます。

 「小魚を追っかけ回し、猟師がせっかく釣った魚を平気な顔でヨコ取りするなど〝川のギャング〟として嫌われもののマルカだが、釣りの対象魚としては、これ以上のヤツはいない。エサに食らいついたらすごい力で水中を走り、釣り人をひきずりこむ猛烈なファイトは釣りの醍醐味を十二分に満喫させてくれる。
 大モノになればなるほど釣りとしては面白いが、食用としては、それほど歓迎される魚ではない。
 肉質が硬く、パサパサした感じであまりうまいとはいえないだけに、スズキやチヌなど食用としては最高の小魚類が多い県北では、マルカを食用の目的で釣る者はあまりいない。地元の漁師は漁場を荒らす川のギャング退治ということでこれをねらう。
 マルカのシーズンは夏から秋にかけてである。
(青文字は南日本新聞より引用)」


 魚拓をもった方は相田俊一さん(当時、美々津在住の釣り具商)で27キログラムのマルカを釣られています.下の写真の道具が相田さんが使ったタックルです.アカメの餌釣り用のものです.

 ロープにワイヤーのハリスを付け大型のハリをつけています.そのサイズを示すためにハリのそばにはロングピースの箱が置かれています.

つづく