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鏡のごとく

人工地震その後

2015-10-16 22:28:51 | 日記

地震メカニズム:大震災前兆「ゆっくり地震」再現に成功
毎日新聞 2015年10月16日 22時11分

 海洋研究開発機構などのチームは16日、東日本大震災で大きくずれ動いた宮城県沖の断層の岩石を使って、震災前に起きていたのと同じ「ゆっくり地震」を再現することに成功したと発表した。同じ断層面でマグニチュード(M)9.0の巨大地震が起きており、チームは「ゆっくり地震が続いた後、高速なずれが起きて東日本大震災に至ったとのメカニズムが実験で裏付けられた」としている。



ゆっくり地震は、海底のプレート(岩板)や活断層が地表に揺れが伝わらないような遅い速度で動いて破壊が起きる現象。日本周辺でもたびたび観測され、東日本大震災前の2011年2月中旬~3月上旬にも宮城県沖でM7.1相当のゆっくり地震があった。

 チームの伊藤喜宏・京都大准教授(地震学)と氏家恒太郎・筑波大准教授(構造地質学)らは同機構の地球深部探査船「ちきゅう」で、宮城県沖のプレート境界の浅い場所に当たる水深6900メートルの海底を掘削し、深さ820メートルにある断層面の岩石を採取した。実験室でこれを割って、太平洋プレートが陸のプレートに沈み込む速さ(年間8.5センチ)とほぼ同じ秒速2.7ナノメートル(ナノは100万分の1ミリ)の超低速度で動かしたところ、実際に起きたゆっくり地震で計測されるのと同じ摩擦量を確認できた。

 プレート境界の浅い場所はこれまで、断層同士が固くくっついていないため巨大地震を起こすような大規模な破壊は起こりにくいと考えられていた。今回の実験で、浅い場所の断層でも、ゆっくり地震が前兆となって巨大地震が起きる可能性があることが確かめられたという。

 チームは「ゆっくり地震から巨大地震に変わるきっかけが何かはまだ分からないが、南海トラフでも同じことが起こる可能性があり、ゆっくり地震を注意深く観測する必要がある」と指摘する。【久野華代】

暴力性

2015-10-16 20:50:35 | 詩小説
 

 ベトナム戦争に参加した韓国軍兵士に性的暴行を受けたなどと訴えているベトナム人女性やその家族らが15日、訪米中の朴槿恵・韓国大統領らに対し、韓国政府による謝罪と賠償などを求める請願書を提出したと発表した。「私たちのことが忘れられてしまう。正式な謝罪もなく数十年が経った」などと訴えている。

 米国の支援団体「ベトナムの声」がワシントンで記者会見し、被害にあった女性4人(60~74歳)と韓国軍兵士と被害女性の間に生まれた男性(45)らがベトナムからのネット中継で謝罪を求めた。また、15日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルに意見広告を掲載。レイプ被害にあったという女性4人が顔写真付きで登場し、朴氏に対し「謝罪すべき時です」と呼びかけている。(ワシントン=小林哲)

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暴力性 の かなしきこと

『戦争ノート』 マルグリット・デュラス

2015-10-16 15:21:06 | 詩小説
何度か、読もうとして、途中でやめてしまっていた。

この「戦争ノート」と「ラ・マン」。

特にラ・マンと聞くだけで、なにか胡散臭さを感じていた。

どこかに、嘘があると。

デュラスの「戦争ノート」はもともと「戦争日記」となっていたという。

訳者によってノートとなったようだが、幾つかの下地となる書き残しがあったので、その理由がわかった気がした。

単刀直入に言えば、「ラ・マン」に出てくる男の容姿について。

どちらかと言うと醜いといえる(このノートの中では、胎児のようだとせせら笑ってさえいる!)アバタの残った、パリ帰りの実家が資産持ちの40前後の男。

一方、少女時代のデュラスは、美しく、殖民地の白人社会において最下層の部類に入る貧困をひた隠しにしなければならない境遇であった。

お互いに足りないものを埋め合わせて、凸凹したものを合わせて、ふんころがしのように、ごとごつした「せいかつ」を回していくための力技の数々は狂気を孕んだ、潮に浸かってダメになる作物そのものである。

根を張らない。

押し流されてしまう、もともと、そこにあってはならないものなのだった。




ところで、デュラスの少女時代の私小説的物語の後のものが、この戦争ノートの主要なものであると思われたが、何より、彼女が、暴力の中で育ったことが、その後のヨーロッパを舞台にした大戦の大いなる暴力の渦の中でも、受け継がれていくようで、彼女のそこにある暴力性とどこか似通ったものを感じている自分がいたことに、愕然とした。

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夫が強制収容所から帰った後、ひとすくいのスプーンすら受付なかった生命が垂れ流す、泡立つ緑色のねっとりとした汚物は、「胎児」が生まれてしばらく流すそれに、よく似ていると思った。

夫が還ってくるのを半ば狂い死にそうに待ったデュラスの見たままの記述であろうが、この「胎児」といういめいじを、かのラ・マンの男にも持っていたのであろうデュラスは、死から帰還した夫も、見知らぬパリから帰還したラ・マンも、同じく、泥のようなものを孕んでいる「胎児」であったのかもしれない。

のちに、彼女は、生まれてくるはずであった子を失ったようで、そこへとも繋がる「胎児」の記憶なのであろうか。


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この暴力性に関して、戦争を体験したという限りにおいての共通性が主な共感の芯ではあろうが、小さな暴力、大きな暴力は、多かれ少なかれ、自分にも降りかかっていたのだから、どうしようもないものが、何度も立ちはだかるのはいたしかたのないことなのかもしれない。

小さな家族の中の暴力があることを鑑みても、村社会のヒエラルキーしかり、学校のヒエラルキーしかり、職場のヒエラルキーしかり、政党のヒエラルキーしかり、国家間のヒエラルキーしかりで、戦争反対などという大いなる国家間の階級闘争を踏まえた暴力には到底抗えないように思えた。

逃げ出したくなるような、暴力は、そこかしこにあるのだと。


この戦争日記的戦争ノートに因って、はじめて、彼女を飲み込めたのだった。