カウフマンの歌っている最中、ひとりのご婦人が「声が全然聞こえない」と叫び、怒ってホールから退席した事件を筆頭に、なにかと噂のハンブルク・エルプフィルハーモニー。
音楽に興味のない観光客がドッと押し寄せ、演奏中も話し声やノイズが絶えないなど、良からぬ噂も耳にするなか、「何事も自分で体験せねば!」ということで、出掛けてきたのは、クリストフ・エッシェンバッハ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団による定期演奏会(2019年6月20日 20:00開演)。
演目は、ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番とブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」(第2稿)
前半のチェロ独奏は、ニコラ・アルトシュテットである。
ショスタコーヴィチも渾身の名演であったが、ソロ・アンコールで弾かれたハイドンの交響曲第13番よりアダージョ・カンタービレが絶美であった。指揮者なしの弾き振り、というより弦のみ4-4-2-2-1との親密な室内楽で、その弓の上げ下げと息遣いだけで紡がれる夢のような世界!
わたしの座席は平戸間中央2列目やや左寄り、ちょうど目の前が第1ヴァイオリンの第2プルトというところ。ステージはとても低く、最前列から身体を乗り出せば奏者に触れることも出来そうなほど、身近な感じである。
わが第一印象は、「心落ち着くリスニングルームで、最上級のオーディオ・システムによって超優秀録音の音源を再生した音のようだ」
というもの。
コンサートホールの音響を形容するには不謹慎な表現と思われるかも知れないが、これは最大の讃辞である。ほぼ満点に近い、というより他のホールとは次元が異なる。
上手く調整されたオーディオ・システムでは、二本のスピーカーのド真ん中にひとりの歌手や奏者がキッチリ像を結び、あたかも、自分の目の前1メートルのところに、フィッシャー=ディースカウが立ち歌い、アンドレ・ナヴァラが弓を動かすのが見えることがある。これはオーディオならではのマジックであり、仮想の音楽空間であると、昨夜までは思っていたが、それがエルプフィルハーモニーというホールで、実際の生演奏で実現されたのである。これは驚異的と言わねばならない。
メインのブルックナーでも最上級の時間はつづいた。冒頭のブルックナー開始、弦のさざ波は、あたかも風に揺れる森の木々の囁きのようであり、また、清らかな泉の湧き出ずる音のようであり、どこまでも清廉でありながら、立体的なのだ。
我が座席の位置から、第2ヴァイオリンが少し遠いとか、管楽器が見えず、やや音がマスクされる、などの傾向があるのは、どのホールでも同じことだが、この場所でこれほど音楽を堪能できるのは驚異的。すべてを超えて現出する奇跡の音の柱には、ただただ唖然とするばかり。
その理由のひとつは、ステージの床にある。まるで、高級スピーカーのエンクロージャーのように、ステージ上のオーケストラの音にまろやかに共鳴しつつ、しかも混濁のないクリアな音を演出する。壁の素材や形状にも由来していることだろう。少なくともわたしの目の届く範囲のプレイヤー全員の息遣いや弓遣いを客席で共有できるとは、こんな至福はないのである。
まるで修道僧のようなエッシェンバッハの指揮は、ティーレマンのような煽りもなく、バレンボイムのような誇大な表現もなく、ただただブルックナーの音楽をありのままに響かせてくれた。第1楽章冒頭、金管によるブルックナー・リズム出現の直前の第1ヴァイオリンを、カラヤンの流儀で改訂版のようにオクターヴ上げさせていた場面も、全体の美から突出したものとならなかったのは流石である。
ところで、今回、気になってカウフマン事件の記事を再読してみたのだが、件の演目がマーラー「大地の歌」であった由()。なんだ! この記事が正しく、演目が「大地の歌」であったのなら、ムジークフェラインであろうと、コンセルトヘボウであろうと、サントリーホールであろうと、テノールの声が聴こえることはないではないか!
記者は、面白おかしく書きたいのだろうが、エルプフィルハーモニーへの名誉毀損も甚だしい案件と言えそうだ(ただし、ほかの座席でどう聴こえるかは分からない)。
因みに心配された聴衆のマナーも、ここへきて落ち着いた模様。何人か退屈そうは顔も見受けられたが、静寂は保たれており、たいていの日本国内の演奏会よりよかった。なにやり鈴の音や飴の包み紙の音の心配がない(笑)。
本公演は、23日(日)に再演されるので、駆けつけたいところだが、チケットは発売と同時にソールドアウト。転売サイト経由では、ベルリン・フィル来日公演以上の高値となるため、購入を思い切れないでいる。当日、会場入り口で手に入ればラッキーというところか。
なお、今宵は同じエルプフィルハーモニーにて、クルレンツィス指揮南西ドイツ放送交響楽団によるショスタコーヴィチ「レニングラード」を聴く予定。今回は日本でいう3階席センターなので、音響の比較も含めて大いに楽しみなところである。