♪シン・ゴジラ二度目の鑑賞を終えて、元気が湧いてきたので、予定より早くもアップします。
唯一残念なのは、エンドロールで流れる伊福部昭の名曲を聴かずに席を立つ客の多いこと。我が目を疑うほど。岡山では伊福部昭流行ってないのかなぁ(笑)?
♪その1、その2からお読み頂けると幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・
フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの生演奏を知る遠山一行先生にあって、当時40代後半の小澤征爾が彼らの域に遠いことは実感されていたに違いないが、その後の円熟、成熟には、「日本の音楽界のため」にも期待しておられたのかも知れない。
とまれ、わたしは、今回、二回のベートーヴェン7番に触れて、小澤征爾は「巨匠」と呼ぶにふさわしい境地に至ったのではないかと思った。そして、「ああ、この美しい演奏を遠山先生に聴いて頂きたかった」と激しく思ったのである。
予めお断りしておきたいのは、わたしはここで、セイジ・オザワ松本フェスティバルの在り方や小澤征爾その人の政治手法、錬金術について一切触れるつもりはない、ということ。たしかに、サイトウキネン・オーケストラの管楽器セクションにあれほど多くの外国人プレイヤーが乗っていることは、桐朋学園の祖のひとり、斎藤秀雄という人の功績を記念する、或いは偲び、感謝するというオーケストラ本来の趣旨を考えるなら不明である。日本には優れたプレイヤーは多くいるし、外国人プレイヤーのギャラ、旅費、宿泊費がどれほど音楽祭の経営を圧迫しているかは想像したくもない。ある意味、外国への日本円の流失であるとも言えるし、小澤征爾に運営への思いやりが足りないのではと疑いたくもなる。
しかし、その是非への考察は、適任に譲るとし、ここでは、小澤征爾の音楽そのものについてのみ話をつづけることとしよう。
ひとくちに巨匠と言っても、対極的なトスカニーニとフルトヴェングラーを並べるまでもなく、その在り方は様々である。そのふたつとない個性や秀でた能力を高め、深めた存在を巨匠と呼ぶのであるから、同じ形はそうそうあるものではない。
クレンペラーは肉体の自由を失った晩年にテンポを極限まで遅くし、仰ぎみるように巨大な造型の音楽を創造した。
ベームも晩年に至るにつれ、テンポが遅くなり、たとえば深沈たる味わいのモーツァルトやベートーヴェンの名演を遺した。我らが朝比奈隆も出来不出来はあったが、ときに大宇宙を感じさせる崇高なブルックナーに到達した。
しかし、小澤征爾はいずれとも違った。ブラームスのシンフォニーすら振り通せないほどに体力を消耗させながら、その音楽はどこまでも軽やかで自由なのである。もちろん、10年前よりはテンポが遅くなった、ということはあるかも知れないけれど、むしろ、本質的にはますます「軽み」が極まったのではなかろうか?
あのウィーン・フィルとのニューイヤー・コンサートで見せた煩わしいばかりの「振りすぎ」は陰を潜め、否、もうそんな体力もないのかも知れないが、楽員を信頼した自主性に溢れた生き生きとした音楽がそこに現出した。もはや精神が肉体から遊離したような「解脱」の境地ではないか? とすら思った。
そして、そのオーケストラによって奏でられたフレーズは、多くの孫の代を含むとは言え、まさに齋藤秀雄によって創始された桐朋学園メソッドによる統一感に彩られていたのである。さらには、奏者たちの小澤征爾との一期一会を味わい尽くすような切実な気持ちが客席に伝わってきたのだから堪らない。これこそ、「サイトウキネン」の名にふさわしいパフォーマンスであっただろう。
実をいうと、わたしは、桐朋学園在学中より、桐朋学園オーケストラのサウンドには違和感を覚えることが多くあった。西洋音楽の伝統のない日本において、その語法を解析し、体系化し、それを急いで身につけるべく行われた教育の大きな成果がそこに鳴っていた筈だが、それは自分が子供の頃から聴いてきたクナッパーツブッシュ、ワルター、シューリヒトなどの音楽とは決定的に違うものであった。違ってもよいのだが、どこか、純粋培養的な不自然さが心に馴染まなかったのかも知れない。
しかし、このたび、耳にし、全身で感じたサイトウキネン・オーケストラの音楽は、どこまでも自然であった。もはや研究や勉強の成果ではなく、日本という風土に根を下ろしたひとつの個性ある西洋音楽となっていたからである。これこそ齋藤秀雄が目指し、遠山一行先生が待っていた音楽ではなかったか?
その意味で、外国から招いた管楽器プレイヤーたちの音が、この「サイトウキネン」サウンドに馴染んでいないのは当たり前のことであった。技術的にも精神的にも一体化していた弦楽セクションから奏法や音色が浮き上がってしまっていることが度々あった。それに気づいたのは、わたしひとりではあるまい。
ここで興味深いのは、ファビオ・ルイージの指揮したステージでは、このような弦と管の方向性の違いはなく、みごとな統一感を見せていたこと。それはそれで素晴らしいことなのだが、小澤征爾が振らなければ「サイトウキネン」とはならない、ということの証左とも言えるのではないか。
セイジオザワ松本フェスティバルに於ける小澤征爾。できることなら来年も聴きたい。マエストロにはどうかお体を労り、もう少し長いプログラムを振れるまでに回復して欲しい。今回鳴り響いた肉体を超越したベートーヴェンのその先、前人未踏の境地を示してほしいと願わずにはいられない。
♪中野雄さん(初日)、山崎浩太郎さん(2日目)とロビーで歓談できたのも何よりの思い出となりました。
唯一残念なのは、エンドロールで流れる伊福部昭の名曲を聴かずに席を立つ客の多いこと。我が目を疑うほど。岡山では伊福部昭流行ってないのかなぁ(笑)?
♪その1、その2からお読み頂けると幸いです。
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フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの生演奏を知る遠山一行先生にあって、当時40代後半の小澤征爾が彼らの域に遠いことは実感されていたに違いないが、その後の円熟、成熟には、「日本の音楽界のため」にも期待しておられたのかも知れない。
とまれ、わたしは、今回、二回のベートーヴェン7番に触れて、小澤征爾は「巨匠」と呼ぶにふさわしい境地に至ったのではないかと思った。そして、「ああ、この美しい演奏を遠山先生に聴いて頂きたかった」と激しく思ったのである。
予めお断りしておきたいのは、わたしはここで、セイジ・オザワ松本フェスティバルの在り方や小澤征爾その人の政治手法、錬金術について一切触れるつもりはない、ということ。たしかに、サイトウキネン・オーケストラの管楽器セクションにあれほど多くの外国人プレイヤーが乗っていることは、桐朋学園の祖のひとり、斎藤秀雄という人の功績を記念する、或いは偲び、感謝するというオーケストラ本来の趣旨を考えるなら不明である。日本には優れたプレイヤーは多くいるし、外国人プレイヤーのギャラ、旅費、宿泊費がどれほど音楽祭の経営を圧迫しているかは想像したくもない。ある意味、外国への日本円の流失であるとも言えるし、小澤征爾に運営への思いやりが足りないのではと疑いたくもなる。
しかし、その是非への考察は、適任に譲るとし、ここでは、小澤征爾の音楽そのものについてのみ話をつづけることとしよう。
ひとくちに巨匠と言っても、対極的なトスカニーニとフルトヴェングラーを並べるまでもなく、その在り方は様々である。そのふたつとない個性や秀でた能力を高め、深めた存在を巨匠と呼ぶのであるから、同じ形はそうそうあるものではない。
クレンペラーは肉体の自由を失った晩年にテンポを極限まで遅くし、仰ぎみるように巨大な造型の音楽を創造した。
ベームも晩年に至るにつれ、テンポが遅くなり、たとえば深沈たる味わいのモーツァルトやベートーヴェンの名演を遺した。我らが朝比奈隆も出来不出来はあったが、ときに大宇宙を感じさせる崇高なブルックナーに到達した。
しかし、小澤征爾はいずれとも違った。ブラームスのシンフォニーすら振り通せないほどに体力を消耗させながら、その音楽はどこまでも軽やかで自由なのである。もちろん、10年前よりはテンポが遅くなった、ということはあるかも知れないけれど、むしろ、本質的にはますます「軽み」が極まったのではなかろうか?
あのウィーン・フィルとのニューイヤー・コンサートで見せた煩わしいばかりの「振りすぎ」は陰を潜め、否、もうそんな体力もないのかも知れないが、楽員を信頼した自主性に溢れた生き生きとした音楽がそこに現出した。もはや精神が肉体から遊離したような「解脱」の境地ではないか? とすら思った。
そして、そのオーケストラによって奏でられたフレーズは、多くの孫の代を含むとは言え、まさに齋藤秀雄によって創始された桐朋学園メソッドによる統一感に彩られていたのである。さらには、奏者たちの小澤征爾との一期一会を味わい尽くすような切実な気持ちが客席に伝わってきたのだから堪らない。これこそ、「サイトウキネン」の名にふさわしいパフォーマンスであっただろう。
実をいうと、わたしは、桐朋学園在学中より、桐朋学園オーケストラのサウンドには違和感を覚えることが多くあった。西洋音楽の伝統のない日本において、その語法を解析し、体系化し、それを急いで身につけるべく行われた教育の大きな成果がそこに鳴っていた筈だが、それは自分が子供の頃から聴いてきたクナッパーツブッシュ、ワルター、シューリヒトなどの音楽とは決定的に違うものであった。違ってもよいのだが、どこか、純粋培養的な不自然さが心に馴染まなかったのかも知れない。
しかし、このたび、耳にし、全身で感じたサイトウキネン・オーケストラの音楽は、どこまでも自然であった。もはや研究や勉強の成果ではなく、日本という風土に根を下ろしたひとつの個性ある西洋音楽となっていたからである。これこそ齋藤秀雄が目指し、遠山一行先生が待っていた音楽ではなかったか?
その意味で、外国から招いた管楽器プレイヤーたちの音が、この「サイトウキネン」サウンドに馴染んでいないのは当たり前のことであった。技術的にも精神的にも一体化していた弦楽セクションから奏法や音色が浮き上がってしまっていることが度々あった。それに気づいたのは、わたしひとりではあるまい。
ここで興味深いのは、ファビオ・ルイージの指揮したステージでは、このような弦と管の方向性の違いはなく、みごとな統一感を見せていたこと。それはそれで素晴らしいことなのだが、小澤征爾が振らなければ「サイトウキネン」とはならない、ということの証左とも言えるのではないか。
セイジオザワ松本フェスティバルに於ける小澤征爾。できることなら来年も聴きたい。マエストロにはどうかお体を労り、もう少し長いプログラムを振れるまでに回復して欲しい。今回鳴り響いた肉体を超越したベートーヴェンのその先、前人未踏の境地を示してほしいと願わずにはいられない。
♪中野雄さん(初日)、山崎浩太郎さん(2日目)とロビーで歓談できたのも何よりの思い出となりました。