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■ 三浦三十八地蔵尊霊場の御開帳-1

いよいよ御開帳期間最後の週末となります。
こちらが終わると、関東周辺ではしばらくは大規模な御開帳はないかと思います。

興味のある方は、半日、数箇所でも御開帳の雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。

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2023/05/09

結願しました。
三浦半島は意外に広く、かなりまわり応えがありました。
札所のご対応も親切で、地蔵尊のすぐそばで拝める札所も多く、充実の巡拝となりました。

まだまだ時間はありますので、興味のある方はぜひぜひどうぞ。



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2023/05/04 UP

三浦三十八地蔵尊霊場が4/24から御開帳となっています。
タウンニュース

・御開帳期間:4/24(月)~5/24(水)
・札所数38、開帳数38、御朱印授与数38
・霊場概要・札所一覧はニッポンの霊場様をご参照ください。
・御朱印対応時間:8:00~17:00  御朱印各300円
・専用納経帳あり(1,200円)

三浦半島(横須賀市・三浦市・葉山町・逗子市)の38の札所からなる地蔵尊霊場で、地蔵尊三浦札所とも呼ばれます。
12年に一度、卯歳に御開帳され、前回は平成23年春でした。
札所の宗派は多彩ですが、浄土宗と曹洞宗寺院が多くなっています。

札所寺院は近年入れ替えがあった模様です。
第9番
 旧 荘厳寺(横須賀市津久井3-7-1)
 旧 十却寺(三浦市南下浦町上宮田3527)
 現 東光寺(横須賀市津久井5-8-3)

■ 荘厳寺の御本尊の御朱印

■ 十却寺の地蔵尊の御朱印

第16番
 旧 西浜地蔵堂(三浦市三崎5-14-7)
 現 妙音寺(三浦市初声町下宮田119)

■ 西浜地蔵堂の御朱印

第21番
 旧 圓乗院(横須賀市秋谷4387)
 旧 西徳寺(横須賀市鴨居2-20)→ 現 第32番 
 現 長運寺(葉山町長柄615)

■ 圓乗院の観音霊場の御朱印

第32番
 旧 常福寺(横須賀市西浦賀2-16-1)→ 現 第34番
 現 西徳寺(横須賀市鴨居2-20)

三浦三十八地蔵尊霊場の開創・沿革については、現在筆者では調べがついておりません。
ただし三浦三十八地蔵尊霊場会Webには、「三浦半島には、古くから巡礼信仰が盛んにおこなわれ、三浦観音霊場、三浦不動尊、そして、三浦地蔵尊として、点在する各寺院が札所とされ、修行者や信者が各札所を巡り、お参りを重ねて、そのお参りの証に御宝印をいただくことからはじまりました。」とあります。

2017年4月~5月には三浦薬師如来霊場が33年ぶりの大開帳、三浦不動尊霊場が12年に1度の酉年大開帳の同時御開帳となりました。

三浦三十三観音霊場は2014年午歳の春に御開帳され、2021年丑歳春には中開帳が予定されていましたが、新型コロナ禍で翌年に延期となり、結局中止となりました。(次回予定は2026年春)


■ 三浦三十三観音霊場の前回御開帳時の御朱印揃

なお、三浦半島には上記のほかにも三浦半島四十八阿弥陀霊場、三浦半島七阿弥陀霊場、三浦半島観音三十三札所、三浦干支守り本尊八佛霊場、三浦半島秋の七草霊場、三浦半島毘沙門天七ヶ所霊場、三浦七福神、追浜七福神などがあり(活動停止霊場あり)、関東でも有数の霊場エリアとなっています。


専用納経帳付属のリーフレットに札所のアクセス地図は載っていますが、札所の分布がわかる全体地図は載っていません。
「三浦三十八地蔵尊霊場会」Webの概略の地図、クリックすると詳細地図が載っています。(旧札所掲載あり要注意)

第32番西徳寺様で、前回平成23年の全体地図が掲示されていたので画像をUPします。(一部で札所変更あり要注意)
(今回、紙の全体地図が作成されていないので、巡拝ルートを計画しにくいとの声があるようです。)


また、今回新規に公式Webが開設され、札所紹介ページからGoogleマップにリンクが貼られています。
この新規公式Webは札所本尊の写真や、写真撮影の可否まで掲載され、とてもよくまとまっています。


【写真 上(左)】 チラシ表面
【写真 下(右)】 同 裏面


【写真 上(左)】 定書
【写真 下(右)】 前回のポスター


4/24に第1番の萬年山 大松寺から打ちはじめました。
専用納経帳は1,200円で頒布され、孔つきの専用御朱印をバインダーで綴じ込んでいきます。
予め綴じ込まれている専用用紙に揮毫いただくか、揮毫済みの書置用紙と交換します。

白紙の専用用紙で、サイズは大サイズ汎用御朱印帳とほぼ同じなので右端をカットすれば御朱印帳に貼り込めますが、原則専用納経帳綴じ込みの用紙使用なので、汎用御朱印帳でコンプリートできるかは不明です。
(札所によっては御朱印帳貼付用の綴じ孔のあいていない書置御朱印も用意されていますが、用意のない札所もあります。)

札所案内リーフレットや結願証用紙は専用納経帳に付属しているので、専用納経帳使用がベターかもしれません。


【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 札所案内リーフレット

三浦半島の霊場札所(観音、不動尊、薬師如来、地蔵尊)の御朱印対応はまちまちで、常時揮毫いただける札所もあれば、御開帳時のみ授与の札所もあります。
地蔵尊霊場については中開帳がないので、札所によっては12年に一度の御朱印となる可能性があります。

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順路はおおむね三浦半島の海沿いを時計回りに辿るかたちとなっていて、三崎マグロが人気の三崎漁港の近くやB級グルメのメッカ、横須賀市内の札所もあって観光的にも楽しめる行程です。
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で活躍した三浦氏や和田氏ゆかりの札所寺院が多くあり、史跡めぐりとしても面白い巡拝となります。

公共交通機関の利用が推奨されているものの、多くの札所寺院は駐車場を備えられています。
ただし、三浦半島は概して道幅が狭く、急坂が多くて運転しにくいわりに交通量が多いので、車での巡拝は要注意です。
三浦半島の市街は常時渋滞気味で、予想以上に移動時間をとられます。
なので、朝8時~夕方17時までのご対応はありがたいことです。

回向柱は10箇寺ほど回った限りではほとんど建立され、縁の綱(善の綱)も曳かれています。
なお、撮影禁止箇所は札所によりまちまちで、札所本尊撮影可の札所もあります。
公式Webの札所紹介ページに詳細が掲載されています。

初日の4/24の状況は、発願の大松寺では若干の混雑はありましたが、その他の札所はゆったりと巡拝できました。
巡拝者はおおむねミドル層以上で、ご夫婦や女性グループがメインのようでした。
(ただし、週末やGWは層が異なるかもしれません。)

現在、御開扉中の武相卯歳四十八観音霊場では、勤行式や般若心経を唱えられている方がそれなりにおられましたが、4/24の三浦三十八地蔵尊霊場ではほとんどみられませんでした。
ご住職もフレンドリーな方が多く、比較的敷居の低いまわりやすい霊場ではないでしょうか。

GWをはさんでの38札所なので、時間的にはかなり余裕があると思います。
12年に一度の貴重な機会、巡拝されてみてはいかがでしょうか。


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真言宗の勤行式のなかに「祈願文」(きがんぶん・きがんもん)があります。
僧侶のみならず、在家の人々もこのような大きな願いを営々と託してきたとは、おどろくばかりです。
宗派は違っても、御開帳の回向柱にはおおむねこのような願いが揮毫されています。

祈願文

至心発願(ししんほつがん)
天長地久(てんちょうちきゅう)
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
密厳国土(みつごんこくど)

風雨順時(ふううじゅんじ)
五穀豊饒(ごこくぶにょう)
万邦協和(ばんぽきょうわ)
諸人快楽(しょにんけらく)

乃至(及以)法界(ないし(ぎゅうい)ほうかい)
平等利益(びょうどうりやく)

(意訳)愛宕山弘正寺様(愛知県岡崎市)の公式Webより引用
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真心を持って祈ります。
宇宙が永遠に存在し
すべての人がこの身このままで仏様になり
この世が仏様の世界となり

天地宇宙が順調に進み
農作物が豊かに実り
この世が平和で
人々が幸せであって

世界であまねく
仏様の恵みが平等でありますように
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今回も武相卯歳四十八観音霊場方式で、リスト、写真、御朱印をご紹介していきます。
とりあえずできた分だけUPします。


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第1番
萬年山 大松寺
横須賀市小矢部3-13-2
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
札所本尊:地蔵菩薩/子育延命地蔵尊
他札所:-
※御本尊御朱印の授与不明
・鎌倉御家人、秩父氏流の有力武将・稲毛三郎重成の開基と伝わる。
・天文二年(1533年)、代官古敷谷豊前種次が禅林寺八世無参圭徹を招聘して中興。
※御本尊(釈迦牟尼仏)の御朱印の授与不明

【写真 上(左)】 御開帳札
【写真 下(右)】 地蔵堂


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御朱印(以前)


第2番
金笠山 大善寺
横須賀市衣笠町29-1
曹洞宗
御本尊:不動明王(阿弥陀如来)
札所本尊:地蔵菩薩/福壽地蔵尊
他札所:三浦二十八不動尊霊場2番、三浦半島四十八阿弥陀霊場41番
※御本尊(不動明王/三浦二十八不動尊霊場)御朱印授与あり(繁忙時は不明)
・天平元年(729年)行基菩薩御作とされる不動明王を祀ったのが草創と伝わる。
・御本尊の不動明王像は、三浦為通が後三年の役に出陣したとき守本尊となり、敵が放つ矢を受け止めたため「箭執・矢取(やとり)不動尊」とも呼ばれる。
・札所本尊の地蔵尊は衣笠町にあった福壽院の御本尊で「福壽地蔵尊」とも呼ばれる。

【写真 上(左)】 回向柱と参道階段
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御朱印(以前)


【写真 上(左)】 御本尊(不動明王)の御朱印(今回)
【写真 下(右)】 御本尊(不動明王)の御朱印(以前)


第3番
義明山 満昌寺
横須賀市大矢部1-5-10
臨済宗建長寺派
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場4番
※御本尊(華厳釋迦佛)御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・建久五年(1194年)、三浦大介義明を開基とし源頼朝が建立と伝わる名刹。
・三浦義明坐像(国重文)、本尊華厳釈迦像(市重文)をはじめ多くの文化財を収蔵。

【写真 上(左)】 回向柱と地蔵堂
【写真 下(右)】 札所板


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(釈迦牟尼佛)の御朱印


第4番
岩戸山 満願寺
横須賀市岩戸1-4-9
臨済宗建長寺派
御本尊:釈迦如来(聖観世音菩薩)
札所本尊:地蔵菩薩/岩戸地蔵尊
他札所:三浦三十三観音霊場18番、三浦二十八不動尊霊場3番、三浦半島秋の七草霊場2番、三浦半島毘沙門天七ヶ所霊場2番
※御本尊(聖観世音菩薩)の御朱印授与
・建久五年(1194年)源頼朝公が三浦義明を追善の法要堂を矢部郷に建立したのが草創とされ、義明の末子・佐原城主の佐原十郎義連の創建とも伝わる名刹。
・札所本尊は多くの文化財とともに収蔵庫に安置され、御開帳もこちらの収蔵庫で催される。
・登記上の御本尊は釈迦如来だが、御本尊御朱印として聖観世音菩薩を授与とのこと。
(当御開帳中の授与不明)

【写真 上(左)】 御開帳場の収蔵庫
【写真 下(右)】 回向柱


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(聖観世音菩薩)の御朱印


第5番
御霊山 満蔵院 正業寺
横須賀市久里浜2-19-15
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/子育地蔵尊
他札所:三浦二十八不動尊霊場10番、三浦半島観音三十三札所24番、三浦半島四十八阿弥陀霊場29番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・永禄九年(1566年)寂の僧・入誉元清の建立と伝わり、慶安元年(1648年)芝増上寺第21世還無上人が開山再興、元禄十一年(1698年)、内川新田開拓の砂村新左衛門の甥が現在地に移築とされる浄土宗寺院。
・江戸期の作とされる札所本尊は本堂内に奉安。

【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第6番
亀養山 松樹院 長安寺
横須賀市久里浜2-8-9
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦二十八不動尊霊場9番、三浦二十一ヶ所薬師霊場10番、三浦干支守り本尊八佛霊場1番、三浦半島観音三十三札所23番、三浦半島四十八阿弥陀霊場28番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・天文二年(1533年)、鎌倉光明寺19世然誉上人により開山とされる浄土宗寺院。
・浄土宗寺院ながら著名なお不動様を奉安し、「丸山不動明王」「火伏せ不動」、また朝比奈三郎義家の守本尊と伝わる不動尊も御座される模様。
・札所本尊の地蔵尊は、三浦干支守り本尊八佛霊場の札所本尊・勢至菩薩と並んで庫裡横の仏殿に御座される。

【写真 上(左)】 回向柱と向拝
【写真 下(右)】 地蔵尊(右)と勢至菩薩(左)


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 三浦干支守り本尊八佛霊場・勢至菩薩の御朱印


第7番
明星山 西生院 傳福寺
横須賀市久里浜8-23-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/多幸地蔵尊
他札所:三浦三十三観音霊場12番、三浦二十一ヶ所薬師霊場9番、三浦干支守り本尊八佛霊場2番、三浦半島四十八阿弥陀霊場27番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・久里浜にある大永七年(1527年)開山の浄土宗寺院。
・札所本尊は本堂向かって左側の地蔵堂内に奉安。高さ124cmの迫力の半跏像。

【写真 上(左)】 地蔵堂
【写真 下(右)】 札所本尊


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第8番
高御蔵五明山 最寶寺
横須賀市野比1-51-1
浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊(たから地蔵尊)
他札所:三浦二十八不動尊霊場11番、三浦二十一ヶ所薬師霊場11番、三浦半島観音三十三札所22番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印不授与?
・源頼朝公が鎌倉扇ヶ谷に創建、建久六年(1195年)寺地を鎌倉弁ヶ谷に移した。
・開基は明光、当初は天台宗で薬師如来を本尊とし、後に浄土真宗に改宗。
・大永元年(1521年)火災を契機に現在地に移転。
・浄土真宗寺院ながら多くの霊場札所を務められ、御朱印も授与されている。(御開帳時のみ?)
・札所本尊は本堂向かって左手の仏間に奉安され、回向柱は本堂左手妻側に設けられている。

【写真 上(左)】 回向柱と向拝
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御朱印(御朱印帳印判捺)

第9番
七寶山 東光寺
横須賀市津久井5-8-3
高野山真言宗
御本尊:大日如来・薬師如来・地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦二十八不動尊霊場11番、三浦二十一ヶ所薬師霊場11番、三浦半島観音三十三札所22番
※御本尊(大日如来・薬師如来)の御朱印はいずれも授与(繁忙時は不明)
・第9番札所は荘厳寺(横須賀市津久井3-7-1)から十却寺(三浦市南下浦町上宮田3527)と遷り、現在は東光寺となっている。
・行基菩薩が諸国行脚の際、当郷にて草庵を結び地蔵菩薩像を御作。
・当庵で三浦富士大権現の夢告を受け薬師三尊と十二神将の御作され、当寺を建立という。
・その後、三浦の庄司、平義継の二男・津久井次郎義行が当山を祈祷所と定めて中興。
・旧9番の荘厳寺(津久井)十劫寺(下浦町上宮田)に替わり新たに9番札所となる。
・札所本尊は本堂とは別棟で御開帳。堂棟内で地蔵尊のほか、弘法大師、大日如来、薬師如来、不動明王など多彩な尊格の御朱印を揮毫授与されている。

【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 御開帳場の別棟


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(大日如来)の御朱印


第10番
海東山 三樹院
三浦市南下浦町上宮田601
浄土宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/子育延命地蔵菩薩
他札所:三浦三十三観音霊場10番
※御本尊(十一面観世音菩薩)、宗派本尊(阿弥陀如来)の御朱印はいずれも書置授与
・木曽義仲四天王の一人・今井四郎兼平が出陣の折この地に仮屋を設けたのが草創で、のちに鈴木某なる者が兼平の仮屋を移設し、伽藍を整えて旧上宮田岩井口の十劫寺の子院とした。
・宝永五年(1709年)、芝増上寺遍誉了海上人が應行上人作の十一面観世音菩薩(今井の観音さま)を笈来、当山の御本尊と改めたという。
・札所本尊は近在の地蔵堂に安置されていた子育延命地蔵菩薩で、本堂内に奉安されている。

【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第11番
牛込山 永楽寺
三浦市南下浦町菊名312
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/紫雲地蔵尊
他札所:三浦二十八不動尊霊場14番
・札所本尊は「紫雲地蔵尊」、三浦二十八不動尊霊場の札所本尊は「牛込不動尊」と呼ばれてともに尊崇される。
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印は現時点で不授与の模様

【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 札所標


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御朱印(以前)


第12番
岩浦山 福壽寺
三浦市南下浦町金田2062
臨済宗建長寺派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
※御本尊(聖観世音菩薩/三浦三十三観音霊場)御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・正治二年(1200年)、三浦大介義明の孫三浦駿河守義村が開基と伝わる。
・御本尊は行基菩薩の御作とされ、寺宝として三浦義村使用の鞍・鎧・脇差などを収蔵。


【写真 上(左)】 回向柱と向拝
【写真 下(右)】 本堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(聖観世音菩薩)の御朱印(三浦三十三観音霊場)


第13番
千光山 福泉寺
三浦市南下浦町松輪1421
臨済宗建長寺派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:-
※御本尊(聖観世音菩薩)御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・「松輪サバ」で知られる松輪にある浄土宗寺院。
・正中元年(1324年)創建、元禄十六年(1704年)の大津波により流失し現在地に移転再建と伝わる。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(聖観世音菩薩)の御朱印


第14番
海潮山 眞浄院
三浦市栄町3-16
臨済宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/身代り地蔵尊・延命地蔵尊
・以前は海汐寺と号した地蔵尊ゆかりの寺院。
・永正十五年(1516年)、北条早雲に攻められた新井城の三浦道寸義同は、最後の決戦を三崎城の出口茂忠に伝える伝令を家臣・川島身七に託した。
・身七は任を果たしたが新井城はすでに落城、身七は海汐寺の前身の地蔵堂に身を隠したものの追手は身七を発見しその首をはねた。しかし追手が切ったのは身七の首ではなく地蔵尊の首で、身七は地蔵尊の身代りにより難を遁れた。
・身七は地蔵尊への報恩と新井城の朋友の菩提を弔うため剃髪して地蔵坊と名乗り、一生をこの寺で過ごしたと伝わる。

【写真 上(左)】 回向柱
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 堂内
【写真 下(右)】 御朱印(専用納経帳/今回)


第15番
海光山 本瑞寺
三浦市三崎1-19-1
曹洞宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊(子育地蔵尊)
他札所:関東百八地蔵尊霊場88番、三浦半島観音三十三札所19番
・三崎の高台にある名刹。風光明媚な地にあり源頼朝公ゆかりの「桜の御所」とも呼ばれる。
・康平年間(1058-1065年)、三浦為継が鎌倉に創建、永正元年(1504年)この地に移転。
・御本尊の地蔵菩薩(延命地蔵尊)は弘法大師の御作で三浦道寸父子の御持佛とも伝わる。
・『(関東)百八地蔵尊めぐり』によると、三浦地蔵尊霊場の札所本尊は開山堂の「子育地蔵尊」とあり、関東百八地蔵尊霊場の御朱印は「延命地蔵尊」とあるが、三浦地蔵尊霊場の御開帳では「子育地蔵尊」「延命地蔵尊」の両尊御開帳されていた。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御朱印(関東百八地蔵尊霊場)


第16番
飯盛山 明王院 妙音寺 (三浦大師)
三浦市初声町下宮田119
高野山真言宗
御本尊:不空羂索観世音菩薩・地蔵菩薩
※寺院公式Webでは不空羂索観世音菩薩、当霊場公式Webには地蔵菩薩とある。
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦三十三観音霊場14番、三浦二十八不動尊霊場15番、関東八十八箇所58番、七観音霊場4番、東国花の寺百ヶ寺霊場78番、三浦半島秋の七草霊場4番、三浦干支守り本尊八佛霊場3番、三浦七福神(鶴園福禄寿)、富士見楽寿(ぼけ封じ)観音霊場 1番
※御本尊(不空羂索観世音菩薩)御朱印拝受済(複数霊場)
・第16番札所は西浜地蔵堂(三浦市三崎5-14-7)から妙音寺に入れ替えとなっている。
・鎌倉時代初期に妙音寺原に草創、天正年間の1580年代に賢栄法印により現在地に移されて中興。小田原北条氏五代の雨乞い祈願所として庇護されたという。
・多くの霊場札所を兼務される高野山真言宗の寺院で、花の寺としても知られている。

【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 御開帳案内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(不空羂索観世音菩薩)の御朱印(関東八十八箇所)


第17番
五劫山 宝泉寺 天養院
三浦市初声町和田1669
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来(三尊)
札所本尊:地蔵菩薩/地蔵願王尊
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場14番、三浦半島四十八阿弥陀霊場19番
※御本尊(阿弥陀如来(三尊))の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・永禄二年(1559年)長澤和泉が開基、真蓮社性誉上人が開山と伝わる。
・別尊の薬師如来像は和田義盛の「身代わり薬師」とも呼ばれて県指定有形文化財。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来(三尊))の御朱印


第18番
宝林山 正住寺
横須賀市林5-1-5
浄土宗
御本尊:定印観世音菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
他札所:三浦三十三観音霊場30番、三浦二十八不動尊霊場18番
・文明元年(1469年)、八代将軍足利義政公開基とされる名刹。
・御本尊の定印観世音菩薩は義政公の守本尊と伝わる。
※御本尊(阿弥陀如来(三尊))の御朱印拝受済(当御開帳中の授与は繁忙時は困難かも)

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(定印観世音菩薩)の御朱印


第19番
金剛山 勝長寿院 浄楽寺 (大御堂)
横須賀市芦名2-30-5
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦二十八不動尊霊場20番、三浦二十一ヶ所薬師霊場15番、三浦干支守り本尊八佛霊場6番、三浦半島観音三十三札所8番、三浦半島四十八阿弥陀霊場11番、三浦半島七阿弥陀霊場2番、三浦半島毘沙門天七ヶ所霊場6番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中も授与されている模様)
・文治五年(1189年)に源頼朝公が父・義朝公の菩提のために創建した鎌倉・勝長寿院(大御堂)を、建永元年(1206年)の大風による堂宇破損で和田義盛と北条政子が現在地に移したと伝わる名刹。
・建治元年(1275年)に鎌倉光明寺2世・白幡流寂慧良暁上人が中興開山とされる
・運慶作とされる不動明王立像、毘沙門天立像のほか、御本尊・阿弥陀三尊も国の重要文化財に指定されている。
・札所本尊の延命地蔵尊は享保年間(1716-1735年)、悪疫流行の際に厄難消滅を祈願して造立。四十八夜の別時法要を営み、願成就された霊験あらたかな地蔵尊と伝わる。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 地蔵堂


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第20番
紫雲山 秋谷寺 正行院
公式Web
横須賀市秋谷2-16-2
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場17番、三浦半島観音三十三札所7番、三浦半島四十八阿弥陀霊場10番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中も書置授与されています)
・正治元年(1199年)侍所別当の和田義盛が妻の巴御前の菩提寺として、現在の横須賀市秋谷の乗越海岸に建立したのが草創とされる。
・明応七年(1499年)鎌倉光明寺9世・観誉祐崇上人が現在地に遷されて開山し、巴御前の遺髪が埋蔵されたという。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


■ 三浦三十八地蔵尊霊場の御開帳-2へつづく。


【 BGM 】
■ Christopher Cross - Sailing (Official Audio)


■ Boz Scaggs - Isn't It Time


■ Boy Meets Girl - Waiting For A Star To Fall
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■ FictionJunctionの秘密?

KEIKO【けいこ部屋】#33 ゆるっとコラボ ~ (ゲスト)織田かおり編 ~ です。



FictionJunctionの、あの超絶緻密なハーモニーをつくりだしているとは思えない、ギャップ感あるやりとりだけど(笑)、鋭いコメントがいくつもあった。
KEIKOの天衣無縫なアーティスト感と、KAORIの頭の回転のよさが感じ取れた貴重な対談。


15:23~
KEIKO 「(KAORIとの競演(FictionJunction)は、)kalafinaのKeikoのときとは、けっこう真逆かもね・・・。」
KAORI 「アプローチの仕方がもう、ぜんぜん違うもんね。」
KEIKO 「音楽の世界があると、どうしてもその ”自分” が強くなっちゃうじゃない・・・。」
KEIKO 「だから、逆に素の自分が忘れちゃう、みたいな・・・。」

↓ の毅然としたDIVA感とは、かけ離れた ↑ の雰囲気。
でもこういうキャラだからこそ、こういう凄みのあるテイクが生み出せるのかも・・・。



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28:30
KEIKO 「リズム感が・・・、なんて言うんだろう・・・ グルーヴ感がすごい共通するものがあって・・・ はじめてとは思えない。」


30:13
質問 「ふたりでハモられてると、「きもちいい!」ってなりますか?」
2人 「なるよね~、なるね~」
KEIKO 「なんかあれは、なんとも言えない気持ちだよね~。」
KAORI 「なんだろうね~、なんか、なんとも言えない感じなんだよな~。説明がむずかしい。」
KAORI 「声出したらそうなっちゃうんだもん、だって。みたいな・・・。そんな感じだよね。」
KEIKO 「そう、だからこそ、なんかなじんでない曲やったときの、ズレたときの違和感は、違う! KAOちゃんとわたし、ここじゃないみたいな・・・(笑)」
KAORI 「あっ、わたしたち今日歌下手だな、と思うよね・・・(笑)」
KEIKO 「そう、正解はそこじゃないみたいな・・・(笑)」
KEIKO 「それぐらいピタっと合う感覚を知っちゃている分、つらいとこもある。」


34:26
KAORI 「歌うこととか、音楽をやることに真面目じゃない人ってわたしすごく嫌いなんです。」
KEIKO 「わたしも嫌いです。」
KAORI 「でも、自分のまわりは そういう(真面目な)人しかいないし・・・」
KAORI 「たぶん、そういう人が寄ってきたり、自分も寄ってってるんだと思うんだけど・・・。そこはすごく好きなとこかな。」
KAORI 「(KEIKOは)ちゃんとやってくれるんですよ。ほんとうに・・・ 素晴らしい!」

↑ こういう相性と信頼感、そして音楽に対する矜持があるから、FictionFunctionのこういった素晴らしいテイク ↓ を生み出せるのだと思う。


■ ユメのツバサ(リード:KAORI)

↑ の対談視てると、KEIKOが突っ走ってKAORIがフォローする展開のように思えるが、じつは、KAORIがツボに入ったときのDIVAっぷりはハンパじゃない。
これは、KEIKOがKAORIの上を行き、貝田さんがKAORIの下を行くめずらしいテイク。

■ Sayonara Solitia

貴重な3人バージョン。KEIKOとKAORIのハーモニーの神っぷりがよくわかる。

■ Open Your Heart

定評あるLIVEの安定感をあらためて実感する1曲。
全員が優にリードをとれる実力をもちながら、コーラスに回る贅沢さ。
というか、コーラスが裏方にならず、ときにリードを喰ってくる醍醐味。
3:22~なんて、ほぼ全員がリード状態。

■ 砂塵の彼方へ....(2008年)

FictionJunction&Sound Horizon(サンホラ)の伝説のコラボテイク。
女神系歌姫総結集感満載!
(学芸会じゃなく)プロでも数十人でユニゾンがあたりまえの時代に、おのおのがオリジナリティあふれる声質できらびやかなハーモニー。
これはたまらん(笑)

■ 梶浦由記「Yuki Kajiura LIVE vol.#16 ~Sing a Song Tour~『overtune〜Beginning』」

2021年のLIVE。ハーモニーの洗練感が増している。


いまの日本のポピュラー音楽界で、もっとも良質な部分を担うFictionJunctionFBM(FRONT BAND MEMBERS)
もっと、もっと光を・・・。


〔 関連記事 〕
■ 梶浦サウンド総ざらい!(&「炎」-homura)

■ 伝説のユニットkalafina
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今井美樹の名バラード25曲!

疲れたときの今井美樹。
リンクつなぎおなしてリニューアルUPします。

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2022/09/08 UP

別にUPした記事を合体しました。
こういう時代だから今井美樹なのかも・・・。


■ 今井美樹の名ライブ5曲

今井美樹のLIVEって、こうして聴き返してみるとほんとにバックのサウンドがいいと思う。

01.Boogie-Woogie Lonesome High-Heel
〔 From 『MOCHA under a full moon』(1989)/ 作詞:戸沢暢美、作曲:上田知華、編曲:佐藤準 〕

コード
今井美樹の代表的なメジャー・セブンス曲。作曲:上田知華!
「今夜踊りしょ」、サビのこんな大切なパートでオーギュメントかますとは、つくるほうもつくるほうだけど、歌うほうも歌うほうじゃわ・・・(笑)
それに2:56~の「さぁ 踊りましょ」、オーギュメント絡みのフェイクまでかましてるし。
今井美樹、おそるべし。

02.滴(しずく)
〔 From 『corridor』(2009)/ 作詞/作曲:川江美奈子、編曲:河野圭 〕

川江美奈子作曲の名曲。
川江美奈子の絶品のコーラスが入ったLIVEテイクがあるのだが、消えてしまったのでこちらを・・・。

03.瞳がほほえむから
〔 From 『Ivory』(1988)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華、編曲:佐藤準 〕

今井美樹の代表的なヒット曲(6枚目のシングル。1989年11月8日リリース。)
これは、バックを抑え気味に歌った貴重なテイク。
透明感あふれる今井美樹の声が際立っている。

04.The Days I Spent with You
〔 From 『flow into space』(1992)/ 作詞: 岩里祐穂、作曲: 布袋寅泰、編曲: 久石譲 〕

数ある今井美樹の名曲のなかでも屈指のできだと思う。
曲構成も素晴らしいけど、歌詞が珠玉。
2000年の”Club Hemingway”でのLIVEと思われる。この曲はアレンジによって相当イメージがかわるけど、このLIVEは屈指の出来映えだと思う。

05.Goodbye Yesterday Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO
〔 From 『太陽とヘミングウェイ』(2000)/ 作詞・作曲・編曲:布袋寅泰 〕

フジテレビ系ドラマ『ブランド』の主題歌で、シングルでもヒットした代表曲。
「PRIDE」同様、作詞・作曲・編曲:布袋寅泰だが、「PRIDE」よりやさしい、というかやわらかな曲調に仕上がっている。
2003年12月22日渋谷Bunkamuraオーチャードホール。このLIVEわたくしいきましたわ。
バックとヴォーカルのバランスが抜群で、彼女のヴォーカルもよく乗っていた。

🎵今井美樹 スーパーライブ TOKYO SHIBUYA



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2021/06/02 リニューアルUP
2020/08/21 UP

杏里の名バラード20曲!がかなりのアクセスをいただいているので、今井美樹バージョンもつくってみました。

今井美樹は、個人的にもっとも聴き込んでいるアーティストなので、20曲では収まらずに25曲になりました。
よく聴いていた初期~中期の曲が多くなっています。

曲順はつながりの雰囲気で置いています。

01.黄昏のモノローグ
〔 From 『femme』(1986)/ 作詞:来生えつこ、作曲: 鈴木キサブロー 、編曲:鷺巣詩郎 〕

1986年5月21日リリースのデビューシングル。
もともと女優業で先行したので音楽的な実力は未知数だったが、クセのない綺麗なハイトーンはこの先伸びる可能性を十二分に感じさせた。
それにしても、こんな難しい曲をよくぞデビューシングルにもってきたもんだ。

02.PRIDE
〔 From 『PRIDE』(1997)/ 作詞・作曲・編曲:布袋寅泰 〕

全曲布袋寅泰の作曲という布袋カラーの強いアルバム『PRIDE』からのヒット曲。
オリコン第2位で、ドラマ『ドク』の主題歌でもあり、この曲からファンになった人も少なくないのでは?
メロディの輪郭がはっきりした曲で、これまでの今井美樹の楽曲とは一線を画していると思う。

03.retour
〔 From 『retour』(1990)/ 作詞:今井美樹、作曲:柿原朱美、編曲:佐藤準 〕

名作の呼び声高い『retour』の1曲目にしてタイトル曲で今井美樹の曲で、もっとも透明感を感じる曲のひとつだと思う。
成熟の度合いを深めた柿原サウンドでイントロのメロ構成がただことじゃない。
佐藤準のアレンジも出色。
ヴォーカルの裏とってるピッキングギターの音色って、1990年代中盤以降ほんとに聴かなくなった。

04.PIECE OF MY WISH
〔 From 『Ivory II』(1993)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華、編曲:佐藤準 〕

今井美樹の代表曲とされる名曲で、1991年11月7日シングルカット。ベストアルバム『Ivory II』にも収録されている。
歌詞も曲もアレンジも文句のつけようなし。

05.笑顔
〔 From 『Lluvia』(1991)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華、編曲:佐藤準 〕

イントロからいきなりの泣きメロは、さすがに才人、上田知華。
今井美樹の声って本当に綺麗にまっすぐに伸びる。

06.ふたりでスプラッシュ
〔 From 『elfin』(1987)/ 作詞:戸沢暢美、作曲・編曲:武部聡志 〕

キレのいいリズムが際立つSlow~Mid曲。武部聡志のメロディも冴え渡っている。

07.夏をかさねて
〔 From 『Bewith』(1988)/ 作詞: 佐藤純子、作曲: 柿原朱美 〕

名盤『Bewith』の1曲目。柿原朱美のお洒落で透明感あふれる曲調が今井美樹の声質とよく合っている。
イントロのメジャー・セブンスからヴォーカルパートはマイナー・セブンスメインか。(→コード

夏が手招きしてる
はずむパーコレーター
のサスフォーの効きがテクニカル。

08.とっておきの朝を
〔 From 『Bewith』(1988)/ 作詞: 今井美樹、作曲: 山梨鐐平 〕

これ、AORだよね。
こういうブライトでゆったりとした曲って、今井美樹くらいの優れた声質がないとなかなか歌いこなせないと思う。

09.黄色いTV
〔 From 『Bewith』(1988)/ 作詞: 岩里祐穂、作曲: 上田知華 〕

岩里祐穂がはじめて今井美樹に作詞提供した曲。
上田知華の含蓄あるメロディとあいまって、派手さはないけどじわっと染み入る'80年代らしい名曲。
こういう曲が今井美樹のアルバムの質を高めていたのだと思う。
しかしこういう曲って、ほんとに最近作らなく(作れなく?)なった。

10.野性の風
〔 From 『elfin』(1987)/ 作詞:川村真澄、作曲:筒美京平、編曲:久石譲 〕

2ndシングルで1987年7月1日リリース。↑はシングルとはちがう『elfin』収録のAlbum Remix。
今井美樹で筒美京平作曲はレア。名手の作だけにキャッチーなメロが散りばめられている。
はじめて聴いたとき、たおやかに伸びるロングトーンにうなった記憶がある。

11.地上に降りるまでの夜
〔 From 『MOCHA under a full moon』(1989)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:柿原朱美、編曲:佐藤準 〕

個人的には今井美樹屈指の名曲だと思う。淡々と歌っている感あるのに異様なフックがあって余韻が残る。
岩里祐穂、柿原朱美、佐藤準の黄金トリオならではの仕上がりか。

1990年代後半~2005年くらいまで、毎週のように群馬の温泉に出向いていた。
帰路に決まってかけていたのが、今井美樹の名ベスト盤『Ivory』。
後半、ふたりでスプラッシュ ~ 空に近い週末 ~elfin~ 地上に降りるまでの夜 ~ひとりでX'mas ~ 瞳がほほえむから の流れは絶妙で、とくに冬の夜、満天の星空のもと関越を走らせながら聴くこの曲は、凄絶な美しさがあった。

12.ひとりでX'mas
〔 From 『fiesta』(1988)/ 作詞・作曲:今井美樹、編曲:佐藤準 〕

今井美樹自身が選曲した洋楽の企画カバー・アルバム『fiesta』収録のレア曲で作詞・作曲は今井美樹。
『fiesta』は、Burt Bacharach、Michael Franks、Minnie Reperton、Rickie Lee Jones、Roberta Flack・・・と、今井美樹のAOR志向がうかがわれる選曲。

13.泣きたかった
〔 From 『retour』(1990)/ 作詞:今井美樹、作曲:柿原朱美、編曲:佐藤準 〕

お洒落のひとこと。今井美樹ならではの繊細でやわらかなビブラートがよく効いている。

14.半袖
〔 From 『retour』(1990)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華、編曲:佐藤準 〕

上田知華の名曲。振り返っていろいろと考えさせられる曲だと思う。
イントロからすでに曲の世界に曳き込まれている。
最近の曲ってイントロないか短いけど、この頃はイントロからフックばりばりな曲が多かった。

15.遠い街から(LIVE)
〔 From 『flow into space』(1992)/ 作詞: 今井美樹、作曲・編曲: 久石譲 〕

情景が目の前に浮かんでくるような、すこぶるストーリー性の高い名曲。
今井美樹のボーカルがいつにも増してフェミニン。

16.瞳がほほえむから
〔 From 『Ivory』(1988)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華、編曲:佐藤準 〕

今井美樹の代表的なヒット曲(6枚目のシングル。1989年11月8日リリース。)
複数のベストアルバムに収録され、いくつかのテイクがあるが、音に広がりがある↑のテイクがベストだと思う。
(ベストアルバム『Blooming Ivory』収録?)

17.あなたがおしえてくれた
〔 From 『Colour』(2015)/ 作詞・作曲:川江美奈子、編曲:Simon Hale 〕

じつに6年ぶりとなるアルバム『Colour』収録のバラード。
川江美奈子は今井美樹のLIVEに度々Back Vocalやkeyとして参画し、名演を繰り広げている。
米国バークリー音楽院出身だけあって高い作曲力をもち、このひとつ前のアルバム『corridor』(2009)でも「滴」や「ひとひら」などの佳曲を提供している。

18.A PLACE IN THE SUN
〔 From 『A PLACE IN THE SUN』(1994)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:柿原朱美、編曲:小森茂生 〕

今井美樹の伸びやかなハイトーンがいかんなく発揮されたスケール感あふれる名曲。
こういうグルーヴ感入ったバージョンもお手のもの。

19.LONESOME MERMAID
〔 From 『未来』(1998)/ 作詞・作曲・編曲:布袋寅泰 〕

布袋寅泰が前面に出たアルバムのなかではもっともやさしいイメージの作品で、個人的にけっこう好き。
この曲のほかにも「FLOWERS」「RAINY DAY」「ANGEL EYES」など、メロディアスで聴きやすい曲が揃っている。
3:27~のハイトーンは、今井美樹のなかでももっとも美しいフレーズのひとつかと。

20.Miss You
〔 From 『A PLACE IN THE SUN』(1994)/ 作詞: 今井美樹、作曲・編曲: 久石譲 〕

10枚目のシングルで1994年7月18日リリース。
最初聴いたとき、柿原朱美の曲だと思ったが布袋寅泰だった。中盤の間奏ギター聴くとなるほどそうか・・・。

~ どうして終わらせたのだろう あんなに愛して確かめ合った二人の日々を ~

21.Pray
〔 From 『Love Of My Life』(1995)/ 作詞:岩里祐穂、作曲:柿原朱美、編曲:菅野よう子 〕

どうやったらこんなに透明で綺麗な曲がつくれるんだろう。柿原朱美の作曲に菅野よう子のアレンジが加わって、別次元の仕上がりに・・・。
名曲のなかでつやつやと輝いている今井美樹のボーカル。本当に「J-POP界の良心」のようなアーティストだと思う。

22.noctiluca (LIVE)
〔 From 『Love Of My Life』(1995)/ 作詞:今井美樹、作曲・編曲:布袋寅泰 〕

これはおそらく1996年にリリースされたライブ・アルバム『THANK YOU』収録のテイクで、今井美樹の声の伸びが抜群。
菅野よう子が参画したこのライブ・アルバムも素晴らしい仕上がりとなっている。
布袋さん、この手のスケール感ある曲をもっとつくって欲しかった・・・。

23.空に近い週末
〔 From 『Ivory』(1989)/ 作詞:戸沢暢美、作曲:柿原朱美、編曲:武部聡志 〕

個人的には今井美樹のベスト、J-POPでも屈指の名曲だと思う。
シングル「Boogie-Woogie Lonesome High-Heel」カップリング曲で、オリジナルアルバム未収録なので、もっぱらベストアルバム『Ivory』で聴いていた。
天空から降りそそぐようなポリフォニックで清々しいメロディと、その上で舞い踊る今井美樹のたおやかなボーカル。
文句のつけようのない神曲。

コード
「さえぎるもの のない 青空に あこがれて いたんだわ」
C G Am G Fmaj7 C Dm G9 G7 (Cメジャースケール)/ 1565 41255
カノン進行(1563、4145)まじりのメジャー・セブンス+ナインス。
これはハマるわ・・・(笑)

24.The Days I Spent With You (LIVE)
〔 From 『flow into space』(1992)/ 作詞: 岩里祐穂、作曲: 布袋寅泰、編曲: 久石譲 〕

数ある今井美樹の名曲のなかでも屈指のできだと思う。
曲構成も素晴らしいけど、歌詞が珠玉。
これ、失恋したときに聴いたら相当くると思う(笑)
2000年の”Club Hemingway”でのLIVEと思われる。この曲はアレンジによって相当イメージがかわるけど、このLIVEは屈指の出来映えだと思う。

25.Goodbye Yesterday (LIVE)
〔 From 『太陽とヘミングウェイ』(2000)/ 作詞・作曲・編曲:布袋寅泰 〕

フジテレビ系ドラマ『ブランド』の主題歌で、シングルでもヒットした代表曲。
「PRIDE」同様、作詞・作曲・編曲:布袋寅泰だが、「PRIDE」よりやさしい、というかやわらかな曲調に仕上がっている。
これも2003年12月渋谷ORCHARD HALLでのLIVE。
バックとヴォーカルのバランスが抜群で、彼女のヴォーカルもよく乗っていた。
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■ 三浦三十八地蔵尊霊場の御開帳-2

■ 三浦三十八地蔵尊霊場の御開帳-1からのつづきです。






第21番
景政山 長運寺 (葉山厄除不動尊)
公式Web
葉山町長柄615
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:地蔵菩薩/地蔵十王図
他札所:三浦二十八不動尊霊場25番、湘南七福神(布袋尊)
※御本尊(不動明王)の御朱印拝受済(三浦二十八不動尊霊場/当御開帳中も書置授与)
・第21番札所は円乗院(横須賀市秋谷4387)から西徳寺(横須賀市鴨居2-20)と遷り、現在は長運寺となっている。
・大永年間(1521-1527年)、長江義景が祖父・鎌倉権五郎景正の菩提のため宥海を開基に創建と伝わる。
・御本尊の木造不動明王と二童子像、および地蔵十王図は葉山町の有形文化財に指定。
・札所本尊は地蔵十王図の掛軸。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(不動明王)の御朱印


第22番
沙白山 万福寺
葉山町下山口1515
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/鎌介身代わり地蔵
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場18番、三浦半島観音三十三札所5番、三浦半島四十八阿弥陀霊場9番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・前身は下山口平の里にあった満蔵院で、領主の鎌介という人が満蔵院御本尊の薬師如来の信仰篤く、明応四年(1495年)に寄進して現在地に寺を開基建立、鎌倉光明寺四代の法孫寂恵上人の法弟・源誓上人を招請して開山と仰ぎ「沙白山満蔵院万福寺」と号したという。
・藥師如来は行基の御作とも伝わる。
・札所本尊の地蔵菩薩は、鎌介が自身の姿を地蔵菩薩に写して造らせたと伝わり「鎌介身代わり地蔵」と呼ばれ、眼病平癒に御利益ありという。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第23番
長江山 無量寿院 相福寺
葉山町堀内568
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来(十夜仏)
札所本尊:地蔵菩薩/地蔵願王尊
他札所:三浦半島観音三十三札所3番、三浦半島四十八阿弥陀霊場5番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与あり。繁忙時不可かも)
・室町時代に鎌倉光明寺を本山として建立されたという浄土宗寺院。
・御本尊の阿弥陀如来坐像は葉山町の有形文化財で、葉山町Web資料には「天明八年(1788年)の鎌倉光明寺からの送り状によれば、本像は光明寺の秘仏であったのである。(中略)光明寺は仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開かれた蓮乗寺がその前身と伝えられる。(中略)この光明寺から移安された阿弥陀如来像は、光明寺の秘仏だったとあるから、或は蓮乗寺の本尊だったのかも知れない。」とある。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第24番
黄雲山 地蔵密院 延命寺 (逗子大師)
公式Web
逗子市逗子3-1-17
高野山真言宗
御本尊:金剛界大日如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵菩薩(元本尊)
他札所:新四国東国八十八ヶ所霊場80番、三浦二十八不動尊霊場28番、三浦半島観音三十三札所1番、三浦干支守り本尊八佛霊場8番、湘南七福神(弁財天)
※御本尊(金剛界大日如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与あり)
・天平年間(724-749年)行基菩薩が開創され、御作の延命地蔵菩薩座像を御本尊として安置と伝わる。
・弘法大師巡錫のみぎり当山に立寄られ、延命地蔵菩薩を安置する御厨子を設けられたことから、当地を「厨子」と呼び「逗子」の地名の発祥となったとされる。
・鎌倉期には三浦一族の祈願寺となり、戦国期には後北条氏の帰依を得て天文年間に朝賢が中興、現在に至るまで「逗子大師」として人々の信仰を集める。
・貞享四年(1687年)伽藍竣工の際に、新たに大日如来尊像を造立して御本尊としたが、延命地蔵菩薩座像は「元本尊」(秘仏)として篤く奉安されている。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 地蔵尊


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(金剛界大日如来)の御朱印


第25番
長谷山 海宝院
逗子市沼間2-12-15
曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/子育地蔵尊
他札所:-
※御本尊(十一面観世音菩薩)の御朱印拝受済(当御開帳中の書置授与あり)
・天正十八年(1590年)北条氏滅亡後、代官頭長谷川七左衛門長綱が徳川家康公から預かった十一面観世音菩薩を御本尊に、現在の良長院(横須賀市緑が丘)の地に駿河保壽寺の之源臨呼和尚を招聘して開山。当初は良長院と号した。
・慶長年間(1596-1615年)現在地に移転。
・家康公から拝領とされる陣鐘(梵鐘)は県指定重要文化財。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(十一面観世音菩薩)の御朱印


第26番
楽浦山 能永寺
横須賀市浦郷町2-83
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:追浜七福神(弁財天)
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・応永元年(1394年)開山の時宗寺院。
・札所本尊の延命地蔵尊の腹部に、小さな木仏の地蔵尊が胎籠されている。
・地蔵十王図の掛軸は横須賀市文化財に指定。
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)

【写真 上(左)】 回向柱と本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第27番
宮谷山 至心院 信楽寺
横須賀市大津町3-29-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦半島観音三十三札所32番、三浦半島四十八阿弥陀霊場39番
・永正元年(1504年)、証誉上人の開山と伝わる浄土宗寺院で、御本尊の阿弥陀如来は運慶作とも伝わる。
・別尊の聖観世音菩薩は伝・行基作で、熊谷直実の守護仏とも伝わる。
・坂本龍馬の妻、楢崎龍(おりょうさん)の墓がある。
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中も授与/繁忙時は不明)

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第28番
竹林山 貞昌寺
横須賀市馬堀町 1-104
臨済宗円覚寺派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:-
・開創は建武二年(1335年)、南山士雲禅師が開山と伝わる。
・寛文三年(1663年)、船手奉行の向井将監正方が母・貞昌院の菩提を弔うため母の法号にちなんで谷戸奥の吸江庵を貞昌寺と改号したという。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 地蔵尊の揮毫御朱印


第29番
七重山 宝寿院 浄林寺
横須賀市馬堀町4-14-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来(阿弥陀三尊)
札所本尊:地蔵菩薩/厄除延命地蔵尊
他札所:三浦三十三観音霊場20番、三浦二十一ヶ所薬師霊場5番、三浦半島観音三十三札所31番、三浦半島四十八阿弥陀霊場38番
※御本尊(阿弥陀如来(阿弥陀三尊))の御朱印拝受済(当御開帳中も授与/繁忙時は不明)
・永正二年(1505年)創建の浄土宗寺院。
・坂上の馬頭観音堂には「馬堀」の地名の由来である名馬・生唼(いきづき)の像や「蹄の井」(ひづめのい)があり、当山の馬頭観世音菩薩は三浦三十三観音霊場第20番の札所本尊。
・境内のムクロジは「かまくらと三浦半島の古木・名木50選」に指定されている。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 回向柱と向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀三尊)の御朱印


第30番
走水山 大泉寺
横須賀市走水2-11-13
曹洞宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵菩薩
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場20番、三浦半島観音三十三札所29番
・天正十八年(1590年)、家康公の関東入国時に三浦郡代官頭となった長谷川七左衛門長綱が開基となり、逗子海宝院の伝英和尚を招いて開山と伝わる。
・幕末の黒船来航の折には、海防に従事した川越藩の定宿となった。
・札所本尊の延命地蔵尊は室町初期の作とされ、横須賀市有形文化財に指定されている。

【写真 上(左)】 参道&本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 地蔵尊の御朱印(以前)


第31番
鴨居山 能満寺
横須賀市鴨居2-24-1
曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場7番
※御本尊(虚空蔵菩薩)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・明応六年(1497年)の創建と伝わり、長谷川七左衛門長綱が代官頭として浦賀に赴任したときに曹洞宗に改宗という。
・御本尊の虚空蔵菩薩は行基の作とも伝わり、「福徳・知恵」を授かるために13歳の子供が3月13日(現在は4月13日)に詣でる「十三参」で知られる。
・薬師堂の多光薬師如来像は「蛸薬師」とも呼ばれ、眼病快癒や豊漁祈願に霊験あらたかとされる。
・木食観正ゆかりの寺としても知られる。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(虚空蔵菩薩)の御朱印


第32番
東光山 無量寿院 西徳寺
横須賀市鴨居2-20-4
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/和田地蔵尊
他札所:三浦半島観音三十三札所28番、三浦半島四十八阿弥陀霊場36番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中も授与/繁忙時は不明)
・第32番札所は常福寺(横須賀市西浦賀2-16-1)から西徳寺に入れ替えとなっている。
・鎌倉光明寺の末寺で、永祿元年(1558年)、光明寺法主の高弟、法誉順性上人が真言宗源徳寺、浄土真宗無量庵、浄土宗東光寺および寿経寺の四箇寺をまとめ、東光山無量寿院西徳寺と号したという。
・札所本尊の和田地蔵尊は、鎌倉御家人の和田義盛が当山の前の和田川に地蔵尊を沈め、戦で勝つことができるなら川上へ、敗れるなら川下へ流れるよう占ったところ、川上へ流れたため義盛は喜び、地蔵尊を引き上げてお堂を建て奉安したと伝わる。
・腫れ物や百日咳に霊験あらたかで、篤い信仰を集める。
・山内墓域には「和田義盛の髭剃塚」もある。

【写真 上(左)】 地蔵堂
【写真 下(右)】 和田地蔵尊


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第33番
延命山 東福寺
横須賀市西浦賀2-2-1
曹洞宗
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵菩薩
他札所:三浦三十三観音霊場13番
・明応九年(1500年)、明海上人により真言宗寺院として開創。
・天正十八年(1590年)、三浦半島が徳川家の直轄領となり、代官長谷川七左衛門のときに沼間海寶院3世一機直宗が曹洞宗に改宗して開山という。
・奉安する聖観世音菩薩は海難除けとして浦賀港の出入船の航海の安全を祈願していることから、歴代の浦賀奉行も参拝に訪れたという。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御朱印帳受けの御朱印(印判)


第34番
放光山 延寿院 常福寺
横須賀市西浦賀2-16-1
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/子育地蔵尊、延命地蔵尊
他札所:三浦二十一ヶ所薬師霊場8番、三浦二十八不動尊霊場7番、三浦半島四十八阿弥陀霊場32番
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中も授与/繁忙時は不明)
・文明年間(1469-1486年)鎌倉光明寺の圓蓮社教譽上人による開創で、浦賀の本陣(御用寺院)とされていた。
・「閻魔堂」の閻魔さまは、毎年1月16日と7月16日に開扉されたいへん賑わったと伝わる。開扉時に掛けられた「地獄極楽図」は狩野常信の作という。
・地蔵尊札所として第32番が子育地蔵尊、第34番が延命地蔵尊であったところ、第34番が子育地蔵尊、延命地蔵尊の二尊奉安の札所となり、第32番は現在、西徳寺(横須賀市鴨居2-20-4)となっている。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第35番
浦賀山 立像院 東林寺
横須賀市東浦賀2-10-13
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦半島四十八阿弥陀霊場34番
・大永三年(1523年)立像院と東林寺を生蓮社専譽良道上人(唱阿上人とも)が合寺して開山と伝わる浄土宗寺院。
・奉安する善光寺式阿弥陀仏は室町時代初期の作風とみられ、横須賀市の文化財に指定されている。
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中も授与/繁忙時は不明)

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(阿弥陀如来)の御朱印


第36番
金田山 圓福寺
三浦市南下浦町金田258
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦半島四十八阿弥陀霊場23番、三浦七福神(恵比寿尊)
※御本尊(阿弥陀如来)の御朱印拝受済(当御開帳中の授与不明)
・天文十七年(1548年)、海岸にあった地蔵堂を現在地に遷し金田山圓福寺と号した。
・開山は鎌倉光明寺の伝設大和尚。
・札所本尊の地蔵菩薩は室町時代初期ないし南北朝時代の作と推定され、三浦市の重要文化財に指定されている。
・大漁の神として信仰篤い「金光恵比須尊」は、三浦七福神の一尊となっている。
※御本尊(阿弥陀如来・六字御名号)の御朱印は書置授与

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 御本尊(六字御名号)の御朱印


第37番
立光山 海應寺
三浦市南下浦町毘沙門1936
臨済宗円覚寺派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/延命地蔵尊
他札所:三浦三十三観音霊場5番、円覚寺百観音霊場14番
・鎌倉円覚寺36世無礙妙謙禅師を開山とし、六百年余の歴史をもつという古刹ながら寺伝を焼失し沿革等は定かでない。
・奉安する聖観世音菩薩は、かつて海上の安全を願って海辺のお堂に安置されていたが、当山に御遷座され三浦二十八不動尊霊場、円覚寺百観音霊場の札所本尊となっている。

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 同(以前)


番外(第38番)
(延命山 西往寺) 本町延命地蔵尊
横須賀市汐入町3-18
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩/本町延命地蔵尊
他札所:-
・『新編相模国風土記稿』によると宝永年間(1704-1714年)、良長院の末寺として延命山西往寺と号し、御本尊を地蔵菩薩として旧浦賀街道筋の現・汐入小学校付近に建立。
・関東大震災の後に現在地に遷り交通安全祈願の地蔵尊として知られていたが、家内安全、商売繁盛、入学祈願、健康長寿などにも霊験あらたかとされ広く信仰を集める。

【写真 上(左)】 本町延命地蔵堂
【写真 下(右)】 堂内


【写真 上(左)】 御朱印(専用納経帳/今回)
【写真 下(右)】 結願証



【 BGM 】
■ Sneaker - More Than Just The Two Of Us


■ Bobby Caldwell - What You Won't Do for Love


■ Champagne - How 'Bout Us
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■ 【抜粋編】黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)

『The Voice Japan』の決勝、視てみました。

内容についてのコメントはなんも入れません。
ただ、2020/07/05のTV番組内で梶浦由記さんが語ったコメントがリフレインした。

「歌は ”心” っていいますが、心を表現するには絶対的にスキルが必要ですから・・・。」
「感情の大きさだけでは、いい歌は歌えない。」
(梶浦由記さんの言われる”スキル”って、はんぱなくレベル高いよ~、聴けばわかるけど・・・ (笑))



本当に上手い女性シンガー10人!


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2023/04/24 UP
先ほど放送のThe Voice Japan

デュエット形式のバトルだったけど、いいと思った歌い手がことごとく落ちた。
たしかに、佐久間 彩加ちゃんも岩口 和暖ちゃんも決して本調子には聴こえなかったけど、パフォーマンスは傑出していた。
でも、決勝進出ならず・・・。なんで???

それに落とすときは、もっとしっかりしたコメント出してほしい。
本人たちだって納得いかないと思う。こんなんじゃ・・・。

佐久間 彩加ちゃん
岩口 和暖ちゃん

いまの日本の「トップアーティスト」(笑)にこのふたりのコーチできる人いないと思うし、この2人の表現力を凌駕できる人もごくごく少数だと思う。
予選のパフォーマンス聴けばわかるわな ↓

■ 佐久間 彩加「Jupiter」| The Voice Japan ブラインドオーディション


■ 岩口 和暖「月光」| The Voice Japan ブラインドオーディション


日本の審査員方式のオーディション(番組)にろくなのないから、やっぱりカラバト(Aiじゃない昔のやつ)方式で公正に審査してほしい。

■ 隠岐晋作 「青春の影」| The Voice Japan ブラインドオーディション

逸材! こういう情感の乗せ方は、練習してできるものじゃない。
これだけ大騒ぎして、結局決勝に送らないとは・・・。

■ 草ケ谷遥海 Harumi Kusagaya STAGE2 - X Factor Okinawa Japan

これだけのパフォーマンスを目の当たりにして、審査員のリアクションってこれだけ?
で、「英語ってどうやって習ったの?」とか本質から逸れまくった質問。
んで結局つぎのステージで落としたらしい。いったい何やってんだか・・・。

これだけじゃないけど、日本のオーディションって審査員のレベル●すぎ。

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2022/12/30

さきほどTVKで堀優衣ちゃん出演の「横浜シティポップ祭☆ シティポップ歌合戦☆girls edition」放送してました。
関連Web-1
関連Web-2
大幅抜粋編集版だったので、堀優衣ちゃんの出番は少し。

出演者は若手女性ヴォーカル7人。
声の魅力と安定感があったのは日向ハルさんと、まるりさんかな・・・。
でもやっぱり、優衣ちゃんの歌声が図抜けていた。

「世界中の誰よりきっと」では、ハイトーンの裏メロ唱ってたのに、一番前に出てた。
メインメロのユニゾンでは、すこし遠慮してたかな。

2人でデュオした「フライディ・チャイナタウン」。
これはさすがに共演者が気の毒かと。

優衣ちゃんのつやっつやの美声、本気で歌うと共演者あっさり喰ってしまうので取り扱い要注意(笑)
↑ の例 ↓ 大学生アカペラ大会(慶應義塾大学/ギンモクセイ)
@kyami7 #ハモネプ #慶應義塾大学 #U #ギンモクセイ #ハモネプ2022 #堀優衣 ♬ オリジナル楽曲 - ぷりりん🍮

会場のOAもよかったし、バンドの演奏もなかなかでした。
司会の女子アナ(岡村帆奈美)さんが途中でコーラスに加わってたけど、かなりの美声で存在感あったのはご愛敬か(笑)

選曲もよかったし、こういう切り口のイベントは面白いと思います。
それにしてもチケット高い(笑)

■ アイノカタチ/MISIA feat.HIDE(GReeeeN) (Covered by 堀優衣)《 TBS系 火曜ドラマ「義母と娘のブルース」主題歌 》 【歌ってみた】Full Cover フルカバー  2022/06/06 UP

つやつやした声がさらに磨かれて、フェミニン・ヴォイス全開!

■ カラバトU-18世代の ”アイノカタチ”

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2022/05/18 UP

この記事、筆者的にはけっこう渾身の一撃なんですけど(笑)、記事を追加しすぎて核心部がぼけてしまったので、リンクつなぎなおし、若干補強して【抜粋編】をUPします。

フルバージョンは→こちら

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「カラオケの点数と『歌のうまさ』は別物」(=機械なんかに”歌心”が判るわけがない)と言い切る人は少なくない。
じつは、わたしもかつてはそう思っていたし、そういう例もたしかにあると思う。

※判定機が、その歌の魅力をこなし切れていないのではないかと思われる例(森恵)↓
(この人のLIVE行ったことあるけど、ホントに凄かった!)
森恵 「そばに」 2008・6・25 吉祥寺路上

これ、素通りできる人の気持ちがわからん(笑)

エモーショナル系のプロが意外に高得点をとれないのは、持ち味のタメやブレスが採点上マイナスに働いてしまう、ということはたしかにある。
それに売れる要素って、歌の力だけじゃないからね。(いまはとくに・・・)

【 100点の常連、新妻聖子 】
100点を出せる地力を持っているから、こういう表現ができる。
■ 島唄


でも、おそらく高い確率で、聴き手の心への響き方と点数は正比例の関係にある。
最近の採点機はとくに感度が上がっているような感じがしていて、「これは!」と感じたテイクにはほぼ例外なく高得点がつく。(操作していないという前提だが・・・(笑))
これは心に響く要素、たとえば声の艶、深み、ゆとり、ゆらぎやうねり(ビブラートやこぶしとは違う)、倍音などを裏加点で的確に拾い上げられるようになったためではないか?

だから、どんなに表チャート(音程・安定性・表現力・リズム・ビブラート&ロングトーン(V&L)の5要素)が正確でも、意外に点数が伸びないケースが増えている感じがある。
(逆にいうと5要素は前提として押さえていないと勝負にならない。→ だから必然的に基礎力が身につく。)

この状況で鍛えられれば、否が応でも歌心(好きな言葉じゃないが、ほかに言葉がみつからない)に磨きがかかる。

なお、※ 2019/11/17以降のカラバトで使用されているAI判定機については↑の限りではありません。くわしくはこちらに書いています。

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現在、大学生くらいの世代か? (以前のカラバトU-18の中心世代)
採点機で超ハイスコア獲得できる基礎力のうえで個性を打ち出している。
というか、基礎がしっかりしているから自分の世界を想いのままに描ける。
そして抜群のオリジナリティ。

この若さで、場数もさほど踏んでいないなかで、それぞれがおのおのの持ち味で、音楽のすばらしさを伝えてくれる。

■ 堀優衣 - This Love 2017/03/18 堀優衣ミニライブ

音程もリズムも際立った安定感。メゾピアノ~ピアノのパートでも声の粒立ちを保っているのが凄い。
しかもこれに情感(裏加点要素)が乗ってくるので、100点連打もうなづけるところか・・・。

■ 鈴木杏奈 - オキノタユウ  2017.6.10@野木ホタル祭り

このところ、とくにエモーショナルな歌い回しが目立つのは歌の感性に優れていることの証明。
そして抜群の音程は、絶対音感ゆえのもの?

■ 佐久間彩加 - 君がいたから 【カラオケバトル公式】2020.12.13 OA

この子は掛け値なしに天才だと思う。音の扱い方が普通じゃない。
荒れ声を瞬時に力感に昇華するって、この年代でできることじゃない。
それにこの情感の入り方って、いったい何事?

■ 原藤由衣 - 出逢った頃のように 2022/09/04 Birthday ワンマンライブ 溝ノ口劇場

美声。だけど単なる「歌のお姉さん声」とは一線を画す粒立ち感あふれる声色。
いそうだけど、なかなかいない存在。

■ 三阪咲 - If I Ain't Got You  (2018/12/28 The BAND NIGHT Vol.2 ESAKA MUSE)

声に雰囲気があって、強弱のコントロール&声のまわし方が抜群で、とくにR&Bでいい味出してます。
うひょ~、Alicia Keysですって!!

■ 富金原佑菜 - 流星群 (あべのAステージ 2018/09/17)

声の成分が複雑でなかなかいないタイプ。それと声量のキャパシティ。(ぜったいお腹で支えてる)
すでに自分の世界もっているので、曲がはまれば大化けするかも?

■ 熊田このは - 手と手(オリジナル)
te to te"(手と手) by Konoha Kumada.12/30/2019 at The ESAKA MUSE in Osaka/JAPAN.
on 11/3/2019,Konoha released her first original album (Japanese-language)「Konoha」.

比類なきスーパーソプラノ。あふれ出る1/fゆらぎ。
この子の声って絶対セラピー効果あると思う。
1/fゆらぎ?(熊田このは)-9

※佐々木麻衣ちゃんも凄い実力派だけど、昭和ムード歌謡系の独自路線。

↓実力があるので、デュオで展開しても、こういうレベルになります。

■ 三阪咲 × 富金原佑菜 - Y / C&K 2018/09/17 あべのAステージ

これが中学生のLIVE?? ありえん。

■ 原藤由衣 × 熊田このは - さよなら大好きな人(花★花) 2019/02/17 溝ノ口劇場

どちらもハイトーンだけどそれぞれ持ち味や質感がちがう。これがオリジナリティ。

■ 鈴木杏奈 × 熊田このは - いのちの歌(リーフベルコンサート(2017/08/05 栃木県大田原市))

ヒーリング感ばりばり。杏奈ちゃんは”華”、このはちゃんは”艶”かな?

■ 熊田このは × 富金原佑菜 - 打上花火( DAOKO X 米津玄師) 2019/04/29 溝ノ口劇場

ボカロ的楽曲。黄金の世代だから歌いこなせる?

■ 二木蒼生 × 熊田このは - A Whole New World 2020/01/12 溝ノ口劇場

スタンダード曲もこのレベルの仕上がり。

↑の子たち、すべて生で聴いて確認しているので、その実力はまちがいないと思う。


そして、絶妙のデュエット ↓
■ 堀優衣 / 小豆澤英輝 - 蕾

コメンテーターさんが「これが歌なんだな!」と、ついついベタなセリフかましてしまうほどすごかった!
小豆澤英輝君にハイトーンであれだけ歌われると、女性パート厳しすぎなんだけど、つやっつやの美声でさらにかぶせていく優衣ちゃんの実力おそるべし。
プロでもこれだけのデュエットそうはできないと思う。


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業界ではすぐに「オリジナリティ、オリジナリティ」って叫ぶけど、結局チャート上位を占めているのは画一化(商業化)されたキンタロー飴ばっかし。
飽きもせず繰り返さえる「勝ちパターン」と「既定路線」。
でもね、オリジナリティって、本来演出するものじゃなくて、きっと才能が自然につくりあげてしまうものだから・・・。

凡庸な才能に「CD並の安定感(のLIVE)」は褒め言葉だけど、この子たちは違う。
この子たちの真価は安定感ではなく(手段ではあるが)、たぶん才能が醸すオリジナリティ。
誰の歌でも、どんな曲でも、魂を吹き込んで自分のものにしてしまう強烈なオリジナリティ。
だから逆に、LIVEで炸裂するオリジナリティをいかにCDあるいは配信データに乗せられるかが課題になるのだと思う。

そして、この子たちを才気負けせずプロデュースできる人間はたぶんものすごく少ない。
この類の才能ってきっとすこぶるデリケートで、下手にプロデュースすると折れちゃうかも・・・。

30年間続いた(と思っている)プロモート先行、オーバープロデュースの時代はそろそろ幕を閉じ、「音楽そのもの」で勝負できる(※)時代が戻ってくるかもよ?
(というかすかな思い。期待しないけど・・・)

※こういう動きは、すでに以前からあった。
たとえば「歌声だけで人々の心を歓喜する」というコンセプトで結成された歌うまグループ、Little Glee Monster/リトグリ。
Little Glee Monster 『好きだ。』 Let's Grooooove !!!!! Monster Live on 2017/09/18

でも、上のメンツとリトグリ(彼女たちより少し上の世代)、聴き比べるといろいろ思うところはあるけどね、個人的には・・・。
書かないけど(笑)

現大学生くらいの世代に才能が輩出していることについては、いろいろ思い当たる節があるので、これからおいおい書いていきます。
たとえば、セツナ系とか・・・


それと、現・小学校高学年~中学の世代にも、逸材がかたまっていると思う。

■ 加藤礼愛 - 『HALO』 BEYONCE cover

この子の歌声聴いてると、
「最高の楽器は人の生の声」とか「優秀な男性ボーカルが10人束になってかかっても、1人の才能ある女性ボーカルには及ばない」
などという音楽格言が想い浮かんでくる。
なんというか、もって生まれたボーカリストとしての格の高さを感じる。

■ 岩口和暖 - アイノカタチ

この子もいいものもってると思います。
抜群の声量。それとニュアンスの込め方が巧い。

■ 島津心美 - 誰より好きなのに (古内東子カバー)

強弱が効いてて歌いまわしがやたらにエモーショナル。そして歌にスケール感がある。
この子本当に小学生か?
溝ノ口劇場だ! そのうちにここ、歌姫の聖地になるかも・・・。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2019/02/02UP
つづきです。

~ すでにあった「完成」 ~

この世代の誕生年はおおむね2003年前後。あまり意識したことがなかったが、2000年代に入ってからの生まれだ。

●カラオケ
カラオケボックスが一般化したのが1990年代はじめ。通信カラオケは1992年あたりからの普及で、これにより歌える曲数が劇的に増えた。
(それ以前のカラオケは、スナックなどに置かれて演歌やムード歌謡がメインだった。
だからカラオケの愛好層は、いまよりはるかに高い年齢だった。そして、他人の目の前で歌うので度胸が要ったが、そのくせ練習の場はほとんどなかった。)

オリコンのカラオケチャートは1990年代中頃から。
音源もMIDIからPCMに変わり、音質が格段によくなった。
ロードサイドや住宅地への出店も増え、お酒から離れた楽しみ方があたりまえになった。
利用料もリーズナブルになり、すでに2000年以前には「質のよいオケで、幅広い楽曲を、お酒抜きで、しかも低コストで楽しめる」という現在のカラオケ環境はほぼ整っていた。

精密採点(ビブラートやしゃくりなどを採点基準に加える採点)機能が導入された通信カラオケDAM-G100の販売開始は2003年だから、この世代が生まれたときには、現在とあまり変わらないカラオケ環境がすでにほぼ完成していたといえる。

精密採点が導入されたとき、カラオケボックスの普及からすでに10年以上を経過していたので、これは幅広い世代に抵抗なく浸透した。
この世代の子たちが、よく「(両親だけでなく)おじいちゃん(おばあちゃん)にカラオケボックスに連れていってもらって歌っていた。」と語るのは、こういう時代的な背景があるのだと思う。

つまり、この世代は、物心がつくかつかないかの年齢で、すでにカラオケの精密採点と対峙していたことになる。

●音楽シーン
わたしはこの世代の歌のうまさは、ハイトーン、リズムとビブラートの扱いがベースになっていると思っている。

【ハイトーン】
ハイトーン系の歌い手をみると、今井美樹のデビューが1986年、プリプリ(奥居香)の大ブレークが1989年。
小室哲哉は1986年に渡辺美里に「My Revolution」「Teenage walk」を提供し、全盛期は1997年あたり。
この間、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、globe、華原朋美、安室奈美恵など「小室ファミリー」といわれるハイトーン系の歌い手たちが一世を風靡した。
広瀬香美も1993~1995年あたりにハイトーンのヒット曲を連発。
個人的に小室流ハイトーン曲の真骨頂だと思っている華原朋美「I'm proud」が1996年、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」は1997年リリースだから、いわゆる「ハイトーン系」は、遅くとも1997年までには完成されたと思っている。

■ 今井美樹 - 空に近い週末


■ 渡辺美里 - Teenage walk

転調の嵐だけど破綻しない。
小室哲哉の曲づくりの巧さが際立つ一曲。 

■ プリンセス・プリンセス - 世界でいちばん熱い夏

しかし、凄いグループ&LIVEじゃな。

■ 華原朋美 - I'm proud


■ SPEED - Body And Soul

ハイトーンといえば、↑このグループも外せない。メンバー全員が小中学生で1stシングルがこの出来って・・・。改めて聴き直してみてびっくり。

【リズム】
あくまでも個人的にだが、J-POP(女性)のリズムに大きな変革をもたらしたのは、安室奈美恵と宇多田ヒカルだと思っている。
「Don't wanna cry」など、安室奈美恵のリズム・コンシャスな曲がブレークしたのは1996年。宇多田ヒカルのメジャー1st.シングル「Automatic」が1998年。
とくに宇多田ヒカルの曲はリズム感がないとすぐさまお経になるので、このようなリズムを自然にこなせる日本の女子の才能を育てた功績は計り知れない。
ともに、ブレークから2000年代初頭までカラオケでも安定して歌われていたので、この2つの希有の才能がもたらしたリズム変革は、おそらく2000年代初頭までには完成していると思われる。
JOYSOUNDヒット曲ランキング_2002年

■ 安室奈美恵 - Don't wanna cry


■ 宇多田ヒカル - Automatic


あとはブレイクビーツかな。
日本のRap系でサンプリングが使い始められたのは1980年代後半で、1990年の普及期を経て、2000年代にはおそらく(少なくとも若い世代には)抵抗なく受け入れられる素地はできていたと思う。
とくに2000年代に入ってからのゲーム曲やボカロ曲には32ビート系の曲がふつうにあるから、この世代は32ビートにまったく抵抗がないと思う。

彼女たちが往年の”グルーヴ感”をどう捉えているかは正直わからないが、32ビートを自由にこなせる、というアドバンテージはたしかに大きいと思う。(”グルーヴ感”をこなせれば、おそらく無敵。この点についてはこちらに書いています。)
Drum'n'Bass/ドラムンベース/32ビート曲の例 ↓


2000年代に入って、洋楽はますますブレイクビーツやRapへの傾斜を強めていった。
それと連動するように、日本のリスナーの洋楽離れが進んだ。

その隙間を埋めるかのように高い人気を誇ったのが、DREAMS COME TRUE、MISIA 、それにSuperflyだった。
いずれもR&Bベースでパワフルな歌唱力が要求されるので、往年のR&Bのマナーは彼女らを通して日本の歌い手に伝わったともいえるのでは。
(歌うまを自負する人たち、彼女たちの歌ぜったい歌うでしょ(笑))

それに、音楽好きなら過去の名作も含め洋楽はフォローしていると思うので、裏拍 ↓のとり方が抜群に巧くなっていると思う。

だからこの世代の子たちは、R&Bやブレイクビーツでも臆せずチャレンジし、なかなかの仕上がりをみせてくれる。
もはや、邦楽、洋楽の括りさえ超越しているのかもしれぬ。

■ MISIA - Higher Love (Music Video)


■ DREAMS COME TRUE - 何度でも (from DWL 2015 Live Ver.)


【ビブラート】
ビブラートを意識させるメジャーアーティストでは浜崎あゆみと倖田來未か。
浜崎あゆみのブレークは1999年、倖田來未のブレークは2004年。
浜崎あゆみは独特のハイトーンビブラート、倖田來未は深みのあるビブラートが特長で、これらがないと彼女らの曲は歌いこなせないので、ビブラートの一般化に大きく貢献したのではないか。
いずれにしても、この世代が物心つく前には、「歌うま」の世界ではビブラートは常識となっていた。

■ 浜崎あゆみ - Voyage


■ 倖田來未 - あなただけが


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あらためて年代順に追ってみると、上のほとんどのアーティストが、この世代が生まれる前にデビューまたはブレークしている。
これには愕然とした。

~ その後 ~

個人的には、2000年代以降のJ-POP(女性)は、ハイトーン、リズム、ビブラートの歌技3要素に加えて、「情感」や「共感」の比率が高まってきていると思う。
絢香が独特の情感で一線に躍り出たのが2006年。独自の世界観をもつ鬼束ちひろはすでに2000年のデビュー。奥 華子のメジャーデビューは2005年。藤田麻衣子の人気は2012年くらいから。

■ 絢香 - みんな空の下


■ 藤田麻衣子 - 横顔 ~わたしの知らない桜~


そして、いわゆるセツナ(曲)系のメインストリーム化。
セツナ曲
加藤ミリヤ(メジャーデビュー2005年)、青山テルマ(同2007年)、AZU(同2007年)、西野カナ(同2008年)、Noa(同2008年)中村舞子(同2011年)、JUJUのブレークは2009年で、いずれも多くの名曲をもつ。

とくに西野カナの存在は大きく、2015年の「トリセツ」くらいまでは好メロ曲をコンスタントにチャートに送り込んでいた。
2016年以降、メロにインパクトのあるヒット曲が減ったのは、西野カナの動向とリンクしているのかもしれない。

■ 西野カナ - 君って(2010年) 


セツナ系は、hiphop系とのコラボが多いので、ライム、フロウなどのマナーが求められる。
何より、hiphopの上で情感を出すのだから、ハンパな歌唱力ではとても歯が立たない。

■ m-flo(feat.加藤ミリヤ) - ONE DAY

加藤ミリヤの歌唱力が際立つ名演。

■ First Desire feat.HIRO from LGYankees, 山猿 中村舞子 〔 From 『CURE』(2010)〕

セツナ系の代表格、中村舞子。切なさを帯びたハイトーンはhiphopやRapとの相性抜群。

■ SPICY CHOCOLATE - あなたと明日も feat. ハジ→ & 宇野実彩子 (AAA) (Vocal Ver.)


■ 徒夢 - 花たん(歌ってみた)

↑ こういう曲は、バブル崩壊以前にはたぶんぜったいつくれなかった。
「失われた20年(30年)」がPOPシーン、そして歌姫たちにも大きな影響を与えているのだと思う。

また、ボカロ曲が一般化したのも2008年頃からで、こちらもハイトーン、滑舌や経過(的)転調などがふつうに求められるから、やはりなまなかな歌唱力では太刀打ちできない。
(=ボカロ曲を歌う、いわゆる「歌い手」のレベルの高さ)

■ めありー - 空奏列車(歌ってみた)

↑ ハイトーンと滑舌がないと歌いこなせないボカロ曲の例。

■ くゆり - なないろの朝(歌ってみた)

ふつう歌えんでしょ、↑こんな曲。

これらの「セツナ曲」や「ボカロ曲」の多くはWeb配信され、YouTubeやニコ動で拡散した。
そして関連検索の精度UPで、好みの曲を見つけられる機会が格段に増えた。(←これ重要)

名曲連打のユニットELTはすでに1996年のデビュー。
希有のメロディメイカー&シンガー、アンジェラ・アキは2005年デビュー。
いまも残る名曲群を残した伊藤由奈、手嶌葵はともに2006年のメジャーデビュー。

楽曲のよさに定評のmiwaは2010年頃からメジャー化で、2008年頃からの「セツナ系」人気とあいまって、メロディーに優れた名曲が数多く生み出される。
「アナ雪」の人気や、半崎美子のブレークも、このような名曲(というか情感のあるメロディー)志向の流れからだと思う。

↓ これらの好メロ曲は、この世代にもよくカバーされている。
■ Every Little Thing - Over and Over


■ Yuna Ito(伊藤由奈) - Endless Story


■ アンジェラ・アキ - This Love

2:20~
約束と言う 私達のコンパスだけでは
この恋は(Faug F#m7 D#m7-5) 方角を見失うの
↑ オーギュメント&ハーフディミニッシュの威力

フックのあるメロディには、理由がある。
そのことを、名曲を歌いながら感じとっているのでは?

2014/08/09、日本の女性ヴォーカルのレベルの高さに触発されてUPしたこの記事 ↓
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
そのときに「女神系歌姫」と括った魅力の数々を、カラバトU-18の子たちは見事に体現している。


並行して、ヒーリング感あふれるアーティスト&楽曲が多く世に出された。
この世代はフェミニンで透明感のある曲のこなしが抜群に巧いが、こういう曲の影響もあると思う。

■ LaLa - ebb and flow(凪のあすからOP)(歌ってみた)


■ 桜川めぐ - drive_qualia


■ 志方あきこ - Erato


■ KOKIA - 孤独な生きもの

KOKIAの曲は難しすぎてなかなかカバーできないけど、聴いただけで影響を受けそうなインパクトがある。

そして、アニソン、ゲーム曲やボカロ曲もさりげにメロディーの宝庫だ。
とくにボカロ曲は32ビートも入ってアクロバティックな難曲揃いだが、原曲がボカロだけに自分なりのオリジナリティをつけやすい。
これも、この世代の歌力UPに効いている可能性がある。

■ 西沢はぐみ - 夏雪 ~summer_snow~

ナイスメロ&リズム、そして癒し系ハイトーン。

■ Kako - Happy Birthday to... 「終わる世界とバースデイ ED 」

ゲーム系でも好メロ&ハイトーン&ビブラート。通りのよい美声だけど、単なる「歌のお姉さん」じゃないよ。

■ 桜ほたる(sara) - ここにあること(歌ってみた)

難音階、難符割り&転調・変拍子の嵐。しかもオーラスにかけての超絶ハイトーン。歌いこなせる人はごくごく限られると思う。
信じられぬが、これは「ここにあること」のかわいいバージョン(笑)

■ Destiny feat.花たん【HoneyWorks】

好メロの宝庫、HoneyWorks(ハニワ)。
中~高校生でリアルタイムにこんな曲聴いたら、やっぱり影響受けると思う。

■ @ゆいこんぬ - bouquet(歌ってみた) 

情感乗りまくったボカロ曲の「歌ってみた」。

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メディア露出が多いのがダンス系なので、一見「ダンス(リズム)曲優位の時代」と思われがちだが、じつは、アイドルグループにも好メロディーの曲は少なくなく、いまは「空前のメロディー志向」の時代だと思う。

↓アイドルグループの好メロ曲の例(乃木坂46)
■ 熊田このは・二木蒼生 - 君の名は希望 / あおいとこのはのスペシャルステージ(2019/01/20)


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つらつらながながと、ごたくをならべたけど、まとめると

1.この世代が生まれる以前に、いまのカラオケ状況は完成していた。
2.この世代が生まれる以前に、いまのJ-POP(女性)絡みの主要ファクターは完成していた。
3.同時代的に「情感」にあふれたメロディー曲を体験して(カラオケで歌って)育っている。
4.YouTubeやニコ動で好みの曲を自由に聴け、しかも関連検索で探せる。
5.その結果、ボカロ曲やゲーム曲など、アクロバティックな難曲に馴染んでいる可能性が高い。

だから、ひょっとするとこの世代には、「音楽の世代(時代)感」というものがほとんどなく、流行り廃りのジャンルやフォーマットにもさして捕らわれることがないのでは?
そして、ほんとうに好きな曲を、カラオケで鍛えられた技量で自由に歌い込める・・・。
選択肢が多いだけに、曲を選択するセンスが求められるし、それを自分なりに解釈できるオリジナリティも育っていく・・・。

「名唱」を生み出す条件が、いまほど整っている時代はこれまでなかったかもしれない。

■ 熊田このは - CAN YOU CELEBRATE? MSP 2018/02/11  ※ 会場機械採点で100点の名唱

「CAN YOU CELEBRATE?」がヒットした1997年には、彼女はまだ生まれていない。

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■ カラバト黄金の世代の原点? 
■ 声質のオリジナリティ(数年前のカラバトU-18)

■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 東京五輪のセレモニーソング ~ 日本の歌うま女子の底力 ~

■ 熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)

■ 1983年洋楽ピーク説
■ グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)

■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ Vol.7~9(分離前) 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印

※ 現在リニューアル中で、構成が錯綜しています。

【 真宗と信玄公 / 日蓮宗と信玄公 】

【 真宗と信玄公 】

■ 塩田山 超願寺

 
笛吹市一宮町塩田818
真宗大谷派 御本尊:阿弥陀如来
札所:甲斐百八霊場第36番
朱印尊格:南無阿弥陀佛 印判
札番:甲斐百八霊場第36番印判
・中央に山号印と「南無阿弥陀佛」の印判。
右上に「甲斐百八霊場第三六番」の札所印。左に山号・寺号の印が捺されています。
真宗の御朱印(参拝記念)らしいシンプルな構成です。

文安四年(1447年)、布教のため甲斐を訪れた真宗8世・蓮如上人は、当時天台宗の寺院であった昌願寺を真宗に改め超願寺とされました。

織田信長と敵対した真宗本願寺派第十一世宗主顕如(光佐)の妻である如春尼は、信玄公の正室三条夫人の妹でした。
信玄公は加賀の一向一揆と結んで上杉謙信を牽制し、本願寺とも合力して信長包囲網を築いたとされ、真宗や本願寺との連携は政治的にも重要なものであったとみられています。

真宗本願寺勢力と織田信長公が刃を交えた石山合戦の際、超願寺の七世住職・喜西は石山の籠城に加わり、教如上人や下間頼龍とも親交があり、これを示す矢文が当寺に残っています。

甲斐の国は日蓮宗寺院も多く、甲斐百八霊場は、真宗や日蓮宗を含む多彩な宗派で構成されています。

■ 真宗大谷派東本願寺甲府別院 光澤寺
甲府市相生3-5-7
真宗大谷派 御本尊:阿弥陀如来
公式Web
※未参拝です。参拝次第、追記します。御朱印は授与されていない模様です。

信玄公とふかいゆかりをもつ真宗の名刹です。
寺伝(公式Web)および資料Aから沿革等をまとめてみました。

天文十六年(1548年)、信玄公は当時鎌倉常葉町にあった一向宗蛇伏山長延寺(現在の真宗大谷派永勝寺:横浜市戸塚区)が相模北条氏と対立していた状況を憂慮され、住職実了師慶和尚を甲府へ招聘、広大な寺領を寄進し手厚い庇護を加えて長延寺として再興しました。

「超願寺」の記事でもふれましたが、信玄公は織田信長と敵対した真宗本願寺派第十一世宗主顕如(光佐)の妻である如春尼は、信玄公の正室三条夫人の妹でした。
信玄公は加賀の一向一揆と結んで上杉謙信を牽制し、本願寺とも合力して信長包囲網を築いたとされ、真宗や本願寺との連携は政治的にも重要なものであったとみられています。

実了和尚は僧として活躍するとともに、武田家御伽衆の有力メンバーであったとみられています。
御伽衆とは高級参謀兼外交特使といった役柄で、戦国時代に高僧が勤める例は少なくありません。

ちなみに「甲陽軍鑑」品第八(国会図書館DC、コマ番号26/265)には「長遠寺(実了師慶)といふ一向坊主をいつも江州浅井備前守そうじて上方へ計策に指上せらる 其年は一入様子能相調へ伊勢長島、大坂、和泉の堺下時 加賀越中迄も立寄 信玄公へ御味方の証文を取て参上いたす」とあり、実了師慶が上方から北陸までも足を伸ばして、各将の調略に奔走していたことがうかがわれます。

実了和尚の人徳に帰依した信玄公は、次男庄蔵(信親公・竜宝)の嫡男の信道公を実了和尚の養子とし、長延寺二世顕了として広大な寺領を寄進しました。

天正十年(1582年)天目山の戦いで武田家が滅亡すると、長延寺は信長によって焼かれ実了和尚は焚死されました。(顕了とともに信州犬飼村へ退去という説もあり。)
顕了は実母(信親公室)とともに信州犬飼村に迎えられ、徳川の代になると甲斐帰国が許されて、現寺地に長延寺を再興されました。

顕了は、慶長十八年(1613年)の大久保長安事件に連座し、元和元年(1615年)に伊豆大島に配流されのち同地で没したとされます。

顕了の子教了(武田信正公)も大島に配流され寛文三年(1663年)、徳川家光公十三回忌に赦免され江戸に入られました。(教了として長延寺三世を継がれたが長延寺は廃寺となったという説もあり。)

武田信正公は小山田信茂の養女・天光院殿(娘香具姫とも)を室としていた磐城平藩2代藩主内藤忠興の娘の婿として迎えられ、その子信興公は表高家に列せられて、子孫は代々表高家の家格を保って維新を迎えました。

現在に至るまで、表高家武田家の系統が甲斐武田氏の嫡流とされています。
つまり、長延寺は信玄公の帰依を受け、甲斐武田氏の嫡流が法灯を担われたという、二重の意味で武田家と深いゆかりをもつことになります。

慶長十八年(1614年)、本願寺12代目教如上人が、廃寺となった現寺地に本山掛所を設けられ化竜山光澤寺と号されました。
徳川幕府に請い、境内地および寺領の御朱印を受け、諸殿諸堂を整えて、以後、甲州における真宗大谷派の中心的存在となり今日に至ります。

真宗大谷派の寺院で、札所でもないので御朱印は授与されていない模様です。

■ 法流山 入明寺
※ 現在、整理中です。


【 日蓮宗と信玄公 】

日蓮宗と信玄公の関係については、さまざまな説がみられます。

日蓮宗総本山の身延山久遠寺は、文永十一年(1274年)5月、甲斐源氏の南部(波木井)実長が日蓮聖人を領地の身延山に招き、西谷に草庵を構えられたのが草創と伝わります。
日蓮聖人のご遺骨は身延山に奉ぜられ、この地に祀られました。
爾来、身延山は日蓮宗の聖地として崇められ今に至ります。

信玄公の治世は身延山草創から約250年ほど後であり、甲斐国内に聖地をもつ日蓮宗との関係については様々な説が唱えられています。

日蓮宗の『日蓮聖人降誕800年』Webの『日蓮宗と武田信玄』には、「(身延山久遠寺は)武田氏や徳川家の崇拝、外護(げご)を受けて栄え」とあります。
たしかに甲府市若松町の日蓮宗信立寺は、信玄公の父・信虎公の建立と伝わります。(→信立寺の公式Web
同Webには「当山は、武田家の祈願所となりました。」とあり、「信玄もまた、父同様に当山を祈願所として保護していました。」ともあります。(→信立寺の公式Web

一方、身延町資料の『権現さんの手洗石』には「信玄公は、駿河方面の敵に備えるため、日蓮宗の本山身延山に城を構えようとしたが、宗門は固く譲らないので、身延山征伐を決意して元亀三年(1572年)、自ら軍を率いて向かったのであるが、あいにく早川の出水で渡れなかったし、また戦いも意の如くならなかったので身延山征伐を断念して甲府に引き返す(以下略)」とあります。

上記の『日蓮宗と武田信玄』にも、「武田信玄は、日蓮宗の総本山である身延山を武田家の支配下に置くべく攻めようとした事がありました。」とあり、その攻防のさなかで数々の霊験を目の当たりにした信玄公は身延攻略をあきらめたとあります。
また、「信玄は(中略)久遠寺の霊験顕著なる信仰の証に感銘し、身延山久遠寺と和睦、山内に武田家の武の字を入れた武井坊と言う坊を建立し、武田家の祈願所としました。」とも記されています。

『(論文)武田・穴山両氏の対身延山政策』(町田是正氏)(PDF)には、信玄公はしばしば身延山に対して「禁制」や「書状」を発して牽制し、ときの久遠寺第15世法主日叙上人はこれに毅然とした応対をされた旨が記されています。

この論文には「全面的に武田氏が親密友好・融和の政策を保持していたのではなく、戦国領主・甲斐守護の立場を誇示しながら、身延山と適当な距離を置いて関係を維持していたと見るべき。」とあります。
決定的な対立を避けつつ融和を図って、「大人の関係」を保っていたのではないでしょうか。

とくに晩年の信玄公と身延山は融和的であったとみられ、このことは令和3年11月3日に催された「武田信玄公生誕五百年祭大法要」(PDF)に身延山 久遠寺が参画されたことからも伺われます。

『ご宝物で知る 身延山の歴史』という本には信玄公が身延山に寄進した経典(明版法華経)など、日蓮宗と信玄公の関係をあらわす宝物が載っているようです。詳細は→(こちら(「武田家の史跡探訪」様)
「明版法華経」はこちらにも載っています。

身延山の宿坊・武井坊の公式Webには「当坊は、信玄公の家紋(武田菱)をもって寺の紋としておりますが、これは武田家の祈願所としての性格を持っていたことに由来します。また『身延栞』という案内書には「武田信玄公、身延攻めに敗れ、感応のいちじるしきに驚き、日勢上人を請じて一寺を創る。故に坊は公の一字を用う」と紹介され、坊名の「武」一字は、武田信玄公の御名に由来します。」と明記されています。

甲府市武田の上行山 要法寺は、天文五年(1536年)、信玄公が盲目だった次男の信親(竜芳)公(御聖道様)の病気平療祈願のため建立したとされます。信親(竜芳)公(竜芳軒日香)を葬ったところとも伝えられています。
京から修徳院日祇上人を招かれ、開山・建立された日蓮宗寺院です。
(→要法寺公式Web

北杜市武川町山高の大津山 実相寺の公式Webには「永禄四年(1561年)、川中島の合戦にあたって、武田信玄(1521-1573年)は蔦木越前守を当山第七世日忍上人の元に遣わし武運長久の祈願を命じ、永代祈願所として、一条次郎忠頼の城址を寄進され現在の地に移転しました。」とあり、日蓮宗と信玄公のゆかりを示しています。

日蓮宗寺院では夏場にしばしば炮烙(ほうろく)灸が催されますが、これは「炎天下で暑さ負けした信玄公が、兜の上から灸をすえたところたちどころに全快したのがはじまり」という説もあり、日蓮宗と信玄公の関係をうかがわせます。

信玄公の周辺にも日蓮宗の信仰をもったひとびとがいたようです。
甲府市武田の藤光山 法華寺は、天正五年(1577年)信玄公の弟、典厩信繁の夫人養周院により補修され、法華堂から法華寺として建立とされます。

富士川町小室の徳栄山 妙法寺の第10世日薬上人は信玄公の叔父(ないし伯父)にあたる人物とされ、当寺は武田家の祈願所として庇護され、天文年間には信玄公から寺領の寄進があったとも伝わります。

上総の真理谷城・庁南城に拠った庁南(真理谷)武田氏は甲斐武田氏の支流で、信玄公の三男を養子として継がせたともいわれ、庁南(真理谷)武田氏ゆかりの日蓮宗長久寺(千葉県長南町)には、信玄公寄進とされる仏舎利2粒が奉安されています。

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信玄公の重臣・穴山信君は身延一帯(河内領)を領し、日蓮宗(身延山)と武田宗家との関係をとりもったとみられています。(→『武田・穴山両氏の対身延山政策』(町田是正氏)(PDF)

穴山信君は甲斐源氏で武田家臣の秋山越前守虎康の息女を養女とし、この養女は天正十年(1582年)、信君が織田・徳川氏に臣従した際に徳川家康公の側室となりました。(下山殿/お都摩の方)

下山殿は天正十一年(1583年)、家康公の五男・万千代君(武田信吉公)を出産。
信吉公は下総小金城3万石~下総佐倉城10万石と移り、佐竹氏に替わって水戸25万石の太守となり、旧武田遺臣を付けられて武田氏を再興するやにみえましたが、慶長八年(1603年)21歳で死去し武田氏再興はなりませんでした。

下山殿は天正十九年(1591年)下総国小金にて早逝。平賀の日蓮宗の名刹・長谷山 本土寺に葬られました。
また、下山殿の実父(武田信吉公の実祖父)・秋山虎康は松戸市大橋の地に止住し、慶長元年(1596年)に了修山 本源寺を開山しているのでおそらく日蓮宗信徒です。

下山殿の「下山」は身延町下山から称したといいます。
『穴山氏とその支配構造』/町田是正氏(PDF)には「(秋山氏の祖)秋山太郎光朝の末の下山氏の住する処で(中略)『日蓮聖人遺文』にも下山氏の存在が記される所」とあり、下山氏(秋山氏)と日蓮宗のゆかりのふかさがうかがえます。
下山殿の実家の秋山氏は、京よりはやくに讃岐に日蓮宗を伝えた(→ビジネス香川)ともいいますから、下山殿もまた熱心な日蓮宗信徒であったのかも。

想像をたくましくすれば、もし、下山殿も信吉公も早世しなければ武田家は水戸25万石の大名として再興存続し、その宗派は日蓮宗となっていたかもしれません。

〔関連寺院〕

■ 日蓮宗祖山・総本山 身延山 久遠寺
山梨県身延町身延3567
日蓮宗


■ 広教山 信立寺
山梨県甲府市若松町6-5
日蓮宗
甲斐百八霊場第54番


■ 西谷 武井坊
山梨県身延町身延3583
日蓮宗


■ 上行山 要法寺
山梨県甲府市武田4-1-43
日蓮宗
※「甲府城北史蹟めぐり」の御首題


■ 大津山 実相寺
山梨県北杜市武川町山高2763
日蓮宗


■ 藤光山 法華寺
山梨県甲府市武田1-4-34
日蓮宗


■ 徳栄山 妙法寺
山梨県富士川町小室3063
日蓮宗
甲斐百八霊場第91番


■ 長谷山 本土寺
千葉県松戸市平賀63
日蓮宗


■ 了修山 本源寺
千葉県松戸市大橋766
日蓮宗



【 山梨県外のゆかりの寺社 】

【 長野県 】
・新海三社神社 (長野県佐久市田口宮代)
・新海山 上宮寺 (長野県佐久市田口)
・一行山 西念寺 (長野県佐久市岩村田)
・寶林山 安養寺 (長野県佐久市安原)
・平林山 千手院 (長野県佐久穂町平林)
・海尻山 醫王院 (長野県南牧村海尻)
・横湯山 温泉寺 (長野県山ノ内町平穏)
【 群馬県 】
・榛名神社 (群馬県高崎市榛名山町)
以上は、現在整理中です。

■ 生島足島神社
公式Web
長野県上田市下之郷中池西701-甲
御祭神:生島大神、足島大神
旧社格:式内社(名神大)、国幣中社、別表神社
※未参拝です。参拝次第、追記します。御朱印は授与されているようです。

長野県上田に鎮座する古社です。
社伝には「生島神は生国魂大神、足島神は足国魂大神とも称され、共に日本全体の国の御霊として奉祀され、太古より国土の守り神と仰がれる極めて古い由緒を持つ大神であります。神代の昔、建御名方富命が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられています。」とあります。(公式Webより)

建治年間(1275年~1278年)に北条国時(陸奥守入道)が社殿を営繕、戦国時代以降は真田昌幸・信之等の武将をはじめ、代々の上田城主の崇敬を集めています。

当社には戦国時代の多くの文書が伝わっており、「武田信玄願文」(永禄二年(1559年)、信玄公が上杉謙信との決戦を前に戦勝を祈念した願文)、「武田家臣団起請文」(永禄十年(1567年)、甲斐・信濃国内の家臣団に信玄への忠誠を誓わせた文書。)などが代表例で、いくつかは国の重要文化財に指定されています。

信玄公ゆかりの願文・起請文を語る上で、はずせない神社とされています。

■ 太田山 龍雲寺
長野県佐久市岩村田415
曹洞宗 御本尊:十一面観世音菩薩
※未参拝です。参拝次第、追記します。御朱印は授与されているようです。

鎌倉時代の正和元年(1312年)大井玄慶を開基、浄学天仲を開山として臨済宗寺院として建立。文明年間(1469年~1487年)曹洞宗の僧天英祥貞によって復興され、曹洞宗に改められました。

戦国期、佐久を掌握された信玄公は永禄年間(1558年~1570年)、自ら開基となり、越後から北高全祝を招聘して中興されました。
北高の招聘に際しては、甲斐の龍華院(甲府市上曽根)と永昌院(同山梨市矢坪)の住職がこれに当たったと伝わります。

永禄十年(1567年)には信玄公は寺領を寄進され、西上野侵攻の折には末寺を寄進されています。
当寺は分国内曹洞宗派の僧録所となり、僧録司となった北高は元亀元年(1570年)には宗派統制を目的に定められた曹洞宗新法度の制定にも携わったとされます。

元亀三年(1572年)4月、西上に際して僧録司北高の立場を示すため、小宮山昌友を奉行として千人法幢会を実施し、正親町天皇から扁額を下賜されたといいます。
信玄公は翌元亀四年、西上の途上で逝去されましたが、当寺は信玄公の火葬地として伝わっています。(実際に遺骨が出土し、分骨の可能性も考えられているようです。)

■ 富蔵山 岩殿寺
長野県東筑摩郡筑北村別所13505
天台宗 御本尊:馬頭観世音菩薩
札所:信濃三十三観音霊場第15番
※未参拝です。参拝次第、追記します。御朱印は授与されているようです。

舒明天皇の御代(629~641)役の行者の弟子学文行者が修験道場として開山し、嘉祥元年(848年)に比叡山座主慈覚大師円仁が仁明天皇の勅命を奉じ、寺領三百町を賜り開基されたと伝わります。

四院十二坊、境内に七十五社を配した名刹とされています。
信玄公の帰依篤く、川中島合戦では当寺観世音の霊験があったとして、寺紋に武田菱を賜り、信者は甲州、上州、越後に及んだといわれます。

信濃侵攻先での信玄公の寄進を伝える貴重な寺院です。

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古府中町の万年山 大泉寺も信玄公とのゆかりがふかいですが、こちらは信虎公開基なので、「信虎公編」でご紹介します。

【 古長禅寺 】

■ 瑞雲山 古長禅寺




南アルプス市鮎沢505
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦牟尼佛
朱印尊格:本尊 釈迦牟尼佛
札所:甲斐百八霊場第86番
・中央に三寶印と中央に「本尊 釈迦牟尼佛」の揮毫。
右に「甲斐百八霊場第八六番」の札所印と「武田信玄公御母堂 大井夫人墓所」の印判。
左は上から参拝記念印、「夢窓國師古道場」の印判と山号・寺号の印判が捺されています。
多彩な印判、華やかな印象の御朱印です。

古長禅寺は、Vol.3 でご紹介した甲府市愛宕町の長禅寺の前身となる名刹です。

もともとこの地には行基創建と伝わる真言宗の大寺西光寺があり、南北朝時代の正和五年(1316年)に夢窓疎石が西光寺の一角に長禅寺を創建し、臨済宗に改宗されたと伝わります。
西郡の有力国衆大井氏の菩提寺で、信玄公の母、大井夫人(瑞雲院殿)は大井氏の出です。

大井夫人は賢母で、悟渓宗頓(大徳寺五二世住持、妙心寺四派の一、東海派の開祖)の法統を嗣ぐ、尾張国瑞泉寺の岐秀元伯を長禅寺に招き、若き日の信玄公に「四書五経」「孫子」「呉子」などを学ばせたといわれます。
だとすると、信玄公は甲府の躑躅ヶ崎館から、西郡鮎沢の当寺まで遠路はるばる参禅されていたことになります。

大井夫人は天文十年(1541年)の信玄公による信虎公駿河追放ののちも甲斐に留まられ、躑躅ヶ崎館北曲輪に居住されました。
天文二一年(1552年)に逝去。法名は瑞雲院殿月珠泉大姉。
葬儀の大導師を務められたのは岐秀元伯と伝わります(『高白斎記』)。

大井夫人逝去の後、西郡の鮎沢では墓所が遠いため、亡き母を開基に、導師の岐秀元伯を開山に請じて新たに府中に長禅寺を開かれました。
これより、当寺は古長禅寺と称されます。

大井夫人ゆかりの事物は甲府の長禅寺に移っていますが、当寺には「木造夢窓疎石坐像」が所蔵されています。

山門からすこし離れた飛び地境内に、境内の樹齢約700年、「夢窓国師お手植えの四つビャクシン」があり、国の天然記念物に指定されています。

山門は一間一戸の切妻造桟瓦葺ながら鬼飾り付きの降棟を備え、大棟に手の込んだ意匠と花菱紋二つを置いて風格があります。
山内はさほど広くはないですが、夢窓国師構想と伝わる本堂前の庭園はさすがに趣きがあり、境内全体が県指定史跡に指定されています。

本堂は桁行六間の入母屋造桟瓦葺で、正面に唐破風向拝を付設、重心が低く安定したイメージのお堂です。

本堂裏手に開山堂跡と大井夫人の墓所があります。
墓所は花菱紋付きの玉垣に囲まれ、ひっそりと佇んでいます。
傍らには、甲斐国・安芸国守護武田信武公から始まる大井氏の家系図が示されています。

大井夫人 歌
- 春は花 秋はもみじの色いろも 日かずつもりて ちらばそのまヽ -

御朱印は本堂前に書置のものが用意されています。ご住職がいらっしゃるときは揮毫いただけるかもしれませんが、当日はご不在につき書置を拝受しました。

【 恵林寺 】

■ 乾徳山 恵林寺
公式Web





甲州市小屋敷2280
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦牟尼佛
札所:甲斐百八霊場第9番、甲斐八十八ヶ所霊場第73番
※御朱印はVol.5でご紹介していますが、再掲します。
〔甲斐百八霊場の御朱印〕
朱印尊格:武田不動尊 直書(筆書)
札番:甲斐百八霊場第9番
・中央に札所本尊不動明王の種子「カーン/カン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「武田不動尊」の揮毫。
右に「甲斐百八霊場第九番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
甲斐百八霊場の札所本尊は御本尊の例が多いですが、当寺では「武田不動尊」となっています。

〔令和改元記念の御朱印〕
朱印尊格:武田不動尊 書置(筆書)
札番:なし
・中央に不動明王の種子「カーン/カン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「武田不動尊」の揮毫。左上に「武田菱」の紋、中央上におそらく青龍、右上に武田家の控え紋「花菱」の紋
右下におそらく朱雀。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
青龍と朱雀は四神の内ですが、改元にちなんでの配置と思われます。
この御朱印には「甲斐百八霊場第九番」の札所印は捺されておらず、「武田不動尊」単独の御朱印となっています。

武田家の菩提寺であり、信玄公の墓所でもある甲斐を代表する名刹。
元徳二年(1330年)、甲斐牧ノ庄の地頭職二階堂出羽守貞藤が夢窓国師を招き、自邸を禅院として創建したとされます。
武田信玄の尊敬を受けた快川和尚の入山で寺勢を高め、永禄七年(1564年)には信玄公自ら寺領を寄進して菩提寺と定めました。

甲斐を代表する名刹だけに、事跡や寺宝が多く遺されています。
四脚門は、徳川家康公建立の切妻造檜皮葺の四脚門。丹塗りが施され通称「赤門」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。扁額は「乾徳山」の揮毫。

三門は、一門一戸入母屋造檜皮葺の四脚の楼門。
照りの強い屋根と上部の高欄が意匠的に効いて、きりりと引き締まったイメージがあります。
大棟には武田菱がふたつ。門柱には有名な快川国師の遺偈が掲げられています。

開山堂は、入母屋造妻入り銅板葺で、夢窓国師、快川国師、末宗和尚の木像が安置されています。
拝観は妻入りの大建築である庫裡が受付です。
本堂、うぐいす廊下、明王殿、方丈庭園などが拝観できます。

本堂背後の方丈庭園は鎌倉時代、夢窓国師の作庭。京都の西芳寺、天竜寺の庭園とともに夢窓国師の代表作として知られ、国の史跡・名勝に指定されています。

「武田不動尊」は信玄公の御霊屋である「明王殿」(不動堂)の奥深く御座します。

当寺の資料には、「この不動明王は、信玄公が京から仏師康清を招聘し、信玄と対面して彫刻させ、信玄自らの頭髪を焼いて彩色させたもので、伝承によると、信玄は剃髪した毛髪を漆に混ぜ、自ら坐像の胸部に刷毛で塗りこめたといわれている。」とあります。
また、『甲陽軍鑑』『甲斐国志』には、信玄公の姿を写した像とする伝承が記されています。

元亀四年(1573年)4月12日、西上の途上、信玄公は信濃国駒場において病にて逝去されました。

辞世の句は、
- 大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流 -
と伝わります。

天正四年(1576年)春、勝頼公は快川国師の導師のもと、信玄公の葬儀を厳修しました。
戒名は法性院機山信玄。

武田氏滅亡後、恵林寺は織田信長軍の焼き討ちにあい、快川国師は
「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」
との言葉を残して入定されました。

恵林寺の公式Webには、信玄公の人となりや教養について詳細に記されています。
いくつか抜粋引用してみます。
信玄公は母、大井夫人の実家の菩提寺である古長禅寺の名僧・岐秀元伯から「四書五経」「孫子」「呉子」等を学ばれました。

軍学のみならず、「京から公家を招いて詩歌会・連歌会を行い、自身も数多くの歌や漢詩を残されています。
とくに詩歌の道に優れ、その作品が「為和集」、「心珠詠藻」、「甲信紀行の歌」などに収載されています。また、漢詩も嗜まれ、京都大徳寺の宗佐首座によって「武田信玄詩藁」として編纂された」とのことです。

「信玄公が招き、交流を持った禅僧たちは、たとえば、策彦周良、惟高妙安、岐秀元伯、希庵玄密、月航玄津、天桂玄長、説三宗璨、東谷宗杲、鉄山宗鈍、そして快川紹喜。いずれも名の轟く同時代の高僧ばかりです。」(同Web)

「ご出陣の間には日々夜々の参禅学道他事なし(甲陽軍鑑より)」に記されているように、出陣のあいまであっても、昼も夜も、常にひたすら禅に参じていたといわれています。

信玄公は生涯かずかずの名言を残され、後世に語録が編まれたほどですが、なかでもつぎの言葉はよく知られています。

「凡そ軍勝五分を以て上となし、七分を以て中となし、十分を以て下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」

(意訳)
戦というものは、五分と五分であれば、上々。七分三分で優勢であれば、中程度。十分で圧勝するならば、結果は下だと考えなさい。
なぜならば、五分五分の互角であれば、次こそはと励みが生まれる。
しかし、七分の勝ちであれば油断が生じて怠けが始まる。
そして、百パーセント勝ってしまえば、驕慢、傲りを招くからだ。
戦で完勝しようとも、驕慢を生じてしまえば、次には必ず負ける。戦に限らず、世の中のことは、すべてこうだという心がけが肝心である。
(恵林寺公式Webより)

いまの時代でも、いや、「勝者総取り」のいまの時代だからこそ、いっそう響く名言だと思います。

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これで「信玄公編」は終わりです。
つぎは、「信虎公編」、「勝頼公編」を予定していますが、しばらく時間をおきます。

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目次
〔導入編〕武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.1 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.2A 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.2B 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.3 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.4 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.5 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.6 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
Vol.7~9(分離前) 武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印

〔関連記事〕
■ 甲斐百八霊場の御朱印-1
■ 甲斐百八霊場の御朱印-2


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■ 松田聖子スペシャル & 関ジャム

なぜかアクセスが増えているので、リンクつなぎなおしてリニューアルUPします。

・「Canary」
1982年の初の自作曲。
(こんなテクニカルな曲、これまで大村雅朗氏か財津和夫氏の作曲だと思い込んでた。(笑))
初の自作曲にしてこの完成度。
音に対する感性が、抜群に優れているんだと思う。


コード

「薔薇の模様の壁紙」(Bメロ)を「一人で生きる自信と」(サビ)にもつかうテクニカルな構成、というかBメロ前の「歩道の脇のシトロエン」ですでにつかってるし・・・。
「構成も面白いと思うんですが、意識して構成したのか?」という問いに、「ぜんぜん。(きっぱり) 好きなメロディなんでしょうね、ここに行くと気持ちいいとか、そういう組み立てなんですよ・・・」
好きなメロだから、歌って気持ちのいい場所に仕込む・・・。これって歌の本質ついてるかも。
それに、出だしのコーラスだって、並みのメロじゃない。



一部で伝説のテイク。
パーカー姿で、新幹線のホームで、この信じられないほどのキラキラ感。
そしてこの安定のパフォーマンス。
やっぱり天性のアイドル。

それにしても取材陣、新幹線のホームで駅員さんと乱闘とは、面白い時代、もとい、めちゃくちゃな時代だったわ・・・(笑)

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2021/10/19 UP

昨日10/17(日)に放送された「関ジャム」松田聖子特集、冒頭の10分撮り忘れたけど、視てみました。
深みのある松本隆氏のコメントなど、内容充実のすばらしい番組でした。

■ 番組の紹介
「今回の放送では『松田聖子が選ぶ“松田聖子の名曲”』も発表される。『素晴らしいアーティストの皆さんに素敵な曲をたくさん書いていただいて、どの曲も私にとって大切な宝物だから、選ぶのがすごく難しかった!』と語る松田」

~ 胸がキュンとくる曲が好き ~
1.ハートのイアリング 1984年『Windy Shadow』/作曲:Holland Rose(佐野元春)

あえて佐野元春の楽曲を選ぶところが意味シン。

2.瞳はダイヤモンド 1983年『Canary』/作曲:呉田軽穂(松任谷由実)

改めて聴くと、あまりの楽曲のできのよさにおののく。

~ 特に思い入れのある曲 ~
1.セイシェルの夕陽 1983年『ユートピア』/作詞:松本隆/作曲・編曲:大村雅朗

やっぱり文句なしの代表曲。
女の子が1人でセイシェルに行ってしまうところが、この時代の空気感(笑)

2.時間旅行 1986年『SUPREME』/作詞:松本隆/作曲:SEIKO/編曲:井上鑑

自分のなかに「歌いたいメロディ」をいくつももっていて、それをときおり取り出してくるのでは?
「Canary」もそうだけど、メロのフック感がはんぱない。

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番組内で誰かの「歌いつづけてるから、それが凄い」という安直なコメントあったけど、そういうことじゃなくて・・・(笑)
どんな曲でも自分のものにしてしまう強烈なオリジナリティが彼女の身上かと・・・。

~ ターニング・ポイントになったアルバム ~
・『Vanity Fair』(1996年)
とくに収録曲の自作曲「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」とRobbie Nevilと競演の「Darling You're The Best」。
Darling You're The Best

洋楽との接点を、もっとも多く持ったアイドルだと思う。

~ 普段、ふつうに聴いているという2作品 ~
1.SWEET MEMORIES 1983年 c/w「ガラスの林檎」/作詞:松本隆/作曲・編曲:大村雅朗

サントリービールのCMに使われたナンバー。当初、CMにクレジットが入っておらず「誰が歌っているの?」という問い合わせが殺到したという逸話も。
松田聖子・松本隆・大村雅朗の黄金トリオの最高傑作として評価する人もいる名ナンバー。

2.時間の国のアリス 1984年『Tinker Bell』/作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:大村雅朗

安定のSEIKOボーカル。そして刻みまくるギターのフレーズ!(笑)

● 「SWEET MEMORIES」について
〔松本隆〕
・「ジャズっぽいものだったり、大人の女性の内面とかいろんなものが聖子さんにプラスされて、最初は難しいだろうなと思っていた。でも奇跡が起きた。普通の歌手や、ましてアイドルは、あそこまでいかないから・・・。」

〔松田聖子〕
・「(はじめて聴いたとき、)えっ! て思った。しかも英語になってたので『もう・・・、できない・・・』って感じだったんですけど、ここで、大村(雅朗)さんが『大丈夫、できる、できる』っていって下さって(笑)」「ハイ、がんばります!っていって・・・、で、松本先生が魔法をかけて下さって(笑)」

● レコーディングの逸話
・(レコーディング当日に)「スタジオで(初めて新曲を)いただいて、その場で覚えてレコーディング。」
・「これが新曲ですよ。大滝詠一さんが書いて下さいました。(こちらは、)ユーミンさんが書いて下さいましたって・・・」
↑ 本当にその場ではじめて聴いて、即レコーディングだったらしい。
よほど音楽的な勘がよくないと、こういう組み立てはできないと思う。しかも、圧倒的な完成度。

● 松本隆氏との関係性
〔松田聖子〕
・「80年代にスタジオでお会いしても、生徒のような感じで・・・ 偉大な先生、(私にとっては)魔法使いのような存在。」
・「松本先生は魔法使いみたいな存在。疲れて行っても、先生が魔法をかけてくださると元気になって歌えるみたいな。」「いて下さるだけで・・・、魔法使いみたいな存在。」
・「レコーディングのとき、(松本)先生は、かならずいて下さるんですけど『こういう風に歌ってください。』とか、ぜったいそういうことは仰らない。」
・「先生から詞をいただいて、『はい、はい。わかりました』って、向こうのブースに行って歌う(笑)。『先生、これってどういう意味なんですか?って、伺ったことは一度もない。」

〔松本隆〕
・「ちょうど、男性ミュージシャンの仕事がつづいて、女の子の詞を書きたいなと思っていたときに、偶然にも僕のところに依頼が来て、『神様はいるんだな』って感謝した。』
・「裸足の季節」の声だけ聴いたとき、『この子は僕に合うな』と思った。」

■ 裸足の季節 1980年『SQUALL』/作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎

この曲、サウンドは完璧にシティ・ポップだよね。
シティ・ポップ+つやっつやなフェミニンボイス+アイドルのルックス=’80年代の松田聖子

・「1981年に南 佳孝さんの『スローなブギにしてくれ』のヒットで僕のスイッチが切り替わった。それまで趣味で好きだった世界に、やっと時代が追いついてくれたなと思った。これで勝負できると・・・。当時はニューミュージックと歌謡曲しかないから、僕はその中間をつくりたかった。今はそれを『シティ・ポップ』と呼ぶのかもしれない・・・。」
・「(松田聖子を)アイドルというより『音楽』にしたかった。」
・「シングルのB面聴いて、アルバムも聴きたくなるっていうのはビートルズが教えてくれた。だから僕はB面でも手を抜かなかった。」
・「アルバム(曲は)ふつうみんな忘れてしまうけど、松田聖子、ビートルズだけは忘れない。聖子さんの残っている曲はほとんどそう。そんな風にして、みんなが覚えて歌い継いでいってくれてるんだ。」

そして(松田聖子を)『音楽』にするための重要人物としてあげたのが大村雅朗氏。

・「大村君の功績は大きい。音がオシャレで洗練されていた。聖子さんの作品はリリースのたびに作曲家が変わるんだけど、大村君がアレンジすれば大丈夫という絶大な信頼感があった。聖子さんもきっとそうだったんじゃないかな。3人の相性は抜群だったと思う。だから何年も一緒にやれたんだ。」
↑ このコメントは重い。

・「作曲家としての才能も凄かった。」↓

■ 真冬の恋人たち 1982年『Candy』/作詞:松本隆/作曲・編曲:大村雅朗

おサレですね~。サポートボーカルは杉 真理。
この頃のアルバム、とくに大村雅朗絡みの楽曲はほんとにシティ・ポップそのものだと思う。

・「大村くんの曲はすべてアルバムのなかの曲ばかりだから、忘れられても不思議じゃないんだけどすべて残ってる。それは、作品が勝ち得た勝利だ。」
↑ このコメントを聴いたとき、聖子ちゃんは目頭をおさえていた。

聖子ちゃんのアルバム曲がけっして色褪せない背景には、こういった「想い」があるのだと思う。

● 大村雅朗氏との関係性
〔松田聖子〕
・「松本先生は偉大な先生。大村さんは私とも年が近くて、もう少しカジュアルな感じで・・・。」
・「疲れているときに声をかけてくれて、いっぱい助けていただきました。本当によくしていただいた、だから今の私があるんですよ・・・。」

〔本間昭光〕 プロデューサー、大村雅朗氏と親交があったらしい。
・「(大村)先生は洗練されている。アイデアをたくさん持っている、当然理論も持っている。それを全部教えてくれる。隠さない・・・。そこに余裕を感じましたね。」

■ 櫻の園 1999年『永遠の少女』/作詞: 松本隆、作曲: 大村雅朗

大村雅朗氏の遺作。レコーディング当初は大村氏の遺作であることは、聖子ちゃんに知らされていなかったらしい。

〔松田聖子〕
・「全然知らなかったんですよ。どなたもいってくださらなくて。歌い始めて、ん~?、なんかこのメロディー??って思って、歌詞を読んでいた時に、もしやと・・・。『これもしかしたら、大村さんの?』って聞いたら、そうだっていわれて・・・。途中でわかりました。歌っているときに・・・。」

● 1980年代の自分について
今回1980年代の曲が多くとり上げられていた。やっぱり特別な時代だったんだと思う。
聖子ちゃんだけじゃなく、1980年代から活動しているビックネームでこういう企画やっても、やっぱり'80年代の曲が多くなるのでは?

〔松田聖子〕
・「'80年代の(自分の)曲聴くと、『なるほど、こんな風に歌ってるんだ』と勉強になる(笑)」
・「'80年代の作品というのは、(いま聴いても)キラキラしてる。」

■ 青い珊瑚礁(1980年オリジナルバージョン)/作詞:三浦徳子/作曲:小田裕一郎/編曲:大村雅朗 ※大村雅朗、初アレンジの聖子曲

つやっつやの美声。そして炸裂する天然ヒーカップ!

■ 青い珊瑚礁 〜Blue Lagoon〜(2021新バージョン)

アレンジには野崎洋一氏が参画したらしい。
オリジナルとの大きなちがいは、コーラスの厚みとイントロのキーボードアレンジとか。

〔本間昭光〕
・「昔の曲、いま聴いてもまったく色褪せていない。これが松田聖子さんたるゆえん。('80年代は)『アーティスト・シンガーソングライター』があまりテレビに(表に)出ない時代。SEIKOというシンガーの存在を通して、(表現が)湧き出ちゃう。」

↑ このコメは核心ついてるかも・・・。
裏方が裏方としてしっかり仕事をしていた時代。彼らは自身では果たせなかった表現や夢を聖子ちゃんの希有の才能に託したのでは。
「この子ならできる!」そう感じて、難易度もなにもそっちのけで、これぞと思った最高の楽曲を放り込んできたのではないか・・・。

それだけの人の想いが乗っている作品だから、時代が移っても色褪せるどころか、むしろ輝きを増していくのでは?

● 自分にとっての音楽
・疲れたとき、落ち込んだときどうするか・・・という問いに、「音楽を聴く(きっぱり)」「わたしにとって、『音楽』ってものすごく大切な存在。」

音楽を愛し、音楽家や音楽好きからも愛され、いつも音楽を糧に生きていく、そんな存在なんだと思う。
そして、この時代('80年代)にこの「音楽の申し子」のようなキラキラな聖子ちゃんの歌を聴き、そしていまも聴きつづけていけるリスナーは、ほんとうに幸せなんだと思う。

■ 松田聖子 メドレー('90.8.15)



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2020/11/19 更新UP
2020/09/30 UP

9/27(日)に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』の松田聖子特集、さきほど録画を視たけどすごく面白かった。
民放の音楽番組で、ここまでの内容をつくりあげるとは正直おどろき。
松田聖子って、生き方とかキャリアとかで取り上げられることはたくさんあったけど、音楽性そのもので取り上げられること、ほとんどなかったもんね。

↓の「松田聖子スペシャル」とあわせて視ると、いろいろと思うところがあったので、少しく書いてみます。

・声の魅力
「すごく声が届く人」(財津和夫氏)、「声はすごく通って・・・」(松本隆氏)。
声がいいとか声がきれいとかじゃなく、「届く」「通る」という言葉をつかわれていた。
聴き手の心に訴える天性の声の魅力を、こういう表現であらわしたのでは?

・ミュージシャンズミュージシャン?
小田裕一郎、三浦徳子、大村雅朗、財津和夫、信田かずお、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂、来生たかお、呉田軽穂(ユーミン)、細野晴臣、林哲司・・・。
初期の松田聖子の音づくりにかかわった腕ききのプロ集団。
「この人の声はすごく自分の詞に合うだろうと思ってね。」(松本隆氏)
自分の作品を松田聖子という才能に歌わせたい、魅力を引き出すアレンジをしたい、という意欲をプロに抱かせる存在だったのでは?
プロのミュージシャンから支持されるミュージシャンを「ミュージシャンズミュージシャン」というけれど、松田聖子は初期の頃からすでに別の意味での「ミュージシャンズミュージシャン」だったのではないか?

「(1980年代は)歌ったらあとは全部おまかせ」(松田聖子)。
この才能にこうやって任されたらプロは燃えると思う。

・勘どころ
「スタジオに入ってはじめて新曲聴いてその場でレコーディング」「そんなにテイクはとらない」「パート録りは(ほとんど)しない」
音に対する勘どころが本当にいいのだと思う。

・直感? 景色?
たとえばマイアミ午前5時。
「マイアミの午前5時 爽やかな青い海の・・・ そういう感じで歌って」て云われて、「わたしも直感的に、ああ、わかりましたって・・・」(笑)
「景色が見える」とも。
ほとんど禅問答みたいだけど、これで意思の疎通は十分だったってことか・・・。


(スタッフから)「それは(歌に)入り込むということ?」という問いに、「入り込むのとはちょっと違う」と、明確に否定。
(スタッフから)「誰かを演じているわけではない?」という問いに、「違うと思います」ときっぱり否定。
歌の世界の「景色が見え」てて、それを客観的に描いていたのでは?

・ヒーカップ
高音でひっくり返る独特の歌いまわしについて。
「いただく歌をとにかく一生懸命、無我夢中で歌う。」「そういう歌歌ったらああなっちゃた。」「どなたからそれを指摘されて、そういえばそうだな~(笑)」
どうきいても自然に出ているとしか思えず。

青い珊瑚礁

「あ~ わたしのおこいは」「あ~ あおいかあぜ~」

いまは「ヒーカップ唱法」とかいって、ボイトレで教えてるし、とくにアニソンでは必須の歌い方だけど、聖子ちゃんは「唱法」ではなかった。自然に出てたから。

■ ばりばりヒーカップってる例 ↓
栗林みな実 - Kimi no Naka no eiyuu

※ある意味高音ビブラートと対(というかビブラートの受け)の技法だと思う。

■ LIVEでかましている例 ↓
川田まみ - For our days LIVE

松田聖子という存在があったから、ここまで浸透したのかもしれぬ。

・ビブラート
(スタッフから)「ビブラートのかけ方、自身で意識している?」という問いに、「それも(意識して)ないんですよね(笑)」「歌い始めて、そうなっちゃうんですよ、自然に・・・」「音楽的に説明できない」
こちらも無意識に出ているとしか思えず。

西寺郷太氏が「途中あたりから、ここであの聖子さんのあの感じが入るって・・・、この音域でこの言葉きたらこうなるって、(作り手が)わかっていたんじゃないかな。」て意味合いの鋭い発言されていたけど、本当にそうじゃないかと思います。

・苦手
広いオクターブとブレス、これは苦労したと云っていた。
声色や表現力よりも、テクニカルなところに気をつかっていたのかも。

出演者もよかったし、とくにスタッフの質問がよかった。
こういうかたちでスタッフが存在感を発揮する音楽番組って、ほとんどみたことがない。
こういう番組、もっとつくってほしい。

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2020/09/23 UP
4連休中、たくさんのアクセスをいただきありがとうございます。

さっきまで視てた(9/22 午後10:45~午後11:25)、「松田聖子スペシャル 風に向かって歌い続けた40年」、充実の内容だった。
申し訳ないけど、おとといの夜(9/21)放送してた長尺の音楽番組とは、まるでレベルが違う気がする。

松田聖子の凄いところは、シングル曲はもちろん、アルバム曲やc/w(カップリング)曲にも名曲目白押しなところ。
そこんとこにスポット当てきれるかな? と注目してたけど、どストライクきた。

■ 制服
1982年1月リリースの「赤いスイートピー」のc/w(カップリング)曲。

作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂(松任谷由実)
こういう名曲があるから、Another_Side_of_Seikoが企画されたと一部で噂されていた。
この仕上がりで、c/w(カップリング)とは信じられず。やっぱり1982年おそるべし!

■ セイシェルの夕陽

こいつもきたか・・・。名盤『ユートピア』(1983)収録のアルバム曲。
動画じゃなくても(音だけでも)ぜんぜん楽しめる。
はなからビデオクリップに頼ろうとしていない。音だけで直球勝負してる。これが1980年代前半の楽曲の強さだと思う。

あと、これは番組では取り上げられなかったけど ↓ とか・・・。
■ P・R・E・S・E・N・T

当時、『Pineapple』(1982)とか、『ユートピア』(1983)とか、ふつうにアルバムで聴いてたもんね。

■ 秘密の花園

『ユートピア』からの名曲。
これ、意識的に後ノリしていると思う。曲のつかみ方がやたらに巧い。

それにしても聖子ちゃんの声の質、あらためて聴くと凄い。
声の艶や伸びがピカ一。

財津さんにしても、ユーミンにしても、自分が歌いたくても歌えない曲を聖子ちゃんに託したような気がする。

個人的に、本当に凄いと思ったのは ↓ の曲。
■ Strawberry Time

こんな不安定な音階の曲を、みごとにフレンドリーに歌いこなしてしまうワザと感性。
プロだわ・・・。

それに度胸がすわってる。↓
■ チェリーブラッサム


あと、Bob Jamesとか、Quincy Jonesとか、ビッグネームが出てきてびっくり(笑)
David Fosterはたしか1988年のコラボで、ちょっとタイミング的に遅すぎたかな?
David Fosterが本当に冴え渡ってたのは1983年までだから。
でも、「あなたに逢いたくて~Missing You~」では、David Fosterとのコラボの成果が出たような感じがします。

■ 瑠璃色の地球

これもアルバム曲(『SUPREME』1986)。
でも、アルバム曲でも、しっかり後々の世代の才能を育てている。
やっぱり大きな存在なんだと改めて思う。
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