明鏡   

鏡のごとく

『法則』

2015-10-06 09:51:24 | 詩小説
「法則」があった。

秘密を保持するものと、文字にするもの。
人の生活を盗み見して、己が何でも知っていると勘違いするもの。
ほんの一部しか知らないことを知らない傲慢は、いずれ破綻する。

己にはできないことをしているだけである血道のあるもの。
地道とは道を索めるものが歩くもの。
道を踏みにじるだけの非難中傷をするだけでは済まされない何かでもある。


それと引き換えにしても余りあるものを知らないもの。


ひさこの話をしよう。
秘密を保持するよういわれたものと、いうものの違い。
あるいは秘密を盗み見て知っていると思い込むものの悲惨を。

ひさこにはみえこという姉がいた。
みえこはいつも親がいないときに、ひさこにいたずらをしていた。
このことは誰にも言ってはいけない。

が、みえこのひさこを支配する呪文であった。
このことは誰にも言ってはいけない。
このことは二人だけの秘密なんだから。

ひさこはみえこに、そこから支配された。
人がいないところで行われる秘密の儀式を必要とするものは支配を目的としているという「法則」。
たとえ、優しげに穏やかに見えようとも、ささやかな植物の研究をしていようとも、微生物や昆虫の研究をしようとも。

虫や微生物に限らず、研究対象になったところから支配されるという「法則」。
ルーペの先でひとつひとつ分解される儀式によって。
目玉、触覚、手足、胸、腰、羽をいちいちもがれながら、ひとつひとつ虫の息を止められてまで支配される。

すごい。
と賞賛されながら、五体を楽しそうに。
もぎとられる。

蚕を育て飼いならし支配するためには、桑の葉がいる。
そこが、掘っ立て小屋であろうと、温室であろうと。
桑の葉に蚕をそっと乗せることも儀式を通過するなら、なおさらである。

お蚕様には桑がいる。
お蚕様から絹と糞。
何かを通過する儀礼には、表からは美しいとされる実用ものが吐き出され、裏からは排泄物がもれいずる「法則」。

その昔、かの半島では桑の葉を摘みに行くとは、日本へ対する工作をしに行くという隠語だったという。
表向き環境ビデオ風な裏ビデオ的映像で知ったのは、つい最近のことである。
税金節約の為、民間図書館をも受け負っているものの店においてあった、映像のあーかいぶ、映像のせいきだ。

まるで、ただの春画をさも芸術のようにあげ奉るものの胡散臭さそのままである。
税金節約の為、あの民間図書館を受け負っているものの前身は、確か、春画をよく描かせては楽しんでいたものでなかったか。
江戸時代から受け継がれたエロスの系譜は、赤線のようなカーテンの向こうで今も裏方に隠されている。

表と裏が曖昧なせんじょうになる「法則」。
生活のため、お蚕様に奉る、桑の葉摘みにいくものがいたとしても不思議ではないが。
どことなく、お蚕様に似ている白い桑の実をただ摘みに行くこともなく、はだけをもぎとられる理不尽は描かれもしない。

お蚕様には桑の葉が必要で、桑の実は必要ないのだ。
世界遺産登録のために身を削ったものは必要ない。
いずれは絹を吐き出したお蚕様も必要なくなる。

吐き出された絹と世界遺産に登録された建物が、そして、それを語る文字が、かろうじて残るものなのだ。