明鏡   

鏡のごとく

「日田巡り」

2016-11-21 16:39:23 | 詩小説

日田には、温泉がある。

一日目は、天ヶ瀬温泉の宿に止めていただき、入ることができた。
天然掛け流しの温泉は、硫黄のむせるような揮発した見えない匂いが立ち上り、地の底から這い上がった本物の熱と養分を体に染み込ませ、地の力を体全部でいただいた。
至福。多幸。
たとえ露天風呂で雨が降ってきたとしても、雷が近くでなろうとも、天からの恵みに変えてくれるほどの。


次の日は民泊をさせていただいた。

大山の「大雲庵」の森さん一家のお宅にお邪魔させていただいた。
大雲庵という名前は、かつてあったというお寺が由来と森さんはおっしゃっていたが、最初の玄関のところに、茅葺屋のミニチュアが置いてあったのには驚いた。
たまたま、ご主人が左官の親方?をされていたらしく、土壁が本物であるためか、息のできる茅葺感を燻し出していた。
居間には茅葺に模した穴を穿ってある竹灯篭、床の間にはひなびた茅葺の描かれた掛け軸、さらにまた、檜皮葺のミニチュアもあり、我が意を得たりの、いたるところに、茅葺三昧のお宿であったので、ますます、自分の中の茅葺への道と繋がっていることを思わずにはおれなかった。

ここに来ることのご縁とは、そういう形にも、現れてくれるものなのだと、その偶然のような、必然をありがたく思った。

笑顔の優しい寡黙だけれども飲むと最強になる森さんが、主にクレソンや、生姜、玉ねぎ、白菜、春菊、大根、ほうれん草、梅、ゆず、唐辛子などを栽培されているようであったが、ご家族でできることを穏やかに無理なく自然に委ねて地道にされているところを拝見し、このような生活ができることの土に触れることの力強さは、こうやって培われていくものだと思わずにはおれなかった。

太っ腹母さんの福々しい笑顔のたみこさんは、そのとれたての手間暇かけて作られたお野菜が、さらに先まで生き残れるようにと、さらに手間暇かけて沢庵や漬物、梅干しや玉ねぎや柚子胡椒を入れたドレッシングなどを手作りし、さらに美味しくなるよう、手を加えられていた。

目の綺麗な娘さんも、その背中を見て、今、後を引き継げるように手伝い始めたという。

こういうところが、至る所で残っていることが、日本の強みであり、生きていてよかったと思えるような、原風景の何物にも代えがたいものを、思わせる。

こういうところがあってこその都会でもあり、生きかたのいろんな形であり、その両方が、平行しているわけではなく、繋がっていながら、ともに生きながらえる方法を見せていただいたような気がした。

どちらかだけでは、いずれ枯渇してしまうのは、目に見えている。

両方を生かせる道が、日本を、あるいは世界を継続可能な、息苦しさをある程度、解放できる道に繋がってくることへの、誰にでも味わおうと思えば味わうことのできるような希望に思えてならないのだった。