先日、都内の人気ラーメン店が火事になった。
このラーメン店は、色々なこだわりがあり、
常連客も多い反面、
あまり好ましく思っていない人も多い。
この店の火事のニュースがネットに上がったあと、
『○○ラーメン店炎上』という見出しから、
またこの店、何かやらかしたのかという
早とちりな受け止めをした人がいたようだ。
だが、火災と聞いて
「本当の炎上だったのか」というコメントが散見された。
たしかに現代では、
炎上=火災ではなく、
ネットで叩かれる、という意味のほうが浸透している。
なので、早とちりというよりは、
自然な反応とでも言うべきか。
昔、高校生だった時、
ある予備校の夏期講習に通っていた。
その時の国語の授業で、炎上という言葉が出た。
講師の先生が、
「炎上というと、どんな物が燃えるイメージがありますか?」
と一人の生徒に聞いた。
その生徒は、「車」と答えた。
すると先生は、少し驚いたように
「そうか。車も炎上と言いますね。
私が言おうとしたのは、神社やお寺などの
ある程度の大きさがあり、格式のある物。
そういう物を炎上と言うのですが、
たしかに車も、炎上するって言いますね。」
つまりは高価であるもの、も
ワードに含まれるのかもしれない。
高校生の私は、炎上という意味をそう捉えていた。
しかし、今はネットから炎上という意味が、
全く違うニュアンスに変わってしまっている。
Wikipediaでも
『炎上(えんじょう)とは、
インターネット上のコメント欄などにおいて、
稚拙な批判や誹謗中傷などを含む投稿が集中することをいう』
とある。
上の写真は、1950年に起きた
金閣寺の炎上事件である。
小説の題名にもなったからか、
この火災は今でも、炎上という言葉が付く。
ラーメン店の話に戻ると、
『あの店、このまえ炎上したよ』と聞いて、
ネットで叩かれたのか、と思う人と、
火事になったのか、と思う人と、
どちらが多いのだろうか。
いや、もっとわかりやすく
『あの神社、このまえ炎上したよ』
と聞いたら、どちらになるだろう。
このラーメン店は、色々なこだわりがあり、
常連客も多い反面、
あまり好ましく思っていない人も多い。
この店の火事のニュースがネットに上がったあと、
『○○ラーメン店炎上』という見出しから、
またこの店、何かやらかしたのかという
早とちりな受け止めをした人がいたようだ。
だが、火災と聞いて
「本当の炎上だったのか」というコメントが散見された。
たしかに現代では、
炎上=火災ではなく、
ネットで叩かれる、という意味のほうが浸透している。
なので、早とちりというよりは、
自然な反応とでも言うべきか。
昔、高校生だった時、
ある予備校の夏期講習に通っていた。
その時の国語の授業で、炎上という言葉が出た。
講師の先生が、
「炎上というと、どんな物が燃えるイメージがありますか?」
と一人の生徒に聞いた。
その生徒は、「車」と答えた。
すると先生は、少し驚いたように
「そうか。車も炎上と言いますね。
私が言おうとしたのは、神社やお寺などの
ある程度の大きさがあり、格式のある物。
そういう物を炎上と言うのですが、
たしかに車も、炎上するって言いますね。」
つまりは高価であるもの、も
ワードに含まれるのかもしれない。
高校生の私は、炎上という意味をそう捉えていた。
しかし、今はネットから炎上という意味が、
全く違うニュアンスに変わってしまっている。
Wikipediaでも
『炎上(えんじょう)とは、
インターネット上のコメント欄などにおいて、
稚拙な批判や誹謗中傷などを含む投稿が集中することをいう』
とある。
上の写真は、1950年に起きた
金閣寺の炎上事件である。
小説の題名にもなったからか、
この火災は今でも、炎上という言葉が付く。
ラーメン店の話に戻ると、
『あの店、このまえ炎上したよ』と聞いて、
ネットで叩かれたのか、と思う人と、
火事になったのか、と思う人と、
どちらが多いのだろうか。
いや、もっとわかりやすく
『あの神社、このまえ炎上したよ』
と聞いたら、どちらになるだろう。
昨日、上野公園に行ってみた。
アメ横の買い物に用があったのだが、
ついでに、花見客で身動きが取れないであろう
上野公園の桜も見て来るか、と思いたった。
実は、桜の季節の上野公園に行った事がない。
井の頭公園や目黒川は何度か見に行ったが、
ニュースで定番の上野公園の桜は一度もなかった。
それもあって、昨日はあえて上野公園に足を向けてみた。
昭和や平成の花見は
カラオケや踊り、はたまたケンカまでと
騒々しい花見が主体だったが、
令和の花見は、静かに落ち着いたものになっているという。
昨日の上野公園はたしかに、
騒ぎたてたり不快なシーンはお目にかからなかった。
目黒川のほうでは、桜をゆっくり見ながら食事ができる
『桜テラス』なる店が人気だそうだ。
まあ目黒川のほうは、花見のシートという場所ではないので
そういう店が人気あるのだろうが、
上野もシートの上で、皆こじんまり食事している。
江戸時代に、隅田川の氾濫を防ぐため、
土手を作ったがなかなか固められず
すぐ流されてしまう。
そこで幕府は、土手に根が強く丈夫な桜の木を植える。
同時に、食糧制限などで不満の多かった民衆に、
一週間、土手で桜を見ながら飲食して良いという許可を出した。
土手の上に人が集まり、踏み固められて頑丈な土手になる。
それが、花見のルーツだという。
チコちゃんでやっていたが、なるほどと思う。
今は、会社の花見も参加を渋る新入社員が多くなった。
新人の仕事?でもあった場所取りも、
近年では逆に上司が務め、
新人に声をかけている状態だという。
2007年4月2日のブログで、
私は昔、サークルの花見の場所取りをした思い出を書いた。
待っている間に、若い人同士で飲み始め、
楽しく過ごした思い出だった。
なので私には、花見の場所取りというと、
楽しい思い出しかない。
その時のサークルの花見は1989年。
今から35年前だったが、
今でも鮮明に覚えている。
昨日の東京は、20度を超える陽気の日曜日。
コロナが明け久しぶりの賑やかな花見。
それぞれの人々に、それぞれの桜の思い出・・。
アメ横の買い物に用があったのだが、
ついでに、花見客で身動きが取れないであろう
上野公園の桜も見て来るか、と思いたった。
実は、桜の季節の上野公園に行った事がない。
井の頭公園や目黒川は何度か見に行ったが、
ニュースで定番の上野公園の桜は一度もなかった。
それもあって、昨日はあえて上野公園に足を向けてみた。
昭和や平成の花見は
カラオケや踊り、はたまたケンカまでと
騒々しい花見が主体だったが、
令和の花見は、静かに落ち着いたものになっているという。
昨日の上野公園はたしかに、
騒ぎたてたり不快なシーンはお目にかからなかった。
目黒川のほうでは、桜をゆっくり見ながら食事ができる
『桜テラス』なる店が人気だそうだ。
まあ目黒川のほうは、花見のシートという場所ではないので
そういう店が人気あるのだろうが、
上野もシートの上で、皆こじんまり食事している。
江戸時代に、隅田川の氾濫を防ぐため、
土手を作ったがなかなか固められず
すぐ流されてしまう。
そこで幕府は、土手に根が強く丈夫な桜の木を植える。
同時に、食糧制限などで不満の多かった民衆に、
一週間、土手で桜を見ながら飲食して良いという許可を出した。
土手の上に人が集まり、踏み固められて頑丈な土手になる。
それが、花見のルーツだという。
チコちゃんでやっていたが、なるほどと思う。
今は、会社の花見も参加を渋る新入社員が多くなった。
新人の仕事?でもあった場所取りも、
近年では逆に上司が務め、
新人に声をかけている状態だという。
2007年4月2日のブログで、
私は昔、サークルの花見の場所取りをした思い出を書いた。
待っている間に、若い人同士で飲み始め、
楽しく過ごした思い出だった。
なので私には、花見の場所取りというと、
楽しい思い出しかない。
その時のサークルの花見は1989年。
今から35年前だったが、
今でも鮮明に覚えている。
昨日の東京は、20度を超える陽気の日曜日。
コロナが明け久しぶりの賑やかな花見。
それぞれの人々に、それぞれの桜の思い出・・。
4月。
私のいる商店会でも、今月総会が開かれる。
そのお知らせと、出欠の用紙、委任状が配られている。
委任状。
欠席の際は、この委任状に氏名を書いて提出する。
総会当日は、出席者と、この委任状の人数を足して
全会員の半分なり3分の2なりの人数がいれば、総会は成立する。
なので、欠席者は委任状の提出が大事である。
ところで、委任状には
『一切の議決権を○○に委任します』という一文がある。
ここには誰の名前を書けばいいのか。
たいがい、「会長」や「議長」と書く人が多い。
話し合いを一任して、結果に異議は唱えませんという紙なので、
一番偉い会長や議長で間違いはないと思う。
私も過去にはそう思っていた。
ところが、もう20年前くらいだが、
市内の団体の、そういう会議に詳しい事務の人から聞いた話だ。
総会で、発言権や決定権のあるのは一般出席者。
会長や議長は主催者側で、審議して下さい側。
なので、委任する相手は一般出席者でなければいけない。
主催者に決定権を一任しますはおかしいでしょう?
という事であった。
さらにもうひとつ。
委任するされる人は、一人に対して一人という決まりがある。
一人の人に対して、複数の人が委任してしまったら無効になる。
例えば、(プロ野球監督の名を拝借して)例にとると、
出席 → 阿部、新井、岡田、高津、立浪、三浦
欠席 → 今江、小久保、新庄、中嶋、松井、吉井
欠席の今江さん、小久保さんの二人が
『阿部さんに一任します』と書くと、
小久保さんの委任状は無効になってしまうのだ。
なので、今江さんは阿部さんの名を、
小久保さんは新井さんの名を、
新庄さんは岡田さんの名を書く、という形なら全て有効なのだ。
でもこれでは、誰かの名前を書こうにも
誰が出席だか欠席だかわからない。
そこで、ベストなのは名前は一切書かず空欄で提出する。
そして、取りまとめた事務局が上記に従って、
阿部さん、新井さんというように割り振っていく。
これなら、欠席者の方が多く出席者の名が出尽くしても
たいがい半分や3分の2に達するので、総会成立という事である。
しかし、絶対ではない。
会員60名で、3分の2で成立(40名)という会で、
出席18・欠席42だったとする。
欠席42名は全員委任状を出したとしても、
この割り振りをしたら、出席18委任状18、計36で、
総会は成立しない。
まともに捉えると、このやり方は欠陥である。
先日、商店会の総会準備の話し合いの中で、
私は年上の会員の皆さん方に、この話をちょっとしてみた。
皆さんの答えは、『そんなの、来る人数がわかればいいよ』
20年前の、この話をした事務員は
『これは覚えておくと役に立ちます』と言っていたが、
高齢者の会員相手では、あまりウケは良くなかった。
それ以前に、総会の出欠の返事すら集まるかどうかである。
私のいる商店会でも、今月総会が開かれる。
そのお知らせと、出欠の用紙、委任状が配られている。
委任状。
欠席の際は、この委任状に氏名を書いて提出する。
総会当日は、出席者と、この委任状の人数を足して
全会員の半分なり3分の2なりの人数がいれば、総会は成立する。
なので、欠席者は委任状の提出が大事である。
ところで、委任状には
『一切の議決権を○○に委任します』という一文がある。
ここには誰の名前を書けばいいのか。
たいがい、「会長」や「議長」と書く人が多い。
話し合いを一任して、結果に異議は唱えませんという紙なので、
一番偉い会長や議長で間違いはないと思う。
私も過去にはそう思っていた。
ところが、もう20年前くらいだが、
市内の団体の、そういう会議に詳しい事務の人から聞いた話だ。
総会で、発言権や決定権のあるのは一般出席者。
会長や議長は主催者側で、審議して下さい側。
なので、委任する相手は一般出席者でなければいけない。
主催者に決定権を一任しますはおかしいでしょう?
という事であった。
さらにもうひとつ。
委任するされる人は、一人に対して一人という決まりがある。
一人の人に対して、複数の人が委任してしまったら無効になる。
例えば、(プロ野球監督の名を拝借して)例にとると、
出席 → 阿部、新井、岡田、高津、立浪、三浦
欠席 → 今江、小久保、新庄、中嶋、松井、吉井
欠席の今江さん、小久保さんの二人が
『阿部さんに一任します』と書くと、
小久保さんの委任状は無効になってしまうのだ。
なので、今江さんは阿部さんの名を、
小久保さんは新井さんの名を、
新庄さんは岡田さんの名を書く、という形なら全て有効なのだ。
でもこれでは、誰かの名前を書こうにも
誰が出席だか欠席だかわからない。
そこで、ベストなのは名前は一切書かず空欄で提出する。
そして、取りまとめた事務局が上記に従って、
阿部さん、新井さんというように割り振っていく。
これなら、欠席者の方が多く出席者の名が出尽くしても
たいがい半分や3分の2に達するので、総会成立という事である。
しかし、絶対ではない。
会員60名で、3分の2で成立(40名)という会で、
出席18・欠席42だったとする。
欠席42名は全員委任状を出したとしても、
この割り振りをしたら、出席18委任状18、計36で、
総会は成立しない。
まともに捉えると、このやり方は欠陥である。
先日、商店会の総会準備の話し合いの中で、
私は年上の会員の皆さん方に、この話をちょっとしてみた。
皆さんの答えは、『そんなの、来る人数がわかればいいよ』
20年前の、この話をした事務員は
『これは覚えておくと役に立ちます』と言っていたが、
高齢者の会員相手では、あまりウケは良くなかった。
それ以前に、総会の出欠の返事すら集まるかどうかである。
面白いクイズがあった。
A君は友達から
あるコンサートのチケットを買おうと思いました。
チケットは
9000円、7000円、5000円の三種類あります。
A君は9000円のチケットを希望していたので、
10000円を現金書留で送りました。
ところが送ったあと、
9000円のを希望と書くのを忘れた事に気づきました。
しかし後日、
ちゃんと9000円のチケットと、
1000円のお釣りが送られてきました。
友達はなぜ
A君が、9000円のを希望とわかったのでしょう?
私はしばらく考えたが、結局わからなかった。
10000円札が入っていれば
当然すべてのチケットの可能性がある。
でも、なぜだ・・。
答えは
「2000円札を5枚送った」である。
それなら友達は、9000円と判断出来る。
そう。問題には「10000円を送った」とだけあって、
10000円札、とは書いていないのだ。
これは、2000円札がもう
一般人の感覚の中にないことを突いた
よく出来たクイズである。
そういえば2000円札の顔は誰だったか。
これもクイズに使えそうだ。
A君は友達から
あるコンサートのチケットを買おうと思いました。
チケットは
9000円、7000円、5000円の三種類あります。
A君は9000円のチケットを希望していたので、
10000円を現金書留で送りました。
ところが送ったあと、
9000円のを希望と書くのを忘れた事に気づきました。
しかし後日、
ちゃんと9000円のチケットと、
1000円のお釣りが送られてきました。
友達はなぜ
A君が、9000円のを希望とわかったのでしょう?
私はしばらく考えたが、結局わからなかった。
10000円札が入っていれば
当然すべてのチケットの可能性がある。
でも、なぜだ・・。
答えは
「2000円札を5枚送った」である。
それなら友達は、9000円と判断出来る。
そう。問題には「10000円を送った」とだけあって、
10000円札、とは書いていないのだ。
これは、2000円札がもう
一般人の感覚の中にないことを突いた
よく出来たクイズである。
そういえば2000円札の顔は誰だったか。
これもクイズに使えそうだ。
愛知県稲沢市の国府宮神社で毎年開かれている
奇祭と言われる『はだか祭り』。
奈良時代から続く歴史ある祭りだ。
裸の男たちが争って『神男』となる
まさに、男の祭りである。
男性が起源の祭りではあるが、
実は、参加は男性限定、という決まりはない。
しかし裸になる以上、男にしか参加出来ない祭りというべきか。
これに対して、今年地元の女性団体が
『女性も参加させて欲しい』と願い出た。
さすがに、男に混じって女性が裸でもみ合うのは無理だ。
そこで、もみ合いの前に笹の飾りを奉納する儀式があるが
これに、着衣の女性が参加出来ることで決定した。
男性女性、時間を分けて行われる。
来年の祭りから、初めて女性がこの神事に出る。
しかし、当然ながら賛否両論。
いや、否の意見が多い。
『男女平等がとうこうではなく、歴史ある神事のはず』
『一部の女性が、時代に乗ってわがままを言ってるだけ』
『それなら宝塚に男性も出演させろということ』
しかし地元では
『良いこと。男性ばかりで酒が入り喧嘩はあるしで変えるべき』
という意見もある。
だが、女性が入り男女別に儀式を行うとなれば、
もはやこの祭りは新しいスタイルに変化したと言わざるを得ない。
三重の多度大社の上げ馬神事も
この数年、馬の虐待が問題になっている。
伝統あるものを変えたりやめたりするのは良くない。
でも、時代に適応していくことはある程度必要。
変えられるべきところは変えていかないと
毎年批判ばかりを受ける祭りになる。
でもそれ以上に、
開催している地元や関係者ではなく
ただ『これ、問題じゃね?』的な報道をするマスコミや
なんでも意見したがる世間もよろしくない。
今回の女性団体も、なぜ突然このような希望を言ってきたのか、
単純に男女平等を振りかざしているだけなのか、
それとも女性として、この祭りに何らかの不満があるのか、
そのあたりがきちんとわからないと
来年からこの祭りに参加する女性方は
ただの好奇の目に晒されるだけになる。
伝統が崩れるのか、新しいスタイルと歓迎すべきなのか、
議論はそれからである。
多度大社の上げ馬も、
三十数年前に実際に見に行った。
その時から、傷ついた馬を叩いて興奮させていた。
でも問題にはならなかった。
同じ事を続けてきた今、動物虐待と叫ぶ。
マスコミと、匿名で騒ぎたてる人々によって。
昔からあった物が、次々に姿を消す。
宗教的なものは不変だと思っているが
それも変えなければいけない時代になったのだろう。
奇祭と言われる『はだか祭り』。
奈良時代から続く歴史ある祭りだ。
裸の男たちが争って『神男』となる
まさに、男の祭りである。
男性が起源の祭りではあるが、
実は、参加は男性限定、という決まりはない。
しかし裸になる以上、男にしか参加出来ない祭りというべきか。
これに対して、今年地元の女性団体が
『女性も参加させて欲しい』と願い出た。
さすがに、男に混じって女性が裸でもみ合うのは無理だ。
そこで、もみ合いの前に笹の飾りを奉納する儀式があるが
これに、着衣の女性が参加出来ることで決定した。
男性女性、時間を分けて行われる。
来年の祭りから、初めて女性がこの神事に出る。
しかし、当然ながら賛否両論。
いや、否の意見が多い。
『男女平等がとうこうではなく、歴史ある神事のはず』
『一部の女性が、時代に乗ってわがままを言ってるだけ』
『それなら宝塚に男性も出演させろということ』
しかし地元では
『良いこと。男性ばかりで酒が入り喧嘩はあるしで変えるべき』
という意見もある。
だが、女性が入り男女別に儀式を行うとなれば、
もはやこの祭りは新しいスタイルに変化したと言わざるを得ない。
三重の多度大社の上げ馬神事も
この数年、馬の虐待が問題になっている。
伝統あるものを変えたりやめたりするのは良くない。
でも、時代に適応していくことはある程度必要。
変えられるべきところは変えていかないと
毎年批判ばかりを受ける祭りになる。
でもそれ以上に、
開催している地元や関係者ではなく
ただ『これ、問題じゃね?』的な報道をするマスコミや
なんでも意見したがる世間もよろしくない。
今回の女性団体も、なぜ突然このような希望を言ってきたのか、
単純に男女平等を振りかざしているだけなのか、
それとも女性として、この祭りに何らかの不満があるのか、
そのあたりがきちんとわからないと
来年からこの祭りに参加する女性方は
ただの好奇の目に晒されるだけになる。
伝統が崩れるのか、新しいスタイルと歓迎すべきなのか、
議論はそれからである。
多度大社の上げ馬も、
三十数年前に実際に見に行った。
その時から、傷ついた馬を叩いて興奮させていた。
でも問題にはならなかった。
同じ事を続けてきた今、動物虐待と叫ぶ。
マスコミと、匿名で騒ぎたてる人々によって。
昔からあった物が、次々に姿を消す。
宗教的なものは不変だと思っているが
それも変えなければいけない時代になったのだろう。
久しぶりにお寺の掲示板から。
上の写真の言葉。
『大切なのはどっち?
①自分がしてほしいことを、他の人にする。
②自分がしてほしくないことは、他の人にはしない。』
単純に、どちらも大切だろうと思うが
この掲示板に対する意見は、②の方が多かった。
「自分がしてほしいことって、千差万別」
「自分がしてほしいことは、わがままになる」
「自分がしてほしくないことは、
人としてだいたい共通しているので②」
「してほしくないことは、
他人にもしないに越した事はない」
私もほぼ同じ考えで②。
自分が良いと思ったことが、
必ずしも他人に喜ばれるとは限らない。
でも、嫌だと思うことは、
たいがい他人も嫌だと思うだろう。
なかなか考えさせられる選択だ。
お寺の掲示板や、
心に響く言葉などを見たり聞いたりするが
『頑張れ、というのも思いやり
頑張らなくてもいいよ、というのも思いやり』
こういう反する言葉も多い。
その時の状況や、相手によって言葉は変わる。
大切なのは、①も②もだが
どちらもちゃんと考えて
判断し行動出来るかどうか、であろう。
上の写真の言葉。
『大切なのはどっち?
①自分がしてほしいことを、他の人にする。
②自分がしてほしくないことは、他の人にはしない。』
単純に、どちらも大切だろうと思うが
この掲示板に対する意見は、②の方が多かった。
「自分がしてほしいことって、千差万別」
「自分がしてほしいことは、わがままになる」
「自分がしてほしくないことは、
人としてだいたい共通しているので②」
「してほしくないことは、
他人にもしないに越した事はない」
私もほぼ同じ考えで②。
自分が良いと思ったことが、
必ずしも他人に喜ばれるとは限らない。
でも、嫌だと思うことは、
たいがい他人も嫌だと思うだろう。
なかなか考えさせられる選択だ。
お寺の掲示板や、
心に響く言葉などを見たり聞いたりするが
『頑張れ、というのも思いやり
頑張らなくてもいいよ、というのも思いやり』
こういう反する言葉も多い。
その時の状況や、相手によって言葉は変わる。
大切なのは、①も②もだが
どちらもちゃんと考えて
判断し行動出来るかどうか、であろう。
写真の真っ赤な花、彼岸花。
別名、曼珠沙華。
でも、私は彼岸花よりも曼珠沙華の名の方がすぐに浮かぶ。
秋の彼岸の、この時期にだけ咲く花。
その毒々しい真っ赤な色と、
トゲのあるような独特の形から、
不吉な意味合いの花とされている。
曼珠沙華、という名も仏教的な名前だが、
さらにこの花は、
『死人花』『幽霊花』などの別名がある。
この花を折ったりすると、
病気になったり不幸が起きる。
なので、絶対に人に贈る花ではないと言われている。
本当のところは、毒性の強い花なので、
むやみに折ったり手にすると良くない、
という事から言われているのだが、
なにせ基本が「死人花」なので、
こんな言い伝えも出てくるのだろう。
この花の花言葉は、
『情熱』『独立』『再会』
『あきらめ』『転生』『悲しい思い出』
『思うはあなた一人』
などである。
なんだか花言葉もゾクッとするものが多い。
実は私、花の中では
桜の次に好きなのがこの曼珠沙華なのだ。
真っ赤な、炎のような形は魅力的だ。
ただ、花言葉と相まって、
近寄り難い人間と思われるのも嫌なので、
公表はしていないが。
今は観賞名所として咲いている所も多く、
埼玉・高麗の巾着田が有名だ。
死人花もけっこうメジャーな存在ではある。
結局のところどんな花でも、
人の心を魅了するということだろう。
別名、曼珠沙華。
でも、私は彼岸花よりも曼珠沙華の名の方がすぐに浮かぶ。
秋の彼岸の、この時期にだけ咲く花。
その毒々しい真っ赤な色と、
トゲのあるような独特の形から、
不吉な意味合いの花とされている。
曼珠沙華、という名も仏教的な名前だが、
さらにこの花は、
『死人花』『幽霊花』などの別名がある。
この花を折ったりすると、
病気になったり不幸が起きる。
なので、絶対に人に贈る花ではないと言われている。
本当のところは、毒性の強い花なので、
むやみに折ったり手にすると良くない、
という事から言われているのだが、
なにせ基本が「死人花」なので、
こんな言い伝えも出てくるのだろう。
この花の花言葉は、
『情熱』『独立』『再会』
『あきらめ』『転生』『悲しい思い出』
『思うはあなた一人』
などである。
なんだか花言葉もゾクッとするものが多い。
実は私、花の中では
桜の次に好きなのがこの曼珠沙華なのだ。
真っ赤な、炎のような形は魅力的だ。
ただ、花言葉と相まって、
近寄り難い人間と思われるのも嫌なので、
公表はしていないが。
今は観賞名所として咲いている所も多く、
埼玉・高麗の巾着田が有名だ。
死人花もけっこうメジャーな存在ではある。
結局のところどんな花でも、
人の心を魅了するということだろう。
上の写真。
駅のエスカレーターの光景だが、
この写真が外国人からは
『これぞ日本人』と驚嘆?の声が上がっているらしい。
日本人なら説明は要らないだろう。
はるか前方のエスカレーターに乗るために、
左側一列の、最後尾に付く。
その結果、長い列を成す。
最近、『二列で乗りましょう』という呼びかけが、
鉄道会社や自治体からも上がってきているが、
おそらく日本人の感覚からいって無理では、と思う。
日本人は、付かず離れずを実践する国民だ。
他人と行儀良く並び、
自分の空間も大切にする、
エスカレーターはその象徴のようだ。
昔は二列で目一杯乗ってた、と言われているが、
昔は階段が主体で、エスカレーターの数は少なかった。
まず安全に乗るということが第一だったので、
二列で乗ることが基本だったのだろう。
今は、『急ぐ人のために右側を空ける』というよりも、
右側に誰もいない空間が欲しい。
そんな感じになっているようだ。
日本人は、
エスカレーターに揺られている時間に、
静かな自身の境地を見い出しているのではないか。
そうであれば、
エスカレーターと座禅は相通じるものがある。
・・それはないか。
駅のエスカレーターの光景だが、
この写真が外国人からは
『これぞ日本人』と驚嘆?の声が上がっているらしい。
日本人なら説明は要らないだろう。
はるか前方のエスカレーターに乗るために、
左側一列の、最後尾に付く。
その結果、長い列を成す。
最近、『二列で乗りましょう』という呼びかけが、
鉄道会社や自治体からも上がってきているが、
おそらく日本人の感覚からいって無理では、と思う。
日本人は、付かず離れずを実践する国民だ。
他人と行儀良く並び、
自分の空間も大切にする、
エスカレーターはその象徴のようだ。
昔は二列で目一杯乗ってた、と言われているが、
昔は階段が主体で、エスカレーターの数は少なかった。
まず安全に乗るということが第一だったので、
二列で乗ることが基本だったのだろう。
今は、『急ぐ人のために右側を空ける』というよりも、
右側に誰もいない空間が欲しい。
そんな感じになっているようだ。
日本人は、
エスカレーターに揺られている時間に、
静かな自身の境地を見い出しているのではないか。
そうであれば、
エスカレーターと座禅は相通じるものがある。
・・それはないか。
8月。
6日は広島。
9日は長崎。
12日は御巣鷹山。
15日は終戦記念日。
日本人は8月になると、
3日ごとに祈り、手を合わせる日がやってくる。
そして、終戦記念日をはさんで
お盆でそれぞれの先祖に手を合わせる。
うちは東京なので、7月に盆を迎える予定にしていた。
このブログでもそう記事にしたが、
結局色々な事情から旧暦に合わせ、
明日から盆を迎えることにした。
7月の記事は、先祖を振り回したような思いになり、
削除をした。
明日の盆の入り。
迎え火は私一人で行う。
これは初めてだ。
台風接近の影響で、家族が個々の予定を明日に早めたためだ。
子供も大きくなり、自分も歳をとり、
夏はもうレジャーというより、
静かに迎えるもの、と思うようになる。
それで良い。
6日は広島。
9日は長崎。
12日は御巣鷹山。
15日は終戦記念日。
日本人は8月になると、
3日ごとに祈り、手を合わせる日がやってくる。
そして、終戦記念日をはさんで
お盆でそれぞれの先祖に手を合わせる。
うちは東京なので、7月に盆を迎える予定にしていた。
このブログでもそう記事にしたが、
結局色々な事情から旧暦に合わせ、
明日から盆を迎えることにした。
7月の記事は、先祖を振り回したような思いになり、
削除をした。
明日の盆の入り。
迎え火は私一人で行う。
これは初めてだ。
台風接近の影響で、家族が個々の予定を明日に早めたためだ。
子供も大きくなり、自分も歳をとり、
夏はもうレジャーというより、
静かに迎えるもの、と思うようになる。
それで良い。