葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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【戦後80年】横穴式防空壕跡を埋め戻した

2025年01月17日 | 管理人のこと

杉並区井荻一丁目(現・善福寺一丁目)に住んでいましたが、庭先に防空壕を造り空襲警報が鳴ると家族が避難しました。近くに、中島飛行機東京工場がありましたので、工員らが避難する防空壕を善福寺川を渡った丘陵地に横穴式の防空壕を掘りました。

戦後、防空壕の上に杉並区立荻窪中学校が建設されました。

荻中卒業アルバム「秋の大運動会」(運動場は、校舎の前と崖下にありました。観客は階段に座って観ています。)

仮装行列で、三年三組は土人に扮しました。(右端は管理人)

荻窪中学校の上の運動場が、中島飛行機の横穴式防空壕が陥没したことがありました。

1979年(昭和59)頃、文部省(現・文部科学省)が、全国の横穴式防空壕を埋め戻す予算を組みましたので、荻窪中学校校庭下の防空壕も埋戻し工事が行われました。

新宿区内にも、横穴式防空壕が沢山ありました。土木部(現・みどり土木部)が担当し、陸軍省の市谷左内町と長延寺町、陸軍戸山学校の戸山二丁目、中落合の中井御霊神社等々を埋め戻しました。

目白学園は理事長の意向で埋め戻さないと聞き及んでいましたので、目白学園総務課に問い合わせをしましたが、調査したが不明だとの回答がありました。

(了)

 

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