久しぶりに町田から朝の小田急に乗った。
昭和61年12月から翌春まで、横浜線で町田に出て、小田急に乗って通学していた。
翌春からは経路を変更したのでわずかな期間だったが、小田急の混雑の凄まじさは忘れられない。
当時の朝ラッシュ時間帯は、急行と準急がそれぞれ6分毎に運行されており、向ヶ丘遊園から各駅停車が加わるというダイヤであった。
そして、町田から新宿までは日中35分のところを朝は50分かかっていた。
6分毎に町田を出発する急行は、尻押しが無理やり押し込んで満員御礼で出発していた。
私の学校は準急停車駅だったので、それを眺めていただけだが、毎朝50分も缶詰状態での通勤は大変だなぁと思っていた。
朝の小田急町田はそれ以来であり、22年ぶりとなる。
昔話はこのへんにして、上りホームに上がると8000系がとまっていた。
この車両を最初に見たのは、当時なのか、あるいはもう少し前なのかよくわからないが、このブラックフェイスには新鮮な印象を持ったことは覚えている。
さて、町田からは8時20分発の急行に乗車したが、到着の遅れもあり、3分遅れで出発した。
東海道本線の人身事故の影響を受け、小田急に客が流れ込み、遅延しているらしい。
登戸を出ると、急行線を快走し、成城学園で1分遅れに回復。
しかし、梅が丘からはノロノロ運転となり、下北沢に7分遅れで到着。
上原で下車し、各駅停車を待ったが、乗ってきた急行がなかなか動かない。
急行が動かず暇な上、千代田線に209系がやってきたので撮っておく。
この車両、撮るのは初めてのような気がする。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
用事が済んだ後、電車の待ち時間に撮影。
昔はデータイムでも新宿~遊園間は各駅停車が毎時10本だったか、12本だったかが走っていたが、いまは毎時6本になったので、各駅停車しか停まらない駅は待ち時間が長く感じられる。
昭和61年12月から翌春まで、横浜線で町田に出て、小田急に乗って通学していた。
翌春からは経路を変更したのでわずかな期間だったが、小田急の混雑の凄まじさは忘れられない。
当時の朝ラッシュ時間帯は、急行と準急がそれぞれ6分毎に運行されており、向ヶ丘遊園から各駅停車が加わるというダイヤであった。
そして、町田から新宿までは日中35分のところを朝は50分かかっていた。
6分毎に町田を出発する急行は、尻押しが無理やり押し込んで満員御礼で出発していた。
私の学校は準急停車駅だったので、それを眺めていただけだが、毎朝50分も缶詰状態での通勤は大変だなぁと思っていた。
朝の小田急町田はそれ以来であり、22年ぶりとなる。
昔話はこのへんにして、上りホームに上がると8000系がとまっていた。
この車両を最初に見たのは、当時なのか、あるいはもう少し前なのかよくわからないが、このブラックフェイスには新鮮な印象を持ったことは覚えている。
さて、町田からは8時20分発の急行に乗車したが、到着の遅れもあり、3分遅れで出発した。
東海道本線の人身事故の影響を受け、小田急に客が流れ込み、遅延しているらしい。
登戸を出ると、急行線を快走し、成城学園で1分遅れに回復。
しかし、梅が丘からはノロノロ運転となり、下北沢に7分遅れで到着。
上原で下車し、各駅停車を待ったが、乗ってきた急行がなかなか動かない。
急行が動かず暇な上、千代田線に209系がやってきたので撮っておく。
この車両、撮るのは初めてのような気がする。
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用事が済んだ後、電車の待ち時間に撮影。
昔はデータイムでも新宿~遊園間は各駅停車が毎時10本だったか、12本だったかが走っていたが、いまは毎時6本になったので、各駅停車しか停まらない駅は待ち時間が長く感じられる。