ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H28.12.25(日) 夕張から厚岸へ

2017-02-18 | 北海道
 クリスマスイブの夜は夕張駅から1㎞ほど離れたホテルシューパロに泊まった。


 朝、目が覚めて街の方を見ると晴れていた。

 朝食を食べに行くと、半分以上が外国人で、次から次へとやって来る。インバウンドの威力は夕張にも間違いなく及んでいる。
 中国でも台湾でも韓国でもなく、モンゴルかチベット、あるいはシルクロードかな?と思うような人が多くいた。どこから来ている人たちなのか気になったので、ホテルの人に聞いてみると、タイからとのこと。最近はタイ・シンガポールの人が増えているらしい。

 夕張駅まではホテルの送迎バスで移動。


 新十津川よりは本数は多いものの、ほとんどの人が自動車利用なのだろう。
 夕張支線の廃止は地元も受け入れているので、夕張から列車に乗るのはこれで最後かもしれない。


 8時17分着の列車がやってきた。

 夕張駅からの乗客は日本人3人、欧米人1人、中国人のような気もするけどイマイチよくわからないアジア系親子3人。


 列車が折返し準備をしている間に日本人3人が写真を撮るのを見た欧米人が「オー、メニー、トレインガイ!」と叫ぶ。思わず噴き出した。トレインガイと言うのか・・・。

 一方、アジア系の父親が「これはスペシャルトレインか」と聞いてきた。
 ある意味、スペシャルかもしれないけど、それを説明するまでの英作文がアタマに浮かばないし、普通のコミュタートレインの方が好きな人もいるし、何の変哲もない普通の列車を撮るのが日本人のあり方なのだ(?)ということを示す必要もある(?)だろうと思い、「ノーマルなトレインだ」と伝えた。


 キハ40-1824は定刻に夕張を出発。途中、南清水沢から5~6人の乗客があり、新夕張に到着。


 「スーパーとかち1号」は少し遅れてやってくるとのことで、駅前広場に行ってみた。駅名は紅葉山のままでもよかったのでは・・・。





 さて、遅れてやってきた「スーパーとかち1号」はST-1102編成。前日に長万部から南千歳まで乗った編成である。
新夕張を14分遅れで出発した。

 新得までは平成23年12月に来ているが、新得以東に入るのは平成7年8月以来となる。最近、JR北海道の路線のあり方について話題になっており、今さらながら、どんな利用状況なのか気になって、久しぶりに道東方面に足を踏み入れることにした。



 帯広で下車するのは初めてである。
 帯広駅は2面4線の駅だが、宮崎駅と同じく、1・2番線用の改札と3・4番線用の改札が別々となっている構造だった。




 観光案内所で十勝・帯広の観光パンフレットを入手し、駅前広場に出て見渡すとおそらく近年進出したと思われるチェーンホテルが多い。


 少し早い昼食をとることにして、帯広駅前の「ぱんちょう」に入った。豚丼、しっかりとした味だった。
 その後、帯広の中心街を歩いて藤丸デパートまで歩いたが、「もしかして、帯広って潤ってる?」という印象を受けた。あまり人通りは多いと言えないが、商店街は裏通り含めて小奇麗。
なんだか不思議なので、「帯広」「景気」といったワードで検索してみると、どうやら十勝は大規模農業で潤っているようであり、ついでに北海道の所得を調べてみると、道北・道東の第一次産業主体の自治体が高ランクに入っているようだ。

 ぶらぶらしていると、六花亭帯広本店を発見。
 お菓子のお店と思っていたが、食事もできるようなので、お茶でも飲みに、ということで入ってみた。


 豚丼を食べたばかりなので帯広本店オリジナル「帯広の森(冬)」を注文。他の客はピザを頼んでいる人が多いようだが、ピザが有名なのか???


 帯広からは「スーパーおおぞら5号」に乗るが、2番線、3番線にキハ40がとまっていたので撮っておく。「スーパーおおぞら5号」は23分遅れで帯広を出発。
 「エゾシカ、カモシカが多く発生する区間に入ります・・・」という放送が入る。




 冬の北海道は日が短い。


 16時近くなると薄暗くなってくる。
 白糠を25分遅れで出発したが、網走行き、根室行きには接続するという


 釧路からは久しぶりにキハ54に乗車。


 席が埋まっていたので、運転室後ろで前面展望し、厚岸で下車した。


 JASマークを見ると、学生時代に戻った気分。

 厚岸では、駅から徒歩1分のホテル五味に泊まった。


 食事はちょっと豪勢なものを予約していたが、予想を超える見事なものだった。


 牡蠣、牡蠣、牡蠣。


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