1968(昭和43)年、12月10日。
東京・府中市で、
いわゆる「三億円事件」が発生する。
白バイに乗ったニセ警官が、
白昼、現金輸送車を堂々と乗っ取り、
そのまま、金とともに逃げ去るという大胆な事件。
結局、
犯人は捕まらず、盗まれた金も発見されず、
日本の犯罪史上、最大のミステリーと言われている。
この事件に関しては、様々な書籍が出ているし、
先月発売された、「別冊宝島」の特集は、
この40年を詳しく追っていて、興味深い。
誰も犠牲者は出ていない。
盗まれた銀行も、保険に入っていたため、
一銭も損をしていない。
最も、クリーンな犯罪と言われている。
しかし、
大事件だったゆえ、警察の焦りもあり、
誤認逮捕もあったという。
その被害者は、その後の人生を狂わされている。
決して、クリーンではなかったのだ。
私が五歳の時の事件だった。
私は、この事件の舞台でもある、
東京・多摩地区の人間だ。
それゆえ、三億円事件は身近に感じるものがある。
事件のあった日の昼、
ニュースでは、盗難車のナンバーが公表された。
父は、家の前にしばらく立ち、
通る車のナンバーを見ていたという。
それほどの、近距離での事件だったのだ。
さらに、
私の叔父が、この事件で調べられたことがある。
ニセ白バイに巻き付けられていた紙片が、
ある電気系の雑誌の一ページだった。
叔父は、科学が好きで、この本を定期購読していた。
それで、警察が来たというのだ。
叔父は、その本を刑事に見せて、
当然ながら「シロ」になったわけだが、
今でも、この大事件の「容疑者の一人」になった事を、
語り草にしている。
もっとも、この事件では、
10万人近い人が、容疑者としてピックアップされたらしい。
それだけ、証拠が山のようにあり、
でも、誰でも使うものが遺留品だったというのが、
この事件の特異性だ。
あれから40年。
世の中は、三億円という価値自体が変わっている。
今、年末ジャンボ宝くじで手に入る金額だ。
大きく変わっている中で、
この事件の舞台となった、
府中刑務所脇や、国分寺跡、小金井市の団地などは、
不思議と、それほどの変化はない。
だからこそ、
人々の中で、いつまでも語られているのかもしれない。