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■ とびっきりの?アルバム曲

個人的に、とびっきりの気に入り曲はアルバム曲だったりする。
アルバムまるごと聴く(というか流す)のがあたりまえだった1980年代。
歳を重ねるほどに輝きを増す、ビッグネームのアルバム曲をいくつかピックアップしてみました。

■ サザンオールスターズ - 夕陽に別れを告げて (『KAMAKURA』 1985年)

個人的にいろいろあった時期、しかも湘南に通っていた時期でもあってひときわ思い入れが強い。
初期サザンのサウンドは、この『KAMAKURA』で終わりを告げたと思う。
原 由子氏のキーボードがいかに優れものかがわかる、サザン屈指の名曲。


杏里は1980年代前半、もっともよく聴いていたアーティスト。
UP曲もバラードも、ひときわ海辺に似合った。
材木座や久留和あたりで、飽きもせずよく聴いていた。

■ 杏里 - Heaven Beach (『Heaven Beach』 1982年)

タイトル曲の「Heaven Beach」、やっぱりこれは神曲だと思う。杏里の作曲能力の高さを物語る曲。

~ Love Make Me Strong
 あの素晴らしい日々が遠く 空を舞いおりて来る ~

■ 杏里 - Long Island Beach (『WAVE』 1985年)

杏里屈指の名バラード。
1980年代前半ならではの聴き飽きしない洒落たメロディーライン。ブライトだけど切なさも。

■ 角松敏生 - Crescent Aventure (『ON THE CITY SHORE』 1983年)

1983年リリースの角松敏生の3rdALBUM『ON THE CITY SHORE』。
個人的にはこの作品が角松のベストだと思っている。
粋でいなせだった角松敏生の当時のサウンドを象徴する名曲。

■ 松田聖子 - セイシェルの夕陽 (『ユートピア』 1983年)

聖子ちゃんは圧倒的なアイドルだけど、じつはアルバム・オリエンテッド(アルバム全体としての完成度を重視するスタイル)なアーティストでもあった。
とくに初中期の『Pineapple』(1982年)、『Candy』(1982年)、『ユートピア』(1983年)、『Canary』(1983年)あたり。
これは『ユートピア』収録の人気曲で作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗。
シティ・ポップとして聴いてもまったく違和感がない。

■ 山下達郎 - FUTARI (『FOR YOU』 1982年)
※ベースカバー 原田賢扶 歌詞あり Fender Japan JazzBass

「SPARKLE」「LOVELAND, ISLAND」など代表曲揃いの名アルバム『FOR YOU』。
A面ラストのこのバラードも、文句のつけようのない仕上がり。

■ 松任谷由実 - ずっとそばに (『REINCARNATION』 1983年)

このころのユーミンならではの母性を感じる曲で、聴くほどにしみじみといい。
バックのサウンドのキレッぷりがハンパない。

■ 今井美樹 - The Days I Spent with You (『flow into space』 1992年)

これは1990年代だけど、数ある今井美樹の名曲のなかでも屈指のできなので・・・。
曲構成も素晴らしいけど、歌詞が珠玉。
FMの「泣ける名曲」特集などで、好き者連中がリストしたりする。
2000年の”Club Hemingway”でのLIVEと思われる。
この曲はアレンジによって相当イメージがかわるけど、このLIVEは屈指の出来映え。

■ HEART BEAT(小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド) (『Heart Beat』 1981年)

ぶっちぎりの名曲&名演。
コメントにもあるけど、この曲を名曲と言わずして何を名曲と言うのか。
この動画は払暁のハイウェイの映像もあいまって、一箇の芸術作品として昇華されている。

↓ の3作を「佐野元春初期三部作」ともいい、共通した空気感が流れている。
4th.ALBUM『VISITORS』(1984年)以降、佐野元春はほとんど1作毎に作風を変えていく。
その中には名曲も少なくないが、やっぱり筆者的にはリアルタイムでヘビロテしていたこの3作に戻ってしまう。

1st.ALBUM 『BACK TO THE STREET』(1980年)
2nd.ALBUM 『Heart Beat』(1981年)
3rd.ALBUM 『SOMEDAY』(1982年)

これは1981年リリース『Heart Beat』収録の名曲。
7:58というアルバム曲ならではの長尺の大曲で、佐野元春のメロディメーカー&ストーリーテラーぶりがいかんなく発揮されている。
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■ 正月の限定御朱印

もうかれこれ7年も前の記事ですが、いきなりアクセスランキングに上がってきました。
(自分でも忘れてた。)
せっかくなので、これに追加するかたちでリニューアルアップします。

なお、以前は正月限定だったところが通年授与となっているケース(主に本務社が授与を開始)もありますが、訂正せずにそのまま掲載します。
また、令和7年度正月の授与については定かではありません。

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2019-01-13 UP

限定御朱印はとみに人気ですが、じつは2種類あって、内容はぜんぜん別物です。
1.特定期間に特定印が捺されたり、字色がかわったり、見開き御朱印になるもの。
2.特定期間にしか拝受できないもの。

わたしは1.にはほとんど興味がないので、原則、基本の御朱印しかいただきません。(御開帳御朱印は別。)
でも、2.となると話は別で、機会を逃さず拝受をめざします。

神社だと祭礼や正月、寺院だとご縁日に授与される場合が多く、寺院でも七福神の札所では正月限定御朱印が授与されるケースがあります。
この「正月」の定義はまちまちで、正月のみ、三が日、七草(1/7)まで、旧成人の日(1/15)まで、1月一杯などで、年により変動したりするのでなかなかやっかいです。

また、「羽田七福いなりめぐり」は、東官守稲荷神社~穴守稲荷神社の全8社を詣でる寺社巡りですが、こちらも多くは正月のみの授与となっています。
期間中はすべての神社で御朱印帳書入れ可能です。
(授与期間:令和7年1月1日~3日 各日9:00~15:00まで受付)

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これまでに拝受した2.タイプと思われる限定御朱印をいくつかご紹介してみます。

1.千葉神社・千葉天神 (千葉市中央区院内1-16-1)
 
平成27年より正月期間は書置の限定御朱印が授与されています。(例年1/1~2/2)
両社とも通常は社号の揮毫ですが、限定御朱印では妙見信仰にちなむ御朱印となります。
なお、こちらの御朱印帳は天の川と三光紋(月星紋)・九曜紋をモチーフとしたすごぶる美しいものです。
限定御朱印の案内は→こちら

2.大川町氷川神社 (足立区千住大川町12-3)

北千住の千寿七福神は無住の神社が多く、限定御朱印がメインとなっています。
七福神だけでなく、神社の御朱印そのものが正月限定なのでレア度が高いです。
ここも千寿七福神開催期間中のみ、特設テントでの授与で御朱印帳に揮毫いただけます。
無住ですが、旧千住五丁目の鎮守とされ旧村社の格式を有します。

3.春陽山永隆寺の神保大黒尊天 (世田谷区北烏山4-17-1)
 
本所から移転した法華宗本門流の寺院です。
毎年1月の第二週目の日曜日が神保大黒尊天のご縁日で、御朱印は1月一杯の限定授与であることが、公式Webにて告知されています。
近くの調布七福神の御朱印のいくつかも正月限定授与の可能性があります。
なお、御首題は通年授与されているようです。

4.盬竃神社 (港区新橋5-19-7)

伊達家所縁の都内ではめずらしい盬竃神社です。(旧無格社)
こちらは正月限定かどうかは不明ですが、Web上の情報では、これまで拝受された方はほとんど正月のようです。
三が日に参拝しましたが、ご不在だったため郵送にて授与いただきました。
正月以外でも郵送であれば授与いただけるかもしれませんが詳細不明です。

5.武蔵野八幡宮(大國様) (武蔵野市吉祥寺東町1-1-1)
 
こちらは間違いなく正月限定です。武蔵野吉祥七福神の一尊で、社務所ではなく、特設テントにて授与されます。印判タイプで御朱印帳に受けることができます。
武蔵野八幡宮は旧吉祥寺村鎮守とされる八幡宮で、こちらの御朱印は社務所にて通年授与されています。

6.(西御門(にしみかど)/大蔵)白旗神社 (鎌倉市西御門2ー1)

原則正月三が日のみの書置授与です。授与所は拝殿向かって右手前の授与所。
たしか15時くらいまでだったと思うので、早めの参拝をおすすめします。
詳細は→ こちら(鎌倉のお正月限定御朱印)をご覧ください。

7.(鶴岡八幡宮末社)白旗神社 (神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1)

公式Web(PDF)によると、令和7年正月も授与される模様です。
「数量限定三社一組正月特別朱印」は鶴岡八幡宮・旗上辨戝天社・白旗神社の3社の御朱印がセットになったもので、白旗神社の御朱印は正月限定となります。
正月三が日の授与と思われ、公式Webには「※数に限りがございます。」とあり、授与の可否はそのときの授与状況によりますので、2日、3日の参拝で拝受できるかはわかりません。
また、1日あたりの授与数が決まっている可能性もあるので、なるべく早い時間の参拝をおすすめします。

境内東側に御鎮座。
源頼朝公・実朝公をお祀りし、学業成就・勝負運の御神徳あらたかとされます。
詳細は→ こちら(鎌倉のお正月限定御朱印)をご覧ください。

8.押上天祖神社 (墨田区業平2-9-6)

特設テントで氏子さんによる授与のようで、原則正月三が日のみの授与と思われます。
Web検索によると、最近の揮毫は社号ではなく「福寿」のようです。

9.品川神社の大黒天尊 (品川区北品川3-7-15)

東海七福神は、原則元旦から成人の日までの御朱印授与とみられます。

10.深川稲荷神社 (江東区清澄2-12-12)

深川七福神のご開帳期間は毎年1/1から1/7の午前九時から午後五時までで、通常無人の寺社についてはこの期間のみが拝受チャンスとみられます。
Web検索でヒットする御朱印の拝受日付をみる限り、深川稲荷神社もおそらくそのひとつです。

11.朝日天神神社(神道大教 天神大教会) (埼玉県ふじみ野市西原1-1-18)

正月限定ではないかもしれませんが、Web検索でヒットする数少ない御朱印の拝受日付をみるとほとんどが正月です。
筆者も正月に拝受しています。

12.尾崎神社 (埼玉県川越市笠幡1280)

「川越笠幡郷総社」とされ兼務社14社を擁する名社ですが、御朱印授与は正月3ヶ日のみ?の模様です。


まだいくつかありますので追加していきます。
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■ 志木開運・招福七社参り-1


 

先日、敷島神社の境内に「志木開運・招福七社参り」の新しいリーフレットが置かれていました。
この神社巡りは恒久的なものかどうか不明でしたが、新版のリーフレットがつくられたということは、定着を目指しているものと思われます。
こちらの神社巡りについてはすべて御朱印を拝受していますが、本務社の水宮神社の宮司様は兼務社多数ですこぶる多忙なご様子なので、常時七社の御朱印を授与されているかは不明です。

ただし、敷島神社と境内社の田子山富士塚については、祭礼日および原則「大安」「友引」の日に境内で御朱印を拝受できます。

志木市は住宅地ですが、東部の川沿いにはけっこう自然が残っていて、朝霞五社巡りとともに変化に富んだ神社巡りを味わうことができます。

川越ほども混まないし、東上線沿線の方はお正月の空いた時間にでもトライされてみてはいかがでしょうか。

【関連記事】
■ 朝霞五社巡り
■ 平林寺の御朱印
■ 埼玉県富士見市・ふじみの市・三芳町の御朱印
■ 埼玉県所沢市の札所と御朱印
■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-1(中心エリア)
■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-2(周辺エリア)

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2021/05/08 UP





こちらのサイトで以前からその存在は知っていたものの、詳細不明だった神社参り。

七社とも参拝済で一部御朱印も拝受済でしたが、先般、敷島神社の境内にリーフレットが置いてあったのでリーフ記載の問合せ先の水宮神社様にお伺いすると七社とも御朱印授与可とのことで、これまで未拝受の御朱印もいただいてきました。

ただし、書置はなく、ご神職もすこぶるご多忙なご様子なので、よほどタイミングが合わないと拝受はむずかしいかもしれません。
筆者も数回に分けて御朱印帳をお預けしての拝受となりました。

こういう状況なので迷いましたが、それぞれ趣きある神社ですし、新たにリーフレットの配布も始められていますし、このところお隣の朝霞市の朝霞五社巡りの記事にも多くのアクセスをいただいているので、ご参考までにUPすることにしました。


志木開運・招福七社参りは、志木市内に御鎮座の七社を巡拝するものです。

1番 敷島神社 志木市本町2-9 境内に田子山富士塚あり
2番 舘氷川神社 志木市柏町3-6
3番 (羽根倉)浅間神社 志木市上宗岡4-27-20 別称:羽根倉浅間神社
4番 宿氷川神社 志木市上宗岡2-2 別称:上ノ氷川神社
5番 産財氷川神社 志木市中宗岡2-29 別称:中ノ氷川神社
6番 下ノ宮氷川神社 志木市下宗岡4-7 別称:下ノ氷川神社、下の宮氷川神社
7番 (中宗岡)天神社 志木市中宗岡1-4-36

埼玉県南部に位置する志木市は広くはないですが、江戸時代は新河岸川の舟運の要衝で、引又河岸(現在の市役所付近)は物産の集散地として栄え、寺社も比較的多く残っています。
市域のほとんどが住宅地(一部農地)ですが、南側は武蔵野台地、中心部から北部にかけては柳瀬川、新河岸川、そしてさいたま市との市境には荒川が流れ、地勢も変化に富んでいます。


【写真 上(左)】 新河岸川沿いは桜の名所
【写真 下(右)】 左手が武蔵野台地の斜面林

こちらの資料の図をみると、志木開運・招福七社参りや朝霞五社巡りは、ちょうど柳瀬川と黒目川に挟まれた武蔵野台地と、荒川(新河岸川)沿いの低地を行き来する道程であることがわかります。

〔 志木開運・招福七社参りの神社の位置図 〕
※ 志木市洪水ハザードマップを加工して作図


上図の左下の色のついていないエリアが武蔵野台地、新河岸川から北の色がついているエリアが新河岸川と荒川に挟まれた低平地(宗岡エリア)です。
この図からも、武蔵野台地と荒川(新河岸川)沿いの低地を行き来する、変化に富んだ道程であることがわかります。

上図のとおり七社はほとんど川沿いに鎮座しているので、荒川・新河岸川・柳瀬川の3つの川沿いのハイキング・コースを巡拝ルートにとることもできます。

志木は石工の盛んな地で、星野勝五郎、星野弥五郎などの名工を輩出しています。
また、高野伊兵衛からつながる高野一族、万寿五郎注之など大工の棟梁も輩出しており、彼らの手とみられる作品がいまも市内でみられる点も楽しみのひとつです。


【写真 上(左)】 メイン通り
【写真 下(右)】 柳瀬川


【写真 上(左)】 新河岸川沿いの遊歩道
【写真 下(右)】 荒川沿いの遊歩道


【写真 上(左)】 新河岸川と柳瀬川の合流点
【写真 下(右)】 市のキャラ「かっぱ」が至る所にいます

7社いずれも非常駐ですが、敷島神社は特定の日に境内社の田子山富士塚のご開山があるので(田子山富士塚公式Webを参照、祭礼日および原則「大安」「友引」の日)、そのときには敷島神社と田子山富士塚の書置御朱印を拝受できます。
それ以外は、上記のとおり水宮神社でタイミングがあえば拝受できるかもしれません。

敷島神社と(羽根倉)浅間神社には駐車スペースがありますが、それ以外は不明でアプローチの道もこみ入っているので、市内のどこかの駐車場に停めて徒歩でまわるのがベター。
電車利用の場合は、東武東上線「志木」駅がベースとなります。
発願の敷島神社は「志木」駅から1㎞強、徒歩で20分ほどかかりますので頻繁に運行しているバスを使うのも手かもしれません。(バス停「富士道入口」下車徒歩5分)
また、JR浦和駅発志木駅行きのバスは日中は1時間に3本ほど運行され、これも「富士道入口」に停まるので浦和方面からも便利がいいです。

かなり歩き甲斐があり、見どころも多いので思いのほか時間がかかります。
1日ないし数日かけてじっくり参拝し、御朱印については事前にTEL確認のうえお伺いするのがベターかと思います。
また、上記のとおり田子山富士塚の開山日にはこちらの御朱印も拝受できますので、開山日にあわせた巡拝がおすすめです。

それでは、順に連載形式でご紹介していきます。
(関連する寺社の御朱印もあわせてこ紹介します。)

1.敷島神社

埼玉県神社庁Web
「猫の足あと」様
埼玉県志木市本町2-9
御祭神:木花開耶姫大神、罔象女大神、倉稲魂大神
境外社:津島天王社(本町2-4)、御嶽神社(本町2-15)
御利益:開運招福
旧社格:村社
元別当:
授与所:境内(田子山富士塚開山日)ないし水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)
※水宮神社授与所には敷島神社の御朱印の見本が掲出されているので、こちらでは開山日以外でも拝受可能と思われます。
なお、敷島神社から水宮神社までは、気合いを入れれば歩けます。(新河岸川沿い遊歩道を2㎞ほど)
朱印揮毫:敷島神社 書置ないし直書(筆書)

【写真 上(左)】 水宮神社で拝受の御朱印(直書)
【写真 下(右)】 敷島神社境内で拝受の御朱印(書置)

かつて、新河岸川と柳瀬川の合流地点にかかる”いろは橋”周辺は「引又河岸」と呼ばれ、新河岸川舟運の要衝でした。
いろは親水公園内の説明板に詳しいので、抜粋引用してみます。(引又河岸については、こちらのWebに詳しいです。)

※ 過去の写真や図は現地案内版、行屋稲荷境内掲示物などより

【写真 上(左)】 旧引又河岸周辺の案内図
【写真 下(右)】 旧引又河岸周辺

「新河岸川舟運の起源は、寛永十五年(1638年)に川越の大火で燃えた東照宮・喜多院を再建するため、江戸城紅葉山御殿を運んだことに始まると言われているが、それ以前からも本河岸(現富士見市)や古市場(現川越市)までの舟運が行われていたようである。正保二年(1645年)に川越藩主松平信綱が川筋を整備し、舟運が本格化した。」
「引又河岸(明治7年からは志木河岸)は、新河岸川の河岸場のなかでも、取引の範囲が群を抜いて広大であり、所沢・立川・八王子・青梅さらには甲府まで荷主が分布していた。これは、府中から大宮を経て奥州に達する奥州街道(脇往還)と交差する交通の要衝であり、また、江戸時代初期から六齋市が立てられていたことによると考えられる。」
「舟運に使われた舟は80石~100石で、速さによって分けられ、飛切(引又を夕方出て翌日の夜明けに浅草・花川戸に着く)、早舟(下りに15時間)、並舟(不定期)の3種類があった。」
「取り扱われた貨物は、江戸からの上りものでは綿糸・雑貨・鮮魚・糠・〆粕・塩・藁・石材・肥料など、江戸への下りものでは酒・米・大麦・小麦・醤油・材木・燃料など。乗客を扱うようになったのは天保の頃(1830-1840年)からで、おもに飛切が使用された。」
「引又河岸には、いつの時代にも2軒以上の舟問屋(三上問屋、井下田問屋、高須問屋など)が営業していたが、新河岸川の改修や鉄道の普及により舟運は急速に衰え、昭和6年には廃業に至った。」


【写真 上(左)】 明治37年の引又河岸
【写真 下(右)】 引又河岸の輸送船(大正時代)


【写真 上(左)】 いろは橋のレリーフ(しきがし)
【写真 下(右)】 旧村山快哉堂(土蔵造りの店蔵)

敷島神社はこの引又河岸をみおろす高台に、明治40年(1907年)、当地の浅間神社に村社の村山稲荷神社・星野稲荷神社と水神社の三社を合祀し、敷島神社と改めて成立しました。
社名は、御祭神木花開耶姫大神にちなみ、本居宣長の和歌「敷しまの倭こころを人とはは朝日ににほふ山さくら花」から引いたものとされています。


【写真 上(左)】 引又河岸の説明板
【写真 下(右)】 引又河岸の水神宮碑

田子山富士塚公式Webによると、幕末に引又町で醤油醸造業を営む高須庄吉という人が霊夢に導かれ、当地の田子山塚で「逆修」の板碑を発見しました。
この板碑は、室町時代の暦応三年(1340年)、僧・十瀧房承海が富士山入定に先立って建立したものとされています。

富士山信仰に篤い高須氏は田子山塚の上に富士塚築造の決意を固め、同志を募って明治2年10月から明治5年6月までの期間を要し、田子山富士塚として完成に至りました。
富士塚の頂上には木花開耶姫大神を奉斎して浅間神社と号しました。

引又周辺(現・志木市内)は富士信仰の盛んな地で、「田子山富士」の「丸吉講」以外にも上宗岡の「浅間神社」を中心とした「丸藤講」があり、明治13年に「羽根倉富士嶽」が築造されています。
「丸藤講」の第八代先達「日行星山」(本名:星野勘蔵)は、明治25年に富士山麓(富士吉田市)に「吉田胎内」を開基されています。

村山稲荷神社は武蔵七党に属した名族、村山家の総本家(助右衛門家)の地所に祀られていたお社、星野稲荷神社は星野家の総本家の地所に祀られたお社とされます。
また、水神社は、新河岸川の引又河岸付近に舟運の安全を祈って祀られていたお社とされます。

境内にいるとさほど感じませんが、新河岸川から眺めるとかなりの高みにあり、武蔵野台地東端の要地に鎮座していることがわかります。
ここから志木中心部にかけての高みは、市の西側を流れる柳瀬川の流れを北上させるほどのもので、南側の新座市にある平林寺方向までつづきます。
また、立川市の玉川上水から引かれた野火止用水(伊豆殿堀)は新座市の平林寺境内を流れ、敷島神社の下で新河岸川に注いでいました。(志木市観光協会Web、一部いろは樋で新河岸川を渡って旧宗岡村方面にも分流。)
このことからも、志木が水利に乏しい武蔵野台地の北(東)端に位置することがわかります。


【写真 上(左)】 新河岸川からのぞむ敷島神社の高台
【写真 下(右)】 敷島神社下の”はけの道”


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 鳥居

住宅地から参道に入ります。
社頭に石造の明神鳥居で、最近立派な社号扁額が掲げられました。
右に「敷島神社」の社号標。
正面にこんもりと田子山富士塚が見えます。
地域の中核社らしく多くの境内社も鎮座し、地域の住民が集って華やぎのある境内です。


【写真 上(左)】 境内案内図
【写真 下(右)】 桜と社殿

右手に進むと手水舎。
水盤には富士山形の線刻の下に○に吉の紋が刻まれ、これは「丸吉講」の奉納とみられます。
本殿拝殿前に石灯籠一対。


【写真 上(左)】 参道と拝殿
【写真 下(右)】 拝殿

拝殿は入母屋造平入り流れ向拝。縋破風の照りが効いて均整のとれたつくり。
拝殿と本殿は石の間で接続しているようです。



【写真 上(左)】 拝殿扁額
【写真 下(右)】 本殿

水引虹梁まわりは直線的で、海老虹梁部も湾曲なくシンプルな仕上がり。
向拝まわりの意匠もスクエアで統一され、全体にきっちり端正な印象です。
向拝見上げに、新たに立派な社号扁額が掲げられました。


【写真 上(左)】 稲荷神社と護国神社
【写真 下(右)】 鷲宮神社


【写真 上(左)】 水神宮
【写真 下(右)】 敷島子安神社

拝殿向かって右手には護国神社と稲荷神社、左手には鷲宮神社でいずれも鳥居を構えています。
手水舎の並びに水神宮(御祭神:罔象女大神)が鎮座しますが、リーフレットによると本殿にも罔象女大神が祀られているので、この水神宮と引又河岸の水神社とのつながりについてはよくわかりません。
また、水神宮の並びに天平宝宇三年(759年)創建と伝わる敷島子安神社が鎮座し、こちらのご祭神は木花開耶姫命です。

〔田子山富士塚〕
朱印揮毫:木花開耶姫命 書置(筆書)

【写真 上(左)】 平成30年1月の御朱印
【写真 下(右)】 令和2年11月の御朱印


【写真 上(左)】 桜と田子山富士塚
【写真 下(右)】 つつじと田子山富士塚


【写真 上(左)】 入山口
【写真 下(右)】 なかなか立派な狛犬です

境内左手に田子山富士塚。高さ9m、麓の円周約125mのかなり大がかりな富士塚です。
「山頂に祠」「烏帽子磐」「小御岳神社」富士山の溶岩「黒ぼく」「御胎内」(地下洞穴)を備え、しかも「霊峰富士を遥拝」できる稀少な富士塚とのこと。
石造物の数もすこぶる多く細工の質も高いため、令和2年3月に「国指定の重要有形民俗文化財」に指定されています。


案内図


【写真 上(左)】 下浅間社
【写真 下(右)】 琴比羅神社

登り口手前右に琴比羅神社、左の下浅間社には開祖の十瀧房承海僧が祀られているようで、祭礼日にはご開帳されます。
頂上の浅間神社(奥宮)には木花開耶姫大神が祀られているかと思いきや、リーフレットによると御祭神は国常立大神、大山祇大神、御食津大神とのことです。


【写真 上(左)】 開山日の境内
【写真 下(右)】 けっこう険しい登山道


【写真 上(左)】 山頂部
【写真 下(右)】 山頂の奥宮


【写真 上(左)】 田子山冨士の紋
【写真 下(右)】 山頂からの境内

富士塚西側に鎮座の松尾神社の御祭神は大山咋大神で、正月には敷島神社拝殿前にお出ましになります。


【写真 上(左)】 松尾神社
【写真 下(右)】 松尾神社(正月)

神仏習合の名残を残し、法華宗の御題目の石碑や烏天狗の石像、不動明王の石像もみられます。


【写真 上(左)】 神猿と石碑
【写真 下(右)】 御題目の石碑


【写真 上(左)】 御胎内
【写真 下(右)】 不動明王

境内西側には不動明王が祀られていますが、こちらは以前この地にあったとされる真言宗の古刹宝幢寺の仏さまで、「御胎内」の奥に祀られている大日如来とともに仏の信仰の中心であったとのこと。
成田山ゆかりのお不動様で、境内の琴比羅神社とあわせてお参りすると、四国の金刀比羅宮と岡山の喩伽大権現・蓮台寺の「両参り」と同じご利益となるそうです。


【写真 上(左)】 宝幢寺
【写真 下(右)】 宝幢寺の御朱印

御朱印は開山日は境内観光案内所で敷島神社と田子山富士塚の2体の書置御朱印が授与されます。志木市商工会でもいただけるようですが現況の詳細不明。
水宮神社では敷島神社は常時授与されているようですが、田子山富士塚については不明です。
よって、2体拝受されたい向きは、開山日の参拝が確実です。なお、開山日でも御朱印授与は15時で終了となるので要注意です。

■ 水宮神社(富士見市水子1762)の御朱印もUPしておきます。


【写真 上(左)】 書置御朱印
【写真 下(右)】 直入御朱印
※ 週末はタイミングにより書入御朱印拝受可の模様


境内の摩訶山 般若院 六蛙堂の御朱印


2.舘氷川神社

埼玉県神社庁Web
「猫の足あと」様
埼玉県埼玉県志木市柏町3-6
御祭神:須佐之男大神(素戔嗚尊)、奇稲田姫大神、大己貴大神
御利益:家内安全
旧社格:村社、旧舘之郷(舘村・引又村・中野村・針ケ谷村・北野村)総鎮守
元別当:地王山 宝幢寺(志木市柏町)
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:舘氷川神社 直書(筆書)


江戸時代には舘之郷(舘(たて)村・引又村・中野村・針ケ谷村・北野村)の総鎮守として重きをなしたとされる神社。

創祀史料は明らかでないですが、志木市のWeb資料などによると以下のとおりです。
延暦年間(782-808年)、坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征伐に向かう途中、この地で賊と戦いになり苦戦に陥りました。

そこで田村麻呂は武蔵國総鎮守の大宮氷川神社に出向き、戦勝を祈願しました。
祈願ののち、田村麻呂の軍勢は鈴なりに実をつけた椋の木をみつけ、田村麻呂はこの実を疲れた兵士たちに食べさせました。
すると兵士たちはたちまち鋭気を取り戻し一気に賊を平らげたため、これを氷川様のご加護と信じた田村麻呂は、この椋の木のそばに一社を祀ったのが当社の創祀とされます。

また、境内由来記などによると、時の郡司藤原長勝が自らの城(「柏の城」)内に大宮氷川神社を分祀勧請し貞観年間(859-877年)に創建とあります。
社号や地名に「館」ではなく「舘」がつかわれるのは、これを裏付けるものとされています。(「舘」は高貴な身分の方の居館をさす。)

藤原長勝については、いろいろと伝承が伝わっているので少しく寄り道してみます。

志木市のWeb資料によると、長勝は「柏の城」のそばの大蛇ヶ淵を埋めて水田にしようとしたところ、淵の主の大蛇の怒りに触れて工事は滞りました。
そこで長勝は日頃から尊崇篤い家宝の弘法大師お筆の不動明王に祈願したところ、夢枕で二本の矢を伝授され、長勝はこのうちの一本で大蛇を射たものの一本は射損じて窮地に陥りました。するとどこからともなく白衣の若者があらわれて、格闘の末に大蛇の首をはねました。
長勝の手柄で広大な水田を得たので人々は長勝を田面(たのもの)長者と尊称しました。

長勝には皐月の前(さつきのまえ)というすぐれて美貌の息女がおりました。
在原業平が東下りの折に当地に逗留し、皐月の前と恋におち、ある晩二人して「柏の城」から出奔しました。
長勝は家来に捜索を命じましたが、草深い武蔵野のこととて容易にみつからず、長勝は窮余の策として野に火を放ちました。

猛火は二人の身に迫りましたが、皐月の前が「むさしのは今日はなやきそ若草の つまもこもれり我もこもれり」という一首を詠み出すと、たちまちに火勢は収まり二人は「柏の城」に連れ戻されたとのことです。(志木市Web史料より)
このとき二人がかくれた場所が平林寺境内の「業平塚」とされ、「野火止」の地名もこの逸話にちなむものとされています。

伊勢物語にも、このくだりが記されています。(出所は →こちら(『伊勢物語』と業平伝説/近藤さやか氏 2016年))

<東下り・東国章段 第十二段>
「むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、『この野はぬすびとあなり』とて、火をつけむとす。女、わびて、~ 武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり ~ とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」

 
【写真 上(左)】 平林寺の業平塚
【写真 下(右)】 平林寺の御朱印

なお、かつて当地は「亭(ちん)の台」と呼ばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説もあって、在原業平とのゆかりが強い土地柄に思えます。

藤原長勝の存在は史料からは裏付けられていないようですが、この地に「柏の城」があったことは確かで、中世には荏柄氏、二階堂氏、大石氏などが拠ったともされ、境内由来記によると当社神域は「柏の城」の大手門にあたり城の守護神であったといいます。
明治40年(43年とも)に字久保の村社白山社、城山八幡社など15社を合祀していまに至ります。


柏の城配置図(行屋稲荷境内掲示物より)

志木第三小学校前にある「柏の城跡」、長勝院内の「柏の城西の曲輪跡」説明板によると、柏の城は、木曾義仲の子孫で関東管領山内上杉家の重臣大石氏が室町中期に築いた居館で、当地に伝わる『舘村旧記』によると、現在の志木三小に本曲輪(本丸は校庭のほぼ中央)、その東側に二の曲輪、市道をはさんだ南側に三の曲輪が、そして志木三小西側の長勝院境内に西の曲輪があったとされています。


【写真 上(左)】 柏の城跡
【写真 下(右)】 柏の城西の曲輪跡(長勝院)

戦国期の当主は大石越後守直久で北条氏に属し、天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に豊臣勢に攻められて落城。
徳川家康の江戸入府にともない、家臣福山月斉が地頭としてこの城地に居住したとされます。


【写真 上(左)】 長勝院旗桜
【写真 下(右)】 長勝院旗桜の花

西の曲輪跡と伝わる真言宗智山派(石神井村三寳寺末)の蓮華山 無量寿寺 長勝院は「長勝院旗桜」(ちょうしょういんはたざくら)で知られていますが、現在堂宇は残っていません。
(堂宇は昭和60年に解体されましたが、本堂廊下に掛けられていた版鐘は志木市の指定文化財に指定されています。)

4番、宿氷川神社のすぐそばにある「道興准后歌碑」の道興准后があらわした東国巡遊の紀行文『廻国雑記』には下記の記載があります。
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『廻国雑記』(大月隆 著)/国会図書館DCより引用
「ある時、大石信濃守といへる、武士の館に、あそびにまかりて、あそび侍るに、庭前に高閣あり矢倉などを、あひかねて、侍りけるにや、遊景すぐれて、数千里の江山、眼の前につきぬ、とおもほゆ、あるじさかづきを、とりいだして、くれすぐるまで遊覧しけるに
一間乗興●登樓 遠近江山分幾州
落雁呌霜風颯々 白沙翠竹斜陽幽
十玉か坊にて、人々に、二十首歌よませ侍るに(以下略)」


【写真 上(左)】 長勝院付近からの柳瀬川
【写真 下(右)】 柳瀬川から西側のながめ

「柏の城西の曲輪跡」の説明板に、「このあたりは、かつて亭の台(ちんのだい)とも呼ばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説もあり(中略)また、館村八景(江戸時代の舘村の景勝地)の一つに『亭の下の夕照』とあり、この付近は、秩父連山から富士山まで眺望できる景勝の地としても有名なところでした。」とあり、武蔵野台地の突端に位置するこの眺望の地が、すでに室町時代に歌に詠まれていたことがわかります。


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 鳥居


【写真 上(左)】 鳥居扁額
【写真 下(右)】 拝殿

戸建て住宅立ち並ぶ一画にありなかなかわかりにくいですが、たどり着いてみると思いのほか広い境内。
銅板葺?の立派な両部鳥居で「氷川神社」の扁額。
参道左手は野火止用水の跡で、その手前に手水舎。右手に社務所、左手の建物は志木市の武道館です。

参道に石灯籠二対、拝殿前に狛犬一対。
左手の「氷川大明神」の石標には、「五箇村総鎮守 別當寶幢寺」の添書きがあります。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 向拝扁額

拝殿は入母屋造銅板葺平入り流れ向拝で、水引虹梁、蟇股、雲形の木鼻、海老虹梁、手挟、「氷川神社」の扁額などを備えています。
回縁に朱塗りの組高欄をまわし、どっしりとした印象の拝殿です。
本殿は切妻造平入りで拝殿と接続しています。


【写真 上(左)】 社殿
【写真 下(右)】 本殿

境内由来記や掲示によると、養老元年作の素戔嗚尊の御神体と供人の木像二体を安置。
市内唯一の図像板碑(阿弥陀如来御来迎図、文明十八年(1476年)銘、志木市指定文化財)も伝わりますが、これはもとは志木第三小付近にあった城山八幡社の御神体として祀られていたもので、城山八幡社が当社に合祀されたことにより移されたとのこと。

また、境内の「舘氷川神社修復記念碑」(志木市指定文化財)は、江戸時代の一般庶民が苗字をもっていたことを示す貴重な文化財とされています。


【写真 上(左)】 境内社
【写真 下(右)】 富士塚?の石碑

境内社は数多く、頂上に木花佐久夜姫命、天孫彦穂瓊々杵命、大屋満津見命が祀られ、「志木宿講社中」の銘がある富士塚らしきものがあります。
境内案内図によると参道向かって右手の稲荷社は「境松稲荷大明神」とのことです。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。


3.(羽根倉)浅間神社

埼玉県神社庁Web
志木市Web資料
「猫の足あと」様
埼玉県志木市上宗岡4-27-20
御祭神:木花開耶姫大神
御利益:子授安産
旧社格:村社
元別当:観音寺
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:浅間神社 直書(筆書)


荒川にかかる羽根倉橋のたもとに鎮座し、「羽根倉橋の浅間様」として崇敬される浅間神社。
境内説明板などによると、建久四年(1193年)、源頼朝公が富士の裾野で巻狩りを催した際、宗岡の住民は勢子役を課せられ、その代償として年貢が免ぜられたのでこれを記念して字大野の地に祠を建てて富士浅間社を祀りました。

富士山から距離のあるこの地の住民が勢子役を課せられたのは不思議な感じがしますが、『しきふるさと史話/志木市教育委員会刊』によると、ここからほど近い難波田の地の武士、難波田(金子)高範は頼朝公が初めて京に上った折の随兵として選ばれ、奥州征伐にも加わるなど武蔵武士の中では重きをなしていたため、その支配下にあった宗岡の村民が使役されたのだろう、ということです。

(難波田(金子)高範については「■ 「鎌倉殿の13人」と御朱印-3」の24.(羽根倉)浅間神社をご覧くださいませ。)


その後、長禄年間(1457-1460年)の荒川大洪水で字大野の祠が流され羽根倉(現在の羽根倉橋上流)に流れ着いたので、これを神意と考えこの地に社殿を建立。
明治維新後、荒川の改修工事にともない字蓮田に移転、字十人野の稲荷杜、字大野の浅間社、字蓮田の稲荷社、字東前の八幡社の無格社四社を合祀して村社に列格。
昭和48年(1973年)、県道浦和所沢線の建設のため当地へご遷座しています。

ご遷座と羽根倉富士嶽(富士塚)の関係は、境内案内版によると下記のとおりです。
明治13年(1880年)、現在の堤外地(荒川河川敷)に高さ約10mの塚が築かれ、昭和4年(1929年)頃、河川改修により堤内に移転、昭和45年(1970年)、県道改修事業のため現在地に移転しました。
なお、「明治五年から同十三年の九年間を要して境内に富士塚が築かれた。」というWeb情報もあります。
昭和40年代の県道改修による移転では先に富士塚が移転、のちに浅間神社がご遷座ということになります。

この羽根倉は、南北朝時代の「観応の擾乱」の際、足利尊氏方の高麗常澄と直義方の難波田九郎三郎が激闘を繰り広げた「羽根倉の合戦」の地としても知られています。

リーフレットによると、本殿の御祭神は木花開耶姫大神。冨士塚の御祭神は、国常立大神、大山祇大神、木花開耶姫大神とのことです。

富士塚を築いたのは上宗岡の丸藤(まるとう)講で、江戸後期の著名な行者、食行身禄(じきぎょうみろく)の弟子の高田藤四郎(日行青山)の弟子となった高野源次郎が初代先達となって文化二年(1805年)に結成した講で、二度の移転を経ながらも、熱心な信仰によって現在も整然と保たれており、近世からの富士信仰の様子をよく示すものとして説明されています。
もともとの富士塚は丸藤講五代先達池之内政五郎が、十年のあいだ富士登山の度に溶岩を運んで築いたものと伝わります。

境内に現在地に移転の経緯を記した「浅間神社移転記念碑」がありましたので、抜粋引用します。
「わが浅間神社は建久の昔から 我等の祖先が代々崇敬して来たが 嚮に(以前に)国の荒川改修工事のため此所に遷祀された 然るに未だ幾何もないのに県道改良工事に当り 再び移転の止むなきに至った 神社役員等は再三その筋に計画変更方を願ったが許されず 遂に昭和四十四年八月境内地(中略)買収に応じた。よって氏子一同相謀り 社殿擬岳は移転して古容を残し(中略)社殿を修理し(中略)昭和四十五年十一月竣工した。」


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 境内

南に羽根倉通、西に浦所バイパスの築堤、北に荒川の堤防を控えた立地ですが、境内には富士塚が整然とそびえ、右手の社殿の日当たりもよく、高燥なイメージがあります。
境内には参拝者用の駐車場もありました。

社頭に石造の明神鳥居で「浅間神社」の真新しい扁額が掲げられています。
参道左手に手水舎。神使の猿像一対と石灯籠二対。


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 向拝

拝殿は正面からみると入母屋造銅板葺平入りですが、背後に石の間と本殿を連結しています。
本殿はおそらく方一間の切妻造平入り(神明造?)で、屋根に千木、堅魚木、小狭小舞を置く端正なつくりです。
拝殿に向拝柱や水引虹梁はなく、向拝正面は下部連子、上部格子で見上げに「冨士浅間大神」の扁額が掲げられています。
主祭神の木花開耶姫命の御神像は六十年に一度の御開帳とのこと。


【写真 上(左)】 拝殿扁額
【写真 下(右)】 石の間と本殿


【写真 上(左)】 本殿裏は荒川の堤防
【写真 下(右)】 羽根倉富士塚

拝殿向かって右に羽根倉富士嶽(富士塚)。(志木市Web資料
こちらは志木市の有形民俗文化財に指定されています。

高さ約5m、直径約17m。
平成24年に崩落防止のためコンクリート補修されているものの、黒ボク(富士山の溶岩)は残り、胎内穴も残る本格的な富士塚です。
頂上の白い岩には「浅間大神」と刻まれています。
丸藤講の奉納とみられる石碑もありました。


【写真 上(左)】 胎内穴
【写真 下(右)】 丸藤講?の石碑


【写真 上(左)】 頂上
【写真 下(右)】 境内社

境内社は富士塚左手に八幡神社と稲荷社。
羽根倉通側に稲荷社とお社(御嶽神社か?)と覆堂のなかに立像の石仏。
如来を思わせる面差しの石仏は、薬壺を両手で抱えられた薬師如来にも思えましたが、石仏の薬師如来立像はめずらしいですし、通常薬壺は左手の持物なので、宝珠を抱えられた地蔵菩薩かと思われます。(『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』の境内図にも、この位置に「地蔵」とあるので間違いないかと思います。)

露仏の青面金剛も御座されていました。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。

■ 志木開運・招福七社参り-2へつづきます。

【 BGM 】
■ ただ泣きたくなるの - 国分友里恵


■ 風と花と光と - 世理奈


■ Hello,my friend - 松任谷由実


■ 滴 - 今井美樹


■ 夏空の下 - やなわらばー
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■ 祝! アンジェラ・アキ復活

思わぬところからアンジェラ・アキが話題になっている模様。

この人の真っ向勝負どストライクな曲がヒットすると、世の中が明るくなるような気がする。
来年は、シンガー・ソングライター ”アンジー” として、もっともっと名曲を送り出してほしい。

■ アンジェラ・アキ『Again』

-願いは 叶うよ 叶うよ 叶うよ~ -

ポジティブな曲歌ったら唯一無二。
この時世、彼女の歌に背中を押してもらいたい人は、たくさんいると思う。

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2024/03/19 UP

NHK「SONGS」の大泉洋特集視てて、あらためてピアノの弾き語りの難しさを感じた。

■ This Love (English Subs)

ヴォーカルもピアノも、すべてが語っている。

~ 約束と言う 私達のコンパスだけでは この恋は方角を見失うの ~

3:38~
約束と言う 私達のコンパスだけでは
この恋は(Faug F#m7 D#m7-5) 方角を見失うの
↑ オーギュメント&ハーフディミニッシュの威力
名コードに乗った名フレーズ。


シンガー・ソングライター、アンジェラ・アキの新曲が聴きたい。


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2024/02/07配信リリース。

アンジェラ・アキ「この世界のあちこちに」Lyric Video


「クランクイン!」 2023/11/22 04:00公開

『アンジェラ・アキ、10年ぶりに日本再始動! ミュージカル『この世界の片隅に』の音楽を担当』
「シンガー・ソングライターとして曲を書くことと、ミュージカル音楽作家として曲を書くこと。その1番大きな違いは、視点です。シンガー・ソングライターとして曲を作るときは私の個人的な視点で書きますが、ミュージカルの場合はキャラクターの視点。」
(↑の記事より)

↓ アクセス数に比べて異様に多いコメント数。
それだけ待ち望んでいたファンが多いということか。

■ アンジェラ・アキ「この世界のあちこちに」 Teaser

アンジー節、健在!
ピアノの旋律も声色も。
うれしすぎる。


”歌” そのものだけで人々を魅了できる人。
個人的には、日本が生んだ至高のシンガーソング・ライターのひとりだと思う。
ミュージカルも楽しみだけど、シンガー・ソングライター ”アンジー” として、もっともっと名曲を送り出してほしい。

■ アンジェラ・アキ武道館2014 トレーラー映像


■ アンジェラ・アキ 告白 【コメント付】


■ アンジェラ・アキ『夢の終わり 愛の始まり』


■ Home - ANGELA AKI MY KEYS 2006 in Budokan


■ アンジェラ・アキ『サクラ色』



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つぎはkalafinaかな?
■ 伝説のユニットkalafina
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■ 年末の名曲

もうクリスマスというのに、街の装いがぜんぜんらしくないですね。
もう、そんな余裕もなくなってしまったのかな。

でも、寒波がきて寒さだけは年末らしくなってきたので、個人的に年末を感じる名曲をアゲてみました。

■ 【ロッヂで待つクリスマス】松任谷由実/歌おうfavorite songs 171


■ Rina Aiuchi (愛内里菜) - Magic✨ - Live!


■ ClariS『サイレント・イヴ』リリック Music Video (Illustration: きさらぎゆり)


■ 地上に降りるまでの夜 - 今井美樹


■ 中山美穂 「Midnight Taxi」

ご冥福をお祈りいたします。

■ きっと - 藤田麻衣子


■ SoulJa - SoulJa / Way to Love~最後の恋~feat.唐沢美帆


■ Suara 「舞い落ちる雪のように」 | WHITE ALBUM | エンディング


■ 荒牧陽子ガイドボーカル集 BoA(メリクリ)


■ 「Over and Over」MUSIC VIDEO / Every Little Thing


■ Kumada Konoha(熊田このは) :You Raise Me Up (Full)


■ YES-YES-YES / オフコース


■ 西野カナ『君って』 Live Performance-Kana Nishino “Kimitte”


■ globe / 「DEPARTURES(from LIVE DVD globe the best live 1995-2002)」


■ 倖田來未-KODA KUMI-『あなただけが』~ 20th Year Special Full Ver. ~


■ Toshiki Kadomatsu (角松敏生) - I Need You


■ OVERSEA CALL - 杏里


■ 青山テルマ feat.SoulJa / そばにいるね


■ 今井美樹 あなたがおしえてくれた Miki Imai-anatagaosietekureta


■ sorakara oritekuru LONELINESS - 杉山清貴


■ シャ・ラ・ラ(サザンオールスターズ) - 桑田 佳祐 & 原 由子 -(1982年)

歌詞
曲全体からあふれる「幸せ感」が1980年代。

「横浜じゃトラディショナルな彼のが」
↑ ”横浜” ”トラディショナル”というワードイメージが聴き手のあいだで共有されていて、そこから広がる音の風景。
いまの説明チックなJ-POPの歌詞とはあきらかに一線を画している。

そういえば、この頃「ハマトラ」ってトレンドだったな。
サウンドイメージとしては ↓ こんな感じか?

■ とみたゆう子☆海のキャトル・セゾン☆


■ FictionJunction – Parade (from HIGHWAY STAR PARTY 2023)Official Live Performance


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■ CM JR東海 X'mas Express 深津絵里 1988年

CMだと、やっぱりこれかな。
セリフも大道具もワンコロもなんもない。それでも伝わるクリスマス感。
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■ 歌は世につれ ~炭鉱のカナリア~

今年の3月にこの記事UPしたけど、やっぱり今年の紅白はtuki.が話題をさらいそうな予感。
J-POPの風向きが変わっていた感じもあるし→(記事)、来年はひさびさに面白い年になるかもしれません。

■ 静息 / ver.Es

この複雑なストーリー感を、わずか4分台の楽曲で描き出すとは・・・。
こういう音世界は、おそらくぜったいに昭和の時代ではつくりだせなかった。

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2024/03/04 UP

2024年3月1日、日経平均株価は3万9910円82銭で取り引きを終え、終値として史上最高値を更新しました。
でも、ぜんぜん好景気感ないけどね・・・。

でも、まぁ、そんなこともあるので、数曲追加してリニューアルUPしてみました。

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2023-09-23 UP

前例のないことなので、どういう影響が出るかはよくわからぬが、
もう、日本は後戻りのできないところまで、来てしまったのかもしれません。
こういう苛烈な時代に出てくる音楽が、どういうものになるかはもはや想像の域を超えています。

'90年代以降現在に至るまで、多様な文化で育ってきたいまの50~60歳代の世代は現役(第一線)としてもっともっとたくさんの名作を生み出せるチャンスがあったはず。
でも、時代に流されてか、勝ちパターンに安住してか、キンタロー飴的な安直な内容が時代を追うごとに増えていった。
それを棚に上げて過去の名作にすがるのはなんだか情けない気も。(自分も含めてですが・・・)

1990年までに前の世代が素晴らしい作品をたくさん残してくれて、その恵まれた環境で育ちながら、結局このていたらく??
社会に対する責任感も、自身のなりわいへの矜持もなく、忖度を常とし、ただ漫然と時を重ねて・・・。
つくづくいまの50~60歳代の罪(不作為だとしても)は重いと思う今日このごろ。

■ answer - 遥海/2020年5月20日On Sale

再生数わずか3.2万回。
個人的には、いまの日本で屈指の歌唱力かと。
聴く人が聴けば、素通りできないと思うが・・・。
こういう才能を埋もれさせてしまうのは、J-POP界にとっても不幸だと思う。

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2023/07/07 UP

「歌は世につれ 世は歌につれ」ということばがあります。
このところ1980年代の「シティ・ポップ」が再評価されているけど、あの音はあの時代でしか生み出せなかったと思う。
2006年くらいからセツナ系がメジャーになって、ボカロ曲も増えてきたけど、やっぱりこういう曲はこの時代でしか生み出せなかったと思う。
いま、このふたつの流れを聴き比べてみると、とても同じ国のPop Musicとは思えない。

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冷え込み、凋落、分断、閉塞感・・・、そんな言葉ばかりが目につくこの頃。
そこはかとなく感じていた日本の凋落を、ここ数年で多くの人々が逃れられない現実として実感したのではないでしょうか。

でも、まだまだ日本の底力は尽きていない(と思いたい)。

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最近、TVでやたらに聴くこの曲。↓

■ 夏のクラクション - 稲垣潤一/1983年7月21日On Sale

こんな余裕かましたオトナの歌が巷にあふれていた1980年代前半。


これまで書き散らかした記事をまとめるかたちで、1980年代前半からJ-POPの曲調の変遷を追ってみます。

■SPARKLE - 山下達郎/1982年1月21日On Sale(FOR YOU)

さらさらと乾いたカッティングギターに達郎のハイトーンが乗る爽快感あふれる名曲。
この時代を代表する曲調。

■ Summer Focus - Anri 杏里/1983年6月5日On Sale(Bi・Ki・Ni)

夏といえば杏里。ブライトでグルーヴ絡みのシーサイドチューン。

■ Fantasy - 中原めいこ/1982年12月21日On Sale(2時までのシンデレラ-FRIDAY MAGIC-)

中盤からのあふれる「グルーヴ」。
やっぱり、この時代の楽曲のキモは「グルーヴ」だと思う。

グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)

■ P・R・E・S・E・N・T - 松田聖子/1982年5月21日(Pineapple)

名盤『Pineapple』のA-1曲。作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗。
初期の松田聖子の楽曲の多くは「シティ・ポップ」だった。

1980年代前半といえばサザン(初期サザン)なしには語れない。

■ 涙のアベニュー - サザンオールスターズ/1980年3月21日On Sale(タイニイ・バブルス)

暗喩や圧韻だらけ。行間で語る歌詞がオサレなサウンドに絶妙に乗っている。

サザンのセブンス曲

☆ユーミンの母性曲
1980年頃、迷い?があったとも語るユーミン。
そのを打開したのが1981年の「守ってあげたい」だと思う。
これはユーミンの「母性」を感じさせる曲だった。
ここからの数年間でリリースした「ずっとそばに」「ノーサイド」を合わせて、個人的にはユーミンの3大母性曲だと思っている。

■ 守ってあげたい/1981年6月21日On Sale

これカノン進行だよね。でもベタつかない。

■ ずっとそばに/1983年2月21日On Sale(REINCARNATION)

バックのインストのフレーズどりが神すぎる。個人的にはユーミン屈指の名曲。

ユーミンの名曲

たしかにこの時代(1980年代前半~中盤)、男性が同世代の女性に無意識的にでも「母性」を求める流れがあったのかもしれぬ。
それだけ女性サイドにも余裕があったのでは・・・。


(マキタスポーツ氏のコメント)-----------------------------
 POPSっていうのは、もう、すべからく、もう、パクリの歴史なんだよ。
 だって、みんなが大好きなものとかの共有財産をどのようかにしてカスタマイズして、その時代の大衆に当てていくってっていうことの作業をずっとやっているのが商業音楽としてのPOPSであって・・・。

 まぁ、(19)85年以降だと思いますけど、だんだんヒップホップとか、ああいうアートフォームが出てくるじゃないですか。
 そしたら結局、あの人達っていうのは、元ネタをどのようにかにして批評して編集していくっていうこととかが、当たりまえになっていく。
 だから、サンプリングとかが当たりまえになって以降のアーティスト、あるいはフリッ●ーズ・●ターとか、まぁ、小●田●吾さんとか、あの辺の人達になると、確信犯的に「元ネタはこれですよ」ってこととかも言っていく、ことになるんですね。
 要するに、「こういうマジックですけど、これ東急ハンズで1,000円ね」って言ってくマ●ー審司的な手の内を明かすっていうことが、1個あったんですよ。

 で、それ以前の(きわの?)アーティストだったんですよ、彼(佐野元春)は。
 だから充分編集マンとしていろんな要素とかをとり入れながら、自分のサウンドっていうのをつくってたし、アーティスト像とかもコントロールしてつくってた。
 つくってたんですけど、やっぱ基本的に言わないんですよ。
 だからのちのち、元ネタとかが当たりまえに検索できる時代になったときに、「佐野元春の元ネタは、(ブルース・スプリングスティーンの)『ハングリー・ハート』だ!」とか、鬼の首とったように言うけど(笑)、いゃ、佐野元春さん以前からもいろんなアーティストとかも、そんなこと当たりまえに・・・。
 「筒美京平さん見てみろ」ってな、話じゃないですか・・・。
 これは、ネガティブな要素も含むかもしらないけど、パクリであることをふまえた上で、これだけちゃんとしたものとかを、普遍性のあるものをつくり上げた、この曲がやっぱ素晴らしいんじゃないかと。
(コメントおわり)-----------------------------

あまりにも芯喰ったコメントなので、ながながと引用してしまいました。
筆者が思っていることを語り尽くしてくれている(笑)
あっ、それと、これ東京五輪のはるか前、おそらく2017年頃のオン・エアーですから念のため。

■ ハートビート - 佐野元春(小さなカサノバとナイチンゲールのバラッド) / 1981年2月25日On Sale(Heart Beat)/LIVE1983

パクリにせよなんにせよ、ここまでのオリジナリティや普遍性に昇華できる才能。
これが「アーティスト」なんだと思う。

『たまらなく、アーベイン』 ~1980年代前半の音楽の空気感~


****************
1984年以降、洋楽も邦楽も大きく変容したけど、日本の景気は絶好調でまだまだ弾んだ曲調が多かった。そして一億総中流のもとでの不倫ブーム?

■ 恋におちて -Fall in love- 小林明子(Covered)/1985年8月31日On Sale

「土曜の夜と日曜の 貴方がいつも欲しいから」
流麗なメロと歌詞のギャップがエグすぎる。

■ My Revolution - 渡辺美里/1986年1月22日On Sale

意表をつく転調。初期の小室サウンド。
ここから1990年代後半まで小室サウンドがJ-POPシーンを席捲する。

■ 世界でいちばん熱い夏 - プリンセス・プリンセス/1987年7月16日On Sale

圧倒的な躍動感。音楽の醍醐味はアンサンブルにあることを教えてくれる。
いまに至るまでプリプリを超えるガールズバンドはおそらく出ていない。

↓ CMとのコラボもハイレベルだった。



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音楽は「炭鉱のカナリア」ともいわれます。
これから向かう時代の空気感を、いちはやく曲調であらわすというのです。
確かに、思い当たるフシはあります。

■ 空から降りてくる LONELINESS - 杉山清貴/1989年5月17日On Sale(here & there)

「祭りのおわり感」がハンパじゃない、杉山清貴の名曲。

■ 瞳がほほえむから - 今井美樹/1989年11月8日On Sale

バブル崩壊直前のリリース&ヒット。
景況が悪化し、世相がすさむにつれてこういうやさしい曲想のヒット曲は少なくなっていく・・・。

■ ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU〜 - 松任谷由実

1989.06.28 Release 23th Single 「ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU〜」
バブル最盛期に、どうしてこういう内省的な歌がつくれたんだろう。

■ 最後のニュース - 井上陽水/1989年12月21日On Sale

1989年12月21日、バブル崩壊直前のリリース。
筑紫哲也さんも陽水にも、これから来る時代の先が見えていたのかもしれず・・・。

バブル崩壊直後(1991年)のテープリスト
バブル崩壊直後(1991年)、筆者が聴いていた曲です。(すべて洋楽ですが・・・)
メロディアスなレディ・ソウルやスムースジャズ、そしてAOR系の残党がメインでした。
邦楽では今井美樹や小室サウンドをよく聴いていた。

■ No Wasted Moments - Bill Champlin(1990年)



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バブル崩壊後の1990~1995年頃にかけてはメロディの綺麗なヒット曲が多く生まれた。

■ 揺れる想い - ZARD/ 1993年5月19日On Sale

一世を風靡した坂井泉水さんの透明で切ない歌声は唯一無二。
上位互換に成功したカバーはひとつたりとも聴いたことがない。

■ 渡良瀬橋 - 森高千里/1993年1月25日On Sale

いま聴いてもフックだらけの素晴らしいメロディ。
この曲は森高千里本人しか歌いこなせないと思う。

■ ただ泣きたくなるの - 国分友里恵/1995年On Sale

1994年中山美穂のヒット曲のオリジナルテイク。

☆シブヤ系
■ 東京は夜の七時 - PIZZICATO FIVE /1993年12月1日On Sale

洋楽の影響を隠さなかった最後のムーブメントでは?
個人的には思わせぶりなあざとさが鼻についてあまり好きなシーンではなかったけど、この曲はよくできている。
当時の都心のオサレ感が表現されたクールなアイテム。

1996年頃まで、バブルの再来はなかったものの景況の落ち込みはそこまで深刻ではなく、曲調もそのような世相を反映していた。

■ ら・ら・ら - 大黒摩季/1995年2月20日On Sale

曲調も歌詞にも余裕が感じられる。

■ Don't wanna cry - 安室奈美恵/ 1996年3月13日On Sale

ビートとメロのバランスがいい時代でもあった。

■ アジアの純真 - PUFFY/1996年5月13日On Sale

井上陽水&奥田民生という才能が仕掛けたテクニカル・チューン。
抜群のインパクトで売れるべくして売れた。

■ LOVE BRACE - 華原朋美/1996年7月22日On Sale

キワどいくらいにフェミニンなイメージを打ち出していたこの頃の華原朋美。
いま聴き返してみるとエンディング感がハンパない。

そして、↓ が1997年1月1日On Sale。
■ YOU ARE THE ONE - TK presents こねっと

こういうコラボは2000年代に入って影をひそめたと思う。
この曲もまた終末感を帯びている。

1990年代初頭にバブルは崩壊したけど、1996年頃まではなんとか景気は維持していて、世間の空気もさほど悪くはなかった。
(ただしロスジェネ世代は、バブル崩壊後の1991年前後ごろからの約10年間に就職活動を行っていた世代とされる。)

一般に、日本が本格的な凋落を始めるのは1997年あたりとされているので、この曲たちはそのぎりぎりのところで世に出されている。

小室氏はこれから向かう日本の行き先を感じとっていたのでは?

■ HOWEVER - GLAY/1997年8月6日On Sale

映像も含めて、あとから振り返ってみると暗示的な歌だった。

■ Over and Over - Every Little Thing/1999年1月27日On Sale

世紀末にものされた、凜とした透明感あふれる名曲。
すでに歌詞に「しがない世の中」という言葉が入ってきている。

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2000年代に入ると日本経済の変調はいよいよ顕在化し、曲調にも影を落とすようになる。

■ SEASONS - 浜崎あゆみ/2000年6月7日On Sale

のちの「セツナ系」のはしりともいえる曲調。

■ 流星群 - 鬼束ちひろ/2002年2月6日On Sale

鬼束ちひろのキャラは不確実な時代の象徴だった。

■ Endless Story - Yuna Ito/2005年9月7日On Sale

節々にただよう諸行無常感。

■ 三日月 - 絢香/2006年9月27日On Sale

”太陽”や”サンシャイン”ではなく、”月”がモチーフとなっている。
「つながっている」「強くなる」といった2000年代以降のパワーワードが入ってきている。

↓ こういうポジティブなのもあったけどね。
■ 何度でも - DREAMS COME TRUE/2005年2月16日On Sale


■ 天体観測 - BUMP OF CHICKEN/2001年3月14日On Sale

タテノリ、ストロークギター、2~3キーのわかりやすいサビ。
コピーバンド&楽曲多数。
バンドサウンドに限っていえば、いまだに「天体観測」の呪縛から解放されていないと思う。


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そして「セツナ系」の時代。
「セツナ系」の全盛期は2007~2011年の5年間くらいだったと思う。

■ もっと... - 西野カナ/2009年10月21日On Sale

こういう曲は、1980~1990年代にはたぶん生み出せなかった。
歌詞がよりいっそうパーソナルなものになっていく。

■ 童子-T - 願い feat.YU-A/2009年12月16日On Sale

RAPとハイトーン女性ボーカルのコラボが目立った「セツナ系」。
曲の粒も揃っていた。

■ Because - LGYankees Feat.中村舞子/2008年9月17日On Sale

切なさを帯びた中村舞子の歌声は「セツナ系」にジャストフィットしていた。

■ 23:45 - Juliet/ 2010年8月25日On Sale

ギャル系3人組ユニットJulietは2009~2010年にかけて多くのスマッシュヒットを放ち、その多くはナイスメロを備えた「セツナ系」だった。
これはこの時代の空気感が伝わる名曲。
「レコチョク」メインのブレイクが、すでにこの頃にはあたりまえになっていた。

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ふつう「セツナ系」には数えられないけど、エモーショナルな名曲がつぎつぎと生まれたのもこの時期。
メロディのうつくしさやエモ感からみると、1980年代を凌いでいると思う。

■ サクラ色 - アンジェラ・アキ/2007年3月7日On Sale

屈指の実力をもつシンガソングライター。本格復活希望。

■ Flavor Of Life - 宇多田ヒカル/2007年2月28日On Sale

イントロなしのサビ入り。
よほどの歌うまじゃないと速攻で崩壊する超難曲。

■ ORION - 中島美嘉/2008年11月12日On Sale

こういう難曲が「黄金の世代」を育てたと思う。

■ あなただけが - 倖田來未/2010年9月22日On Sale

プロであれば「歌が巧い」のはあたりまえだった。

■ Butterfly - 木村カエラ/2009年6月1日On Sale

こういうテクニカルな曲がヒットしたりしていて、まだペンタ全盛にはなっていない。

■ キミトセカイ - 初音ミク 佳仙 (歌ってみた)/2011年5月配信

ボカロ系の好メロ曲。
歌い手の佳仙さんは透明感の高い繊細なエンジェル系ハイトーンが特徴ながらさりげに艶と力感も備え、このハイトーンつづきの難曲を余裕を残して歌い切っている。

☆クリエイター集団の名曲
2005年頃からは、ボカロやアニソンと密接な関係をもつ、いわゆる「クリエイター集団」といわれるユニットが完成度の高い名曲をものしていた。
リードをとっていたのは主にハイトーン系女性ボーカルで、そのレベルはすこぶる高く、「歌い手」による名カバーも多かった。

■ 君の知らない物語 - supercell/2009年8月12日On Sale Covered byくゆり

supercellは、コンポーザーのryoを中心にイラストレーターやデザイナー参画するクリエイター集団。
リードボーカルがいないため、ボカロ・初音ミクや適宜女性ボーカルが抜擢された。
これはニコ動上歌い手として活動していたガゼル/nagiをゲスト・ボーカルに迎えて制作された名曲。
透明感にあふれるnagiのボーカルは多くのフォロワーを生んだ。

■ こなたよりかなたまで(OP Imaginary Affair) - KOTOKO(I've(アイブ、アイヴ))/2005年9月30日On Sale(COLLECTIVE)

I've(アイヴ)は札幌市本拠のクリエイター集団で、とくにゲームやアニメに多くの名曲を提供している。
KOTOKO、詩月カオリ、川田まみなどすぐれた女性ボーカルを多くかかえ、その楽曲のレベルの高さには定評があった。

■ ずっと前から好きでした Destiny feat.花たん - HoneyWorks/2014年1月29日On Sale

HoneyWorks
HoneyWorks(ハニーワークス、通称ハニワ)は『告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜』で知られるクリエイター集団。
そのメロディアスでフェミニンなサウンドには定評があり、「ハニワ曲」とも呼ばれて愛される。


2011年くらいからJ-POPのメインシーンは「坂道シリーズ」やジャニタレの寡占状態に陥り、マニアックなボカロやアニソン系とは明確にマーケットが分化した。
マイナージャンルでは曲やテイクのできがよくても、なかなかメジャーヒットにつながらないという構図は2015年くらいから顕著となり現在までつづく。
だからいい曲がつくれなくなっているワケではなく、従来からの音楽好きよりも、じつはゲームやアニソンマニアの方が良質な音楽に触れているのではないかと思っている。
彼らは、作品のクオリティに対しての再生数が伸びないことを「過剰埋没」というが、「過剰埋没」している名テイクがじつはたくさんある。
(シーンが細分化しているゲームやアニソンの世界から、名曲を掘り起こしてくる作業はかなり手間がかかる。)

1980~1990年代だったら、こういう実力のあるクリエイターたちはメジャー歌手の裏方にまわり名曲を創り出すパターンが多かったが、いまはシーンが細分化されすぎてなかなかメジャーヒットに結びつけられない。
これも時代のかかえるジレンマでは。

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リーマンショック、そして東日本大震災。
出口の見えない閉塞感。

■ 遠くても - 西野カナfeat.WISE/2009年3月18日On Sale

リーマンショック後、東日本大震災前の2009年3月18日リリースのセツナ系。

■ SUPER MOON - 藤田麻衣子 

東日本大震災がもたらしたものは、やっぱり重すぎる。
震災後の2011年3月20日に現れたスーパームーンを歌った曲。
ここでも「つながる」がキーワードになっている。

■ 夜空。- miwa feat. ハジ→/2015年8月19日On Sale

2008年頃の”セツナ系”よりセツナさを増している。
そしてどうしようもない閉塞感。


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1990年代以降のJ-POPはコード進行のパターン化(とくに王道進行の寡占化)が進み、メジャー・セブンスはおろか、マイナーセブンフラットファイブやナインス(テンションや分数コード)の使いこなしも減って、アーバンな曲じたいも次第に少なくなっていく。

多くの日本人は、根っこにヨナ抜き音階(ペンタトニック)やダウンビートが入っているので、コンスタントに洋楽を意識する局面がないと、どうしてもセブンス(四和音)やアップビートから遠ざかっていく。
最近では洋楽も急速にペンタ化やダウンビート化(というか4つ打ち化)が進みつつあるし、70~80年代に洋楽の影響を受けた多才なアーティストたちも第一線を退きつつある。

2015年以降、日本でペンタ化・4つ打ち化(あるいはほぼフォークソング化)が進んだこと、そして海外からのシティ・ポップの再評価が進んだ背景には、こんな要素もあると思う。

また、2000年以降はテクノロジーの発展もあって楽曲の多様化が進み、「なんでもありの時代」(一部のボカロやアニソンなどで音楽的にすこぶる高度な楽曲がつくられる時代)になったが、聴き手がこれについてこれなくなり、とくに2015年以降はメジャーシーンで平易なペンタ化が進んだというのが持論。

これらの曲聴くと、2000年以降のJ-POPがいかに多様化したかがわかる。
でも、聴き手は細分化され、シーンは分断してメジャーヒットした曲は多くない。

■ ハロ/ハワユ - リツカ(歌ってみた)

2010年10月11日歌ってみた投稿。
私的な内面(日々の悩み)に向かう曲が増えてきている。
時代はこの頃よりさらに苛烈になっていると思うが・・・。

■ 空奏列車 - めありー(歌ってみた)

2015年2月Web公開とみられるボカロ曲。
不確実、不安定、先の見えない世界。

■ 徒夢 feat. 初音ミク- 花たん(歌ってみた)/2011年3月30日原曲配信

救いようのない無力感。


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思い返してみると、
~1970年代前半
 ペンタの時代
1970年代前半~中盤
 ペンタとセブンスの拮抗時代
1970年代中盤~1980年代中盤
 セブンス優位の時代
1980年代中盤~2014年
 J-POP 進行(小室進行含む)の時代
(2003年くらい~ ボカロやゲーム曲(一部アニソン)などの高度でマニアックな音世界、メジャー化例は少ない)
2015年~
 ペンタ回帰の時代

そして・・・
2020年~
 ペンタからの脱却の時代??(シティポップ人気、コード進行ブームやヒゲダン・ワンオクの人気)
2021~2022年
 ペンタからの脱却の試行錯誤にもがいた年?

↑ こんなイメージがある。
空前のヒット曲不作といわれた2021~2022年。でも、いよいよ風向きが変わりつつあると感じる動きも・・・。

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2007年頃~、”セツナ系”の隆盛と歩調を合わせるように、聴き手が前向きになれるような曲は少しづつ出てきていた。

■ Again - アンジェラ・アキ (2007年)


梶浦由記さんと歌姫たちが生み出すテイクは、壮大で高揚感にあふれていた。
それは1980年代のシティ・ポップとはあきらかに異なる質感をもっていた。

■ Everlasting Song - FictionJunction (2009年7月12日のLIVE)


■ 未来 - Kalafina (2013年)

メロディ。ハーモニー、アンサンブルの質を揃えた名ユニット。
2019年3月の解散はほんとうに痛い。

梶浦サウンド総ざらい!(&「炎」-homura)
伝説のユニットkalafina
FictionJunctionの秘密?


■ I Will Be There With You - 杏里/Anri(JAL 企業PV/2011年)

1980年代の杏里にはなかった旋律。

■ ここにあること - 桜ほたる(歌ってみた)

2011年秋、震災後のWeb公開とみられるボカロ曲。
思いっきりはじけた感じがする名曲。

■ 夢の途中 - KOKIA/2013年3月20日On Sale

海外での評価が高い、日本を代表する歌姫。

■ ヒカリヘ - miwa/ 2012年8月15日On Sale

どちらかというと、いまの時代にアジャストしている曲のような気がする。
時代を先取りしすぎたか?

■ Hero - 安室奈美恵/2016年7月27日On Sale

J-POPの質感が変わったか? と感じた曲。
この名曲でもオリコン最高位6位。五輪のテーマソングとしてはよく流されたが、時代の空気にはそぐわなかった?

■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん/2016年11月23日On Sale

閉塞した世界から花開いていく感じの曲。これも早すぎたか。

■ YOASOBI「群青」 from 初有観客ライブ『NICE TO MEET YOU』2021.12.04@日本武道館/2020年9月1日On Sale

一聴”応援ソング”っぽいけど、歌詞を聴き込むと、巷にあふれる”自助的応援ソング(がんばろうソング)”とは明らかに一線を画していることがわかる。
Just The Two of Us進行をこんなふうに使うとは・・・。
1980年代のお洒落感とはちがう解釈ではまってる。
「本当に変わっていくかも」と感じた1曲。

■ 【公式ライブ映像】Poppin'Party「キズナミュージック♪」

アニソン系でもはじけるブライト感をもつ曲が増えてきた。

■ One Reason - milet/2021年9月10日On Sale

これまでのJ-POPとは明らかにスケール感がちがう。

■ キャラクター - 緑黄色社会/2022年1月26日On Sale

ひさびさに聴いたヨコノリ含みのグルーヴ曲。

■ おもかげ - milet×Aimer×幾田りら (produced by Vaundy)

2021年12月17日リリース。
あたらしいJ-POPを象徴する3人のコーラス。これは来たと思った(笑)
Vaundyのような才能が出てきて正当に評価されるのも時代の流れの必然では?

■ 星月夜 - 由薫/2023年2月8日On Sale

内省的な曲想だけど、スケール感を帯びてどこか希望を感じさせる。

■ サクラキミワタシ - tuki.

わずか15歳。
サウンドだけで勝負できるかもしれないあたらしい才能。


歌は株価と同じで、時代を先に織り込むともいいます。
おそらく日本社会はこれからさらに苛烈な方向に向かうと思うが、こういう曲たちを聴くと、ひょっとしてそうはならない芽もでてきているのかもしれません。
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■ 女神系歌姫の歌ってみた15曲

「あなたの夜が明けるまで」の歌ってみた、3人追加して15人にしました。

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2024/12/18 UP

■ Newjeans《 How sweet 》2024 FNS music festival day 1FNS歌謡祭 | #newjeans #ニュージーンズ #fns歌謡祭

ダンスの巧さや、R&Bとの親和性からみて、J-POPはこの路線ではK-POPを凌駕できないと思っていた。
でも、いろいろゴタついているみたいだし、今後どうなるのかな?

■ ME:I (ミーアイ) ⊹ 'Tomorrow' Performance Video

J-POPで対抗できるとしたら↑のユニットかも。
ダンス巧いし、なによりメンバーひとりひとりの歌声に個性がある。
透明感あるハイトーン女子揃いなのはかなりの強みかと。

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ダンス系のガチ勝負ではきびしいかもしれないけど、↓の路線でいったらJ-POPはワールドワイドでも敵なしでは?

■ tuki.『サクラキミワタシ』Official Music Video

メジャーシーンに躍り出た逸材。
やっぱりハイトーン系か・・・。

■ 静息 / ver.Es

この複雑なストーリー感を、わずか4分台の楽曲で描き出すとは・・・。
こういう音世界は、おそらくぜったいに昭和の時代ではつくりだせなかった。
そして、織りなす歌声はやっぱりハイトーン。

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リアルシーンだけでなく、最近はSuno AI曲でもかなりのナイステイクがみつかる。

■ 「出逢いの奇跡」(bright side mix)、作詞:chat GPT、作曲演奏歌唱:Suno AI


■ 私にはできない/ Eiーvy【MV】

Suno AI曲でもハイトーン女子系がメインか?

本当に、この路線(フェミニン&ヒーリングなハイトーン系)では日本がダントツトップでは?

個人的には、これからの世界の音楽シーンは、再びヒーリングを求めに来ると思っているので、日本は大きなアドバンテージを握っているかと・・・。

正直いって、TVの音楽番組で●芸会レベル垂れ流してる場合じゃないと思う。

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実力派のハイトーン女子を発見するのは、ボカロ系やクリエイター集団系のハイトーン曲の「歌ってみた」がおそらくベストステージ。
たとえば、

■ 心做し - 花たん 【歌ってみた 】


■ glow - MARiA(メイリア) 【歌ってみた 】


■ 君の知らない物語 - SorAZ(そらあず) 【歌ってみた】



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最近のボカロPでいうと、やっぱり傘村トータ氏かな?
ということで、歌唱力をえげつなく問われる傘村トータ氏の名曲「あなたの夜が明けるまで」の「歌ってみた」をとりあえず12人ピックアップしてみました。
TVの音楽番組ではけっして視えないJ-POPの本当の実力がみえてくる。

■ あなたの夜が明けるまで【原曲】


リズムやビートでごまかせないので、声質や声色、歌い回し、そしてブレスを活かした表現力までがシビアに問われる。
オーラス前の「あなたを忘れないよ」のこなしが超絶難易度かつ聴きどころ。


■ 薄荷あをい


■ あやん


■ 花譜


■ 蒼星すい


■ くろくも


■ 青空 陽 / himari.


■ CIEL


■ こはならむ


■ WHITEBOX


■ usamin


■ Lucia


■ me


■ CHOCO CAT?


■ Cereus


■ 春吹そらの



↑ 全員J-POPユニットでメインVo.とれるレベルかも・・・。
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■ 御朱印展

12/13(金)~16(日)に銀座で開催された「御朱印展」に行ってきました。
東京都神道青年会の主催で、東京都内のご協力神社・全225社の御朱印が展示されました。

 
【写真 上(左)】 「御朱印展」
【写真 下(右)】 「御朱印展」のチラシ

個人的には御朱印ブームはすでにピークアウトしたと感じているので、余裕で入場・鑑賞できると思いきや、実際には展示場前の歩道に行列ができ、場内も満員の盛況でした。

チラシには「御朱印がここまでの数集まるのは東京都では初めての試み」とあり、御朱印ファン?には貴重な機会だったようです。
しかし、場内は写真撮影一切不可で、展示御朱印を記録することは叶いませんでした。

筆者は展示御朱印は島嶼部をのぞいてほとんどいただいており、展示御朱印以外にも拝受している御朱印がかなりあります。

そこで、「御朱印展」と同じ順序で御朱印を紹介してみたいと思います。
まずは東京都千代田区から始め、以降連載形式で順次追加していきます。

と、ここまで書いたところでやにわに思い立ち「東京 神社 御朱印」でWeb検索したところ、ものすごい記事がヒットしたので、この無謀な試みはやめにします。

「御朱印神社メモ」

このサイトは圧巻です。到底筆者が太刀打ちできる点数ではありません。
世の中にはすごい人がいるものです。

なので、おとなしく、これまでの寺社ごとのご紹介をつづけます。
直近の記事は、→ こちら「■ 鎌倉市の御朱印-24 (C.極楽寺口-7)」です。
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■ 1980年代洋楽のメロディ20曲!

メロの際だったヒット曲を5曲追加してみます。

■ Starship - We Built This City


■ The Go-Go's - Head Over Heels


■ Tracey Ullman - They Don't Know


■ REO Speedwagon - Keep on Loving You


■ HOT GOSSIP - Break Me Into Little Pieces (Extended Mix)


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2024/10/12 UP

先ほど、放送してたテレ朝の「音楽のプロが選んだ最強サビ名曲 BEST100」
邦楽にも名メロはたくさんあるけど、好メロといったらやっぱり1980年代の洋楽。
全曲サビ的なメロ曲がゴロゴロ。 

とりあえず、これまで書いた記事から引っ張ってきました。

01.Hall & Oates - Wait For Me (LIVE)
〔 From 『X-Static』(1979)

リリースは1979年だけど1980年代にもよく聴かれていた名曲。
1980年代前半のHall & Oatesは、いまではとても信じられないほど日本での人気が高かった。

02.Paul Young - Everytime You Go Away
〔 From 『The Secret Of Association』(1985)

■ 1985年のヒット曲で、日本でもよくかかっていた。
洋楽のメインストリームがAORからPOPに移行していくさなかの時代の雰囲気をよく伝えている。

03.Bryan Adams - Heaven
〔 From 『Reckless』(1984)

おそらく彼の最高傑作と思われる『Reckless』収録のロッカバラード。
メロにしろアンサンブルにしろ、まったく捨て音がない完成度。

04.Elton John - Nikita
〔 From 『Ice On Fire』(1985)

英国では国民的な英雄。1997年9月に発表した故ダイアナ元皇太子妃への追悼歌「Candle In The Wind」でつとに有名。
天才的なメロディーメイカーぶりがこの曲でもいかんなく発揮されている。

05.Van Halen - Jump
〔 From 『1984』(1984)

メガヒットの多くも好メロ曲だった。
Van Halen歴史的名盤『1984』からのヒット曲。
あまり指摘されないけど、ベースにプログレ・ハード入ってると思う。

06.OMD - Joan Of Arc
〔 From 『Architecture & Morality』(1981)

オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク(Orchestral Manoeuvres in the Dark)という長~い名前の英国のバンド。
直訳すると「暗闇で演奏するオーケストラ団」で、ますます訳わからず(^^)。ヒット曲「エノラ・ゲイの悲劇」で知られる。
この曲が収録された1981年発表の3rdALBUM『Architecture&Morality』は、メロディのかたまりのような類いまれな名盤。
1980年代前半は、英国でも好メロ曲があふれていた。↓
■ 第2次British Invasion ~ 英国のElectro Pop/New Wave系15曲 ~

07.Think Out Loud - After All This Time
〔 From 『Think Out Loud』(1988)

Little River BandのPeter BeckettとAORマニアは避けて通れない名盤『Knock The Walls Down』(1979)で知られるSteve Kipnerがカリフォルニアで結成したデュオユニット。
1988年といえばAORの全盛期はとうに過ぎているが、Steve Lukather(g) 、Michael Landau(g) 、Randy Goodrum(key)、Paulinho Da Costa(per)などを迎えてメロディアスなAORサウンドを展開している。
作曲はPeter Beckett、Co.Producer/EngineerはHumberto Gatica。
生まれるべくして生まれた名曲。

08.Whitney Houston - Where You Are
〔 From 『Whitney』(1987)

Whitneyの最高傑作とも評されるLP『Whitney』収録の名バラード。
才人Kashifのプロデュース。
KashifのセルフALBUMはもっとごつごつとしたサウンドだが、これはWhitneyのハイトーンを活かした透明感あふれる仕上がり。
こうして聴き返してみると、Whitneyがいかに綺麗な声質を持っていたか、あらためて実感する。
Marcus Miller(b)、Paul Leim(ds)のリズムセクションも抜群の安定感。

09.James Ingram & Patti Austin - How Do You Keep The Music Playing
〔 From 『It's Your Night』(1983)

クインシー・ジョーンズ(Quincy Delight Jones II)の秘蔵っ子、James IngramとPatti Austinが1983年に放ったヒット・ソング。
Arranged:Quincy Jones
b:Nathan East、Ds:Leon Ndugu Chancler、G:George Doering, Paul Jackson Jr.、Piano:David Foster、Syn:David Paich
すこぶるメロディアスな曲調を名うてのミュージシャンが完璧にサポート。とくにDavid Fosterの関与が大きいと思う。

10.Boys Town Gang - Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)
〔 From 『Disc Charge』(1981)

1967年のFrankie Valliの楽曲のカバーだが、Hi-NRG(ハイエナジー)として見事にオルジナル化されている。
「君の瞳に恋してる」の邦題がはまりまくってた。
リリースは1981年だが、DISCOで次第にヘビロテされるようになり、日本でのブレークは1982年末から1983年にかけて。
Hi-NRGもこの頃がピークで、次第にユーロビートへと移行していく。
【 洋楽1983年ピーク説 】を裏づける神曲だと思う。

11.Christopher Cross - Sailing
〔 From 『Christopher Cross』(1979)

これまで何回も上げてるけど、やっぱり外せない神曲。
オリジナル感あふれるハイトーンがオンコード含みのメジャー・セブンスに乗って、ハンパじゃない透明感。
Victor FeldmanのPercussionも絶妙に効き、Michael Omartianのアレンジも冴え渡っている。
しかし、こういう曲が日本国内でも大ヒットしていたとは、いまから考えると信じられぬ。

12.Journey - Don't Stop Believin' (Live 1981: Escape Tour - 2022 HD Remaster)
〔 From 『Escape』(1981)

Journeyもピークは1980年代前半だと思う。
あまりに売れたため「産業ロック」とも揶揄されたこの系統のフォーマットは、しかし煌びやかなメロディで彩られていた。
それにしても凄いSteve Perryのヴォーカル。
Steve PerryなくしてJourneyなし!

13.Chicago - You're The Inspiration
〔 From 『Chicago 17』(1984)

1982年に「Hard To Say I'm Sorry/素直になれなくて」のヒットを放ったバラード系の次作。
プロデューサーは全盛期のDavid Foster。
Peter CeteraとDavid Fosterの共作でPeter Ceteraのハイトーンも絶好調の好テイク。

14.David Foster & Olivia Newton-John - Best Of Me
〔 From 『The Best Of Me』(1983)

AORの大御所David FosterとベテランOlivia Newton-Johnの気合い入ったデュエット。
これはAORを代表する名デュエットだと思う。
Olivia Newton-Johnは本来MORの人だけど、こういうAOR的なこなしができるのは、やっぱり実力あってのこと。
アレンジャーとして入ったJeremy Lubbockのフェンダー・ローズが効きまくってる。

15.Giorgio Moroder & Philip Oakey - Together In Electric Dreams
〔 From 『Giorgio Moroder & Philip Oakey』(1985)

■ '70年代~'80年代初頭にかけての欧州のディスコ・シーンの中核をなした「ミュンヘン・サウンド」。代表格にSilver Convention、Donna Summer、Boney M.、Baccaraなどがいた。(→こういうの
4つ打ちベースでベタなメロディが特徴で、日本でもけっこう人気があった。(ある意味ABBAもそうですね。)
個人的には「ミュンヘン・サウンド」がメジャーコード方向に洗練されて、グルーヴと流麗なストリングス(ないしはシンセ)が入ってきたのがHi-NRG(ハイエナジー)だと思っている。
これは、「ミュンヘン・サウンド」の代表的なプロデューサーGiorgio Moroderが1985年にリリースしたヒット曲。
1985年といえばHi-NRGの代表曲は概ね出揃っているが、やはりHi-NRGとは微妙に質感が異なる。
「Let's Get Started」/Voyage なんかも同じようなポジションだと思う。

16.Marc Jordan - It's Only Love
〔 From 『A Hole In The Wall』(1983)

Marc Jordanは、1st ALBUM『Mannequin』や2nd『Blue Desert 』をベストに推す人が多いが、じつはこの3rd『A Hole In The Wall』も甲乙つけがたい名盤。(このALBUM、米国未発売かも?)
とくに、この「It's Only Love」と「She Used To Be My World」は屈指の仕上がりの名バラード。

17.ABC - All Of My Heart
〔 From 『The Lexicon Of Love』(1981)

1980年代初頭に英国で流行したフォーマット、funka latina(ファンカラティーナ)の一派。
funka latinaには好メロ曲が多かった。
Roxy MusicのBryan Ferryを意識していると思われるMartin Fryのヴォーカルだが、いまいち及んでいないのがなかなか香ばしい(笑)
そういえば、この時点ではRoxy Music解散前だったな。

■ Roxy Music - More Than This(1982)

1982年、「More Than This」という意味シンなタイトルのヒット曲を残して、全盛期のRoxy Musicは解散した。

18.Cyndi Lauper - All Through The Night
〔 From 『She's So Unusual』(1983)

やんちゃなイメージの強い人だが、じつはバラードも絶品。
きらきらと輝くメロディは、1983年の洋楽の空気感を象徴するもの。

19.George Benson & Vicki Randle - Late At Night
〔 From 『In Your Eyes』(1983)

ふつうguitaristの範疇で語られる人だが'80年代初頭から中期にかけてAOR的な名盤を多く残した。
これは1983年発表のALBUM『In Youe Eyes』収録で、「真夜中のふたり」という邦題がつけられていた雰囲気あふれるバラード。
このALBUMは、Paul Jackson, Jr., David Spinozza(g)、Richard Tee, David Paich, Robbie Buchanan, Steve Porcaro, Greg Phillinganes(key)、Marcus Miller, Will Lee, Anthony Jackson, Nathan East(b)、Steve Gadd, Jeff Porcaro, Carlos Vega, Steve Ferrone(ds)、David Sanborn, Randy Brecker, Jerry Hey(horns) etc.とバックミュージシャンの豪華さがただごとじゃなく、安定したパフォーマンスと楽曲のよさが堪能できる名盤。

20.Prince And The Revolution - Purple Rain
〔 From 『Purple Rain』(1984)

いま改めて聴きなおすと、Princeが希代のメロディメーカーだったことがわかる。
『Purple Rain』は『1999』(1982年)とともにPrinceが生んだ歴史的名盤。
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■ ご縁日と御朱印

・冬至の日の御朱印(再掲)
飯能の高山不動尊(高貴山 常楽院)は、毎年、冬至の日に秘仏・軍茶利明王の御開帳で、当日のお昼前後のみ高山不動尊の御朱印がいただけます。
成田不動尊、高幡不動尊とともに「関東三大不動尊」のひとつにも数えられる名刹ですが、御朱印をいただけるのは原則年に1日のみ。平日も休日も関係なく冬至の当日です。
(ただし今年の冬至(12/21)の授与については未確認。)

快晴であれば、木の葉が落ちきった明るい尾根道(奥武蔵グリーンライン)を駆っての清々しいアプローチが楽しめ、近くの関八州見晴台の奥の院からは雄大な眺望も得られます。

 
【写真 上(左)】 高山不動尊参道
【写真 下(右)】 高山不動尊の御朱印

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すべてご縁日ではないですが、このところ日にち限定授与の御朱印をかなりいただいたので、ご紹介してみます。


汐留稲荷神社(川崎市川崎区)
原則として「かわさき大師ウォークラリー」(今年は10/27)当日の14時までしか拝受できない模様。
近隣の他の数寺社も当日のみの限定授与のようです。


十番稲荷神社(港区麻布十番)の一の酉の御朱印です。


三柱神社(栃木県足利市)の御朱印。
原則として足利文化財特別公開日(今年は11/23、24)のみの限定授与とみられます。
同公開期間中限定授与の神社は他にもあります。


浮岳山 深大寺(東京都調布市)のそば守観音の造立60周年記念御朱印。
今年(2024年)10/30~11/20の月曜と、「そばまつり」開催期間(11/25~12/3)の授与でした。


浅草鷲神社(台東区千束)の三の酉の御朱印です。


深川の富岡八幡宮・境内社の大鳥神社の三の酉の御朱印です。
原則として酉の市当日のみの授与とみられます。


西浅草八幡神社の御朱印。限定授与ではないですが、原則電話予約が必要です。
数年前の三社祭当日に限定授与された例がありますが、それ以降は不授与でした。
本年(2024年)11月初旬から授与開始の模様です。
詳細は→ こちら


西浅草八幡神社境内御鎮座の大黒天の御朱印。
浅草寺の大黒天とゆかりをもつとされる尊像です。


谷口鹿島神社(相模原市南区鶴間)、毎月1日、15日限定授与の御朱印です。


翠ケ丘出雲神社(相模原市南区相南)、毎月1日、15日の午前中限定授与の御朱印です。


金湯山 早雲寺(神奈川県箱根町湯本)の御朱印。
年3日ほどの特定日の特別拝観等拝観者に限定で授与とみられます。
詳細情報


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2023/10/25 UP

ご縁日ではないですが・・・
鎌倉の建長寺と円覚寺では、今年も11月3日(金・祝)~5日(日)の3日間「宝物風入」(ほうもつかぜいれ)が行われます。
例年、この期間中にはふだんはいただけない御朱印が授与されますが、今年も授与されるかはわかりません。

建長寺の風入情報
円覚寺の風入情報
↑ 検索でヒットする(公社)鎌倉市観光協会のWebは最新情報にアップデートされていませんが、両山の公式Webに上記3日間で開催の案内があります

〔建長寺の風入特別御朱印の例〕
 
 
金泥印の御朱印も  

〔円覚寺の風入特別御朱印の例〕
 

■ 円覚寺の御朱印(25種)

なお、新型コロナ禍前には11月初旬に開催されていた箱根・早雲寺の特別拝観では貴重な御朱印が授与されていたようですが、新型コロナ禍以降は中止となり、今年も11月3日に「箱根大名行列」が4年ぶりに本格開催される関係上、開催見送りとのこと。(箱根湯本観光協会に電話確認)
筆者、痛恨の未拝受御朱印です。

■ 箱根の御朱印

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正月三日は厄除元三大師のご縁日(初大師)です。
川越の喜多院では「だるま市」が開催されます。

 
↑ 令和初の川越喜多院「初大師」の御朱印とだるま市

筆者は、令和のはじめから「ご縁日の御朱印帳」をつくっていて、先日、飯能の高山不動尊で念願の御朱印をいただき46のすべての頁を収められましたので、これと絡めて「ご縁日と御朱印」についてまとめてみます。

構成がけっこうたいへんなので(笑)、しばらくお待ちくださいませ。

■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-1(中心エリア)


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ちょっととりかかってみましたが、江戸時代まで遡るにはあまりにもテーマが大きいので(笑)
まずは骨子だけまとめ、あとは随時追記していきます。

縁日とはなんでしょうか。
『神仏混淆の歴史探訪』(川口謙二氏著、東京美術、昭和58年10月刊)の「縁日」の頁には「仏陀、神明に有縁の日で、祭や供養のある日を縁日という。社寺に参詣して、仏・神を追念し、その縁を結び、功徳を生ずる日のことである。また縁日を香期(こうき)ともいう。」とあります。

また、江戸期の国学者、喜多村信節が文政十三年 (1830年)に著した随筆『嬉遊笑覧』(きゆうしょうらん)巻七には下記のとおりあります。
「縁日 佛神縁日といふこと 佛𦬇(菩薩)降誕日示現日或は其神誕辰 降現 昇仙等の日 道書並月令広義などに見ゆ。是俗にいふ縁日なり。」

要は、神仏に有縁の日で社寺に参詣してその縁を結び、功徳を生ずる日ということで、規模が大きく参詣者が多く集まるものが「祭り」ではないかと思われます。
なお、個別の尊格のご縁日についてはこちら (→「主な縁日」(Wikipedia))をご覧ください。

いま、ご縁日に参詣してご住職やご神職とお話しをすると、「昔はもっと賑わっていたものだが・・・」というご感想をよく耳にします。
ご縁日でしっかり向拝幕が張られ、幟も整えられ、尊佛はご開扉されて供物も捧げられているのに、参詣者がほとんどいない境内、というのは寂しいものです。


明治42年刊の上京者向けの観光ガイド『東京案内』(森集画堂編輯部編)には、「祭礼縁日案内」の頁があり、縁日詣で目的の上京者がいたことがわかります。

また、大正13年には全國縁日案内というかなりマニアックな本が出版されているので、この頃までは縁日を意識して参詣していた人がかなりいたのではないでしょうか。
この本をみると、東京都内に限っても毎月一日から晦日まで、一日も途絶えることなく社寺の縁日が連なっています。

時代が進み、次第に世相が忙しくなって、縁日の参詣者も減り、このところの寺社ブームで祭りは注目されても、ご縁日まで掘り下げられることは多くありません。

まぁ、時代にそぐわない企画ともいえるのですが(笑)、ご縁日しかいただけない御朱印があったり、縁日印を捺していただけるところもありますので、ご紹介の意味でUPしてみます。
(筆者は御朱印を「参拝の証」というよりは、その結果としての「神仏との結縁の証」と考えているので、個人的には「ご縁日の御朱印」はひときわ特別な意味があると思っています。月替わり・日替わり限定御朱印にはほとんど興味がありませんが、「ご縁日の御朱印」となるとついついいただいてしまいます。)
西新井大師のご縁日紹介のWebページ

これ以上、縁日の定義や意義にふれても煩雑になるだけなので、ひとまずはご縁日の御朱印をいくつかご紹介してみます。

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令和元年5月1日は「新天皇即位日」の祝日でGWさなかであったこともあり、各地の寺社で御朱印を求める人々の行列がみられました。
個人的な感触からすると、おそらくこのときが御朱印ブームのピークで、近ごろは授与所前で行列をみることは希になりました。

その背景として、御朱印に興味をもつような人の多くはすでにある程度いただいてしまったこと、拝受希望者の増加や新型コロナ禍による「書置御朱印」の増加、そして300円から500円へのお納め額の引き上げなどが考えられます。
筆者は直書御朱印にさしてこだわりませんが、自分の御朱印帳にご住職やご神職がみずから書き入れて下さる、という有り難みが、御朱印ブームを盛り上げていた一面は否定できないと思います。

しかも、ブーム前は書入れでもほとんど300円。
寺社様側の諸般のご事情をお伺いすると、引き上げやむなし、という感じもするのですが、三十三観音を廻ると300円では9,900円、500円だと16,500円。
八十八箇所だと500円で44,000円にもなり、気軽に霊場巡拝をはじめる人が減っているのかもしれません。

すこしく話が逸れました。
とにかく、元号が変わった令和元年5月1日、および平成最終日の平成31年4月30日は、御朱印にかかわる人には特別な日であったと思われます。

ご縁日ではないですが、まずはこちらの関係の御朱印をご紹介します。
改元にちなむ限定御朱印の例は各地でみられましたが、当日はどこもパニック状態で筆者はひとつもいただいておりません。
御朱印帳の最終頁を閉めたり、新しい御朱印帳の1頁目を開いたりがメインでした。

 
【写真 上(左)】 最終頁にいただいた平成31年4月30日の八王子・多賀神社の御朱印
【写真 下(右)】 最初の頁にいただいた甲斐国一宮・浅間神社の令和初日の御朱印

筆者の仕事は時間が比較的自由になるので、これ幸いといくつか令和初縁日の御朱印をいただいています。

〔ご縁日の御朱印〕

 
【写真 上(左)】 令和初縁日(十日)の虎ノ門・金刀比羅宮の御朱印
【写真 下(右)】 令和初縁日(十五日)の阿弥陀如来の御朱印(芝・増上寺)

 
【写真 上(左)】 令和初縁日(十六日)の閻魔大王の御朱印(小石川・源覚寺/こんにゃく閻魔)
【写真 下(右)】 令和初縁日(十九日)の馬頭観世音菩薩の御朱印(江東区大島の羅漢寺)

 
【写真 上(左)】 令和初縁日(廿六日)の愛染明王の御朱印(練馬・愛染院)
【写真 下(右)】 令和初縁日(廿八日)の大日如来の御朱印(湯島・霊雲寺)

〔四万六千日・一粒万倍日の御朱印〕
四万六千日(しまんろくせんにち)とは、観世音菩薩の功徳日のひとつです。
功徳日とは、その日に参拝すると100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日をいいます。
尊格や寺社によって異なりますが、浅草浅草寺の四万六千日(毎年7月10日)はほおずき市も催され、多くの参拝客で賑わいます。

四万六千日に浅草寺の観音さまを参拝すると、その功徳はじつに46,000日分。なんと126年分の功徳を積めるといわれています。
四万六千日の縁日は浅草寺が創始といわれ、次第に各地の寺院にも広まったとされます。

浅草寺の四万六千日(7月10日)の御朱印には、「四万六千日」の印判が捺されます。

四万六千日とは別に、月に5日程度の「一粒万倍日」というのもあります。
わずかなものが非常に大きく成長する日とされ、ことを始めるのに最適な日といわれています。
一年に数日一粒万倍日と天赦日(暦の上で最上の吉日)が重なる日があり、この日を狙って芸能人カップルが入籍したりして話題を集めます。

 
【写真 上(左)】 浅草寺の四万六千日の御朱印
【写真 下(右)】 市守大鳥神社(八王子)の一粒万倍日&酉の市御朱印

〔酉の市の御朱印〕
酉の市(とりのいち)は、例年11月に催される酉の日の縁日・祭で、年により2日(二の酉)の場合と3日(三の酉)の場合があります。
「おとりさま」と呼ばれ、縁起物の熊手などを求めて多くの人出で賑わいます。
酉の市には、特別な御朱印を出される寺社や、その日しか御朱印をいただけない寺社がかなりあります。

■ 特別な御朱印の例
 
【写真 上(左)】 鷲神社(台東区千束)の酉の市特別御朱印
【写真 下(右)】 長國寺(台東区千束)の酉の市特別御朱印

■ 酉の市しかいただけない御朱印の例
 
【写真 上(左)】 (目黒)大鳥神社の御朱印
【写真 下(右)】 (調布)大鳥神社の御朱印

〔干支・節句など特別な日の御朱印〕
干支が絡むご縁日は複雑で、数十年に一度の縁日などという例もあるようです。
芝の寶珠院の弁財天は60日に1日の「己巳の日(つちのとみのひ)」が大縁日で、特別な御朱印が授与されています。
品川区・双葉の蛇窪神社(上神明天祖神社)でも己巳の日の御朱印が授与されています。

 
【写真 上(左)】 寶珠院の弁財天の己巳の日の御朱印
【写真 下(右)】 蛇窪神社の己巳の日の御朱印は受けていないので、大祭(蛇窪祭)の御朱印です

・浅間神社山開きの御朱印
木花咲耶姫命を御祭神とする浅間神社や富士塚は、7月上旬の「富士山お山開き」に合わせ概ね7月1日前後に山開きとなります。
とくに富士塚系は通常非常駐の場合が多く、山開き日限定の御朱印が多くなっています。
北区中十条の十条冨士神社は、毎年6月30日・7月1日の山開きの例祭時のみ御朱印が授与されている模様です。
台東区下谷の小野照崎神社境内の下谷坂本富士も、毎年6月30日・7月1日の山開きの例祭時のみ御朱印が授与されている模様です。

 
【写真 上(左)】 十条冨士神社の御朱印
【写真 下(右)】 下谷坂本富士の御朱印

・冬至の日の御朱印
飯能の高山不動尊(高貴山 常楽院)は、毎年、冬至の日に秘仏・軍茶利明王の御開帳で、当日のお昼前後のみ高山不動尊の御朱印がいただけます。
成田不動尊、高幡不動尊とともに「関東三大不動尊」のひとつにも数えられる名刹ですが、御朱印をいただけるのは原則年に1日のみ。平日も休日も関係なく冬至の当日です。
こちらは長年の宿題でしたが、先日ついに参拝できました。
冬至の快晴の日、木の葉が落ちきった明るい尾根道(奥武蔵グリーンライン)を駆っての清々しいアプローチ。
関八州見晴台の奥の院も参拝しました。

 
【写真 上(左)】 高山不動尊参道
【写真 下(右)】 高山不動尊の御朱印

・庚申の日の御朱印
巣鴨庚申堂は、元旦と年6日ほどの庚申(かのえさる)の日の午前中のみ御朱印が授与されます。
授与日は公式Webで告知されています。

柴又帝釈天のご縁日も庚申の日で、庚申の日には「庚申」、年の最後の庚申の日(納庚申)には「納庚申」の印判つきの御朱印が授与されています。

 
【写真 上(左)】 巣鴨庚申堂の御朱印
【写真 下(右)】 柴又帝釈天の納庚申の御朱印

・亥の日の御朱印
上野の摩利支天・徳大寺では、亥の日にイノシシの印判つきの御朱印が授与されています。


上野摩利支天・徳大寺の亥の日の御朱印

〔不動明王のご縁日〕
不動明王のご縁日、毎月28日もよく知られており、各地で例祭や護摩供が催されます。
不動明王ご縁日の特別御朱印は西日本で盛んで、関東では少ないですが、深川不動尊では「縁日」の印判が捺されます。
また、品川区豊町の大原不動尊の御朱印は、己巳の日に戸越公園駅周辺の商店街が催す「へびくぼ市」の日のみの授与となっています。

 
【写真 上(左)】 深川不動尊のご縁日の御朱印
【写真 下(右)】 大原不動尊の御朱印

〔お大師さまのご縁日〕
弘法大師空海(お大師さま)は825年3月21日高野山にてご入定され、こちらにちなんで毎月21日はお大師さまのご縁日とされます。
お大師さま専用の御朱印帳に、21日のご縁日にいただいています。

 
【写真 上(左)】 成田山川越別院 本行院のご縁日特別御朱印
【写真 下(右)】 御府内八十八箇所霊場結願所、遍照山 文殊院(杉並区和泉)のご縁日の御朱印

※お大師さまご生誕 1250年
令和5年(2023年)はお大師さまがお生まれになって1250年の記念の年です。(→高野山金剛峯寺Web
ご誕生日の6月15日を中心として各地の真言宗寺院で記念法会が営まれました。

東京・高輪の高野山東京別院では6月15日~17日に青葉まつりが開催され、本堂内に四国八十八か所お砂踏み所が設けられ巡拝ができました。
結願者には稚児大師の御影入りの結願証が授与されました。

 
【写真 上(左)】 ご生誕 1250年当日の御朱印
【写真 下(右)】 結願証

〔閻魔大王のご縁日〕
閻魔大王はことに縁日と縁のふかい尊格です。ご縁日は毎月16日ですが、とくに1月16日は「初閻魔」、7月16日は「藪入り」といわれ、参詣客で賑わいました。
閻魔大王も専用の御朱印帳をこしらえて、原則16日のご縁日に江戸・東京四十四閻魔参りの札所をメインにまわっています。

中目黒の鶏足山 実相寺は、初閻魔と藪入りの年2回のみの授与でしたが、新型コロナ禍以降の授与状況は不明です。
巣鴨の醫王山 眞性寺では藪入りに閻魔まつりが催されます。こちら↓ はその時の御朱印ですが、常時授与されているかは不明です。

 
【写真 上(左)】 実相寺の藪入りの御朱印
【写真 下(右)】 眞性寺の藪入りの御朱印


縁日といえるかはわかりませんが、二十三夜月待講ゆかりの寺院などは毎月23日に限定御朱印を出されるケースがあります。
詳細は→こちら(■ 勢至菩薩の御朱印 / 二十三夜月待講)

なお、神社で正月や祭礼日のみ授与の御朱印はかなりあるので、この記事ではご紹介を控えました。
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■ ココリコミラクルタイプ

You-Tubeのおすすめに、なぜか突然ココリコミラクルタイプがでてきて抜けられなくなった。
ホントに面白かったわ、この番組。
ほとんどが、いまではコンプライアンス&ハラスメ的にNGっぽいけど・・・(笑)

【ココリコミラクルタイプ】 「豹変彼女~麻雀編~」


【ココリコミラクルタイプ】 「S子②」


【ココリコミラクルタイプ】 「折れないカップル」


【ココリコミラクルタイプ】 「夢のない男」


【ココリコミラクルタイプ】 「父の再婚」


脇役も含めた演技力、音楽、効果音・・・、どれも文句のつけようなし。
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■ 玉石混淆の?歌謡祭

先ほど放送してた『2024 FNS歌謡祭』第2夜
飛ばし&早送り大半ながら、すべて視切った自分を褒めてあげたい(笑)

そんななかで、録画を二度視した実力派アーティストたちがいた。

■ 幾田りら
@agechaan #ハミング #幾田りら #fns歌謡祭 ♬ オリジナル楽曲 - age_chaan

幾田りらの共鳴の効いたフェミニンな声色とリズム感はやっぱりただごとじゃない。逸材。
それと、バックのキーボード女子!

■ C&K

声がいいし、独特のスケール感をまとっている。

○ 富金原佑菜×三阪咲「Y (C&K)」2018/09/17 あべのAステージ

↑ 公共の電波使ってカバーするなら、このくらいの仕上がり(オリジナリティ)がほしい。

■ 羊文学

おそらくテレビでは初見か?
TV画面越しでもオーラを放っていた。

■ タイトル未定 - 鼓動

こちらは主役というより、曲のできとバックバンドのパフォーマンス。
曲は札幌のI'VEじゃないかと思ったが、札幌の音楽ユニットTRIPLANEのメンバー・江畑兵衛氏作だった。
札幌には名コンポーザーが多い。
バックは武部聡志氏のバンドの模様。
どーりでキレッキレのはずだわ・・・。

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■ Imaginary Affair - KOTOKO(「こなたよりかなたまで」OP)

高瀬一矢氏(I've)作曲の名曲。

■ For our days - 川田まみ(I've)

↑ こういうレベルのアーティストが、もっと出てもいいと思う。

■【公式ライブ映像】Poppin'Party「キズナミュージック♪」

↑ 似たようなコンセプトのユニット何組も出すより、たとえばバンドリ!あたりから呼んできた方がよっぽど「歌謡祭」では?
トレンドの声優達だし、ガールズ・バンド、世界的にも貴重なんだから。

■ ヨルシカ - だから僕は音楽を辞めた

羊文学出たんだから、ヨルシカもって、さすがにムリな相談か・・・。

■ ヨルシカ / だから僕は音楽を辞めた(Covered by コバソロ & こぴ)

だったら、コバソロ & こぴさんでもいいじゃん。↑
「歌謡祭」にふさわしい才能、いくらもいるのに、どーしてどの歌番もキンタロー飴になる?
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■ 追悼 中山美穂さん

あまりにも突然すぎる訃報でした。

中山美穂さんの作品を積極的に聴きに行ったという記憶はあまりないけど、いまひとしきり聴いてみると楽曲もテイクもあまりに粒ぞろい。
しなやかなグルーヴ感と雰囲気出しの巧さは、シティ・ポップ~アダルト・コンテンポラリーの代表アーティストして位置づけられてもいいほどのレベル。

中山美穂さんの曲の上位互換カバーをほとんど聴いたことがないのは、それだけ余人をもって替えがたいオリジナルな歌唱力を備えていたからだと思う。

You-Tubeの動画にはどれも複数の追悼コメントが付いている。
1曲1曲それぞれに、しっかりとファンがついているのだと思う。

まだまだ存分に活躍されて、これからのJ-POP界に刺激を与えつづけてほしい存在だった。
心からご冥福をお祈りいたします。


■ You're My Only Shinin' Star (1988.02 Release/12th Single)
作詞・作曲・編曲:角松敏生

シティ・ポップシンガーとして、その名を高めた角松敏生氏作の名曲。
シンコペ& ”キメ” がらみのグルーヴ曲をここまで歌いこなせるとは、よほどリズム感がいいのだと思う。

■ ラストシーンに愛をこめて (1986.08 Release)
作詞:岡田冨美子/作曲:鈴木キサブロー

やさしくたおやかなフェミニン・ヴォイスで美しいメロディを歌い上げた名曲。
声質がよく余韻が残るから「音の隙間」が活きる。

■ 花瓶 (1988.02 Release/6thALBUM『CATCH THE NITE』収録)
作詞・作曲・編曲:角松敏生

角松敏生氏ならではの難曲を、ここまで歌いこなすとは・・・。

■ Diamond Lights (1988.12 Release/8thALBUM『angel hearts』収録)
作詞:戸沢暢美/作曲:鳴海寛/編曲:瀬尾一三

1980年代ならではのカッティングギターが効いた弾む曲調。
抜群のリズム感がここでもいかんなく発揮されている。

■ Try Or Cry (1988.12 Release/8thALBUM『angel hearts』収録)
作詞:康珍化/作曲:CINDY/編曲:小島良喜

ブリッジやカウンターメロのサックスをメローに響かせられる振る舞いは、声質に魅力があることの証。

■ Midnight Taxi (1990.01 Release/17th Single)
作詞・作曲:飛鳥涼/編曲:十川知司

飛鳥涼氏の作品。ビブラートを強調する人じゃないけど、絶妙なゆらぎ感が心地よい。

■ 愛してるっていわない! (1990.10 Release/20th Single)
作詞:安藤芳彦/作曲:羽場仁志/編曲:樫原伸彦

フジテレビ系ドラマ『すてきな片想い』の主題歌。
16ビートシンコペ、シャッフルビート、4つ打ちとめまぐるしく変化するリズム。
余裕をもっての歌いこなしは、やはり優れたリズム感によるもの。

■ Mellow (1992.04 Release/24th Single)
作詞:一咲/作曲・編曲:井上ヨシマサ

R&B系のマナーもしっかり。
こういう曲をもっていると、LIVEは抜群に面白くなる。

■ あなたになら… (1993.07 Release/27th Single)
作詞:中山美穂/作曲・編曲:久石譲

才人、久石譲氏の作品。
今井美樹を思わせるほどのたおやかなフェミニン・ヴォイス。
↑ の「Mellow」と続けて聴くと、歌の引き出しの多さがよくわかる。

■ Thinking about you~あなたの夜を包みたい (1996.02 Release/33th Single)
作詞:小竹正人/作曲:Maria/編曲:大谷和夫

女優ならではの表情あふれるステージング。
繊細なメロまわしと複雑な符割り。
この曲、並みのシンガーが歌ったらふつうに崩壊すると思う。

■ 遠い街のどこかで… (1991.11 Release/23th Single)
作詞:渡邉美佳/作曲・編曲:中崎英也

フジテレビ系テレビドラマ『逢いたい時にあなたはいない…』主題歌。
表情、身振り、声の乗り、そしてバックサウンドとのバランス・・・。
これは神テイク。

■ ただ泣きたくなるの (1994.02 Release/28th Single)
作詞:国分友里恵・中山美穂/作曲・編曲:岩本正樹

TBS系ドラマ『もしも願いが叶うなら』主題歌。
イントロからアウトロまで捨て音一切なし。
完璧にJ-POPのレジェンド曲。
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■ 早雲寺の御朱印

箱根湯本の名刹、金湯山 早雲寺

小田原城主・北条氏の菩提寺で、二代氏綱公が初代早雲公の遺言により京都大徳寺第83世以天宗清禅師を開山として招き大永元年(1521年)に創建した臨済宗大徳寺派の古刹です。

箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったといわれるほどの大寺で、数々の文化財を所蔵されます。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 中門


【写真 上(左)】 客殿(方丈)
【写真 下(右)】 庭園


【写真 上(左)】 開山堂
【写真 下(右)】 北条五代の墓参道


早雲寺の御朱印については、令和元年までは11月の曝涼(ばくりょう)時にあわせた特別拝観時のみの授与でした。
(以前は条件が合えば授与されていたときもあったらしい。)

新型コロナ感染症が広まった令和2年春以降、昨年(令和5年)までは特別拝観は休止となっていたので、御朱印も不授与でした。


庫裏玄関には、こういう掲示↑がされています。


今年は曝涼時ではなく、下記日程で寺宝公開され、そのときに御朱印も授与されます。
詳細は→ こちら
 2024年10月4日(金)達磨忌の前日
 2024年12月8日(日)釈迦尊成道会
 2025年2月15日(土)釈迦尊涅槃会
前回の特別拝観は令和元年11月でしたから、じつに5年ぶりの堂内一般公開&御朱印授与となります。

公開時間は各日それぞれ4回。定員は各回20名で予約者優先となります。

筆者は令和元年11月の特別拝観を狙っていたところ、あいにく時間がとれず懸案となっていましたが、ついに今回拝受できました。

寺宝公開は、ご住職のご案内をいただき開催されました。
すこぶる敷居の高い印象のある当山ですが、ご住職からはたいへんご丁寧な説明をいただき、こちらが恐縮するほどでした。
益田玉城画伯の「出山釈迦図」、北条早雲・氏綱・氏康画像、本堂襖絵三十八面、狩野永納の「宗祇騎馬図」などが公開されました。

また、客殿(方丈)では御本尊の釈迦如来を間近で拝せました。

御朱印は、拝観受付時に御朱印帳をお預けすると拝観後に授与いただけます。
書置のものがあるかは不明です。
今回も相方とそれぞれ1通宛、計2通拝受しました。

 

早雲寺の御朱印は「虎の御朱印」ともいい、捺される印判は「禄壽應穏」(ろくじゅおうおん)と刻されたものです。
虎の印「禄壽應穏」は、二代北条氏綱公の時代から、北条氏の出した朱印状に押印されていたとされ、上部に虎の伏した姿が刻まれています。

じっさいに拝受してみると、やはりただならぬ存在感のある御朱印です。

 
【写真 上(左)】 御朱印説明
【写真 下(右)】 パンフレット

今回は創建500年記念特別展図録「早雲寺」が、内容に比して破格のお値段で頒布されていたので購入しました。


「早雲寺」


次回は2025年2月15日(土)の釈迦尊涅槃会です。
現況、予約枠が空いているかは不明ですが、興味をもたれた方は問合せされてみてはいかがでしょうか。

早雲寺については、平林寺と同様のフォーマットでまとめてみたいと思いますが、歴史ある名刹ゆえしばらく時間がかかるかと思います。

【関連記事】
■ 箱根の御朱印



【 BGM 】
■ 孤独な生きもの - KOKIA


■ 雪の華 - 中島美嘉 Cover.花たん(hanatan)


■ Mirai 未来 - Kalafina

数十人でユニゾンがあたりまえの時代に、わずか3人でこのテクニカルなハーモニー。
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■ 箱根の御朱印

早雲寺の御朱印を追加しました。

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2022/06/21 UP
御朱印を数点、追加しました。

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2021/11/13 UP

先日、超ひさびさに箱根に行ってきました。
元箱根あたりは例年の秋の行楽シーズンに比べ、まだ人出はすくないと思います。
また、新型コロナ禍による御朱印授与制限はおおむね解除されている模様です。



箱根は関東有数の観光地で、箱根神社や箱根七福神があるためか、”御朱印のメッカ”のイメージもありますが、授与される寺社はさほど多くはありません。
(そもそも寺社の数が多くない。)
現況、Web上の御朱印情報は箱根神社など、一部のメジャー神社に集中しています。

御朱印を授与されている寺院もそれなりにあるのですが、拝受難易度はけっこう高く、Web検索でもなかなかヒットしません。
そこで、箱根周辺の御朱印情報を網羅的にまとめてみることにしました。

拝受数を稼ぐ向きは、寺社が集中する小田原市や南足柄市と併せて回るのも面白いかもしれません。
(今回のご紹介範囲は小田原市の一部と箱根町全域、そして小山町の一部とします。)

〔 関連記事 〕
■ 熱海温泉&湯河原温泉周辺の御朱印
↑ 早川方面はこちらでご紹介しています。

なお、こちらでご紹介する御朱印が現在も授与されているかは定かではありません。
(授与状況は寺社様のご都合により都度変動します。)
札所でない寺院も多く含むので、ご不在のケースも予想されます。
また、アプローチは概ね込み入って細く、Pも狭いところが多いので、車での参拝は細心の注意が必要です。
以上、ご留意をお願いします。

〔 温泉の関連記事 〕
■ 箱根二十湯制覇!


それでは、小田原市からいきます。


〔 小田原市の御朱印(一部) 〕



小田原市は関東でも有数の御朱印エリアで、すべてご紹介するとこの記事の主旨を外れるので、下記エリアのみとします。
・小田原城大手前から南西側(本町・南町)の東海道沿い、および城山4丁目、板橋、風祭、入生田あたりの箱根に向かう箱根登山鉄道沿線の寺社
※小田原城では、摩利支天の御朱印を拝受できます。(筆者未拝受)


■ 報徳二宮神社
公式Web 
小田原市城内8-10
御祭神:二宮尊徳翁
旧社格:県社、別表神社
元別当:
授与所:境内社務所

〔拝受御朱印〕
御朱印揮毫:報徳二宮神社 直書(筆書)



■ 松原神社
神奈川県神社庁公式Web 
小田原市本町2-10-16
御祭神:日本武命、素戔嗚命、宇迦之魂命
旧社格:県社、小田原宿総鎮守
元別当:玉瀧坊・西光坊?
授与所:境内社務所

〔拝受御朱印〕
御朱印揮毫:松原神社 書置(筆書)



■ 不老山 壽松院 無量寺
公式Web
小田原市本町3-13-53
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:足柄三十三観音霊場第33番(十一面観世音菩薩)、小田急武相三十三観音霊場第26番


〔拝受御朱印〕
1.足柄三十三観音霊場の御朱印 十一面観世音菩薩
※御本尊の御朱印の授与は不明。



■ 大恩山 知見院 妙泉寺
小田原市本町3-13-35
日蓮宗
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕 ※御首題は筆者参拝時ご住職ご不在につき未拝受
1.「大恩山知見院妙泉寺」の御朱印


2.毘沙門天の御朱印



■ 青陽山 妙経寺(御幸ヶ浜)
公式Web
小田原市本町4-6-5
日蓮宗
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御首題



■ 蓋子山 福田寺
公式Web
小田原市本町4-6-12
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御本尊の御朱印 六字御名号



■ 醫王山 薬師院 圓福寺
公式Web
小田原市本町4-6-24
東寺真言宗
御本尊:不動明王
札所:小田原七福神(布袋尊)

〔拝受御朱印〕
1.御本尊の御朱印 不動明王

2.小田原七福神の御朱印 布袋尊



■ 妙珍山 蓮昌寺
小田原市本町4-5-19
日蓮宗
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御首題



■ 稲荷山 一花院 大蓮寺
小田原市南町2-4-9
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:足柄三十三観音霊場第32番、小田原七福神(福禄寿)

〔拝受御朱印〕
1.御本尊の御朱印 阿弥陀如来
※足柄三十三観音霊場の御朱印不授与



■ 永刧山 最勝院 報身寺
小田原市南町3-11-3
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:足柄三十三観音霊場第31番、小田原七福神(恵比寿神)

〔拝受御朱印〕
1.御本尊の御朱印 阿弥陀如来
※足柄三十三観音霊場の御朱印不授与



■ 居神神社
公式Web 
小田原市城山4-23-29
御祭神:三浦荒次郎義意、木花咲耶姫命、火之加具土命
旧社格:旧山角町、旧板橋村の鎮守
元別当:庭松寺
授与所:境内社務所

〔拝受御朱印〕
御朱印揮毫:居神神社 直書(筆書)



■ 水神社
公式Web 
小田原市城山4-23-29
御祭神:國之水分神
旧社格:-、居神神社境内社
元別当:
授与所:居神神社境内社務所

〔拝受御朱印〕
御朱印揮毫:水神社 直書(筆書)



■ 宝聚山 随心院 大久寺
日蓮宗ポータルWeb
小田原市城山4-24-7
日蓮宗
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御首題



■ 惺雄山 蓮船寺
日蓮宗ポータルWeb
小田原市城山3-31-15
日蓮宗
御本尊:
札所:小田原七福神(大黒尊天)

〔拝受御朱印〕
1.御首題


2.小田原七福神 大黒尊天



■ 大久保神社
神奈川県神社庁公式Web
小田原市城山3-27-7
御祭神:大久保忠世候、大久保忠眞候
旧社格:
元別当:
※参拝しましたが、境内に御朱印不授与の掲示がありました。



■ 象鼻山 御塔生福寺
日蓮宗ポータルWeb
小田原市板橋771
日蓮宗
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御首題



■ 秋葉山 量覚院
小田原市板橋544
本山修験宗
御本尊:秋葉大権現
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御本尊 種子(ボロン)


※御朱印の揮毫は種子(ボロン)とみられます。
ボロンは一字金輪仏頂の種子で、密教系でもことに特別な種子とされます。
秋葉大権現とボロン、ないし一字金輪仏頂との関係は不明ですが、種子ボロンがあらわされた貴重な御朱印と思われます。
思い出せる範囲では、ボロンの御朱印はこちらのほか、王子の金輪寺(豊島八十八ヶ所霊場第55番、御本尊一字金輪仏頂尊)でしか拝受したことがありません。 


■ 南谷山 香林寺
小田原市板橋908
曹洞宗
御本尊:薬師如来
札所:小田急沿線花の寺四季めぐり第27番

〔拝受御朱印〕
1.御本尊 薬師如来



■ 金龍山 宗福院(板橋地蔵尊)
小田原市板橋566
曹洞宗
御本尊:延命子育地蔵菩薩
札所:

〔拝受御朱印〕 ※香林寺にて拝受
1.御本尊 地蔵大菩薩



■ 玉正山 妙覚寺
小田原市風祭482-1
日蓮宗
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕



■ 永禄山 寶泉寺
小田原市風祭918
臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:

〔拝受御朱印〕
1.御本尊の御朱印 釈迦牟尼佛



■ 長興山 紹太寺
小田原市入生田303
黄檗宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:小田急沿線花の寺四季めぐり第12番

〔拝受御朱印〕 ※現在、御朱印は原則不授与の模様(不授与の貼り紙あり)。
1.御本尊の御朱印 釈迦如来



〔 箱根町の御朱印 〕

■ 金湯山 早雲寺
箱根湯本観光協会Web
箱根町湯本405
臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:

〔拝受御朱印〕 
2024年12月8日の釈迦尊成道会の寺宝公開時に予約拝観して拝受。
通常は御朱印不授与です。
■ 早雲寺の御朱印



■ 霊泉山 鎖雲寺(初花寺)
箱根湯本観光協会Web
箱根町須雲川147
臨済宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所:

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 薬師如来



※須雲川にある箱根大天狗山神社およびその分院では御朱印が授与されている模様ですが、筆者は未拝受です。


■ 高榮山 守源寺
箱根ナビ
箱根町畑宿167
日蓮宗
御本尊:
札所:箱根七福神(大黒天神)

〔拝受御朱印〕
1.御首題


2.箱根七福神 大黒天神



■ 玉簾神社
天成園公式Web
箱根町湯本682
御祭神:御祭神:箱根大神(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊)箱根大神、相殿に九頭龍大神・水波能売神・稲荷大神・恵比寿神
旧社格:
元別当:
授与所:天成園内自販機および授与所(orフロント?)


【写真 上(左)】 以前の授与所
【写真 下(右)】 多彩な御朱印が授与されていました


【写真 上(左)】 現在の授与所
【写真 下(右)】 御朱印の自動販売機

※以前は境内授与所で書家さんの揮毫による複数のカラフルな御朱印が授与されていましたが、現在は墨朱の書置御朱印のみ授与の模様。
授与所(orフロント?)と自動販売機での授与があり、揮毫はいずれも「玉簾神社」ですが若干内容が異なります。日付の書入れがほしい場合は授与所(orフロント?)で拝受します。
駐車場は天成園の立体駐車場を利用。30分以内の参拝ならば無料となります。(超過すると500円。)

〔拝受御朱印〕
1.御朱印揮毫:九頭龍神 直書(筆書)


2.御朱印揮毫:玉簾神社 直書(筆書)


3.御朱印揮毫:玉簾神社(授与所で授与) 書置(印刷?)


4.御朱印揮毫:玉簾神社(自販機で授与) 書置(印刷?)



■ 箱根出世地蔵尊
箱根町湯本682
宗派不明
御本尊:地蔵菩薩
札所:

※天成園庭園内に奉安されているお地蔵さまです。
玉簾神社の授与所(orフロント?)で拝受できます。

〔拝受御朱印〕
1.箱根出世地蔵尊の御朱印



■ 大慈悲山 福寿院(箱根観音)
箱根湯本観光協会Web
箱根町湯本茶屋182
曹洞宗
御本尊:開運出世慈母観世音菩薩
札所:

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 箱根観音



■ 阿育王山 阿弥陀寺(あじさい寺)
箱根湯本観光協会Web
箱根町塔ノ沢24
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:足柄三十三観音霊場第28番、小田急沿線花の寺四季めぐり第19番
※車でのアプローチ可(お寺下にPあり)ですが、急坂で道幅の狭い山道経由でおすすめしません。

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 黒本尊


2.御本尊の御朱印 黒本尊



■ 大光山 林泉寺
曹洞禅ナビ
箱根町大平台337
曹洞宗
御本尊:
札所:
※交通量の多い国道1号に面し、見通しの悪いカーブの途中に車両出入口があるので要注意です。

〔拝受御朱印〕
1.大平十一面観世音菩薩の御朱印



■ 養食山 常泉寺
公式Web
箱根町宮ノ下289
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所:
※一方通行のアプローチ道は入口がわかりにくく、道幅も狭いので要注意です。

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 釈迦如来



■ 山王神社(福禄寿社)
箱根ナビ
箱根町二ノ平1297 箱根小涌園内
御祭神:
旧社格:
元別当:
札所:箱根七福神(福禄寿)
授与所:境内授与所
※Web上では「山王神社」の御朱印もみつかりますが、参拝時は「福禄寿」の御朱印のみとのことでした。

〔拝受御朱印〕
1.御朱印揮毫:福禄寿 書置(筆書) ※山王神社の印判あり




■ 大雄山 最乗寺 箱根別院
箱根町強羅1300-319-1
曹洞宗
御本尊:
札所:
※現在、こちらは寺務休止中とのことで、御朱印は授与されていない模様です。

〔拝受御朱印〕 
1.道了尊の御朱印
 

●詳細情報
■ (早雲山)温泉 「最乗寺箱根別院」 〔 Pick Up温泉 & 御朱印 〕


■ 阿字ヶ池弁財天
箱根ナビ
箱根町芦之湯
御祭神:弁財天
旧社格:
元別当:
札所:箱根七福神(弁財天)
授与所:旅館「きのくにや」フロント

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:阿字ヶ池弁財天 印判・書置 (平成28年9月)


2.御朱印尊格:阿字ヶ池弁財天 印判・書置 (令和元年9月)



■ 駒形神社
公式Web
箱根町箱根290
御祭神:駒形大神(天御中主大神、素戔鳴尊、大山衹神)
旧社格:
元別当:
札所:箱根七福神(毘沙門天)/境内社の毘沙門天社
授与所:境内社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印揮毫:駒形神社 直書(筆書)



■ 毘沙門天社
公式Web
箱根町箱根290
御祭神:毘沙門天
旧社格:-、 駒形神社境内社
元別当:
札所:箱根七福神(毘沙門天)
授与所:駒形神社社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印揮毫:毘沙門天 直書(筆書)



■ 到国山 無量壽院 本還寺
箱根ナビ
箱根町箱根223
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:足柄三十三観音霊場第34番、箱根七福神(寿老人)、小田急沿線花の寺四季めぐり第26番
※足柄三十三観音霊場第34番の御朱印は不授与とのこと。箱根七福神(寿老人)の御朱印は授与されています。

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 阿弥陀如来 (平成28年9月)


2.御本尊の御朱印 阿弥陀如来 (令和元年9月)



■ 箱根山 萬福寺
親鸞聖人を訪ねて
箱根町箱根228
真宗大谷派
御本尊:
札所:

〔拝受御朱印〕 
1.「箱根御舊地」の御朱印(記念印)



■ 興禅院
箱根ナビ
箱根町箱根125
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:

〔拝受御朱印〕 
1.関所庚申堂
※御本尊の御朱印は不授与とのこと。



■ 瑞龍山 興福院
箱根ナビ
箱根町元箱根26
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所:箱根七福神(布袋尊)

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 釈迦如来


2.箱根七福神の御朱印 布袋尊


(3.白龍神社の御朱印)


※九頭龍神社本宮、箱根元宮、箱根神社の巡拝を「箱根三社参り」といいます。
このところ、「最強の神社巡り」として人気を集めている模様。




■ 箱根神社


公式Web
箱根町元箱根80-1
御祭神:箱根大神(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊)
旧社格:国幣小社、別表神社
元別当:
札所:箱根七福神(恵比寿神)/境内恵比寿社
授与所:境内社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:箱根神社 印判 (平成28年9月)


2.御朱印尊格:箱根神社 印判 (令和3年11月)



■ 箱根元宮


公式Web
箱根町元箱根 駒ヶ岳山頂
御祭神:箱根大神
旧社格:
元別当:
授与所:拝殿内授与所
※こちらの御朱印は、駒ヶ岳頂上の箱根元宮拝殿内でしか拝受できません。
原則毎月1日、24日の例祭および土日祝のみの授与で、荒天時は箱根駒ヶ岳ロープウェイが運休となるのでそのときも授与されません。参拝当日に箱根神社社務所(0460-83-7123)に問合せするのが確実と思われます。
また、御神職の在殿時間は原則10:00~15:00で、遅くとも14:20箱根園発に乗車する必要があります。


〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:箱根元宮 印判



■ 九頭龍神社新宮
公式Web
箱根町元箱根80-1
御祭神:九頭龍大神
旧社格:-、箱根神社境内社
元別当:
授与所:箱根神社社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:九頭龍神社 印判



■ 恵比寿社
公式Web
箱根町元箱根80-1
御祭神:事代主神
旧社格:-、箱根神社境内社
元別当:
札所:箱根七福神(恵比寿神)
授与所:箱根神社社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:恵比寿神 印判



■ 九頭龍神社本宮


公式Web
箱根町元箱根防ケ沢(箱根樹木園内)
御祭神:九頭龍大神
旧社格:
元別当:
授与所:箱根神社社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:九頭龍神社 印判



■ 白龍神社
公式Web
箱根町元箱根和田ノ角(箱根樹木園内)
御祭神:白龍大神
旧社格:
元別当:
授与所:興福院(箱根町元箱根26)
※※白龍神社例大祭(6月13日)時のみ授与というWeb情報がありますが、興福院で常時授与されている模様。

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:白龍大明神 直書(筆書)



■ 龍虎山 長安寺
箱根ナビ
箱根町仙石原82
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:東国花の寺百ヶ寺霊場第91番、小田急沿線花の寺四季めぐり第30番

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 釈迦牟尼佛


2.東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印 釈迦牟尼佛


3.五百羅漢の御朱印



■ (仙石原)諏訪神社
公式Web
箱根町仙石原88
御祭神:建御名方命
旧社格:村社、旧仙石原村鎮守
元別当:
授与所:公時神社社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:諏訪神社 印判



■ 公時神社
公式Web
箱根町仙石原1181
御祭神:坂田公時命
旧社格:村社、旧仙石原村鎮守
元別当:
授与所:公時神社社務所

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:公時神社 印判



〔 静岡県小山町の御朱印(一部) 〕

■ 足柄山聖天堂
小山町Web
小山町竹之下3649(足柄峠)
曹洞宗
御本尊:大聖歓喜双身天王
札所:
※隣の茶店にて書置御朱印を拝受
・かつて、東海道の箱根(足柄)越えは、足柄路(矢倉沢往還)、湯坂道(湯本~浅間山~鷹巣山~芦之湯~芦ノ湖箱根権現)、箱根八里(三枚橋~畑宿~芦ノ湖)の3つのルートがありました。
もっとも険しい湯坂道は、二所詣(鎌倉将軍の箱根権現と伊豆山権現の参拝)に使われ、かつての鎌倉古道とも伝わります。
時代が下ると距離の短い箱根八里が主街道となり、足柄路は脇街道の位置づけとなりました。
・足柄越えはもっとも古く、昌泰二年(899年)にはすでに足柄之関(関所)が設けられていたとされます。
また、寛治元年(1087年)頃、新羅三郎源義光公が兄八幡太郎源義家公の応援のため奥州に向かう際、笙の秘曲を笙の師匠の息子・豊原時秋に伝授した「新羅三郎義光吹笙之石」がこの地に残り、義光公も足柄越えを使ったことがわかります。
・こちらは足柄路の足柄峠に祀られる堂宇で、弘法大師が奉納されたと伝わる大聖歓喜双身天王が御座され、日本三大聖天(浅草聖天・生駒聖天・足柄聖天)のひとつともされる由緒ある聖天様です。

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 大聖歓喜双身天王



今回、令和3年4月28日に開通したての「県道731号/愛称:はこね金太郎ライン・南箱道路」を走ってみました。
この開通により、足柄峠~箱根仙石原という新たな周遊ルートができたことになります。(以前は、矢倉沢林道とも呼ばれ、箱根の道路大渋滞時に箱根から大井松田方面に抜けるエスケープルートとして一部で知られ、筆者も何回か使ったことがありますが、かなり手厳しい道路でした。)
今回、かなり補修はかけられているものの、線形はほぼ旧林道を踏襲しており、細かいカーブが連続します。初心者にはきびしいかもしれません。
(→道路の概要(県Web資料)

■ はこね金太郎ライン入口(松田側)


■ 和泉山 圓通寺
公式Web
小山町新柴292
曹洞宗
御本尊:馬頭観世音菩薩
札所:御厨観音横道札所第20番
・こちらの御本尊は足利将軍義教公の家臣、小栗判官助重公ゆかりの由緒ある「鬼鹿毛馬頭観世音菩薩」で、牛馬あるいは陸運の守護神として篤い信仰をあつめました。
・堂内には小田原・早川港で水揚げされた鮮魚を(おそらく箱根ないし足柄越えをして)甲州方面へ運ぶ奉納絵が掲げられています。
箱根山の陸運とも関係があると思われる古刹なので、こちらでご紹介します。

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 大悲殿(馬頭観世音菩薩)




■ (中島)金時神社
小山町観光協会Web
小山町中島 金時公園内
御祭神:坂田公時命
旧社格:
元別当:
授与所:駿河小山駅前観光案内所(「道の駅足柄」でも授与されているようです。)
・御祭神の坂田金時命は、金時山(足柄山地の最高峰、箱根外輪山の一峰)の麓で育ち、長じて源頼光公の家来として取りたてられ、渡辺綱・碓井貞光・卜部季武らとともに「源頼光四天王」の一人として大江山の酒呑童子退治をするなど、名声を高めました。(その実在については諸説あります)
・当社は坂田金時の生家の跡地といわれ、金太郎ゆかりの数々の名跡が残ります。
・箱根仙石原の「公時神社」に対してこちらの社号は「金時神社」。ともに御祭神として坂田公時命をお祀りしています。

〔拝受御朱印〕
1.御朱印尊格:金時神社 書置(筆書)




■ 鷹巣山 勝福寺
公式Web
小山町観光協会Web
小山町中島123-1
臨済宗円覚寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
札所:
・金太郎(坂田金時)の生家「坂田家」の菩提寺といわれます。

〔拝受御朱印〕 
1.御本尊の御朱印 釈迦牟尼佛



【 BGM 】
■ 孤独な生きもの - KOKIA


■ 雪の華 - 中島美嘉 Cover.花たん(hanatan)


■ Mirai 未来 - Kalafina

数十人でユニゾンがあたりまえの時代に、わずか3人でこのテクニカルなハーモニー。


それにしても、日本の歌姫のレベルおそるべし!
いまの芸能界は優れた才能を粗末にしすぎ。
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