明鏡   

鏡のごとく

ヘイトスピーチ抑止条例に反対?議場へカラーボール 大阪市議会、傍聴席の男取り押さえ

2016-01-15 23:22:01 | 日記
大阪は自分たちの首を絞めてダメになっていくと思われる。これを阻止するには、地元のものが目覚めなければならないであろう。

売国奴は売国奴のかおを覚えている国民から代償を払わされることとなろう。



言論の自由弾圧反対。を唱えるのは、まっとうだと思われる。

日本人を貶めることしか考えない、日本人の人権を守らないものがいる以上は。



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15日午後7時半ごろ、全国初となるヘイトスピーチ(憎悪表現)の抑止策を定めた条例案を審議中の大阪市議会本会議場(大阪市北区)で、傍聴席にいた男性がカラーボールのようなものを議場内に投げつけた。男性はその場で警備員に取り押さえられ、議場外に出された。人には当たっておらず、けが人はなかった。審議は中断され、大阪府警が現場の確認などを行っている。

 騒ぎが起きたのは、大阪維新の会の市議が演壇に立ち、条例案に賛成する討論をしていた最中。傍聴席にいた男性が「日本人の人権を守れ」「表現の自由を守れ」などと叫びながら、カラーボールのようなものを2つ投げつけた。

 議員らには当たらなかったが、演台と壁にぶつかり、オレンジ色の塗料のようなものが飛び散った。吉村洋文市長や市職員らの服の一部に塗料がはねたとみられる。直前に行われた委員会では条例案が可決され、本会議では賛成多数で可決される見通しとなっていた。

10 億分の1秒だけの未来

2016-01-15 17:19:11 | 小説


「新幹線に乗って東京から博多まで1200キロを移動すると、10 億分の1秒だけ未来に行くことができます」

10 億分の1秒だけの未来。

方向さえ間違わなければいけるのだろうか。

ところで。

逆の方向に、つまり、博多から東京へ移動すると、10 億分の1秒だけ過去に行くということなのだろうか。

だとするならば。

地球の自転、公転、宇宙の広がりを与して、高速で移動していたら、未来にも、過去にも行けるということであろうか。

実際、飛行機にのっていると、国と国との時間の境界線を超えてしまうので、現実的には、未来にも、過去にも行っているという不可思議な体験を持つのであるから、その境界線を越えるというやつが、くせものであるのは間違いない。

宇宙の場合、探査機は、広がっているという原初の過去を写しているのか、(よくよく考えて見れば地球から見れば)未来を写しているともいえ、しかも、認識している時点では、現在をも写しているといえるので、その立ち位置に因って、意味は変わるとも言えなくもない。

未来に行ける道具

2016-01-15 17:03:49 | 日記
子どもの頃に誰しも憧れたであろう、「ドラえもん」に登場するひみつ道具。夢の道具のひとつが、「タイムマシン」だ。技術的に実現は可能なのか、専門家に聞いた。

 ひみつ道具のタイムマシンは、のび太の勉強机の引き出しが搭乗口で、形はまるで空飛ぶじゅうたん。あなたの机の引き出しも……というわけにはいかないが、未来に行くことは、理論上は十分に可能だ。

 知られているようにアインシュタインの「特殊相対性理論」は、「すべての物質は光より速く移動することはできない。物質は光速に近づくと質量が増加し、時間の流れが遅くなる」。速いスピードで移動し続けると、地上で普通に暮らすより時間がゆっくり流れる。例えば、双子の赤ちゃんの兄を地上に残し、弟は光速に近い乗り物の中で暮らしたら、80年後、地上に戻ってきたとき弟は10歳。70年後の未来に到着したことになるのだ。これが「ウラシマ効果」。

「新幹線に乗って東京から博多まで1200キロを移動すると、10 億分の1秒だけ未来に行くことができます」と話すのは、自然科学研究機構の機構長、佐藤勝彦東京大学名誉教授(宇宙物理学)だ。

「未来に行くのは簡単。光速に近いスピードで動く乗り物さえ開発すればいいのですから。でも、過去に行くのは難しい」

 さまざまな仮説が立てられたがいずれも証明されていない。

「過去に行くタイムマシンが完成すると、過去に戻って自分を産む前の母親を殺してしまったらどうなるのか、という自己矛盾が生じる。多くの物理学者は、過去に行けないことを証明する研究をしています」(佐藤名誉教授)

売春者撲滅に向けてできる唯一のことは偽善をやめること

2016-01-15 09:34:03 | 詩小説
おれの話を聞け。
小人。
おれは大人でもなければ小人でもない。
ただの人だ。
大口を叩くだけのものではない。
本当のことをいうだけの、ただの人である。

売春婦は、男性社会の弊害というものがいる。
政治の世界においても。
慰安婦問題の表と裏についても。

慰安婦は戦時売春をしていた。
ただそれだけである。
お金をもらっている時点で売春行為とみなされる。
家族に売られようが、己でその世界に足を突っ込もうが売春行為であることに変わりはない。
好きでやっているといったら、社会的に罰せられるから、嫌々ながらというが。
己で選んでいる時点で、売春行為とみなされる。

それは、戦時中であろうと、無かろうと同じ行為である。
相手が、兵士か、そうでないかの違いだけである。

では、なぜ、戦時売春婦だけ、可哀想となるのか。

今現在の、売春婦は、どうでもいいのか。


売春婦に同情しろというのが、そもそもおかしい。

己が選んで、お金が好きでやっていることに、なぜ同情しないといけないのか。

おれはそういう状態で、性行為をすること事態が、猿芝居のようで、いずれにせよ興ざめするので、欲望があろうがなかろうが、そういうものは否定してきた。

戦争中であろうとなかろうと。

ただ、それだけである。


さらに言えば、売春婦は、戦時中であろうとなかろうと、女性、男性の敵となりうることを、「偽善」でごまかす男性、女性がいることが腹立たしい。

売春者には、想像もつかないことであろう。

売春行為には、表も裏もあることを。

その売春行為が行われている影で、その行為の代償を払わされているものがいることを。

その行為をしたものだけが、被害者面するのは、どうかと思う。

家族がいるものが、売春をするということは、その売春をした女性ないし男性の家族には、身体を売った代償が払われる一方、その買春をした女性ないしは男性個人は報われるのかもしれないが、その家族は被害を被っているということを、知ろうともしない。

たとえば、家を何件もかえるような収入を得ていた戦時売春婦が己の家族にその収入を分け与えて家を作り、暮らしが保証されていた時に、その収入さえ届けられず、ひもじい子どもをかかえ、爆撃で家を失って、暮しは保証されず、帰ってこないものを待ち、野垂れ死にしていた、途方に暮れていた日本の家族には、不名誉と不利益しかないということを、見ようともしない。

宝石を買って街を闊歩していたと堂々とのたまい「偽善」を鼻で笑っているようなことを正直に話していた戦時売春婦がいたが、表では被害面をしながら、裏では、宝石を身に着けて、しゃなりしゃなりと己の価値を視覚化、実存させていたのである。

それを、売春と言わずに、ほかの何を売春というのか。

なぜ、戦時売春婦だけ、可哀想というのであろうか。

野垂れ死にしても一向に見向きもされなかった、欲望に殺されたともいえる、焼け出されて、食べるものもなくさまよい続け死んでいった日本に残っていた、着るものを売りさばき、着の身着のままでその日暮らしをしていた日本人妻や子どもは見ようともしない偽善者どもは、そのような状態に置かれたものをこそ、可哀想とは思わないのであろうか。



売春の影で泣いているものがいることを、売春者も買春者も、心した方がいい。

君子はすべてを思いやるというならば、せいぜい思いやるだけ思いやって見給え。

なにも変えようとしない、口先だけの、売春を表でも影でも正当化する、偽善者どもよ。

上から人事のように、可哀想可哀想とほざいているおれは君子とか思っている偽善者は、目障りなだけで、むしろ悪を正当化し助長させる。

舌なめずりをした、欲望に忠実な、売春を正当化するものが増えるだけである。


更にたちが悪いのは、当時日本人であった朝鮮半島のものが、いまは日本人の表を脱ぎ捨てて、韓国人になったのをいいことに、裏では己がやっていたことを知りながら、すべて日本人がやっていたこととして世界を欺き続けていることである。

偽善とは、それを見て見ぬふりをすることである。

最上級にたちが悪いことに、その後の朝鮮戦争で戦時売春婦を利用するだけ利用していた、欲望に忠実すぎるほど忠実な、己がやっていたことは、見て見ぬふりをする、偽善を通り越した、悪でしかない、プロパガンダが、世界中に、はびこっていることである。

その偽善を、即刻、断ち切ること。

偽善の嘘に付き合うものは、金輪際ない。

「偽善」を強いる、女性、男性の敵は、女性でもあり、男性でもある。というのはそういうことである。

売春者撲滅に向けてできる唯一のことは偽善をやめること。

ただ、それだけである。