シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

東海七福神を歩く

2024-01-10 11:59:32 | 神社・仏閣
2024年
新年最初の記事となった。

元日から、能登の地震や羽田空港での事故など
散々な幕開けとなった2024年だ。
辰年で、龍は火を吹く生き物と言われているが、
何やらそのようなスタートとなった。

その、新しい年の1月8日、成人の日。
2年ぶりに『東海七福神めぐり』をしてきた。
七福神は、近場でも数々あり
だいたいが元日から成人の日までとなっている。
東海七福神は、品川区と大田区にまたがる7つの寺社で
うちからは少し遠いが、私の好きな旧東海道を歩くコースだ。
一昨年初めて歩き、色紙に7つのハンコを押してもらった。
昨年は、一番目の品川神社まで行ったのだが、
色紙が売り切れで手に入らなかった。
今回は2年ぶりだ。

品川神社から磐井神社まで。
4つの神社と3つの寺を歩く。
品川神社から、4つ目の荏原神社までは至近距離だが、
そこから先、3つの寺社は間隔がある。
逆に、磐井神社から来ると
最初が長く感じ、最後のほうは一気に廻るということだ。

色紙のハンコは、寺社の人が押してくれるが、
品川寺(ほんせんじ)だけは、自分で押す所であった。
一昨年は、あっという間に7つを歩いたが、
今年は結構足が重かった。
距離的には、約4㎞で一時間ちょっとだ。
今回は、参拝に並ぶ時間もかかり二時間ほど。
京浜急行の駅で4駅分。
旧東海道を歩く、絶好のコースなのだ。


写真がその色紙。
そして、手前に置いてあるのは龍の土鈴。
こちらは、早稲田の穴八幡宮で手に入れた。
もちろん、一陽来復も貼ってある。

この一年、何から何まで厳しいと思っている。
しかし、数々の寺社のお守りを受けながら、
何とかなる、の精神で頑張っていこう。

東京大神宮で祈願

2023-09-10 18:26:33 | 神社・仏閣
『東京大神宮』に行ってきた。

この一ヶ月の間に、
穴八幡宮、日枝神社、赤坂氷川神社、
愛宕神社、川崎大師、神田明神など
有名どころの寺社めぐりをしてきたが、
今回は飯田橋の東京大神宮。
しかし、私には一番『縁のない所』である。

縁結びの神様として有名な東京大神宮。
今日は近くまで行ったので参拝に立ち寄ったが、
とにかく境内の8割から9割が女性である。

良縁を願う女性を象徴する場所だ。
全体的に若い人が多く、
この先の良縁を願うのと同時に、
お洒落スポットのような雰囲気が感じられる。
境内のあちこちにミストの扇風機が置かれ、
夏の京都・洛北の神社にでも来たような感である。

良縁の願いは男性も同じだと思うが、
ここは男性はほとんどいない。
男子、神頼みなどせずということか。
東京大神宮は、やはり「女子社」というべきか。

それにしても、ここに限らず
女性のお祈りは結構長い。
私の2人前の女性も、1分くらい手を合わせていただろうか。
特にここは、しっかりきちんとお祈りをしたい所なのだろう。
長く手を合わせる人が多く、人数の割に列が進まない。


ともあれ、既婚者でありこんな歳の私がいる方が場違い。
「縁のない神社」なのであるが、
今回は、来月から一人暮らしを始める娘の安全と、
私自身の職場での成功を願ってきた。
どちらも、周囲の人々との縁が関わってくる。
東京大神宮は、結婚や恋愛の良縁だけでなく、
人との縁全体にご利益をもたらすという。

だが、もう結婚恋愛祈願は関係ないというのも、
ここではなんだか寂しい気分でもあるが。

穴八幡宮の一陽来復

2022-12-23 15:51:13 | 神社・仏閣

2022年冬至。

3年ぶりに『一陽来復』を手にできた。

 

東京・早稲田の穴八幡宮。

早稲田駅からすぐ、馬場下町の交差点の角にある。

900年前からの歴史を持ち、

商売や金融の神様として参詣客の絶えない神社である。

 

この神社で、期間限定で配布されるお守りがある。

毎年冬至の日から、翌年節分の日までのわずか40日ほどの間に出る

『一陽来復』というお守りである。

 

いちようらいふく。中国からの言葉で、

一年で一番昼の短い冬至は、運気も底辺である。

しかしこれからは日が長くなってゆく。

邪気を払い上昇していこう、という意味らしい。

 

 

お守りは、10cmほどの筒状の小さな紙。

写真のものだが、最初見た時は正直、

こんなものでご利益あるのかと思ったくらいだ。

しかし、その形や文字は独特で、

少し不気味なオーラを発しているようで

手荒に扱ってはいけない、と感じさせるものだった。

 

形もだが、さらにこれの祀りかたも独特だ。

その年の恵方に向かって、部屋の壁の高い所に貼りなさい、

つまりは、恵方と反対側の壁に貼りつける事になる。

さらに貼る「日時」まで決まっており、

  ①  12月22日の冬至の日の夜12時。(23日0:00)

  ②  12月31日の大晦日の夜12時。 (1月1日0:00)

  ③  2月3日の節分の夜12時。(4日0:00)     [2022年~2023年の場合]

このいずれかの日に、この時刻に先述の位置に貼りなさい、というものだ。

 

チャンスは3回。 貼りつけたら一年間そのまま。

それだけで金運上昇、というものだが、

午前0時まで起きてなさい。しかも②は、年が変わった瞬間に貼りなさい、

というなかなか厳しい祀り方を指定される。

 

最初が一番ご利益あるということで、

①の冬至の日に貼るケースが一番多いようだ。

配布初日の12月22日は、穴八幡宮は大混雑になる。

 

 

もし、貼りつけた一陽来復が壁から落ちてしまったら、

貼り直しは出来ず、穴八幡宮に納めに行ってその年はもう諦めなさい、

ということらしい。

ただ、まだ②と③の日に間に合えば新たに買い直して再度貼ればいい。

なので冬至の①の日に手に入れるのがベストだ。

これだけ厳しい但し書きがつくが、

神様との約束なので守りなさい、との事だ。

ちょっとレアなお守りには違いない。

 

 

4年前、私は初めてここに行き一陽来復を手にした。

その翌年、つまり3年前の2019年は驚くほど店の売上が良かった。

そして、その年の冬至にまた行って手にしたのだが、

翌2020年の春、貼りつけた一陽来復が落ちてしまった。

すぐに穴八幡宮に納めに行ったのだが、この年の売上は振るわなかった。

 

2020年は行けず、昨年は母が亡くなった直後だったので控えた。

そして今年、10月に一度穴八幡宮を訪れて商売繁盛を祈ったら、

その週、3日続けて大口のお客さんが来た。

やはりこの神社には何かある。

 

 

というわけで、昨日穴八幡宮に行き、

一陽来復を授かってきた。

店を閉めたあと、夜8時頃到着したが、

40分ほど並んだ。

しかし、これは例年通り。

朝から行くと、2~3時間待ちの時もあるらしい。

 

多くの人が、スマホを見ながら並んでいる。

歩きだしても目を離さない。

境内は暗いし、前の人が止まった時にぶつかったりすれば、

将棋倒しになるような状態である。

なにより神聖な境内で、

スマホをいじってお参りとはバチ当たりだろうと思うが。

 

 

私も昔から、神社や寺巡りは好きであるが、

「ここはご利益ある!」と本当に思えたのは穴八幡宮が初めてだ。

すべては気の持ちようだと思えるが、

そんなふうに、『ここは!』と思える神社があってもいい。

 

2023年の恵方は南南東。これは恵方巻き寿司も同じだ。

お守りは、対する北北西の壁に貼るわけだが、

南南東はちょうどうちの店の入口にあたる。

お客さんを迎える位置にある一陽来復。

昨年は母の死去、今年はその後の手続きなどで、

気分的にも商売繁盛ではなかったが、

来年は本厄を乗り越えて頑張ってみたい。

 


三十三間堂の線香

2022-05-06 10:40:12 | 神社・仏閣

建仁寺に続いて京都の記事。

三十三間堂である。

 

京都に行った事のない人でも名前は知っているであろう三十三間堂。

正式寺名は蓮華王院というが

やはり三十三間堂のほうが名が通っている。

 

今回の京都旅行、建仁寺から下鴨神社などを見てまわり、

最後に三十三間堂にたどり着いた。

私は京都には20回近く行っているが、

一番多く参拝したのが三十三間堂である。

観光バスのコースで定番なのと、

京都駅からも至近にあり、最初にせよ最後にせよ訪れやすい。

そして何よりもここへ来ると、京都に来たという気持ちになる。

 

初めて京都を訪れたのは、小2のとき。

家族で来て、新幹線もこの時初めて乗った。

『京都一日コース』というバスに乗り、

西本願寺・平安神宮・金閣寺・清水寺・知恩院・三十三間堂という

順番は忘れたが、名所の寺社を回ったコースだった。

 

そしてこの時、8才の私に一番衝撃を与えたのが

三十三間堂の千手観音だった。

こんなすごい仏像があるのか、という驚きと、

その時の独特の線香の匂いがずっと残っていた。

以来、京都に行き時間がある時は必ず訪れている。

 

今回は建仁寺の写経がメインだったのだが、

もう一つ、ここ三十三間堂の線香が販売されている事を知り

是非手に入れたいと思ったのだ。

特別良い香りとか、好きな香りというわけではないのだが、

とにかく私の中にずっとあった『京都の香り』だ。

 

今回の三十三間堂は8年ぶりくらいになるが、

来るたびに線香の香りが薄くなり、少し埃っぽい匂いを感じる。

建物も古くなり、観光客も多いので当然だが、

何よりも、私に子供の頃の強烈な香りの印象が抜けていないのだろう。

 

 

線香は800円で売っていた。そんなに高いものではない。

が、いろいろな思いから普通の線香とは一緒に出来ない。

両親の月命日か、特別な日に仏壇で焚こうと思う。

 


京都で写経

2022-05-03 13:50:47 | 神社・仏閣

GW。 京都で念願の写経をした。

 

写経。

言うまでもなく、心を落ち着かせ

筆で般若心経を書くという精神修行のひとつである。

般若心経は、実はすべて唱えられる私だが、

写経の経験は一度もなかった。

どうせなら、京都の寺でやってみたい。

その願いが叶った。

 

建仁寺。

臨済宗・栄西が開山した大本山である。

1202年、建仁2年に開創されたところからこの寺名になった。

清水寺や金閣寺といった観光名所ほどではないが、

京都最古の禅寺として有名である。

 

建仁寺は広い境内で、京都らしい威厳を保った寺だった。

受付で写経をしたい旨を言うと、

紙と筆ペン、見本に文鎮、ミニ電気スタンドを一式渡され、

写経道場なる部屋への案内図を持ち、その場所へ向かった。

 

GWだし、混んでて何時間も待つようだったら諦めようかと思ったが、

なんと私がこの日の最初の体験者らしく、

道場には誰もいなかった。

正座だと思っていたら、きれいな机とイスが用意してあった。

席は10席ほどの部屋だった。

 

「寒い部屋ですが、我慢して下さい」と受付で言われていたが、

それよりも、暗い部屋で文字が読み取れないほうが難儀だった。

薄く書かれてある般若心経を上からなぞるだけ、というもので

たいがいの寺の写経はこのタイプである。

しかし、その文字がはっきり読み取れない。

 

最初は丁寧になぞる事に集中したが、

三分の一くらい書いた所で40分ほど経過した。

だいたい全文書いて60~70分くらいとあったので、

時間を気にしながらになった。

 

ただ、そこからはなぞる事よりも

綺麗な楷書で書く事を心がけたら、割りとすんなり進んだ。

仕事で筆字を書くことも多いので、

途中からは普段の感覚で綴ることに専念した。

 

途中で親子連れが入ってきて書き始める。

お母さんと中学生くらいの娘さんだったが、

娘さんのほうはやはり、「字がわからない」と言いながら書いていた。

 

書いていて気づいたのは、

般若心経に一番多く出てくる文字は『無』であるようだ。

逆に最後のほうの『ぎゃてい』の字などは、般若心経以外でお目にかからない。

薄い下書き文字で、たしかに字がわからない。

 

とりあえず文字の間違いだけは気をつけて、なんとか書き終えた。

結局90分かかってしまった。

最後に願い事と名前、日付を書く。

『無病息災』と書いて、生まれて初めての写経は終了した。

 

書いた般若心経は、そのまま建仁寺に納められる。

それだけでも、大変な格式のある体験だ。

両親ともにいなくなってから、初めて訪れた京都。

京都が好きだった両親へ、少しだけ落ち着いた挨拶をする事ができた。

 


豪徳寺のまねき猫

2022-02-22 11:03:03 | 神社・仏閣

今日2月22日はネコの日。

 

今年は、2022年2月22日ということで、

スーパーネコの日らしい。

 

うちは犬がいるし、どちらかといえばイヌ派だ。

最近は犬より猫の方が人気らしいが、

家庭での飼育が問題になっている今、

どちらにしても最後まで、大事に飼うことが大切だ。

 

先日、世田谷の豪徳寺に行ってみた。

小田急線の駅名にもあり、世田谷の古い寺だが、

一度も訪れた事がなかった。

豪徳寺駅からは歩いて15分ほど。

だが、東急世田谷線の宮の坂駅の方が近い。

豪徳寺駅からだと、寺の裏門に出てしまう。

宮の坂の方が、正門へ近いという場所だ。

 

ここは招き猫で有名だ。

彦根藩主・井伊直孝がこの寺の前を通りかかった時、

門前にいた猫が手を挙げ、おいでおいでをする仕草をした。

井伊が引かれるように寺の中に入ると、

直後に激しい雷雨となり、ずぶ濡れを免れた。

のちに、猫への感謝から豪徳寺を支援。

以来、商売繁盛などのシンボルのように招き猫は有名になった。

 

招き猫そのものは有名でも、

この豪徳寺が発祥はあまり知られていないようだ。

寺では招き猫の置物が多数売っており、

またそれを奉納する人もいて、たくさんの猫が並んでいる。

豪徳寺駅前には招き猫の像があり、

付近の店でも『招き猫饅頭』などを売っている。

 

私も商人なので、一体置こうかなとも思ったが、

招き猫はなんとなく、食堂やそば屋など

食べ物系の店頭というイメージが強いため、

うちではやめておく事にした。

 

愛嬌のある招き猫。

実際に目の前に現れた猫が、おいでおいでをしたら、

私もついていくかもしれない。

 


真間の手児奈と花まつり

2018-04-08 21:07:02 | 神社・仏閣

「ままのてごな」をご存知だろうか?

古くから伝わる話で、
実話とも民話とも言われている話だ。

「まま」は地名で、現在の千葉県市川市真間。
「てごな」は女性の名前で、手児奈と書く。

昔、この真間の地に手児奈という若い女性がいた。
家は貧しかったが、とても美しい女性と評判だった。
噂を聞きつけた男どもが、全国から手児奈に会いに来る。
そして求愛する。

しかし手児奈は悩む。
誰か一人を取ったら、他の男性に申し訳ない。
それなら自分がいなければ良い。
そうすれば誰も不幸にならない。

そうして手児奈は、井戸に身を投げる。
当時はこの辺りまで海だったため、
海に入水していったという話もある。

人びとは悲しみ、手児奈の霊を祀った寺を建てる。
それが今の、真間にある手児奈霊堂である。


このような話は、今の時代には合わないかもしれない。
しかし、人を愛し愛された末の、
究極の悲しい選択である。
こんなピュアな女性は、私としてはとても琴線に触れる。


今日、春の休日にこの寺を訪れた。
境内は、地元の公園のような役目も果たしているのか、
親子連れの小さな子供達が、大勢遊んでいた。

不幸で悲しい話の寺ではあるが、
今は安産、子育ての寺として親しまれている。


この手児奈霊堂のすぐ裏に、
日蓮宗真間山弘法寺がある。
ここも、手児奈を祀った事に由来しているが、
1300年近い歴史のある寺である。

山の頂上にあるかのような、高い石段を上がる。
境内はとても広い。
今日はちょうど花まつり。
お釈迦様の像に、甘茶をかける慣わしがある。
一度見てみたいと思っていたが、
今日は偶然日蓮宗のこの寺を訪れて、
初めて花に飾られたお釈迦様を拝見した。

甘茶をかける。
静かに佇むお釈迦様の小さな像を見る。
うちは曹洞宗なので宗派は違うが、
ふと亡くなった父を思い出した。


春の寺には柔らかな空気が流れている。


神社と寺、間違えないで

2018-01-07 18:26:24 | 神社・仏閣

新年最初の記事ということで、
初詣の話。

先日、東京・港区にある、
「豊川稲荷・東京別院」に行った。
今まで一度も行ったことがなく、
初めてのお参りとなった。

愛知の豊川稲荷には、
これまで二回ほど行っている。
近くの東京別院のほうが、あとになった。

1月4日、初詣客が相変わらず多かったが、
三が日を過ぎ、場所柄会社が多いことから、
仕事初めのこの日に、会社ぐるみで初詣、
とおぼしきグループが多かった。


そして、列の先頭では、
賽銭を入れる音とともに、
パン、パン、という柏手の音が「時々」聞こえてくる。

全員ではない。「時々」・・。


そう、
豊川稲荷は、神社ではなく寺なのだ。
曹洞宗の寺であり、別院のこちらも当然同じだ。

狐が奉られており、たしかに神社と間違えられても無理はない。
しかし、知らずに来ているのか、
柏手を打つ人が結構いる。
だが、大半の人は毎年来ていたり、
地元の住民・会社の人達なのだろう。
8割方の人は、寺のお参り通りに、
静かに頭を下げて合掌する。


せっかくの初詣。
そこの神様(仏様)に、一年の祈願をするのだから、
多少の予備知識は持っていきたい。
柏手を打つ目の前で、
僧侶の読経が聞こえ、
線香の匂いや、南無阿弥陀仏の文字がある。
おかしい、と思わなければいけないのでは?


以前、東京・江東区の深川不動尊に行った時、
若い大学生グループだろうか、
「テレビでやってた。まず二礼二拝」
と言いながら全員でお辞儀をし、柏手を威勢よくたたく。
そして、「鈴は?・・あれ、鈴ないぞ」
「ここ、神社じゃなくね?」

まあここは、
年末に事件の起きた、富岡八幡宮と隣り合わせ。
一緒にお参りする人も多いので、
勘違いも仕方ないか、と思う。

その富岡八幡宮も、事件の影響で、
この正月の人出は、例年の十分の一だという。
日本人は、宗教に対して、
けっこう無頓着だったり神経質になったりするものだ。




九品仏

2017-06-04 19:30:55 | 神社・仏閣

九品仏(くほんぶつ)。

東急大井町線の駅にあり、
難読駅としても紹介される。
以前からこの駅名に興味があったが、
つい先日のTVで、その由来を知ることになる。

この近くに、
浄土宗浄真寺という寺がある。
そこに、9体の仏像が安置してあり、
それがこの街の通名になり、駅名になったという。


その寺に行ってみた。
広い境内に本堂がある。
それに向かい合うように、3つのお堂が並ぶ。
その一つの堂に、それぞれ3体の阿弥陀如来が座る。

真ん中の堂に、
・上品上生(じょうぼんじょうしょう)
・上品中生(じょうぼんちゅうしょう)
・上品下生(じょうぼんげしょう)

左の堂に、
・中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)
・中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)
・中品下生(ちゅうぼんげしょう)

右の堂に、
・下品上生(げぼんじょうしょう)
・下品中生(げぼんちゅうしょう)
・下品下生(げぼんげしょう)


上から下に、
信仰の厚い者から罪人までを、
浄土宗の教えによって、名前がついているらしい。

9つの品(ほん)の仏、
それで「くほんぶつ」なのだ。

9体は、それぞれ顔つきが違うというが、
私には皆同じに見える。
ともあれ、死後に自分はどの仏になるだろうか。

昨年父を亡くした。
父は、信仰の厚い人ではなかったが、
他人に迷惑をかける人でもなかった。
おそらく、文字通り「中の上」、
中品上生の仏になったかもしれない。

そんな思いを持ちながら、
3つのお堂全てに、手を合わせて来た。


九品仏は昨年から、
一体ずつ修繕にでている。
直るまで1年以上かかるらしく、
今は「中品中生」の仏が不在である。
九品全てが揃うのは、17年後だという。
その時、是非また来てみたいと思う。
私は70歳を越えているが、
その頃はどんなになっているだろう?


駅に戻る。
この駅も割と有名?である。
九品仏駅は、5両編成の電車が停車する際、
一両分がホームからはみ出してしまう。

昔は、短い編成だったので問題なかったが、
利用客の増加で5両にした際、
九品仏駅は、ホームの両端に踏切があるため、
ホームを延ばす事が出来なかったのだ。
そのため、上り下りとも一両分、
ホームからはみ出して停車する。
当然、踏切の一つを塞ぐように停まるため、
発車するまで遮断機は下りっぱなしである。

実際に、上り下り両方の電車が来たため待ったが、
それほどのイライラ感はない。
車内の乗客と見つめ合う感はあるが・・。
車内放送では、この一両だけドアが開かない案内がある。

かつては、戸越公園駅も同じ構造だったが、
ホームの延伸が出来て解消したため、
東急線では現在、この九品仏だけが、
はみ出し停車駅となっている。


自由が丘、田園調布、等々力、二子玉川、
名のある街に挟まれる位置にある九品仏。
なかなか楽しい街だ。
ただ、住所は世田谷区奥沢7丁目。
九品仏という地名だったらお洒落だったのに、
と残念に思う。


大原三千院

2008-11-29 16:20:52 | 神社・仏閣

JR東海の「そうだ、京都行こう」のCMで、 大原・三千院が紹介されている。

秋の紅葉が映える中、 京都の町から離れた三千院は、独特の美しさを持っている。

 

三千院は、中学の修学旅行で行った。 今から、ちょうど30年前の10月だ。

クラス毎にコースを選択出来た。 太秦映画村や、嵐山などが人気のコースだった。

その中、私のクラスは、 「三千院に行ってみたい」という声が多かった。

しかし先生が言う。 「三千院は、京の中心地から離れている。

行ったらその日はもう、他の場所は見れないぞ。それでもいいか?」

私達は、それでもいいと答えた。 なぜ、あのクラスメートが、それほど三千院に行きたがったのか、

もちろん私も、一番行きたかったのだが、 今も不明なのである。

 

その日は、雨が降った。

バスは、一時間以上の道のりをかけて洛北を目指す。 そして、三千院に着いた時は、 しとしと雨に変わっていた。

朝早くに出たため、 三千院の門はまだ閉まっていた。

門前にある土産物屋が店を開ける。 店のおばさんが言う。 「えらい早よぅ来はったなぁ」

私達は、おばさんからしば漬けを戴いた。 たったの一切れ食べたしば漬けの、おいしかったこと。

今まで食べた漬物の中で、一番忘れられない味だ。

 

しっとり雨は、情緒満点だった。 他に、観光客の姿は見えなかった。

私達は三千院の前で、バスガイドさんとともに写真を撮ったり、 それぞれの時間を楽しんだ。

のちにクラスメートの男子の一人は、 このバスガイドさんと文通を続けたという。

三千院の中自体は、実はあまり印象に残っていない。

ただ、この開門前のひと時が、 今も鮮明に残っている。

 

 

 『女ひとり』の歌詞の最初に出てくる、 「京都大原三千院、恋に疲れた女がひとり・・」

この詞は、永 六輔氏が作詞したのだが、 実は、日本全国旅めぐりのような歌を作ろうとして、

一曲目・北海道からスタートして、 三曲目が京都府、この「女ひとり」の曲になったという。

しかし、このシリーズはヒットしなかった。永氏も、この三曲目で早くも断念したという。

ところが、当時の三千院の住職が、 この売れない曲に、自分の寺が登場するのを知って、

この詞を、筆で木の板に書き、 門の前に掲げたという。

そしてこの当時は、「アンノン族」と呼ばれる、 女性のひとり旅がブームだった。

雑誌に、この詞と三千院の看板が紹介され、

静かな山あいの寺ということで、たちまち観光客が訪れるようになった。

三千院が脚光を浴びるのは、この時からだった。

 

でも、私達が訪れた三千院は、 やはり静かに時間が通り過ぎる寺だった。

結局、あれ以来ここを訪れたことはない。

いや、あの時・・15歳の目で見て感じた三千院を、 そのまま残しておきたかったからかもしれない。

 

何年前かに、両親が三千院を訪れたのたが、

中に入るには、「般若心経」を一行、 筆で書いてからという決まりがあった。

実際には、お願いのような型で、何もせず入る人も多かったようだ。

だが、筆を使う仕事の両親は喜んで、畳の上に正座をして記してきたという。

今はどうなっているかわからないが、 三千院も観光ずれしていない、

厳格な顔を保ち続けていることが嬉しかった。

 

そうだ、京都行こう・・・