goo

■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

1977~'78年、高校受験の傍で聴いていた(^^)のは、洋楽よりもむしろ邦楽だった。
このころは自分用のレコードプレーヤーやラジカセをゲットしていたので、自由に音楽を聴ける環境にあった。
また、FMでも音楽番組がさかんに組まれていた。

洋楽ではBostonTotoQueenなど、今でいうプログレハードがメインで、Doobie BrothersEaglesなど、ウェストコースト系は正直あまり聴いていなかった。(さすがに「Hotel California」(1976、日本でのヒットは1977)はリアルタイムで聴いているが・・・。)
なのでBos Scaggs希代の名盤『Silk Degrees』('76)はタッチの差でリリース時にリアルタイムで聴いていないかも・・・(泣)。


■ Boston 「More Than A Feeling (邦題:宇宙の彼方へ)」 (1976)


■ The Eagles 「Hotel California」 (1976)


■ Toto 「Georgy Porgy」 (1978)


■ Queen 「Bohemian Rhapsody」 (1975)
当時も名曲だと思ったが、2018年になって大ブレークを迎えるとは・・・。優れた曲は時代を超える!

----------------------------
この当時、「ニューミュージック」の一部のアーティストは、メジャー系コードと弾むリズムをもった、洋楽ライクで洗練されたサウンドを紡ぎ出していた。
重ったるい”主張”や”生きざま”が入らないライトな歌詞もよかった。
SAS、山下達郎、大瀧詠一、財津和夫(チューリップ)、小田和正(オフコース)など、その後ビックネームとなる才能がひしめいていた。『YUMING BRAND』(1976)あたりの荒井由美のメロディなど、天才的なきらめきがあった。
その頃、以前からもっていたフォークギターに加え、エレキギターをgetした私は「ギターで1発決める日(笑)」を夢見ていた。


■ Char 「Shinin' You Shinin' Day」 (1976)


■ 荒井由実 「ベルベット・イースター」 (1973)


■ チューリップ 「サボテンの花」 (1975)


■ 矢野顕子 with YMO 「また会おね」 (1979)
スゲー面子!

※ '80年代に入ってからのシティ・ポップはこちらに載っけてるので聴いてね。

この頃には、レコードをカセットテープにダビングして聴くというかたちがすでに一般化していた。
いちいちレコードに針を落とさずに、好きな曲を手軽に何回でも聴けるという音楽環境の変化は画期的だった。
また、1979年にはSONYの「ウォークマン」が発売。
いつでもどこでも好きな音楽を楽しめるというこのアイテムは、音楽とのつきあい方を決定的に変えた。

そして、音楽環境の一大転機、高校入学を迎える。(1979年)
その私立の男子校は幾人かの有名なアーティストを出していて、音楽レベルの高さはハンパじゃなかった。
同級生には、すでに原宿あたりのライブハウスに出演している猛者さえいたから、そのレベルは推して知るべしだ。
あまりのレベルの差に愕然とした私は、「ギターで1発決める夢」をあっさり放棄した。(笑)


■ 渡辺香津美 「E-DAY PROJECT」 (KYLYN/1979)

当時、演られていたのは、渡辺香津美やデビュー直後のSquareCasiopeaなどのFUSION系(当時は「クロスオーバー」と呼ばれていた)、"いとしのエリー"がブレークしたSASなど・・・、一部の好き者は結成直後のYMOに手を染めていたりして邦楽メインだった。
だが、洋楽好きもごろごろいて、情報収集にはこと欠かなかった。


■ The Buggles 「Video Killed The Radio Star」 (1979)


■ Rufus & Chaka 「Do You Love What You Feel」 (1979)


■ Christopher Cross 「Sailing」 (1979)
※AORを代表する名曲。同じハイトーンヴォイスでもAir SupplyやJigsawとは明らかに質感が違う。

本格的に洋楽にのめり込んだのはこの頃だ。
大きな影響を受けたのがBos ScaggsBobby CaldwellChicだった。
BozはそのころすでにスターダムとなっていたBilly Joelとは明らかにちがう質感をもっていたし、Bobby Caldwellのグルーヴィーなサウンドは理屈抜きに心地よかった。
洒落たリズムに洗練されたメロが乗るChicもカッコよかった。


■ Bos Scaggs 「Lowdown」 (1976)


■ Bobby Caldwell 「What You Won't Do for Love」 (1978)


■ Chic 「Good Times」 (1979)

あと、よく聴いたのはPablo Cruise。
San Francisco出身でWest Coast系ベースながらCory Leriosの妙にクラシカルなPianoが効いて面白いサウンドをつくりだしていた。
(伝説のサーフィン映画『フリーライド』のテーマ曲「Zero to Sixty in Five」を手がけ、代表的なサーフロック(Surf Rock‎)バンドとしても名を残している。)


■ Pablo Cruise 「Family Man」 (1978)
4thALBUM『Worlds Away』(1978)収録曲。プロデュースはあのBill Schnee!

怒濤のごとく周辺Artistアーティストを聴きあさり、初期AORにはきもち乗り遅れたものの、この時点でシーン(当時は「ソフト&メロー」と総称されていた)に完璧にシンクロした。


■ Grover Washinton jr. & Bill Withers 「Just The Two Of Us」 (1980)
※ クロスオーバー系の代表曲。

わたしは、洋楽のピークは1979~1983年の5年間だと思っているので(洋楽1983年ピーク説)、1979年初頭の時点でのシンクロ(しかもかなりマニアックなかたちでの)は、いま振り返っても絶妙なタイミングだったと思っている。

一方、低迷期に入りしばらく遠ざかっていたプログレだが、1979年発売されたキングレコードの「ユーロピアンロックコレクション」に啓発され、その後、イタリアやフランスあたりのグループを手当たり次第に聴きまくることになる。
ただし、メインに聴いていたのはのちにシンフォニック・ロック(Symphonic Rock)と呼ばれるメロディを重視したもので、前衛色のつよいカンタベリー系(Canterbury Rock)などはあまり聴いていない。

なお、Progre/Euro Rockは70年代を通じて世界的なムーブメントとなっていて、各地の民俗音楽と結びついて多彩な展開をみせていた。
わたしの民俗音楽とのかかわりは、Progre/Euro Rockか、その後民俗音楽とのコラボ色を強めた一部FUSION系からのアプローチで、正直、正統派ではないと思うし、はっきりいって造詣もふかくない。


■ Locanda Delle Fate (Italy) 「Forse Le Lucciole Non Si Amano Piu」 (1977)


■ Machiavel (Belgium) 「The Fifth Season」 (1978)

プログレとはいえないかもしれないけど、これは衝撃的だった ↓

■ Kate Bush 「Wuthering Heights」 (1978)

'80年代初頭のピークに向けて昇り調子だったAmerican Progre Hard(のちに「産業ロック」と呼ばれるJourneyREO Speed WagonKansasELOForeignerRushなど)もよく聴いた。


■ REO Speedwagon 「Keep On Loving You」 (1980)


■ Kansas 「Crossfire」 (1982)


■ Rush (Canada) 「Freewill」 (Exit Stage Left/1981)

'70年代後半、急速に勢力を拡大していたパンクやテクノはそれなりに聴いていたが、なぜかあまり深入りしなかった。
そのころからタテのりや無機質なシンセサウンドは肌に合わなかったのかもしれない。

↓こんなのがクラスで流行ってた。そんな高校です(笑)

■ Plastics 「COPY」 (1979)
いまのコピペ時代を先読みした驚異の内容!

ただし'80年代中盤にかけて、UK系”New Wave”のなかでSynth-Popと呼ばれたメロディアスな一群(OMDSimple MindsUltravoxDepeche Mode、Blancmange、China Crisisなど)はよく聴いていた。)


■ OMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark) 「Joan Of Arc」 (1981)


■ China Crisis 「Wishful Thinking」 (1983)


■ New Order 「Your Silent Face」 (1983)
※New Orderもこういう曲をリリースしていた1983年。

---------------------------------
大学卒業までのわたしは間違いなく洋楽志向だったと思う。
むろん、達郎、サザン、Yuming、角松敏生、佐野元春、杏里、杉山清貴、中原めいこなどのビッグネームはふつうに聴いていたし、さりげに松田聖子(とくに初期のLP)や岩崎宏美なんぞも好きだった。


■ 山下 達郎 「LOVELAND,ISLAND」 (FOR YOU/1982)


■ 角松敏生 「Crescent aventure」 (Weekend Fly To The Sun/1982)


■ 杏里 「Last Summer Whisper」(Heaven Beach/1982 A-2)
当時、もっとも聴き込んでいた邦楽ALBUMのひとつ、1982年リリースの杏里 「Heaven Beach」。
名盤! とくにB-3~5の流れが絶妙。個人的な想い入れもあって、感慨なくして聴けぬ(笑)
・B-3→ 「Memorial Story」
・B-4→ 「夏に背を向けて」
・B-5→ 「Heaven Beach」 ※個人的には日本のPop-Music屈指の名バラード 


■ とみたゆう子 「海のキャトル・セゾン」 (DEUX/1982)
これも当時ALBUM通しでよく聴いてた。「ミルキーボイス」といわれていた甘~いハイトーン。
こんな名盤も1982年の作。


■ 中原めいこ 「メランコリーTea Time」 (ロートスの果実 -LOTOS- /1984)
リズムはすでに1984年のものだけど、ブライトな曲調は往年のもの。


■ 佐野元春 「HEART BEAT (小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)」(HEART BEAT/1981)
コメントにもあるけど、この曲を「名曲」と呼ばずして、なにを「名曲」と呼ぶ?
楽曲・ボーカル・演奏、そして映像。すべてがベストの仕上がり!


■ 杉山清貴&オメガトライブ 「Never Ending Summer」(NEVER ENDING SUMMER/1984年)
※18分に及ぶ長尺の組曲。捨て音なし、ストーリー感あふれる名曲で一気に聴かせる。
とくにラストの「Never Ending Summer IV ~ Prolog」は逸品。
作曲・編曲:林哲司 作詞:秋元康。哲司節全開! たしかに秋元康、才能ある。それは認めます(笑)
歌詞
※↑の動画一部略あり。フル動画は →こちら

「洋楽志向」とは言っても、この時分ひたすら中古レコード屋に入り浸っていたので、AORテイストのある邦楽のALBUMもそれなりには買っていた。
先日、改めて確認してみたら、近頃、「シティポップ」として再評価されている一群のArtistのALBUMもけっこう持ってた(忘れてた(笑))。
※ 関連記事(リンク)-1→ なぜいまシティポップが注目されているのかを再検証
※ 関連記事(リンク)-2→今なぜ海外で「シティ・ポップ」が大人気なのか? 火付け役に聞く


■ 佐藤博 「I Can't Wait」 (1982年)


■ 松原 みき 「真夜中のドア Stay With Me」 (1980年)
※若くしてこの世を去った才能あふれるArtist。英文コメントの多さが「シティポップ」ブームを物語っている。


■ Rajie 「メモリー・スルー(追想)」 (ACOUSTIC MOON/1981)
※井上鑑(key)、今剛(g)、鈴木茂(g)、林立夫(ds)、斎藤ノブ(per)、土岐英史(sax)!


■ 黒住憲五 「Juggler」 (1982年)


■ 尾崎亜美 「Wanderer In Love」 (1981年)
※David Foster(key)Steve Lukathur(g)、Jay Graydon(g)、Neil Stubenhous(b)、Jeff Porcaro(ds)、Tom Scott(sax)


■ 二名敦子 「ホノルル・シティ・ライツ」 (1984年)
※この時期、AOR(Surf Rockにもっとも接近した邦楽Artistの一人)だと思う。

最近、シティポップに関連する記事(→こちら)を書いたのですが、↑を聴き直して確信っぽくなってきたので、一部下にもってきました。↓

**************************
ウェストコーストサウンドは、ブライトなメロディとこ洒落たハーモニー、そして独特の弾むリズムが魅力だと思っているが、今、海外で人気とされるシティポップ曲を聴くと、例外なくこれらの要素を備えている。
これらが重なると、耳(というか全身)に自然に入ってくる、きわめて「聴き心地のよい音楽」となる。そして聴き手にポジティブな高揚感をもたらす。

当時はさほど意識していなかったが、いま聴き直してみるとシティポップではこれらの要素(とくに弾むリズム)をウェストコーストサウンドよりも意識的にデフォルメしている感じがある。
だからシティポップの「聴き心地のよさ」は、ウェストコーストサウンドを凌駕しているのでは。

かつて彼らが生み出したウェストコーストサウンドやAOR(AC)が、より進化した形で日本で生み出されていたことに対するおどろきと、有無をいわさぬ「聴き心地のよさ」、そしていまの社会環境(時代の気分)では、もはや創りだすことが難しくなった「高揚感」がシティポップ人気の本質ではないか。

■邦楽 80年代シティポップ

「あの頃はよかった」系以外のコメントがかなり面白い。(ガセかもしらんが・・・)

------------------------------------
そのころ頭痛のタネだったのが軍資金だ。
当時、LPは2,500円だったから、そうやすやすと買えるシロモノでなく、バイト代はたちまちレコードに消し飛んだ。
なので、メジャー系アーティストはほとんどFMでエアーチェック(FMでOn Airされた曲をテープに録音することをこう呼んでいた)し、FMで流れない非メジャー系は中古盤屋で探していた。(中古盤屋廻りの習癖はいまにつづいている。)

1980年、レンタルレコード店が出現。
たった250円でLPが借りられるこの店は救世主だった。
業界の先陣を切った「黎紅堂」の初期の店が自宅そばにできたので、ひたすら借りまくった。
この業態は急速に広まり、いくつもの店をつかいわけていた。
とくに、マニアックな品揃えだった池袋のJanis、下北沢のレコファン(今はメジャー中古ソフトチェーンだが、当時は下北沢の狭い店でレンタルもやっていた)には飽きもせずよく通った。

渋谷に輸入盤ショップの草分けタワーレコードができたのも、たしか1980年ごろと記憶している。東急ハンズのはす向かいにあったその旧店は外人客も多く、独特の雰囲気があった。
まわりにはシスコや数軒の中古レコード店があって、洋楽好きの聖地と化していた。
(さらにつづく)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)


------------------------------------
■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
1983年洋楽ピーク説(名曲編)
AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
プログレハードの名曲

女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
女神系歌姫 【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ■ utsuboの音... ■ utsuboの音... »