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関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
ONE OK ROCK
10月19日(土)午後11時00分〜 NHKで放映された「ONE OK ROCK World Tour Document」、録画して視てみました。
う~ん、凄い!
前にも書いたとおりここ10年位はほとんど女性ボーカルばっかり聴いていたので、完璧に盲点だった。
というか、いまだに全曲聴いてないので語る資格はないですが、書かずにいられなくなったので書きます(笑)
こういうバンド、そしてボーカルが日本から生まれたのはほとんど奇跡だと思うし、世界的にみてもレアな存在では?
一番最初に聴いたときはボーカルの声質からBryan Adamsを連想したが、うねりと深みを帯びた曲調はVan MorrisonやRoxy Music、後期のSLADEなどを思い起こすところもあった。(ぜんぜん似てないじゃん、つう意見もあるかと思うが、あくまでもうねりと深みを帯びた音色ということで・・・。)
あと、ハイトーンボーカル&Inst陣の演奏力という点では後期プログレやプログレ・ハードに通じる部分もあるのかも・・・。
いちばん感じたのは、HipHopやラップの色合いが少ないのでは? という点で、異論は多々あると思うが、個人的には1980年代のRockに近いものを感じた。
それもAmerican Rockじゃなくて、British~Irish系の正統派Rock。
でも、時折フィル・スペクター的な響きや、テクノ的なフレーズもあったりして底が知れない。(誰から影響を受けたのか想像がつかない。)
ただ、確実にいえるのは、音楽の楽しさ、素晴らしさをストレートに伝えてくれる奴らだということ。
個人的には勝手に洋楽1983年ピーク説を唱えているので、もう洋楽に期待するものはほとんどなかったが、よもや日本のアーティストがこのような進化した形で示してくれるとは・・・。
ほんと、冗談じゃなく36年間待った甲斐があったわ・・・(笑)
最近の洋楽ほとんど聴いていないので何とも言えないが、今、こういう楽曲って欧米でつくれなくなっているのでは?
この手の曲って、強力なボーカルとそれをがっしり支えるInst陣、そしてマーケット的なリスクを負っても自分たちのやりたい音楽を演るという強い意思がないとたぶん成り立たないけど、そんな担い手が世界的に枯渇しているような感じがする。
だから、砂漠で水を欲するように、ONE OK ROCKの楽曲に海外のオーディエンスが惹きつけられているのでは?(根拠レスの勝手な想像ですが・・・)
ONE OK ROCK: Wasted Nights [OFFICIAL VIDEO]
スケール感あふれる楽曲&ボーカル。(インストも)
Ed Sheeran Thinking Out Loud Subtitulada en español
声質のイメージはEd Sheeranが近い感じもするけど、スケール感はTakaの方が上だと思う。
音的には、浮遊感のあるリフがベースにあって、Takaのボーカルやコード感のあるインストフィルがこれにスケール感を与えているのだと思う。(最近の曲のスケール感はとくにハンパない。)
そしてTakaのボーカルは聴き手の心に直接訴える情感にあふれている。(これは聴き手の国籍問わずだと思う。)
(↑でBryan Adams、Van Morrison、Roxy Music、後期のSLADEなどを引き合いに出し、改めて聴いてみたが、ボーカルとしてのポテンシャルはTakaの方が上では?)
LIVEではこれに観客のコールが加わって、カタルシス感さえ漂う。このグループのLIVEたぶんものすごいと思う。
ONE OK ROCK - We are [Official Video from AMBITIONS JAPAN DOME TOUR]
観客のコール!! だよね。コールしたくなるよね。
それと、たぶんとくに最近の曲は音節(音符の数)が少ない。だから、英語の歌詞の方がしっくりくるのでは?
参考↓
■ 日本と西洋の音楽の違い PART 1:音符の数、メロディーのリズムと英語が使われる理由!Japan and Western music differences(音楽 ミスチル 米津玄師 j-pop)
ONE OK ROCK - A thousand miles 【和訳・歌詞】
こういうシンプルな曲でここまで聴かせるって、ハンパな才能じゃない。
ONE OK ROCK - Clock Strikes 35xxxv Japan Tour 2015
日本でこのライブパフォーマンスって、観客も含めて誇っていいと思う。
タテノリだらけの日本の男性グループには正直ほとんど何の期待もしていなかったけど、ONE OK ROCKの存在は素直に嬉しい。
そして、彼らを熱烈にサポートする感性の高い若い世代がいることも心強い。
真の音楽好きだったら、きっと誰もがオリンピックの場でフロントに出てほしいと思うのでは。
日本の女性アーティストのレベルの高さは常々書いてきたけど、ONE OK ROCKが加わればもはや世界屈指の音楽(PopMusic)大国の地位を獲得できるかも・・・。
ただ、業界を仕切るマネジメント側が覚醒するか、総替わりしないとむずかしいと思うけどね・・・。
う~ん、凄い!
前にも書いたとおりここ10年位はほとんど女性ボーカルばっかり聴いていたので、完璧に盲点だった。
というか、いまだに全曲聴いてないので語る資格はないですが、書かずにいられなくなったので書きます(笑)
こういうバンド、そしてボーカルが日本から生まれたのはほとんど奇跡だと思うし、世界的にみてもレアな存在では?
一番最初に聴いたときはボーカルの声質からBryan Adamsを連想したが、うねりと深みを帯びた曲調はVan MorrisonやRoxy Music、後期のSLADEなどを思い起こすところもあった。(ぜんぜん似てないじゃん、つう意見もあるかと思うが、あくまでもうねりと深みを帯びた音色ということで・・・。)
あと、ハイトーンボーカル&Inst陣の演奏力という点では後期プログレやプログレ・ハードに通じる部分もあるのかも・・・。
いちばん感じたのは、HipHopやラップの色合いが少ないのでは? という点で、異論は多々あると思うが、個人的には1980年代のRockに近いものを感じた。
それもAmerican Rockじゃなくて、British~Irish系の正統派Rock。
でも、時折フィル・スペクター的な響きや、テクノ的なフレーズもあったりして底が知れない。(誰から影響を受けたのか想像がつかない。)
ただ、確実にいえるのは、音楽の楽しさ、素晴らしさをストレートに伝えてくれる奴らだということ。
個人的には勝手に洋楽1983年ピーク説を唱えているので、もう洋楽に期待するものはほとんどなかったが、よもや日本のアーティストがこのような進化した形で示してくれるとは・・・。
ほんと、冗談じゃなく36年間待った甲斐があったわ・・・(笑)
最近の洋楽ほとんど聴いていないので何とも言えないが、今、こういう楽曲って欧米でつくれなくなっているのでは?
この手の曲って、強力なボーカルとそれをがっしり支えるInst陣、そしてマーケット的なリスクを負っても自分たちのやりたい音楽を演るという強い意思がないとたぶん成り立たないけど、そんな担い手が世界的に枯渇しているような感じがする。
だから、砂漠で水を欲するように、ONE OK ROCKの楽曲に海外のオーディエンスが惹きつけられているのでは?(根拠レスの勝手な想像ですが・・・)
ONE OK ROCK: Wasted Nights [OFFICIAL VIDEO]
スケール感あふれる楽曲&ボーカル。(インストも)
Ed Sheeran Thinking Out Loud Subtitulada en español
声質のイメージはEd Sheeranが近い感じもするけど、スケール感はTakaの方が上だと思う。
音的には、浮遊感のあるリフがベースにあって、Takaのボーカルやコード感のあるインストフィルがこれにスケール感を与えているのだと思う。(最近の曲のスケール感はとくにハンパない。)
そしてTakaのボーカルは聴き手の心に直接訴える情感にあふれている。(これは聴き手の国籍問わずだと思う。)
(↑でBryan Adams、Van Morrison、Roxy Music、後期のSLADEなどを引き合いに出し、改めて聴いてみたが、ボーカルとしてのポテンシャルはTakaの方が上では?)
LIVEではこれに観客のコールが加わって、カタルシス感さえ漂う。このグループのLIVEたぶんものすごいと思う。
ONE OK ROCK - We are [Official Video from AMBITIONS JAPAN DOME TOUR]
観客のコール!! だよね。コールしたくなるよね。
それと、たぶんとくに最近の曲は音節(音符の数)が少ない。だから、英語の歌詞の方がしっくりくるのでは?
参考↓
■ 日本と西洋の音楽の違い PART 1:音符の数、メロディーのリズムと英語が使われる理由!Japan and Western music differences(音楽 ミスチル 米津玄師 j-pop)
ONE OK ROCK - A thousand miles 【和訳・歌詞】
こういうシンプルな曲でここまで聴かせるって、ハンパな才能じゃない。
ONE OK ROCK - Clock Strikes 35xxxv Japan Tour 2015
日本でこのライブパフォーマンスって、観客も含めて誇っていいと思う。
タテノリだらけの日本の男性グループには正直ほとんど何の期待もしていなかったけど、ONE OK ROCKの存在は素直に嬉しい。
そして、彼らを熱烈にサポートする感性の高い若い世代がいることも心強い。
真の音楽好きだったら、きっと誰もがオリンピックの場でフロントに出てほしいと思うのでは。
日本の女性アーティストのレベルの高さは常々書いてきたけど、ONE OK ROCKが加わればもはや世界屈指の音楽(PopMusic)大国の地位を獲得できるかも・・・。
ただ、業界を仕切るマネジメント側が覚醒するか、総替わりしないとむずかしいと思うけどね・・・。
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■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
ディスコシーンも盛り上がりを見せていた。
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。
■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)
ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、Shalamar、Lakeside、Whispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.Band、High Fashionなども好きだった。
D-Train、Sylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。
■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)
■ D Train 「Music」 (1983)
並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge Benson、Luther Vandross、Peabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy Crawford、Patti Austin、Angela Bofillなどよく聴いた。
■ George Benson 「Late at Night」 (1983)
■ James Ingram & Patti Austin 「How Do You Keep The Music Playing」 (1983)
UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。
その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern Romance、Level42、shakatak、Central Line、ABC、Haircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))
■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)
■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)
■ The WARRIORS 「Destination」 (1982)
付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
そういえば、「なんとなく、クリスタル」のサントラ、ほとんどAORで固められてたもんな。
A面ラストにはAORの定番といわれたこんな名曲も。↓
■ Boz Scaggs 「We re all alone」 (1976)
この曲、米国より日本で人気あったといわれているけど、いま聴き直すとやっぱりそんな感じがする。
Marty BalinゃBertie Higginsもそうだけど、結構ベタなメロ曲もAORに括られていた気がする。
だから、やっぱり「AOR」は日本のジャンルで、米国の「AC」(Adult contemporary)とはニュアンスがちがうと思う。(どーでもいいことだけど、この手のベタな日本受けするArtistやヒット曲を「Big in Japan」といいます。)
これまた、どーでもいいことだけど、「なんクリ」のサントラ、この手の曲が多いと思う。
「ぼくだけの東京ドライブ」(たまらなく、アーべイン)を読むと、田中康夫氏は「AC」系に造詣が深く、あえて日本での受け狙いで選曲を図った感じがする。
この狙いは的中し、1982~1983年にかけて日本ではAORが一大ブームとなったが、これはあとから考えると”諸刃の剣”だったかも知れず、定型化したAORは時を経ずして凋落を迎えることとなる。(次回以降に書きます。)
■MARTY BALIN 「Hearts」 (1981)
サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。
当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。
■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)
☆ ベストヒットUSA 2003 / 80's COUNT DOWN USA / 1980年代ベスト20
面子、豪華すぎ(笑) でもやっぱり'80年代前半が多いな・・・。
LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)
■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」
ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran Duran、Culture Club、Spandau Ballet、The Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。
■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)
興味ある方はこちらもどーぞ。
ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)
いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
(おすすめの曲をいくつかこちらにあげといたので、よろしければどぞ。)
これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
→■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
------------------------------------
■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
ディスコシーンも盛り上がりを見せていた。
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。
■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)
ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、Shalamar、Lakeside、Whispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.Band、High Fashionなども好きだった。
D-Train、Sylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。
■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)
■ D Train 「Music」 (1983)
並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge Benson、Luther Vandross、Peabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy Crawford、Patti Austin、Angela Bofillなどよく聴いた。
■ George Benson 「Late at Night」 (1983)
■ James Ingram & Patti Austin 「How Do You Keep The Music Playing」 (1983)
UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。
その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern Romance、Level42、shakatak、Central Line、ABC、Haircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))
■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)
■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)
■ The WARRIORS 「Destination」 (1982)
付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
そういえば、「なんとなく、クリスタル」のサントラ、ほとんどAORで固められてたもんな。
A面ラストにはAORの定番といわれたこんな名曲も。↓
■ Boz Scaggs 「We re all alone」 (1976)
この曲、米国より日本で人気あったといわれているけど、いま聴き直すとやっぱりそんな感じがする。
Marty BalinゃBertie Higginsもそうだけど、結構ベタなメロ曲もAORに括られていた気がする。
だから、やっぱり「AOR」は日本のジャンルで、米国の「AC」(Adult contemporary)とはニュアンスがちがうと思う。(どーでもいいことだけど、この手のベタな日本受けするArtistやヒット曲を「Big in Japan」といいます。)
これまた、どーでもいいことだけど、「なんクリ」のサントラ、この手の曲が多いと思う。
「ぼくだけの東京ドライブ」(たまらなく、アーべイン)を読むと、田中康夫氏は「AC」系に造詣が深く、あえて日本での受け狙いで選曲を図った感じがする。
この狙いは的中し、1982~1983年にかけて日本ではAORが一大ブームとなったが、これはあとから考えると”諸刃の剣”だったかも知れず、定型化したAORは時を経ずして凋落を迎えることとなる。(次回以降に書きます。)
■MARTY BALIN 「Hearts」 (1981)
サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。
当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。
■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)
☆ ベストヒットUSA 2003 / 80's COUNT DOWN USA / 1980年代ベスト20
面子、豪華すぎ(笑) でもやっぱり'80年代前半が多いな・・・。
LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)
■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」
ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran Duran、Culture Club、Spandau Ballet、The Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。
■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)
興味ある方はこちらもどーぞ。
ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)
いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
(おすすめの曲をいくつかこちらにあげといたので、よろしければどぞ。)
これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
→■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
------------------------------------
■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
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■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
1977~'78年、高校受験の傍で聴いていた(^^)のは、洋楽よりもむしろ邦楽だった。
このころは自分用のレコードプレーヤーやラジカセをゲットしていたので、自由に音楽を聴ける環境にあった。
また、FMでも音楽番組がさかんに組まれていた。
洋楽ではBoston、Toto、Queenなど、今でいうプログレハードがメインで、Doobie Brothers、Eaglesなど、ウェストコースト系は正直あまり聴いていなかった。(さすがに「Hotel California」(1976、日本でのヒットは1977)はリアルタイムで聴いているが・・・。)
なのでBos Scaggs希代の名盤『Silk Degrees』('76)はタッチの差でリリース時にリアルタイムで聴いていないかも・・・(泣)。
■ Boston 「More Than A Feeling (邦題:宇宙の彼方へ)」 (1976)
■ The Eagles 「Hotel California」 (1976)
■ Toto 「Georgy Porgy」 (1978)
■ Queen 「Bohemian Rhapsody」 (1975)
当時も名曲だと思ったが、2018年になって大ブレークを迎えるとは・・・。優れた曲は時代を超える!
----------------------------
この当時、「ニューミュージック」の一部のアーティストは、メジャー系コードと弾むリズムをもった、洋楽ライクで洗練されたサウンドを紡ぎ出していた。
重ったるい”主張”や”生きざま”が入らないライトな歌詞もよかった。
SAS、山下達郎、大瀧詠一、財津和夫(チューリップ)、小田和正(オフコース)など、その後ビックネームとなる才能がひしめいていた。『YUMING BRAND』(1976)あたりの荒井由美のメロディなど、天才的なきらめきがあった。
その頃、以前からもっていたフォークギターに加え、エレキギターをgetした私は「ギターで1発決める日(笑)」を夢見ていた。
■ Char 「Shinin' You Shinin' Day」 (1976)
■ 荒井由実 「ベルベット・イースター」 (1973)
■ チューリップ 「サボテンの花」 (1975)
■ 矢野顕子 with YMO 「また会おね」 (1979)
スゲー面子!
※ '80年代に入ってからのシティ・ポップはこちらに載っけてるので聴いてね。
この頃には、レコードをカセットテープにダビングして聴くというかたちがすでに一般化していた。
いちいちレコードに針を落とさずに、好きな曲を手軽に何回でも聴けるという音楽環境の変化は画期的だった。
また、1979年にはSONYの「ウォークマン」が発売。
いつでもどこでも好きな音楽を楽しめるというこのアイテムは、音楽とのつきあい方を決定的に変えた。
そして、音楽環境の一大転機、高校入学を迎える。(1979年)
その私立の男子校は幾人かの有名なアーティストを出していて、音楽レベルの高さはハンパじゃなかった。
同級生には、すでに原宿あたりのライブハウスに出演している猛者さえいたから、そのレベルは推して知るべしだ。
あまりのレベルの差に愕然とした私は、「ギターで1発決める夢」をあっさり放棄した。(笑)
■ 渡辺香津美 「E-DAY PROJECT」 (KYLYN/1979)
当時、演られていたのは、渡辺香津美やデビュー直後のSquare、CasiopeaなどのFUSION系(当時は「クロスオーバー」と呼ばれていた)、"いとしのエリー"がブレークしたSASなど・・・、一部の好き者は結成直後のYMOに手を染めていたりして邦楽メインだった。
だが、洋楽好きもごろごろいて、情報収集にはこと欠かなかった。
■ The Buggles 「Video Killed The Radio Star」 (1979)
■ Rufus & Chaka 「Do You Love What You Feel」 (1979)
■ Christopher Cross 「Sailing」 (1979)
※AORを代表する名曲。同じハイトーンヴォイスでもAir SupplyやJigsawとは明らかに質感が違う。
本格的に洋楽にのめり込んだのはこの頃だ。
大きな影響を受けたのがBos Scaggs、Bobby CaldwellにChicだった。
BozはそのころすでにスターダムとなっていたBilly Joelとは明らかにちがう質感をもっていたし、Bobby Caldwellのグルーヴィーなサウンドは理屈抜きに心地よかった。
洒落たリズムに洗練されたメロが乗るChicもカッコよかった。
■ Bos Scaggs 「Lowdown」 (1976)
■ Bobby Caldwell 「What You Won't Do for Love」 (1978)
■ Chic 「Good Times」 (1979)
あと、よく聴いたのはPablo Cruise。
San Francisco出身でWest Coast系ベースながらCory Leriosの妙にクラシカルなPianoが効いて面白いサウンドをつくりだしていた。
(伝説のサーフィン映画『フリーライド』のテーマ曲「Zero to Sixty in Five」を手がけ、代表的なサーフロック(Surf Rock)バンドとしても名を残している。)
■ Pablo Cruise 「Family Man」 (1978)
4thALBUM『Worlds Away』(1978)収録曲。プロデュースはあのBill Schnee!
怒濤のごとく周辺Artistアーティストを聴きあさり、初期AORにはきもち乗り遅れたものの、この時点でシーン(当時は「ソフト&メロー」と総称されていた)に完璧にシンクロした。
■ Grover Washinton jr. & Bill Withers 「Just The Two Of Us」 (1980)
※ クロスオーバー系の代表曲。
わたしは、洋楽のピークは1979~1983年の5年間だと思っているので(洋楽1983年ピーク説)、1979年初頭の時点でのシンクロ(しかもかなりマニアックなかたちでの)は、いま振り返っても絶妙なタイミングだったと思っている。
一方、低迷期に入りしばらく遠ざかっていたプログレだが、1979年発売されたキングレコードの「ユーロピアンロックコレクション」に啓発され、その後、イタリアやフランスあたりのグループを手当たり次第に聴きまくることになる。
ただし、メインに聴いていたのはのちにシンフォニック・ロック(Symphonic Rock)と呼ばれるメロディを重視したもので、前衛色のつよいカンタベリー系(Canterbury Rock)などはあまり聴いていない。
なお、Progre/Euro Rockは70年代を通じて世界的なムーブメントとなっていて、各地の民俗音楽と結びついて多彩な展開をみせていた。
わたしの民俗音楽とのかかわりは、Progre/Euro Rockか、その後民俗音楽とのコラボ色を強めた一部FUSION系からのアプローチで、正直、正統派ではないと思うし、はっきりいって造詣もふかくない。
■ Locanda Delle Fate (Italy) 「Forse Le Lucciole Non Si Amano Piu」 (1977)
■ Machiavel (Belgium) 「The Fifth Season」 (1978)
プログレとはいえないかもしれないけど、これは衝撃的だった ↓
■ Kate Bush 「Wuthering Heights」 (1978)
'80年代初頭のピークに向けて昇り調子だったAmerican Progre Hard(のちに「産業ロック」と呼ばれるJourney、REO Speed Wagon、Kansas、ELO、Foreigner、Rushなど)もよく聴いた。
■ REO Speedwagon 「Keep On Loving You」 (1980)
■ Kansas 「Crossfire」 (1982)
■ Rush (Canada) 「Freewill」 (Exit Stage Left/1981)
'70年代後半、急速に勢力を拡大していたパンクやテクノはそれなりに聴いていたが、なぜかあまり深入りしなかった。
そのころからタテのりや無機質なシンセサウンドは肌に合わなかったのかもしれない。
↓こんなのがクラスで流行ってた。そんな高校です(笑)
■ Plastics 「COPY」 (1979)
いまのコピペ時代を先読みした驚異の内容!
ただし'80年代中盤にかけて、UK系”New Wave”のなかでSynth-Popと呼ばれたメロディアスな一群(OMD、Simple Minds、Ultravox、Depeche Mode、Blancmange、China Crisisなど)はよく聴いていた。)
■ OMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark) 「Joan Of Arc」 (1981)
■ China Crisis 「Wishful Thinking」 (1983)
■ New Order 「Your Silent Face」 (1983)
※New Orderもこういう曲をリリースしていた1983年。
---------------------------------
大学卒業までのわたしは間違いなく洋楽志向だったと思う。
むろん、達郎、サザン、Yuming、角松敏生、佐野元春、杏里、杉山清貴、中原めいこなどのビッグネームはふつうに聴いていたし、さりげに松田聖子(とくに初期のLP)や岩崎宏美なんぞも好きだった。
■ 山下 達郎 「LOVELAND,ISLAND」 (FOR YOU/1982)
■ 角松敏生 「Crescent aventure」 (Weekend Fly To The Sun/1982)
■ 杏里 「Last Summer Whisper」(Heaven Beach/1982 A-2)
当時、もっとも聴き込んでいた邦楽ALBUMのひとつ、1982年リリースの杏里 「Heaven Beach」。
名盤! とくにB-3~5の流れが絶妙。個人的な想い入れもあって、感慨なくして聴けぬ(笑)
・B-3→ 「Memorial Story」
・B-4→ 「夏に背を向けて」
・B-5→ 「Heaven Beach」 ※個人的には日本のPop-Music屈指の名バラード
■ とみたゆう子 「海のキャトル・セゾン」 (DEUX/1982)
これも当時ALBUM通しでよく聴いてた。「ミルキーボイス」といわれていた甘~いハイトーン。
こんな名盤も1982年の作。
■ 中原めいこ 「メランコリーTea Time」 (ロートスの果実 -LOTOS- /1984)
リズムはすでに1984年のものだけど、ブライトな曲調は往年のもの。
■ 佐野元春 「HEART BEAT (小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)」(HEART BEAT/1981)
コメントにもあるけど、この曲を「名曲」と呼ばずして、なにを「名曲」と呼ぶ?
楽曲・ボーカル・演奏、そして映像。すべてがベストの仕上がり!
■ 杉山清貴&オメガトライブ 「Never Ending Summer」(NEVER ENDING SUMMER/1984年)
※18分に及ぶ長尺の組曲。捨て音なし、ストーリー感あふれる名曲で一気に聴かせる。
とくにラストの「Never Ending Summer IV ~ Prolog」は逸品。
作曲・編曲:林哲司 作詞:秋元康。哲司節全開! たしかに秋元康、才能ある。それは認めます(笑)
→ 歌詞
※↑の動画一部略あり。フル動画は →こちら
「洋楽志向」とは言っても、この時分ひたすら中古レコード屋に入り浸っていたので、AORテイストのある邦楽のALBUMもそれなりには買っていた。
先日、改めて確認してみたら、近頃、「シティポップ」として再評価されている一群のArtistのALBUMもけっこう持ってた(忘れてた(笑))。
※ 関連記事(リンク)-1→ なぜいまシティポップが注目されているのかを再検証
※ 関連記事(リンク)-2→今なぜ海外で「シティ・ポップ」が大人気なのか? 火付け役に聞く
■ 佐藤博 「I Can't Wait」 (1982年)
■ 松原 みき 「真夜中のドア Stay With Me」 (1980年)
※若くしてこの世を去った才能あふれるArtist。英文コメントの多さが「シティポップ」ブームを物語っている。
■ Rajie 「メモリー・スルー(追想)」 (ACOUSTIC MOON/1981)
※井上鑑(key)、今剛(g)、鈴木茂(g)、林立夫(ds)、斎藤ノブ(per)、土岐英史(sax)!
■ 黒住憲五 「Juggler」 (1982年)
■ 尾崎亜美 「Wanderer In Love」 (1981年)
※David Foster(key)Steve Lukathur(g)、Jay Graydon(g)、Neil Stubenhous(b)、Jeff Porcaro(ds)、Tom Scott(sax)
■ 二名敦子 「ホノルル・シティ・ライツ」 (1984年)
※この時期、AOR(Surf Rockにもっとも接近した邦楽Artistの一人)だと思う。
最近、シティポップに関連する記事(→こちら)を書いたのですが、↑を聴き直して確信っぽくなってきたので、一部下にもってきました。↓
**************************
ウェストコーストサウンドは、ブライトなメロディとこ洒落たハーモニー、そして独特の弾むリズムが魅力だと思っているが、今、海外で人気とされるシティポップ曲を聴くと、例外なくこれらの要素を備えている。
これらが重なると、耳(というか全身)に自然に入ってくる、きわめて「聴き心地のよい音楽」となる。そして聴き手にポジティブな高揚感をもたらす。
当時はさほど意識していなかったが、いま聴き直してみるとシティポップではこれらの要素(とくに弾むリズム)をウェストコーストサウンドよりも意識的にデフォルメしている感じがある。
だからシティポップの「聴き心地のよさ」は、ウェストコーストサウンドを凌駕しているのでは。
かつて彼らが生み出したウェストコーストサウンドやAOR(AC)が、より進化した形で日本で生み出されていたことに対するおどろきと、有無をいわさぬ「聴き心地のよさ」、そしていまの社会環境(時代の気分)では、もはや創りだすことが難しくなった「高揚感」がシティポップ人気の本質ではないか。
■邦楽 80年代シティポップ
「あの頃はよかった」系以外のコメントがかなり面白い。(ガセかもしらんが・・・)
------------------------------------
そのころ頭痛のタネだったのが軍資金だ。
当時、LPは2,500円だったから、そうやすやすと買えるシロモノでなく、バイト代はたちまちレコードに消し飛んだ。
なので、メジャー系アーティストはほとんどFMでエアーチェック(FMでOn Airされた曲をテープに録音することをこう呼んでいた)し、FMで流れない非メジャー系は中古盤屋で探していた。(中古盤屋廻りの習癖はいまにつづいている。)
1980年、レンタルレコード店が出現。
たった250円でLPが借りられるこの店は救世主だった。
業界の先陣を切った「黎紅堂」の初期の店が自宅そばにできたので、ひたすら借りまくった。
この業態は急速に広まり、いくつもの店をつかいわけていた。
とくに、マニアックな品揃えだった池袋のJanis、下北沢のレコファン(今はメジャー中古ソフトチェーンだが、当時は下北沢の狭い店でレンタルもやっていた)には飽きもせずよく通った。
渋谷に輸入盤ショップの草分けタワーレコードができたのも、たしか1980年ごろと記憶している。東急ハンズのはす向かいにあったその旧店は外人客も多く、独特の雰囲気があった。
まわりにはシスコや数軒の中古レコード店があって、洋楽好きの聖地と化していた。
(さらにつづく)
→■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
------------------------------------
■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫 【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
このころは自分用のレコードプレーヤーやラジカセをゲットしていたので、自由に音楽を聴ける環境にあった。
また、FMでも音楽番組がさかんに組まれていた。
洋楽ではBoston、Toto、Queenなど、今でいうプログレハードがメインで、Doobie Brothers、Eaglesなど、ウェストコースト系は正直あまり聴いていなかった。(さすがに「Hotel California」(1976、日本でのヒットは1977)はリアルタイムで聴いているが・・・。)
なのでBos Scaggs希代の名盤『Silk Degrees』('76)はタッチの差でリリース時にリアルタイムで聴いていないかも・・・(泣)。
■ Boston 「More Than A Feeling (邦題:宇宙の彼方へ)」 (1976)
■ The Eagles 「Hotel California」 (1976)
■ Toto 「Georgy Porgy」 (1978)
■ Queen 「Bohemian Rhapsody」 (1975)
当時も名曲だと思ったが、2018年になって大ブレークを迎えるとは・・・。優れた曲は時代を超える!
----------------------------
この当時、「ニューミュージック」の一部のアーティストは、メジャー系コードと弾むリズムをもった、洋楽ライクで洗練されたサウンドを紡ぎ出していた。
重ったるい”主張”や”生きざま”が入らないライトな歌詞もよかった。
SAS、山下達郎、大瀧詠一、財津和夫(チューリップ)、小田和正(オフコース)など、その後ビックネームとなる才能がひしめいていた。『YUMING BRAND』(1976)あたりの荒井由美のメロディなど、天才的なきらめきがあった。
その頃、以前からもっていたフォークギターに加え、エレキギターをgetした私は「ギターで1発決める日(笑)」を夢見ていた。
■ Char 「Shinin' You Shinin' Day」 (1976)
■ 荒井由実 「ベルベット・イースター」 (1973)
■ チューリップ 「サボテンの花」 (1975)
■ 矢野顕子 with YMO 「また会おね」 (1979)
スゲー面子!
※ '80年代に入ってからのシティ・ポップはこちらに載っけてるので聴いてね。
この頃には、レコードをカセットテープにダビングして聴くというかたちがすでに一般化していた。
いちいちレコードに針を落とさずに、好きな曲を手軽に何回でも聴けるという音楽環境の変化は画期的だった。
また、1979年にはSONYの「ウォークマン」が発売。
いつでもどこでも好きな音楽を楽しめるというこのアイテムは、音楽とのつきあい方を決定的に変えた。
そして、音楽環境の一大転機、高校入学を迎える。(1979年)
その私立の男子校は幾人かの有名なアーティストを出していて、音楽レベルの高さはハンパじゃなかった。
同級生には、すでに原宿あたりのライブハウスに出演している猛者さえいたから、そのレベルは推して知るべしだ。
あまりのレベルの差に愕然とした私は、「ギターで1発決める夢」をあっさり放棄した。(笑)
■ 渡辺香津美 「E-DAY PROJECT」 (KYLYN/1979)
当時、演られていたのは、渡辺香津美やデビュー直後のSquare、CasiopeaなどのFUSION系(当時は「クロスオーバー」と呼ばれていた)、"いとしのエリー"がブレークしたSASなど・・・、一部の好き者は結成直後のYMOに手を染めていたりして邦楽メインだった。
だが、洋楽好きもごろごろいて、情報収集にはこと欠かなかった。
■ The Buggles 「Video Killed The Radio Star」 (1979)
■ Rufus & Chaka 「Do You Love What You Feel」 (1979)
■ Christopher Cross 「Sailing」 (1979)
※AORを代表する名曲。同じハイトーンヴォイスでもAir SupplyやJigsawとは明らかに質感が違う。
本格的に洋楽にのめり込んだのはこの頃だ。
大きな影響を受けたのがBos Scaggs、Bobby CaldwellにChicだった。
BozはそのころすでにスターダムとなっていたBilly Joelとは明らかにちがう質感をもっていたし、Bobby Caldwellのグルーヴィーなサウンドは理屈抜きに心地よかった。
洒落たリズムに洗練されたメロが乗るChicもカッコよかった。
■ Bos Scaggs 「Lowdown」 (1976)
■ Bobby Caldwell 「What You Won't Do for Love」 (1978)
■ Chic 「Good Times」 (1979)
あと、よく聴いたのはPablo Cruise。
San Francisco出身でWest Coast系ベースながらCory Leriosの妙にクラシカルなPianoが効いて面白いサウンドをつくりだしていた。
(伝説のサーフィン映画『フリーライド』のテーマ曲「Zero to Sixty in Five」を手がけ、代表的なサーフロック(Surf Rock)バンドとしても名を残している。)
■ Pablo Cruise 「Family Man」 (1978)
4thALBUM『Worlds Away』(1978)収録曲。プロデュースはあのBill Schnee!
怒濤のごとく周辺Artistアーティストを聴きあさり、初期AORにはきもち乗り遅れたものの、この時点でシーン(当時は「ソフト&メロー」と総称されていた)に完璧にシンクロした。
■ Grover Washinton jr. & Bill Withers 「Just The Two Of Us」 (1980)
※ クロスオーバー系の代表曲。
わたしは、洋楽のピークは1979~1983年の5年間だと思っているので(洋楽1983年ピーク説)、1979年初頭の時点でのシンクロ(しかもかなりマニアックなかたちでの)は、いま振り返っても絶妙なタイミングだったと思っている。
一方、低迷期に入りしばらく遠ざかっていたプログレだが、1979年発売されたキングレコードの「ユーロピアンロックコレクション」に啓発され、その後、イタリアやフランスあたりのグループを手当たり次第に聴きまくることになる。
ただし、メインに聴いていたのはのちにシンフォニック・ロック(Symphonic Rock)と呼ばれるメロディを重視したもので、前衛色のつよいカンタベリー系(Canterbury Rock)などはあまり聴いていない。
なお、Progre/Euro Rockは70年代を通じて世界的なムーブメントとなっていて、各地の民俗音楽と結びついて多彩な展開をみせていた。
わたしの民俗音楽とのかかわりは、Progre/Euro Rockか、その後民俗音楽とのコラボ色を強めた一部FUSION系からのアプローチで、正直、正統派ではないと思うし、はっきりいって造詣もふかくない。
■ Locanda Delle Fate (Italy) 「Forse Le Lucciole Non Si Amano Piu」 (1977)
■ Machiavel (Belgium) 「The Fifth Season」 (1978)
プログレとはいえないかもしれないけど、これは衝撃的だった ↓
■ Kate Bush 「Wuthering Heights」 (1978)
'80年代初頭のピークに向けて昇り調子だったAmerican Progre Hard(のちに「産業ロック」と呼ばれるJourney、REO Speed Wagon、Kansas、ELO、Foreigner、Rushなど)もよく聴いた。
■ REO Speedwagon 「Keep On Loving You」 (1980)
■ Kansas 「Crossfire」 (1982)
■ Rush (Canada) 「Freewill」 (Exit Stage Left/1981)
'70年代後半、急速に勢力を拡大していたパンクやテクノはそれなりに聴いていたが、なぜかあまり深入りしなかった。
そのころからタテのりや無機質なシンセサウンドは肌に合わなかったのかもしれない。
↓こんなのがクラスで流行ってた。そんな高校です(笑)
■ Plastics 「COPY」 (1979)
いまのコピペ時代を先読みした驚異の内容!
ただし'80年代中盤にかけて、UK系”New Wave”のなかでSynth-Popと呼ばれたメロディアスな一群(OMD、Simple Minds、Ultravox、Depeche Mode、Blancmange、China Crisisなど)はよく聴いていた。)
■ OMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark) 「Joan Of Arc」 (1981)
■ China Crisis 「Wishful Thinking」 (1983)
■ New Order 「Your Silent Face」 (1983)
※New Orderもこういう曲をリリースしていた1983年。
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大学卒業までのわたしは間違いなく洋楽志向だったと思う。
むろん、達郎、サザン、Yuming、角松敏生、佐野元春、杏里、杉山清貴、中原めいこなどのビッグネームはふつうに聴いていたし、さりげに松田聖子(とくに初期のLP)や岩崎宏美なんぞも好きだった。
■ 山下 達郎 「LOVELAND,ISLAND」 (FOR YOU/1982)
■ 角松敏生 「Crescent aventure」 (Weekend Fly To The Sun/1982)
■ 杏里 「Last Summer Whisper」(Heaven Beach/1982 A-2)
当時、もっとも聴き込んでいた邦楽ALBUMのひとつ、1982年リリースの杏里 「Heaven Beach」。
名盤! とくにB-3~5の流れが絶妙。個人的な想い入れもあって、感慨なくして聴けぬ(笑)
・B-3→ 「Memorial Story」
・B-4→ 「夏に背を向けて」
・B-5→ 「Heaven Beach」 ※個人的には日本のPop-Music屈指の名バラード
■ とみたゆう子 「海のキャトル・セゾン」 (DEUX/1982)
これも当時ALBUM通しでよく聴いてた。「ミルキーボイス」といわれていた甘~いハイトーン。
こんな名盤も1982年の作。
■ 中原めいこ 「メランコリーTea Time」 (ロートスの果実 -LOTOS- /1984)
リズムはすでに1984年のものだけど、ブライトな曲調は往年のもの。
■ 佐野元春 「HEART BEAT (小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)」(HEART BEAT/1981)
コメントにもあるけど、この曲を「名曲」と呼ばずして、なにを「名曲」と呼ぶ?
楽曲・ボーカル・演奏、そして映像。すべてがベストの仕上がり!
■ 杉山清貴&オメガトライブ 「Never Ending Summer」(NEVER ENDING SUMMER/1984年)
※18分に及ぶ長尺の組曲。捨て音なし、ストーリー感あふれる名曲で一気に聴かせる。
とくにラストの「Never Ending Summer IV ~ Prolog」は逸品。
作曲・編曲:林哲司 作詞:秋元康。哲司節全開! たしかに秋元康、才能ある。それは認めます(笑)
→ 歌詞
※↑の動画一部略あり。フル動画は →こちら
「洋楽志向」とは言っても、この時分ひたすら中古レコード屋に入り浸っていたので、AORテイストのある邦楽のALBUMもそれなりには買っていた。
先日、改めて確認してみたら、近頃、「シティポップ」として再評価されている一群のArtistのALBUMもけっこう持ってた(忘れてた(笑))。
※ 関連記事(リンク)-1→ なぜいまシティポップが注目されているのかを再検証
※ 関連記事(リンク)-2→今なぜ海外で「シティ・ポップ」が大人気なのか? 火付け役に聞く
■ 佐藤博 「I Can't Wait」 (1982年)
■ 松原 みき 「真夜中のドア Stay With Me」 (1980年)
※若くしてこの世を去った才能あふれるArtist。英文コメントの多さが「シティポップ」ブームを物語っている。
■ Rajie 「メモリー・スルー(追想)」 (ACOUSTIC MOON/1981)
※井上鑑(key)、今剛(g)、鈴木茂(g)、林立夫(ds)、斎藤ノブ(per)、土岐英史(sax)!
■ 黒住憲五 「Juggler」 (1982年)
■ 尾崎亜美 「Wanderer In Love」 (1981年)
※David Foster(key)Steve Lukathur(g)、Jay Graydon(g)、Neil Stubenhous(b)、Jeff Porcaro(ds)、Tom Scott(sax)
■ 二名敦子 「ホノルル・シティ・ライツ」 (1984年)
※この時期、AOR(Surf Rockにもっとも接近した邦楽Artistの一人)だと思う。
最近、シティポップに関連する記事(→こちら)を書いたのですが、↑を聴き直して確信っぽくなってきたので、一部下にもってきました。↓
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ウェストコーストサウンドは、ブライトなメロディとこ洒落たハーモニー、そして独特の弾むリズムが魅力だと思っているが、今、海外で人気とされるシティポップ曲を聴くと、例外なくこれらの要素を備えている。
これらが重なると、耳(というか全身)に自然に入ってくる、きわめて「聴き心地のよい音楽」となる。そして聴き手にポジティブな高揚感をもたらす。
当時はさほど意識していなかったが、いま聴き直してみるとシティポップではこれらの要素(とくに弾むリズム)をウェストコーストサウンドよりも意識的にデフォルメしている感じがある。
だからシティポップの「聴き心地のよさ」は、ウェストコーストサウンドを凌駕しているのでは。
かつて彼らが生み出したウェストコーストサウンドやAOR(AC)が、より進化した形で日本で生み出されていたことに対するおどろきと、有無をいわさぬ「聴き心地のよさ」、そしていまの社会環境(時代の気分)では、もはや創りだすことが難しくなった「高揚感」がシティポップ人気の本質ではないか。
■邦楽 80年代シティポップ
「あの頃はよかった」系以外のコメントがかなり面白い。(ガセかもしらんが・・・)
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そのころ頭痛のタネだったのが軍資金だ。
当時、LPは2,500円だったから、そうやすやすと買えるシロモノでなく、バイト代はたちまちレコードに消し飛んだ。
なので、メジャー系アーティストはほとんどFMでエアーチェック(FMでOn Airされた曲をテープに録音することをこう呼んでいた)し、FMで流れない非メジャー系は中古盤屋で探していた。(中古盤屋廻りの習癖はいまにつづいている。)
1980年、レンタルレコード店が出現。
たった250円でLPが借りられるこの店は救世主だった。
業界の先陣を切った「黎紅堂」の初期の店が自宅そばにできたので、ひたすら借りまくった。
この業態は急速に広まり、いくつもの店をつかいわけていた。
とくに、マニアックな品揃えだった池袋のJanis、下北沢のレコファン(今はメジャー中古ソフトチェーンだが、当時は下北沢の狭い店でレンタルもやっていた)には飽きもせずよく通った。
渋谷に輸入盤ショップの草分けタワーレコードができたのも、たしか1980年ごろと記憶している。東急ハンズのはす向かいにあったその旧店は外人客も多く、独特の雰囲気があった。
まわりにはシスコや数軒の中古レコード店があって、洋楽好きの聖地と化していた。
(さらにつづく)
→■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫 【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
自分自身のことなのに。
いまだに信じられない。
そして想像だにしていなかった。
中学~高校時代からプログレ、ブラコン、AC(アダルト・コンテンポラリー)の世界にどっぶり浸かった人間が、この歳で(笑)、中学~高校生の女の子の歌声に抗うすべもなく、音楽観さえも変えられてしまうとは・・・。
とくに意識したわけでも、まして努力などしたわけもなく、自然にそうなっていた。
だとすると、これは必然?
2013年に音楽ブログ(現在更新休止中)に書いた記事。
このときは「カラバトU-18」の認識は皆無だったけど、いま読み返してみると、なんとなくその「必然」を匂わせる内容になってる。
ちと長くなりますが、当時の文脈を残しつつ、若干手を加えてこのブログにUPしてみます。(歳がバレますが・・・(笑))
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わたしは温泉●鹿ですが、10,000枚以上のソフトをもち、月に数度は中古レコード屋を覗かないと禁断症状がでるという音楽キ●ガイでもあります(笑)
なので、音楽について書きたいことはいろいろありますが、別ブログを立ち上げるのもめんど~なので、とりあえずこのブログに叩きいれます。
音楽に興味のない方は一気にとばしてくださいやし。
まずは、私の音楽のバックボーンを書きます。
(極私的内容じゃが、ブログなので許してね・・・ ^^;; )
--------------------------------------------------
わたしが生まれたのはBeatlesが全米チャートで1~5位を独占し、S&GやYardbirdsがデビューした東京オリンピックの年。
さすがにAnimalsや初期Beatlesは記憶にないものの、母親や7歳年上の姉貴がS&G好きで、幼いころからALBUM「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」('69)を聴いていた記憶がうっすらとある。
■ S&G 「Bridge Over Troubled Water (邦題:明日に架ける橋)」 (1969)
Beatlesの「Let It Be」も子供ごころに好きだった。(このとき6歳/小1)
■ Beatles 「Let It Be」 (1970)
この7歳年上の姉貴の部屋は私の部屋のすぐとなり。
彼女は音楽的にかなり早熟だったらしく(そうとう早い時期から自分用のレコードプレーヤーをもっていたと思う。)、いたいけな子供(わたし)のうえを、来る日も来る日もロックの嵐が情け容赦もなく吹き荒れた・・・(笑)
いま振り返ってみると、この原体験がわたしの音楽的志向を決定づけたと思う。
姉貴の趣味はかなりとクセもので、Rolling Stones、Led ZeppelinやT.Rexに始まり、フレンチPOPのMichel Polnareffから全盛期を迎えつつあったプログレ系のYES、Pink FloydやEL&Pにまで及んでいた。
あと、Wishbone Ashとか。
■ Michel Polnareff 「Love Me Please Love Me (邦題:愛の願い)」 (1971)
とくにYESにはハマっていたようで、『こわれもの(Fragile)』('71)や『危機(Close To The Edge)』('72)をLPごとなかば強制的に聴き込まされていた(^^;)
小3の児童がおよそ小学生らしくもない、あの『危機』を刷り込まれていたワケで、転調、変拍子、シンコペが好きという音楽的好みは全盛期のYESの影響によるところが大きいと思う。
■ YES 「Close To The Edge (邦題:危機)」 (1972) (長いです・・・(笑))
■ Rolling Stones 「Angie (邦題:悲しみのアンジー) 」 (1973)
■ Led Zeppelin 「Achilles Last Stand (邦題:アキレス最後の戦い) 」 (1976)
■ Wishbone Ash 「Everybody Needs A Friend」 (1973)
そうするうちに姉貴の好みはディスコ(当時は「ディスコティック」と呼ばれた)に移り、またまたなんの免疫もないままにVan McCoy 「The Hustle」、K.C.&The Sunshine Band、Stylisticsなど、ブラックミュージックの洗礼を浴びた。(このとき11歳/小6)
このようにハードロック/プログレ → ソウルディスコと、かなり偏った音楽環境にあったのがわたしの小学生時代です(笑)
(もちろん、フィンガー5などを教室で踊っていた記憶はあるが・・・笑)
■ フィンガー5 「個人授業」 (1973)
しかし、いま聴いてみると異様に完成度高いわ、このグループ。
■ VAN McCOY 「The Hustle」 (1975)
■ KC & THE SUNSHINE BAND 「Shake Your Booty」 (1976)
小学校高学年~中学前半にかけては、別に熱中していたこともあり、たしか中1くらいまでパーソナルなレコードプレーヤーをもっていなかったこともあって、↑の異様な音楽体験(笑)の他に音楽を聴き込んだという記憶はほとんどなく、ごくふつうにラジオやTVの歌番を聴くくらいだったと思う。
註:
70年代中盤ではまだステレオラジカセは一般的ではなかったと思う。
だからしっかり音楽を聴き込むにはレコードプレーヤーが必要だったのだが、これが高かった。それにレコード盤じたいも高く、しかもカセットテープに録音することができなかったので、キズつけ針トビなどふつうにあって、いまから考えるとえらくやっかいなメディアだった。
家にはオープンリールのレコーダーやカセットデッキもあったが、たしか英語教材などのツールで、これで音楽を本格的に聴いていたという記憶はない。
それでもFENはよく聴いていたので、曲目はわからないながら洋楽は耳に馴染んでいた。
むろん、Carly Simonの「うつろな愛(You're So Vain)」、Roberta Flackの「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」、Carpentersの一連のヒットチューンなど、日本でヒットした洋楽もふつうに聴いていた。
■ Carly Simon 「You're So Vain (邦題:うつろな愛) 」 (1972)
それと、1975年リリース(このとき小6)のkalapanaの1stALBUMをリアルタイムで聴いていた記憶がある。自分で買ったかは定かではないのだが、この1stALBUMは盤面ボロボロだけど、いまも持っている。
■ Kalapana 「Naturally」 (1975)
邦楽では、マイナーコードやアルペジオを多用するいわゆる”四畳半フォーク”はどうにも肌に合わず、むしろ沢田研二やキャンディーズのほうが好きだった。
それでも、フォークの全盛期ともいえる1972年~1975年(小3~小6)あたり、吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」、陽水の「傘がない」「氷の世界」「夢の中へ」(陽水はもともと”四畳半フォーク”じゃないけどね)、ガロ(GARO)「学生街の喫茶店」、かぐや姫「神田川」、イルカ「なごり雪」、風 「22才の別れ」などはたしかにリアルタイムで聴いていた。
これらを聴いたメディアははっきりしないが、中1(1976年)のときにはアコギを持っていたので、むしろギターで弾いていた記憶の方が強い。
いわゆるニューミュージックの走りはこの頃(1972年~1975年)とされるが、自分のなかでは、マイナー系コードで演りやすいのがフォーク、メジャー系コードで弾きにくいのがニューミュージック、というイメージがなんとなくあった。
■ 井上陽水 「夢の中へ」 (1973)
■ 海岸通(風/伊勢正三) (1975)
■ イルカ 「なごり雪」 (1975)
■ 魔法の黄色い靴 「チューリップ」
※ギターで苦戦した記憶あり(笑)→ コード
■ キャンディーズ 「春一番」 (1976)
■ 沢田 研二 「LOVE (抱きしめたい)」 (1978)
このころは演歌の名曲が輩出していてけっこうよく聴いていた。(というか、TVやラジオでふつうによくかかっていた。)
石川さゆりはとくに好きだった。たぶん、ハイトーンヴォイス好きの素地はこのころからあったのだと思う・・・。
■ 石川さゆり 「津軽海峡・冬景色」 (1977)
家にクラシックのLPがけっこうあったので、これもよく聴いた。
クラシックはその後もつかず離れず聴いていて、好きなのは、J.S.バッハ、シベリウス、スメタナあたり。
(まだまだつづく/5回を予定)
→■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫 【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
いまだに信じられない。
そして想像だにしていなかった。
中学~高校時代からプログレ、ブラコン、AC(アダルト・コンテンポラリー)の世界にどっぶり浸かった人間が、この歳で(笑)、中学~高校生の女の子の歌声に抗うすべもなく、音楽観さえも変えられてしまうとは・・・。
とくに意識したわけでも、まして努力などしたわけもなく、自然にそうなっていた。
だとすると、これは必然?
2013年に音楽ブログ(現在更新休止中)に書いた記事。
このときは「カラバトU-18」の認識は皆無だったけど、いま読み返してみると、なんとなくその「必然」を匂わせる内容になってる。
ちと長くなりますが、当時の文脈を残しつつ、若干手を加えてこのブログにUPしてみます。(歳がバレますが・・・(笑))
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わたしは温泉●鹿ですが、10,000枚以上のソフトをもち、月に数度は中古レコード屋を覗かないと禁断症状がでるという音楽キ●ガイでもあります(笑)
なので、音楽について書きたいことはいろいろありますが、別ブログを立ち上げるのもめんど~なので、とりあえずこのブログに叩きいれます。
音楽に興味のない方は一気にとばしてくださいやし。
まずは、私の音楽のバックボーンを書きます。
(極私的内容じゃが、ブログなので許してね・・・ ^^;; )
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わたしが生まれたのはBeatlesが全米チャートで1~5位を独占し、S&GやYardbirdsがデビューした東京オリンピックの年。
さすがにAnimalsや初期Beatlesは記憶にないものの、母親や7歳年上の姉貴がS&G好きで、幼いころからALBUM「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」('69)を聴いていた記憶がうっすらとある。
■ S&G 「Bridge Over Troubled Water (邦題:明日に架ける橋)」 (1969)
Beatlesの「Let It Be」も子供ごころに好きだった。(このとき6歳/小1)
■ Beatles 「Let It Be」 (1970)
この7歳年上の姉貴の部屋は私の部屋のすぐとなり。
彼女は音楽的にかなり早熟だったらしく(そうとう早い時期から自分用のレコードプレーヤーをもっていたと思う。)、いたいけな子供(わたし)のうえを、来る日も来る日もロックの嵐が情け容赦もなく吹き荒れた・・・(笑)
いま振り返ってみると、この原体験がわたしの音楽的志向を決定づけたと思う。
姉貴の趣味はかなりとクセもので、Rolling Stones、Led ZeppelinやT.Rexに始まり、フレンチPOPのMichel Polnareffから全盛期を迎えつつあったプログレ系のYES、Pink FloydやEL&Pにまで及んでいた。
あと、Wishbone Ashとか。
■ Michel Polnareff 「Love Me Please Love Me (邦題:愛の願い)」 (1971)
とくにYESにはハマっていたようで、『こわれもの(Fragile)』('71)や『危機(Close To The Edge)』('72)をLPごとなかば強制的に聴き込まされていた(^^;)
小3の児童がおよそ小学生らしくもない、あの『危機』を刷り込まれていたワケで、転調、変拍子、シンコペが好きという音楽的好みは全盛期のYESの影響によるところが大きいと思う。
■ YES 「Close To The Edge (邦題:危機)」 (1972) (長いです・・・(笑))
■ Rolling Stones 「Angie (邦題:悲しみのアンジー) 」 (1973)
■ Led Zeppelin 「Achilles Last Stand (邦題:アキレス最後の戦い) 」 (1976)
■ Wishbone Ash 「Everybody Needs A Friend」 (1973)
そうするうちに姉貴の好みはディスコ(当時は「ディスコティック」と呼ばれた)に移り、またまたなんの免疫もないままにVan McCoy 「The Hustle」、K.C.&The Sunshine Band、Stylisticsなど、ブラックミュージックの洗礼を浴びた。(このとき11歳/小6)
このようにハードロック/プログレ → ソウルディスコと、かなり偏った音楽環境にあったのがわたしの小学生時代です(笑)
(もちろん、フィンガー5などを教室で踊っていた記憶はあるが・・・笑)
■ フィンガー5 「個人授業」 (1973)
しかし、いま聴いてみると異様に完成度高いわ、このグループ。
■ VAN McCOY 「The Hustle」 (1975)
■ KC & THE SUNSHINE BAND 「Shake Your Booty」 (1976)
小学校高学年~中学前半にかけては、別に熱中していたこともあり、たしか中1くらいまでパーソナルなレコードプレーヤーをもっていなかったこともあって、↑の異様な音楽体験(笑)の他に音楽を聴き込んだという記憶はほとんどなく、ごくふつうにラジオやTVの歌番を聴くくらいだったと思う。
註:
70年代中盤ではまだステレオラジカセは一般的ではなかったと思う。
だからしっかり音楽を聴き込むにはレコードプレーヤーが必要だったのだが、これが高かった。それにレコード盤じたいも高く、しかもカセットテープに録音することができなかったので、キズつけ針トビなどふつうにあって、いまから考えるとえらくやっかいなメディアだった。
家にはオープンリールのレコーダーやカセットデッキもあったが、たしか英語教材などのツールで、これで音楽を本格的に聴いていたという記憶はない。
それでもFENはよく聴いていたので、曲目はわからないながら洋楽は耳に馴染んでいた。
むろん、Carly Simonの「うつろな愛(You're So Vain)」、Roberta Flackの「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」、Carpentersの一連のヒットチューンなど、日本でヒットした洋楽もふつうに聴いていた。
■ Carly Simon 「You're So Vain (邦題:うつろな愛) 」 (1972)
それと、1975年リリース(このとき小6)のkalapanaの1stALBUMをリアルタイムで聴いていた記憶がある。自分で買ったかは定かではないのだが、この1stALBUMは盤面ボロボロだけど、いまも持っている。
■ Kalapana 「Naturally」 (1975)
邦楽では、マイナーコードやアルペジオを多用するいわゆる”四畳半フォーク”はどうにも肌に合わず、むしろ沢田研二やキャンディーズのほうが好きだった。
それでも、フォークの全盛期ともいえる1972年~1975年(小3~小6)あたり、吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」、陽水の「傘がない」「氷の世界」「夢の中へ」(陽水はもともと”四畳半フォーク”じゃないけどね)、ガロ(GARO)「学生街の喫茶店」、かぐや姫「神田川」、イルカ「なごり雪」、風 「22才の別れ」などはたしかにリアルタイムで聴いていた。
これらを聴いたメディアははっきりしないが、中1(1976年)のときにはアコギを持っていたので、むしろギターで弾いていた記憶の方が強い。
いわゆるニューミュージックの走りはこの頃(1972年~1975年)とされるが、自分のなかでは、マイナー系コードで演りやすいのがフォーク、メジャー系コードで弾きにくいのがニューミュージック、というイメージがなんとなくあった。
■ 井上陽水 「夢の中へ」 (1973)
■ 海岸通(風/伊勢正三) (1975)
■ イルカ 「なごり雪」 (1975)
■ 魔法の黄色い靴 「チューリップ」
※ギターで苦戦した記憶あり(笑)→ コード
■ キャンディーズ 「春一番」 (1976)
■ 沢田 研二 「LOVE (抱きしめたい)」 (1978)
このころは演歌の名曲が輩出していてけっこうよく聴いていた。(というか、TVやラジオでふつうによくかかっていた。)
石川さゆりはとくに好きだった。たぶん、ハイトーンヴォイス好きの素地はこのころからあったのだと思う・・・。
■ 石川さゆり 「津軽海峡・冬景色」 (1977)
家にクラシックのLPがけっこうあったので、これもよく聴いた。
クラシックはその後もつかず離れず聴いていて、好きなのは、J.S.バッハ、シベリウス、スメタナあたり。
(まだまだつづく/5回を予定)
→■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫 【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
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