ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

12月3日(木)小田急

2009-12-05 | 京急・東急・小田急
 久しぶりに町田から朝の小田急に乗った。
 
 昭和61年12月から翌春まで、横浜線で町田に出て、小田急に乗って通学していた。
 翌春からは経路を変更したのでわずかな期間だったが、小田急の混雑の凄まじさは忘れられない。
 当時の朝ラッシュ時間帯は、急行と準急がそれぞれ6分毎に運行されており、向ヶ丘遊園から各駅停車が加わるというダイヤであった。
 そして、町田から新宿までは日中35分のところを朝は50分かかっていた。

 6分毎に町田を出発する急行は、尻押しが無理やり押し込んで満員御礼で出発していた。
 私の学校は準急停車駅だったので、それを眺めていただけだが、毎朝50分も缶詰状態での通勤は大変だなぁと思っていた。
 
 朝の小田急町田はそれ以来であり、22年ぶりとなる。


 昔話はこのへんにして、上りホームに上がると8000系がとまっていた。


 この車両を最初に見たのは、当時なのか、あるいはもう少し前なのかよくわからないが、このブラックフェイスには新鮮な印象を持ったことは覚えている。

 さて、町田からは8時20分発の急行に乗車したが、到着の遅れもあり、3分遅れで出発した。
 東海道本線の人身事故の影響を受け、小田急に客が流れ込み、遅延しているらしい。

 登戸を出ると、急行線を快走し、成城学園で1分遅れに回復。
 しかし、梅が丘からはノロノロ運転となり、下北沢に7分遅れで到着。

 上原で下車し、各駅停車を待ったが、乗ってきた急行がなかなか動かない。


 急行が動かず暇な上、千代田線に209系がやってきたので撮っておく。
 この車両、撮るのは初めてのような気がする。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 用事が済んだ後、電車の待ち時間に撮影。


 昔はデータイムでも新宿~遊園間は各駅停車が毎時10本だったか、12本だったかが走っていたが、いまは毎時6本になったので、各駅停車しか停まらない駅は待ち時間が長く感じられる。

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