関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 平林寺の御朱印
4/17、新型コロナ禍で中止となっていた平林寺の半僧坊大祭がひさびさに開催されました。
■ 平林寺の半僧坊大祭(2015年の様子)
大祭当日は拝観料はかかりませんが、仏殿から奥のエリアは立ち入り禁止となります。
また、普段は閉門の半僧門が開門され、総門には幔幕がめぐらされて中央が通行可能となります。
開場は10時、半僧坊感応殿では14時から大般若祈祷が催行されるので、周辺は13時45分以降立ち入り禁止となります。
御朱印は、半僧坊感応殿よこで書置の特別御朱印が授与されていました。
筆者は昼頃に退去したので詳細不明ですが、御朱印授与は13時30分頃までだった可能性があります。
少なくとも2017年までは、半僧坊大祭の特別御朱印の揮毫は「半僧坊大権現」だった模様ですが、今回は「南無釈迦牟尼佛」で通常と同様です。
(「半僧坊大権現」の御朱印についてお伺いしましたが、今回は「南無釈迦牟尼佛」のみとのこと。)
ただし、通常御朱印の三寶印ではなく、半僧坊大権現の御紋である「羽団扇紋」の印判が捺されています。
新緑の盛り、平日ながら平林寺周辺は賑わいをみせていました。
■ 半僧坊大祭の特別御朱印
今回も相方と1人1通宛計2通拝受しました。揮毫なので微妙に筆致が異なります。
【写真 上(左)】 前面道路(平林寺大門通り)にならぶ屋台
【写真 下(右)】 開門される半僧門
【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿-1
【写真 上(左)】 半僧坊感応殿-2
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿-3
【写真 上(左)】 開門される総門
【写真 下(右)】 総門の幔幕
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 仏殿
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2021/10/31 UP
本年の平林寺の御朱印授与については、3/1から開始されておりますが、こちらに「例年11月〜翌2月の期間中は、御朱印のご用意はありません。」と記載のとおり、本日10/31をもって年内の御朱印授与は休止となる可能性があります。(本日の授与についても参拝してみないとわかりませんが・・・。TEL問い不可です。)
紅葉にはまだ早く、天気もいまいちの感じですが、お近くの方は投票の後にでも出向かれてみてはいかがでしょうか。
(なお、今春4/17に予定されていた半僧坊大祭は新型コロナ禍により中止となり、「半僧坊大権現」の特別御朱印も授与されておりません。)
↑ 写真は昨年12/10前後の紅葉です。
おとなりの朝霞市には、美女神社を含む朝霞五社巡りがあって、こちらもおすすめです。
また、おとなりの志木市にも、市内七社の神社をお参りする志木開運・招福七社参りがありますが、こちらは御朱印拝受難易度が高いと思われます。
あわせまして、同じくおとなりの所沢市でいただける御朱印もご案内申し上げます。→ こちら(埼玉県所沢市の札所と御朱印)
メジャー霊場や令和2年正月に開設された所沢七福神(御朱印通年授与)があり、授与神社も多く、御朱印をいただきやすいエリアです。
いまやカップルの聖地?と化した川越にもほど近いので、車であればAMは平林寺で紅葉狩り、PMは川越で御朱印&グルメ三昧という、欲張りなデートを組むこともできます。
→ ■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-1(中心エリア)
→ ■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-2(周辺エリア)
新座市に近い富士見市でも御朱印を授与される寺社がいくつかありますが、拝受難易度は比較的高くなっています。
→ ■ 埼玉県富士見市・ふじみの市・三芳町の御朱印
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2020/10/10 UP
金鳳山 平林寺
埼玉県新座市野火止3-1-1
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦如来
公式Web
武蔵野の名刹、平林寺。
いまも禅宗の修行道場として機能し、深い雑木林を抱えるこの寺院は一般の拝観も許されています。
御朱印についてはながらく授与を中止していたようですが、現在、条件つきながら授与を再開されています。
先日、参拝し御朱印を拝受してきましたので、ご紹介します。
武蔵国屈指の名刹だけあって『新編武蔵風土記稿』にも当然掲載されています。
「境内六萬坪余 金鳳山ト号シ臨済宗ニテ京師妙心寺ノ末ナリ 寺領五十石ヲ賜ヘリ 境内ノメクリ多摩川分水ヲ引テ限レリトイヘリ 寺ノ後ノ方ハ喬木ヲヒシケリテ山野ノ如シ」と紹介されていますが、「寺ノ後ノ方ハ喬木ヲヒシケリテ山野ノ如シ」というくだりは驚くべきことに現在でも変わっていません。
公式Web掲載の寺伝および『平林寺史』によると、南北朝時代の永和元年(1375年)、現在の岩槻の地に創建。
開基は大田備州守春桂蘊沢居士、開山には鎌倉建長寺住持、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。
開基の大田備州守は太田道灌(資長)の父、太田資清(道真)ともいわれますが、資清の生年は応永十八年(1411年)とされ、平林寺創建の永和元年(1375年)にはまだ生まれていません。
先代(太田資房)以前の人物の開基だったのかもしれません。
石室善玖禅師は中国に渡り、帰朝後京都万寿寺、天龍寺、鎌倉円覚寺、建長寺と入られ、光格帝から「直指見性禅師」の勅諡号を宣下された高僧です。
天正十八年(1590年)、岩槻は豊臣秀吉の小田原征伐の戦禍を受け、平林寺も多くの伽藍を失い、塔頭の聯芳軒のみが辛うじて焼亡を免れました。
翌年、関東に入部した徳川家康公が鷹狩りで岩槻を訪れた際、聯芳軒で休息した家康公は軒主から平林寺の由緒を聞いて再興を約し、騎西郡内に五十石の朱印地を寄進。
天正二十年(1592年)には駿河臨済寺にて面識のあった臨済禅の名僧、鉄山宗鈍禅師を住持として招聘し中興が果たされました。
公式Webによると「平林寺は建長寺派、大徳寺派の系譜を経て、妙心寺派としての新たな歴史を刻んでいきます。」とのこと。
(現在も臨済宗妙心寺派の別格本山として、高い寺格を保っています。)
徳川家臣として三河から関東入りした大河内秀綱は、平林寺の大檀那となって山門や仏殿など諸伽藍を再建しました。
大河内氏は摂津源氏源頼政流とされ、三河の吉良氏の家老の家柄でしたが、天正十五年(1587年)大河内秀綱の二男正綱が家康の命で長沢松平家庶流の松平正次の養子となり、子孫は大河内松平家と称します。
正綱の兄久綱の子で正綱の養子となった伊豆守信綱は「知恵伊豆」と呼ばれた逸材で老中に進み、武蔵忍藩三万石から川越藩六万石と加増、家運は隆盛します。
信綱は大河内松平家を興し、平林寺を当家の菩提寺と定めて一族は代々大河内松平家廟所で供養されています。
寛文三年(1663年)、信綱の遺命を受けた子の輝綱により岩槻から野火止に移され、信綱が総奉行を務めて開削した玉川上水から分水された野火止用水は平林寺境内にも引かれました。
歴史に詳しい人なら、転封のある大名が一定の地(平林寺)に定まった菩提寺を持ちつづけられたことに疑問を抱くかも知れません。
実際、信綱の子孫は川越藩を去り、三河国吉田藩(七万石/伊豆守家)と上野国高崎藩(八万二千石/右京太夫家)に移っています。
しかし、高崎の右京太夫家は、野火止周辺の5か村は先祖の墳墓の地であるので所領したいと将軍綱吉公に願い出て、見事に将軍の知行宛行状を得て許可されました
知行宛行状の文面は「武蔵国新座郡の内先祖の廟所これ有り、願いに付いて永く下し置く。」
これにより、野火止周辺5か村は高崎藩の飛び地となり、平林寺の大旦那の立場を固めました。
川越藩は老中格の家柄が入る関東屈指の有力藩、高崎の大河内右京太夫家も老中を出す家柄で、そのなかで平林寺境内地を幕末まで確保できたのは、綱吉公直々のお墨付きと大河内右京太夫家の安定した政治力、そして野火止用水を拓いた信綱への信奉の念があった故かもしれません。
また、三河国吉田藩の大河内伊豆守家も老中を出す高い格式の家柄ですが、こちらも代々平林寺を菩提寺としており、ふたつの老中家が連携してこれだけの広大な廟所を営々と守ってきたとも考えられます。
なお、信綱の直系ではないですが、上総国大多喜藩(二万石/大多喜家)の墓所もこちらにあり、実質的には大名家3家の廟所となっています。
明治三十六年(1903年)、山内に禅宗僧侶の修行道場である平林僧堂が開かれました。
臨済宗妙心寺派の僧堂としては関東初で、以降、関東を代表する僧堂として各地から集まった僧侶が修行に励んでいます。
13万坪を超える広大な山内に広がる平林寺境内林は僧堂の修行環境を守るために大切に保全され、昭和四十三年(1968年)、国の天然記念物に指定されています。
平林寺は一般の拝観も許されています。
現時点の拝観時間は9:00 ~ 16:00(最終受付15:30)、拝観料は大人(中学生以上)500円です。
行事等により拝観不可、または拝観制限になる場合があります。
御朱印は拝観受付で書置のものを授与いただけます。
11月〜翌2月の期間中(混雑期)は、御朱印の授与はありません。
また、「当寺都合により予告なくご用意できない場合」があるそうです。
なお、4月17日の半僧坊大祭には特別御朱印が授与されます。
〔 御朱印 〕
中央に三寶印、寺院印と「南無釈迦牟尼佛」の揮毫。左には「野火止」と寺号の揮毫があります。
めずらしく、相方とで一人1通宛計2通拝受しました。筆致は似ていますが、揮毫なので細部は微妙に異なります。
平林寺に拝観者用Pはなく、周辺の有料駐車場も台数が少ないので、バスを利用した方がベターかと思います。(→バス便の案内)
※近くの新座市役所駐車場はタイムスがコインパーキングとして運営し、比較的安価で利用できますが平日(開庁時)は混雑が予想されます。
【写真 上(左)】 川越街道沿いにある寺号標
【写真 下(右)】 総門対面の「睡足軒の森」も見どころ
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■ 境内案内図(平林寺パンフレットより/現在配布されていない模様)
拝観受付は新座市役所側、総門をくぐった左手にあります。
■ 公式Webの境内案内図
なお、こちらは修行道場なので入山には細心の注意が求められ、各種掲示にある「入山者心得」に従っての拝観となります。
【写真 上(左)】 入山者心得
【写真 下(右)】 通用門(拝観受付)
【写真 上(左)】 総門(正面から)
【写真 下(右)】 総門(斜め前方から)
【写真 上(左)】 総門見上げ
【写真 下(右)】 総門の標板
総門(惣門)は県指定有形文化財(建造物)で、切妻造茅葺、単層の六本柱四脚門、妻部に蕪懸魚と花文様の脇懸魚を置いています。
総門からしてすでに格高の円柱使用です。
主扉(板両扉)は入場時閉門、退出時は開門していましたが、ここはおそらく常時通り抜け不可で、左手の通用門からの入場となります。
正面梁上に山号「金鳳山」の扁額、柱には「臨済宗 平林寺専門道場」の標板、手前には寺号標ではなく「天然記念物 平林寺境内林」の石標。
寺号標は、ここからはるかに離れた川越街道沿いに置かれています。
山号扁額「金鳳山」は、正保五年(1648年)、京都詩仙堂の石川丈山の手によるものとされます。
この南側には銅板葺の立派な半僧坊大権現の山門(半僧門)がありますが、通常は閉門となっています。平成二十九年(2017年)落慶の真新しい門です。
【写真 上(左)】 半僧門
【写真 下(右)】 拝観受付
【写真 上(左)】 総門(外)から山門
【写真 下(右)】 総門(内)から山門
総門から山門(三門)、仏殿、中門、本堂と一直線に並ぶ禅宗様式の伽藍配置で、寛文三年(1663年)の輝綱による移転時に、岩槻から移築されたものもあります。(→参考資料(新座市資料))
【写真 上(左)】 山門(正面から)
【写真 下(右)】 秋の山門
山門(三門)も県指定有形文化財(建造物)で岩槻からの移築。
入母屋造茅葺桁行三間一戸両脇間、梁間二間の堂々たる楼門(重層門)でおそらく八脚門。
一層の両脇間に羅漢像が御座し、上層中央に楼上桟唐戸とその上に「凌霄閣(りょうしょうかく)」の扁額。この扁額も石川丈山揮毫です。
楼内には松平信綱寄進の釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の釈迦三尊、および十六羅漢像が御座すそうです。
上層桟唐戸脇には花頭窓、周囲に高欄を廻し、見上げれば二軒の平行垂木に茅葺きの重厚な佇まい。
さすがに名刹の山門です。
【写真 上(左)】 山門(側面から)
【写真 下(右)】 山門上層
【写真 上(左)】 仏殿(正面から)
【写真 下(右)】 仏殿(斜め前方から)
【写真 上(左)】 仏殿向拝
【写真 下(右)】 仏殿軒裏
仏殿も県指定有形文化財(建造物)でこちらも岩槻からの移築。
桁行六間、梁間五間半の入母屋造茅葺で正面桟唐戸は開かれて、連子越しに殿内を拝せます。
両開きの桟唐戸は上部に格狭間を置き、両脇には花頭窓二連を配します。
扁額は江戸中期の書家三井親和の揮毫によるもの。
殿内には釈迦如来坐像、脇侍には迦葉尊者と阿難尊者が御座します。
新座市資料には岩槻から遷られたこちらの釈迦如来坐像が御本尊とありますが、本堂御座の釈迦牟尼佛が御本尊とする資料もあり、両佛御本尊かもしれません。
近くで拝観ができるのは仏殿までで、ここから本堂までのエリアは立ち入り禁止です。
【写真 上(左)】 中門
【写真 下(右)】 本堂
中門は左手の僧堂門(常時閉門)手前から望むことができます(県指定有形文化財(建造物)、通年閉門)。
総門と同様の切妻造茅葺の単層四脚門で、総門より小振りですが茅葺きの厚みはさほど変わらないので、茅葺屋根がすこぶるボリューミーに感じます。
僧堂門のそばに掲示版があり、修行僧の日常生活時間割が載っていました。
暁鐘、開静(起床) 午前三時
朝課(朝のお勤め) (一時間位)
粥座(朝食、粥) 四時
座禅、参禅(禅問答) 四時半
作務(労働作業) 七時半
提唱(禅書の講義)又は托鉢 この時間は日により
仏餉(仏様に御飯を供えるお勤め) 九時
齋座(昼食、麦飯、一汁一菜) 十一時
作務 午後一時
晩課(夕方のお勤め) 三時
薬石(夕食、麦飯、一汁一菜) 五時
昏鐘(入相の鐘) 日没時
座禅、参禅 六時
解定(消灯) 十時
これは2日ともたないわ・・・(笑)
奥にそびえる本堂は、遠目の木立越しにしか望めません。
入母屋造平入りの堂々たる建物。禅寺の本堂らしい、装飾の少ない端正なつくりのようです。
もともと堂外からの参拝は想定していないらしく、目立った向拝は設けられていません。
堂内には御本尊の釈迦如来坐像をはじめ、達磨大師坐像、大権菩薩倚像などが奉安されているそうです。
なお、現本堂は慶応四年(1864年)の火災で庫裡と共に焼失した旧堂に近い形で、明治期に再建されたものとのこと。(このときの火災でも、総門、山門、仏殿、中門は消失を免れています。)
本堂の扁額「平林禅寺」も石川丈山の揮毫で、正保三年(1646年)に信綱の父久綱が逝去した際、追善供養として信綱の弟・重綱らが洛東・詩仙堂の石川丈山に揮毫を依頼したものとされます。
本堂左棟は開山堂で、開山石室善玖禅師をはじめ歴代住職、松平信綱や大河内松平家一族の位牌が安置されています。
以上がメインの門と仏殿です。
この他にも拝観できる仏殿があります。
【写真 上(左)】 僧坊門
【写真 下(右)】 山内案内図
半僧坊感応殿は、山門の左手に少しく奥まったかたちで鎮座します。
浜松の奥山方広寺、鎌倉の建長寺と合わせて日本の三大半僧坊のひとつで、明治二十七年(1894年)、浜松の奥山方広寺の奥山半僧坊大権現からの分祀とされています。
(建長寺半僧坊からの分祀という資料もあり。)
毎年4月17日の半僧坊大祭では半僧門が終日開門され、門前には露店が並んで賑わいます。
【写真 上(左)】 半僧坊大祭時の半蔵門(開門)
【写真 下(右)】 秋の半僧坊参道
【写真 上(左)】 旧半僧門
【写真 下(右)】 半僧坊手水舎の玉取りの獅子
【写真 上(左)】 半僧坊感応殿
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿の向拝
【写真 上(左)】 半僧坊感応殿の扁額
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿の木鼻獅子
入母屋造平入り唐破風向拝付。唐破風鬼板、拝殿幕、屋根大棟、降棟鬼飾りには羽団扇紋。
向拝柱上には、皿斗つきの三ツ斗で巻斗は繰型仕上げ。中央に殿号「感応殿」の扁額。
向拝の水引虹梁には精緻な浮き彫り。木鼻の見返り唐獅子、中備の龍、兎毛通の鳳凰の彫刻はどれも素晴らしいもので、意匠的には山内でもっとも見どころの多い建物かもしれません。
半蔵門寄りには移築された旧半僧門が残っていますが、近くには寄れません。
【写真 上(左)】 大祭時の感応殿
【写真 下(右)】 紅葉の感応殿
【写真 上(左)】 放生池
【写真 下(右)】 弁天堂
半僧坊の裏手に放生池。中島には弁天堂が置かれています。
このあたりはすでにうっそうと茂る林のなかです。
【写真 上(左)】 経堂
【写真 下(右)】 戴渓堂
山門に戻り、仏殿に向かう参道左手に経堂、右手に戴渓堂(たいけいどう)。
経堂は二間四方、外縁を廻らせた宝形造。
寛文十二年(1672年)、松平久綱室の宗学院による寄進で、野火止移転後の建築物では古いものとされます。
戴渓堂は、日本に書法・篆刻を伝えた独立性易禅師を祀るお堂です。
宝形造茅葺の端正な堂宇で、禅師の念持佛であった聖観世音菩薩と独立性易禅師の像が安置されています。
なお、客殿の奥、隠寮エリアにある平林寺庭園は県の史蹟(名勝)に指定される池泉回遊式庭園ですが、拝観不可となっています。
【写真 上(左)】 片割れ地蔵
【写真 下(右)】 平和観音
拝観コースは、ここから本堂を左手に回り込むかたちで奥に進みます。
地蔵尊、平和観音を過ぎると、墓所エリアに入ります。
この地蔵尊は「片割れ地蔵」と呼ばれ、もとは1対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったといわれています。
その先左手の墓所には増田長盛の墓、武田信玄次女(見性院)の供養塔があります。
【写真 上(左)】 山内の紅葉
【写真 下(右)】 増田長盛の墓
増田長盛はいわゆる「豊臣五奉行」のひとりで、文禄四年(1595年)には大和郡山城主として二十万石を領しましたが、関ヶ原の戦いで微妙な行動をとったことを咎められ領地は没収、高野山に入り僧籍に身を置きました。
家康公はもと「豊臣五奉行」の増田長盛が上方にいることを厭い、岩槻城主・高力清長預かりとなりました。
元和元年(1615年)、尾張藩主・徳川義直に仕えていた息子の増田盛次が大坂夏の陣で尾張家を出奔、豊臣氏に与したことを受け同年5月27日自害しています。
長盛の墓所は当初岩槻の平林寺にありましたが、寺の移転に伴い現地に移されています。
見性院は武田信玄の次女で重臣・穴山梅雪(信君)の正室ですが、この見性院供養塔の由来ははっきりわかっていないようです。
ただ、新座市資料では『大河内三家廟所控』および関連過去帳・系譜類のなかに「詳庵寿参禅定尼、文禄四年(1592年)八月十四日休心殿之祖母甲斐信玄より保科家之付、平林寺檀那初」「雪峯院詳庵寿参禅定尼、文禄四年八月十四日 大河内金兵衛秀綱母、平林寺檀那初」とあることを示しています。
天正十年(1582年)織田・徳川連合軍による甲州征伐の際、梅雪は織田・徳川方に通じ、その功績から武田宗家の継承を認められたとされます。
この時点で梅雪の正妻・見性院は武田宗家の正室の地位を得たことになります。
見性院は信玄の正室・三条夫人の娘であり、その資格は充分備えていたとみられます。
同年6月の本能寺の変ののち梅雪は宇治田原で横死し、穴山流の武田宗家は子の勝千代が嗣ぎました。
しかし勝千代も天正十五年(1587年)に早世したため、穴山流武田宗家は断絶しました。
家康公は名家・甲斐武田家の断絶を惜しみ、側室に入っていた於都摩の方(下山殿、武田家臣・秋山虎康の娘で穴山梅雪の養女)を生母とする五男・万千代(信吉)に武田の名跡を継がせました。
このときの万千代の後見人が見性院とも伝わり、天正十九年(1591年)万千代の生母・於都摩の方の逝去ののちには、見性院が養母となったともみられています。
武田信吉は下総小金城3万石~下総佐倉城10万石と加増を受け、慶長七年(1602年)には秋田に転封された佐竹氏に替わって常陸に入り、水戸25万石の大大名となりました。
このとき、旧武田家の遺臣も多く召し抱えたといいます。
名家・武田氏は水戸で大名家として存続するやにみえましたが、慶長八年(1603年)9月、信吉はわずか21歳で跡継ぎを残さず病没し、ここに水戸武田家は断絶しました。
この後水戸には家康公の末男・頼房が入り御三家のひとつ水戸徳川家を興しました。
【写真 上(左)】 見性院供養塔
【写真 下(右)】 野火止用水を渡る橋
見性院は水戸武田家断絶ののちも家康公に保護されて江戸城北の丸に居住し、2代将軍徳川秀忠が侍女のお静に生ませた子(幸松丸、後の保科正之)を養育したといいます。
元和八年(1622年)、見性院は江戸城内にて逝去し、墓所は知行地であったさいたま市緑区の清泰寺にあります。
幸松丸が養子に入った保科正光はもともと武田家臣で、武田氏滅亡後も信州・高遠城を預かり高遠藩2万5千石を立藩。
こうした武田氏とのゆかりもあって、幸松丸の養育に見性院が当たったのかもしれません。
中興開山の鉄山宗鈍禅師は甲斐武田氏の家臣・窪田氏の出とされ、武田信玄の菩提寺・恵林寺で得度されています。
窪田氏は武田家滅亡後も活動が目立ち、「八王子千人同心の祖形」(開沼正氏)にも窪田氏の名が複数みられます。
「大河内金兵衛秀綱母」の記述が気になったので調べてみました。
大河内秀綱(1546-1618年)は大河内松平宗家初代・松平正綱の父で、平林寺の大旦那です。
母は小見氏。小見氏は麻績氏とも記され、諏訪頼重の側室で武田勝頼の祖母にあたる女性は小笠原氏(甲斐源氏)の家臣・小見(麻績)氏の娘とされていることから、武田氏とも相応のゆかりがあったのでは。
いろいろと取り散らかしましたが、
1.平林寺檀那初の「雪峯院詳庵寿参禅定尼」は武田氏・保科氏ゆかりの女性とみられること。
2.中興開山の鉄山宗鈍禅師は武田氏家臣筋の家柄で、恵林寺(信玄公菩提寺)で得度されていること。
3.平林寺の檀那・大河内秀綱は武田氏ゆかりとみられる小見氏を母にもつこと。
以上から、武田氏再興・存続の中心的な役割を果たした見性院の供養塔が平林寺の境内に置かれているのではないでしょうか。
なお、先日入手できた『平林寺史』(542頁~)には、下記のとおり記述がありました。
・穴山梅雪は、武田家臣の窪田氏より出る鉄山和尚を駿河臨済寺に訪ねて親交を深めた。
・養女が家康の閨閥に奉仕するにあたって、養母見性院も介添をもって将軍家閨庭に出入したのであろう。
・妾腹の男児は高遠の保科正光の世継ぎとなり、名も正之と改めて保科家の人となって成人した。
・鉄山和尚・穴山梅雪・保科正光等の旧武田家家臣団の旧知旧縁は、家康天下の世界となっても、正之という寵児を抱えて強靱な結びつきを示し(た。)
・大河内の祖信政の室となった詳庵寿参尼もまた甲斐武田の家に出て、保科に仕えた経歴がある。
・武田・保科・大河内と移った信政室の寿参尼、武田・大奥・保科と転じた見性院、この間に将軍秀忠の子正之を擁して保科に参公した。
・(将軍)秀忠への阿りを幕閣に参与した経験のある(大河内)正綱が感じないわけは無い。
・鉄山和尚所縁の寺、平林寺に見性院の供養塔を建てたのは、大河内松平の正綱ではなかったか。
【写真 上(左)】 大河内松平家廟所
【写真 下(右)】 林床のヒガンバナ
野火止用水を橋で渡ると大河内松平家の廟所で、松平伊豆守信綱公の墓もこちらにあります。
玉垣の内に大ぶりな墓石が整然と並ぶさまは圧巻で、3,000坪の墓域に170基余りの墓石が配されているそうです。
- 知恵伊豆の墓に俳句が詣りけり - 高浜虚子
ここからは平林寺境内林。武蔵野の雑木林が広がります。
左手奥の「もみじ山」は紅葉の名所のようですが、現在周辺の公道拡幅工事のため散策路は閉鎖されています。
【写真 上(左)】 平林寺境内林
【写真 下(右)】 もみじ山
【写真 上(左)】 山内の紅葉
【写真 下(右)】 山内の紅葉
もみじ山手前で道は北に方向を変え、しばらく行くと右手に野火の見張台であったとされる「野火止塚」、さらに進むと左手の林のなかに「業平塚」があります。
「業平塚」も野火の見張台であったとされますが、在原業平が東くだりの折、ここで駒を止めて休んだという言い伝えがあります。
世紀のプレイボーイ、在原業平にちなんでか、このふたつの塚には美女にまつわるジンクスがあるようです。くわしくは→こちらを
なお、「業平塚」については武蔵野の美貌の姫君・皐月の前(さつきのまえ)との恋物語が伝わります。
■ 志木開運・招福七社参り-1の2.舘氷川神社で取り上げていますが、こちらにも再掲します。
志木市のWeb資料によると、この地の郡司・藤原長勝は「柏の城」のそばの大蛇ヶ淵を埋めて水田にしようとしたところ、淵の主の大蛇の怒りに触れて工事は滞りました。
そこで長勝は日頃から尊崇篤い家宝の弘法大師お筆の不動明王に祈願したところ、夢枕で二本の矢を伝授され、長勝はこのうちの一本で大蛇を射たものの一本は射損じて窮地に陥りました。するとどこからともなく白衣の若者があらわれて、格闘の末に大蛇の首をはねました。
長勝の手柄で広大な水田を得たので人々は長勝を田面(たのもの)長者と尊称しました。
長勝には皐月の前(さつきのまえ)というすぐれて美貌の息女がおりました。
在原業平が東下りの折に当地に逗留し、皐月の前と恋におち、ある晩二人して「柏の城」から出奔しました。
長勝は家来に捜索を命じましたが、草深い武蔵野のこととて容易にみつからず、長勝は窮余の策として野に火を放ちました。
猛火は二人の身に迫りましたが、皐月の前が「むさしのは今日はなやきそ若草の つまもこもれり我もこもれり」という一首を詠み出すと、たちまちに火勢は収まり二人は「柏の城」に連れ戻されたとのことです。(志木市Web史料より)
このとき二人がかくれた場所が平林寺境内の「業平塚」とされ、「野火止」の地名もこの逸話にちなむものとされています。
伊勢物語にもこのくだりが記されています。(出所は →こちら(『伊勢物語』と業平伝説/近藤さやか氏 2016年))
<東下り・東国章段 第十二段>
「むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、『この野はぬすびとあなり』とて、火をつけむとす。女、わびて、~ 武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり ~ とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」
【写真 上(左)】 野火止塚
【写真 下(右)】 業平塚
「業平塚」で折り返す人が多いようですが、さらに奥に進んでみました。
このあたりはもっとも林が深いところで、すでに深山の雰囲気があります。
【写真 上(左)】 野火止塚の奥に進みます
【写真 下(右)】 キノコがはえていました
【写真 上(左)】 散策路最奥
【写真 下(右)】 埼玉の平野部とは思えません
平坦だった散策路に起伏がでてきて、ひとしきり降ったところに歴代塔所の参道入口。
林床はクマザザに覆われ、あたりは静寂につつまれて、とても東京にほど近い埼玉の平野部とは思えません。
二次林とされますが、そうとは思えない深い森の趣きがあります。
(筆者註:このエリアは2022年11月から倒木の危険があるため立入禁止となっています。)
【写真 上(左)】 歴代塔所への参道
【写真 下(右)】 高原の散策路のようです
一旦、「野火止塚」の手前まで戻り、左手の道を行くとすぐに大河内松平家の廟所に出るので帰路はこのルートが近道かと。
伽藍のたたずまいや荘厳な廟所もさることながら、この境内林にはおどろきました。
さすがに天然記念物に指定されているだけのことはあります。
【写真 上(左)】 山内の紅葉
【写真 下(右)】 山内の紅葉
国木田独歩の『武蔵野』には
「楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が私語く。凩が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲へば、幾千萬の木の葉高く大空に舞ふて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち尽せば、幾十里の方域に亘る林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高く此上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気が一段澄みわたる。」
とありますが、この一節に描き出された武蔵野の風景が、平林寺ではいまも味わうことができます。
【 BGM 】
■ Endless Night - Jack Jezzro
■ "Joy Dancing" - Michael Colina
■ The Time Is Now - Michael Omartian
■ 平林寺の半僧坊大祭(2015年の様子)
大祭当日は拝観料はかかりませんが、仏殿から奥のエリアは立ち入り禁止となります。
また、普段は閉門の半僧門が開門され、総門には幔幕がめぐらされて中央が通行可能となります。
開場は10時、半僧坊感応殿では14時から大般若祈祷が催行されるので、周辺は13時45分以降立ち入り禁止となります。
御朱印は、半僧坊感応殿よこで書置の特別御朱印が授与されていました。
筆者は昼頃に退去したので詳細不明ですが、御朱印授与は13時30分頃までだった可能性があります。
少なくとも2017年までは、半僧坊大祭の特別御朱印の揮毫は「半僧坊大権現」だった模様ですが、今回は「南無釈迦牟尼佛」で通常と同様です。
(「半僧坊大権現」の御朱印についてお伺いしましたが、今回は「南無釈迦牟尼佛」のみとのこと。)
ただし、通常御朱印の三寶印ではなく、半僧坊大権現の御紋である「羽団扇紋」の印判が捺されています。
新緑の盛り、平日ながら平林寺周辺は賑わいをみせていました。
■ 半僧坊大祭の特別御朱印
今回も相方と1人1通宛計2通拝受しました。揮毫なので微妙に筆致が異なります。
【写真 上(左)】 前面道路(平林寺大門通り)にならぶ屋台
【写真 下(右)】 開門される半僧門
【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿-1
【写真 上(左)】 半僧坊感応殿-2
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿-3
【写真 上(左)】 開門される総門
【写真 下(右)】 総門の幔幕
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 仏殿
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2021/10/31 UP
本年の平林寺の御朱印授与については、3/1から開始されておりますが、こちらに「例年11月〜翌2月の期間中は、御朱印のご用意はありません。」と記載のとおり、本日10/31をもって年内の御朱印授与は休止となる可能性があります。(本日の授与についても参拝してみないとわかりませんが・・・。TEL問い不可です。)
紅葉にはまだ早く、天気もいまいちの感じですが、お近くの方は投票の後にでも出向かれてみてはいかがでしょうか。
(なお、今春4/17に予定されていた半僧坊大祭は新型コロナ禍により中止となり、「半僧坊大権現」の特別御朱印も授与されておりません。)
↑ 写真は昨年12/10前後の紅葉です。
おとなりの朝霞市には、美女神社を含む朝霞五社巡りがあって、こちらもおすすめです。
また、おとなりの志木市にも、市内七社の神社をお参りする志木開運・招福七社参りがありますが、こちらは御朱印拝受難易度が高いと思われます。
あわせまして、同じくおとなりの所沢市でいただける御朱印もご案内申し上げます。→ こちら(埼玉県所沢市の札所と御朱印)
メジャー霊場や令和2年正月に開設された所沢七福神(御朱印通年授与)があり、授与神社も多く、御朱印をいただきやすいエリアです。
いまやカップルの聖地?と化した川越にもほど近いので、車であればAMは平林寺で紅葉狩り、PMは川越で御朱印&グルメ三昧という、欲張りなデートを組むこともできます。
→ ■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-1(中心エリア)
→ ■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-2(周辺エリア)
新座市に近い富士見市でも御朱印を授与される寺社がいくつかありますが、拝受難易度は比較的高くなっています。
→ ■ 埼玉県富士見市・ふじみの市・三芳町の御朱印
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2020/10/10 UP
金鳳山 平林寺
埼玉県新座市野火止3-1-1
臨済宗妙心寺派 御本尊:釈迦如来
公式Web
武蔵野の名刹、平林寺。
いまも禅宗の修行道場として機能し、深い雑木林を抱えるこの寺院は一般の拝観も許されています。
御朱印についてはながらく授与を中止していたようですが、現在、条件つきながら授与を再開されています。
先日、参拝し御朱印を拝受してきましたので、ご紹介します。
武蔵国屈指の名刹だけあって『新編武蔵風土記稿』にも当然掲載されています。
「境内六萬坪余 金鳳山ト号シ臨済宗ニテ京師妙心寺ノ末ナリ 寺領五十石ヲ賜ヘリ 境内ノメクリ多摩川分水ヲ引テ限レリトイヘリ 寺ノ後ノ方ハ喬木ヲヒシケリテ山野ノ如シ」と紹介されていますが、「寺ノ後ノ方ハ喬木ヲヒシケリテ山野ノ如シ」というくだりは驚くべきことに現在でも変わっていません。
公式Web掲載の寺伝および『平林寺史』によると、南北朝時代の永和元年(1375年)、現在の岩槻の地に創建。
開基は大田備州守春桂蘊沢居士、開山には鎌倉建長寺住持、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。
開基の大田備州守は太田道灌(資長)の父、太田資清(道真)ともいわれますが、資清の生年は応永十八年(1411年)とされ、平林寺創建の永和元年(1375年)にはまだ生まれていません。
先代(太田資房)以前の人物の開基だったのかもしれません。
石室善玖禅師は中国に渡り、帰朝後京都万寿寺、天龍寺、鎌倉円覚寺、建長寺と入られ、光格帝から「直指見性禅師」の勅諡号を宣下された高僧です。
天正十八年(1590年)、岩槻は豊臣秀吉の小田原征伐の戦禍を受け、平林寺も多くの伽藍を失い、塔頭の聯芳軒のみが辛うじて焼亡を免れました。
翌年、関東に入部した徳川家康公が鷹狩りで岩槻を訪れた際、聯芳軒で休息した家康公は軒主から平林寺の由緒を聞いて再興を約し、騎西郡内に五十石の朱印地を寄進。
天正二十年(1592年)には駿河臨済寺にて面識のあった臨済禅の名僧、鉄山宗鈍禅師を住持として招聘し中興が果たされました。
公式Webによると「平林寺は建長寺派、大徳寺派の系譜を経て、妙心寺派としての新たな歴史を刻んでいきます。」とのこと。
(現在も臨済宗妙心寺派の別格本山として、高い寺格を保っています。)
徳川家臣として三河から関東入りした大河内秀綱は、平林寺の大檀那となって山門や仏殿など諸伽藍を再建しました。
大河内氏は摂津源氏源頼政流とされ、三河の吉良氏の家老の家柄でしたが、天正十五年(1587年)大河内秀綱の二男正綱が家康の命で長沢松平家庶流の松平正次の養子となり、子孫は大河内松平家と称します。
正綱の兄久綱の子で正綱の養子となった伊豆守信綱は「知恵伊豆」と呼ばれた逸材で老中に進み、武蔵忍藩三万石から川越藩六万石と加増、家運は隆盛します。
信綱は大河内松平家を興し、平林寺を当家の菩提寺と定めて一族は代々大河内松平家廟所で供養されています。
寛文三年(1663年)、信綱の遺命を受けた子の輝綱により岩槻から野火止に移され、信綱が総奉行を務めて開削した玉川上水から分水された野火止用水は平林寺境内にも引かれました。
歴史に詳しい人なら、転封のある大名が一定の地(平林寺)に定まった菩提寺を持ちつづけられたことに疑問を抱くかも知れません。
実際、信綱の子孫は川越藩を去り、三河国吉田藩(七万石/伊豆守家)と上野国高崎藩(八万二千石/右京太夫家)に移っています。
しかし、高崎の右京太夫家は、野火止周辺の5か村は先祖の墳墓の地であるので所領したいと将軍綱吉公に願い出て、見事に将軍の知行宛行状を得て許可されました
知行宛行状の文面は「武蔵国新座郡の内先祖の廟所これ有り、願いに付いて永く下し置く。」
これにより、野火止周辺5か村は高崎藩の飛び地となり、平林寺の大旦那の立場を固めました。
川越藩は老中格の家柄が入る関東屈指の有力藩、高崎の大河内右京太夫家も老中を出す家柄で、そのなかで平林寺境内地を幕末まで確保できたのは、綱吉公直々のお墨付きと大河内右京太夫家の安定した政治力、そして野火止用水を拓いた信綱への信奉の念があった故かもしれません。
また、三河国吉田藩の大河内伊豆守家も老中を出す高い格式の家柄ですが、こちらも代々平林寺を菩提寺としており、ふたつの老中家が連携してこれだけの広大な廟所を営々と守ってきたとも考えられます。
なお、信綱の直系ではないですが、上総国大多喜藩(二万石/大多喜家)の墓所もこちらにあり、実質的には大名家3家の廟所となっています。
明治三十六年(1903年)、山内に禅宗僧侶の修行道場である平林僧堂が開かれました。
臨済宗妙心寺派の僧堂としては関東初で、以降、関東を代表する僧堂として各地から集まった僧侶が修行に励んでいます。
13万坪を超える広大な山内に広がる平林寺境内林は僧堂の修行環境を守るために大切に保全され、昭和四十三年(1968年)、国の天然記念物に指定されています。
平林寺は一般の拝観も許されています。
現時点の拝観時間は9:00 ~ 16:00(最終受付15:30)、拝観料は大人(中学生以上)500円です。
行事等により拝観不可、または拝観制限になる場合があります。
御朱印は拝観受付で書置のものを授与いただけます。
11月〜翌2月の期間中(混雑期)は、御朱印の授与はありません。
また、「当寺都合により予告なくご用意できない場合」があるそうです。
なお、4月17日の半僧坊大祭には特別御朱印が授与されます。
〔 御朱印 〕
中央に三寶印、寺院印と「南無釈迦牟尼佛」の揮毫。左には「野火止」と寺号の揮毫があります。
めずらしく、相方とで一人1通宛計2通拝受しました。筆致は似ていますが、揮毫なので細部は微妙に異なります。
平林寺に拝観者用Pはなく、周辺の有料駐車場も台数が少ないので、バスを利用した方がベターかと思います。(→バス便の案内)
※近くの新座市役所駐車場はタイムスがコインパーキングとして運営し、比較的安価で利用できますが平日(開庁時)は混雑が予想されます。
【写真 上(左)】 川越街道沿いにある寺号標
【写真 下(右)】 総門対面の「睡足軒の森」も見どころ
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■ 境内案内図(平林寺パンフレットより/現在配布されていない模様)
拝観受付は新座市役所側、総門をくぐった左手にあります。
■ 公式Webの境内案内図
なお、こちらは修行道場なので入山には細心の注意が求められ、各種掲示にある「入山者心得」に従っての拝観となります。
【写真 上(左)】 入山者心得
【写真 下(右)】 通用門(拝観受付)
【写真 上(左)】 総門(正面から)
【写真 下(右)】 総門(斜め前方から)
【写真 上(左)】 総門見上げ
【写真 下(右)】 総門の標板
総門(惣門)は県指定有形文化財(建造物)で、切妻造茅葺、単層の六本柱四脚門、妻部に蕪懸魚と花文様の脇懸魚を置いています。
総門からしてすでに格高の円柱使用です。
主扉(板両扉)は入場時閉門、退出時は開門していましたが、ここはおそらく常時通り抜け不可で、左手の通用門からの入場となります。
正面梁上に山号「金鳳山」の扁額、柱には「臨済宗 平林寺専門道場」の標板、手前には寺号標ではなく「天然記念物 平林寺境内林」の石標。
寺号標は、ここからはるかに離れた川越街道沿いに置かれています。
山号扁額「金鳳山」は、正保五年(1648年)、京都詩仙堂の石川丈山の手によるものとされます。
この南側には銅板葺の立派な半僧坊大権現の山門(半僧門)がありますが、通常は閉門となっています。平成二十九年(2017年)落慶の真新しい門です。
【写真 上(左)】 半僧門
【写真 下(右)】 拝観受付
【写真 上(左)】 総門(外)から山門
【写真 下(右)】 総門(内)から山門
総門から山門(三門)、仏殿、中門、本堂と一直線に並ぶ禅宗様式の伽藍配置で、寛文三年(1663年)の輝綱による移転時に、岩槻から移築されたものもあります。(→参考資料(新座市資料))
【写真 上(左)】 山門(正面から)
【写真 下(右)】 秋の山門
山門(三門)も県指定有形文化財(建造物)で岩槻からの移築。
入母屋造茅葺桁行三間一戸両脇間、梁間二間の堂々たる楼門(重層門)でおそらく八脚門。
一層の両脇間に羅漢像が御座し、上層中央に楼上桟唐戸とその上に「凌霄閣(りょうしょうかく)」の扁額。この扁額も石川丈山揮毫です。
楼内には松平信綱寄進の釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の釈迦三尊、および十六羅漢像が御座すそうです。
上層桟唐戸脇には花頭窓、周囲に高欄を廻し、見上げれば二軒の平行垂木に茅葺きの重厚な佇まい。
さすがに名刹の山門です。
【写真 上(左)】 山門(側面から)
【写真 下(右)】 山門上層
【写真 上(左)】 仏殿(正面から)
【写真 下(右)】 仏殿(斜め前方から)
【写真 上(左)】 仏殿向拝
【写真 下(右)】 仏殿軒裏
仏殿も県指定有形文化財(建造物)でこちらも岩槻からの移築。
桁行六間、梁間五間半の入母屋造茅葺で正面桟唐戸は開かれて、連子越しに殿内を拝せます。
両開きの桟唐戸は上部に格狭間を置き、両脇には花頭窓二連を配します。
扁額は江戸中期の書家三井親和の揮毫によるもの。
殿内には釈迦如来坐像、脇侍には迦葉尊者と阿難尊者が御座します。
新座市資料には岩槻から遷られたこちらの釈迦如来坐像が御本尊とありますが、本堂御座の釈迦牟尼佛が御本尊とする資料もあり、両佛御本尊かもしれません。
近くで拝観ができるのは仏殿までで、ここから本堂までのエリアは立ち入り禁止です。
【写真 上(左)】 中門
【写真 下(右)】 本堂
中門は左手の僧堂門(常時閉門)手前から望むことができます(県指定有形文化財(建造物)、通年閉門)。
総門と同様の切妻造茅葺の単層四脚門で、総門より小振りですが茅葺きの厚みはさほど変わらないので、茅葺屋根がすこぶるボリューミーに感じます。
僧堂門のそばに掲示版があり、修行僧の日常生活時間割が載っていました。
暁鐘、開静(起床) 午前三時
朝課(朝のお勤め) (一時間位)
粥座(朝食、粥) 四時
座禅、参禅(禅問答) 四時半
作務(労働作業) 七時半
提唱(禅書の講義)又は托鉢 この時間は日により
仏餉(仏様に御飯を供えるお勤め) 九時
齋座(昼食、麦飯、一汁一菜) 十一時
作務 午後一時
晩課(夕方のお勤め) 三時
薬石(夕食、麦飯、一汁一菜) 五時
昏鐘(入相の鐘) 日没時
座禅、参禅 六時
解定(消灯) 十時
これは2日ともたないわ・・・(笑)
奥にそびえる本堂は、遠目の木立越しにしか望めません。
入母屋造平入りの堂々たる建物。禅寺の本堂らしい、装飾の少ない端正なつくりのようです。
もともと堂外からの参拝は想定していないらしく、目立った向拝は設けられていません。
堂内には御本尊の釈迦如来坐像をはじめ、達磨大師坐像、大権菩薩倚像などが奉安されているそうです。
なお、現本堂は慶応四年(1864年)の火災で庫裡と共に焼失した旧堂に近い形で、明治期に再建されたものとのこと。(このときの火災でも、総門、山門、仏殿、中門は消失を免れています。)
本堂の扁額「平林禅寺」も石川丈山の揮毫で、正保三年(1646年)に信綱の父久綱が逝去した際、追善供養として信綱の弟・重綱らが洛東・詩仙堂の石川丈山に揮毫を依頼したものとされます。
本堂左棟は開山堂で、開山石室善玖禅師をはじめ歴代住職、松平信綱や大河内松平家一族の位牌が安置されています。
以上がメインの門と仏殿です。
この他にも拝観できる仏殿があります。
【写真 上(左)】 僧坊門
【写真 下(右)】 山内案内図
半僧坊感応殿は、山門の左手に少しく奥まったかたちで鎮座します。
浜松の奥山方広寺、鎌倉の建長寺と合わせて日本の三大半僧坊のひとつで、明治二十七年(1894年)、浜松の奥山方広寺の奥山半僧坊大権現からの分祀とされています。
(建長寺半僧坊からの分祀という資料もあり。)
毎年4月17日の半僧坊大祭では半僧門が終日開門され、門前には露店が並んで賑わいます。
【写真 上(左)】 半僧坊大祭時の半蔵門(開門)
【写真 下(右)】 秋の半僧坊参道
【写真 上(左)】 旧半僧門
【写真 下(右)】 半僧坊手水舎の玉取りの獅子
【写真 上(左)】 半僧坊感応殿
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿の向拝
【写真 上(左)】 半僧坊感応殿の扁額
【写真 下(右)】 半僧坊感応殿の木鼻獅子
入母屋造平入り唐破風向拝付。唐破風鬼板、拝殿幕、屋根大棟、降棟鬼飾りには羽団扇紋。
向拝柱上には、皿斗つきの三ツ斗で巻斗は繰型仕上げ。中央に殿号「感応殿」の扁額。
向拝の水引虹梁には精緻な浮き彫り。木鼻の見返り唐獅子、中備の龍、兎毛通の鳳凰の彫刻はどれも素晴らしいもので、意匠的には山内でもっとも見どころの多い建物かもしれません。
半蔵門寄りには移築された旧半僧門が残っていますが、近くには寄れません。
【写真 上(左)】 大祭時の感応殿
【写真 下(右)】 紅葉の感応殿
【写真 上(左)】 放生池
【写真 下(右)】 弁天堂
半僧坊の裏手に放生池。中島には弁天堂が置かれています。
このあたりはすでにうっそうと茂る林のなかです。
【写真 上(左)】 経堂
【写真 下(右)】 戴渓堂
山門に戻り、仏殿に向かう参道左手に経堂、右手に戴渓堂(たいけいどう)。
経堂は二間四方、外縁を廻らせた宝形造。
寛文十二年(1672年)、松平久綱室の宗学院による寄進で、野火止移転後の建築物では古いものとされます。
戴渓堂は、日本に書法・篆刻を伝えた独立性易禅師を祀るお堂です。
宝形造茅葺の端正な堂宇で、禅師の念持佛であった聖観世音菩薩と独立性易禅師の像が安置されています。
なお、客殿の奥、隠寮エリアにある平林寺庭園は県の史蹟(名勝)に指定される池泉回遊式庭園ですが、拝観不可となっています。
【写真 上(左)】 片割れ地蔵
【写真 下(右)】 平和観音
拝観コースは、ここから本堂を左手に回り込むかたちで奥に進みます。
地蔵尊、平和観音を過ぎると、墓所エリアに入ります。
この地蔵尊は「片割れ地蔵」と呼ばれ、もとは1対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったといわれています。
その先左手の墓所には増田長盛の墓、武田信玄次女(見性院)の供養塔があります。
【写真 上(左)】 山内の紅葉
【写真 下(右)】 増田長盛の墓
増田長盛はいわゆる「豊臣五奉行」のひとりで、文禄四年(1595年)には大和郡山城主として二十万石を領しましたが、関ヶ原の戦いで微妙な行動をとったことを咎められ領地は没収、高野山に入り僧籍に身を置きました。
家康公はもと「豊臣五奉行」の増田長盛が上方にいることを厭い、岩槻城主・高力清長預かりとなりました。
元和元年(1615年)、尾張藩主・徳川義直に仕えていた息子の増田盛次が大坂夏の陣で尾張家を出奔、豊臣氏に与したことを受け同年5月27日自害しています。
長盛の墓所は当初岩槻の平林寺にありましたが、寺の移転に伴い現地に移されています。
見性院は武田信玄の次女で重臣・穴山梅雪(信君)の正室ですが、この見性院供養塔の由来ははっきりわかっていないようです。
ただ、新座市資料では『大河内三家廟所控』および関連過去帳・系譜類のなかに「詳庵寿参禅定尼、文禄四年(1592年)八月十四日休心殿之祖母甲斐信玄より保科家之付、平林寺檀那初」「雪峯院詳庵寿参禅定尼、文禄四年八月十四日 大河内金兵衛秀綱母、平林寺檀那初」とあることを示しています。
天正十年(1582年)織田・徳川連合軍による甲州征伐の際、梅雪は織田・徳川方に通じ、その功績から武田宗家の継承を認められたとされます。
この時点で梅雪の正妻・見性院は武田宗家の正室の地位を得たことになります。
見性院は信玄の正室・三条夫人の娘であり、その資格は充分備えていたとみられます。
同年6月の本能寺の変ののち梅雪は宇治田原で横死し、穴山流の武田宗家は子の勝千代が嗣ぎました。
しかし勝千代も天正十五年(1587年)に早世したため、穴山流武田宗家は断絶しました。
家康公は名家・甲斐武田家の断絶を惜しみ、側室に入っていた於都摩の方(下山殿、武田家臣・秋山虎康の娘で穴山梅雪の養女)を生母とする五男・万千代(信吉)に武田の名跡を継がせました。
このときの万千代の後見人が見性院とも伝わり、天正十九年(1591年)万千代の生母・於都摩の方の逝去ののちには、見性院が養母となったともみられています。
武田信吉は下総小金城3万石~下総佐倉城10万石と加増を受け、慶長七年(1602年)には秋田に転封された佐竹氏に替わって常陸に入り、水戸25万石の大大名となりました。
このとき、旧武田家の遺臣も多く召し抱えたといいます。
名家・武田氏は水戸で大名家として存続するやにみえましたが、慶長八年(1603年)9月、信吉はわずか21歳で跡継ぎを残さず病没し、ここに水戸武田家は断絶しました。
この後水戸には家康公の末男・頼房が入り御三家のひとつ水戸徳川家を興しました。
【写真 上(左)】 見性院供養塔
【写真 下(右)】 野火止用水を渡る橋
見性院は水戸武田家断絶ののちも家康公に保護されて江戸城北の丸に居住し、2代将軍徳川秀忠が侍女のお静に生ませた子(幸松丸、後の保科正之)を養育したといいます。
元和八年(1622年)、見性院は江戸城内にて逝去し、墓所は知行地であったさいたま市緑区の清泰寺にあります。
幸松丸が養子に入った保科正光はもともと武田家臣で、武田氏滅亡後も信州・高遠城を預かり高遠藩2万5千石を立藩。
こうした武田氏とのゆかりもあって、幸松丸の養育に見性院が当たったのかもしれません。
中興開山の鉄山宗鈍禅師は甲斐武田氏の家臣・窪田氏の出とされ、武田信玄の菩提寺・恵林寺で得度されています。
窪田氏は武田家滅亡後も活動が目立ち、「八王子千人同心の祖形」(開沼正氏)にも窪田氏の名が複数みられます。
「大河内金兵衛秀綱母」の記述が気になったので調べてみました。
大河内秀綱(1546-1618年)は大河内松平宗家初代・松平正綱の父で、平林寺の大旦那です。
母は小見氏。小見氏は麻績氏とも記され、諏訪頼重の側室で武田勝頼の祖母にあたる女性は小笠原氏(甲斐源氏)の家臣・小見(麻績)氏の娘とされていることから、武田氏とも相応のゆかりがあったのでは。
いろいろと取り散らかしましたが、
1.平林寺檀那初の「雪峯院詳庵寿参禅定尼」は武田氏・保科氏ゆかりの女性とみられること。
2.中興開山の鉄山宗鈍禅師は武田氏家臣筋の家柄で、恵林寺(信玄公菩提寺)で得度されていること。
3.平林寺の檀那・大河内秀綱は武田氏ゆかりとみられる小見氏を母にもつこと。
以上から、武田氏再興・存続の中心的な役割を果たした見性院の供養塔が平林寺の境内に置かれているのではないでしょうか。
なお、先日入手できた『平林寺史』(542頁~)には、下記のとおり記述がありました。
・穴山梅雪は、武田家臣の窪田氏より出る鉄山和尚を駿河臨済寺に訪ねて親交を深めた。
・養女が家康の閨閥に奉仕するにあたって、養母見性院も介添をもって将軍家閨庭に出入したのであろう。
・妾腹の男児は高遠の保科正光の世継ぎとなり、名も正之と改めて保科家の人となって成人した。
・鉄山和尚・穴山梅雪・保科正光等の旧武田家家臣団の旧知旧縁は、家康天下の世界となっても、正之という寵児を抱えて強靱な結びつきを示し(た。)
・大河内の祖信政の室となった詳庵寿参尼もまた甲斐武田の家に出て、保科に仕えた経歴がある。
・武田・保科・大河内と移った信政室の寿参尼、武田・大奥・保科と転じた見性院、この間に将軍秀忠の子正之を擁して保科に参公した。
・(将軍)秀忠への阿りを幕閣に参与した経験のある(大河内)正綱が感じないわけは無い。
・鉄山和尚所縁の寺、平林寺に見性院の供養塔を建てたのは、大河内松平の正綱ではなかったか。
【写真 上(左)】 大河内松平家廟所
【写真 下(右)】 林床のヒガンバナ
野火止用水を橋で渡ると大河内松平家の廟所で、松平伊豆守信綱公の墓もこちらにあります。
玉垣の内に大ぶりな墓石が整然と並ぶさまは圧巻で、3,000坪の墓域に170基余りの墓石が配されているそうです。
- 知恵伊豆の墓に俳句が詣りけり - 高浜虚子
ここからは平林寺境内林。武蔵野の雑木林が広がります。
左手奥の「もみじ山」は紅葉の名所のようですが、現在周辺の公道拡幅工事のため散策路は閉鎖されています。
【写真 上(左)】 平林寺境内林
【写真 下(右)】 もみじ山
【写真 上(左)】 山内の紅葉
【写真 下(右)】 山内の紅葉
もみじ山手前で道は北に方向を変え、しばらく行くと右手に野火の見張台であったとされる「野火止塚」、さらに進むと左手の林のなかに「業平塚」があります。
「業平塚」も野火の見張台であったとされますが、在原業平が東くだりの折、ここで駒を止めて休んだという言い伝えがあります。
世紀のプレイボーイ、在原業平にちなんでか、このふたつの塚には美女にまつわるジンクスがあるようです。くわしくは→こちらを
なお、「業平塚」については武蔵野の美貌の姫君・皐月の前(さつきのまえ)との恋物語が伝わります。
■ 志木開運・招福七社参り-1の2.舘氷川神社で取り上げていますが、こちらにも再掲します。
志木市のWeb資料によると、この地の郡司・藤原長勝は「柏の城」のそばの大蛇ヶ淵を埋めて水田にしようとしたところ、淵の主の大蛇の怒りに触れて工事は滞りました。
そこで長勝は日頃から尊崇篤い家宝の弘法大師お筆の不動明王に祈願したところ、夢枕で二本の矢を伝授され、長勝はこのうちの一本で大蛇を射たものの一本は射損じて窮地に陥りました。するとどこからともなく白衣の若者があらわれて、格闘の末に大蛇の首をはねました。
長勝の手柄で広大な水田を得たので人々は長勝を田面(たのもの)長者と尊称しました。
長勝には皐月の前(さつきのまえ)というすぐれて美貌の息女がおりました。
在原業平が東下りの折に当地に逗留し、皐月の前と恋におち、ある晩二人して「柏の城」から出奔しました。
長勝は家来に捜索を命じましたが、草深い武蔵野のこととて容易にみつからず、長勝は窮余の策として野に火を放ちました。
猛火は二人の身に迫りましたが、皐月の前が「むさしのは今日はなやきそ若草の つまもこもれり我もこもれり」という一首を詠み出すと、たちまちに火勢は収まり二人は「柏の城」に連れ戻されたとのことです。(志木市Web史料より)
このとき二人がかくれた場所が平林寺境内の「業平塚」とされ、「野火止」の地名もこの逸話にちなむものとされています。
伊勢物語にもこのくだりが記されています。(出所は →こちら(『伊勢物語』と業平伝説/近藤さやか氏 2016年))
<東下り・東国章段 第十二段>
「むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、『この野はぬすびとあなり』とて、火をつけむとす。女、わびて、~ 武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり ~ とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」
【写真 上(左)】 野火止塚
【写真 下(右)】 業平塚
「業平塚」で折り返す人が多いようですが、さらに奥に進んでみました。
このあたりはもっとも林が深いところで、すでに深山の雰囲気があります。
【写真 上(左)】 野火止塚の奥に進みます
【写真 下(右)】 キノコがはえていました
【写真 上(左)】 散策路最奥
【写真 下(右)】 埼玉の平野部とは思えません
平坦だった散策路に起伏がでてきて、ひとしきり降ったところに歴代塔所の参道入口。
林床はクマザザに覆われ、あたりは静寂につつまれて、とても東京にほど近い埼玉の平野部とは思えません。
二次林とされますが、そうとは思えない深い森の趣きがあります。
(筆者註:このエリアは2022年11月から倒木の危険があるため立入禁止となっています。)
【写真 上(左)】 歴代塔所への参道
【写真 下(右)】 高原の散策路のようです
一旦、「野火止塚」の手前まで戻り、左手の道を行くとすぐに大河内松平家の廟所に出るので帰路はこのルートが近道かと。
伽藍のたたずまいや荘厳な廟所もさることながら、この境内林にはおどろきました。
さすがに天然記念物に指定されているだけのことはあります。
【写真 上(左)】 山内の紅葉
【写真 下(右)】 山内の紅葉
国木田独歩の『武蔵野』には
「楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が私語く。凩が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲へば、幾千萬の木の葉高く大空に舞ふて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち尽せば、幾十里の方域に亘る林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高く此上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気が一段澄みわたる。」
とありますが、この一節に描き出された武蔵野の風景が、平林寺ではいまも味わうことができます。
【 BGM 】
■ Endless Night - Jack Jezzro
■ "Joy Dancing" - Michael Colina
■ The Time Is Now - Michael Omartian
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■ 前に向かう唄30曲 ~ 音楽がもつ力 ~
さっき視てた「COUNT DOWN TV」。
お題は ”応援ソング” 。
ばりばりの ” 応援ソング ” と ” 聴く人のこころを前向きにする曲 ” が玉石混淆的に(笑)混じっていた感じがする。
このふたつはぜんぜん違う。
” 応援ソング ”は、歌詞で元気づけるのでサウンドはシンプルで平易。
” 聴く人のこころを前向きにする曲 ”は、サウンドそのものの魅力で聴き手を高揚させていく。
そして、いつしかこの国では ” 応援ソング ”(=刺さる歌詞)が主流になっていった。
■ 第89回「ずっと80年代でいいのに」|ザ・カセットテープ・ミュージック|BS12
「刺さる歌詞」=直截でわかりやすい歌詞だとしたら、おそらく才気あふれるアーティストも、韜晦まじりに時代のニーズに合わせていかざるを得ないのでは?
■ 欅坂46 - サイレントマジョリティー (2017年) 作詞:秋元 康
■ 杉山清貴&オメガトライブ - Never Ending Summer Ⅲ~IV~Prolog (1984年) 作詞:秋元 康
↑ 1980年代、数々の名歌詞を残した秋元 康氏。
■ サザンオールスターズ - 旅姿六人衆 (『綺麗』(1983年))
↑ 言葉少なに行間で語る、初期サザンの名曲。
↓ の30曲に、” 応援ソング ”はありません。
-------------------------
2023/04/16 UP
かなりのアクセスをいただいたので、10曲追加して30曲にしました。
■ 【コカ・コーラ】 コカ・コーラ ゼロシュガー 綾瀬はるか TVCM「どっちの美味しさが好き?」篇 30秒 Coca-Cola TVCF
■ コカ・コーラ 1987コカコーラ CM ~ I feel Coke 87 佐藤竹善.flv
やっぱりこういう時代でも(こういう時代だからこそ)、きもちを前向きにさせる唄が求められてるんだと思う。
そして ”音楽がもつ力” を改めて思う。
ということで、きもちを前向きにさせてくれる曲を30曲てんこ盛りしてみました。
(これまでのおカキコと重複しますが・・・どれも好きなので・・・(笑))
01. YOASOBI「群青」 from 初有観客ライブ『NICE TO MEET YOU』2021.12.04@日本武道館
独特なコードまわしの名曲。
ikuraのハイトーンへと一気に飛ばす歌いまわしは唯一無二感あり。
02.milet「One Reason」MUSIC VIDEO (映画「鹿の王 ユナと約束の旅」主題歌)
透明感とスケール感を併せもつこういう曲は個人的に大好物。
miletのリズムってアフリカ系入ってるかも。
03.羊文学 / Hitsujibungaku - 夕凪 / Yunagi (Official Music Video)
なんだかよくわからんけど、どこか惹かれる。
諸行無常的な割り切り感がいいのかも。
04.プリンセス・プリンセス - 世界でいちばん熱い夏
しかし、いま聴いても凄いバンド&LIVEじゃな。
プリプリを超えるガールズバンドは未だに出ていないと思う。
05.松田聖子 - P・R・E・S・E・N・T
1982年リリースの名盤 『Pineapple』 収録。
作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗とくればハズれるはずもなく・・・。
音楽がキラキラと輝いていた幸せな時代。
このLIVEのバックも粒ぞろいの実力派。
06.はな - 空気力学少女と少年の詩
同人系やゲーム系で活動するシンガー。「歌い手」の”うさ”と同一人物という説がある。
すこぶる声質にすぐれ、アップテンポ曲でも透明感を感じさせる希有の歌い手。
これはPCゲーム 『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』のOP・EDで、アップテンポな変拍子のこなしがやたらに巧い。
07.渡辺美里 - Teenage Walk
初期の小室哲哉氏の名作。
最初にこの曲聴いたとき、あまりの意表をついた転調に何かの間違いかと思った(笑)
08.Ayumi Hamasaki - Voyage
こういうテイク聴くと、やっぱり浜崎あゆみは実力あると思う。
09.西沢はぐみ - 夏雪 ~summer_snow~(夏の日のリフレイン)
神奈川県出身のArtistでPCゲーム関連の作品が多い。声質にすぐれとくに高音の伸びが出色。
ふつうの人はハイトーンに引っぱり上げる感じがあるが、この人は高い地声から降りてくるイメージがある。
才人、松本慎一郎作曲の名曲で、バックのフレーズどりも非の打ち所なし。
10.KOKIA - 愛のメロディー
KOKIAにしてはめずらしく、全編ポジティブな歌詞。
11.miwa - ヒカリヘ
miwaは、いまの現役アーティストではもっとも作曲力の高いひとりだと思う。
歌えそうで歌えないmiwaのハイトーン曲。
12.Every Little Thing - Over and Over
あまり売れなかったけど、曲の出来は出色。
若い世代がよくカバーする理由がわかる。
13.山口リサ - Sunshine
浜松市出身のアーティストで、セツナ系のひとりに数えられる。
これはセツナ系らしからぬ突き抜けたUP曲で、洋楽に影響を受けていることがわかる。
14.Wise feat. 西野カナ - by your side
あまり指摘されないけど、feat. の西野カナって独特のスケール感にあふれている。
15.川田まみ - For our days
札幌の音楽創作集団「I'VE」でヴォーカルをとっていた。
『そして明日の世界より』OPで、これもかなりのナイスメロ。
独特のビブラートとヒーカップ連打のパフォーマンスで聴き応えあり。
16.中原めいこ - Fantasy
1982年リリース『 2時までのシンデレラ-FRIDAY MAGIC-』収録で、一部の好き者(笑)のあいだで人気が高かった。
この曲のベースラインを聴くと、あと数年でシティポップからJ-POPに移行したシーンの先駆けをなしていたことがわかる。
17.PUFFY - アジアの純真
1996年リリースの1stシングルで大ヒット曲。
作詞:井上陽水、作曲・編曲:奥田民生。
こういう余裕かました脱力感&ダイナミズムは、1980年代でも2000年以降でもつくりだせなかった。
18.夏川りみ - 満天の星
夏川りみの透明感あふれるハイトーンが活きる好メロ曲。
2003年リリースの名盤「空の風景」収録。
19.小泉今日子 - あなたに会えてよかった
1991年の小泉今日子最大のヒット曲。作曲・編曲:小林武史。
それにしてもこんなエグいコード進行の曲をアイドルが歌って、しかもヒットする時代があったとは・・・。
20.Poppin'Party - キズナミュージック♪
個人的に大橋彩香ちゃんの手数の多いドラムス、好物なんですけど・・・
ドラムスがしっかりしているから、”キメ”がばっちり決まる。
これ、バンドサウンドの醍醐味だと思う。
リードの愛美もかなりの実力派。
21.尾崎亜美 - マイ・ピュア・レディ
フェンダー・ローズの音色を、もっとも巧く活かせるアーティストだと思う。
しかし、尾崎亜美をTVでこれだけ視られる時代がやってくるとは・・・。
22.安室奈美恵(Covered) - Hero
神曲。東京五輪では、これと同等かそれ以上のテーマソングがほしかった。
23.Yuna Ito - Endless Story
バックも観客もすべてが一体となって創り出した伝説の名テイク。
24.アンジェラ・アキ - Again
日本が生んだシンガーソングライターでも、その実力はピカ一。
ふたたび、すばらしい楽曲を世に送り出してほしい。
25.遥海 - answer
フィリピン生まれの日本人とフィリピン人のハーフのシンガー。
以前は”草ケ谷遥海”名義で路上LIVEなどで活動し、その並はずれた歌唱力には定評があった。
なんというか、歌に魂が乗り移っている感じがする。
来日当初は日本語が話せなかったため「日本語ができなかったから、日本語がわからない人にも伝わるような歌を歌いたい」と思うようになったという。
ある意味、昨今もてはやされる「こころに刺さる歌詞」とは対極のポジション。
テクに走らず真っ正面から声をぶつけてくる。
”歌だけで伝えきる”という気迫が感じられるテイクの数々。
26.杏里 - I Will Be There with You
JALのオリジナルソングで、機内で聴いた人も多いのでは。
David Fosterらしいピアノワークとリリカルなメロディラインが杏里のボーカルとよく合っている。
ベストアルバム『Heart to Heart 〜with you〜』(2011)に新曲として収録。
杏里の声質は素直だけど、素通りできないフックを秘めている。
■ 【作業用BGM】JAL搭乗音楽 I Will Be There with You 1時間半耐久 JAPAN AIRLINERS Boarding music 1.5 hours loop
優れたメロディは聴き飽きしない。
27.Kalafina - Mirai/未来
ハイトーン女性ヴォーカルを手掛けたら敵なしのコンポーザー、梶浦由記さんの抜群のメロ&アレンジ。
インスト陣のFBM(FRONT BAND MEMBERS)/(G/Vo)是永巧一 (B/Harp)高橋Jr知治 (Vln)今野均 (Key)櫻田泰啓 (Ds)佐藤強一 も当代一流のテクニシャン。
(メンバー紹介は →こちら)
1980年代では生み出せなかった曲調とテクニック。
世が世なら、日本を代表するトップユニットになっていたと思う。
28.今井美樹 - Goodbye Yesterday Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO
フジテレビ系ドラマ『ブランド』の主題歌で、シングルでもヒットした代表曲。
「PRIDE」同様、作詞・作曲・編曲:布袋寅泰だが、「PRIDE」よりやさしい、というかやわらかな曲調に仕上がっている。
これも2003年12月渋谷ORCHARD HALLでのLIVEでこれ行った。
バックとヴォーカルのバランスが抜群で、彼女のヴォーカルもよく乗っていた。
29.FictionJunction - Everlasting Song
これまで何度も貼り付けてるけど、やっぱりこのLIVE神だわ。
〔 Solo Parts 〕
0:27~ / 3:46~ 貝田由里子
0:56~ / 4:14~ KAORI (織田かおり)
2:50~ / 6:26~ KEIKO (窪田啓子)
3:17~ / 6:56~ WAKANA (大滝若菜)
※5:43~ めずらしくユニゾン。ここからオーラスにかけての、一気に駆け上がる感ハンパない。
30.薬師丸ひろ子 - 時代
ブレイクつづきの80年代よりも歌の深みが全然増している。
いい歳の取り方をされたのだと思う。
こうして聴いてみると、やっぱり日本はナイスメロの宝庫・・・。
いまの米国じゃ、こういう曲はつくれないと思う。
お題は ”応援ソング” 。
ばりばりの ” 応援ソング ” と ” 聴く人のこころを前向きにする曲 ” が玉石混淆的に(笑)混じっていた感じがする。
このふたつはぜんぜん違う。
” 応援ソング ”は、歌詞で元気づけるのでサウンドはシンプルで平易。
” 聴く人のこころを前向きにする曲 ”は、サウンドそのものの魅力で聴き手を高揚させていく。
そして、いつしかこの国では ” 応援ソング ”(=刺さる歌詞)が主流になっていった。
■ 第89回「ずっと80年代でいいのに」|ザ・カセットテープ・ミュージック|BS12
「刺さる歌詞」=直截でわかりやすい歌詞だとしたら、おそらく才気あふれるアーティストも、韜晦まじりに時代のニーズに合わせていかざるを得ないのでは?
■ 欅坂46 - サイレントマジョリティー (2017年) 作詞:秋元 康
■ 杉山清貴&オメガトライブ - Never Ending Summer Ⅲ~IV~Prolog (1984年) 作詞:秋元 康
↑ 1980年代、数々の名歌詞を残した秋元 康氏。
■ サザンオールスターズ - 旅姿六人衆 (『綺麗』(1983年))
↑ 言葉少なに行間で語る、初期サザンの名曲。
↓ の30曲に、” 応援ソング ”はありません。
-------------------------
2023/04/16 UP
かなりのアクセスをいただいたので、10曲追加して30曲にしました。
■ 【コカ・コーラ】 コカ・コーラ ゼロシュガー 綾瀬はるか TVCM「どっちの美味しさが好き?」篇 30秒 Coca-Cola TVCF
■ コカ・コーラ 1987コカコーラ CM ~ I feel Coke 87 佐藤竹善.flv
やっぱりこういう時代でも(こういう時代だからこそ)、きもちを前向きにさせる唄が求められてるんだと思う。
そして ”音楽がもつ力” を改めて思う。
ということで、きもちを前向きにさせてくれる曲を30曲てんこ盛りしてみました。
(これまでのおカキコと重複しますが・・・どれも好きなので・・・(笑))
01. YOASOBI「群青」 from 初有観客ライブ『NICE TO MEET YOU』2021.12.04@日本武道館
独特なコードまわしの名曲。
ikuraのハイトーンへと一気に飛ばす歌いまわしは唯一無二感あり。
02.milet「One Reason」MUSIC VIDEO (映画「鹿の王 ユナと約束の旅」主題歌)
透明感とスケール感を併せもつこういう曲は個人的に大好物。
miletのリズムってアフリカ系入ってるかも。
03.羊文学 / Hitsujibungaku - 夕凪 / Yunagi (Official Music Video)
なんだかよくわからんけど、どこか惹かれる。
諸行無常的な割り切り感がいいのかも。
04.プリンセス・プリンセス - 世界でいちばん熱い夏
しかし、いま聴いても凄いバンド&LIVEじゃな。
プリプリを超えるガールズバンドは未だに出ていないと思う。
05.松田聖子 - P・R・E・S・E・N・T
1982年リリースの名盤 『Pineapple』 収録。
作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗とくればハズれるはずもなく・・・。
音楽がキラキラと輝いていた幸せな時代。
このLIVEのバックも粒ぞろいの実力派。
06.はな - 空気力学少女と少年の詩
同人系やゲーム系で活動するシンガー。「歌い手」の”うさ”と同一人物という説がある。
すこぶる声質にすぐれ、アップテンポ曲でも透明感を感じさせる希有の歌い手。
これはPCゲーム 『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』のOP・EDで、アップテンポな変拍子のこなしがやたらに巧い。
07.渡辺美里 - Teenage Walk
初期の小室哲哉氏の名作。
最初にこの曲聴いたとき、あまりの意表をついた転調に何かの間違いかと思った(笑)
08.Ayumi Hamasaki - Voyage
こういうテイク聴くと、やっぱり浜崎あゆみは実力あると思う。
09.西沢はぐみ - 夏雪 ~summer_snow~(夏の日のリフレイン)
神奈川県出身のArtistでPCゲーム関連の作品が多い。声質にすぐれとくに高音の伸びが出色。
ふつうの人はハイトーンに引っぱり上げる感じがあるが、この人は高い地声から降りてくるイメージがある。
才人、松本慎一郎作曲の名曲で、バックのフレーズどりも非の打ち所なし。
10.KOKIA - 愛のメロディー
KOKIAにしてはめずらしく、全編ポジティブな歌詞。
11.miwa - ヒカリヘ
miwaは、いまの現役アーティストではもっとも作曲力の高いひとりだと思う。
歌えそうで歌えないmiwaのハイトーン曲。
12.Every Little Thing - Over and Over
あまり売れなかったけど、曲の出来は出色。
若い世代がよくカバーする理由がわかる。
13.山口リサ - Sunshine
浜松市出身のアーティストで、セツナ系のひとりに数えられる。
これはセツナ系らしからぬ突き抜けたUP曲で、洋楽に影響を受けていることがわかる。
14.Wise feat. 西野カナ - by your side
あまり指摘されないけど、feat. の西野カナって独特のスケール感にあふれている。
15.川田まみ - For our days
札幌の音楽創作集団「I'VE」でヴォーカルをとっていた。
『そして明日の世界より』OPで、これもかなりのナイスメロ。
独特のビブラートとヒーカップ連打のパフォーマンスで聴き応えあり。
16.中原めいこ - Fantasy
1982年リリース『 2時までのシンデレラ-FRIDAY MAGIC-』収録で、一部の好き者(笑)のあいだで人気が高かった。
この曲のベースラインを聴くと、あと数年でシティポップからJ-POPに移行したシーンの先駆けをなしていたことがわかる。
17.PUFFY - アジアの純真
1996年リリースの1stシングルで大ヒット曲。
作詞:井上陽水、作曲・編曲:奥田民生。
こういう余裕かました脱力感&ダイナミズムは、1980年代でも2000年以降でもつくりだせなかった。
18.夏川りみ - 満天の星
夏川りみの透明感あふれるハイトーンが活きる好メロ曲。
2003年リリースの名盤「空の風景」収録。
19.小泉今日子 - あなたに会えてよかった
1991年の小泉今日子最大のヒット曲。作曲・編曲:小林武史。
それにしてもこんなエグいコード進行の曲をアイドルが歌って、しかもヒットする時代があったとは・・・。
20.Poppin'Party - キズナミュージック♪
個人的に大橋彩香ちゃんの手数の多いドラムス、好物なんですけど・・・
ドラムスがしっかりしているから、”キメ”がばっちり決まる。
これ、バンドサウンドの醍醐味だと思う。
リードの愛美もかなりの実力派。
21.尾崎亜美 - マイ・ピュア・レディ
フェンダー・ローズの音色を、もっとも巧く活かせるアーティストだと思う。
しかし、尾崎亜美をTVでこれだけ視られる時代がやってくるとは・・・。
22.安室奈美恵(Covered) - Hero
神曲。東京五輪では、これと同等かそれ以上のテーマソングがほしかった。
23.Yuna Ito - Endless Story
バックも観客もすべてが一体となって創り出した伝説の名テイク。
24.アンジェラ・アキ - Again
日本が生んだシンガーソングライターでも、その実力はピカ一。
ふたたび、すばらしい楽曲を世に送り出してほしい。
25.遥海 - answer
フィリピン生まれの日本人とフィリピン人のハーフのシンガー。
以前は”草ケ谷遥海”名義で路上LIVEなどで活動し、その並はずれた歌唱力には定評があった。
なんというか、歌に魂が乗り移っている感じがする。
来日当初は日本語が話せなかったため「日本語ができなかったから、日本語がわからない人にも伝わるような歌を歌いたい」と思うようになったという。
ある意味、昨今もてはやされる「こころに刺さる歌詞」とは対極のポジション。
テクに走らず真っ正面から声をぶつけてくる。
”歌だけで伝えきる”という気迫が感じられるテイクの数々。
26.杏里 - I Will Be There with You
JALのオリジナルソングで、機内で聴いた人も多いのでは。
David Fosterらしいピアノワークとリリカルなメロディラインが杏里のボーカルとよく合っている。
ベストアルバム『Heart to Heart 〜with you〜』(2011)に新曲として収録。
杏里の声質は素直だけど、素通りできないフックを秘めている。
■ 【作業用BGM】JAL搭乗音楽 I Will Be There with You 1時間半耐久 JAPAN AIRLINERS Boarding music 1.5 hours loop
優れたメロディは聴き飽きしない。
27.Kalafina - Mirai/未来
ハイトーン女性ヴォーカルを手掛けたら敵なしのコンポーザー、梶浦由記さんの抜群のメロ&アレンジ。
インスト陣のFBM(FRONT BAND MEMBERS)/(G/Vo)是永巧一 (B/Harp)高橋Jr知治 (Vln)今野均 (Key)櫻田泰啓 (Ds)佐藤強一 も当代一流のテクニシャン。
(メンバー紹介は →こちら)
1980年代では生み出せなかった曲調とテクニック。
世が世なら、日本を代表するトップユニットになっていたと思う。
28.今井美樹 - Goodbye Yesterday Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO
フジテレビ系ドラマ『ブランド』の主題歌で、シングルでもヒットした代表曲。
「PRIDE」同様、作詞・作曲・編曲:布袋寅泰だが、「PRIDE」よりやさしい、というかやわらかな曲調に仕上がっている。
これも2003年12月渋谷ORCHARD HALLでのLIVEでこれ行った。
バックとヴォーカルのバランスが抜群で、彼女のヴォーカルもよく乗っていた。
29.FictionJunction - Everlasting Song
これまで何度も貼り付けてるけど、やっぱりこのLIVE神だわ。
〔 Solo Parts 〕
0:27~ / 3:46~ 貝田由里子
0:56~ / 4:14~ KAORI (織田かおり)
2:50~ / 6:26~ KEIKO (窪田啓子)
3:17~ / 6:56~ WAKANA (大滝若菜)
※5:43~ めずらしくユニゾン。ここからオーラスにかけての、一気に駆け上がる感ハンパない。
30.薬師丸ひろ子 - 時代
ブレイクつづきの80年代よりも歌の深みが全然増している。
いい歳の取り方をされたのだと思う。
こうして聴いてみると、やっぱり日本はナイスメロの宝庫・・・。
いまの米国じゃ、こういう曲はつくれないと思う。
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■ 武相卯歳四十八観音霊場の御開扉
結願しました。
各札所の概要、写真と御朱印を掲載します。
-------------------------
第1番
鶴間山 東照院 観音寺 〔真言院 金亀坊〕
神奈川県大和市下鶴間2240
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:武相寅歳薬師如来霊場21番(R4.4/9-5/8御開帳)、小田急武相三十三観音霊場28番、高座郡三十三ヶ所観音霊場29番
・青山往還沿いにあり、「青山往還の赤門寺」と呼ばれて参詣者を集めたとされる発願寺。
・御本尊の十一面観世音菩薩は慈覚大師の御作と伝わる。
第2番
陽向山 随流院 (火ぶせ観音) 〔長蔦寺〕
神奈川県横浜市緑区長津田5-4-30
曹洞宗
御本尊:釈迦無尼佛(聖観世音菩薩)
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・江戸幕府の旗本・岡野家の菩提寺で「長津田」の地名の元とも。
・聖観世音菩薩は、ふるくから「火防の観音」として信仰を集めている。
第3番
大峰山 松岳院 (奈良村観音堂) 〔正覚院〕
神奈川県横浜市青葉区奈良2-4-6
曹洞宗
御本尊:釈迦無尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与あり(書置)
・開基は旧奈良村知行の石丸有貞とされる。
・聖観世音菩薩は、旧奈良村にあった観音堂から水害を受けて遷されたと伝わる。
第4番
三枝山 観性寺
東京都町田市西成瀬2-11-8
曹洞宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩
※通常無住(成瀬4-14-1東雲寺管理)
・御本尊の如意輪観世音菩薩は、行基菩薩の御作と伝わる。
・別尊として松久宗琳作の子育て観音を奉安。
第5番
鶏足山 智光院 養運寺
東京都町田市本町田3654
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印拝受済(御開扉期間中の授与不明)
・鎌倉時代からつづくとされる浄土宗の古刹で、札所は山内観音堂。
・もとは大谷村との境に御座の観音さまを、安永五年(1776年)に合祀と伝わる。
第6番
岩子山 普門寺 千手院
東京都町田市小野路町2057
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:関東八十八箇所64番、多摩新四国八十八ヶ所霊場12番、多摩川三十四観音霊場34番、小田急武相三十三観音霊場10番
・奈良時代、行基菩薩の開基と伝わる真言宗豊山派の名刹。
・本堂裏手高台の奥の院も観音堂で、現在は十一面観世音菩薩を奉安。この観音堂は小山田次郎重義が観音像を感得して建立と伝わる。
第7番
慈眼山 唐仏院 観音寺 (せきど観音)
東京都多摩市関戸5-31-11
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩十三仏霊場5番(地蔵菩薩)、多摩川三十四観音霊場12番
・「関戸観音堂」と呼ばれ古くから信仰を集めた。
・元弘三年(1333年)、新田義貞と鎌倉幕府の「関戸の戦」の地で関連の史跡が残る。
第8番
清谷山 蓮華院 真照寺 (子安観音)
東京都日野市落川1113
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場17番、多摩川三十四観音霊場11番、日野七福神(恵比須天)
・長和年間(1012-1017年)開山と伝わる真言宗の古刹。
・子安観音として知られる千手観世音菩薩を山内観音堂に奉安。
第9番
桝井山 松連寺 観音堂 (百草観音堂)
東京都下日野市百草849-1
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
※通常無住(八王子清鏡寺管理?)
・もとは京王百草園にあったとされ、景勝の地として知られていた。
・旧松連寺所蔵の多くの仏像を奉安し、「百草観音堂仏教彫刻群」として市の文化財に指定されている。
第10番
塩釜山 清鏡寺 (大塚観音堂・御手の観音)
東京都八王子市大塚378
曹洞宗
御本尊:釈迦三尊(阿弥陀如来)
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:多摩川三十四観音霊場10番、京王三十三観音霊場24番
※御本尊御朱印は御開扉期間中授与なし
・清鏡寺は、もとは北条氏再興祈願の観音堂の別当。
・山内高台の観音堂に奉安の千手観世音菩薩は足腰健康の霊験あらたかで「大塚観音堂・御手の観音」としてふるくから信仰を集めている。
第11番
補陀山 水月院 大泉寺
東京都町田市下小山田町332
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・『新編武蔵風土記稿』には「町田の大寺」と掲載され、いまも大寺の風格を湛える。
・鎌倉武士・小山田有重の城跡に建立し、札所本尊は「見合い観音」とも呼ばれ若い女性の参詣を集めたという。
第12番
龍澤山 保井寺
東京都八王子市堀之内547
曹洞宗
御本尊:虚空藏菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩
※御本尊御朱印拝受済(御開扉期間中の授与不明)
・読みは「ほうせいじ」。町田市下小山町の観音寺から遷られた如意輪観世音菩薩が札所本尊で、山内観音堂に奉安されている。「椿の寺」としても有名。
第13番
吹王山 (不動院) 玉泉寺(もかけの観音)
東京都八王子市越野726
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩百八ヶ所霊場105番
※御本尊御朱印拝受済(多摩百八ヶ所)
・裳が蓮台までかかる宗風の像容から「もかけの観音」と呼ばれる札所本尊は、旧導義寺観音堂から玉泉寺観音堂に遷られ、現在は越野自治会集会所に奉安されている。
・札所本尊造立の願主は、底部墨書から北条氏照の家臣・小田野周重とみられている。
第14番
高雲山 永泉寺
東京都八王子市鑓水80
御本尊:釈迦無尼仏
札所本尊:正観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・甲州武田家臣・永野和泉開基の古刹で、鑓水の絹商人・八木下要右衛門の旧邸の地とされる。
・俳句の寺として知られ、山内には芭蕉堂が建つ。
第15番
安榮山 明王院 福傳寺 (子安観音)
東京都八王子市明神町4-10-6
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場77番、八王子三十三観音霊場30番、武玉八十八ヶ所霊場65番
※御本尊御朱印拝受済(多摩新四国)
・八王子の街なかにある真言宗寺院で、子安神社の元別当。
・安産の観音さまとして信仰篤く「村内に難産の者なし」と伝わる。
第16番
慈高山 金剛院
東京都八王子市上野町39-2
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
関東八十八箇所63番、多摩新四国八十八ヶ所霊場73番、八王子三十三観音霊場31番、京王三十三観音霊場30番、八王子七福神(福禄寿)、武玉八十八ヶ所霊場63番
※御本尊御朱印拝受(関東八十八箇所、多摩新四国)
・草創は天正四年(1576年)僧真清開基の明王院。のちに当地の大師堂とあわせ金剛院と号す。
・札所本尊の十一面観世音菩薩は、本堂参道向かって左手の福聚堂に奉安されている。
第17番
中和山 泉龍寺
神奈川県相模原市南区上鶴間本町8-54-21
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印は御開扉中不授与
・大規模な三重塔を擁する曹洞宗の大寺。三重塔よこに観音堂があるが、御開扉時は本堂に奉安されていた。
・札所本尊は公所の井上助右衛門の霊夢を受けての造立と伝わる。
第18番
竜雲山 高乗寺
東京都八王子市初沢町1425
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:十一面観世音菩薩・三十三体観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場19番
※御本尊御朱印拝受済(御開扉中書置)
・片倉城主・永井大膳太夫高乗(広秀)が開基の「多摩八大寺」に数えられる曹洞宗の名刹。
・札所本尊は、本堂向かって左の大慈閣に奉安されている。
第19番
天龍山 福昌寺
横浜市青葉区恩田町1021-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:武相寅歳薬師如来霊場14番(R4.4/9-5/8御開帳)
※御本尊御朱印拝受済(御開扉中書置)
・横浜市青葉区の住宅地にある曹洞宗寺院。
・以前は二間四方の観音堂があったとされるが、現在、札所本尊は本堂に奉安されている。
第20番
北岸山 喜福寺
東京都八王子市中野山王2-11-11
真言宗系単立
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場11番、武玉八十八ヶ所霊場82番
・応永元年(1394年)開基、徳川幕府から篤く保護されたと伝わる古刹。
・近代建築の本堂は斬新で、この霊場のなかでも異彩を放っている。
第21番
祥雲山 長安寺
東京都八王子市並木町7-1
曹洞宗
御本尊:准胝観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
※御本尊御朱印授与不明
・八王子千人同心の円山長安居士(島村豊後)の開基と伝わる。
・札所本尊の正観世音菩薩は、もとは明治初年に廃寺となった黄檗宗の宗明寺の御本尊。
・御本尊の准胝観世音菩薩は、もともと秩父三十四ヶ所の観音像の一尊ともいわれる。
第22番
常光山 観音院 真覚寺
東京都八王子市散田町5-36-10
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場71番、京王三十三観音霊場32番
※御本尊御朱印拝受済(多摩新四国)
・応永十八年(1411年)、津久井城主・長山修理が観音堂を建立。真覚寺は観音堂の別当であったという。
・心字池を配し、緑豊かでなごめる山内は八王子市の指定旧跡。
第23番
聚林山 千光院 興福寺
東京都八王子市東浅川町754
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場23番
・関東十八代官のひとり雨宮勘兵衛の祖、雨宮秀徳の開基と伝わる。
・もとは観音堂があったと伝わるが、現在は本堂が札所となっている。
第24番
祐照庵 (大戸観音堂)
東京都町田市相原町4643
臨済宗南禅寺派
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場20番
※通常無住、寺役管理
・八王子市山田の雲律院の末寺として慶長元年(1596年)に開創。
・観音堂は明治初期に焼失し、現堂宇は第21番長安寺の太子堂を移築したもの。八王子八景のひとつ鐘楼門が見事。
第25番
金剛山 普門寺
神奈川県相模原市緑区中沢200
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・天平年間(729-748年)、行基菩薩開基と伝わる古刹で、山内の飯縄大権現は武田信玄公の尊崇篤かったと伝わる。
・観音堂に奉安の聖観世音菩薩は行基菩薩の御作とも伝わる古仏。
第26番
大瀧山 長徳寺
神奈川県相模原市緑区大島756
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:如意輪観世音菩薩
他札所:高座郡三十三ヶ所観音霊場26番
※御本尊御朱印授与なし
・甲州武田家臣の鳳山良長が、北条との戦いの戦死者を弔うために津久井の巧雲寺から宗山洞益和尚を招聘して創建と伝わる。
・以前は観音堂があったが焼失し、札所本尊は本堂内向かって左手壇内に奉安されている。
第27番
瑞石山 清水寺 (坂下観音、相原観音)
東京都町田市相原町701
臨済宗妙心寺派
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
・坂下観音、相原観音とも呼ばれて信仰を集めた観音様のお寺。
・高台に建つ観音堂は華麗な彫刻が施され見事。市の文化財に指定されている。
第28番
施弥山 慈眼院 福生寺 〔田端観音寺・荒ヶ谷戸の観音〕
東京都町田市小山町2524
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:多摩百八ヶ所霊場97番
※御本尊御朱印拝受済(多摩百八ヶ所)
・天福元年(1233年)、天野孫兵衛が建立し、北条泰時から一字を賜り「福生寺」と号す。
・第28番札所本尊は、田端観音寺の「荒ヶ谷戸の観音」を観音堂に合祀。
第29番
施弥山 慈眼院 福生寺
東京都町田市小山町2524
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:多摩百八ヶ所霊場97番
※御本尊御朱印拝受済(多摩百八ヶ所)
・第29番札所本尊は、平安時代の作とされる檜一本造の正観世音菩薩像で、都有形文化財。 第28番札所本尊とともに観音堂に奉安されている。
第30番
白瀧山 高厳寺 (元町観音堂)
神奈川県相模原市中央区上溝6-18-4 元町自治会館
真言宗
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:高座郡三十三ヶ所観音霊場24番
※通常無住、自治会管理。
・もとは堂ヶ谷戸にあった高厳寺が、明治末に現地に移されたという。
・現在は自治会管理で、御開扉時のみの開堂と思われる。
第31番
聲音山 観心寺
神奈川県相模原市南区当麻774 原当麻自治会集会所
時宗
御本尊:正観世音大菩薩
札所本尊:正観世音大菩薩
※無量光寺(当麻)の管理。現在無量光寺は御朱印不授与。
・家内安全、ことに安産の観音さまとしてふるくから信仰を集める。
・現在は無量光寺の兼務だが、御開扉時以外は御朱印拝受は困難とみられる。
第32番
補陀洛山 清水寺
神奈川県相模原市南区下溝1457
曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:高座郡三十三ヶ所観音霊場第22番
・読みは「せいすいじ」。征夷大将軍坂上田村麻呂ゆかりの地に慶長元年(1596年)開山と伝わる。浅草・東岳寺とゆかりをもち、双盤念仏で知られる。
・現在の御本尊は開山時に井戸から出現の十一面観世音菩薩で、坂上田村麻呂ゆかりの尊像とされる。
第33番
吉祥山 覺圓坊 (木曽の観音様)
東京都町田市木曽町4-7-33
天台寺門宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
・当霊場では唯一の天台宗系寺院。康平六年(1063年)、園城寺第31代長吏覺圓僧正が開基という格式をもち、木曾義仲とゆかりをもつ。
・無住の堂宇だが広い境内をもち、端正な堂内に聖観世音菩薩が安置されている。
第34番
柳澤山 泉蔵寺
東京都町田市下小山田町1391
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛(十一面観世音菩薩)
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・正徳五年(1715年)下小山田村領主・柳澤備後守信尹が牛込・宗参寺の末寺として開基。
第35番
上柚木観音堂
東京都八王子市上柚木402-2 神明町会集会所
御本尊:準提観世音菩薩
札所本尊:準提観世音菩薩
※通常無住、14番永泉寺にて授与?
・文化年間(1804-1818年)、由木・永林寺住職の勧めにより並木原に伊藤氏が再興。
・明治はじめに当地に移転。当初は石仏が本尊で、いまは新造の木像とともに本堂厨子内に奉安されている。
第36番
富亀山 養樹院 圓通庵
東京都町田市上小山田町2536
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:准提観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・慶長十九年(1614年)下小山田の大泉寺住職が再興した趣きある寺院。
・札所本尊の准提観世音菩薩は女性の守護仏として信仰篤く、観音堂(圓通庵)に奉安されている。
第37番
瀧澤山 祥雲寺 (身代わり観音)
東京都町田市高ヶ坂7-15-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:身代聖観世音菩薩
他札所:武相寅歳薬師如来霊場19番(R4.4/9-5/8御開帳)
※御本尊御朱印授与なし
・大永六年(1526年)、伊勢原の石雲寺第三世・蓼堂秀郭大和尚を招聘して開山、北条氏の祈願所として創建されたという名刹。
・「身代わり観音」として知られる札所本尊は山内観音堂に奉安されている。
第38番
大悲山 慈眼寺 (都井沢の観音さま)
神奈川県相模原市緑区城山4-367
高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
・安産に霊験あらたかな「都井沢の観音さま」として地域の信仰を集めた観音さま。
・底を閉じない「底なし袋」を観音堂の扉に吊して安産祈願する風習が残る。
第39番
金森山 宗保院
東京都町田市原町田1-8-13
曹洞宗
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:原町田七福神(布袋尊)
・天文十一年(1542年)、この地の郷士・大河伊与が開基。町田駅に近い街なかの寺院ながら広大な境内をもつ。
・札所本尊の千手観世音菩薩は、大河氏の守り本尊と伝わる。
第40番
飯成山 永昌院
東京都八王子市中山452-2
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・天正十年(1582年)下柚木の栄林寺住職により創建、開基は葛沢豊前守と伝わる。
・札所本尊は山内観音堂に奉安。「ネコの寺」として有名?
第41番
金峰山 永林寺
東京都八王子市下柚木4
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:京王三十三観音霊場25番
※御本尊御朱印あり(書置)
・八王子だも有数の名刹。天文元年(1532年)、由木城主、武蔵國守護代・大石定久がこの地を叔父の一種長澄大和尚に譲り、永鱗寺として創建。徳川家康公も参拝し、赤門の建立を許される。
・札所本尊は山内高台の三重塔内に塔本尊として奉安され、御開扉時にはめずらしい三重塔と回向柱のとりあわせが見られる。
第42番
白華山 慈眼寺
東京都八王子市片倉町944
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・曹洞宗寺院ながら、御本尊は聖観世音菩薩。
・札所本尊の十一面観世音菩薩は、讃岐の七宝山観音寺の写しと伝わる。
第43番
金龍山 信松院
東京都八王子市台町3-18-28
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:八王子七福神(布袋尊)
※御本尊、信松尼の御朱印あり
・武田信玄公の息女・松姫を開基とする歴史の香り高い名刹。
・松姫は織田信長公の長男・信忠と婚約するも破談となり、天正十年(1582年)武田氏滅亡ののち八王子に逃れ、心源院にて出家(信松尼)、御所水(台町)の当地に庵を結んだという。
・以降、当庵で武田氏ゆかりの人々の菩提を弔い、八王子千人同心をはじめとする旧武田家臣の尊敬を集めたという。
第44番
大澤山 宗印寺
東京都日野市平山6-15-11
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:日野七福神(布袋尊)
・鎌倉御家人の重鎮・平山季重公ゆかりの名刹。
・「人々の願いには必ず応える」という聖観世音菩薩が御本尊として奉安されている。
第45番
金光山 観泉寺
東京都町田市真光寺町1210
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
・元和元年(1615年)、大坂夏の陣で戦死したこの地の領主・飯田右馬之助昌有の菩提のために子の飯田次郎右衛門昌重が、小山田の大泉寺の住職を迎えて開創。
・御本尊・聖観世音菩薩のほか、脇本尊に二尊の観音像を奉安する観音さまのお寺。
第46番
一乗山 久松寺 吉祥院
東京都八王子市長房町58-3
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場67番、八王子七福神(吉祥天)
※御本尊御朱印拝受済(多摩新四国)
・八王子北部の高台に建つ真言宗寺院で、山内には多彩な尊格が奉安されている。
・八王子七福神の吉祥天霊場で、古来からの当寺の縁起にちなむという。
第47番
境國山 定方寺
神奈川県大和市下鶴間145
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:正観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・当初は境川沿い(現・定方寺公園)にあったが水害により当地に移転。
・札所本尊の正観世音菩薩は、庫裡寄りの一画で御開扉されていた。
第48番
淵源山 龍像寺
神奈川県相模原市中央区東淵野辺3-25-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
【写真 上(左)】 第48番 龍像寺
【写真 下(右)】 同 御朱印(専用納経帳用)
・暦応年間(1338-1341年)、この地の地頭・淵辺伊賀守義博による開基で、江戸時代のこの地の領主・岡野氏一族の菩提寺。
・札所本尊は、本堂向かって左手の高台に建つ六角堂(観音堂)内に奉安されている。
〔 結願証 〕
第48番龍像寺様にていただきました。
48箇寺はさすがにまわり応えがありましたが、札所のご対応も親切で充実した札所巡りとなりました。
まだ半月あります。
12年にいちどの貴重な機会、ぜひぜひどうぞ。
**********
真言宗の勤行式のなかに「祈願文」(きがんぶん・きがんもん)があります。
僧侶のみならず、在家の人々もこのような大きな願いを営々と託してきたとは、おどろくばかりです。
宗派は違っても、御開帳の回向柱にはおおむねこのような願いが揮毫されています。
祈願文
至心発願(ししんほつがん)
天長地久(てんちょうちきゅう)
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
密厳国土(みつごんこくど)
風雨順時(ふううじゅんじ)
五穀豊饒(ごこくぶにょう)
万邦協和(ばんぽきょうわ)
諸人快楽(しょにんけらく)
乃至(及以)法界(ないし(ぎゅうい)ほうかい)
平等利益(びょうどうりやく)
(意訳)愛宕山弘正寺様(愛知県岡崎市)の公式Webより引用
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真心を持って祈ります。
宇宙が永遠に存在し
すべての人がこの身このままで仏様になり
この世が仏様の世界となり
天地宇宙が順調に進み
農作物が豊かに実り
この世が平和で
人々が幸せであって
世界であまねく
仏様の恵みが平等でありますように
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2023/04/12 UP
半分以上回り終えました。
次第に知られてきているようで、先の土日はかなりの賑わいだった模様です。
東大和と寺院散策様の情報によると、非御開扉時でもだいたい御朱印はいただけそうです。
ただし、第31番観心寺の御朱印は「相模原市南区の無量光寺」でとなっていますが、無量光寺では現在御朱印を授与しておられませんので、こちらは「12年に一度の御朱印」となる可能性があります。
【写真 上(左)】 第31番観心寺
【写真 下(右)】 第31番観心寺の御朱印
【写真 上(左)】 無量光寺
【写真 下(右)】 無量光寺の掲示
無住のお堂で寺役さんに連絡して御朱印をいただくのはたいへんですし、なにより御開扉時の観音堂は華やいで、常とはちがう巡拝が味わえます。
まだまだ時間はありますので、貴重な卯年の御開扉を味わってみてはいかがでしょうか。
【写真 上(左)】 第27番清水寺
【写真 下(右)】 第27番清水寺の御朱印
なお、御本尊の御朱印については、関東八十八ヶ所や多摩新四国霊場の兼務札所では拝受できますが、武州卯歳の単独札所では不授与のところが多そうです。
入手困難と思っていたガイドブック(1999年11月刊)が第43番信松院様で頒布されていたので購入しました。
↓ こちらのガイドにも詳細に載っています。(メイツ出版 1,630円税別)
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武相卯歳四十八観音霊場が4/1から御開扉となっています。
・御開扉(開帳)期間:4/1~4/30
・札所数48、開扉(開帳)数48、御朱印授与数48
・霊場概要・札所一覧はニッポンの霊場様をご参照ください。
・御朱印対応時間:9:00~17:00 御朱印各300円
・専用納経帳あり(300円) 各札所にて頒布されています。
・武蔵国(八王子市・日野市・多摩市・町田市)と相模国(横浜市・相模原市・大和市)の48の札所からなる観音菩薩霊場です。
・12年に一度、卯歳に御開扉(開帳)され、前回は平成23年春でした。
・開創は宝暦九年(1759年)と伝わり、今回の御開扉(開帳)は第23回目。第1回御開扉から264年目に当たります。
・札所数は変動し、江戸時代の開創当時は33、第二十回開扉(1987年)では50、第二十一回開扉(1999年)では48となり、以降48で固定している模様です。(『武相観音めぐり』より)
・札所の宗派は多彩ですが、曹洞宗と真言宗寺院が多くなっています。
【写真 上(左)】 パンフレット
【写真 下(右)】 御開扉の幟
〔 パンフレット掲載の札所位置図 〕
4/1に第1番の鶴間山 観音寺様から打ちはじめました。
いまのところ6札所回っただけですが、最新情報をお伝えします。
専用納経帳は300円で頒布され、これに綴じ孔つきの専用御朱印を綴じ込んでいくかたちです。
前回、平成23年の専用納経帳よりひとまわり小さな体裁となっています。
【写真 上(左)】 今回の専用納経帳
【写真 下(右)】 前回(平成23年)の専用納経帳
【写真 上(左)】 第1番 観音寺の専用納経帳用御朱印(今回)
【写真 下(右)】 同(前回)
※「御開扉」印は、ご対応ある札所とない札所があるようです。
【写真 上(左)】 第1番 観音寺の御朱印帳貼付用御朱印(今回)
【写真 下(右)】 同 回向柱と向拝
別に御朱印帳貼付用の綴じ孔のあいていない書置御朱印も授与されていますが、すべての札所で授与されているかは不明。
御朱印帳直書についてのご対応は不明ですが、むずかしいかもしれません。
【写真 上(左)】 第1番 観音寺の札所標
【写真 下(右)】 第1番 観音寺の参道
通常無人の観音堂から、複数の霊場札所を兼務される大寺までさまざまで、変化に富んだ巡拝を味わえます。
とくに多摩丘陵の山ふところに点在する禅刹は、いずれも趣きのあるたたずまいです。
【写真 上(左)】 第17番 泉龍寺
【写真 下(右)】 同 御朱印(専用納経帳用)
無人の札所についてはおそらく通常は不授与で、中開帳もない模様なので12年に一度の御朱印となります。
公共交通機関の利用が推奨されているものの、多くの札所寺院は駐車場を備えられています。
(第2番 随流院様には駐車場はありませんが、すぐそばにコインパーキングがあります。)
ただし鶴間周辺、町田市中心部、八王子市中心部などは渋滞気味で予想以上に移動時間をとられます。
なので、17時までのご対応はありがたいことです。
回向柱は建立されている札所とない札所があります。
札所本尊の観音様はおおむね堂内奥に御座されて御開扉。回向柱はなくとも縁の綱は向拝まで引かれているようです。
なお、堂内はすべての札所で撮影禁止です。
早いタイミングであれば、桜のもとでの巡拝もできます。
札所数は多いですが、この貴重な機会に巡拝されてみてはいかがでしょうか。
詳細については、第1番 観音寺様の公式Web(→こちら)をご覧ください。
札所地図はこちらの「第23回 御開扉 パンフレット」からjpeg形式でダウンロードできます。
(各札所で配布されているパンフにも掲載されています。)
【 BGM 】
■ 桜 - 中村舞子(Covered)
■ ひらひら ひらら - ClariS
■ 名もない花 - 遥海
各札所の概要、写真と御朱印を掲載します。
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第1番
鶴間山 東照院 観音寺 〔真言院 金亀坊〕
神奈川県大和市下鶴間2240
高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:武相寅歳薬師如来霊場21番(R4.4/9-5/8御開帳)、小田急武相三十三観音霊場28番、高座郡三十三ヶ所観音霊場29番
・青山往還沿いにあり、「青山往還の赤門寺」と呼ばれて参詣者を集めたとされる発願寺。
・御本尊の十一面観世音菩薩は慈覚大師の御作と伝わる。
第2番
陽向山 随流院 (火ぶせ観音) 〔長蔦寺〕
神奈川県横浜市緑区長津田5-4-30
曹洞宗
御本尊:釈迦無尼佛(聖観世音菩薩)
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・江戸幕府の旗本・岡野家の菩提寺で「長津田」の地名の元とも。
・聖観世音菩薩は、ふるくから「火防の観音」として信仰を集めている。
第3番
大峰山 松岳院 (奈良村観音堂) 〔正覚院〕
神奈川県横浜市青葉区奈良2-4-6
曹洞宗
御本尊:釈迦無尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与あり(書置)
・開基は旧奈良村知行の石丸有貞とされる。
・聖観世音菩薩は、旧奈良村にあった観音堂から水害を受けて遷されたと伝わる。
第4番
三枝山 観性寺
東京都町田市西成瀬2-11-8
曹洞宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩
※通常無住(成瀬4-14-1東雲寺管理)
・御本尊の如意輪観世音菩薩は、行基菩薩の御作と伝わる。
・別尊として松久宗琳作の子育て観音を奉安。
第5番
鶏足山 智光院 養運寺
東京都町田市本町田3654
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印拝受済(御開扉期間中の授与不明)
・鎌倉時代からつづくとされる浄土宗の古刹で、札所は山内観音堂。
・もとは大谷村との境に御座の観音さまを、安永五年(1776年)に合祀と伝わる。
第6番
岩子山 普門寺 千手院
東京都町田市小野路町2057
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:関東八十八箇所64番、多摩新四国八十八ヶ所霊場12番、多摩川三十四観音霊場34番、小田急武相三十三観音霊場10番
・奈良時代、行基菩薩の開基と伝わる真言宗豊山派の名刹。
・本堂裏手高台の奥の院も観音堂で、現在は十一面観世音菩薩を奉安。この観音堂は小山田次郎重義が観音像を感得して建立と伝わる。
第7番
慈眼山 唐仏院 観音寺 (せきど観音)
東京都多摩市関戸5-31-11
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩十三仏霊場5番(地蔵菩薩)、多摩川三十四観音霊場12番
・「関戸観音堂」と呼ばれ古くから信仰を集めた。
・元弘三年(1333年)、新田義貞と鎌倉幕府の「関戸の戦」の地で関連の史跡が残る。
第8番
清谷山 蓮華院 真照寺 (子安観音)
東京都日野市落川1113
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場17番、多摩川三十四観音霊場11番、日野七福神(恵比須天)
・長和年間(1012-1017年)開山と伝わる真言宗の古刹。
・子安観音として知られる千手観世音菩薩を山内観音堂に奉安。
第9番
桝井山 松連寺 観音堂 (百草観音堂)
東京都下日野市百草849-1
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
※通常無住(八王子清鏡寺管理?)
・もとは京王百草園にあったとされ、景勝の地として知られていた。
・旧松連寺所蔵の多くの仏像を奉安し、「百草観音堂仏教彫刻群」として市の文化財に指定されている。
第10番
塩釜山 清鏡寺 (大塚観音堂・御手の観音)
東京都八王子市大塚378
曹洞宗
御本尊:釈迦三尊(阿弥陀如来)
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:多摩川三十四観音霊場10番、京王三十三観音霊場24番
※御本尊御朱印は御開扉期間中授与なし
・清鏡寺は、もとは北条氏再興祈願の観音堂の別当。
・山内高台の観音堂に奉安の千手観世音菩薩は足腰健康の霊験あらたかで「大塚観音堂・御手の観音」としてふるくから信仰を集めている。
第11番
補陀山 水月院 大泉寺
東京都町田市下小山田町332
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・『新編武蔵風土記稿』には「町田の大寺」と掲載され、いまも大寺の風格を湛える。
・鎌倉武士・小山田有重の城跡に建立し、札所本尊は「見合い観音」とも呼ばれ若い女性の参詣を集めたという。
第12番
龍澤山 保井寺
東京都八王子市堀之内547
曹洞宗
御本尊:虚空藏菩薩
札所本尊:如意輪観世音菩薩
※御本尊御朱印拝受済(御開扉期間中の授与不明)
・読みは「ほうせいじ」。町田市下小山町の観音寺から遷られた如意輪観世音菩薩が札所本尊で、山内観音堂に奉安されている。「椿の寺」としても有名。
第13番
吹王山 (不動院) 玉泉寺(もかけの観音)
東京都八王子市越野726
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩百八ヶ所霊場105番
※御本尊御朱印拝受済(多摩百八ヶ所)
・裳が蓮台までかかる宗風の像容から「もかけの観音」と呼ばれる札所本尊は、旧導義寺観音堂から玉泉寺観音堂に遷られ、現在は越野自治会集会所に奉安されている。
・札所本尊造立の願主は、底部墨書から北条氏照の家臣・小田野周重とみられている。
第14番
高雲山 永泉寺
東京都八王子市鑓水80
御本尊:釈迦無尼仏
札所本尊:正観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・甲州武田家臣・永野和泉開基の古刹で、鑓水の絹商人・八木下要右衛門の旧邸の地とされる。
・俳句の寺として知られ、山内には芭蕉堂が建つ。
第15番
安榮山 明王院 福傳寺 (子安観音)
東京都八王子市明神町4-10-6
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場77番、八王子三十三観音霊場30番、武玉八十八ヶ所霊場65番
※御本尊御朱印拝受済(多摩新四国)
・八王子の街なかにある真言宗寺院で、子安神社の元別当。
・安産の観音さまとして信仰篤く「村内に難産の者なし」と伝わる。
第16番
慈高山 金剛院
東京都八王子市上野町39-2
高野山真言宗
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
関東八十八箇所63番、多摩新四国八十八ヶ所霊場73番、八王子三十三観音霊場31番、京王三十三観音霊場30番、八王子七福神(福禄寿)、武玉八十八ヶ所霊場63番
※御本尊御朱印拝受(関東八十八箇所、多摩新四国)
・草創は天正四年(1576年)僧真清開基の明王院。のちに当地の大師堂とあわせ金剛院と号す。
・札所本尊の十一面観世音菩薩は、本堂参道向かって左手の福聚堂に奉安されている。
第17番
中和山 泉龍寺
神奈川県相模原市南区上鶴間本町8-54-21
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印は御開扉中不授与
・大規模な三重塔を擁する曹洞宗の大寺。三重塔よこに観音堂があるが、御開扉時は本堂に奉安されていた。
・札所本尊は公所の井上助右衛門の霊夢を受けての造立と伝わる。
第18番
竜雲山 高乗寺
東京都八王子市初沢町1425
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:十一面観世音菩薩・三十三体観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場19番
※御本尊御朱印拝受済(御開扉中書置)
・片倉城主・永井大膳太夫高乗(広秀)が開基の「多摩八大寺」に数えられる曹洞宗の名刹。
・札所本尊は、本堂向かって左の大慈閣に奉安されている。
第19番
天龍山 福昌寺
横浜市青葉区恩田町1021-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:武相寅歳薬師如来霊場14番(R4.4/9-5/8御開帳)
※御本尊御朱印拝受済(御開扉中書置)
・横浜市青葉区の住宅地にある曹洞宗寺院。
・以前は二間四方の観音堂があったとされるが、現在、札所本尊は本堂に奉安されている。
第20番
北岸山 喜福寺
東京都八王子市中野山王2-11-11
真言宗系単立
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場11番、武玉八十八ヶ所霊場82番
・応永元年(1394年)開基、徳川幕府から篤く保護されたと伝わる古刹。
・近代建築の本堂は斬新で、この霊場のなかでも異彩を放っている。
第21番
祥雲山 長安寺
東京都八王子市並木町7-1
曹洞宗
御本尊:准胝観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
※御本尊御朱印授与不明
・八王子千人同心の円山長安居士(島村豊後)の開基と伝わる。
・札所本尊の正観世音菩薩は、もとは明治初年に廃寺となった黄檗宗の宗明寺の御本尊。
・御本尊の准胝観世音菩薩は、もともと秩父三十四ヶ所の観音像の一尊ともいわれる。
第22番
常光山 観音院 真覚寺
東京都八王子市散田町5-36-10
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場71番、京王三十三観音霊場32番
※御本尊御朱印拝受済(多摩新四国)
・応永十八年(1411年)、津久井城主・長山修理が観音堂を建立。真覚寺は観音堂の別当であったという。
・心字池を配し、緑豊かでなごめる山内は八王子市の指定旧跡。
第23番
聚林山 千光院 興福寺
東京都八王子市東浅川町754
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場23番
・関東十八代官のひとり雨宮勘兵衛の祖、雨宮秀徳の開基と伝わる。
・もとは観音堂があったと伝わるが、現在は本堂が札所となっている。
第24番
祐照庵 (大戸観音堂)
東京都町田市相原町4643
臨済宗南禅寺派
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:八王子三十三観音霊場20番
※通常無住、寺役管理
・八王子市山田の雲律院の末寺として慶長元年(1596年)に開創。
・観音堂は明治初期に焼失し、現堂宇は第21番長安寺の太子堂を移築したもの。八王子八景のひとつ鐘楼門が見事。
第25番
金剛山 普門寺
神奈川県相模原市緑区中沢200
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・天平年間(729-748年)、行基菩薩開基と伝わる古刹で、山内の飯縄大権現は武田信玄公の尊崇篤かったと伝わる。
・観音堂に奉安の聖観世音菩薩は行基菩薩の御作とも伝わる古仏。
第26番
大瀧山 長徳寺
神奈川県相模原市緑区大島756
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:如意輪観世音菩薩
他札所:高座郡三十三ヶ所観音霊場26番
※御本尊御朱印授与なし
・甲州武田家臣の鳳山良長が、北条との戦いの戦死者を弔うために津久井の巧雲寺から宗山洞益和尚を招聘して創建と伝わる。
・以前は観音堂があったが焼失し、札所本尊は本堂内向かって左手壇内に奉安されている。
第27番
瑞石山 清水寺 (坂下観音、相原観音)
東京都町田市相原町701
臨済宗妙心寺派
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
・坂下観音、相原観音とも呼ばれて信仰を集めた観音様のお寺。
・高台に建つ観音堂は華麗な彫刻が施され見事。市の文化財に指定されている。
第28番
施弥山 慈眼院 福生寺 〔田端観音寺・荒ヶ谷戸の観音〕
東京都町田市小山町2524
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:多摩百八ヶ所霊場97番
※御本尊御朱印拝受済(多摩百八ヶ所)
・天福元年(1233年)、天野孫兵衛が建立し、北条泰時から一字を賜り「福生寺」と号す。
・第28番札所本尊は、田端観音寺の「荒ヶ谷戸の観音」を観音堂に合祀。
第29番
施弥山 慈眼院 福生寺
東京都町田市小山町2524
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:多摩百八ヶ所霊場97番
※御本尊御朱印拝受済(多摩百八ヶ所)
・第29番札所本尊は、平安時代の作とされる檜一本造の正観世音菩薩像で、都有形文化財。 第28番札所本尊とともに観音堂に奉安されている。
第30番
白瀧山 高厳寺 (元町観音堂)
神奈川県相模原市中央区上溝6-18-4 元町自治会館
真言宗
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:正観世音菩薩
他札所:高座郡三十三ヶ所観音霊場24番
※通常無住、自治会管理。
・もとは堂ヶ谷戸にあった高厳寺が、明治末に現地に移されたという。
・現在は自治会管理で、御開扉時のみの開堂と思われる。
第31番
聲音山 観心寺
神奈川県相模原市南区当麻774 原当麻自治会集会所
時宗
御本尊:正観世音大菩薩
札所本尊:正観世音大菩薩
※無量光寺(当麻)の管理。現在無量光寺は御朱印不授与。
・家内安全、ことに安産の観音さまとしてふるくから信仰を集める。
・現在は無量光寺の兼務だが、御開扉時以外は御朱印拝受は困難とみられる。
第32番
補陀洛山 清水寺
神奈川県相模原市南区下溝1457
曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
他札所:高座郡三十三ヶ所観音霊場第22番
・読みは「せいすいじ」。征夷大将軍坂上田村麻呂ゆかりの地に慶長元年(1596年)開山と伝わる。浅草・東岳寺とゆかりをもち、双盤念仏で知られる。
・現在の御本尊は開山時に井戸から出現の十一面観世音菩薩で、坂上田村麻呂ゆかりの尊像とされる。
第33番
吉祥山 覺圓坊 (木曽の観音様)
東京都町田市木曽町4-7-33
天台寺門宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
・当霊場では唯一の天台宗系寺院。康平六年(1063年)、園城寺第31代長吏覺圓僧正が開基という格式をもち、木曾義仲とゆかりをもつ。
・無住の堂宇だが広い境内をもち、端正な堂内に聖観世音菩薩が安置されている。
第34番
柳澤山 泉蔵寺
東京都町田市下小山田町1391
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛(十一面観世音菩薩)
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・正徳五年(1715年)下小山田村領主・柳澤備後守信尹が牛込・宗参寺の末寺として開基。
第35番
上柚木観音堂
東京都八王子市上柚木402-2 神明町会集会所
御本尊:準提観世音菩薩
札所本尊:準提観世音菩薩
※通常無住、14番永泉寺にて授与?
・文化年間(1804-1818年)、由木・永林寺住職の勧めにより並木原に伊藤氏が再興。
・明治はじめに当地に移転。当初は石仏が本尊で、いまは新造の木像とともに本堂厨子内に奉安されている。
第36番
富亀山 養樹院 圓通庵
東京都町田市上小山田町2536
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:准提観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・慶長十九年(1614年)下小山田の大泉寺住職が再興した趣きある寺院。
・札所本尊の准提観世音菩薩は女性の守護仏として信仰篤く、観音堂(圓通庵)に奉安されている。
第37番
瀧澤山 祥雲寺 (身代わり観音)
東京都町田市高ヶ坂7-15-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:身代聖観世音菩薩
他札所:武相寅歳薬師如来霊場19番(R4.4/9-5/8御開帳)
※御本尊御朱印授与なし
・大永六年(1526年)、伊勢原の石雲寺第三世・蓼堂秀郭大和尚を招聘して開山、北条氏の祈願所として創建されたという名刹。
・「身代わり観音」として知られる札所本尊は山内観音堂に奉安されている。
第38番
大悲山 慈眼寺 (都井沢の観音さま)
神奈川県相模原市緑区城山4-367
高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
・安産に霊験あらたかな「都井沢の観音さま」として地域の信仰を集めた観音さま。
・底を閉じない「底なし袋」を観音堂の扉に吊して安産祈願する風習が残る。
第39番
金森山 宗保院
東京都町田市原町田1-8-13
曹洞宗
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
他札所:原町田七福神(布袋尊)
・天文十一年(1542年)、この地の郷士・大河伊与が開基。町田駅に近い街なかの寺院ながら広大な境内をもつ。
・札所本尊の千手観世音菩薩は、大河氏の守り本尊と伝わる。
第40番
飯成山 永昌院
東京都八王子市中山452-2
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・天正十年(1582年)下柚木の栄林寺住職により創建、開基は葛沢豊前守と伝わる。
・札所本尊は山内観音堂に奉安。「ネコの寺」として有名?
第41番
金峰山 永林寺
東京都八王子市下柚木4
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:京王三十三観音霊場25番
※御本尊御朱印あり(書置)
・八王子だも有数の名刹。天文元年(1532年)、由木城主、武蔵國守護代・大石定久がこの地を叔父の一種長澄大和尚に譲り、永鱗寺として創建。徳川家康公も参拝し、赤門の建立を許される。
・札所本尊は山内高台の三重塔内に塔本尊として奉安され、御開扉時にはめずらしい三重塔と回向柱のとりあわせが見られる。
第42番
白華山 慈眼寺
東京都八王子市片倉町944
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・曹洞宗寺院ながら、御本尊は聖観世音菩薩。
・札所本尊の十一面観世音菩薩は、讃岐の七宝山観音寺の写しと伝わる。
第43番
金龍山 信松院
東京都八王子市台町3-18-28
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:八王子七福神(布袋尊)
※御本尊、信松尼の御朱印あり
・武田信玄公の息女・松姫を開基とする歴史の香り高い名刹。
・松姫は織田信長公の長男・信忠と婚約するも破談となり、天正十年(1582年)武田氏滅亡ののち八王子に逃れ、心源院にて出家(信松尼)、御所水(台町)の当地に庵を結んだという。
・以降、当庵で武田氏ゆかりの人々の菩提を弔い、八王子千人同心をはじめとする旧武田家臣の尊敬を集めたという。
第44番
大澤山 宗印寺
東京都日野市平山6-15-11
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:日野七福神(布袋尊)
・鎌倉御家人の重鎮・平山季重公ゆかりの名刹。
・「人々の願いには必ず応える」という聖観世音菩薩が御本尊として奉安されている。
第45番
金光山 観泉寺
東京都町田市真光寺町1210
曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
・元和元年(1615年)、大坂夏の陣で戦死したこの地の領主・飯田右馬之助昌有の菩提のために子の飯田次郎右衛門昌重が、小山田の大泉寺の住職を迎えて開創。
・御本尊・聖観世音菩薩のほか、脇本尊に二尊の観音像を奉安する観音さまのお寺。
第46番
一乗山 久松寺 吉祥院
東京都八王子市長房町58-3
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場67番、八王子七福神(吉祥天)
※御本尊御朱印拝受済(多摩新四国)
・八王子北部の高台に建つ真言宗寺院で、山内には多彩な尊格が奉安されている。
・八王子七福神の吉祥天霊場で、古来からの当寺の縁起にちなむという。
第47番
境國山 定方寺
神奈川県大和市下鶴間145
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:正観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
・当初は境川沿い(現・定方寺公園)にあったが水害により当地に移転。
・札所本尊の正観世音菩薩は、庫裡寄りの一画で御開扉されていた。
第48番
淵源山 龍像寺
神奈川県相模原市中央区東淵野辺3-25-1
曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
札所本尊:聖観世音菩薩
※御本尊御朱印授与なし
【写真 上(左)】 第48番 龍像寺
【写真 下(右)】 同 御朱印(専用納経帳用)
・暦応年間(1338-1341年)、この地の地頭・淵辺伊賀守義博による開基で、江戸時代のこの地の領主・岡野氏一族の菩提寺。
・札所本尊は、本堂向かって左手の高台に建つ六角堂(観音堂)内に奉安されている。
〔 結願証 〕
第48番龍像寺様にていただきました。
48箇寺はさすがにまわり応えがありましたが、札所のご対応も親切で充実した札所巡りとなりました。
まだ半月あります。
12年にいちどの貴重な機会、ぜひぜひどうぞ。
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真言宗の勤行式のなかに「祈願文」(きがんぶん・きがんもん)があります。
僧侶のみならず、在家の人々もこのような大きな願いを営々と託してきたとは、おどろくばかりです。
宗派は違っても、御開帳の回向柱にはおおむねこのような願いが揮毫されています。
祈願文
至心発願(ししんほつがん)
天長地久(てんちょうちきゅう)
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
密厳国土(みつごんこくど)
風雨順時(ふううじゅんじ)
五穀豊饒(ごこくぶにょう)
万邦協和(ばんぽきょうわ)
諸人快楽(しょにんけらく)
乃至(及以)法界(ないし(ぎゅうい)ほうかい)
平等利益(びょうどうりやく)
(意訳)愛宕山弘正寺様(愛知県岡崎市)の公式Webより引用
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真心を持って祈ります。
宇宙が永遠に存在し
すべての人がこの身このままで仏様になり
この世が仏様の世界となり
天地宇宙が順調に進み
農作物が豊かに実り
この世が平和で
人々が幸せであって
世界であまねく
仏様の恵みが平等でありますように
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2023/04/12 UP
半分以上回り終えました。
次第に知られてきているようで、先の土日はかなりの賑わいだった模様です。
東大和と寺院散策様の情報によると、非御開扉時でもだいたい御朱印はいただけそうです。
ただし、第31番観心寺の御朱印は「相模原市南区の無量光寺」でとなっていますが、無量光寺では現在御朱印を授与しておられませんので、こちらは「12年に一度の御朱印」となる可能性があります。
【写真 上(左)】 第31番観心寺
【写真 下(右)】 第31番観心寺の御朱印
【写真 上(左)】 無量光寺
【写真 下(右)】 無量光寺の掲示
無住のお堂で寺役さんに連絡して御朱印をいただくのはたいへんですし、なにより御開扉時の観音堂は華やいで、常とはちがう巡拝が味わえます。
まだまだ時間はありますので、貴重な卯年の御開扉を味わってみてはいかがでしょうか。
【写真 上(左)】 第27番清水寺
【写真 下(右)】 第27番清水寺の御朱印
なお、御本尊の御朱印については、関東八十八ヶ所や多摩新四国霊場の兼務札所では拝受できますが、武州卯歳の単独札所では不授与のところが多そうです。
入手困難と思っていたガイドブック(1999年11月刊)が第43番信松院様で頒布されていたので購入しました。
↓ こちらのガイドにも詳細に載っています。(メイツ出版 1,630円税別)
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武相卯歳四十八観音霊場が4/1から御開扉となっています。
・御開扉(開帳)期間:4/1~4/30
・札所数48、開扉(開帳)数48、御朱印授与数48
・霊場概要・札所一覧はニッポンの霊場様をご参照ください。
・御朱印対応時間:9:00~17:00 御朱印各300円
・専用納経帳あり(300円) 各札所にて頒布されています。
・武蔵国(八王子市・日野市・多摩市・町田市)と相模国(横浜市・相模原市・大和市)の48の札所からなる観音菩薩霊場です。
・12年に一度、卯歳に御開扉(開帳)され、前回は平成23年春でした。
・開創は宝暦九年(1759年)と伝わり、今回の御開扉(開帳)は第23回目。第1回御開扉から264年目に当たります。
・札所数は変動し、江戸時代の開創当時は33、第二十回開扉(1987年)では50、第二十一回開扉(1999年)では48となり、以降48で固定している模様です。(『武相観音めぐり』より)
・札所の宗派は多彩ですが、曹洞宗と真言宗寺院が多くなっています。
【写真 上(左)】 パンフレット
【写真 下(右)】 御開扉の幟
〔 パンフレット掲載の札所位置図 〕
4/1に第1番の鶴間山 観音寺様から打ちはじめました。
いまのところ6札所回っただけですが、最新情報をお伝えします。
専用納経帳は300円で頒布され、これに綴じ孔つきの専用御朱印を綴じ込んでいくかたちです。
前回、平成23年の専用納経帳よりひとまわり小さな体裁となっています。
【写真 上(左)】 今回の専用納経帳
【写真 下(右)】 前回(平成23年)の専用納経帳
【写真 上(左)】 第1番 観音寺の専用納経帳用御朱印(今回)
【写真 下(右)】 同(前回)
※「御開扉」印は、ご対応ある札所とない札所があるようです。
【写真 上(左)】 第1番 観音寺の御朱印帳貼付用御朱印(今回)
【写真 下(右)】 同 回向柱と向拝
別に御朱印帳貼付用の綴じ孔のあいていない書置御朱印も授与されていますが、すべての札所で授与されているかは不明。
御朱印帳直書についてのご対応は不明ですが、むずかしいかもしれません。
【写真 上(左)】 第1番 観音寺の札所標
【写真 下(右)】 第1番 観音寺の参道
通常無人の観音堂から、複数の霊場札所を兼務される大寺までさまざまで、変化に富んだ巡拝を味わえます。
とくに多摩丘陵の山ふところに点在する禅刹は、いずれも趣きのあるたたずまいです。
【写真 上(左)】 第17番 泉龍寺
【写真 下(右)】 同 御朱印(専用納経帳用)
無人の札所についてはおそらく通常は不授与で、中開帳もない模様なので12年に一度の御朱印となります。
公共交通機関の利用が推奨されているものの、多くの札所寺院は駐車場を備えられています。
(第2番 随流院様には駐車場はありませんが、すぐそばにコインパーキングがあります。)
ただし鶴間周辺、町田市中心部、八王子市中心部などは渋滞気味で予想以上に移動時間をとられます。
なので、17時までのご対応はありがたいことです。
回向柱は建立されている札所とない札所があります。
札所本尊の観音様はおおむね堂内奥に御座されて御開扉。回向柱はなくとも縁の綱は向拝まで引かれているようです。
なお、堂内はすべての札所で撮影禁止です。
早いタイミングであれば、桜のもとでの巡拝もできます。
札所数は多いですが、この貴重な機会に巡拝されてみてはいかがでしょうか。
詳細については、第1番 観音寺様の公式Web(→こちら)をご覧ください。
札所地図はこちらの「第23回 御開扉 パンフレット」からjpeg形式でダウンロードできます。
(各札所で配布されているパンフにも掲載されています。)
【 BGM 】
■ 桜 - 中村舞子(Covered)
■ ひらひら ひらら - ClariS
■ 名もない花 - 遥海
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■ インバウンド復活 & バンドリ! & 1970年代ロック
都内の繁華街、このところなんかしらんけどインバウンドがあふれかえっておりますね。
ラグジュアリーホテルもインバウンドに占拠されているという話だし、あおりを受けてふつうのホテルも宿泊料高騰気味とか・・・。
そのうち、まともなホテルに泊まれるのはインバウンド様だけで、自国民は泊まれないって、いつぞやのアイランド・リゾート国みたいになったりして・・・(笑えん)
まぁ、それでも衰頽したといわれるこの国にもまだまだ魅力はたくさんあるのかと。
音楽もそう。
シティ・ポップの動画のコメントはもはや外国語で埋め尽くされてる。
■ Mariya Takeuchi/ 竹内 まりや - Plastic Love
でも、これからブレイクするのは、アニメ系ガールズグループじゃないかと思っている。
もともとBABYMETALは、日本よりも海外での人気が高いと目されている。
■ BABYMETAL - Mirror Mirror (OFFICIAL)
つぎにくるのはオール女子のフルバンド系では?
バンドリ! とか声優ユニット関係聴くと、音楽的なレベルの高さを感じる今日このごろ。
■ Poppin'Party - キズナミュージック♪
■ Poppin'Party - Moonlight Walk(BanG Dream! 9th☆LIVE「The Beginning」より)【期間限定】
個人的に大橋彩香ちゃんの手数の多いドラムス、好物なんですけど・・・
ドラムスがしっかりしているから、”キメ”がばっちり決まる。
これ、バンドサウンドの醍醐味だと思う。
■ Roselia - LOUDER(Roselia単独ライブ「Episode of Roselia DAY1 : Weißklee」より)【期間限定】
■ Morfonica - Nevereverland(BanG Dream! 9th☆LIVE「Mythology」より)【期間限定】
■ Walküre&May'n(同時再生) - サヨナラノツバサ
■ RAISE A SUILEN - We are RAISE A SUILEN!(Introduction of RAISE A SUILEN/BanG Dream! 9th LIVE「Mythology」DAY2)
■ TrySail - TrySail Live 2021 "Double the Cape" - Digest Movie
■ mona(CV:夏川椎菜(TrySail)) - 誇り高きアイドル【HoneyWorks】
とても●カにするどころじゃない演奏力&歌唱力。
音的にはインストのアンサンブルがベースになっていて、むしろ1970年代後半~1980年代初頭のプログレハード~ヘビメタに近い。
■ Led Zeppelin - Achilles Last Stand
■ Rush - Closer to the Heart
■ Kansas - Crossfire
■ Whitesnake - Bad Boys
■ Judas Priest - Painkiller
でもって、これにヒーカップばりばりのアニソン系ハイトーンが乗る。
こういうサウンド&ビジュアル、ワールドワイドでみても貴重だから、もしかして海外から本格的に火がつくかもしれぬ。
実際、コメント欄にかなり外国語入り始めてるし。
こちらもチケット海外から高値で買い占められて、日本人には高値の花になっちゃうかもよ・・・(笑)
↓ こういう変則リズムだって、あっさりこなしてしまう。
これが女神系歌姫の底力かと。
愛美「カザニア」Official Music Video (TVアニメ「現実主義勇者の王国再建記」EDテーマ)
↓ ClariSもブレイクの可能性あり。
■ ClariS - ひらひら ひらら
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