竹島の問題が大きくなったその直後に東日本大震災が起こった。
その時に日本人はある意味、覚醒した。
一気に別の次元につれていかれるような、戦後隠されていたことが明るみになっていくことが、それから多くあった。
日本は地獄に突き落とされて、やっと気づいたともいえる。
嘘に。
東日本大震災のどさくさに紛れて竹島の問題を有耶無耶にしていい訳はない。
その騒ぎの発端となった土肥という議員がなくなったという。
彼の魂は、今、どこにいるのだろうか。
なくなった人であれ、なくなってない人であれ、日本のせいにするのではなく、半島に渡り半島でいい思いも悪い思いもしてきた己の過去は己で背負っていかなければならない。
国になすりつけるのではなく、己のこととして。
国を背負わず、半島に渡ったもののそれぞれが、己で背負うことが、今後の和解への道筋を作ることになる。
それは、戦後、半島へかえる機会があったにも関わらず日本に留まった在日の人達にも言えることである。
国を背負わず、よかれあしかれ、己が背負うこと。
国のせいにするのは、己をごまかすことでもある。
被害者面ばかりするのは、もう、やめるべきである。
日本に帰ってきた人の多くは、人には言えないような過酷な目にあっていながら、国のせいにするわけでもなく、己をごまかすこともなく、黙って自分で過去と向き合って生きておられるのを、少しは慮るべきである。