関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印-2
■ 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印-1からのつづきです。
第51番 泉久山 海照寺
横浜市磯子区坂下4-19
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第25番、横浜市内二十一ヶ所霊場第14番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第52番 明王山 不動院 寶積寺
横浜市磯子区上町7-13
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第26番、横浜市内二十一ヶ所霊場第13番、横浜磯子七福神(恵比寿)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜市内二十一ヶ所霊場・横浜市内三十三観音霊場の御朱印
第53番 青龍山 宝金剛院 寶生寺
横浜市南区堀ノ内町1-68
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:
他札所:横浜市内三十三観音霊場第31番、横浜磯子七福神(寿老人)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
※不授与の模様です。
横浜磯子七福神(寿老人)のスタンプ
第54番 妙法山 観世音寺 弘誓院
横浜市南区睦町2-221
高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第30番、横浜市内二十一ヶ所霊場第10番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜市内三十三観音霊場の御朱印
第55番 南龍山 不動院 無量寺
横浜市南区蒔田町174
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第33番、武相二十八不動尊霊場第番16番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第7番
司元別当:(蒔田)杉山神社(南区宮元町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武相二十八不動尊霊場の御朱印
第56番 松峯山 宝杉院 大光寺
横浜市南区南太田町2-167
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第6番、横浜市内二十一ヶ所霊場第9番
司元別当:(太田)杉山神社(南区南太田)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第57番 十輪山 延命寺 西光院
横浜市南区永田東1-22-3
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩?
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:
司元別当:(永田)春日神社(南区永田東)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第58番 西向山 妙觀院 乗蓮寺
横浜市南区井土ヶ谷上町33-1
高野山真言宗
御本尊:阿彌陀三尊・不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:
司元別当:住吉神社(南区井土ヶ谷上町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第59番 引越山 福壽院 定光寺
横浜市南区六ッ川町1-270
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:薬師如来
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第60番 瑞應山 蓮華院 弘明寺
横浜市南区弘明寺町267
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:大日如来
他札所:坂東三十三箇所(観音霊場)第14番、横浜市内三十三観音霊場第33番、武相二十八不動尊霊場第18番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第2番、七観音霊場第2番
司元別当:
授与所:山内授与所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 弘法大師の御朱印
【写真 下(右)】 坂東三十三箇所(観音霊場)の御朱印
【写真 上(左)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 七観音霊場の御朱印
※他にも多種の御朱印を授与されています。
第61番 慈雲山 如意珠院 吉祥寺
横浜市南区大岡1-6-1
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:大日如来
他札所:
司元別当:(下大岡村)若宮社
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第62番 雨寶山 瑠璃院 萬福寺
横浜市南区大岡5-39-17
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:
司元別当:(下大岡村)神明社・諏訪社
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第63番 大岡山 蓮上院 眞光寺
横浜市港南区上大岡東3-1-1
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:毘沙門天王
他札所:武相四十八ヶ所不動尊霊場第32番
司元別当:上大岡鹿嶋神社(港南区上大岡西)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第64番 瑠璃山 金剛院
横浜市磯子区岡村5-3-1
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:横浜磯子七福神(大黒天)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜磯子七福神(大黒天)の御朱印
第65番 西岸山 蓮華寺 千手院
横浜市港南区最戸2-21-1
真言宗大覚寺派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:一光三尊
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第66番 大久保山 地蔵寺 自性院
横浜市港南区大久保2-34-15
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:
司元別当:青木神社(港南区大久保)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第67番 南光山 慈眼寺 福聚院
横浜市港南区港南1-3-2
高野山真言宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第27番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武州金沢三十四観音霊場の御朱印
第68番 福聚山 光明寺
横浜市港南区日野7-19-19
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第25番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第33番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武州金沢三十四観音霊場の御朱印
第69番 日野山 徳恩寺
横浜市港南区日野中央2-10-14
高野山真言宗
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:武州金沢三十四観音霊場第24番
司元別当:(日野)春日神社(港南区日野中央)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第70番 鬨宮山 東樹院
横浜市港南区笹下2-24-17
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:馬頭明王
他札所:武州金沢三十四観音霊場第28番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第71番 花翁山 慶珊寺
横浜市金沢区富岡東4-1-8
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第32番、金沢八景三十三札所第2番、第32番、かなざわの霊場めぐり第2番
司元別当:富岡八幡宮(金沢区富岡東)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第72番 地福山 宝珠院
横浜市金沢区富岡東5-8-19
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:金沢八景三十三札所第3番、かなざわの霊場めぐり第3番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第73番 海照山 持明院
横浜市金沢区富岡東5-8-34
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第33番、第34番、金沢八景三十三札所第4番、第33番、かなざわの霊場めぐり第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第74番 三療山 医王院 薬王寺
横浜市金沢区寺前2-23-52
真言宗御室派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第4番、金沢八景三十三札所第24番、かなざわの霊場めぐり第24番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第75番 金澤山 彌勒院 稱名寺
横浜市金沢区金沢町212-1
真言律宗
御本尊:弥勒菩薩
札所本尊:弥勒菩薩
他札所:武州金沢三十四観音霊場第1番、第2番、第3番、金沢八景三十三札所第26番、かなざわの霊場めぐり第26番
司元別当:
授与所:授与所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 ぼさつの寺めぐりの御朱印
第76番 此木山 西方寺 寶蔵院
横浜市金沢区柴町214
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:薬師如来
他札所:金沢八景三十三札所第25番、横浜金澤七福神(寿老人)、かなざわの霊場めぐり第25番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第77番 野鳥山 染王寺
横浜市金沢区野島町5-1
真言宗御室派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:金沢八景三十三札所第8番、金沢八景三十三札所第19番、かなざわの霊場めぐり第19番
司元別当:野島稲荷神社(金沢区野島町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第78番 知足山 彌勒院 龍華寺
横浜市金沢区洲崎9-31
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:金沢八景三十三札所第6番、第7番、金沢八景三十三札所第20番、横浜金澤七福神(大黒天)、富士見楽寿(ぼけ封じ)観音霊場第2番、かなざわの霊場めぐり第20番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜金澤七福神(大黒天)の御朱印
第79番 青龍山 東昌寺
逗子市池子2-8-33
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:三浦半島七阿弥陀霊場第1番、三浦半島四十八阿弥陀霊場第1番、湘南七福神(福禄寿)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
弘法大師の御朱印
第80番 黄雲山 地蔵密院 延命寺
逗子市逗子3-1-17
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:金剛界大日如来
他札所:三浦三十八地蔵尊霊場第24番、三浦二十八不動尊霊場第28番、三浦半島観音三十三札所第1番、三浦干支守り本尊八佛霊場第8番、湘南七福神(弁財天)
司元別当:亀岡八幡宮(逗子市逗子)
授与所:寺務所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 三浦三十八地蔵尊霊場の御朱印
【写真 上(左)】 三浦二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 三浦干支守り本尊八佛霊場の御朱印
湘南七福神(弁財天)の御朱印
第81番 南向山 帰命院 補陀洛寺
鎌倉市材木座6-7-31
真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:鎌倉三十三観音霊場第17番、相州二十一ヶ所霊場第10番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 鎌倉三十三観音霊場の御朱印
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第82番 泉谷山 浄光明寺
鎌倉市扇ガ谷2-12-1
真言宗泉涌寺派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:鎌倉三十三観音霊場第25番、鎌倉二十四地蔵霊場第16番、第17番、相州二十一ヶ所霊場第6番、鎌倉十三仏霊場第9番、鎌倉六阿弥陀霊場第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊(鎌倉六阿弥陀霊場)の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉三十三観音霊場の御朱印
【写真 上(左)】 鎌倉二十四地蔵霊場第16番の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉二十四地蔵霊場第17番の御朱印
【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉十三仏霊場の御朱印
第83番 普明山 法立寺 成就院
鎌倉市極楽寺1-1-5
真言宗大覚寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:鎌倉三十三観音霊場第21番、相州二十一ヶ所霊場第13番、鎌倉十三仏霊場第13番(星井寺)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 鎌倉三十三観音霊場の御朱印
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印
鎌倉十三仏霊場(星井寺)の御朱印
第84番 龍護山 満福寺
鎌倉市腰越2-4-8
真言宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:相州二十一ヶ所霊場第15番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第50番、小田急武相三十三観音霊場第33番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第85番 小動山 浄泉寺
鎌倉市腰越2-10-7
真言宗大覚寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:相州二十一ヶ所霊場第16番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第29番
司元別当:小動神社(鎌倉市腰越)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第86番 加持山 宝善院
鎌倉市腰越5-13-17
真言宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:相模国準四国八十八ヶ所霊場第40番、小田急武相三十三観音霊場第32番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第87番 寶盛山 薬師院 密蔵寺
藤沢市片瀬3-3-44
真言宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:観世音菩薩
他札所:相州二十一ヶ所霊場第17番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第17番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第88番 飯盛山 仁王院 青蓮寺
鎌倉市手広5-1-8
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:薬師如来
他札所:相州二十一ヶ所霊場第19番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第27番、関東八十八箇所霊場第59番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印(鎖大師)
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印(愛染明王)
関東八十八箇所霊場の御朱印
【 BGM 】
■ On My Own - Patti LaBelle feat. Michael McDonald
■ Never Too Far to Fall - George Benson
■ Has It Come To This - Amy Keys
第51番 泉久山 海照寺
横浜市磯子区坂下4-19
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第25番、横浜市内二十一ヶ所霊場第14番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第52番 明王山 不動院 寶積寺
横浜市磯子区上町7-13
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第26番、横浜市内二十一ヶ所霊場第13番、横浜磯子七福神(恵比寿)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜市内二十一ヶ所霊場・横浜市内三十三観音霊場の御朱印
第53番 青龍山 宝金剛院 寶生寺
横浜市南区堀ノ内町1-68
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:
他札所:横浜市内三十三観音霊場第31番、横浜磯子七福神(寿老人)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
※不授与の模様です。
横浜磯子七福神(寿老人)のスタンプ
第54番 妙法山 観世音寺 弘誓院
横浜市南区睦町2-221
高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第30番、横浜市内二十一ヶ所霊場第10番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜市内三十三観音霊場の御朱印
第55番 南龍山 不動院 無量寺
横浜市南区蒔田町174
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第33番、武相二十八不動尊霊場第番16番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第7番
司元別当:(蒔田)杉山神社(南区宮元町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武相二十八不動尊霊場の御朱印
第56番 松峯山 宝杉院 大光寺
横浜市南区南太田町2-167
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第6番、横浜市内二十一ヶ所霊場第9番
司元別当:(太田)杉山神社(南区南太田)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第57番 十輪山 延命寺 西光院
横浜市南区永田東1-22-3
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩?
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:
司元別当:(永田)春日神社(南区永田東)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第58番 西向山 妙觀院 乗蓮寺
横浜市南区井土ヶ谷上町33-1
高野山真言宗
御本尊:阿彌陀三尊・不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:
司元別当:住吉神社(南区井土ヶ谷上町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第59番 引越山 福壽院 定光寺
横浜市南区六ッ川町1-270
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:薬師如来
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第60番 瑞應山 蓮華院 弘明寺
横浜市南区弘明寺町267
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:大日如来
他札所:坂東三十三箇所(観音霊場)第14番、横浜市内三十三観音霊場第33番、武相二十八不動尊霊場第18番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第2番、七観音霊場第2番
司元別当:
授与所:山内授与所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 弘法大師の御朱印
【写真 下(右)】 坂東三十三箇所(観音霊場)の御朱印
【写真 上(左)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 七観音霊場の御朱印
※他にも多種の御朱印を授与されています。
第61番 慈雲山 如意珠院 吉祥寺
横浜市南区大岡1-6-1
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:大日如来
他札所:
司元別当:(下大岡村)若宮社
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第62番 雨寶山 瑠璃院 萬福寺
横浜市南区大岡5-39-17
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:
司元別当:(下大岡村)神明社・諏訪社
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第63番 大岡山 蓮上院 眞光寺
横浜市港南区上大岡東3-1-1
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:毘沙門天王
他札所:武相四十八ヶ所不動尊霊場第32番
司元別当:上大岡鹿嶋神社(港南区上大岡西)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第64番 瑠璃山 金剛院
横浜市磯子区岡村5-3-1
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:横浜磯子七福神(大黒天)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜磯子七福神(大黒天)の御朱印
第65番 西岸山 蓮華寺 千手院
横浜市港南区最戸2-21-1
真言宗大覚寺派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:一光三尊
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第66番 大久保山 地蔵寺 自性院
横浜市港南区大久保2-34-15
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:
司元別当:青木神社(港南区大久保)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第67番 南光山 慈眼寺 福聚院
横浜市港南区港南1-3-2
高野山真言宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第27番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武州金沢三十四観音霊場の御朱印
第68番 福聚山 光明寺
横浜市港南区日野7-19-19
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第25番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第33番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武州金沢三十四観音霊場の御朱印
第69番 日野山 徳恩寺
横浜市港南区日野中央2-10-14
高野山真言宗
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:武州金沢三十四観音霊場第24番
司元別当:(日野)春日神社(港南区日野中央)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第70番 鬨宮山 東樹院
横浜市港南区笹下2-24-17
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:馬頭明王
他札所:武州金沢三十四観音霊場第28番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第71番 花翁山 慶珊寺
横浜市金沢区富岡東4-1-8
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第32番、金沢八景三十三札所第2番、第32番、かなざわの霊場めぐり第2番
司元別当:富岡八幡宮(金沢区富岡東)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第72番 地福山 宝珠院
横浜市金沢区富岡東5-8-19
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:金沢八景三十三札所第3番、かなざわの霊場めぐり第3番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第73番 海照山 持明院
横浜市金沢区富岡東5-8-34
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第33番、第34番、金沢八景三十三札所第4番、第33番、かなざわの霊場めぐり第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第74番 三療山 医王院 薬王寺
横浜市金沢区寺前2-23-52
真言宗御室派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:武州金沢三十四観音霊場第4番、金沢八景三十三札所第24番、かなざわの霊場めぐり第24番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第75番 金澤山 彌勒院 稱名寺
横浜市金沢区金沢町212-1
真言律宗
御本尊:弥勒菩薩
札所本尊:弥勒菩薩
他札所:武州金沢三十四観音霊場第1番、第2番、第3番、金沢八景三十三札所第26番、かなざわの霊場めぐり第26番
司元別当:
授与所:授与所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 ぼさつの寺めぐりの御朱印
第76番 此木山 西方寺 寶蔵院
横浜市金沢区柴町214
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:薬師如来
他札所:金沢八景三十三札所第25番、横浜金澤七福神(寿老人)、かなざわの霊場めぐり第25番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊の御朱印
第77番 野鳥山 染王寺
横浜市金沢区野島町5-1
真言宗御室派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:金沢八景三十三札所第8番、金沢八景三十三札所第19番、かなざわの霊場めぐり第19番
司元別当:野島稲荷神社(金沢区野島町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第78番 知足山 彌勒院 龍華寺
横浜市金沢区洲崎9-31
真言宗御室派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:金沢八景三十三札所第6番、第7番、金沢八景三十三札所第20番、横浜金澤七福神(大黒天)、富士見楽寿(ぼけ封じ)観音霊場第2番、かなざわの霊場めぐり第20番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜金澤七福神(大黒天)の御朱印
第79番 青龍山 東昌寺
逗子市池子2-8-33
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:三浦半島七阿弥陀霊場第1番、三浦半島四十八阿弥陀霊場第1番、湘南七福神(福禄寿)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
弘法大師の御朱印
第80番 黄雲山 地蔵密院 延命寺
逗子市逗子3-1-17
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:金剛界大日如来
他札所:三浦三十八地蔵尊霊場第24番、三浦二十八不動尊霊場第28番、三浦半島観音三十三札所第1番、三浦干支守り本尊八佛霊場第8番、湘南七福神(弁財天)
司元別当:亀岡八幡宮(逗子市逗子)
授与所:寺務所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 三浦三十八地蔵尊霊場の御朱印
【写真 上(左)】 三浦二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 三浦干支守り本尊八佛霊場の御朱印
湘南七福神(弁財天)の御朱印
第81番 南向山 帰命院 補陀洛寺
鎌倉市材木座6-7-31
真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:鎌倉三十三観音霊場第17番、相州二十一ヶ所霊場第10番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 鎌倉三十三観音霊場の御朱印
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第82番 泉谷山 浄光明寺
鎌倉市扇ガ谷2-12-1
真言宗泉涌寺派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:鎌倉三十三観音霊場第25番、鎌倉二十四地蔵霊場第16番、第17番、相州二十一ヶ所霊場第6番、鎌倉十三仏霊場第9番、鎌倉六阿弥陀霊場第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊(鎌倉六阿弥陀霊場)の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉三十三観音霊場の御朱印
【写真 上(左)】 鎌倉二十四地蔵霊場第16番の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉二十四地蔵霊場第17番の御朱印
【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉十三仏霊場の御朱印
第83番 普明山 法立寺 成就院
鎌倉市極楽寺1-1-5
真言宗大覚寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:鎌倉三十三観音霊場第21番、相州二十一ヶ所霊場第13番、鎌倉十三仏霊場第13番(星井寺)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 鎌倉三十三観音霊場の御朱印
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印
鎌倉十三仏霊場(星井寺)の御朱印
第84番 龍護山 満福寺
鎌倉市腰越2-4-8
真言宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:相州二十一ヶ所霊場第15番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第50番、小田急武相三十三観音霊場第33番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第85番 小動山 浄泉寺
鎌倉市腰越2-10-7
真言宗大覚寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:相州二十一ヶ所霊場第16番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第29番
司元別当:小動神社(鎌倉市腰越)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第86番 加持山 宝善院
鎌倉市腰越5-13-17
真言宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:相模国準四国八十八ヶ所霊場第40番、小田急武相三十三観音霊場第32番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第87番 寶盛山 薬師院 密蔵寺
藤沢市片瀬3-3-44
真言宗大覚寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:観世音菩薩
他札所:相州二十一ヶ所霊場第17番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第17番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
相州二十一ヶ所霊場の御朱印
第88番 飯盛山 仁王院 青蓮寺
鎌倉市手広5-1-8
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:薬師如来
他札所:相州二十一ヶ所霊場第19番、相模国準四国八十八ヶ所霊場第27番、関東八十八箇所霊場第59番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印(鎖大師)
【写真 下(右)】 相州二十一ヶ所霊場の御朱印(愛染明王)
関東八十八箇所霊場の御朱印
【 BGM 】
■ On My Own - Patti LaBelle feat. Michael McDonald
■ Never Too Far to Fall - George Benson
■ Has It Come To This - Amy Keys
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■ 鈴を転がすような声 ~ 究極のハイトーンボイス ~
貝田百合子さんと華原朋美さんを追加して10人にしました。
-------------------------
2023/06/12 UP
8人目に遥海さんを追加しました。
-------------------------
2023/03/20 UP
関ジャムで薬師丸ひろ子の特集やってました。
本人出演で生ピアノ1本でスタジオで歌ってた。
やはり素晴らしい歌声だった。
番組では「鈴を転がすような声」と表現してたけど、こういう表現を贈れる歌い手はそうそういない。
どうしたらこういう歌声になるのか、ということをつらつら考えてみました。
要件-1.1/fゆらぎをもっていること
鈴の音はおそらく1/fゆらぎをもっているから、これは絶対条件だと思う。
1/fゆらぎはたぶん練習して身につけられるものじゃないから、この1点だけで該当者が激減りする。
1/fゆらぎをもっていれば、当然ヒーリング・ボイスになります。
※「1/fゆらぎ」についてはこちらをみてね。
要件-2.倍音をもっていること
声質がうすっぺらくなくて奥行きと広がりがある。
そして耳ざわりがつややか。
だから超ハイトーンでもけっして尖らない。
これも天性の才能だと思う。
要件-3.自然なビブラートをもっていること
ロングトーンのあとにムリくり掛けるようなあざといビブじゃなくて、自然にかかってしまうビブ。
歌いはじめや音節の途中で絶妙にかかるビブ。
横隔膜からくるビブですね。
これは、出せる人はそれなりにいると思う。(歌うまのごく一部だけど・・・)
要件-4.ブレスを味わいやフックに変えられること
これはむずかしい。
ふつうブレスは難関だけど、これを聴かせどころに変えてしまうわけだから。
声優系はこれが巧い人が多い。
要件-5.換声点がはっきりしないこと
地声と裏声が切り替わる声域を「換声点」といいますが、これがほとんどわからないこと。
地声と裏声を混ぜて「換声点」を乗り切るテクに「ミックスボイス」がありますが、それとも違うと思う。
ハイトーンになるほど力感が増していくので、「ミックスボイス」ではないと思う。
ひょっとすると地声のままで超ハイトーンまでもっていけるのかも。
でも、ファルセット(裏声説と非裏声説あり)も出せるから「換声点」はもっているのかもしれず・・・。
このあたりはよくわからん(笑)
要件-6.声に透明感と広がりがあること
天空に舞い上がるような美しく広がるハイトーン。
聴いていて胸のすくような高揚感を感じる声。
これがなければ「鈴を転がすような声」にはならない。
要件-7.声に感情がこもっていること
淡々と歌っていても聴き手のこころを打つ。
切なさを秘めているけど、聴き手を元気づけるような声。
じっさい、関ジャムで薬師丸ひろ子は淡々と歌っていたけど、圧倒的なインパクトがあった。
心打たれるから余韻がのこる。
そしてもっと別の歌を聴きたくなる。
声楽、オペラやミュージカルで美声でテクニカルな歌い手はいくらもいるけど、この1点でおよばない例が多いのでは?
おそらく、要件-1.の1/fゆらぎと関連してると思う。
-------------------------
筆者はハイトーン女性ボーカルフリークなので(笑)、たくさんの歌い手を聴いてきました。
→ ■ 透明感のある女性ヴォーカル50曲
→ ■ 女神系歌姫-1 【 Angel Voice列伝 01-50 】
→ ■ 女神系歌姫-2 【 Angel Voice列伝 51-100 】
声の綺麗な、歌の巧い歌い手はたくさんいるけど、この7つの要件すべてを満たしていると思うのは、わずか7人しか浮かばない。
以下にご紹介してみます。
コメントはひとまずざっくりと。まずはとにかく聴いてみてください。
1.薬師丸ひろ子
■ Woman Wの悲劇 より
ユーミン(呉田軽穂)屈指の名曲と噂されるハイトーン曲。
声質に魅力がなければ、おそらく歌そのものの存在感に負けてしまう。
■ 時代
1980年代のブレーク時にも当然聴いていたけど、ここまでのシンガーになるとは。
歌いまわしもさることながら、女優ならではのステージングの巧みさはハンパない。
2.小鳩くるみ
■ 早春賦
本名は鷲津名都江。アタックNo.1の鮎原こずえの声優としても知られる。
この混じり気のない透明感あふれるハイトーンは、歴代の日本の歌手でも屈指だと思う。
3.八神純子
■ 思い出は美しすぎて
ハイトーンを語るのにこの人は欠かせない。コピーできただけで拍手喝采の超絶ハイトーン曲多数。
4.とみたゆう子
■ 海のキャトル・セゾン
”ミルキーヴォイス”と呼ばれた抜群の美声。爽快感をもちAC系の楽曲にもよく乗っていた。
5.夏川りみ
■ 月のかほり
声質のよさはJ-POP史上屈指だと思う。
6.熊田このは
■ A Whole New World 〔with/二木蒼生〕(Covered)
あふれ出る1/fゆらぎ。
切なさを秘めながらも聴き手を元気づける、透明感&高揚感あふれるハイトーンは唯一無二。
7.YURiCa/花たん
■ 雪の華(Covered)
このバイオリンのような艶と究極のハイトーンビブはワン&オンリーの個性。
8.貝田百合子
■ 梶浦由記「Yuki Kajiura LIVE vol.#16 ~Sing a Song Tour~『overtune〜Beginning』」
美声揃いのFictionJunctionのなかでも、ひときわ透き通ったハイトーンを繰り出す。
(5:20~ の貝田さんのハイトーン!)
声楽出身だけど、形にはまらず縦横無尽に繰り出す声色。
9.華原朋美
■ LOVE BRACE(2013/11/25 NHKホール)
小室哲哉氏が渾身の名曲の多くを華原朋美に注いだ理由がわかる気がする。
というか、この曲は華原朋美にしか歌えない。
世が世なら、第一線を走りつづけられた希有の実力。
10.遥海
■ 『answer』 Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)
ハイトーンを強調する歌い方じゃないけど、ときおり繰り出す繊細なハイトーンは絶品。
魂の歌声。
この才能をメジャーシーンに押し上げられないいまの音楽業界って・・・。
【 関連記事 】
■ 透明感のある女性ヴォーカル50曲
■ 本当に上手い女性シンガー12人!
■ 【 音楽コラム 】 「ヒーリング・ミュージック」リニューアルUP
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2023/06/12 UP
8人目に遥海さんを追加しました。
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2023/03/20 UP
関ジャムで薬師丸ひろ子の特集やってました。
本人出演で生ピアノ1本でスタジオで歌ってた。
やはり素晴らしい歌声だった。
番組では「鈴を転がすような声」と表現してたけど、こういう表現を贈れる歌い手はそうそういない。
どうしたらこういう歌声になるのか、ということをつらつら考えてみました。
要件-1.1/fゆらぎをもっていること
鈴の音はおそらく1/fゆらぎをもっているから、これは絶対条件だと思う。
1/fゆらぎはたぶん練習して身につけられるものじゃないから、この1点だけで該当者が激減りする。
1/fゆらぎをもっていれば、当然ヒーリング・ボイスになります。
※「1/fゆらぎ」についてはこちらをみてね。
要件-2.倍音をもっていること
声質がうすっぺらくなくて奥行きと広がりがある。
そして耳ざわりがつややか。
だから超ハイトーンでもけっして尖らない。
これも天性の才能だと思う。
要件-3.自然なビブラートをもっていること
ロングトーンのあとにムリくり掛けるようなあざといビブじゃなくて、自然にかかってしまうビブ。
歌いはじめや音節の途中で絶妙にかかるビブ。
横隔膜からくるビブですね。
これは、出せる人はそれなりにいると思う。(歌うまのごく一部だけど・・・)
要件-4.ブレスを味わいやフックに変えられること
これはむずかしい。
ふつうブレスは難関だけど、これを聴かせどころに変えてしまうわけだから。
声優系はこれが巧い人が多い。
要件-5.換声点がはっきりしないこと
地声と裏声が切り替わる声域を「換声点」といいますが、これがほとんどわからないこと。
地声と裏声を混ぜて「換声点」を乗り切るテクに「ミックスボイス」がありますが、それとも違うと思う。
ハイトーンになるほど力感が増していくので、「ミックスボイス」ではないと思う。
ひょっとすると地声のままで超ハイトーンまでもっていけるのかも。
でも、ファルセット(裏声説と非裏声説あり)も出せるから「換声点」はもっているのかもしれず・・・。
このあたりはよくわからん(笑)
要件-6.声に透明感と広がりがあること
天空に舞い上がるような美しく広がるハイトーン。
聴いていて胸のすくような高揚感を感じる声。
これがなければ「鈴を転がすような声」にはならない。
要件-7.声に感情がこもっていること
淡々と歌っていても聴き手のこころを打つ。
切なさを秘めているけど、聴き手を元気づけるような声。
じっさい、関ジャムで薬師丸ひろ子は淡々と歌っていたけど、圧倒的なインパクトがあった。
心打たれるから余韻がのこる。
そしてもっと別の歌を聴きたくなる。
声楽、オペラやミュージカルで美声でテクニカルな歌い手はいくらもいるけど、この1点でおよばない例が多いのでは?
おそらく、要件-1.の1/fゆらぎと関連してると思う。
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筆者はハイトーン女性ボーカルフリークなので(笑)、たくさんの歌い手を聴いてきました。
→ ■ 透明感のある女性ヴォーカル50曲
→ ■ 女神系歌姫-1 【 Angel Voice列伝 01-50 】
→ ■ 女神系歌姫-2 【 Angel Voice列伝 51-100 】
声の綺麗な、歌の巧い歌い手はたくさんいるけど、この7つの要件すべてを満たしていると思うのは、わずか7人しか浮かばない。
以下にご紹介してみます。
コメントはひとまずざっくりと。まずはとにかく聴いてみてください。
1.薬師丸ひろ子
■ Woman Wの悲劇 より
ユーミン(呉田軽穂)屈指の名曲と噂されるハイトーン曲。
声質に魅力がなければ、おそらく歌そのものの存在感に負けてしまう。
■ 時代
1980年代のブレーク時にも当然聴いていたけど、ここまでのシンガーになるとは。
歌いまわしもさることながら、女優ならではのステージングの巧みさはハンパない。
2.小鳩くるみ
■ 早春賦
本名は鷲津名都江。アタックNo.1の鮎原こずえの声優としても知られる。
この混じり気のない透明感あふれるハイトーンは、歴代の日本の歌手でも屈指だと思う。
3.八神純子
■ 思い出は美しすぎて
ハイトーンを語るのにこの人は欠かせない。コピーできただけで拍手喝采の超絶ハイトーン曲多数。
4.とみたゆう子
■ 海のキャトル・セゾン
”ミルキーヴォイス”と呼ばれた抜群の美声。爽快感をもちAC系の楽曲にもよく乗っていた。
5.夏川りみ
■ 月のかほり
声質のよさはJ-POP史上屈指だと思う。
6.熊田このは
■ A Whole New World 〔with/二木蒼生〕(Covered)
あふれ出る1/fゆらぎ。
切なさを秘めながらも聴き手を元気づける、透明感&高揚感あふれるハイトーンは唯一無二。
7.YURiCa/花たん
■ 雪の華(Covered)
このバイオリンのような艶と究極のハイトーンビブはワン&オンリーの個性。
8.貝田百合子
■ 梶浦由記「Yuki Kajiura LIVE vol.#16 ~Sing a Song Tour~『overtune〜Beginning』」
美声揃いのFictionJunctionのなかでも、ひときわ透き通ったハイトーンを繰り出す。
(5:20~ の貝田さんのハイトーン!)
声楽出身だけど、形にはまらず縦横無尽に繰り出す声色。
9.華原朋美
■ LOVE BRACE(2013/11/25 NHKホール)
小室哲哉氏が渾身の名曲の多くを華原朋美に注いだ理由がわかる気がする。
というか、この曲は華原朋美にしか歌えない。
世が世なら、第一線を走りつづけられた希有の実力。
10.遥海
■ 『answer』 Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)
ハイトーンを強調する歌い方じゃないけど、ときおり繰り出す繊細なハイトーンは絶品。
魂の歌声。
この才能をメジャーシーンに押し上げられないいまの音楽業界って・・・。
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■ 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印-1
鎌倉、材木座の南向山 補陀落寺。
こちらは鎌倉三十三観音霊場第16番の札所で、鎌倉観音霊場巡拝で訪れる人は少なくありません。
こちらは相州二十一ヶ所霊場第10番の札所でもあって、かなりマニアック(?)な霊場ですが、それでもある程度の巡拝者はいるかと思われます。
鎌倉三十三観音霊場の御朱印尊格は御本尊の十一面観世音菩薩。
相州二十一ヶ所霊場の御朱印尊格は「秘鍵大師」です。
ところがWeb検索でごく希に「千手観世音」の御朱印がヒットすることがあります。
これが新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印です。
【写真 上(左)】 補陀落寺の鎌倉観音霊場の御朱印
【写真 下(右)】 補陀落寺の相州二十一ヶ所の御朱印
■ 補陀落寺の新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印
新四国東国八十八ヶ所霊場は川崎から横浜、そして逗子、鎌倉、藤沢と巡拝する神奈川県の弘法大師霊場(八十八ヶ所)です。
初番・発願は川崎大師(平間寺)、第88番の結願は鎌倉・手広の青蓮寺。
番外や掛所はなく、八十八の札所はすべて真言宗寺院です。
札所一覧は→こちら(「ニッポンの霊場」様)
【写真 上(左)】 初番・発願の川崎大師(平間寺)の御朱印
【写真 下(右)】 第88番・結願の青蓮寺の御朱印
川崎エリアの札所は玉川八十八ヶ所との重複札所が多く、どうしても情報が多く専用納経帳も用意されている玉川八十八ヶ所霊場から巡拝することになります。
玉川八十八ヶ所霊場の初番・発願も川崎大師(平間寺)で、こちらは平間寺様がとりまとめを担われている模様。
一方、新四国東国霊場は現在、平間寺様はとりまとめにノータッチとみられ、新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印は授与されていません。
そんなこともあって新四国東国霊場の御朱印コンプリートは困難とあきらめていましたが、こつこつとまわっているうちに、意外に札所印つきの御朱印をいただけることに気づき、弘法大師御生誕1250年の今年の結願をもくろみ、数年がかりでようやく結願に漕ぎ着けました。
新四国東国霊場はすこぶる情報が少なく、ガイドブックはおろかリーフレットさえみたことがありません。
そのわりにしっかりとした札所標が設置されていたりして、どうもナゾの多い霊場です。
88の札所のうち御朱印を拝受できたのは87(残る1寺は七福神スタンプ)。その多くは札所印つきです。
お納めは概ね300円。専用納経帳がないので揮毫(書入れ)、印判捺、書置と授与形態は多彩です。
新四国東国霊場で面白いのは、ふつう弘法大師霊場では御本尊ないし弘法大師が札所本尊となりますが、新四国東国霊場では別尊や境内仏が札所本尊となる例がみられることです。
玉川八十八ヶ所霊場の札所本尊はおおむね御本尊なので、玉川、東国両札所兼任のお寺様ではそれぞれ異なる尊格の御朱印を拝受できる場合があります。
■ 上記の例/龍宿山 西明寺(川崎市中原区小杉御殿町/第9番)
【写真 上(左)】 玉川霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東国霊場の御朱印
↑ 玉川霊場は御本尊の金剛界大日如来、東国霊場は釈迦如来。
■ 坂東霊場と御朱印尊格が異なる例/瑞応山 弘明寺(横浜市南区弘明寺町/第60番)
【写真 上(左)】 坂東霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東国霊場の御朱印
↑ 坂東霊場は御本尊の十一面観世音菩薩、東国霊場は金剛界大日如来。
実際、新四国東国霊場の札所本尊については情報が少ないため、拝所がよくわからず、先に御朱印をお願いすると同時に札所本尊についてお伺いするというかたちをとりました。(拝所が本堂ではない場合がある。)
札所の多くは他霊場との兼務で、新四国東国霊場は巡拝者が少ないため御朱印申告時は要注意です。
「八十八ヶ所」で申告すると玉川霊場、「弘法大師霊場」で申告すると相州二十一ヶ所と間違われる可能性があります。
実際、申告時に「東国霊場の御朱印ですね」と念を押されたケースが何度もありました。
しっかり「新四国東国霊場第●番でお願いします。」とお伝えすると間違いがないかと思います。
また、筆者は新四国東国霊場専用の御朱印帳をつくって巡拝したのですが、この場合はすべての御朱印がこの霊場なので間違いが少なくなると思います。
重複霊場としては、
川崎エリアで玉川八十八ヶ所霊場、東海三十三観音霊場、准秩父三十四観音霊場、准四国稲毛三十三観音霊場、武相二十八不動、川崎七福神。
横浜東部エリアで玉川八十八ヶ所霊場、准秩父三十四観音霊場、武相卯歳四十八観音霊場、旧小机領三十三観音霊場、横浜七福神。
横浜西南部エリアで坂東霊場、武州金沢三十四観音霊場、横浜磯子七福神、横浜金澤七福神。
逗子・鎌倉エリアで鎌倉三十三観音霊場、鎌倉二十四地蔵霊場、相州二十一ヶ所霊場、鎌倉十三仏霊場、相模国準四国八十八ヶ所霊場、小田急武相三十三観音霊場、関東八十八箇所霊場などがあります。
札所寺院は駅から離れたところがあり、札所範囲も広いため車での巡拝が有効です。
おおむね駐車場はありますが、入り組んだ路地や高低差のあるアプローチが多く、運転にはかなり気を使います。
見どころが多い札所もあるので、時間に余裕をもった巡拝をおすすめします。
それでは、順に御朱印をご紹介していきます。
新四国東国霊場の札所本尊は御本尊と異なるケースがあること、またエリア毎に兼務霊場が変わっていく様子もわかるので、拝受した御朱印はすべて掲載します。
第1番 金剛山 金乗院 平間寺(川崎大師)
川崎市川崎区大師町4-48
真言宗智山派
御本尊:弘法大師
札所本尊:
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第1番、関東八十八箇所霊場特別霊場、関東三十六不動尊霊場第7番、武相二十八不動尊霊場第1番、東海三十三観音霊場第33番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第1番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第15番
司元別当:大師稲荷神社(川崎区中瀬)
授与所:授与所
※平間寺様では、新四国東国霊場の御朱印は授与されていません。
〔 御本尊の御朱印 〕
【写真 上(左)】 薬師殿の御朱印
【写真 下(右)】 自動車交通安全祈祷殿の御朱印
関東八十八箇所霊場の御朱印
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
【写真 上(左)】 関東三十六不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
第2番 瑠璃光山 金剛院 真福寺
川崎市川崎区堀之内町11-7
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第13番、東海三十三観音霊場番外、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第11番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第3番 大島山 般若院 真観寺
川崎市川崎区大島2-10-16
真言宗智山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第2番、東海三十三観音霊場第4番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第2番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第4番 明王山 聖無動寺 成就院
川崎市川崎区渡田3-8-1
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:大日如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第4番、東海三十三観音霊場第5番、武相二十八不動尊霊場第27番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
武相二十八不動尊霊場の御朱印
第5番 金澤山 福泉寺 圓能院
川崎市川崎区小田1-25-12
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:延命地蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第6番、東海三十三観音霊場第6番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第5番
司元別当:日枝大神社(川崎区小田)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第6番 圓明山 宝蔵院 延命寺
川崎市幸区都町4-2
真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第14番、東海三十三観音霊場第15番
司元別当:女躰大神(幸区幸町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第7番 瑠璃光山 長壽院 無量寺
川崎市中原区中丸子498
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第17番、川崎七福神(寿老神)、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第30番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
第8番 西光山 東福寺
川崎市中原区市ノ坪45
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第21番、准秩父三十四観音霊場第10番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第32番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 准秩父三十四観音霊場の御朱印
第9番 龍宿山 金剛院 西明寺
川崎市中原区小杉御殿町1-906
真言宗智山派
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第20番、准四国稲毛三十三観音霊場第18番、川崎七福神(大黒天)、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第36番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 准四国稲毛三十三観音霊場の御朱印
川崎七福神(大黒天)の御朱印
第10番 光明山 遍照院 金剛寺
横浜市鶴見区市場下町6-33
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第11番、東海三十三観音霊場第9番
司元別当:(鶴見)熊野神社
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第11番 金胎山 東住院 東漸寺
横浜市鶴見区潮田町3-144-2
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第7番、東海三十三観音霊場第30番
司元別当:潮田神社(鶴見区潮田町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第12番 愛宕山 寳蔵院
横浜市鶴見区馬場4-7-5
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第12番、武相二十八不動尊霊場第21番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
第13番 摩尼山 長松寺
横浜市鶴見区駒岡町3-4-22
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第81番、武相二十八不動尊霊場第17番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
第14番 子生山 東福寺
横浜市鶴見区鶴見1-3-5
真言宗智山派
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第10番、東海三十三観音霊場第14番、武相二十八不動尊霊場第20番、旧小机領三十三観音霊場第10番、鶴見七福神(毘沙門天)、武相四十八ヶ所不動尊霊場第29番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
【写真 上(左)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 旧小机領三十三観音霊場の御朱印
鶴見七福神(毘沙門天)の御朱印
第15番 生麦山 無動院 龍泉寺
横浜市鶴見区岸谷4-3-2
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第9番、東海三十三観音霊場第8番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第8番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第16番 密厳山 不動寺 遍照院
横浜市神奈川区子安通3-382
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊・不動明王の御朱印
第17番 医光山 薬王寺
横浜市神奈川区七島町6
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:武南十二薬師霊場第9番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武南十二薬師霊場第9番の御朱印
第18番 海運山 満願院 能満寺
横浜市神奈川区東神奈川2-32-1
高野山真言宗
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:武南十二薬師霊場第10番
司元別当:笠䅣稲荷神社(神奈川区東神奈川)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武南十二薬師霊場第10番の御朱印
第19番 平尾山 東光寺
横浜市神奈川区東神奈川2-37-6
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:武南十二薬師霊場第11番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武南十二薬師霊場第11番の御朱印
第20番 神鏡山 東曼陀羅寺 金蔵院
横浜市神奈川区東神奈川1-4-3
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第3番
司元別当:(神奈川)熊野神社(神奈川区東神奈川)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
第21番 洲崎山 功徳院 普門寺
横浜市神奈川区青木通3-18
真言宗智山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:
司元別当:洲崎大神(神奈川区青木町)、大綱金刀比羅神社(神奈川区台町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第22番 海浦山 新源院 吉祥寺
横浜市神奈川区白楽98
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:弘法大師
他札所:
司元別当:
授与所:第20番金蔵院
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第23番 妙智山 歓成院
横浜市港北区大倉山2-8-7
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:旧小机領三十三観音霊場第12番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
旧小机領三十三観音霊場の御朱印
第24番 八幡山 観音寺
横浜市港北区篠原町2777
真言宗智山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第82番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
第25番 瑞雲山 本覚院 三會寺
横浜市港北区鳥山町730
高野山真言宗
御本尊:弥勒菩薩
札所本尊:延命地蔵菩薩
他札所:武相二十八不動尊霊場第14番、旧小机領三十三観音霊場第2番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 旧小机領三十三観音霊場の御朱印
第26番 普賢山 安楽寺 香象院
横浜市保土ヶ谷区岩間町2-153
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第27番 医王山 延壽院 遍照寺
横浜市保土ヶ谷区月見台291
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:
司元別当:牛頭天王社(保土ケ谷区天王町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第28番 西方山 安樹院 大仙寺
横浜市保土ヶ谷区霞台14
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:金剛界大日如来
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第29番 羯摩山 密藏院 圓福寺
横浜市保土ヶ谷区西久保137
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第11番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第30番 金巌山 櫻壽院 安楽寺
横浜市保土ヶ谷区西久保120
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第31番 法亀山 地寿福院 願成寺
横浜市西区西戸部町3-290
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第12番、横浜市内二十一ヶ所霊場第3番
司元別当:(戸部)杉山神社(西区中央)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第32番 医王山 光明院 東光寺
横浜市南区三春台110
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第7番、横浜市内二十一ヶ所霊場第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第33番 東光山 医王寺 蓮華院
横浜市南区三春台19
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第5番、横浜市内二十一ヶ所霊場第8番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第34番 東医山 薬王寺
横浜市南区三春台7
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第4番、横浜市内二十一ヶ所霊場第7番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第35番 福智山 不動寺 普門院
横浜市南区西仲町1-2-6
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第3番、横浜市内二十一ヶ所霊場第6番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第36番 光明山 遍照院 東福寺
横浜市西区赤門町2-17
高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:不動明王(波切不動尊)
他札所:横浜市内三十三観音霊場第2番、横浜市内二十一ヶ所霊場第5番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第37番 日明山 宝泉寺 大聖院
横浜市西区元久保5-20
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第1番、横浜市内二十一ヶ所霊場第1番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第38番 成田山 横浜別院 延命院
横浜市西区宮崎町30
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:関東三十六不動尊霊場第3番、横浜市内二十一ヶ所霊場第2番
司元別当:
授与所:授与所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
関東三十六不動尊霊場の御朱印
第39番 大慈山 瑠璃院 玉泉寺
横浜市南区中村町1-6-1
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第29番、横浜市内二十一ヶ所霊場第11番
司元別当:中村八幡宮(南区八幡町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第40番 海龍山 本泉寺 増徳院
横浜市南区平楽103
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:弘法大師(秘鍵大師)
他札所:横浜市内三十三観音霊場第16番、横浜市内二十一ヶ所霊場第21番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第23番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第41番 天沼山 威德院 東漸寺
横浜市中区大平町101
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第27番、横浜市内二十一ヶ所霊場第12番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第42番 地福寺
横浜市南区平楽103 第40番増徳院内に移転
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:
司元別当:
授与所:第40番増徳院
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第43番 佛海山 宝光院 天徳寺
横浜市中区和田山1-1
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第17番、横浜市内二十一ヶ所霊場第20番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第44番 醫王山 成願寺 多聞院
横浜市中区本牧元町2-16
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:弘法大師
他札所:横浜市内三十三観音霊場第19番、横浜市内二十一ヶ所霊場第18番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第45番 東光山 千蔵寺
横浜市中区本牧元町12-16
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第18番、横浜市内二十一ヶ所霊場第19番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第46番 間門山 東福院
横浜市中区本牧荒井64
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如來
札所本尊:金剛界大日如來
他札所:横浜市内三十三観音霊場第17番、横浜市内二十一ヶ所霊場第20番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第47番 根岸山 覚王寺 大聖院
横浜市磯子区東町6-20
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第15番、横浜市内二十一ヶ所霊場第21番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第48番 海向山 岩松寺 金蔵院
横浜市磯子区磯子4-3-6
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第22番、横浜磯子七福神(弁財天)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜磯子七福神(弁財天)の御朱印
第49番 禪馬山 不動院 真照寺
横浜市磯子区磯子8-14-12
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:釈迦牟尼佛
他札所:横浜市内三十三観音霊場第23番、横浜磯子七福神(毘沙門天)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 横浜磯子七福神(毘沙門天)の御朱印
第50番 龍頭山 明王寺 密蔵院
横浜市磯子区滝頭3-13-5
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第24番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第24番、横浜磯子七福神(布袋尊)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 横浜磯子七福神(布袋尊)の御朱印
以下、■ 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印-2につづきます。
【 BGM 】
■ Just The Two Of Us - Grover Washington Jr. (feat. Bill Withers)
■ We Are One - MAZE feat. Frankie Beverly
■Remind Me (Remastered) - Patrice Rushen
こちらは鎌倉三十三観音霊場第16番の札所で、鎌倉観音霊場巡拝で訪れる人は少なくありません。
こちらは相州二十一ヶ所霊場第10番の札所でもあって、かなりマニアック(?)な霊場ですが、それでもある程度の巡拝者はいるかと思われます。
鎌倉三十三観音霊場の御朱印尊格は御本尊の十一面観世音菩薩。
相州二十一ヶ所霊場の御朱印尊格は「秘鍵大師」です。
ところがWeb検索でごく希に「千手観世音」の御朱印がヒットすることがあります。
これが新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印です。
【写真 上(左)】 補陀落寺の鎌倉観音霊場の御朱印
【写真 下(右)】 補陀落寺の相州二十一ヶ所の御朱印
■ 補陀落寺の新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印
新四国東国八十八ヶ所霊場は川崎から横浜、そして逗子、鎌倉、藤沢と巡拝する神奈川県の弘法大師霊場(八十八ヶ所)です。
初番・発願は川崎大師(平間寺)、第88番の結願は鎌倉・手広の青蓮寺。
番外や掛所はなく、八十八の札所はすべて真言宗寺院です。
札所一覧は→こちら(「ニッポンの霊場」様)
【写真 上(左)】 初番・発願の川崎大師(平間寺)の御朱印
【写真 下(右)】 第88番・結願の青蓮寺の御朱印
川崎エリアの札所は玉川八十八ヶ所との重複札所が多く、どうしても情報が多く専用納経帳も用意されている玉川八十八ヶ所霊場から巡拝することになります。
玉川八十八ヶ所霊場の初番・発願も川崎大師(平間寺)で、こちらは平間寺様がとりまとめを担われている模様。
一方、新四国東国霊場は現在、平間寺様はとりまとめにノータッチとみられ、新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印は授与されていません。
そんなこともあって新四国東国霊場の御朱印コンプリートは困難とあきらめていましたが、こつこつとまわっているうちに、意外に札所印つきの御朱印をいただけることに気づき、弘法大師御生誕1250年の今年の結願をもくろみ、数年がかりでようやく結願に漕ぎ着けました。
新四国東国霊場はすこぶる情報が少なく、ガイドブックはおろかリーフレットさえみたことがありません。
そのわりにしっかりとした札所標が設置されていたりして、どうもナゾの多い霊場です。
88の札所のうち御朱印を拝受できたのは87(残る1寺は七福神スタンプ)。その多くは札所印つきです。
お納めは概ね300円。専用納経帳がないので揮毫(書入れ)、印判捺、書置と授与形態は多彩です。
新四国東国霊場で面白いのは、ふつう弘法大師霊場では御本尊ないし弘法大師が札所本尊となりますが、新四国東国霊場では別尊や境内仏が札所本尊となる例がみられることです。
玉川八十八ヶ所霊場の札所本尊はおおむね御本尊なので、玉川、東国両札所兼任のお寺様ではそれぞれ異なる尊格の御朱印を拝受できる場合があります。
■ 上記の例/龍宿山 西明寺(川崎市中原区小杉御殿町/第9番)
【写真 上(左)】 玉川霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東国霊場の御朱印
↑ 玉川霊場は御本尊の金剛界大日如来、東国霊場は釈迦如来。
■ 坂東霊場と御朱印尊格が異なる例/瑞応山 弘明寺(横浜市南区弘明寺町/第60番)
【写真 上(左)】 坂東霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東国霊場の御朱印
↑ 坂東霊場は御本尊の十一面観世音菩薩、東国霊場は金剛界大日如来。
実際、新四国東国霊場の札所本尊については情報が少ないため、拝所がよくわからず、先に御朱印をお願いすると同時に札所本尊についてお伺いするというかたちをとりました。(拝所が本堂ではない場合がある。)
札所の多くは他霊場との兼務で、新四国東国霊場は巡拝者が少ないため御朱印申告時は要注意です。
「八十八ヶ所」で申告すると玉川霊場、「弘法大師霊場」で申告すると相州二十一ヶ所と間違われる可能性があります。
実際、申告時に「東国霊場の御朱印ですね」と念を押されたケースが何度もありました。
しっかり「新四国東国霊場第●番でお願いします。」とお伝えすると間違いがないかと思います。
また、筆者は新四国東国霊場専用の御朱印帳をつくって巡拝したのですが、この場合はすべての御朱印がこの霊場なので間違いが少なくなると思います。
重複霊場としては、
川崎エリアで玉川八十八ヶ所霊場、東海三十三観音霊場、准秩父三十四観音霊場、准四国稲毛三十三観音霊場、武相二十八不動、川崎七福神。
横浜東部エリアで玉川八十八ヶ所霊場、准秩父三十四観音霊場、武相卯歳四十八観音霊場、旧小机領三十三観音霊場、横浜七福神。
横浜西南部エリアで坂東霊場、武州金沢三十四観音霊場、横浜磯子七福神、横浜金澤七福神。
逗子・鎌倉エリアで鎌倉三十三観音霊場、鎌倉二十四地蔵霊場、相州二十一ヶ所霊場、鎌倉十三仏霊場、相模国準四国八十八ヶ所霊場、小田急武相三十三観音霊場、関東八十八箇所霊場などがあります。
札所寺院は駅から離れたところがあり、札所範囲も広いため車での巡拝が有効です。
おおむね駐車場はありますが、入り組んだ路地や高低差のあるアプローチが多く、運転にはかなり気を使います。
見どころが多い札所もあるので、時間に余裕をもった巡拝をおすすめします。
それでは、順に御朱印をご紹介していきます。
新四国東国霊場の札所本尊は御本尊と異なるケースがあること、またエリア毎に兼務霊場が変わっていく様子もわかるので、拝受した御朱印はすべて掲載します。
第1番 金剛山 金乗院 平間寺(川崎大師)
川崎市川崎区大師町4-48
真言宗智山派
御本尊:弘法大師
札所本尊:
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第1番、関東八十八箇所霊場特別霊場、関東三十六不動尊霊場第7番、武相二十八不動尊霊場第1番、東海三十三観音霊場第33番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第1番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第15番
司元別当:大師稲荷神社(川崎区中瀬)
授与所:授与所
※平間寺様では、新四国東国霊場の御朱印は授与されていません。
〔 御本尊の御朱印 〕
【写真 上(左)】 薬師殿の御朱印
【写真 下(右)】 自動車交通安全祈祷殿の御朱印
関東八十八箇所霊場の御朱印
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
【写真 上(左)】 関東三十六不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
第2番 瑠璃光山 金剛院 真福寺
川崎市川崎区堀之内町11-7
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第13番、東海三十三観音霊場番外、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第11番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第3番 大島山 般若院 真観寺
川崎市川崎区大島2-10-16
真言宗智山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第2番、東海三十三観音霊場第4番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第2番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第4番 明王山 聖無動寺 成就院
川崎市川崎区渡田3-8-1
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:大日如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第4番、東海三十三観音霊場第5番、武相二十八不動尊霊場第27番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
武相二十八不動尊霊場の御朱印
第5番 金澤山 福泉寺 圓能院
川崎市川崎区小田1-25-12
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:延命地蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第6番、東海三十三観音霊場第6番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第5番
司元別当:日枝大神社(川崎区小田)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第6番 圓明山 宝蔵院 延命寺
川崎市幸区都町4-2
真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第14番、東海三十三観音霊場第15番
司元別当:女躰大神(幸区幸町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第7番 瑠璃光山 長壽院 無量寺
川崎市中原区中丸子498
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第17番、川崎七福神(寿老神)、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第30番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
第8番 西光山 東福寺
川崎市中原区市ノ坪45
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第21番、准秩父三十四観音霊場第10番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第32番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 准秩父三十四観音霊場の御朱印
第9番 龍宿山 金剛院 西明寺
川崎市中原区小杉御殿町1-906
真言宗智山派
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第20番、准四国稲毛三十三観音霊場第18番、川崎七福神(大黒天)、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第36番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 准四国稲毛三十三観音霊場の御朱印
川崎七福神(大黒天)の御朱印
第10番 光明山 遍照院 金剛寺
横浜市鶴見区市場下町6-33
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第11番、東海三十三観音霊場第9番
司元別当:(鶴見)熊野神社
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第11番 金胎山 東住院 東漸寺
横浜市鶴見区潮田町3-144-2
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第7番、東海三十三観音霊場第30番
司元別当:潮田神社(鶴見区潮田町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第12番 愛宕山 寳蔵院
横浜市鶴見区馬場4-7-5
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第12番、武相二十八不動尊霊場第21番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
第13番 摩尼山 長松寺
横浜市鶴見区駒岡町3-4-22
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第81番、武相二十八不動尊霊場第17番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
第14番 子生山 東福寺
横浜市鶴見区鶴見1-3-5
真言宗智山派
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第10番、東海三十三観音霊場第14番、武相二十八不動尊霊場第20番、旧小机領三十三観音霊場第10番、鶴見七福神(毘沙門天)、武相四十八ヶ所不動尊霊場第29番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
【写真 上(左)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 旧小机領三十三観音霊場の御朱印
鶴見七福神(毘沙門天)の御朱印
第15番 生麦山 無動院 龍泉寺
横浜市鶴見区岸谷4-3-2
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第9番、東海三十三観音霊場第8番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第8番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
第16番 密厳山 不動寺 遍照院
横浜市神奈川区子安通3-382
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
御本尊・不動明王の御朱印
第17番 医光山 薬王寺
横浜市神奈川区七島町6
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:武南十二薬師霊場第9番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武南十二薬師霊場第9番の御朱印
第18番 海運山 満願院 能満寺
横浜市神奈川区東神奈川2-32-1
高野山真言宗
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:武南十二薬師霊場第10番
司元別当:笠䅣稲荷神社(神奈川区東神奈川)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武南十二薬師霊場第10番の御朱印
第19番 平尾山 東光寺
横浜市神奈川区東神奈川2-37-6
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:武南十二薬師霊場第11番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
武南十二薬師霊場第11番の御朱印
第20番 神鏡山 東曼陀羅寺 金蔵院
横浜市神奈川区東神奈川1-4-3
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第3番
司元別当:(神奈川)熊野神社(神奈川区東神奈川)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
第21番 洲崎山 功徳院 普門寺
横浜市神奈川区青木通3-18
真言宗智山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:
司元別当:洲崎大神(神奈川区青木町)、大綱金刀比羅神社(神奈川区台町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第22番 海浦山 新源院 吉祥寺
横浜市神奈川区白楽98
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:弘法大師
他札所:
司元別当:
授与所:第20番金蔵院
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第23番 妙智山 歓成院
横浜市港北区大倉山2-8-7
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:薬師如来
他札所:旧小机領三十三観音霊場第12番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
旧小机領三十三観音霊場の御朱印
第24番 八幡山 観音寺
横浜市港北区篠原町2777
真言宗智山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第82番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
第25番 瑞雲山 本覚院 三會寺
横浜市港北区鳥山町730
高野山真言宗
御本尊:弥勒菩薩
札所本尊:延命地蔵菩薩
他札所:武相二十八不動尊霊場第14番、旧小机領三十三観音霊場第2番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 武相二十八不動尊霊場の御朱印
【写真 下(右)】 旧小机領三十三観音霊場の御朱印
第26番 普賢山 安楽寺 香象院
横浜市保土ヶ谷区岩間町2-153
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第27番 医王山 延壽院 遍照寺
横浜市保土ヶ谷区月見台291
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:
司元別当:牛頭天王社(保土ケ谷区天王町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第28番 西方山 安樹院 大仙寺
横浜市保土ヶ谷区霞台14
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:金剛界大日如来
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第29番 羯摩山 密藏院 圓福寺
横浜市保土ヶ谷区西久保137
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第11番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第30番 金巌山 櫻壽院 安楽寺
横浜市保土ヶ谷区西久保120
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第31番 法亀山 地寿福院 願成寺
横浜市西区西戸部町3-290
高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第12番、横浜市内二十一ヶ所霊場第3番
司元別当:(戸部)杉山神社(西区中央)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第32番 医王山 光明院 東光寺
横浜市南区三春台110
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第7番、横浜市内二十一ヶ所霊場第4番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第33番 東光山 医王寺 蓮華院
横浜市南区三春台19
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第5番、横浜市内二十一ヶ所霊場第8番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第34番 東医山 薬王寺
横浜市南区三春台7
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第4番、横浜市内二十一ヶ所霊場第7番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第35番 福智山 不動寺 普門院
横浜市南区西仲町1-2-6
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第3番、横浜市内二十一ヶ所霊場第6番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第36番 光明山 遍照院 東福寺
横浜市西区赤門町2-17
高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:不動明王(波切不動尊)
他札所:横浜市内三十三観音霊場第2番、横浜市内二十一ヶ所霊場第5番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第37番 日明山 宝泉寺 大聖院
横浜市西区元久保5-20
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第1番、横浜市内二十一ヶ所霊場第1番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第38番 成田山 横浜別院 延命院
横浜市西区宮崎町30
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:関東三十六不動尊霊場第3番、横浜市内二十一ヶ所霊場第2番
司元別当:
授与所:授与所
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
関東三十六不動尊霊場の御朱印
第39番 大慈山 瑠璃院 玉泉寺
横浜市南区中村町1-6-1
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第29番、横浜市内二十一ヶ所霊場第11番
司元別当:中村八幡宮(南区八幡町)
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第40番 海龍山 本泉寺 増徳院
横浜市南区平楽103
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:弘法大師(秘鍵大師)
他札所:横浜市内三十三観音霊場第16番、横浜市内二十一ヶ所霊場第21番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第23番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第41番 天沼山 威德院 東漸寺
横浜市中区大平町101
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第27番、横浜市内二十一ヶ所霊場第12番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第42番 地福寺
横浜市南区平楽103 第40番増徳院内に移転
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:
司元別当:
授与所:第40番増徳院
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第43番 佛海山 宝光院 天徳寺
横浜市中区和田山1-1
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第17番、横浜市内二十一ヶ所霊場第20番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第44番 醫王山 成願寺 多聞院
横浜市中区本牧元町2-16
高野山真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:弘法大師
他札所:横浜市内三十三観音霊場第19番、横浜市内二十一ヶ所霊場第18番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第45番 東光山 千蔵寺
横浜市中区本牧元町12-16
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:横浜市内三十三観音霊場第18番、横浜市内二十一ヶ所霊場第19番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第46番 間門山 東福院
横浜市中区本牧荒井64
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如來
札所本尊:金剛界大日如來
他札所:横浜市内三十三観音霊場第17番、横浜市内二十一ヶ所霊場第20番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第47番 根岸山 覚王寺 大聖院
横浜市磯子区東町6-20
高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第15番、横浜市内二十一ヶ所霊場第21番
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
第48番 海向山 岩松寺 金蔵院
横浜市磯子区磯子4-3-6
真言宗智山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:横浜市内三十三観音霊場第22番、横浜磯子七福神(弁財天)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
横浜磯子七福神(弁財天)の御朱印
第49番 禪馬山 不動院 真照寺
横浜市磯子区磯子8-14-12
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:釈迦牟尼佛
他札所:横浜市内三十三観音霊場第23番、横浜磯子七福神(毘沙門天)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 横浜磯子七福神(毘沙門天)の御朱印
第50番 龍頭山 明王寺 密蔵院
横浜市磯子区滝頭3-13-5
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来
他札所:横浜市内三十三観音霊場第24番、武相四十八ヶ所不動尊霊場第24番、横浜磯子七福神(布袋尊)
司元別当:
授与所:庫裡
〔 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 横浜磯子七福神(布袋尊)の御朱印
以下、■ 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印-2につづきます。
【 BGM 】
■ Just The Two Of Us - Grover Washington Jr. (feat. Bill Withers)
■ We Are One - MAZE feat. Frankie Beverly
■Remind Me (Remastered) - Patrice Rushen
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-8
Vol.-7からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。
■ 第25番 六所山 長明院 長楽寺
(ちょうらくじ)
日野市程久保8-49-18
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
第25番札所の長楽寺は御府内霊場中ふたつある都区外の札所の一寺で、都下の日野市にあります。
第25番札所も複雑な変遷をたどっています。
現在の第25番札所は長楽寺ですが、『御府内八十八ケ所道しるべ』では、四ッ谷小寺町の自然山 地福寺 和光院となっています。
「日野市観光協会Web」によると、長楽寺は元和六年(1620年)開山なので、御府内霊場開創の宝暦五年(1755年)にはすでに存在しています。
しかし明治初頭編纂の『御府内八十八ケ所道しるべ』では第25番札所は和光院なので、江戸期を通じて第25番札所は和光院であったとみられます。
(江戸八十八ヶ所霊場第25番も和光院。)
「ニッポンの霊場」様Webに、江戸八十八ヶ所第25番の和光院は「廃寺」とあるので、明治初頭の神仏分離の際に廃されたのかもしれません。
和光院の札所本尊の一尊に将軍地蔵尊が定められていましたが、愛宕権現との習合色の強い将軍(勝軍)地蔵尊を祀る寺院が神仏分離で廃された例(愛宕・圓福寺など)があるため、当院もこの例に該当したのかも。
長楽寺は角筈(現・西新宿三丁目付近)の大寺院でしたが昭和20年5月の空襲で被災し、寺地への道路建設などもあって昭和35年に現在地に移転しています。
寺勢衰微した戦災後に御府内霊場札所になったとは考えにくいので、明治の和光院廃寺によって第25番札所を引き継ぎ、昭和35年の寺院移転とともに札所も移転したというのが自然な見方でしょうか。
「猫の足あと」様Webに掲載されている『日野市史』には以下の記載があるようです。
・総本山長谷寺の末(直末?)
・御本尊の不動明王像は唐よりの伝来と伝わる
・享和二年(1802年)以降、不動信仰により栄え門前市をなした
・明治中期より昭和11年にかけ諸伽藍を建立、大寺院の風格を備えた
・弘法大師像は厄除大師として知られていた
和光院は智積院末(現・智山派系)ですが、四ッ谷からほど近い角筈に不動尊霊場・厄除大師として知られる真言密寺の長楽寺があったため、こちらが第25番札所を承継されたのでは。
あるいは、明治中期から昭和11年にかけての諸伽藍整備の記念事業として、御府内霊場札所を受けられたのかもしれません。
今回は殊に推測が多くなりましたが、それだけ札所異動に関する情報がすくないということです。
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【史料】
【長楽寺関連】
■ 日野市観光協会Web(要旨抜粋引用)
・元和六年(1620年)代官渡辺与兵衛が頼音和尚に帰依し、数千坪を寄進して開山したと伝わる。
・徳川四代将軍家綱公が将軍職に就く前、慶安三年(1650年)正月、武蔵国府中六所明神(現・大国魂神社)に参詣の折、当山に立ち寄られ、六所明神にちなんで真筆をもって六所山の山号を与えられたと伝わる。
・もとは新宿区西新宿3丁目にあり、大本堂・書院・庫裡・大師堂・地蔵堂・鐘楼・山門を備えた大寺院だった。
・昭和20年5月25日空襲に遭い、その後の都市計画道路建設により移転をよぎなくされ、昭和35年に多摩動物公園隣の現在地に移転した。
■ 『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
(角筈村)長楽寺
同宗(新義真言宗)多磨郡中野村寶仙寺末 六所山長命院ト号ス 当寺モ多聞院ト同ク與兵衛ノ開基スル所ナリ 開山賴音 慶安三年(1650年)十二月寂 本尊不動ヲ置 寺傳ニ当山ヲ六所ト号セルハ 昔厳有院殿府中六所ヘ御参ノ時 タマ々々当寺ヘ成ラセ給ヒシヨリ名付シ由イヘト イト牽強ノ説と思ハル 元ヨリ拠トスヘキモノナケレト 其頃賜ヒシ御筆ナリトテ横物ノ掛軸ヲ寺宝トス
【和光院関連】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
二十五番
四ッ谷小寺町
自然山 地福寺 和光院
智積院末 新義
本尊:不動明王 将軍地蔵尊 弘法大師
大師建立本尊地蔵ぼさつ 座像大師
■ 『寺社書上 [43] 四谷寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.38.』
四谷小寺町
京都智積院末
自然山 地福寺 和光院
新義真言宗
開山 法印泉秀 寛永十六年(1639年寂)
当寺開闢之年代相知不
古●麹町辺ニ●●処寛永年中(1624-1644年)(略)御用地(略)処●ニ立退●移●
本堂
本尊 不動明王
護摩堂
本尊 地蔵尊
不動尊 毘沙門天 両大師
鎮守 稲荷社
「和光院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
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多摩都市モノレール・京王動物園線「多摩動物公園」駅徒歩2分と交通至便で、駐車場も完備しています。
多摩動物公園のすぐとなりで、休日は子連れファミリーの姿が目立ちます。
【写真 上(左)】 すぐ下にモノレールと駅
【写真 下(右)】 山内入口
丘陵を造成して建立した寺院なので、前面道路からかなりの急坂をのぼります。
参道沿いには石仏が並び、地蔵尊座像も御座します。
【写真 上(左)】 寺号標
【写真 下(右)】 参道の地蔵尊と石仏群
石仏は如意輪観世音菩薩と地蔵尊がメインで、江戸期の年号が刻まれているので、おそらく角筈の旧地から遷られた御像かと思います。
山内は郊外寺院にしてはコンパクトですが、急坂をのぼっただけに眺望よく明るい雰囲気。
小高い尾根上に尊像や堂宇が連なる構成です。
【写真 上(左)】 修行大師と鎮守神
【写真 下(右)】 修行大師像
手前から朱塗りの稲荷社。扁額には「当山鎮守」とみえます。
そちらの向かって左手には端正な修行大師像。
【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 山内
さらに、鐘楼、しあわせ小僧、釈迦如来佛足石、大師堂とつづきます。
大師堂には厄除弘法大師座像が御座され、台座には札番の銘板が置かれているのでこちらが御府内霊場の拝所であることがわかります。
【写真 上(左)】 大師堂
【写真 下(右)】 大師堂の銘板
【写真 上(左)】 厄除弘法大師像
【写真 下(右)】 奥側の堂宇
札所本尊は不動明王で、たしか大師堂と相対する建物のなかに御座かと思いますが、なぜか記憶が定かでありません。
その奥に鉄柵があり「これより先檀家専用墓地に付 一般の方の立入はご遠慮下さい。」とあるので巡拝者の立入りはここまでです。
鉄柵の奥の大棟に鴟尾を置いた堂宇には「阿弥陀堂」の掲示がありました。
御朱印は庫裡?にて拝受しました。
なお、参詣時間は16時までで、月曜定休の掲示がありました。
出直し参拝はきびしい立地なので、事前の電話確認がベターかと思います。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「不動明王」「弘法大師」の揮毫と不動明王のお種子「カン/カーン」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内八十八ヶ所第廿五番霊場」の札所印。左下に山号寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
■ 第26番 海賞山 地蔵院 来福寺
(らいふくじ)
公式Web
品川区東大井3-13-1
真言宗智山派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:延命地蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第74番、東海三十三観音霊場第2番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第79番
司元別当:
授与所:事務所
第26番はふたたび都区内に戻ります。
鎌倉御家人や俳句とゆかりのふかい品川・大井の来福寺です。
縁起・沿革は公式Webに詳しいので、こちらと『新編武蔵風土記稿』を参考にまとめてみます。
当山の歴史は古く、正暦元年(990年)、智辨阿闍梨の開山といいますから、1030年以上もの法燈を伝承していることになります。
前九年の役、後三年の役などの戦禍を被るも法燈を堅持され、鎌倉時代には梶原一族が檀信徒となって栄之、景政、景時、景季等が寄進した「梶原松」「延命桜」があったと伝わります。
来福寺参道北側の路地には梶原稲荷神社がご鎮座です。
境内由緒書には「梶原平三景時(略)源頼朝ノ命ヲ奉ジテ武蔵國大井村鹿島谷ニ萬福寺ヲ建立シ、ソノ境内ニ守護神トシテ稲荷ヲ勧請シテ梶原稲荷ト尊称シタ。元応元年(1319年)、萬福寺ハ兵火ニヨリ焼失シ馬込村ニ移リタルニ依リ、焼ケ残リシ稲荷祠ハ梶原屋敷内ニ奉納サレテ、後、柴村来福寺ニ奉納サレ、ソノ追福ノタメ同寺ヘ松櫻ナドヲ植エ寄進シタ。コノ梶原塚ハ鎌倉源五郎景正ノ子梶原日向守 亦梶原助五郎一族ヲ祀ル古墳デアル。」とあります。
なお、現在梶原稲荷神社は地元の梶原稲荷講により維持管理されている模様です。
梶原稲荷神社
文亀元年(1501年)、源頼朝公の納経と伝わる経塚(現・大井1丁目経塚地蔵堂)の前を行脚していた梅巌(梅綾とも)和上が経塚のなかから読経の声を聞かれ、急ぎ掘り起こすと一躰の立派な地蔵菩薩像が出現しました。
不思議に思った梅巌和上がいろいろ調べてみると、この地蔵尊は行方不明となっていた来福寺の御本尊・延命地蔵尊で、弘法大師御作とも伝わる有り難いお像であることがわかりました。
以来このお地蔵さまは「経読(きょうよみ)地蔵尊」と呼ばれ、来福寺の御本尊として尊崇されるとともに、御分身は出現の地(経塚地蔵堂)および三つ叉地蔵堂(大井1丁目)に奉安され、ともに来福寺の境外佛堂として人々の信仰を集めています。
御本尊の経読地蔵尊は鎌倉権五郎景政の守り佛で梶原景季に伝わり、梶原氏との縁から当寺に収まられたといいます。
古来、地蔵尊には桜木を奉納する風習もあって、江戸時代には桜の名所として知られ、山内には「世の中は 三日見ぬ間に 桜かな」という雪中庵三世大島蓼太(芭蕉直系の旅俳人)の句碑があります。
古くは海上山、海照山と号し、境内に天満宮のお社があったので天神山とも呼ばれたといいます。
法系は往古は(馬込)長遠寺末、その後京都仁和寺末となり代々親王が住職を継承されました。
明治38年に川崎大師平間寺の法系となり今日に至っています。
寺伝もきれいに収まってそれではつぎの第27番・・・、となりそうですがそうはいきません。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には第26番札所に「四ッ谷南寺町 文殊院」とあるからです。
また、江戸八十八ヶ所霊場の第26番札所も文殊院となっています。
大井の地は御府内から外れており、この点からも江戸時代の札所は四ッ谷南寺町の文殊院であったとみられます。
20番代の札所は変遷が複雑で、いずれも一筋縄ではいきません。
第26番もこういう変遷があるので、文殊院についてたどっていきます。
文殊院は『御府内寺社備考』に掲載がなく、『寺社書上』と『御府内八十八ケ所道しるべ』を典拠とします。
文殊院は慶長十六年(1616年)、麹町九丁目横町に祐信上人が開山といいます。
寛永十一年(1633年)旧地を御用地として召し上げられ、四ツ谷南寺町に替地を拝領して移転したようです。
大塚護持院を本山とする新義真言宗寺院で、御本尊の阿弥陀児如来は秦氏ゆかりの尊像と伝わります。
秦河勝公は聖徳太子の同志として国造りに貢献したとされますが、河勝公九世孫の秦大蔵老ゆかりの伝承が伝わります。
漢文なので詳細まで読み取れません。すみませぬ。
太秦の名族の当主・秦大蔵老は年老いて子がなくこれを嘆いていたところ、一体の地蔵尊を得て子宝祈願に専念すると、妻が阿弥陀佛の霊夢をみるや女の子を授かりました。
父母の寵愛を一身に受け、聡明で花のように美しく育った姫でしたが、あるとき鷲にさらわれ(?)行方知れずとなってしまいました。
大蔵老は嘆き哀しみ、日夜姫の無事を尊佛に祈りました。
ここから先は記述が込み入って不詳ですが、紆余曲折ののち大蔵老は二寸余の阿弥陀佛像を得、以降、この尊像は「児如来」と尊称され崇められたという内容のようです。
『寺社書上』に「児如来と申阿弥陀木像(略)社僧秦氏代々乃家傳乃本尊」とあるので、こちらの児如来が御本尊として奉安され、札所本尊も児如来でありました。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には「本尊児如来ハ川勝の守(?)り佛なり」とあるので、秦河勝公の守り佛であったのかもしれません。
あるいは、河勝公ゆかりの川勝寺(現・京都市右京区西京極、廃寺)の奉安佛だったのかも。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には文殊尊の挿絵が載せられ、こちらが院号ゆかりの尊像とも思いますが、なぜか『寺社書上』には文殊尊についての記載はありません。
「文殊院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
↑ の挿絵には「阿ぶらげ坂」とみえます。
「阿ぶらげ坂」(油揚坂)とは「戒行寺坂」のことで、戒行寺が面していました。
『江戸切絵図』をみると文殊院は戒行寺の対面で、たしかに阿ぶらげ坂(戒行寺坂)に面していたことがわかります。
出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』四ツ谷絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC
「ニッポンの霊場」様Webに、江戸八十八ヶ所霊場第26番の文殊院は「廃寺」とあるので、明治初頭の神仏分離時に廃された可能性があります。
第26番札所が四ッ谷の文殊院から大井の来福寺に承継された経緯については、手がかりが見当たらずまったくわかりません。
来福寺は長遠寺(新義智山派)末から仁和寺(古義)末となり、明治38年から川崎大師平間寺(新義智山派大本山)の法系に入っています。
一方、文殊院は大塚護持院末ですから長谷寺豊山派の流れで、本末関係など宗派的なつながりによる承継は考えにくいです。
四ッ谷から大井(品川)への遠距離移転もなんらかの事情があってのものでは?
確たる史料がみつからない以上、これ以上は掘り下げられないので、ナゾはナゾとして残しておきます。(と、逃げる(笑))
来福寺は東海三十三観音霊場との兼務札所です。
この観音霊場は東海道沿いの札所分布で、玉川八十八ヶ所霊場や新四国東国八十八ヶ所霊場との兼務札所はめずらしくないですが、御府内霊場との兼務はこちらだけで、それだけ南東(神奈川)寄りに飛んだ立地であることがわかります。
-------------------------
【史料】
【来福寺関連】
■ 『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
(大井村)来福寺
新義真言宗同郡馬込村八幡宮別当長遠寺ノ末ナリ 海賞山地蔵院ト号ス 正暦元年(990年)智瓣阿闍梨ノ草創ト云(略)本尊ハ弘法大師ノ彫刻ニテ延命経讀地蔵ト云ヘリ 寺傳ニヨレハ此像ハ鎌倉権五郎景政ノ守佛ナリシカ 数傳ノ後梶原景季ニ傳ハリ 終ニ當寺ヘ納タリトイヘト證トナスヘキモノアラサレハウケカヒカタシ
天神社 門ヲ入テ右ノ方小高キ処ニアリ
梶原塚 境内北ノ方ニアリ 景季ノ墳ト云 按ニ此辺梶原景時父子ノ舊蹟ト云モノ多シ(以下略)
梶原松 延命櫻 此二木ハ共ニ客殿ノ前ニアリ 梶原景季地蔵信仰ノ餘自ラ植シト云傳フ 今モコノ側にナラヒテ 地蔵尊信心ノ人ハ 櫻ノ木ヲ納ルコトヽナリタレハ 当寺ノ境内ニハ昔ヨリ櫻樹多カリシカ 猶近キ頃檀越ノ寄進ニテ再ヒ植増セシニヨリ 毎春花ノ頃ハ人コトニツトヒ来リテ賑ヘリ
■ 『江戸名所図会』(国立国会図書館)
砂水御林町にあり真言宗にて本尊は地蔵菩薩を安置す 弘法大師の作 御丈九寸八分なり
梶原氏の草創にてすなわち此地ハ其宅地なりしといふ
縁起云此本尊ハ梶浦氏代々其家の相伝人々尤霊威なり 然に元享の頃地辨と云沙門眼疾を患ひ此本尊に祈念して不日に本快を得たり 其後世の中大に乱る尓(しかり) 本尊の所在忘れさりしに 文亀年間梅巌阿闍梨当寺より四五町西の方経塚といふ地中よりこれを感得せしとなり(略)当寺境内櫻樹数株ありて悉く品を領てり 弥生の花盛にハ遠近薫を慕ひてし●ふ遊賞する人少ならす
納経塚
来福寺より六町ほど西にあり 相伝ふ此地に収ら●むといへり 来福寺本尊地蔵菩薩此所より出現したまひし頃土中にて夜なヽ読経したまひしとそ 故に来福寺本尊を世に経読地蔵尊と称せり
「来福寺」/原典:松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[4],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館DC (保護期間満了)
【文殊院関連】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
二十六番
四ッ谷南寺町
雲龍山 宝満寺 文殊院
大塚護持院末 新義
本尊:児如来 不動明王 弘法大師
■ 『寺社書上 [45] 四谷寺社書上 四』(国立国会図書館)
四ツ谷南寺町
護持院末
雲龍山 宝満寺 文殊院
新義真言宗
開山 祐信上人 寛永十三年(1636年)遷化
中興開基 紀州公御開基(略)年月日相知不候
本尊 阿弥陀児如来立像
本像山城國太秦(略)大蔵之作
児如来記
秦大蔵者乃秦川勝九世孫也(以下略)
護摩堂
本尊 立像不動木像 前立に二童子木像 座像地蔵木像
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京急本線「立会川」駅から徒歩10分の住宅街にあります。
【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標
東京湾にもほど近いですが、このあたりは武蔵野台地が海側にせり出しているところで地勢に起伏があり、石畳の参道も登り坂&階段です。
【写真 上(左)】 山門下
【写真 下(右)】 札所標
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門の彫刻
山内入口に寺号標、山門手前に札所標があります。
参道階段の先に山門。来福門とも呼ばれ江戸末期の建立です。
入母屋屋根で桟瓦葺ながら大棟に青海波紋様を置き、降棟、隅棟とも整ってバランスのとれた意匠。水引虹梁両端の木鼻彫刻も見事です。
確信はもてないのですが、おそらく脇塀付の四脚門かと思います。
【写真 上(左)】 緑濃い山内
【写真 下(右)】 修行大師像と本堂
山門をくぐると緑濃い山内。京浜工業地帯にほど近い立地とはとても思えない落ち着いた空気はさすがに古刹。
【写真 上(左)】 地蔵堂の石標
【写真 下(右)】 天水鉢の「丸に並び矢」
本堂手前に修行大師像で、周囲はお砂踏み場となっています。
また、地蔵尊のお種子「カ」が刻まれた地蔵堂石標もみえます。
本堂の天水鉢には梶原氏の家紋「丸に並び矢」が彫られ、梶原氏とのゆかりを示しています。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝
本堂は近代建築で寄棟造桟瓦葺。向拝前三間は軒下に収まっています。
扁額はなく、向拝軒下に吊られた天蓋のようなもの(?)に寺号が刻まれています。
【写真 上(左)】 寺号入りの天蓋?
【写真 下(右)】 聖天堂参道
山内には聖天堂も御座します。
参道の朱塗りの山王鳥居が印象的で、江戸時代建立の堂宇(入母屋造桟瓦葺流れ向拝、水引虹梁付)の彫刻も見事です。
庭園に立つ立派な宝篋印塔は享保十九年(1734年)の銘で、右まわりに三回巡拝して願い事を祈願します。
【写真 上(左)】 宝篋印塔
【写真 下(右)】 安明閣
御府内霊場札所のうちでは緑の多い札所のひとつで、落ち着いた参拝ができます。
御朱印は本堂向かって右の寺務所兼休憩所の「安明閣」で拝受しました。
メジャー霊場3つの札所を兼務され、対応は手慣れておられます。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「本尊延命地蔵菩薩」「弘法大師」の揮毫と地蔵菩薩のお種子「カ」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「二十六番」の札所印。左下に山号寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
■ 第27番 瑠璃山 正光院
(しょうこういん)
公式Web
港区元麻布3-2-20
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:江戸薬師如来霊場三十二ヶ所
司元別当:
授与所:庫裡
第27番札所は元麻布の正光院です。
公式Web および下記史料から縁起・沿革をたどってみます。
寛永七年(1630年)、紀州高野山学寮正智院末寺として麻布櫻田町に開創。
開基は黒田藩主筑前守忠之公、開山は正智院二十八世・検校法印宥専大和尚。
嘉永二年-文久二年(1849-1862年)刊の『江戸切絵図(麻布絵図)』にもしっかりその名がみられます。
出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』麻布絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
御本尊は弘法大師御作と伝わる薬師如来座像、脇立の日光・月光両菩薩も弘法大師の御作と伝わります。
御本尊は恵心僧都作で、一條帝御降誕の祈願佛という伝承もあるようです。
御本尊の薬師如来は霊験あらたかで「子安(易)薬師」として信仰を集めたといい、江戸薬師如来霊場三十二ヶ所の札所(現在活動休止)となっています。
弘法大師の木座像も奉安。
別尊の不動尊は麻布大山不動、地蔵尊は子育鹽地蔵と称されていずれも庶民の信仰を集めていたとのこと。
地蔵尊は石佛で、もと霞山櫻田神社の別当・天台宗観明院境内にあったのを、同寺廃絶により当山に遷されたといいます。
開基は高野山真言宗の信仰篤いと伝わる、福岡藩二代藩主の黒田筑前守忠之公。
紀州高野山学寮正智院のおそらく直末で、「麻布高野山」とも呼ばれます。
弘法大師御作と伝わる薬師如来は「子安薬師」として信仰を集めているとあっては御府内霊場札所として申し分なく、今度こそはつぎの第28番へ・・・、となりそうですがやはりそうはいきません。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には第27番札所に「芝赤ばねばしいなり別当 圓明院」とあるからです。
また、江戸八十八ヶ所霊場の第27番札所も「(赤羽橋)三宝山 永護寺 円明院 廃寺」となっています。
しかし、圓明院は『寺社書上』『御府内寺社備考』ともに記載がなく、手がかりは『御府内八十八ケ所道しるべ』しかみつかりません。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には圓明院は「高野山宝性院(寶性院)末」とあります。
Wikipediaによると、宝性院は密教の学問(事相)を大成、宝門(而二門教学)と呼ばれる学派を生み出した宥快が院主となった高野山の寺院で、無量壽院とともに「門主寺」と呼ばれて高い格式を有しました。
大正2年に無量壽院と寳性院は合併、寳壽院を号して現在は高野山真言宗の大本山となっています。
圓明院はこのような高い格式の宝性院のおそらく直末ですから、もう少し記録が残っていてもよさそうですが、どうにも手がかりがありません。
頼みの『御府内八十八ケ所道しるべ』ですが、くずし字で読解不能の箇所があり、判然としません。
「当社の神体ハ大師一刀ごとに三礼して彫刻したまふ●駆三縁山の●山に有る年久しく当院の●●宥矢阿闍梨●●●三縁山の神祠(以下不詳) 土佐國安芸郡安●村竹林山神峯寺本尊十一面かん世をん菩薩像御丈(略)尊しの●る」
弘法大師ゆかりの尊格が御座され、三縁山(増上寺)となんらかの関係がありそうですが、よくわかりません。
国立国会図書館の「錦絵でたのしむ江戸の名所」には「(浄土宗大本山の増上寺は)空海の法弟である宗叡が武州豊島郡江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町付近)に建立した真言宗光明寺を前身とし、明徳4(1393)年聖聡が浄土宗に改宗、名も増上寺と改めた。」とあります。
(この記述は『江戸名所図会』等からひいたものかと思われます。)
赤羽橋といえば増上寺のお膝元ですが、この地に稲荷神の別当として真言密寺(圓明院)が置かれ、御府内霊場の札所とされたのは何らかの意味合いがあるのかもしれません。
弘法大師と稲荷神とのゆかりについてオフィシャルな資料はあまりみつからず、諸説あるようですが、川崎市川崎区の(川中島村)稲荷社(現・大師稲荷神社)は平間寺(川崎大師)が別当を司られた(新編武蔵風土記稿)とありますし、真言密寺の鎮守として稲荷神が祀られる例も少なくありません。
『江戸名所図会』には「(赤羽橋)此辺茶店多く河原の北に●毎朝肴市立て繁昌の地なり」とあり、その栄えている様子は挿絵からもうかがえます。
「赤羽」/出典:江戸名所図会 7巻 [3]松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[3],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館DC
「赤羽橋」駅から東京タワーに向かう谷間は緑ゆたかで「もみじ谷」と呼ばれる紅葉の名所で、この時代も行楽の名所として知られていたかもしれません。(絵図類は行楽地というより繁華地として描いている。)
稲荷神は商売繁昌の神様としても篤く信仰され繁華地に祀られる例も多かったので、赤羽橋に稲荷神が祀られ、別当として密寺が置かれたのも自然な流れだったのかもしれません。
また、現・宝珠院のあたりは弁天霊場、閻魔霊場として知られ、増上寺山内は浄土宗ながら神仏混淆の色彩が強かったとみられます。(→港区Web資料)
赤羽橋稲荷大明神、およびその別当の圓明院は、このような神仏混淆的な場の雰囲気に違和感なくなじんでいたと思われ、その様子は『御府内八十八ケ所道しるべ』の挿絵からもうかがえます。
「圓明院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
圓明院については情報がすこぶる少なく、宗教政策的な機微があるいはあるのかもしれず、不用意な推測は控えた方がいいようにも思えるので、ここまでにしておきます。
なお、赤羽稲荷大明神については現在、社殿は確認できません。
(Web上で跡地の情報がいくつかみつかります。圓明院の旧地は都営大江戸線「赤羽橋」駅のすぐ北側の、古川沿いであったとみられます。)
『御府内八十八ケ所道しるべ』の札所異動表に「二十七番 赤羽橋 三宝山 圓明院 → 麻布櫻田町 瑠璃山 正光院」とあるので、おそらく明治初頭の神仏分離により芝赤羽橋の圓明院は廃され、第27番札所は麻布の正光院に承継されています。
圓明院はおそらく高野山寶性院(宝門)の直末、正光院は「学侶方宝門の筆頭寺院」(高野山正智院連歌資料集成)の高野山正智院の末でしたから、江戸の宝門寺院内で札所の承継がなされたとみられます。
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【史料】
【正光院関連】
■ 『寺社書上 [20] 麻布寺社書上 四』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.13.』
麻布櫻田町
紀州高野山学寮正智院末
瑠璃山 正光院
古義真言宗
開闢起立 寛永七年(1630年)
開山 高野山前南山寺務検校法印宥専大和尚 正智院二十八世、寛文十三年三月遷化
本堂
本尊 薬師如来座像
弘法大師木座像
薬師堂
薬師如来座像 脇立 日光菩薩 月光菩薩 以上弘法大師御作
幷 十二神
薬師尊幷二菩薩は祖師弘法大師乃作
聖天 不動尊 愛染明王
地蔵堂
地蔵尊石立像
■ 『麻布区史 P.878』(東京都立図書館デジタルアーカイブ)
瑠璃山正光院 櫻田町三五
古義真言宗高野派 紀伊高野山正智院末。寛永七年の起立で開基は筑前大守従四位黒田忠之、開山は高野山前南山寺務検校法印宥専大和尚(正智院第二十八世、寛文十三年三月二十八日寂)である。本尊薬師如来の坐像は恵心僧都作に係り、一條帝御降誕の祈願佛と傳へている。里俗子安薬師と呼び江戸時代はなかなか信仰されていた。愛染明王像と共に寛永十年黒田侯の寄進するところと傳ふ。
境内の大師堂は府内八十八ヶ所第二十七番霊場になつている。又、不動堂と地蔵堂がある。前者は麻布大山不動と云ひ後者は子育鹽地蔵と呼ばれ、曾て小民の信仰を集めていた。地蔵は石像で、もと霞山櫻田神社の別当、天台宗観明院境内にあったのを、同寺廢絶の為め此処に移したものである。
【圓明院関連】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 地』(国立国会図書館)
二十七番
芝赤ばねばしいなり別当
三宝山 永護寺 圓明院
高野山宝性院末 古義
本尊:本地薬師瑠璃光如来 本社赤羽稲荷大明神 弘法大師
当社の神体ハ大師一刀ごとに三礼して彫刻したまふ●駆三縁山の●山に有る年久しく当院の●●宥矢阿闍梨●●●三縁山の神祠(以下不詳) 土佐國安芸郡安●村竹林山神峯寺本尊十一面かん世をん菩薩像御丈(略)尊しの●る
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【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標
東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木」駅徒歩10分。テレビ朝日通り、麻布税務署の前です。
駐車場はありますが、事前連絡要です。
六本木ヒルズにもほど近い、まさに都心のどまんなかの寺院です。
テレビ朝日通りに面した山内入口には、寺号標、札所標、そして「麻布高野山」の文字もみえます。
【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 山内
山内は意外に緑が多く、よく整備されています。
正面の階段うえに本堂。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝-1
【写真 上(左)】 向拝-2
【写真 下(右)】 扁額
斜めや横に回れなかったので様式は不明ですが、屋根に宝珠を置いているので宝形造かもしれません。
手前に屋根付きの向拝、近代建築ながら水引虹梁も置いています。
向拝見上げには「瑠璃光」の扁額。
御朱印は本堂向かって左手の庫裡にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳(専用用紙を貼込み)
中央に「本尊薬師如来」「弘法大師」「不動明王」の揮毫と薬師如来のお種子「バイ/ベイ」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「瑠璃光」印と「第廿七番」の揮毫。左下には「麻布高野山 正光院」の揮毫と寺院印が捺されています。
以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-9)
【 BGM 】
■ far on the water - Kalafina
■ Erato - 志方あきこ
■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO + JP & ROMAJI SUB
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。
■ 第25番 六所山 長明院 長楽寺
(ちょうらくじ)
日野市程久保8-49-18
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:
司元別当:
授与所:庫裡
第25番札所の長楽寺は御府内霊場中ふたつある都区外の札所の一寺で、都下の日野市にあります。
第25番札所も複雑な変遷をたどっています。
現在の第25番札所は長楽寺ですが、『御府内八十八ケ所道しるべ』では、四ッ谷小寺町の自然山 地福寺 和光院となっています。
「日野市観光協会Web」によると、長楽寺は元和六年(1620年)開山なので、御府内霊場開創の宝暦五年(1755年)にはすでに存在しています。
しかし明治初頭編纂の『御府内八十八ケ所道しるべ』では第25番札所は和光院なので、江戸期を通じて第25番札所は和光院であったとみられます。
(江戸八十八ヶ所霊場第25番も和光院。)
「ニッポンの霊場」様Webに、江戸八十八ヶ所第25番の和光院は「廃寺」とあるので、明治初頭の神仏分離の際に廃されたのかもしれません。
和光院の札所本尊の一尊に将軍地蔵尊が定められていましたが、愛宕権現との習合色の強い将軍(勝軍)地蔵尊を祀る寺院が神仏分離で廃された例(愛宕・圓福寺など)があるため、当院もこの例に該当したのかも。
長楽寺は角筈(現・西新宿三丁目付近)の大寺院でしたが昭和20年5月の空襲で被災し、寺地への道路建設などもあって昭和35年に現在地に移転しています。
寺勢衰微した戦災後に御府内霊場札所になったとは考えにくいので、明治の和光院廃寺によって第25番札所を引き継ぎ、昭和35年の寺院移転とともに札所も移転したというのが自然な見方でしょうか。
「猫の足あと」様Webに掲載されている『日野市史』には以下の記載があるようです。
・総本山長谷寺の末(直末?)
・御本尊の不動明王像は唐よりの伝来と伝わる
・享和二年(1802年)以降、不動信仰により栄え門前市をなした
・明治中期より昭和11年にかけ諸伽藍を建立、大寺院の風格を備えた
・弘法大師像は厄除大師として知られていた
和光院は智積院末(現・智山派系)ですが、四ッ谷からほど近い角筈に不動尊霊場・厄除大師として知られる真言密寺の長楽寺があったため、こちらが第25番札所を承継されたのでは。
あるいは、明治中期から昭和11年にかけての諸伽藍整備の記念事業として、御府内霊場札所を受けられたのかもしれません。
今回は殊に推測が多くなりましたが、それだけ札所異動に関する情報がすくないということです。
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【史料】
【長楽寺関連】
■ 日野市観光協会Web(要旨抜粋引用)
・元和六年(1620年)代官渡辺与兵衛が頼音和尚に帰依し、数千坪を寄進して開山したと伝わる。
・徳川四代将軍家綱公が将軍職に就く前、慶安三年(1650年)正月、武蔵国府中六所明神(現・大国魂神社)に参詣の折、当山に立ち寄られ、六所明神にちなんで真筆をもって六所山の山号を与えられたと伝わる。
・もとは新宿区西新宿3丁目にあり、大本堂・書院・庫裡・大師堂・地蔵堂・鐘楼・山門を備えた大寺院だった。
・昭和20年5月25日空襲に遭い、その後の都市計画道路建設により移転をよぎなくされ、昭和35年に多摩動物公園隣の現在地に移転した。
■ 『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
(角筈村)長楽寺
同宗(新義真言宗)多磨郡中野村寶仙寺末 六所山長命院ト号ス 当寺モ多聞院ト同ク與兵衛ノ開基スル所ナリ 開山賴音 慶安三年(1650年)十二月寂 本尊不動ヲ置 寺傳ニ当山ヲ六所ト号セルハ 昔厳有院殿府中六所ヘ御参ノ時 タマ々々当寺ヘ成ラセ給ヒシヨリ名付シ由イヘト イト牽強ノ説と思ハル 元ヨリ拠トスヘキモノナケレト 其頃賜ヒシ御筆ナリトテ横物ノ掛軸ヲ寺宝トス
【和光院関連】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
二十五番
四ッ谷小寺町
自然山 地福寺 和光院
智積院末 新義
本尊:不動明王 将軍地蔵尊 弘法大師
大師建立本尊地蔵ぼさつ 座像大師
■ 『寺社書上 [43] 四谷寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.38.』
四谷小寺町
京都智積院末
自然山 地福寺 和光院
新義真言宗
開山 法印泉秀 寛永十六年(1639年寂)
当寺開闢之年代相知不
古●麹町辺ニ●●処寛永年中(1624-1644年)(略)御用地(略)処●ニ立退●移●
本堂
本尊 不動明王
護摩堂
本尊 地蔵尊
不動尊 毘沙門天 両大師
鎮守 稲荷社
「和光院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
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多摩都市モノレール・京王動物園線「多摩動物公園」駅徒歩2分と交通至便で、駐車場も完備しています。
多摩動物公園のすぐとなりで、休日は子連れファミリーの姿が目立ちます。
【写真 上(左)】 すぐ下にモノレールと駅
【写真 下(右)】 山内入口
丘陵を造成して建立した寺院なので、前面道路からかなりの急坂をのぼります。
参道沿いには石仏が並び、地蔵尊座像も御座します。
【写真 上(左)】 寺号標
【写真 下(右)】 参道の地蔵尊と石仏群
石仏は如意輪観世音菩薩と地蔵尊がメインで、江戸期の年号が刻まれているので、おそらく角筈の旧地から遷られた御像かと思います。
山内は郊外寺院にしてはコンパクトですが、急坂をのぼっただけに眺望よく明るい雰囲気。
小高い尾根上に尊像や堂宇が連なる構成です。
【写真 上(左)】 修行大師と鎮守神
【写真 下(右)】 修行大師像
手前から朱塗りの稲荷社。扁額には「当山鎮守」とみえます。
そちらの向かって左手には端正な修行大師像。
【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 山内
さらに、鐘楼、しあわせ小僧、釈迦如来佛足石、大師堂とつづきます。
大師堂には厄除弘法大師座像が御座され、台座には札番の銘板が置かれているのでこちらが御府内霊場の拝所であることがわかります。
【写真 上(左)】 大師堂
【写真 下(右)】 大師堂の銘板
【写真 上(左)】 厄除弘法大師像
【写真 下(右)】 奥側の堂宇
札所本尊は不動明王で、たしか大師堂と相対する建物のなかに御座かと思いますが、なぜか記憶が定かでありません。
その奥に鉄柵があり「これより先檀家専用墓地に付 一般の方の立入はご遠慮下さい。」とあるので巡拝者の立入りはここまでです。
鉄柵の奥の大棟に鴟尾を置いた堂宇には「阿弥陀堂」の掲示がありました。
御朱印は庫裡?にて拝受しました。
なお、参詣時間は16時までで、月曜定休の掲示がありました。
出直し参拝はきびしい立地なので、事前の電話確認がベターかと思います。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「不動明王」「弘法大師」の揮毫と不動明王のお種子「カン/カーン」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内八十八ヶ所第廿五番霊場」の札所印。左下に山号寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
■ 第26番 海賞山 地蔵院 来福寺
(らいふくじ)
公式Web
品川区東大井3-13-1
真言宗智山派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所本尊:延命地蔵菩薩
他札所:玉川八十八ヶ所霊場第74番、東海三十三観音霊場第2番、多摩川四郡八十八ヶ所霊場第79番
司元別当:
授与所:事務所
第26番はふたたび都区内に戻ります。
鎌倉御家人や俳句とゆかりのふかい品川・大井の来福寺です。
縁起・沿革は公式Webに詳しいので、こちらと『新編武蔵風土記稿』を参考にまとめてみます。
当山の歴史は古く、正暦元年(990年)、智辨阿闍梨の開山といいますから、1030年以上もの法燈を伝承していることになります。
前九年の役、後三年の役などの戦禍を被るも法燈を堅持され、鎌倉時代には梶原一族が檀信徒となって栄之、景政、景時、景季等が寄進した「梶原松」「延命桜」があったと伝わります。
来福寺参道北側の路地には梶原稲荷神社がご鎮座です。
境内由緒書には「梶原平三景時(略)源頼朝ノ命ヲ奉ジテ武蔵國大井村鹿島谷ニ萬福寺ヲ建立シ、ソノ境内ニ守護神トシテ稲荷ヲ勧請シテ梶原稲荷ト尊称シタ。元応元年(1319年)、萬福寺ハ兵火ニヨリ焼失シ馬込村ニ移リタルニ依リ、焼ケ残リシ稲荷祠ハ梶原屋敷内ニ奉納サレテ、後、柴村来福寺ニ奉納サレ、ソノ追福ノタメ同寺ヘ松櫻ナドヲ植エ寄進シタ。コノ梶原塚ハ鎌倉源五郎景正ノ子梶原日向守 亦梶原助五郎一族ヲ祀ル古墳デアル。」とあります。
なお、現在梶原稲荷神社は地元の梶原稲荷講により維持管理されている模様です。
梶原稲荷神社
文亀元年(1501年)、源頼朝公の納経と伝わる経塚(現・大井1丁目経塚地蔵堂)の前を行脚していた梅巌(梅綾とも)和上が経塚のなかから読経の声を聞かれ、急ぎ掘り起こすと一躰の立派な地蔵菩薩像が出現しました。
不思議に思った梅巌和上がいろいろ調べてみると、この地蔵尊は行方不明となっていた来福寺の御本尊・延命地蔵尊で、弘法大師御作とも伝わる有り難いお像であることがわかりました。
以来このお地蔵さまは「経読(きょうよみ)地蔵尊」と呼ばれ、来福寺の御本尊として尊崇されるとともに、御分身は出現の地(経塚地蔵堂)および三つ叉地蔵堂(大井1丁目)に奉安され、ともに来福寺の境外佛堂として人々の信仰を集めています。
御本尊の経読地蔵尊は鎌倉権五郎景政の守り佛で梶原景季に伝わり、梶原氏との縁から当寺に収まられたといいます。
古来、地蔵尊には桜木を奉納する風習もあって、江戸時代には桜の名所として知られ、山内には「世の中は 三日見ぬ間に 桜かな」という雪中庵三世大島蓼太(芭蕉直系の旅俳人)の句碑があります。
古くは海上山、海照山と号し、境内に天満宮のお社があったので天神山とも呼ばれたといいます。
法系は往古は(馬込)長遠寺末、その後京都仁和寺末となり代々親王が住職を継承されました。
明治38年に川崎大師平間寺の法系となり今日に至っています。
寺伝もきれいに収まってそれではつぎの第27番・・・、となりそうですがそうはいきません。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には第26番札所に「四ッ谷南寺町 文殊院」とあるからです。
また、江戸八十八ヶ所霊場の第26番札所も文殊院となっています。
大井の地は御府内から外れており、この点からも江戸時代の札所は四ッ谷南寺町の文殊院であったとみられます。
20番代の札所は変遷が複雑で、いずれも一筋縄ではいきません。
第26番もこういう変遷があるので、文殊院についてたどっていきます。
文殊院は『御府内寺社備考』に掲載がなく、『寺社書上』と『御府内八十八ケ所道しるべ』を典拠とします。
文殊院は慶長十六年(1616年)、麹町九丁目横町に祐信上人が開山といいます。
寛永十一年(1633年)旧地を御用地として召し上げられ、四ツ谷南寺町に替地を拝領して移転したようです。
大塚護持院を本山とする新義真言宗寺院で、御本尊の阿弥陀児如来は秦氏ゆかりの尊像と伝わります。
秦河勝公は聖徳太子の同志として国造りに貢献したとされますが、河勝公九世孫の秦大蔵老ゆかりの伝承が伝わります。
漢文なので詳細まで読み取れません。すみませぬ。
太秦の名族の当主・秦大蔵老は年老いて子がなくこれを嘆いていたところ、一体の地蔵尊を得て子宝祈願に専念すると、妻が阿弥陀佛の霊夢をみるや女の子を授かりました。
父母の寵愛を一身に受け、聡明で花のように美しく育った姫でしたが、あるとき鷲にさらわれ(?)行方知れずとなってしまいました。
大蔵老は嘆き哀しみ、日夜姫の無事を尊佛に祈りました。
ここから先は記述が込み入って不詳ですが、紆余曲折ののち大蔵老は二寸余の阿弥陀佛像を得、以降、この尊像は「児如来」と尊称され崇められたという内容のようです。
『寺社書上』に「児如来と申阿弥陀木像(略)社僧秦氏代々乃家傳乃本尊」とあるので、こちらの児如来が御本尊として奉安され、札所本尊も児如来でありました。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には「本尊児如来ハ川勝の守(?)り佛なり」とあるので、秦河勝公の守り佛であったのかもしれません。
あるいは、河勝公ゆかりの川勝寺(現・京都市右京区西京極、廃寺)の奉安佛だったのかも。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には文殊尊の挿絵が載せられ、こちらが院号ゆかりの尊像とも思いますが、なぜか『寺社書上』には文殊尊についての記載はありません。
「文殊院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
↑ の挿絵には「阿ぶらげ坂」とみえます。
「阿ぶらげ坂」(油揚坂)とは「戒行寺坂」のことで、戒行寺が面していました。
『江戸切絵図』をみると文殊院は戒行寺の対面で、たしかに阿ぶらげ坂(戒行寺坂)に面していたことがわかります。
出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』四ツ谷絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC
「ニッポンの霊場」様Webに、江戸八十八ヶ所霊場第26番の文殊院は「廃寺」とあるので、明治初頭の神仏分離時に廃された可能性があります。
第26番札所が四ッ谷の文殊院から大井の来福寺に承継された経緯については、手がかりが見当たらずまったくわかりません。
来福寺は長遠寺(新義智山派)末から仁和寺(古義)末となり、明治38年から川崎大師平間寺(新義智山派大本山)の法系に入っています。
一方、文殊院は大塚護持院末ですから長谷寺豊山派の流れで、本末関係など宗派的なつながりによる承継は考えにくいです。
四ッ谷から大井(品川)への遠距離移転もなんらかの事情があってのものでは?
確たる史料がみつからない以上、これ以上は掘り下げられないので、ナゾはナゾとして残しておきます。(と、逃げる(笑))
来福寺は東海三十三観音霊場との兼務札所です。
この観音霊場は東海道沿いの札所分布で、玉川八十八ヶ所霊場や新四国東国八十八ヶ所霊場との兼務札所はめずらしくないですが、御府内霊場との兼務はこちらだけで、それだけ南東(神奈川)寄りに飛んだ立地であることがわかります。
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【史料】
【来福寺関連】
■ 『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
(大井村)来福寺
新義真言宗同郡馬込村八幡宮別当長遠寺ノ末ナリ 海賞山地蔵院ト号ス 正暦元年(990年)智瓣阿闍梨ノ草創ト云(略)本尊ハ弘法大師ノ彫刻ニテ延命経讀地蔵ト云ヘリ 寺傳ニヨレハ此像ハ鎌倉権五郎景政ノ守佛ナリシカ 数傳ノ後梶原景季ニ傳ハリ 終ニ當寺ヘ納タリトイヘト證トナスヘキモノアラサレハウケカヒカタシ
天神社 門ヲ入テ右ノ方小高キ処ニアリ
梶原塚 境内北ノ方ニアリ 景季ノ墳ト云 按ニ此辺梶原景時父子ノ舊蹟ト云モノ多シ(以下略)
梶原松 延命櫻 此二木ハ共ニ客殿ノ前ニアリ 梶原景季地蔵信仰ノ餘自ラ植シト云傳フ 今モコノ側にナラヒテ 地蔵尊信心ノ人ハ 櫻ノ木ヲ納ルコトヽナリタレハ 当寺ノ境内ニハ昔ヨリ櫻樹多カリシカ 猶近キ頃檀越ノ寄進ニテ再ヒ植増セシニヨリ 毎春花ノ頃ハ人コトニツトヒ来リテ賑ヘリ
■ 『江戸名所図会』(国立国会図書館)
砂水御林町にあり真言宗にて本尊は地蔵菩薩を安置す 弘法大師の作 御丈九寸八分なり
梶原氏の草創にてすなわち此地ハ其宅地なりしといふ
縁起云此本尊ハ梶浦氏代々其家の相伝人々尤霊威なり 然に元享の頃地辨と云沙門眼疾を患ひ此本尊に祈念して不日に本快を得たり 其後世の中大に乱る尓(しかり) 本尊の所在忘れさりしに 文亀年間梅巌阿闍梨当寺より四五町西の方経塚といふ地中よりこれを感得せしとなり(略)当寺境内櫻樹数株ありて悉く品を領てり 弥生の花盛にハ遠近薫を慕ひてし●ふ遊賞する人少ならす
納経塚
来福寺より六町ほど西にあり 相伝ふ此地に収ら●むといへり 来福寺本尊地蔵菩薩此所より出現したまひし頃土中にて夜なヽ読経したまひしとそ 故に来福寺本尊を世に経読地蔵尊と称せり
「来福寺」/原典:松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[4],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館DC (保護期間満了)
【文殊院関連】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
二十六番
四ッ谷南寺町
雲龍山 宝満寺 文殊院
大塚護持院末 新義
本尊:児如来 不動明王 弘法大師
■ 『寺社書上 [45] 四谷寺社書上 四』(国立国会図書館)
四ツ谷南寺町
護持院末
雲龍山 宝満寺 文殊院
新義真言宗
開山 祐信上人 寛永十三年(1636年)遷化
中興開基 紀州公御開基(略)年月日相知不候
本尊 阿弥陀児如来立像
本像山城國太秦(略)大蔵之作
児如来記
秦大蔵者乃秦川勝九世孫也(以下略)
護摩堂
本尊 立像不動木像 前立に二童子木像 座像地蔵木像
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京急本線「立会川」駅から徒歩10分の住宅街にあります。
【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標
東京湾にもほど近いですが、このあたりは武蔵野台地が海側にせり出しているところで地勢に起伏があり、石畳の参道も登り坂&階段です。
【写真 上(左)】 山門下
【写真 下(右)】 札所標
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門の彫刻
山内入口に寺号標、山門手前に札所標があります。
参道階段の先に山門。来福門とも呼ばれ江戸末期の建立です。
入母屋屋根で桟瓦葺ながら大棟に青海波紋様を置き、降棟、隅棟とも整ってバランスのとれた意匠。水引虹梁両端の木鼻彫刻も見事です。
確信はもてないのですが、おそらく脇塀付の四脚門かと思います。
【写真 上(左)】 緑濃い山内
【写真 下(右)】 修行大師像と本堂
山門をくぐると緑濃い山内。京浜工業地帯にほど近い立地とはとても思えない落ち着いた空気はさすがに古刹。
【写真 上(左)】 地蔵堂の石標
【写真 下(右)】 天水鉢の「丸に並び矢」
本堂手前に修行大師像で、周囲はお砂踏み場となっています。
また、地蔵尊のお種子「カ」が刻まれた地蔵堂石標もみえます。
本堂の天水鉢には梶原氏の家紋「丸に並び矢」が彫られ、梶原氏とのゆかりを示しています。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝
本堂は近代建築で寄棟造桟瓦葺。向拝前三間は軒下に収まっています。
扁額はなく、向拝軒下に吊られた天蓋のようなもの(?)に寺号が刻まれています。
【写真 上(左)】 寺号入りの天蓋?
【写真 下(右)】 聖天堂参道
山内には聖天堂も御座します。
参道の朱塗りの山王鳥居が印象的で、江戸時代建立の堂宇(入母屋造桟瓦葺流れ向拝、水引虹梁付)の彫刻も見事です。
庭園に立つ立派な宝篋印塔は享保十九年(1734年)の銘で、右まわりに三回巡拝して願い事を祈願します。
【写真 上(左)】 宝篋印塔
【写真 下(右)】 安明閣
御府内霊場札所のうちでは緑の多い札所のひとつで、落ち着いた参拝ができます。
御朱印は本堂向かって右の寺務所兼休憩所の「安明閣」で拝受しました。
メジャー霊場3つの札所を兼務され、対応は手慣れておられます。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「本尊延命地蔵菩薩」「弘法大師」の揮毫と地蔵菩薩のお種子「カ」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「二十六番」の札所印。左下に山号寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
【写真 上(左)】 玉川八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 東海三十三観音霊場の御朱印
■ 第27番 瑠璃山 正光院
(しょうこういん)
公式Web
港区元麻布3-2-20
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
他札所:江戸薬師如来霊場三十二ヶ所
司元別当:
授与所:庫裡
第27番札所は元麻布の正光院です。
公式Web および下記史料から縁起・沿革をたどってみます。
寛永七年(1630年)、紀州高野山学寮正智院末寺として麻布櫻田町に開創。
開基は黒田藩主筑前守忠之公、開山は正智院二十八世・検校法印宥専大和尚。
嘉永二年-文久二年(1849-1862年)刊の『江戸切絵図(麻布絵図)』にもしっかりその名がみられます。
出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』麻布絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
御本尊は弘法大師御作と伝わる薬師如来座像、脇立の日光・月光両菩薩も弘法大師の御作と伝わります。
御本尊は恵心僧都作で、一條帝御降誕の祈願佛という伝承もあるようです。
御本尊の薬師如来は霊験あらたかで「子安(易)薬師」として信仰を集めたといい、江戸薬師如来霊場三十二ヶ所の札所(現在活動休止)となっています。
弘法大師の木座像も奉安。
別尊の不動尊は麻布大山不動、地蔵尊は子育鹽地蔵と称されていずれも庶民の信仰を集めていたとのこと。
地蔵尊は石佛で、もと霞山櫻田神社の別当・天台宗観明院境内にあったのを、同寺廃絶により当山に遷されたといいます。
開基は高野山真言宗の信仰篤いと伝わる、福岡藩二代藩主の黒田筑前守忠之公。
紀州高野山学寮正智院のおそらく直末で、「麻布高野山」とも呼ばれます。
弘法大師御作と伝わる薬師如来は「子安薬師」として信仰を集めているとあっては御府内霊場札所として申し分なく、今度こそはつぎの第28番へ・・・、となりそうですがやはりそうはいきません。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には第27番札所に「芝赤ばねばしいなり別当 圓明院」とあるからです。
また、江戸八十八ヶ所霊場の第27番札所も「(赤羽橋)三宝山 永護寺 円明院 廃寺」となっています。
しかし、圓明院は『寺社書上』『御府内寺社備考』ともに記載がなく、手がかりは『御府内八十八ケ所道しるべ』しかみつかりません。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には圓明院は「高野山宝性院(寶性院)末」とあります。
Wikipediaによると、宝性院は密教の学問(事相)を大成、宝門(而二門教学)と呼ばれる学派を生み出した宥快が院主となった高野山の寺院で、無量壽院とともに「門主寺」と呼ばれて高い格式を有しました。
大正2年に無量壽院と寳性院は合併、寳壽院を号して現在は高野山真言宗の大本山となっています。
圓明院はこのような高い格式の宝性院のおそらく直末ですから、もう少し記録が残っていてもよさそうですが、どうにも手がかりがありません。
頼みの『御府内八十八ケ所道しるべ』ですが、くずし字で読解不能の箇所があり、判然としません。
「当社の神体ハ大師一刀ごとに三礼して彫刻したまふ●駆三縁山の●山に有る年久しく当院の●●宥矢阿闍梨●●●三縁山の神祠(以下不詳) 土佐國安芸郡安●村竹林山神峯寺本尊十一面かん世をん菩薩像御丈(略)尊しの●る」
弘法大師ゆかりの尊格が御座され、三縁山(増上寺)となんらかの関係がありそうですが、よくわかりません。
国立国会図書館の「錦絵でたのしむ江戸の名所」には「(浄土宗大本山の増上寺は)空海の法弟である宗叡が武州豊島郡江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町付近)に建立した真言宗光明寺を前身とし、明徳4(1393)年聖聡が浄土宗に改宗、名も増上寺と改めた。」とあります。
(この記述は『江戸名所図会』等からひいたものかと思われます。)
赤羽橋といえば増上寺のお膝元ですが、この地に稲荷神の別当として真言密寺(圓明院)が置かれ、御府内霊場の札所とされたのは何らかの意味合いがあるのかもしれません。
弘法大師と稲荷神とのゆかりについてオフィシャルな資料はあまりみつからず、諸説あるようですが、川崎市川崎区の(川中島村)稲荷社(現・大師稲荷神社)は平間寺(川崎大師)が別当を司られた(新編武蔵風土記稿)とありますし、真言密寺の鎮守として稲荷神が祀られる例も少なくありません。
『江戸名所図会』には「(赤羽橋)此辺茶店多く河原の北に●毎朝肴市立て繁昌の地なり」とあり、その栄えている様子は挿絵からもうかがえます。
「赤羽」/出典:江戸名所図会 7巻 [3]松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[3],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館DC
「赤羽橋」駅から東京タワーに向かう谷間は緑ゆたかで「もみじ谷」と呼ばれる紅葉の名所で、この時代も行楽の名所として知られていたかもしれません。(絵図類は行楽地というより繁華地として描いている。)
稲荷神は商売繁昌の神様としても篤く信仰され繁華地に祀られる例も多かったので、赤羽橋に稲荷神が祀られ、別当として密寺が置かれたのも自然な流れだったのかもしれません。
また、現・宝珠院のあたりは弁天霊場、閻魔霊場として知られ、増上寺山内は浄土宗ながら神仏混淆の色彩が強かったとみられます。(→港区Web資料)
赤羽橋稲荷大明神、およびその別当の圓明院は、このような神仏混淆的な場の雰囲気に違和感なくなじんでいたと思われ、その様子は『御府内八十八ケ所道しるべ』の挿絵からもうかがえます。
「圓明院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
圓明院については情報がすこぶる少なく、宗教政策的な機微があるいはあるのかもしれず、不用意な推測は控えた方がいいようにも思えるので、ここまでにしておきます。
なお、赤羽稲荷大明神については現在、社殿は確認できません。
(Web上で跡地の情報がいくつかみつかります。圓明院の旧地は都営大江戸線「赤羽橋」駅のすぐ北側の、古川沿いであったとみられます。)
『御府内八十八ケ所道しるべ』の札所異動表に「二十七番 赤羽橋 三宝山 圓明院 → 麻布櫻田町 瑠璃山 正光院」とあるので、おそらく明治初頭の神仏分離により芝赤羽橋の圓明院は廃され、第27番札所は麻布の正光院に承継されています。
圓明院はおそらく高野山寶性院(宝門)の直末、正光院は「学侶方宝門の筆頭寺院」(高野山正智院連歌資料集成)の高野山正智院の末でしたから、江戸の宝門寺院内で札所の承継がなされたとみられます。
-------------------------
【史料】
【正光院関連】
■ 『寺社書上 [20] 麻布寺社書上 四』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.13.』
麻布櫻田町
紀州高野山学寮正智院末
瑠璃山 正光院
古義真言宗
開闢起立 寛永七年(1630年)
開山 高野山前南山寺務検校法印宥専大和尚 正智院二十八世、寛文十三年三月遷化
本堂
本尊 薬師如来座像
弘法大師木座像
薬師堂
薬師如来座像 脇立 日光菩薩 月光菩薩 以上弘法大師御作
幷 十二神
薬師尊幷二菩薩は祖師弘法大師乃作
聖天 不動尊 愛染明王
地蔵堂
地蔵尊石立像
■ 『麻布区史 P.878』(東京都立図書館デジタルアーカイブ)
瑠璃山正光院 櫻田町三五
古義真言宗高野派 紀伊高野山正智院末。寛永七年の起立で開基は筑前大守従四位黒田忠之、開山は高野山前南山寺務検校法印宥専大和尚(正智院第二十八世、寛文十三年三月二十八日寂)である。本尊薬師如来の坐像は恵心僧都作に係り、一條帝御降誕の祈願佛と傳へている。里俗子安薬師と呼び江戸時代はなかなか信仰されていた。愛染明王像と共に寛永十年黒田侯の寄進するところと傳ふ。
境内の大師堂は府内八十八ヶ所第二十七番霊場になつている。又、不動堂と地蔵堂がある。前者は麻布大山不動と云ひ後者は子育鹽地蔵と呼ばれ、曾て小民の信仰を集めていた。地蔵は石像で、もと霞山櫻田神社の別当、天台宗観明院境内にあったのを、同寺廢絶の為め此処に移したものである。
【圓明院関連】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 地』(国立国会図書館)
二十七番
芝赤ばねばしいなり別当
三宝山 永護寺 圓明院
高野山宝性院末 古義
本尊:本地薬師瑠璃光如来 本社赤羽稲荷大明神 弘法大師
当社の神体ハ大師一刀ごとに三礼して彫刻したまふ●駆三縁山の●山に有る年久しく当院の●●宥矢阿闍梨●●●三縁山の神祠(以下不詳) 土佐國安芸郡安●村竹林山神峯寺本尊十一面かん世をん菩薩像御丈(略)尊しの●る
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【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標
東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木」駅徒歩10分。テレビ朝日通り、麻布税務署の前です。
駐車場はありますが、事前連絡要です。
六本木ヒルズにもほど近い、まさに都心のどまんなかの寺院です。
テレビ朝日通りに面した山内入口には、寺号標、札所標、そして「麻布高野山」の文字もみえます。
【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 山内
山内は意外に緑が多く、よく整備されています。
正面の階段うえに本堂。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝-1
【写真 上(左)】 向拝-2
【写真 下(右)】 扁額
斜めや横に回れなかったので様式は不明ですが、屋根に宝珠を置いているので宝形造かもしれません。
手前に屋根付きの向拝、近代建築ながら水引虹梁も置いています。
向拝見上げには「瑠璃光」の扁額。
御朱印は本堂向かって左手の庫裡にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳(専用用紙を貼込み)
中央に「本尊薬師如来」「弘法大師」「不動明王」の揮毫と薬師如来のお種子「バイ/ベイ」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「瑠璃光」印と「第廿七番」の揮毫。左下には「麻布高野山 正光院」の揮毫と寺院印が捺されています。
以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-9)
【 BGM 】
■ far on the water - Kalafina
■ Erato - 志方あきこ
■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO + JP & ROMAJI SUB
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■ 名曲の理由(ザ・カセットテープ・ミュージック)
昨日再放送の「ザ・カセットテープ・ミュージック」。
先ほどチェックしてみました。
やっぱり凄いわ、この番組。
今回のは、名曲が名曲となる理由を教えてくれた。
■ My Revolution - 渡辺美里(小室哲哉)
→ 名曲の理由(スージー鈴木氏)
のちにMy Revolution 進行と呼ばれる1645進行と3回以上にも及ぶ転調は斬新さにあふれていた。
さらにパワーアップした小室サウンド↓
この転調、はじめて聴いたとき本当になにかの間違いかと思った(笑)
■ Teenage Walk - 渡辺美里(小室哲哉)
イントロのAメロ(というかサビメロの前出し)「自分だけの翼で」の後ですでに転調してるし。
■ LOVE BRACE - 華原朋美(小室哲哉)
サビが小室進行(6451)と王道進行(4536)の複合形。
Carry(6) On(4)Carry(5)On LOVE(2.3.6)BRACE(1)
メジャーともマイナーともつかず、余韻だけが残る名フレーズ。
■ ロビンソン - スピッツ
サビ部(誰も触れない~)は王道進行4536(F→G→Em→Am)のセカンダリードミナント版(F→G/F→Em7→Am)ないし、(二人の)のソ#(E7=ミ、ソ#、シ、レの4和音)の効果。
このフレーズがなければ、この曲がここまで愛されることはなかったと思う。
■ スイートメモリーズ - 松田聖子
C→Fm(4度マイナー)のサブドミナントマイナー進行。お洒落だけどフック感ばりばり。
イントロはC→Fmaj7で、メジャーセブンス絡み。
Aメロ→「なつかしい(C) 痛みだわ ずっと前に 忘れ(Fm)ていた」
サビ→「過ぎ去った(C) 優し(Eaug)さも 今は(Fm)」
Eaug(オーギュメント)がたたみかけるように効いてサビメロ成立。
こうしてみると、やっぱり残るメロには理由がある。
■ 群青 - YOASOBI
→ 名曲の理由(スージー鈴木氏)
スージー鈴木氏もコメントしていたけど、近年のJ-POPのなかではヒゲダンの「 I LOVE...」とともに、個人的にサウンド構成の巧みさにのけぞった1曲。
とくに「感じたままに 描く~」のテクニカルなフレーズ。
→ スージー鈴木氏の「おくれ毛コード進行」説(細かいコード進行)
二重のJust The Two Of Us進行(丸サ進行)* のオサレなメジャーセブンス系フレーズから始まり、「おくれ毛コード進行」で一気にエモーショナルに。
*) Ⅳmaj7→Ⅲ7→Ⅵm7→Ⅴm7→Ⅰ7(43651進行)。この曲のAメロは436(436)51進行。
この上下遷移のはげしい難フレーズを歌いこなすikuraの実力もたいしたものだと思う。
番組のなかでマキタスポーツ氏が「(いまの曲も)アップデートしてるんですよ、やっぱり・・・」としみじみ。
ほんとにそう思う。
時代やシーンに関係なくいいものはいい。
■ I LOVE... - Official髭男dism
・トゥ・ファイブ・ワン・(シックス)進行(451(6)進行)
・Just the Two of Us進行(43651進行)
・サブドミナントマイナー(4度マイナー)
・ドミナントセブンス・スケール
・sus4コード
・(ベース)ラインクリシェ
・パッシング・ディミニッシュ
サウンド構成テクてんこ盛り。
音の質感はシティポップとは違うけど、テンションとリリースのバランス(ドミナントモーション)が絶妙。
洋楽聴いて育ったリアルシティポップ世代(50歳代)の評価が高い理由がわかる気がする。
〔代表的なコード進行〕
Chord 1 (ダイアトニック)スリーコード C F G(145)
Chord 2 J-POP 進行(王道進行) F G7 Em Am(4536)
Chord 3 小室(哲哉)進行 Am F G C(6451)
Chord 4 小室(哲哉)進行(マイナー編) Am Dm G Am(6251)
Chord 5 My Revolution 進行 C Am F G7(1645)
Chord 6 ユーロビート進行 F G Am Am(4566)
Chord 7 イチロクニーゴー(循環コード)進行 C Am Dm G7(1625)
Chord 8 期待感・増幅進行 Am Em F G7(6345)
Chord 9 カノン進行 C G Am Em F C(F G)(156341(45))
Chord 10 シティ・ポップ進行(トゥ・ファイブ・ワン・シックス)(2516)
Chord 11 Just The Two Of Us進行(丸サ進行) Fmaj7 E7 Am7 Gm7 C7(43651)
Chord 12 AOR(風)進行 Fmaj7 E7 Am7 D7(6514ないし4362)
※コード表記はCトニック(key=C)
世間でよくいわれているもので、明確な根拠(定義)はありません。
詳しくはこちら(コード進行マスター)をみてね。
-------------------------
■ ABC - 少年隊
そして1980年代後半、ペンタ(ないし王道進行)4つ打ちの時代へ・・・。
ユーロビートと歌謡曲がこの時期にシンクロした意味はその後のJ-POPを語るうえで大きいと思う。
(いい意味でも悪い意味でも。)
→ スージー鈴木氏の分析
■ Give Me Up - Michael Fortunati
4つ打ちの循環コード進行。いくらでもつくれる(笑)
■ Into The Night - Michael Fortunati
王道(J-POP)進行 4536(F/G/Em/Am)ないし4533(F/G/Em/Em)。
ユーロビートと歌謡曲のコード進行は、じつはとっても近い。
■ Never Gonna Give You Up - Rick Astley
マキタスポーツ氏がユーロビートの立役者SAW(ストック・エイトキン・ウォーターマン)を語ったときの複雑な表情が忘れられない。
1980年代前半はJ-POPがメジャーセブンス化することで洋楽に接近したと思うが、1980年代後半は洋楽が王道(J-POP)進行化することでJ-POP(というか歌謡曲)に近づいた。
■ Stay With Me 真夜中のドア - 松原みき(1979年11月)
これは当時の洋楽のエッセンス(16ビートアップビートシンコペ&メジャーセブンス)と邦楽のウェットで繊細なメロが融合した1980年代前半ならではの名曲。
「雨音はショパンの調べ」とはあきらかに質感がちがう。
1980年代の洋楽 → 邦楽カバーのヒットの流れは ↓ が嚆矢だったかと。
■ 雨音はショパンの調べ - 小林麻美(1984年)
当時の邦楽のアレンジのレベルが、すこぶる高かったことがわかる。
歌詞は松任谷由実。
〔原曲〕
■ I Like Chopin - Gazebo
■ 愛が止まらない - WINK (1988年)
Kylie Minogueの「Turn It Into Love」のカバーで作詞・作曲はSAW。
もろ日本人好みのメロ。
ビジュアルも含めエンタメ作品として一級品。
■ 淋しい熱帯魚 - ClariS(Covered)
WINKの曲をこういうニュアンスで歌い上げられるユニットがでてくるとは・・・。
ハイトーンが綺麗なので、1990年代の小室サウンドでもばっちりだと思う。
■ ひらひら ひらら - ClariS
こういうドメスティックな曲調や繊細な動画は1980年代では創りだせなかった。
もっと売れてもいい才能。
■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん
インパクトのあるカウンターメロディと、これに対峙する超ハイトーン・ボーカル。
ボカロの存在がなかったら、こういうテイクは生み出せなかったのでは?
個人的には、いまの日本の女性ボーカルのレベルは世界屈指だと思っている。
その多くはメジャーじゃないが・・・。
→ ■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)
→ ■ 女神系歌姫-1 【 Angel Voice列伝 01-50 】
番組のなかで、「コード進行が以前とはちがう効果を狙って使われているような感じがある」という趣旨のコメントがあったけど、↑ こういう曲たちを聴くとおそらくそうなんだと思う。
それにしてもマキタスポーツ氏&スージー鈴木氏のコメントは凄い。
復活してほしい番組No.1。
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先ほどチェックしてみました。
やっぱり凄いわ、この番組。
今回のは、名曲が名曲となる理由を教えてくれた。
■ My Revolution - 渡辺美里(小室哲哉)
→ 名曲の理由(スージー鈴木氏)
のちにMy Revolution 進行と呼ばれる1645進行と3回以上にも及ぶ転調は斬新さにあふれていた。
さらにパワーアップした小室サウンド↓
この転調、はじめて聴いたとき本当になにかの間違いかと思った(笑)
■ Teenage Walk - 渡辺美里(小室哲哉)
イントロのAメロ(というかサビメロの前出し)「自分だけの翼で」の後ですでに転調してるし。
■ LOVE BRACE - 華原朋美(小室哲哉)
サビが小室進行(6451)と王道進行(4536)の複合形。
Carry(6) On(4)Carry(5)On LOVE(2.3.6)BRACE(1)
メジャーともマイナーともつかず、余韻だけが残る名フレーズ。
■ ロビンソン - スピッツ
サビ部(誰も触れない~)は王道進行4536(F→G→Em→Am)のセカンダリードミナント版(F→G/F→Em7→Am)ないし、(二人の)のソ#(E7=ミ、ソ#、シ、レの4和音)の効果。
このフレーズがなければ、この曲がここまで愛されることはなかったと思う。
■ スイートメモリーズ - 松田聖子
C→Fm(4度マイナー)のサブドミナントマイナー進行。お洒落だけどフック感ばりばり。
イントロはC→Fmaj7で、メジャーセブンス絡み。
Aメロ→「なつかしい(C) 痛みだわ ずっと前に 忘れ(Fm)ていた」
サビ→「過ぎ去った(C) 優し(Eaug)さも 今は(Fm)」
Eaug(オーギュメント)がたたみかけるように効いてサビメロ成立。
こうしてみると、やっぱり残るメロには理由がある。
■ 群青 - YOASOBI
→ 名曲の理由(スージー鈴木氏)
スージー鈴木氏もコメントしていたけど、近年のJ-POPのなかではヒゲダンの「 I LOVE...」とともに、個人的にサウンド構成の巧みさにのけぞった1曲。
とくに「感じたままに 描く~」のテクニカルなフレーズ。
→ スージー鈴木氏の「おくれ毛コード進行」説(細かいコード進行)
二重のJust The Two Of Us進行(丸サ進行)* のオサレなメジャーセブンス系フレーズから始まり、「おくれ毛コード進行」で一気にエモーショナルに。
*) Ⅳmaj7→Ⅲ7→Ⅵm7→Ⅴm7→Ⅰ7(43651進行)。この曲のAメロは436(436)51進行。
この上下遷移のはげしい難フレーズを歌いこなすikuraの実力もたいしたものだと思う。
番組のなかでマキタスポーツ氏が「(いまの曲も)アップデートしてるんですよ、やっぱり・・・」としみじみ。
ほんとにそう思う。
時代やシーンに関係なくいいものはいい。
■ I LOVE... - Official髭男dism
・トゥ・ファイブ・ワン・(シックス)進行(451(6)進行)
・Just the Two of Us進行(43651進行)
・サブドミナントマイナー(4度マイナー)
・ドミナントセブンス・スケール
・sus4コード
・(ベース)ラインクリシェ
・パッシング・ディミニッシュ
サウンド構成テクてんこ盛り。
音の質感はシティポップとは違うけど、テンションとリリースのバランス(ドミナントモーション)が絶妙。
洋楽聴いて育ったリアルシティポップ世代(50歳代)の評価が高い理由がわかる気がする。
〔代表的なコード進行〕
Chord 1 (ダイアトニック)スリーコード C F G(145)
Chord 2 J-POP 進行(王道進行) F G7 Em Am(4536)
Chord 3 小室(哲哉)進行 Am F G C(6451)
Chord 4 小室(哲哉)進行(マイナー編) Am Dm G Am(6251)
Chord 5 My Revolution 進行 C Am F G7(1645)
Chord 6 ユーロビート進行 F G Am Am(4566)
Chord 7 イチロクニーゴー(循環コード)進行 C Am Dm G7(1625)
Chord 8 期待感・増幅進行 Am Em F G7(6345)
Chord 9 カノン進行 C G Am Em F C(F G)(156341(45))
Chord 10 シティ・ポップ進行(トゥ・ファイブ・ワン・シックス)(2516)
Chord 11 Just The Two Of Us進行(丸サ進行) Fmaj7 E7 Am7 Gm7 C7(43651)
Chord 12 AOR(風)進行 Fmaj7 E7 Am7 D7(6514ないし4362)
※コード表記はCトニック(key=C)
世間でよくいわれているもので、明確な根拠(定義)はありません。
詳しくはこちら(コード進行マスター)をみてね。
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■ ABC - 少年隊
そして1980年代後半、ペンタ(ないし王道進行)4つ打ちの時代へ・・・。
ユーロビートと歌謡曲がこの時期にシンクロした意味はその後のJ-POPを語るうえで大きいと思う。
(いい意味でも悪い意味でも。)
→ スージー鈴木氏の分析
■ Give Me Up - Michael Fortunati
4つ打ちの循環コード進行。いくらでもつくれる(笑)
■ Into The Night - Michael Fortunati
王道(J-POP)進行 4536(F/G/Em/Am)ないし4533(F/G/Em/Em)。
ユーロビートと歌謡曲のコード進行は、じつはとっても近い。
■ Never Gonna Give You Up - Rick Astley
マキタスポーツ氏がユーロビートの立役者SAW(ストック・エイトキン・ウォーターマン)を語ったときの複雑な表情が忘れられない。
1980年代前半はJ-POPがメジャーセブンス化することで洋楽に接近したと思うが、1980年代後半は洋楽が王道(J-POP)進行化することでJ-POP(というか歌謡曲)に近づいた。
■ Stay With Me 真夜中のドア - 松原みき(1979年11月)
これは当時の洋楽のエッセンス(16ビートアップビートシンコペ&メジャーセブンス)と邦楽のウェットで繊細なメロが融合した1980年代前半ならではの名曲。
「雨音はショパンの調べ」とはあきらかに質感がちがう。
1980年代の洋楽 → 邦楽カバーのヒットの流れは ↓ が嚆矢だったかと。
■ 雨音はショパンの調べ - 小林麻美(1984年)
当時の邦楽のアレンジのレベルが、すこぶる高かったことがわかる。
歌詞は松任谷由実。
〔原曲〕
■ I Like Chopin - Gazebo
■ 愛が止まらない - WINK (1988年)
Kylie Minogueの「Turn It Into Love」のカバーで作詞・作曲はSAW。
もろ日本人好みのメロ。
ビジュアルも含めエンタメ作品として一級品。
■ 淋しい熱帯魚 - ClariS(Covered)
WINKの曲をこういうニュアンスで歌い上げられるユニットがでてくるとは・・・。
ハイトーンが綺麗なので、1990年代の小室サウンドでもばっちりだと思う。
■ ひらひら ひらら - ClariS
こういうドメスティックな曲調や繊細な動画は1980年代では創りだせなかった。
もっと売れてもいい才能。
■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん
インパクトのあるカウンターメロディと、これに対峙する超ハイトーン・ボーカル。
ボカロの存在がなかったら、こういうテイクは生み出せなかったのでは?
個人的には、いまの日本の女性ボーカルのレベルは世界屈指だと思っている。
その多くはメジャーじゃないが・・・。
→ ■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)
→ ■ 女神系歌姫-1 【 Angel Voice列伝 01-50 】
番組のなかで、「コード進行が以前とはちがう効果を狙って使われているような感じがある」という趣旨のコメントがあったけど、↑ こういう曲たちを聴くとおそらくそうなんだと思う。
それにしてもマキタスポーツ氏&スージー鈴木氏のコメントは凄い。
復活してほしい番組No.1。
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■ 幻のユニットkalafina
この素晴らしいユニットが数年前まで日本に存在していたとは、いまから考えると奇跡のようです。
これほどのユニットをメジャーに押し上げられなかった、日本の音楽業界とリスナーたち・・・。
失ったものはあまりにも大きい。
■ Kalafina歴史~10周年記念
大人数ユニゾン全盛の時代に、ハモリの素晴らしさを伝えつづけたユニット。
誰ひとり欠けても絶対に成立しない絶妙なハーモニー。
そして、これを支えるFBM(FRONT BAND MEMBERS)の腕利きたち・・・。
■ Kalafina - Musunde Hiraku
■ Kalafina - far on the water
■ Kalafina - Mirai 未来
→ ■ 伝説のユニットkalafina
→ ■ FictionJunctionの秘密?
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-7
Vol.-6からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。
■ 第21番 寶珠山 東福院
(とうふくいん)
公式Web
新宿区若葉2-2-6
新義真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第21番、弁財天百社参り第34番
司元別当:
授与所:寺務所
第21番はふたたび四谷に飛びます。
公式Webによると、天正三年(1575年)に開基(開山)法印祐賢上人、外護者大沢孫右衛門尉によって麹町九丁目(横町)に創建。
寛永十一年(1634年)に現在地に移転といいます。
大沢氏は藤原北家持明院流とされ、本拠は遠州堀江城(浜松市西区)。
今川家家臣から徳川家に仕え、大沢基宿は最初の高家職を勤めたことで知られています。
高家は幕府の職制のひとつで、老中の管轄下で将軍の代参、勅使・院使の接待や饗応役の大名への儀典指南などの職務を果たしました。
ちなみに忠臣蔵の敵役、吉良上野介義央は高家で、赤穂事件の直前まで浅野内匠頭長矩に対して勅使饗応役の指南を行っていたといいます。
高家職に就けるのは「高家旗本」(「高家」の家格にある旗本)のみで、主に有力大名・守護系戦国大名の子孫や公家の分家など、「名門」の家柄で占められたといいます。
大沢氏は藤原北家持明院流という家格もあって、高家に任ぜられたのでは。
東福院は『御府内寺社備考』では「常陸国(筑波山)護持院末」とあり、もともとは筑波山知足院中禅寺(大御堂)の末寺だったようですが、いまは根来寺を祖廟(本山)とする新義真言宗寺院です。
なお、筑波山知足院中禅寺(大御堂)は、真言宗江戸触頭四箇寺および徳川将軍家祈祷寺と強い関係をもち、具体的には筑波知足院 → 江戸知足院 → 江戸護持院 → 音羽護国寺という流れがみられますが、これについては第87番護国寺でふれます。
(→『近世初期の知足院』坂本正仁氏/PDF』)
『御府内寺社備考』によると、御本尊は大日如来。
脇士に不動明王と毘沙門天を奉安し、両界八祖画像、弘法大師像を安ずる保守本流的な真言宗寺院であったようです。
江戸八十八ヶ所霊場も同番なので、開創当初からの札所とみられます。
弁天堂の御本尊辨財天(秘像)は弘法大師の御作と伝わり、お前立の辨財天座像も奉安、「出世辨天」として尊崇をあつめた弁財天百社参り第34番の札所本尊は、こちらの弁財天尊ではないでしょうか。
なお、『ルートガイド』によると地蔵堂の地蔵菩薩は「豆腐地蔵」と呼ばれ、由来の逸話を載せていますが、『寺社書上』『御府内寺社備考』にはこの縁起は記載されておらず、江戸後期以降の伝承かもしれません。
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【史料】
■ 『寺社書上 [44] 四谷寺社書上』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.62』
四谷南寺町
本寺常陸国(筑波山)護持院末
阿祥山 宝壽寺 東福院
新義真言宗
起立慶長十六年辛亥(1611年)麹町九丁目横町
開山 法印祐賢
本尊 大日如来
脇士 不動尊 毘沙門天
両界八祖画像
弘法大師木像
弁天堂
本尊辨財天(秘像) 弘法大師作 前立辨財天座像
脇立 大黒天立像 毘沙門天
不動尊 十一面観音
地蔵堂
地蔵尊立像 疱瘡神 愛宕
稲荷社
神体無之 本地十一面観音立像 石地蔵尊
寺中 泉蔵院
■ 『四谷区史 [本編]』(国立国会図書館)
阿祥山寶壽寺東福院は大塚護持院末の新義眞言宗で、四谷南寺町今の寺町にある。境内は古跡拝領地で千九百三十四坪餘、慶長十六年辛亥(1611年)麹町九丁目横町に起立し、寛永十一年甲戌(1634年)此地に転じた。開山法印祐賢の示寂年月は明かでない。府内八十八箇所廿一番の札所である。猶寺には辨財天木像涅槃画像其他を蔵していて、中にも辨財天は出世辨天と称して有名である。(略)
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【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 院号標
四谷寺町に立地し、寛永十一年(1634年)麹町九丁目横町から現在地に移転しているので、寛永年間(1624-1645年)家光公の治世に江戸城外堀工事のため四谷に移転させられた麹町の寺院のひとつとみられます。
第18番愛染院と東福院坂(天王坂)を挟んだほぼ対面にあります。
【写真 上(左)】 根来寺の寺紋「三つ柏」
【写真 下(右)】 参道
東福院坂の途中に山内入口。
根来寺を祖廟(本山)とする新義真言宗寺院は、御府内霊場では3箇寺(当山、自性院(谷中)、加納院(谷中))。
門扉には新義真言宗総本山根来寺の寺紋「三つ柏」が掲げられています。
【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 本堂
正面が近代建築の本堂。
参道右手に御府内霊場札所碑、子育?地蔵尊、聖観世音菩薩、地蔵堂と並びます。
地蔵堂は『ルートガイド』に載っているもので、堂内扁額には「豆腐地蔵尊」とありました。
【写真 上(左)】 地蔵堂
【写真 下(右)】 豆腐地蔵尊
【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額
本堂は寺務所を兼ねていて仏堂のイメージはうすいですが、正面に山号扁額が掲げられているので、こちらからの奉拝と思われます。
御朱印は寺務所にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「本尊 大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と金剛界大日如来のお種子「バン」の御寶印。
「豆腐地蔵」の印判も捺されています。
右上に「第二十一番」の札所印。左下に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
■ 第22番 天谷山 龍福寺 南蔵院
(なんぞういん)
新宿区箪笥町42
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第22番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第27番、弁財天百社参り第40番
司元別当:
授与所:庫裡
御府内霊場には南蔵院と号する札所が練馬(第15番)、牛込(第22番)と高田(第29番)の3箇寺あり、それぞれ練馬南蔵院、牛込南蔵院、高田南蔵院と呼んで区別されます。
下記史料類と『ルートガイド』をもとに牛込南蔵院の縁起・由緒をたどってみます。
牛込南蔵院は、元和元年(1615年)、牛込城主の牛込勝重が正胤法印を請じて早稲田の地に吉祥山福正院と号して創建。
当初は弁財天二尊を上宮・下宮として祀っていたといいます。
延宝九年(1681年)、旧寺地が御用地として召上げられ、替地として現在地を拝領して移転し元号に改めました。
弁財天上宮は現在地に遷られ、下宮は弁天町の宗参寺(曹洞宗)にご遷座して奉祀といいます。
宗参寺も江戸三十三ヶ所弁財天霊場第26番、弁財天百社参り第41番の兼務札所ですから、こちらも代表的な弁財天霊場となっていたことがわかります。
【写真 上(左)】 宗参寺
【写真 下(右)】 宗参寺の御朱印
当山、宗参寺ともに牛込氏とのゆかりがふかい寺院です。
新宿区の新宿文化観光資源サイトでは宗参寺山内の牛込氏墓が紹介され、説明文には下記の内容が記されています。
・牛込氏は上野国勢多郡大胡(現・前橋市大胡町周辺)の領主・大胡氏の出で、15世紀末に武蔵国に進出して北条氏に従った。
・大永六年(1526年)には牛込に定住し、天文二十四年(1555年)北条氏康により牛込姓への改姓を認められ、牛込から日比谷あたりまで領有。
・その城館は現在の光照寺(袋町15番地)一帯の「牛込城跡」(新宿区登録史跡)に築かれ、「牛込家文書」は東京都指定有形文化財。
・天正十八年(1590年)の北条氏滅亡後は徳川氏に従い幕臣となった。
・宗参寺は天文十二年(1543年)に没した大胡重行(法名宗参)の墓所として子の勝行が創建した寺院で、以来牛込氏の菩提寺となっている。
また、Wikipediaには「徳川家康の江戸入城の後、館(牛込城)は廃止され、跡地に神田光照寺が移転してきたのは1645年のことであったとされる。」とあります。
『ルートガイド』によると、正胤法印は上総千葉一族とのこと。
たしかに千葉氏の通字は「胤」ですが、千葉氏は一族が多いので簡単には追い切れません。
『御府内寺社備考』をみると、南蔵寺は当初から弁財天とのゆかりがふかく、旧来は弁財天が御本尊であった可能性があります。
山内に宇賀神、十五童子立像も安置され、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第27番、弁財天百社参り第40番のふたつの弁財天霊場の札所でもありました。
現在の南蔵院の御本尊および御府内霊場の札所本尊は千手観世音菩薩です。
ところが、不思議なことに『御府内寺社備考』には千手観世音菩薩にかかわる記載がありません。
弘法大師については、寺中薬王院に弘法大師木坐像を奉安しており、御府内霊場札所の要件を満たしています。
江戸八十八ヶ所霊場も同番なので、開創当初からの札所とみられます。
東京都公文書館によると、『御府内寺社備考』は文政九年(1826年)から3年程度で作成されました。
御府内霊場の開創は宝暦五年(1755年)頃とみられるので、『御府内寺社備考』は御府内霊場開創後の作成です。
なので、当初の南蔵院の御府内霊場札所本尊は、弁財天と弘法大師であった可能性もあります。
弁財天と千手観世音菩薩の尊格的なつながりはよくわかりませんが、日本三大弁天のひとつ竹生島宝厳寺の千手千眼観世音菩薩は、西国三十三所第30番の札所本尊で当山御本尊の弁天様と同じく60年に一度の御開扉です。
また、江ノ島の岩屋内には弁財天とともに千手観世音菩薩が祀られています。
栃木県の大谷寺(坂東観音霊場第19番)にも千手観音と弁財天にまつわる伝承が伝わります。
その昔、この地に毒蛇が棲みつき、毒蛇が吐き出す毒水の害で人々が苦しみ、毒蛇の住処は「地獄谷」と呼ばれて畏れられていました。
東国を巡錫中の弘法大師がこの話を聞かれると、秘法をもってこの毒蛇を退治されました。
大師が去られた後に人々が地獄谷を訪れると、高い岩山には千手観音が光り輝き、その脇侍として不動明王と毘沙門天が彫られており、これが大谷寺開山の縁起とされます。
大谷寺には弁天堂があり、こちらの弁財天には、弘法大師の秘法により心を入れ替えた毒蛇がお仕えしているそうです。(同山パンフ記載の縁起より抜粋)
以上から、弁財天と千手観世音菩薩はなんらかの関係があるとも考えられ、その縁から千手観世音菩薩が御本尊となられたのかもしれません。
(かなり牽強附会的なこの見方は、あくまでも筆者の憶測です。)
弘法大師とのゆかりは強く、聖天堂の本地佛・十一面観世音菩薩は弘法大師作、寺宝の獨鈷杵は弘法大師が唐より招来されたもの、般若心経も弘法大師御筆と記されています。
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【史料】
■ 『御府内寺社備考 P.35』
牛込御箪笥町
京都大佛智積院末
天谷山 竜福寺 南蔵院
当寺開闢之儀者元和の初年(1615年)下総國香取妙幢院正胤法印 武蔵國牛込之領主何某請ふより同國豊嶋郡早稲田の里●褐をとて●上宮下宮乃二宇を造立し辨財天二体を勧請し正胤法印上の宮を別当し吉祥山福正院といふ ●後第四世日胤代延宝九年(1681年)右地所御用地ニ付召上替地として南●之地所を拝領 仕以地名を蟇谷といへ(略)当所に称し天谷山南蔵院と改む。下の宮を●猶旧内地に安置●●弁天町●なり。
弁天木座像
十五童子木立像
唐●●●
右●宇賀神安置
薬師木座像
金毘羅木立像
獨鈷杵 弘法大師大唐より渡来開山正胤所持是什宝とす
般若心経 弘法大師筆
辨財天縁起 一巻
聖天堂
本尊観世音 黄金鋳像 秘佛
本地佛 十一面観世音 弘法大師作 木立像 水戸家御寄附宝暦六年(1756年)
歓喜天●尊● 一基
護摩堂
本尊不動明王木立像
阿弥陀堂
本尊阿弥陀如来 安阿弥作木坐像
稲荷社
寺中二軒
安養院 当時廃地
薬王院 本尊薬師如来 地蔵尊木立像 弘法大師木坐像
■ 『牛込区史』(国立国会図書館)
天谷山龍福寺南蔵院 智積院末
元和初年(1615年)、早稲田在辨財天上宮(今の辨天町でゝもあらう)の別當として、正胤法印開山、寺号を吉祥山福正院と云つたが、延寳九年箪笥町に移り、寺號を改めた。開山法印正胤寛永七年(1630年)二月廿九日遷化。(略)
本尊辨財天は弘法大師の作といひ伝ふ。
寺中 安養院
同上 薬王院
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【写真 上(左)】 前面道路からの山内
【写真 下(右)】 山内入口
新宿区の牛込周辺はいまでも古い地名が住所として残っています。
箪笥町もそのひとつで、「箪笥」とは"武器"のことで、江戸時代に幕府の武器をつかさどる具足奉行・弓矢鑓奉行組同心の拝領屋敷があったことに由来するとのこと。(→東京都公文書館(江戸東京の町名)より)
かつては陸の孤島的だった牛込辺も、都営大江戸線の開通により俄然便利になりました。
南蔵院は、都営大江戸線「牛込神楽坂」駅直近にあります。
通りに面して門柱。門柱には院号の表札。
門柱右に「大聖歓喜天」の石標、門柱左には御府内霊場札所標。
【写真 上(左)】 札所碑
【写真 下(右)】 山内
正面が本堂、向かって右手に聖天堂の伽藍配置です。
本堂はコンクリ造の近代建築ですが、切妻の妻の下に銅板葺の唐破風向拝を附設。
見た目の印象からすると入母屋造ないし切妻造の妻入りかもしれません。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝
唐破風鬼に経の巻獅子口。その上の妻部は格子仕上げで拝みに蕪(三つ花)懸魚と鬼板には真言宗の輪違い紋を掲げて本堂の風格を備えています。
【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 斜めからの本堂
がっしりとした向拝柱と見上げに院号扁額。
堂前向かって右の通常修行大師像が御座す場所には地蔵尊立像の安置なので、弘法大師御像は本堂内と思われます。
【写真 上(左)】 本堂(手前)と聖天堂(奥)
【写真 下(右)】 聖天堂
本堂向かって右手の堂宇は聖天堂。
おそらく入母屋造瓦葺の妻入りで、妻部に向拝を附設したかたちかと思います。
こちらは伝統的な寺院建築で、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、中備に板蟇股などを備え、向拝上部に「歓喜天」の扁額を掲げています。
『御府内寺社備考』記載の「聖天堂」の系譜をひく堂宇かと思われます。
御朱印は本堂右手の庫裡にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳(専用用紙貼付)
中央に「本尊 千手観世音菩薩」「弘法大師」の揮毫と千手観世音菩薩のお種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「第弐拾貳番」の札所印。左下に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
■ 第23番 川崎大師 東京別院 薬研堀不動院
(やげんぼりふどういん)
公式Web
中央区東日本橋2-6-8
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:関東三十六不動尊霊場第21番、御府内二十八不動霊場第9番
司元別当:
授与所:本堂内
第23番札所は川崎大師東京別院の薬研堀不動院です。
公式Webには、薬研堀不動院は、古くから目黒(不動尊)、目白(不動尊)と並び江戸三大不動として知られ、『江戸名所図会』をはじめ多くの文献に紹介されているとの由。
公式Webおよび『ルートガイド』『関東三十六不動霊場公式ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。
保延三年(1137年)、真言宗中興の祖・興教大師(覚鑁上人)は43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼で不動明王尊像を敬刻、紀州・根来寺に奉安されました。
天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭った際、根来寺の大印僧都がこの尊像を守護して葛籠に納め、みずから背負われて東国へ下りました。
大印僧都は隅田川のほとりに有縁の霊地を定め、天正十九年(1591に)堂宇を建立されたのが薬研堀不動院のはじまりといいます。
こちらの不動尊の霊験まことにあらたかで、人々は「葛籠不動尊」と称し、目黒不動尊、目白不動尊とあわせて「江戸三大不動尊」と奉じて篤く尊崇したといいます。
とくに薬研堀不動尊の歳の市は、江戸の一年を締めくくる風物詩としてたいへん賑わったそうです。
(「歳の市」は12月14日の深川八幡に始まり、浅草観音、神田明神、愛宕神社、平河、湯島天神を巡って28日の薬研堀不動院で納めとなりました。)
山内の「収めの歳の市碑」(歳の市保存会)には、往年の歳の市の賑わいがつぎのとおり描写されています。
「戦前は何十軒もの羽子板屋が出店し 当時の千代田小学校の通りには『がさ市』が立ち 〆飾り 角松 竹 海老 こんぶ等が威勢よく売られ 身動き出来ぬ位の人出に下町情緒豊かな歳末風景がみられた」
また、当山は講談発祥の地という説があり、山内には「講談発祥之地碑」が建てられて、いまもご縁日の28日には講談が奉納されています。
明治二十五年(1892年)川崎大師平間寺の別院となり、都内有数の弘法大師霊場・不動尊霊場としていまに至っています。
江戸中期に変遷があったとみられ、「猫の足あと」様掲載の『中央区史』には「天保年中(1831-1845年)、本所弥勒寺中へ移され、維新後、有縁の旧地に移り咲いて仏殿を造営」とあります。
御府内霊場の開創は宝暦五年(1755年)頃とされるので、薬研堀不動院の弥勒寺中への移転(天保年中(1831-1845年))前です。
弥勒寺は御府内霊場開設当初からの札所(第50番)とみられるので、薬研堀不動院が当初からの札所(第23番)だとすると移転り際に弥勒寺の札所兼務問題がでてきます。
一方、江戸八十八ヶ所霊場の第23番は、市谷川田ヶ久保の稲荷山 薬王寺で、明治はじめの神仏分離で廃寺となっています。
『御府内八十八ケ所道しるべ』によると、御府内霊場第23番は明治のはじめまで市ヶ谷の薬王寺とあります。
よって薬研堀不動院は、明治二十五年(1892年)までに本所の弥勒寺内から旧地に移り咲き、御府内霊場第23番は川崎大師平間寺の別院となった薬研堀不動院に引き継がれたのではないでしょうか。
真言宗智山派の大本山・平間寺(川崎大師)の東京別院だけに、札所承継にあたり様々な動きがあったのかもしれませんが、詳細はわかりません。
薬王寺は大塚護國寺末だったので現在の真言宗豊山派系、平間寺は真言宗智山派の大本山ですから、札所の承継にやや疑問はありますが、なにぶん天保年中(1831-1845年)から明治初期までの薬研堀不動院の動静がほとんどたどれないので、下記史料類から薬王寺についてたどってみます。
薬王寺は室町時代、武将・太田道灌(1486年没)が築いた城の守護として京都稲荷山の神霊を勧請して市ヶ谷御門のあたりに草創と伝わります。
開山は法印澄覺(寛文三年(1663年)十月遷化)。
当初は愛染尊(明王)を安置し、愛染院と号していたようです。
元和の頃(1615-1624年)、稲荷社は当寺より二町ばかり北の方へ遷られたといいます、
中興開山は法印證覚(正(徳)三年(1713年)十月遷化)。
貞享年中(1684-1688年)に弘法大師御作の薬師如来像を奉安し、愛染院から薬王寺に号を改めたといいます。
『江戸名所図会』には「(稲荷社を)其後又此地へうつして当寺の護法神とせり。」とあるので、法印證覚の頃に稲荷社が当地に戻られて護法神となったのかもしれません。
史料類をみると、弘法大師御作の御本尊・薬師如来をはじめ、弘法大師の御自作像、(興)教大師御作の顧不動尊を奉安するなど、堂々たる新義真言宗寺院の内容を備え、弘法大師霊場札所としての資格も充分備えていたものとみられます。
桂昌院(5代将軍綱吉公の生母)、常憲院(徳川綱吉公)の帰依が篤かったらしく、仏像・仏画の寄附の記録が残ります。
このような由緒ある寺院が明治の神仏分離で廃寺となってしまったのは、いささか不思議な感じもしますが、いまは「市谷薬王寺町」の地名にその名を残すのみです。
なお、Wikipediaなど複数のWeb資料で「(薬王寺の)法灯は文京区大塚の護国寺に移された。」とあります。
護国寺は御府内霊場の第87番札所。
護国寺での重番を避けるとしても、豊山派系の寺院が承継すればよさそうですが、智山派大本山・平間寺(川崎大師)の東京別院が引き継いだ背景には、やはり特段の事情があったのかもしれません。
いずれにしても、平間寺(川崎大師)は東京別院を通じて御府内霊場の一画を占めることとなりました。
「薬研堀」/原典:松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[1],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
※本所移転前の絵図と思われます。
-------------------------
【史料】
■ 『寺社書上 [38] 市谷寺社書上 三止』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.39』
市谷南寺町
大塚護國寺末
稲荷山 東光院 薬王寺
新義真言宗
開山 法印澄覺(寛文三年(1663年)十月遷化)
中興開山 法印證覚(正(徳)三年(癸巳)(1713年)十月遷化)
本尊 薬師如来 弘法大師作 石像秘佛
前立 薬師如来 木座像丈七寸
日光 月光 十二神将
・桂昌院様御寄附
正観世音 唐佛金之像 丈壱尺二寸
顧不動尊 (興)教大師作 木坐像丈九寸
幷両脇士
・桂昌院様ヨリ拝領
愛染尊 運慶作 木像 丈八寸
毘沙門天王 聖徳太子作 木像 丈三尺許
阿弥陀如来 行基菩薩作 木立像一尺二寸
地蔵尊
弘法大師御自作像 椅子座 丈ヶ壱尺壱寸
歓喜天 唐金鋳像秘佛
・寺寶
嵯峨帝御守本尊 佛眼佛母尊 天竺佛
・常憲院様ヨリ拝領
不動尊 一幅 弘法大師筆 二童子 倶利伽羅 後●院後持尊
涅槃像
(略)
稲荷社
稲荷大明神 神躰木立像
御本地佛 十一面観世音 鋳佛坐像
天神木坐像 辨才天木坐像
唐寺開闢之義 往古太田持資入道道灌 御城築●●為 城内乾●護 京都稲荷山●神霊を勧請し ●愛染尊を安置依●稲荷山愛染●と号し市ヶ谷御門之(略)貞享年中(1684-1688年)弘法大師彫刻之石像坐像●来安置と依て本院改号薬王寺とす
桂昌院様依●帰依薬師如来(略)寄附
■ 『江戸名所図会 第2 (有朋堂文庫)』(国立国会図書館)
稲荷山 薬王寺
東光院と号す。同所より西方の方、河田ヶ窪にあり。新義の真言宗にして、大塚の護國寺に属せり。
開山を法印澄覺と号く。
本尊薬師如来の像は、弘法大師、天台四明の洞の霊石を得て、彫刻し給ひし霊像なりといふ。貞享(1684-1688年)の初、須田氏某、当寺に安置なし奉るとなり。
当寺昔は愛染院と称したりといふ。
稲荷祠
境内にあり。相傳ふ。太田道灌(1486年没)の勧請にして、むかしは今の市ヶ谷御門の辺にありしとなり。元和の頃(1615-1624年)当寺より二町ばかり北の方へ遷し、其後又此地へうつして当寺の護法神とせり。
「薬王寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
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【写真 上(左)】 街路にはためく幟-1
【写真 下(右)】 同-2
都営浅草線「東日本橋」駅徒歩約3分、都営新宿線「馬喰横山」駅徒歩約5分という交通至便の札所です。
あたりは完璧なビル街で、その道路沿いにお不動様の幟が並び立つさまはなかなか絵になります。
【写真 上(左)】 改修後の現山内
【写真 下(右)】 本堂
ビルに囲まれた一画に急な階段と、その上に重層八角堂的なお堂。
参道階段脇には幟がはためき、不動尊霊場の趣きがあります。
こちらは数年前にリニューアルされ、手前に数台分の駐車場ができました。
本堂内にあった納経所は、駐車場前に移されて全体に山内はすっきりとしています。
【写真 上(左)】 参道階段
【写真 下(右)】 向拝
階段をのぼった正面が向拝で五色幕が張り巡らされて華やかです。
「不動尊」の提灯のおくに「薬研堀不動院」の扁額。
以前は本堂内でお参りできましたが、現在は不明です。
正面お厨子のなかにお不動さまと向かって右に観世音菩薩像。
左手の尊像は金剛界大日如来でしょうか。
その両脇には弘法大師像と興教大師像という、真言宗寺院らしい堂内です。
【写真 上(左)】 扁額
【写真 下(右)】 講談の会の案内
公式Webで「不動院の鎮守」として紹介されている矢ノ庫稲荷神社は、「東日本橋」駅寄りの薬研堀不動院信徒会館のよこの角地に御鎮座で、薬研堀不動院納経所で御朱印を拝受できます。
【写真 上(左)】 矢の庫稲荷
【写真 下(右)】 矢の庫稲荷の御朱印
境内の縁起書によると、かつて当地に隣接する日本橋一丁目あたりは谷野と呼ばれ、正保二年(1645年)幕府が米蔵を建て谷野蔵矢之倉と称されました。
米蔵の庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿し三社稲荷神社を祀りました。
中央は谷野蔵稲荷、左に福富稲荷、右には新左衛門稲荷で、元禄十一年(1698年)に御蔵を鉄砲洲に移転した際に三社稲荷は一緒に御遷座されました。
御蔵跡周辺の人々は三社稲荷の名を惜しんで、新左衛門稲荷と福富稲荷を初音森神社に合祀、谷野蔵稲荷は変遷を経て現在地に御鎮座となり、社号も矢の庫稲荷と改められました。
経緯は明らかでないですが、薬研堀不動院公式Webには「不動院の鎮守」として矢の庫稲荷が紹介されています。
上記のとおり、旧第23番札所の稲荷山 薬王寺には太田道灌ゆかりの稲荷社が祀られていました。
三社稲荷のうち新左衛門稲荷と福富稲荷が合祀された初音森神社も太田道灌ゆかりの神社で、三社稲荷神社・太田道灌を介してなんらかの繋がりがあったのかもしれません。
ちなみに、初音森神社は墨田区千歳の御鎮座ですが、元地とされる東日本橋二丁目は薬研堀不動院(矢の庫稲荷)のそばで、昭和23年に旧跡地に初音森神社摂社(儀式殿)が創建されています。
【写真 上(左)】 やげん堀七味の奉納サンプル
【写真 下(右)】 聖徳太子碑
不動院に戻って、本堂向かって右手にはやげん堀七味の奉納サンプル、手水舎、聖徳太子碑など。
【写真 上(左)】 講談発祥記念之碑
【写真 下(右)】 遍路大師尊像
【写真 上(左)】 順天堂発祥之地碑
【写真 下(右)】 収めの歳の市碑
本堂向かって左手には講談発祥記念之碑、遍路大師尊像、順天堂発祥之地碑、収めの歳の市碑、梵字不動尊、子寶地蔵尊と並びます。
【写真 上(左)】 梵字不動尊
【写真 下(右)】 子寶地蔵尊
梵字不動尊は、薬研堀不動院開創四百十五年を記念して梵字書家により不動三尊として揮毫、石刻されたものです。
中央は不動明王のお種子「カンマーン」、向かって右は不動明王の左脇侍である矜羯羅童子のお種子「コンカラ」、向かって左は不動明王の右脇侍である制多迦童子のお種子「セイタカ」と思われます。
【写真 上(左)】 納経所
【写真 下(右)】 御朱印見本
御朱印は納経所にて拝受しました。
お不動様の御朱印は御本尊、御府内霊場、関東三十六不動尊霊場の3種です。
べつに矢ノ庫稲荷神社の御朱印も授与されています。
また、オリジナルの御朱印帳も廉価にて頒布されています。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「大聖不動明王」「川崎大師別院」の揮毫と不動明王のお種子「カン/カーン」の揮毫と御寶印(火焔宝珠)。
右上に「御府内第廿三番」の札所印。左下に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
〔 御本尊の御朱印 〕
〔 関東三十六不動尊霊場の御朱印 〕
■ 第24番 高天山 大徳院 最勝寺
(さいしょうじ)
新宿区上落合3-4-12
真言宗豊山派
御本尊:釈迦牟尼如来
札所本尊:釈迦牟尼如来
他札所:
司元別当:中井御霊神社(新宿区中井)、東山藤稲荷神社(新宿区下落合)
授与所:庫裡
第24番札所は新宿区上落合に飛んで豊山派の最勝寺です。
上落合は府外で、『新編武蔵風土記稿』の範疇ですがごく簡単な記載しかありません。
これでは詳細のたどりようがないので、「猫の足あと」様記載の『新宿区の文化財』から抜粋引用させていただきます。
・創建時期や開基は不明だが、江戸時代には中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当寺であった。
・最勝寺の塀際にある弘法大師の石標(御府内霊場道標/安政五年(1858年))には「弘法大師24番」「従是四谷北町和光院ニ11町」「従是新町多聞院ニ1町」とある。
・これは、内藤新宿の三光院にあったもので、明治初年に三光院が廃寺になった際、その大師堂が最勝寺に移された時、一緒に移ったと思われる。
『ルートガイド』には、開創・建立の詳細不明ながら鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の開創と伝わり、中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当であったこと、度々戦火や自然災害に遭ったことが記されています。
また、現地案内書にも「開創 鎌倉時代 北条時頼(西暦1250年代)」とあります。
かなりの大寺でありながら、戦火や災害により寺伝類を逸失してしまったようです。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には、第24番札所は内藤新宿の稲荷山 三光院とあり、同書の札所異動表によると、おそらく明治の初頭に三光院から四ッ谷寺町の愛染院に遷っています。
なので第24番札所は、三光院(内藤新宿)→愛染院(四ッ谷寺町)→最勝寺(上落合)の順に異動したとみられます。
まずは江戸期の札所である三光院から当たってみます。
三光院は明治初期に廃寺となっており、記録は多くありません。
『寺社書上』(国立国会図書館)には、内藤宿追分の稲荷社(現・花園神社)の項に「導師愛染院兼別当三光院」とあり、「別当所 ●御府内八十八ヶ所之内廿四番札所」とあります。
花園神社公式Webには「花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、住職が別当(管理職)を兼ねる慣わしだったためであるといわれています。しかし、その三光院は明治元年(1868)3月に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となりました。」とあります。
以上より、四谷(内藤新宿)追分の三光院が江戸期の御府内霊場第24番札所であったこと、三光院は内藤宿追分の稲荷社(現・花園神社)の別当であったことがわかります。
下記史料より、三光院の御本尊は現・花園神社の本地佛であった十一面観世音菩薩とみられ、こちらは明治初期の三光院廃絶を受けて本寺である四ッ谷愛染院に遷られています。
また、弘法大師御像も同時に遷られたとみられます。
第24番の札所本尊は十一面観世音菩薩・弘法大師であったので、第24番札所もおそらくこの際愛染院に異動しています。
しかし愛染院は御府内霊場第18番の札所なので、おそらく札所の重複がおこりました。
これを解消するために、上落合の最勝寺に第24番が異動したのでは。
愛染院、最勝寺とも新義豊山派なので、以前から両寺の交流があってこの異動が成立したものとも思われます。
最勝寺は落合エリアの有力寺院で、これは中井の御霊神社(落合村小名中井鎮守)、下落合の東山藤稲荷神社(東国源氏の氏神)の別当を司っていたことからも裏付けられます。
【写真 上(左)】 (中井)御霊神社
【写真 下(右)】 (中井)御霊神社の御朱印
【写真 上(左)】 東山藤稲荷神社
【写真 下(右)】 東山藤稲荷神社の御朱印
明治に入ると”御府内”の意味合いがうすれ、御府内霊場札所も郊外に遷る例が増えてきますが最勝寺もその例かと思います。
せっかくなので、三光院が別当を司った花園神社の由緒・沿革を主に花園神社公式Webを参考として追ってみます。
【写真 上(左)】 (中井)花園神社
【写真 下(右)】 (中井)花園神社の御朱印
花園神社は、徳川家康公入府の天正十八年(1590年)より前に吉野山より勧請されたといい、江戸開府以前から新宿の総鎮守として重要な神社であったとみられています。
寛永年間(1624-1644年)までは現在より約250m南の現・伊勢丹付近にありましたが、
寛永年間、旗本・朝倉筑後守の下屋敷に囲い込まれてしまったため、幕府に訴えて現社地を拝領しました。
そこはもと尾張藩下屋敷の庭園で、花が咲き乱れていたため「花園稲荷神社」と号したと伝わります。
かつては四谷追分稲荷とも三光院稲荷とも呼ばれ、三光院が古くから別当を務めていたことがわかります。
明治に入って「稲荷神社」を号しましたが、江戸期から「花園社」として親しまれていたため、大正5年1月、東京府知事に改名を願い出て正式に「花園稲荷神社」となったそうです。
さらに昭和40年、末社の大鳥神社を本社に合祀した際に社号を「花園神社」に改めています。
花園稲荷社と弘法大師については、『寺社書上』に「弘法大師吉野(不明)吉野山●●●●花その稲荷と称す」とあり、吉野山からの稲荷神勧請にあたって弘法大師が関与されたことを示唆しています。
御神躰は正一位花園稲荷大明神。相殿に不動明王、愛染明王、随神二躰を奉安し、別当所(三光院)には稲荷大明神の本地佛として(十一面)観世音菩薩、弘法大師の木坐像も奉安して、神仏混淆色の強い境内であったとみられます。
現在の御祭神は倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)。
旧社格は郷社。新宿の総鎮守として庶民の信仰篤く、とくに11月の「大酉祭 (新宿酉の市)」は多くの人出で賑わい浅草の鷲神社、府中の大國魂神社とともに「関東三大酉の市」に数えられます。
安永九年(1780年)と文化八年(1811年)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して評判となりました。
場所柄、芸能関係者の信仰も篤いといい、とくに境内社の芸能浅間神社の敷地内には芸能人の奉納名が並びます。
もとより稲荷神信仰の色彩が強いですが、史料によっては創祀に弘法大師がかかわられたという伝承もあり、そのような流れもあって別当の三光院が御府内霊場札所となったのかもしれません。
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【史料】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
二十四番
内藤新宿上裏通り
稲荷山 三光院
四ッ谷愛染院末 新義
本尊:十一面観世音菩薩 花園稲荷社 弘法大師
三光院→愛染院(札所異動表)
■ 『寺社書上 [46] 四谷寺社書上 五止』(国立国会図書館)
内藤宿追分
稲荷社
本社 文化十一年(1814年)再建
神躰 正一位花園稲荷大明神
弘法大師吉野(不明)吉野山●●●●花その稲荷と称す
相殿 不動明王
愛染明王
随神 二躰
奉 造営武蔵國豊嶋郡四谷追分稲荷社大明神本社幣殿拝殿
(略)
導師愛染院兼別当三光院 権大僧都法印栄住
境内末社
牛頭天王社 (千)葉稲荷社 福徳稲荷小祠 毘沙門天王 金比羅宮 第六天 疱瘡神 天満宮 稲荷大明神 秋葉宮 三峯
中興開山 寶盛? 本寺愛染院第二世 元和二?年(1616年)●●中興す
別当所 右後年焼失
観世音菩薩 右稲荷之本地佛
弘法大師 木坐像
●御府内八十八ヶ所之内廿四番札所
興教大師
歓喜天
文政十年(1827年)文月 三光院
■ 『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
最勝寺
同宗同末(新義真言宗多摩郡中野村宝仙寺末)西方山安養院と号す。本尊弥陀。
地蔵堂。
「三光院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
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都営大江戸線「中井」駅徒歩2分、東京メトロ東西線「落合」駅徒歩4分、西武新宿線「中井」駅徒歩5分と交通至便で、山手通りに面して駐車場も完備しているのでアクセスは楽です。
【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標
山内入口、山内とも広々としていて大寺のスケール感。往時は伽藍が建ち並んでいたのでは。
【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 弘法大師碑
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝
正面の本堂は入母屋造本瓦葺流れ向拝、正面に軒唐破風を構え、その下に二重の水引虹梁で両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股を備えた整った意匠です。
向拝見上げには山号扁額を掲げています。
【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 七福神
本堂前にはかわいい七福神像も。
【写真 上(左)】 本堂と堂宇
【写真 下(右)】 堂宇
本堂向かって左に宝形造本瓦葺の真新しい堂宇があります。
お砂踏み場があるので大師堂かとも思いましたが、御府内霊場の札所板は別の宝形造桟瓦葺のお堂に掲げられていたので、こちらが大師堂かと思われます。
ただし、こちらの堂前には聖観世音菩薩の立像が御前立的に御座され、観音堂の雰囲気もあります。
【写真 上(左)】 (おそらく)大師堂
【写真 下(右)】 札所板
二度も参拝し、当然堂宇についてもお伺いしているはずですが、なぜか記憶があいまいで申し訳ありませぬ。
御朱印は本堂向かって右の庫裡にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「釋迦牟尼如来」「弘法大師」の揮毫と釈迦如来のお種子「バク」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内第廿四番」の札所印。左下に山号寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-8)
【 BGM 】
■ far on the water - Kalafina
■ Erato - 志方あきこ
■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO + JP & ROMAJI SUB
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。
■ 第21番 寶珠山 東福院
(とうふくいん)
公式Web
新宿区若葉2-2-6
新義真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第21番、弁財天百社参り第34番
司元別当:
授与所:寺務所
第21番はふたたび四谷に飛びます。
公式Webによると、天正三年(1575年)に開基(開山)法印祐賢上人、外護者大沢孫右衛門尉によって麹町九丁目(横町)に創建。
寛永十一年(1634年)に現在地に移転といいます。
大沢氏は藤原北家持明院流とされ、本拠は遠州堀江城(浜松市西区)。
今川家家臣から徳川家に仕え、大沢基宿は最初の高家職を勤めたことで知られています。
高家は幕府の職制のひとつで、老中の管轄下で将軍の代参、勅使・院使の接待や饗応役の大名への儀典指南などの職務を果たしました。
ちなみに忠臣蔵の敵役、吉良上野介義央は高家で、赤穂事件の直前まで浅野内匠頭長矩に対して勅使饗応役の指南を行っていたといいます。
高家職に就けるのは「高家旗本」(「高家」の家格にある旗本)のみで、主に有力大名・守護系戦国大名の子孫や公家の分家など、「名門」の家柄で占められたといいます。
大沢氏は藤原北家持明院流という家格もあって、高家に任ぜられたのでは。
東福院は『御府内寺社備考』では「常陸国(筑波山)護持院末」とあり、もともとは筑波山知足院中禅寺(大御堂)の末寺だったようですが、いまは根来寺を祖廟(本山)とする新義真言宗寺院です。
なお、筑波山知足院中禅寺(大御堂)は、真言宗江戸触頭四箇寺および徳川将軍家祈祷寺と強い関係をもち、具体的には筑波知足院 → 江戸知足院 → 江戸護持院 → 音羽護国寺という流れがみられますが、これについては第87番護国寺でふれます。
(→『近世初期の知足院』坂本正仁氏/PDF』)
『御府内寺社備考』によると、御本尊は大日如来。
脇士に不動明王と毘沙門天を奉安し、両界八祖画像、弘法大師像を安ずる保守本流的な真言宗寺院であったようです。
江戸八十八ヶ所霊場も同番なので、開創当初からの札所とみられます。
弁天堂の御本尊辨財天(秘像)は弘法大師の御作と伝わり、お前立の辨財天座像も奉安、「出世辨天」として尊崇をあつめた弁財天百社参り第34番の札所本尊は、こちらの弁財天尊ではないでしょうか。
なお、『ルートガイド』によると地蔵堂の地蔵菩薩は「豆腐地蔵」と呼ばれ、由来の逸話を載せていますが、『寺社書上』『御府内寺社備考』にはこの縁起は記載されておらず、江戸後期以降の伝承かもしれません。
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【史料】
■ 『寺社書上 [44] 四谷寺社書上』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.62』
四谷南寺町
本寺常陸国(筑波山)護持院末
阿祥山 宝壽寺 東福院
新義真言宗
起立慶長十六年辛亥(1611年)麹町九丁目横町
開山 法印祐賢
本尊 大日如来
脇士 不動尊 毘沙門天
両界八祖画像
弘法大師木像
弁天堂
本尊辨財天(秘像) 弘法大師作 前立辨財天座像
脇立 大黒天立像 毘沙門天
不動尊 十一面観音
地蔵堂
地蔵尊立像 疱瘡神 愛宕
稲荷社
神体無之 本地十一面観音立像 石地蔵尊
寺中 泉蔵院
■ 『四谷区史 [本編]』(国立国会図書館)
阿祥山寶壽寺東福院は大塚護持院末の新義眞言宗で、四谷南寺町今の寺町にある。境内は古跡拝領地で千九百三十四坪餘、慶長十六年辛亥(1611年)麹町九丁目横町に起立し、寛永十一年甲戌(1634年)此地に転じた。開山法印祐賢の示寂年月は明かでない。府内八十八箇所廿一番の札所である。猶寺には辨財天木像涅槃画像其他を蔵していて、中にも辨財天は出世辨天と称して有名である。(略)
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【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 院号標
四谷寺町に立地し、寛永十一年(1634年)麹町九丁目横町から現在地に移転しているので、寛永年間(1624-1645年)家光公の治世に江戸城外堀工事のため四谷に移転させられた麹町の寺院のひとつとみられます。
第18番愛染院と東福院坂(天王坂)を挟んだほぼ対面にあります。
【写真 上(左)】 根来寺の寺紋「三つ柏」
【写真 下(右)】 参道
東福院坂の途中に山内入口。
根来寺を祖廟(本山)とする新義真言宗寺院は、御府内霊場では3箇寺(当山、自性院(谷中)、加納院(谷中))。
門扉には新義真言宗総本山根来寺の寺紋「三つ柏」が掲げられています。
【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 本堂
正面が近代建築の本堂。
参道右手に御府内霊場札所碑、子育?地蔵尊、聖観世音菩薩、地蔵堂と並びます。
地蔵堂は『ルートガイド』に載っているもので、堂内扁額には「豆腐地蔵尊」とありました。
【写真 上(左)】 地蔵堂
【写真 下(右)】 豆腐地蔵尊
【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額
本堂は寺務所を兼ねていて仏堂のイメージはうすいですが、正面に山号扁額が掲げられているので、こちらからの奉拝と思われます。
御朱印は寺務所にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「本尊 大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と金剛界大日如来のお種子「バン」の御寶印。
「豆腐地蔵」の印判も捺されています。
右上に「第二十一番」の札所印。左下に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
■ 第22番 天谷山 龍福寺 南蔵院
(なんぞういん)
新宿区箪笥町42
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第22番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第27番、弁財天百社参り第40番
司元別当:
授与所:庫裡
御府内霊場には南蔵院と号する札所が練馬(第15番)、牛込(第22番)と高田(第29番)の3箇寺あり、それぞれ練馬南蔵院、牛込南蔵院、高田南蔵院と呼んで区別されます。
下記史料類と『ルートガイド』をもとに牛込南蔵院の縁起・由緒をたどってみます。
牛込南蔵院は、元和元年(1615年)、牛込城主の牛込勝重が正胤法印を請じて早稲田の地に吉祥山福正院と号して創建。
当初は弁財天二尊を上宮・下宮として祀っていたといいます。
延宝九年(1681年)、旧寺地が御用地として召上げられ、替地として現在地を拝領して移転し元号に改めました。
弁財天上宮は現在地に遷られ、下宮は弁天町の宗参寺(曹洞宗)にご遷座して奉祀といいます。
宗参寺も江戸三十三ヶ所弁財天霊場第26番、弁財天百社参り第41番の兼務札所ですから、こちらも代表的な弁財天霊場となっていたことがわかります。
【写真 上(左)】 宗参寺
【写真 下(右)】 宗参寺の御朱印
当山、宗参寺ともに牛込氏とのゆかりがふかい寺院です。
新宿区の新宿文化観光資源サイトでは宗参寺山内の牛込氏墓が紹介され、説明文には下記の内容が記されています。
・牛込氏は上野国勢多郡大胡(現・前橋市大胡町周辺)の領主・大胡氏の出で、15世紀末に武蔵国に進出して北条氏に従った。
・大永六年(1526年)には牛込に定住し、天文二十四年(1555年)北条氏康により牛込姓への改姓を認められ、牛込から日比谷あたりまで領有。
・その城館は現在の光照寺(袋町15番地)一帯の「牛込城跡」(新宿区登録史跡)に築かれ、「牛込家文書」は東京都指定有形文化財。
・天正十八年(1590年)の北条氏滅亡後は徳川氏に従い幕臣となった。
・宗参寺は天文十二年(1543年)に没した大胡重行(法名宗参)の墓所として子の勝行が創建した寺院で、以来牛込氏の菩提寺となっている。
また、Wikipediaには「徳川家康の江戸入城の後、館(牛込城)は廃止され、跡地に神田光照寺が移転してきたのは1645年のことであったとされる。」とあります。
『ルートガイド』によると、正胤法印は上総千葉一族とのこと。
たしかに千葉氏の通字は「胤」ですが、千葉氏は一族が多いので簡単には追い切れません。
『御府内寺社備考』をみると、南蔵寺は当初から弁財天とのゆかりがふかく、旧来は弁財天が御本尊であった可能性があります。
山内に宇賀神、十五童子立像も安置され、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第27番、弁財天百社参り第40番のふたつの弁財天霊場の札所でもありました。
現在の南蔵院の御本尊および御府内霊場の札所本尊は千手観世音菩薩です。
ところが、不思議なことに『御府内寺社備考』には千手観世音菩薩にかかわる記載がありません。
弘法大師については、寺中薬王院に弘法大師木坐像を奉安しており、御府内霊場札所の要件を満たしています。
江戸八十八ヶ所霊場も同番なので、開創当初からの札所とみられます。
東京都公文書館によると、『御府内寺社備考』は文政九年(1826年)から3年程度で作成されました。
御府内霊場の開創は宝暦五年(1755年)頃とみられるので、『御府内寺社備考』は御府内霊場開創後の作成です。
なので、当初の南蔵院の御府内霊場札所本尊は、弁財天と弘法大師であった可能性もあります。
弁財天と千手観世音菩薩の尊格的なつながりはよくわかりませんが、日本三大弁天のひとつ竹生島宝厳寺の千手千眼観世音菩薩は、西国三十三所第30番の札所本尊で当山御本尊の弁天様と同じく60年に一度の御開扉です。
また、江ノ島の岩屋内には弁財天とともに千手観世音菩薩が祀られています。
栃木県の大谷寺(坂東観音霊場第19番)にも千手観音と弁財天にまつわる伝承が伝わります。
その昔、この地に毒蛇が棲みつき、毒蛇が吐き出す毒水の害で人々が苦しみ、毒蛇の住処は「地獄谷」と呼ばれて畏れられていました。
東国を巡錫中の弘法大師がこの話を聞かれると、秘法をもってこの毒蛇を退治されました。
大師が去られた後に人々が地獄谷を訪れると、高い岩山には千手観音が光り輝き、その脇侍として不動明王と毘沙門天が彫られており、これが大谷寺開山の縁起とされます。
大谷寺には弁天堂があり、こちらの弁財天には、弘法大師の秘法により心を入れ替えた毒蛇がお仕えしているそうです。(同山パンフ記載の縁起より抜粋)
以上から、弁財天と千手観世音菩薩はなんらかの関係があるとも考えられ、その縁から千手観世音菩薩が御本尊となられたのかもしれません。
(かなり牽強附会的なこの見方は、あくまでも筆者の憶測です。)
弘法大師とのゆかりは強く、聖天堂の本地佛・十一面観世音菩薩は弘法大師作、寺宝の獨鈷杵は弘法大師が唐より招来されたもの、般若心経も弘法大師御筆と記されています。
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【史料】
■ 『御府内寺社備考 P.35』
牛込御箪笥町
京都大佛智積院末
天谷山 竜福寺 南蔵院
当寺開闢之儀者元和の初年(1615年)下総國香取妙幢院正胤法印 武蔵國牛込之領主何某請ふより同國豊嶋郡早稲田の里●褐をとて●上宮下宮乃二宇を造立し辨財天二体を勧請し正胤法印上の宮を別当し吉祥山福正院といふ ●後第四世日胤代延宝九年(1681年)右地所御用地ニ付召上替地として南●之地所を拝領 仕以地名を蟇谷といへ(略)当所に称し天谷山南蔵院と改む。下の宮を●猶旧内地に安置●●弁天町●なり。
弁天木座像
十五童子木立像
唐●●●
右●宇賀神安置
薬師木座像
金毘羅木立像
獨鈷杵 弘法大師大唐より渡来開山正胤所持是什宝とす
般若心経 弘法大師筆
辨財天縁起 一巻
聖天堂
本尊観世音 黄金鋳像 秘佛
本地佛 十一面観世音 弘法大師作 木立像 水戸家御寄附宝暦六年(1756年)
歓喜天●尊● 一基
護摩堂
本尊不動明王木立像
阿弥陀堂
本尊阿弥陀如来 安阿弥作木坐像
稲荷社
寺中二軒
安養院 当時廃地
薬王院 本尊薬師如来 地蔵尊木立像 弘法大師木坐像
■ 『牛込区史』(国立国会図書館)
天谷山龍福寺南蔵院 智積院末
元和初年(1615年)、早稲田在辨財天上宮(今の辨天町でゝもあらう)の別當として、正胤法印開山、寺号を吉祥山福正院と云つたが、延寳九年箪笥町に移り、寺號を改めた。開山法印正胤寛永七年(1630年)二月廿九日遷化。(略)
本尊辨財天は弘法大師の作といひ伝ふ。
寺中 安養院
同上 薬王院
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【写真 上(左)】 前面道路からの山内
【写真 下(右)】 山内入口
新宿区の牛込周辺はいまでも古い地名が住所として残っています。
箪笥町もそのひとつで、「箪笥」とは"武器"のことで、江戸時代に幕府の武器をつかさどる具足奉行・弓矢鑓奉行組同心の拝領屋敷があったことに由来するとのこと。(→東京都公文書館(江戸東京の町名)より)
かつては陸の孤島的だった牛込辺も、都営大江戸線の開通により俄然便利になりました。
南蔵院は、都営大江戸線「牛込神楽坂」駅直近にあります。
通りに面して門柱。門柱には院号の表札。
門柱右に「大聖歓喜天」の石標、門柱左には御府内霊場札所標。
【写真 上(左)】 札所碑
【写真 下(右)】 山内
正面が本堂、向かって右手に聖天堂の伽藍配置です。
本堂はコンクリ造の近代建築ですが、切妻の妻の下に銅板葺の唐破風向拝を附設。
見た目の印象からすると入母屋造ないし切妻造の妻入りかもしれません。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝
唐破風鬼に経の巻獅子口。その上の妻部は格子仕上げで拝みに蕪(三つ花)懸魚と鬼板には真言宗の輪違い紋を掲げて本堂の風格を備えています。
【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 斜めからの本堂
がっしりとした向拝柱と見上げに院号扁額。
堂前向かって右の通常修行大師像が御座す場所には地蔵尊立像の安置なので、弘法大師御像は本堂内と思われます。
【写真 上(左)】 本堂(手前)と聖天堂(奥)
【写真 下(右)】 聖天堂
本堂向かって右手の堂宇は聖天堂。
おそらく入母屋造瓦葺の妻入りで、妻部に向拝を附設したかたちかと思います。
こちらは伝統的な寺院建築で、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、中備に板蟇股などを備え、向拝上部に「歓喜天」の扁額を掲げています。
『御府内寺社備考』記載の「聖天堂」の系譜をひく堂宇かと思われます。
御朱印は本堂右手の庫裡にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳(専用用紙貼付)
中央に「本尊 千手観世音菩薩」「弘法大師」の揮毫と千手観世音菩薩のお種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「第弐拾貳番」の札所印。左下に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
■ 第23番 川崎大師 東京別院 薬研堀不動院
(やげんぼりふどういん)
公式Web
中央区東日本橋2-6-8
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:関東三十六不動尊霊場第21番、御府内二十八不動霊場第9番
司元別当:
授与所:本堂内
第23番札所は川崎大師東京別院の薬研堀不動院です。
公式Webには、薬研堀不動院は、古くから目黒(不動尊)、目白(不動尊)と並び江戸三大不動として知られ、『江戸名所図会』をはじめ多くの文献に紹介されているとの由。
公式Webおよび『ルートガイド』『関東三十六不動霊場公式ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。
保延三年(1137年)、真言宗中興の祖・興教大師(覚鑁上人)は43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼で不動明王尊像を敬刻、紀州・根来寺に奉安されました。
天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭った際、根来寺の大印僧都がこの尊像を守護して葛籠に納め、みずから背負われて東国へ下りました。
大印僧都は隅田川のほとりに有縁の霊地を定め、天正十九年(1591に)堂宇を建立されたのが薬研堀不動院のはじまりといいます。
こちらの不動尊の霊験まことにあらたかで、人々は「葛籠不動尊」と称し、目黒不動尊、目白不動尊とあわせて「江戸三大不動尊」と奉じて篤く尊崇したといいます。
とくに薬研堀不動尊の歳の市は、江戸の一年を締めくくる風物詩としてたいへん賑わったそうです。
(「歳の市」は12月14日の深川八幡に始まり、浅草観音、神田明神、愛宕神社、平河、湯島天神を巡って28日の薬研堀不動院で納めとなりました。)
山内の「収めの歳の市碑」(歳の市保存会)には、往年の歳の市の賑わいがつぎのとおり描写されています。
「戦前は何十軒もの羽子板屋が出店し 当時の千代田小学校の通りには『がさ市』が立ち 〆飾り 角松 竹 海老 こんぶ等が威勢よく売られ 身動き出来ぬ位の人出に下町情緒豊かな歳末風景がみられた」
また、当山は講談発祥の地という説があり、山内には「講談発祥之地碑」が建てられて、いまもご縁日の28日には講談が奉納されています。
明治二十五年(1892年)川崎大師平間寺の別院となり、都内有数の弘法大師霊場・不動尊霊場としていまに至っています。
江戸中期に変遷があったとみられ、「猫の足あと」様掲載の『中央区史』には「天保年中(1831-1845年)、本所弥勒寺中へ移され、維新後、有縁の旧地に移り咲いて仏殿を造営」とあります。
御府内霊場の開創は宝暦五年(1755年)頃とされるので、薬研堀不動院の弥勒寺中への移転(天保年中(1831-1845年))前です。
弥勒寺は御府内霊場開設当初からの札所(第50番)とみられるので、薬研堀不動院が当初からの札所(第23番)だとすると移転り際に弥勒寺の札所兼務問題がでてきます。
一方、江戸八十八ヶ所霊場の第23番は、市谷川田ヶ久保の稲荷山 薬王寺で、明治はじめの神仏分離で廃寺となっています。
『御府内八十八ケ所道しるべ』によると、御府内霊場第23番は明治のはじめまで市ヶ谷の薬王寺とあります。
よって薬研堀不動院は、明治二十五年(1892年)までに本所の弥勒寺内から旧地に移り咲き、御府内霊場第23番は川崎大師平間寺の別院となった薬研堀不動院に引き継がれたのではないでしょうか。
真言宗智山派の大本山・平間寺(川崎大師)の東京別院だけに、札所承継にあたり様々な動きがあったのかもしれませんが、詳細はわかりません。
薬王寺は大塚護國寺末だったので現在の真言宗豊山派系、平間寺は真言宗智山派の大本山ですから、札所の承継にやや疑問はありますが、なにぶん天保年中(1831-1845年)から明治初期までの薬研堀不動院の動静がほとんどたどれないので、下記史料類から薬王寺についてたどってみます。
薬王寺は室町時代、武将・太田道灌(1486年没)が築いた城の守護として京都稲荷山の神霊を勧請して市ヶ谷御門のあたりに草創と伝わります。
開山は法印澄覺(寛文三年(1663年)十月遷化)。
当初は愛染尊(明王)を安置し、愛染院と号していたようです。
元和の頃(1615-1624年)、稲荷社は当寺より二町ばかり北の方へ遷られたといいます、
中興開山は法印證覚(正(徳)三年(1713年)十月遷化)。
貞享年中(1684-1688年)に弘法大師御作の薬師如来像を奉安し、愛染院から薬王寺に号を改めたといいます。
『江戸名所図会』には「(稲荷社を)其後又此地へうつして当寺の護法神とせり。」とあるので、法印證覚の頃に稲荷社が当地に戻られて護法神となったのかもしれません。
史料類をみると、弘法大師御作の御本尊・薬師如来をはじめ、弘法大師の御自作像、(興)教大師御作の顧不動尊を奉安するなど、堂々たる新義真言宗寺院の内容を備え、弘法大師霊場札所としての資格も充分備えていたものとみられます。
桂昌院(5代将軍綱吉公の生母)、常憲院(徳川綱吉公)の帰依が篤かったらしく、仏像・仏画の寄附の記録が残ります。
このような由緒ある寺院が明治の神仏分離で廃寺となってしまったのは、いささか不思議な感じもしますが、いまは「市谷薬王寺町」の地名にその名を残すのみです。
なお、Wikipediaなど複数のWeb資料で「(薬王寺の)法灯は文京区大塚の護国寺に移された。」とあります。
護国寺は御府内霊場の第87番札所。
護国寺での重番を避けるとしても、豊山派系の寺院が承継すればよさそうですが、智山派大本山・平間寺(川崎大師)の東京別院が引き継いだ背景には、やはり特段の事情があったのかもしれません。
いずれにしても、平間寺(川崎大師)は東京別院を通じて御府内霊場の一画を占めることとなりました。
「薬研堀」/原典:松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[1],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
※本所移転前の絵図と思われます。
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【史料】
■ 『寺社書上 [38] 市谷寺社書上 三止』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考 P.39』
市谷南寺町
大塚護國寺末
稲荷山 東光院 薬王寺
新義真言宗
開山 法印澄覺(寛文三年(1663年)十月遷化)
中興開山 法印證覚(正(徳)三年(癸巳)(1713年)十月遷化)
本尊 薬師如来 弘法大師作 石像秘佛
前立 薬師如来 木座像丈七寸
日光 月光 十二神将
・桂昌院様御寄附
正観世音 唐佛金之像 丈壱尺二寸
顧不動尊 (興)教大師作 木坐像丈九寸
幷両脇士
・桂昌院様ヨリ拝領
愛染尊 運慶作 木像 丈八寸
毘沙門天王 聖徳太子作 木像 丈三尺許
阿弥陀如来 行基菩薩作 木立像一尺二寸
地蔵尊
弘法大師御自作像 椅子座 丈ヶ壱尺壱寸
歓喜天 唐金鋳像秘佛
・寺寶
嵯峨帝御守本尊 佛眼佛母尊 天竺佛
・常憲院様ヨリ拝領
不動尊 一幅 弘法大師筆 二童子 倶利伽羅 後●院後持尊
涅槃像
(略)
稲荷社
稲荷大明神 神躰木立像
御本地佛 十一面観世音 鋳佛坐像
天神木坐像 辨才天木坐像
唐寺開闢之義 往古太田持資入道道灌 御城築●●為 城内乾●護 京都稲荷山●神霊を勧請し ●愛染尊を安置依●稲荷山愛染●と号し市ヶ谷御門之(略)貞享年中(1684-1688年)弘法大師彫刻之石像坐像●来安置と依て本院改号薬王寺とす
桂昌院様依●帰依薬師如来(略)寄附
■ 『江戸名所図会 第2 (有朋堂文庫)』(国立国会図書館)
稲荷山 薬王寺
東光院と号す。同所より西方の方、河田ヶ窪にあり。新義の真言宗にして、大塚の護國寺に属せり。
開山を法印澄覺と号く。
本尊薬師如来の像は、弘法大師、天台四明の洞の霊石を得て、彫刻し給ひし霊像なりといふ。貞享(1684-1688年)の初、須田氏某、当寺に安置なし奉るとなり。
当寺昔は愛染院と称したりといふ。
稲荷祠
境内にあり。相傳ふ。太田道灌(1486年没)の勧請にして、むかしは今の市ヶ谷御門の辺にありしとなり。元和の頃(1615-1624年)当寺より二町ばかり北の方へ遷し、其後又此地へうつして当寺の護法神とせり。
「薬王寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
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【写真 上(左)】 街路にはためく幟-1
【写真 下(右)】 同-2
都営浅草線「東日本橋」駅徒歩約3分、都営新宿線「馬喰横山」駅徒歩約5分という交通至便の札所です。
あたりは完璧なビル街で、その道路沿いにお不動様の幟が並び立つさまはなかなか絵になります。
【写真 上(左)】 改修後の現山内
【写真 下(右)】 本堂
ビルに囲まれた一画に急な階段と、その上に重層八角堂的なお堂。
参道階段脇には幟がはためき、不動尊霊場の趣きがあります。
こちらは数年前にリニューアルされ、手前に数台分の駐車場ができました。
本堂内にあった納経所は、駐車場前に移されて全体に山内はすっきりとしています。
【写真 上(左)】 参道階段
【写真 下(右)】 向拝
階段をのぼった正面が向拝で五色幕が張り巡らされて華やかです。
「不動尊」の提灯のおくに「薬研堀不動院」の扁額。
以前は本堂内でお参りできましたが、現在は不明です。
正面お厨子のなかにお不動さまと向かって右に観世音菩薩像。
左手の尊像は金剛界大日如来でしょうか。
その両脇には弘法大師像と興教大師像という、真言宗寺院らしい堂内です。
【写真 上(左)】 扁額
【写真 下(右)】 講談の会の案内
公式Webで「不動院の鎮守」として紹介されている矢ノ庫稲荷神社は、「東日本橋」駅寄りの薬研堀不動院信徒会館のよこの角地に御鎮座で、薬研堀不動院納経所で御朱印を拝受できます。
【写真 上(左)】 矢の庫稲荷
【写真 下(右)】 矢の庫稲荷の御朱印
境内の縁起書によると、かつて当地に隣接する日本橋一丁目あたりは谷野と呼ばれ、正保二年(1645年)幕府が米蔵を建て谷野蔵矢之倉と称されました。
米蔵の庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿し三社稲荷神社を祀りました。
中央は谷野蔵稲荷、左に福富稲荷、右には新左衛門稲荷で、元禄十一年(1698年)に御蔵を鉄砲洲に移転した際に三社稲荷は一緒に御遷座されました。
御蔵跡周辺の人々は三社稲荷の名を惜しんで、新左衛門稲荷と福富稲荷を初音森神社に合祀、谷野蔵稲荷は変遷を経て現在地に御鎮座となり、社号も矢の庫稲荷と改められました。
経緯は明らかでないですが、薬研堀不動院公式Webには「不動院の鎮守」として矢の庫稲荷が紹介されています。
上記のとおり、旧第23番札所の稲荷山 薬王寺には太田道灌ゆかりの稲荷社が祀られていました。
三社稲荷のうち新左衛門稲荷と福富稲荷が合祀された初音森神社も太田道灌ゆかりの神社で、三社稲荷神社・太田道灌を介してなんらかの繋がりがあったのかもしれません。
ちなみに、初音森神社は墨田区千歳の御鎮座ですが、元地とされる東日本橋二丁目は薬研堀不動院(矢の庫稲荷)のそばで、昭和23年に旧跡地に初音森神社摂社(儀式殿)が創建されています。
【写真 上(左)】 やげん堀七味の奉納サンプル
【写真 下(右)】 聖徳太子碑
不動院に戻って、本堂向かって右手にはやげん堀七味の奉納サンプル、手水舎、聖徳太子碑など。
【写真 上(左)】 講談発祥記念之碑
【写真 下(右)】 遍路大師尊像
【写真 上(左)】 順天堂発祥之地碑
【写真 下(右)】 収めの歳の市碑
本堂向かって左手には講談発祥記念之碑、遍路大師尊像、順天堂発祥之地碑、収めの歳の市碑、梵字不動尊、子寶地蔵尊と並びます。
【写真 上(左)】 梵字不動尊
【写真 下(右)】 子寶地蔵尊
梵字不動尊は、薬研堀不動院開創四百十五年を記念して梵字書家により不動三尊として揮毫、石刻されたものです。
中央は不動明王のお種子「カンマーン」、向かって右は不動明王の左脇侍である矜羯羅童子のお種子「コンカラ」、向かって左は不動明王の右脇侍である制多迦童子のお種子「セイタカ」と思われます。
【写真 上(左)】 納経所
【写真 下(右)】 御朱印見本
御朱印は納経所にて拝受しました。
お不動様の御朱印は御本尊、御府内霊場、関東三十六不動尊霊場の3種です。
べつに矢ノ庫稲荷神社の御朱印も授与されています。
また、オリジナルの御朱印帳も廉価にて頒布されています。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「大聖不動明王」「川崎大師別院」の揮毫と不動明王のお種子「カン/カーン」の揮毫と御寶印(火焔宝珠)。
右上に「御府内第廿三番」の札所印。左下に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
〔 御本尊の御朱印 〕
〔 関東三十六不動尊霊場の御朱印 〕
■ 第24番 高天山 大徳院 最勝寺
(さいしょうじ)
新宿区上落合3-4-12
真言宗豊山派
御本尊:釈迦牟尼如来
札所本尊:釈迦牟尼如来
他札所:
司元別当:中井御霊神社(新宿区中井)、東山藤稲荷神社(新宿区下落合)
授与所:庫裡
第24番札所は新宿区上落合に飛んで豊山派の最勝寺です。
上落合は府外で、『新編武蔵風土記稿』の範疇ですがごく簡単な記載しかありません。
これでは詳細のたどりようがないので、「猫の足あと」様記載の『新宿区の文化財』から抜粋引用させていただきます。
・創建時期や開基は不明だが、江戸時代には中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当寺であった。
・最勝寺の塀際にある弘法大師の石標(御府内霊場道標/安政五年(1858年))には「弘法大師24番」「従是四谷北町和光院ニ11町」「従是新町多聞院ニ1町」とある。
・これは、内藤新宿の三光院にあったもので、明治初年に三光院が廃寺になった際、その大師堂が最勝寺に移された時、一緒に移ったと思われる。
『ルートガイド』には、開創・建立の詳細不明ながら鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の開創と伝わり、中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当であったこと、度々戦火や自然災害に遭ったことが記されています。
また、現地案内書にも「開創 鎌倉時代 北条時頼(西暦1250年代)」とあります。
かなりの大寺でありながら、戦火や災害により寺伝類を逸失してしまったようです。
『御府内八十八ケ所道しるべ』には、第24番札所は内藤新宿の稲荷山 三光院とあり、同書の札所異動表によると、おそらく明治の初頭に三光院から四ッ谷寺町の愛染院に遷っています。
なので第24番札所は、三光院(内藤新宿)→愛染院(四ッ谷寺町)→最勝寺(上落合)の順に異動したとみられます。
まずは江戸期の札所である三光院から当たってみます。
三光院は明治初期に廃寺となっており、記録は多くありません。
『寺社書上』(国立国会図書館)には、内藤宿追分の稲荷社(現・花園神社)の項に「導師愛染院兼別当三光院」とあり、「別当所 ●御府内八十八ヶ所之内廿四番札所」とあります。
花園神社公式Webには「花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、住職が別当(管理職)を兼ねる慣わしだったためであるといわれています。しかし、その三光院は明治元年(1868)3月に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となりました。」とあります。
以上より、四谷(内藤新宿)追分の三光院が江戸期の御府内霊場第24番札所であったこと、三光院は内藤宿追分の稲荷社(現・花園神社)の別当であったことがわかります。
下記史料より、三光院の御本尊は現・花園神社の本地佛であった十一面観世音菩薩とみられ、こちらは明治初期の三光院廃絶を受けて本寺である四ッ谷愛染院に遷られています。
また、弘法大師御像も同時に遷られたとみられます。
第24番の札所本尊は十一面観世音菩薩・弘法大師であったので、第24番札所もおそらくこの際愛染院に異動しています。
しかし愛染院は御府内霊場第18番の札所なので、おそらく札所の重複がおこりました。
これを解消するために、上落合の最勝寺に第24番が異動したのでは。
愛染院、最勝寺とも新義豊山派なので、以前から両寺の交流があってこの異動が成立したものとも思われます。
最勝寺は落合エリアの有力寺院で、これは中井の御霊神社(落合村小名中井鎮守)、下落合の東山藤稲荷神社(東国源氏の氏神)の別当を司っていたことからも裏付けられます。
【写真 上(左)】 (中井)御霊神社
【写真 下(右)】 (中井)御霊神社の御朱印
【写真 上(左)】 東山藤稲荷神社
【写真 下(右)】 東山藤稲荷神社の御朱印
明治に入ると”御府内”の意味合いがうすれ、御府内霊場札所も郊外に遷る例が増えてきますが最勝寺もその例かと思います。
せっかくなので、三光院が別当を司った花園神社の由緒・沿革を主に花園神社公式Webを参考として追ってみます。
【写真 上(左)】 (中井)花園神社
【写真 下(右)】 (中井)花園神社の御朱印
花園神社は、徳川家康公入府の天正十八年(1590年)より前に吉野山より勧請されたといい、江戸開府以前から新宿の総鎮守として重要な神社であったとみられています。
寛永年間(1624-1644年)までは現在より約250m南の現・伊勢丹付近にありましたが、
寛永年間、旗本・朝倉筑後守の下屋敷に囲い込まれてしまったため、幕府に訴えて現社地を拝領しました。
そこはもと尾張藩下屋敷の庭園で、花が咲き乱れていたため「花園稲荷神社」と号したと伝わります。
かつては四谷追分稲荷とも三光院稲荷とも呼ばれ、三光院が古くから別当を務めていたことがわかります。
明治に入って「稲荷神社」を号しましたが、江戸期から「花園社」として親しまれていたため、大正5年1月、東京府知事に改名を願い出て正式に「花園稲荷神社」となったそうです。
さらに昭和40年、末社の大鳥神社を本社に合祀した際に社号を「花園神社」に改めています。
花園稲荷社と弘法大師については、『寺社書上』に「弘法大師吉野(不明)吉野山●●●●花その稲荷と称す」とあり、吉野山からの稲荷神勧請にあたって弘法大師が関与されたことを示唆しています。
御神躰は正一位花園稲荷大明神。相殿に不動明王、愛染明王、随神二躰を奉安し、別当所(三光院)には稲荷大明神の本地佛として(十一面)観世音菩薩、弘法大師の木坐像も奉安して、神仏混淆色の強い境内であったとみられます。
現在の御祭神は倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)。
旧社格は郷社。新宿の総鎮守として庶民の信仰篤く、とくに11月の「大酉祭 (新宿酉の市)」は多くの人出で賑わい浅草の鷲神社、府中の大國魂神社とともに「関東三大酉の市」に数えられます。
安永九年(1780年)と文化八年(1811年)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して評判となりました。
場所柄、芸能関係者の信仰も篤いといい、とくに境内社の芸能浅間神社の敷地内には芸能人の奉納名が並びます。
もとより稲荷神信仰の色彩が強いですが、史料によっては創祀に弘法大師がかかわられたという伝承もあり、そのような流れもあって別当の三光院が御府内霊場札所となったのかもしれません。
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【史料】
■ 『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
二十四番
内藤新宿上裏通り
稲荷山 三光院
四ッ谷愛染院末 新義
本尊:十一面観世音菩薩 花園稲荷社 弘法大師
三光院→愛染院(札所異動表)
■ 『寺社書上 [46] 四谷寺社書上 五止』(国立国会図書館)
内藤宿追分
稲荷社
本社 文化十一年(1814年)再建
神躰 正一位花園稲荷大明神
弘法大師吉野(不明)吉野山●●●●花その稲荷と称す
相殿 不動明王
愛染明王
随神 二躰
奉 造営武蔵國豊嶋郡四谷追分稲荷社大明神本社幣殿拝殿
(略)
導師愛染院兼別当三光院 権大僧都法印栄住
境内末社
牛頭天王社 (千)葉稲荷社 福徳稲荷小祠 毘沙門天王 金比羅宮 第六天 疱瘡神 天満宮 稲荷大明神 秋葉宮 三峯
中興開山 寶盛? 本寺愛染院第二世 元和二?年(1616年)●●中興す
別当所 右後年焼失
観世音菩薩 右稲荷之本地佛
弘法大師 木坐像
●御府内八十八ヶ所之内廿四番札所
興教大師
歓喜天
文政十年(1827年)文月 三光院
■ 『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
最勝寺
同宗同末(新義真言宗多摩郡中野村宝仙寺末)西方山安養院と号す。本尊弥陀。
地蔵堂。
「三光院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)
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都営大江戸線「中井」駅徒歩2分、東京メトロ東西線「落合」駅徒歩4分、西武新宿線「中井」駅徒歩5分と交通至便で、山手通りに面して駐車場も完備しているのでアクセスは楽です。
【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標
山内入口、山内とも広々としていて大寺のスケール感。往時は伽藍が建ち並んでいたのでは。
【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 弘法大師碑
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝
正面の本堂は入母屋造本瓦葺流れ向拝、正面に軒唐破風を構え、その下に二重の水引虹梁で両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股を備えた整った意匠です。
向拝見上げには山号扁額を掲げています。
【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 七福神
本堂前にはかわいい七福神像も。
【写真 上(左)】 本堂と堂宇
【写真 下(右)】 堂宇
本堂向かって左に宝形造本瓦葺の真新しい堂宇があります。
お砂踏み場があるので大師堂かとも思いましたが、御府内霊場の札所板は別の宝形造桟瓦葺のお堂に掲げられていたので、こちらが大師堂かと思われます。
ただし、こちらの堂前には聖観世音菩薩の立像が御前立的に御座され、観音堂の雰囲気もあります。
【写真 上(左)】 (おそらく)大師堂
【写真 下(右)】 札所板
二度も参拝し、当然堂宇についてもお伺いしているはずですが、なぜか記憶があいまいで申し訳ありませぬ。
御朱印は本堂向かって右の庫裡にて拝受しました。
〔 御府内霊場の御朱印 〕
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳
中央に「釋迦牟尼如来」「弘法大師」の揮毫と釈迦如来のお種子「バク」の揮毫と御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内第廿四番」の札所印。左下に山号寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-8)
【 BGM 】
■ far on the water - Kalafina
■ Erato - 志方あきこ
■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO + JP & ROMAJI SUB
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■ カラバトU-18黄金の世代の7人+4人
いろいろな歌番組を視るにつけ、どうしても彼女たちの歌のレベルの高さを再認識してしまう。
歌の巧い子はたくさんいるけど、一聴しただけでそれとわかるオリジナリティを備えた逸材はそうそういない。
内容が似ているふたつの記事をひとつにしてみました。
-------------------------
さきほどの記事を書きながら「歌のオリジナリティ」について考えていました。
カバー曲がカバー崩れする大きな原因は、歌い手のオリジナリティが確立していないから。
だからモノマネにさえならず、曲を追うだけで精一杯となり、結果は下位互換ないし崩壊。
このケースがほとんどだけど、一群の歌い手たちだけは別の展開をみせていた。
やっぱりU-18黄金の世代は ↓ 彼女たちだったのかもしれぬ。
(順不同です)
■ 佐久間彩加ちゃん
■ 三阪咲ちゃん
■ 原藤由衣ちゃん
■ 富金原佑菜ちゃん
■ 熊田このはちゃん
■ 鈴木杏奈ちゃん
■ 堀優衣ちゃん
それとその下の世代の4人。
彼女たちもオリジナリティあふれるすばらしいパフォーマンスをみせてくれる。
(順不同です)
■ 島津心美ちゃん
■ 岩口和暖ちゃん
■ 加藤礼愛ちゃん
■ 川嵜心蘭ちゃん
論より証拠、オリジナルと彼女たちのカバーを聴きくらべてみました。
オリジナルはいずれも名手といわれるシンガー。
さすがに「上位互換」しているとまではいわないが、それぞれが自身の確立したオリジナリティのうえで解釈して歌い上げているのがわかる。
だから、オリジナルでは気づかなかった楽曲の微妙なニュアンスが感じとれたりして、聴いていて面白い。
名曲やヒット曲は原曲(オリジナル曲)の歌手の声と強く結びついているので、そこから引き離し、さらに歌い手のオリジナリティを加えて別の魅力をつくりだすなど、並みの才能では到底できない。
やっぱり類い希な才能をもつ世代なんだと思う。
まぁ、とにかく聴きくらべてみてくださいまし。
※ 番号は便宜上、順不同です。
01.島津心美 / 誰より好きなのに
■ オリジナル(古内東子)
■ カバー(島津心美)
■ ナイステイク/ SEASONS - 浜崎あゆみ
2021/07/22 Kokomi 11th Birthday Live 溝ノ口劇場
強弱が効いてて歌いまわしがやたらにエモーショナル。そして歌にスケール感がある。
この子本当に小学生か?
溝ノ口劇場だ! そのうちにここ、歌姫の聖地になるかも・・・。
02.岩口和暖 / 月光
■ オリジナル(鬼束ちひろ)
■ カバー(岩口和暖)
■ ナイステイク/ アイノカタチ - MISIA
抜群の声量。それとニュアンスの込め方がますます巧くなってきている。
03.加藤礼愛 / Jupiter(Little Glee Monster Vers.)
■ オリジナル(Little Glee Monster)
■ カバー(加藤礼愛)
■ ナイステイク/ HALO - BEYONCE
11/25(木)21:00〜フジTV【千鳥クセスゴ】出演💄『HALO』加藤礼愛(カトレア.Kato Leia.12yrs) BEYONCE cover
この子の歌声聴いてると、
「最高の楽器は人の生の声」とか「優秀な男性ボーカルが10人束になってかかっても、1人の才能ある女性ボーカルには及ばない」
などという音楽格言が想い浮かんでくる。
なんというか、もって生まれたボーカリストとしての格の高さを感じる。
04.川嵜心蘭 / 点描の唄(井上苑子ソロVers.)
■ オリジナル(井上苑子)
■ カバー(川嵜心蘭)
■ ナイステイク/ しるし - Mr.Children
【カラオケバトル公式】川嵜心蘭:Mr.Children「しるし」(森アナイチオシ動画)
カラバトでこんな難しい曲ぶつけてくるとは・・・。
このあたりの感覚は、黄金の世代の7人に通じるところあり。
(優勝も狙うけど、なにより歌いたい曲を歌う。)
やっぱり、歌に複雑な感情が乗っている。
歌にこれだけ ”切なさ” を載っけられるとは、熊田このはちゃん以来の才能では?
05.佐久間彩加 / 駅
■ オリジナル(竹内まりや) ※似てるけど、オリジナルじゃありません。
■ カバー(佐久間彩加)
■ ナイステイク/ 君がいたから - Crystal Kay
2020/12/13 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)【カラオケバトル公式】
この子は掛け値なしに天才だと思う。音の扱い方が普通じゃない。
荒れ声を瞬時に力感に昇華するって、この年代でできることじゃない。
それにこの情感の入り方って、いったい何事?
→ ■ カラバト&佐久間彩加ちゃん配信ライブ情報/LIVE初参戦
06.三阪 咲 / Finally
■ オリジナル(安室奈美恵)
■ カバー(三阪 咲)
■ ナイステイク/ Rollercoaster (Acoustic Live Performance)
声に雰囲気があって、強弱のコントロール&声のまわし方が抜群で、とくにR&B系のこなしは絶品。
ユニットのアンサンブルを大切にする行き方は、時流を捉えているかも。
07.原藤由衣 / 出逢った頃のように
■ オリジナル(Every Little Thing/持田香織)
■ カバー(原藤由衣)
■ ナイステイク/ 初恋 - 三田寛子
2022/09/04 原藤由衣 Birthday ワンマンライブ⑨ 溝ノ口劇場
美声。だけど単なる「歌のお姉さん声」とは一線を画す粒立ち感あふれる声色。
いそうだけど、なかなかいない存在。
08.富金原佑菜 / Flavor Of Life
■ オリジナル(宇多田ヒカル)
■ カバー(富金原佑菜)
■ ナイステイク/ One Last Time - Ariana Grande
声の成分が複雑でなかなかいないタイプ。それと声量のキャパシティ。(ぜったいお腹で支えてる)
すでに自分の世界をもち作曲力もばっちりなので、曲がはまれば大化けするかも?
→ ■ 富金原佑菜ちゃんのナイステイク
09.熊田このは / Can You Celebrate?
■ オリジナル(安室奈美恵)
■ カバー(熊田このは)
■ ナイステイク/ アイノカタチ - feat.HIDE(GReeeeN) MISIA
2020/02/23 LIVE
比類なきスーパーソプラノ。あふれ出る1/fゆらぎ。
切なさを帯びているのに、聴き手を元気づける希有の歌声。
この子の声って絶対セラピー効果あると思う。
→ ■ 熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.2
10.鈴木杏奈 / 炎
■ オリジナル(LiSA)
■ カバー(鈴木杏奈)
■ ナイステイク/ ラピスラズリ - 藍井エイル
2019.12.15 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)
このところ、とくにエモーショナルな歌い回しが目立つのは歌の感性に優れていることの証明。
そして抜群の音程は、絶対音感ゆえのもの?
11.堀 優衣 / This Love
■ オリジナル(アンジェラ・アキ)
■ カバー(堀 優衣)
■ ナイステイク/ LOVE SONG - 三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE
2021/07/11 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)【カラオケバトル公式】
音程もリズムも際立った安定感。メゾピアノ~ピアノのパートでも声の粒立ちを保っているのが凄い。
しかもこれに情感(裏加点要素)が乗ってくるので、100点連打もうなづけるところか・・・。
大学生になって、さらにハイトーンの艶に磨きがかかってる。
一度でいいから、このメンツでコラボってほしかった。
できれば梶浦由記さんの楽曲・プロデュースで・・・。
-------------------
■ 砂塵の彼方へ....
FictionJunction + Kalafina + Sound Horizon + FBM(FRONT BAND MEMBERS)。
↑ のメンツならば、このなかに入っても引けをとらないのでは?
〔関連記事〕
■ 【抜粋編】黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
歌の巧い子はたくさんいるけど、一聴しただけでそれとわかるオリジナリティを備えた逸材はそうそういない。
内容が似ているふたつの記事をひとつにしてみました。
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さきほどの記事を書きながら「歌のオリジナリティ」について考えていました。
カバー曲がカバー崩れする大きな原因は、歌い手のオリジナリティが確立していないから。
だからモノマネにさえならず、曲を追うだけで精一杯となり、結果は下位互換ないし崩壊。
このケースがほとんどだけど、一群の歌い手たちだけは別の展開をみせていた。
やっぱりU-18黄金の世代は ↓ 彼女たちだったのかもしれぬ。
(順不同です)
■ 佐久間彩加ちゃん
■ 三阪咲ちゃん
■ 原藤由衣ちゃん
■ 富金原佑菜ちゃん
■ 熊田このはちゃん
■ 鈴木杏奈ちゃん
■ 堀優衣ちゃん
それとその下の世代の4人。
彼女たちもオリジナリティあふれるすばらしいパフォーマンスをみせてくれる。
(順不同です)
■ 島津心美ちゃん
■ 岩口和暖ちゃん
■ 加藤礼愛ちゃん
■ 川嵜心蘭ちゃん
論より証拠、オリジナルと彼女たちのカバーを聴きくらべてみました。
オリジナルはいずれも名手といわれるシンガー。
さすがに「上位互換」しているとまではいわないが、それぞれが自身の確立したオリジナリティのうえで解釈して歌い上げているのがわかる。
だから、オリジナルでは気づかなかった楽曲の微妙なニュアンスが感じとれたりして、聴いていて面白い。
名曲やヒット曲は原曲(オリジナル曲)の歌手の声と強く結びついているので、そこから引き離し、さらに歌い手のオリジナリティを加えて別の魅力をつくりだすなど、並みの才能では到底できない。
やっぱり類い希な才能をもつ世代なんだと思う。
まぁ、とにかく聴きくらべてみてくださいまし。
※ 番号は便宜上、順不同です。
01.島津心美 / 誰より好きなのに
■ オリジナル(古内東子)
■ カバー(島津心美)
■ ナイステイク/ SEASONS - 浜崎あゆみ
2021/07/22 Kokomi 11th Birthday Live 溝ノ口劇場
強弱が効いてて歌いまわしがやたらにエモーショナル。そして歌にスケール感がある。
この子本当に小学生か?
溝ノ口劇場だ! そのうちにここ、歌姫の聖地になるかも・・・。
02.岩口和暖 / 月光
■ オリジナル(鬼束ちひろ)
■ カバー(岩口和暖)
■ ナイステイク/ アイノカタチ - MISIA
抜群の声量。それとニュアンスの込め方がますます巧くなってきている。
03.加藤礼愛 / Jupiter(Little Glee Monster Vers.)
■ オリジナル(Little Glee Monster)
■ カバー(加藤礼愛)
■ ナイステイク/ HALO - BEYONCE
11/25(木)21:00〜フジTV【千鳥クセスゴ】出演💄『HALO』加藤礼愛(カトレア.Kato Leia.12yrs) BEYONCE cover
この子の歌声聴いてると、
「最高の楽器は人の生の声」とか「優秀な男性ボーカルが10人束になってかかっても、1人の才能ある女性ボーカルには及ばない」
などという音楽格言が想い浮かんでくる。
なんというか、もって生まれたボーカリストとしての格の高さを感じる。
04.川嵜心蘭 / 点描の唄(井上苑子ソロVers.)
■ オリジナル(井上苑子)
■ カバー(川嵜心蘭)
@mabo3939 ♬ オリジナル楽曲 - mabo
■ ナイステイク/ しるし - Mr.Children
【カラオケバトル公式】川嵜心蘭:Mr.Children「しるし」(森アナイチオシ動画)
カラバトでこんな難しい曲ぶつけてくるとは・・・。
このあたりの感覚は、黄金の世代の7人に通じるところあり。
(優勝も狙うけど、なにより歌いたい曲を歌う。)
やっぱり、歌に複雑な感情が乗っている。
歌にこれだけ ”切なさ” を載っけられるとは、熊田このはちゃん以来の才能では?
05.佐久間彩加 / 駅
■ オリジナル(竹内まりや) ※似てるけど、オリジナルじゃありません。
■ カバー(佐久間彩加)
■ ナイステイク/ 君がいたから - Crystal Kay
2020/12/13 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)【カラオケバトル公式】
この子は掛け値なしに天才だと思う。音の扱い方が普通じゃない。
荒れ声を瞬時に力感に昇華するって、この年代でできることじゃない。
それにこの情感の入り方って、いったい何事?
→ ■ カラバト&佐久間彩加ちゃん配信ライブ情報/LIVE初参戦
06.三阪 咲 / Finally
■ オリジナル(安室奈美恵)
■ カバー(三阪 咲)
■ ナイステイク/ Rollercoaster (Acoustic Live Performance)
声に雰囲気があって、強弱のコントロール&声のまわし方が抜群で、とくにR&B系のこなしは絶品。
ユニットのアンサンブルを大切にする行き方は、時流を捉えているかも。
07.原藤由衣 / 出逢った頃のように
■ オリジナル(Every Little Thing/持田香織)
■ カバー(原藤由衣)
■ ナイステイク/ 初恋 - 三田寛子
2022/09/04 原藤由衣 Birthday ワンマンライブ⑨ 溝ノ口劇場
美声。だけど単なる「歌のお姉さん声」とは一線を画す粒立ち感あふれる声色。
いそうだけど、なかなかいない存在。
08.富金原佑菜 / Flavor Of Life
■ オリジナル(宇多田ヒカル)
■ カバー(富金原佑菜)
■ ナイステイク/ One Last Time - Ariana Grande
声の成分が複雑でなかなかいないタイプ。それと声量のキャパシティ。(ぜったいお腹で支えてる)
すでに自分の世界をもち作曲力もばっちりなので、曲がはまれば大化けするかも?
→ ■ 富金原佑菜ちゃんのナイステイク
09.熊田このは / Can You Celebrate?
■ オリジナル(安室奈美恵)
■ カバー(熊田このは)
■ ナイステイク/ アイノカタチ - feat.HIDE(GReeeeN) MISIA
2020/02/23 LIVE
比類なきスーパーソプラノ。あふれ出る1/fゆらぎ。
切なさを帯びているのに、聴き手を元気づける希有の歌声。
この子の声って絶対セラピー効果あると思う。
→ ■ 熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.2
10.鈴木杏奈 / 炎
■ オリジナル(LiSA)
■ カバー(鈴木杏奈)
■ ナイステイク/ ラピスラズリ - 藍井エイル
2019.12.15 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)
このところ、とくにエモーショナルな歌い回しが目立つのは歌の感性に優れていることの証明。
そして抜群の音程は、絶対音感ゆえのもの?
11.堀 優衣 / This Love
■ オリジナル(アンジェラ・アキ)
■ カバー(堀 優衣)
■ ナイステイク/ LOVE SONG - 三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE
2021/07/11 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)【カラオケバトル公式】
音程もリズムも際立った安定感。メゾピアノ~ピアノのパートでも声の粒立ちを保っているのが凄い。
しかもこれに情感(裏加点要素)が乗ってくるので、100点連打もうなづけるところか・・・。
大学生になって、さらにハイトーンの艶に磨きがかかってる。
一度でいいから、このメンツでコラボってほしかった。
できれば梶浦由記さんの楽曲・プロデュースで・・・。
-------------------
■ 砂塵の彼方へ....
FictionJunction + Kalafina + Sound Horizon + FBM(FRONT BAND MEMBERS)。
↑ のメンツならば、このなかに入っても引けをとらないのでは?
〔関連記事〕
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