19日、2年ぶりのセンバツが開幕した。
昨年は出場校まで決まりながら
拡大し始めたコロナで中止になった。
そして夏の甲子園もなかった。
春夏の甲子園は、日本の季節に鮮やかな彩りを添えてきた。
しかし、昨年はその季節の華さえ失われ、
2020年は終わっていた。
だが今年のセンバツ。
今までとは大きく制限されながらも開催となった。
開会式の寂しさや、ブラスバンドの生演奏も無いが、
ともかく新しいやり方で始められた事は喜ばしい。
そもそも原点に帰って考えれば、
甲子園は、高校の野球部の全国大会だ。
ただの部活動の試合なのである。
本来これが商業主義になり、
社会的に論じられるのもおかしな話だ。
なので、今年の簡素化された開会式。
(それでも大臣の挨拶は省略されないが)
派手なブラスバンドがなく、手拍子の応援。
(それでもCD録音で曲は流しているが)
どれも「野球部の大会」の本来の姿ではないか。
とはいえ、歴史もあり日本人の心を掴んでいる甲子園。
やはり、いつもの光景がないのは寂しいものだ。
選手も大観衆の中を入場行進したかっただろうし、
吹奏楽部も甲子園での演奏が夢だったかもしれない。
今年のセンバツの措置は、
どれがベストで正解はないと思っている。
とにかく開催出来た事を喜ばなければいけない。
センバツは2日目まで時々TVで見たが、
敗れた学校で泣いている選手が多く見られた。
春は、また夏があるからか、
あまり泣き顔は見ないのだが、
今年は涙の選手が多い。
そういう私も、
開幕戦で敗れた北海高校の投手の涙を見て、
なぜかウルウルとなった。
久しぶりの甲子園に感動したのと、
昨年試合出来なかった選手達への思い、
そして、
夏の大会が今年もあるかどうかわからない、
そんな色々な思いからだった。
選手もおそらく、
そういう感情があったのだろうと思う。
高校バスケでは、
感染者がいないのに不戦敗となった学校もあった。
いまだに気の毒でならない。
甲子園では、
悲しい思いをさせる事態があってはいけない。
静かな、第93回センバツ。
2年ぶりの春はやって来た。
昨年は出場校まで決まりながら
拡大し始めたコロナで中止になった。
そして夏の甲子園もなかった。
春夏の甲子園は、日本の季節に鮮やかな彩りを添えてきた。
しかし、昨年はその季節の華さえ失われ、
2020年は終わっていた。
だが今年のセンバツ。
今までとは大きく制限されながらも開催となった。
開会式の寂しさや、ブラスバンドの生演奏も無いが、
ともかく新しいやり方で始められた事は喜ばしい。
そもそも原点に帰って考えれば、
甲子園は、高校の野球部の全国大会だ。
ただの部活動の試合なのである。
本来これが商業主義になり、
社会的に論じられるのもおかしな話だ。
なので、今年の簡素化された開会式。
(それでも大臣の挨拶は省略されないが)
派手なブラスバンドがなく、手拍子の応援。
(それでもCD録音で曲は流しているが)
どれも「野球部の大会」の本来の姿ではないか。
とはいえ、歴史もあり日本人の心を掴んでいる甲子園。
やはり、いつもの光景がないのは寂しいものだ。
選手も大観衆の中を入場行進したかっただろうし、
吹奏楽部も甲子園での演奏が夢だったかもしれない。
今年のセンバツの措置は、
どれがベストで正解はないと思っている。
とにかく開催出来た事を喜ばなければいけない。
センバツは2日目まで時々TVで見たが、
敗れた学校で泣いている選手が多く見られた。
春は、また夏があるからか、
あまり泣き顔は見ないのだが、
今年は涙の選手が多い。
そういう私も、
開幕戦で敗れた北海高校の投手の涙を見て、
なぜかウルウルとなった。
久しぶりの甲子園に感動したのと、
昨年試合出来なかった選手達への思い、
そして、
夏の大会が今年もあるかどうかわからない、
そんな色々な思いからだった。
選手もおそらく、
そういう感情があったのだろうと思う。
高校バスケでは、
感染者がいないのに不戦敗となった学校もあった。
いまだに気の毒でならない。
甲子園では、
悲しい思いをさせる事態があってはいけない。
静かな、第93回センバツ。
2年ぶりの春はやって来た。