シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

ポストの中身の数

2023-07-29 07:57:55 | 世の中あれこれ
街のあちこちにある赤いポスト。
私は手紙を出したりするのが好きだし、仕事で投函する事も多い。
私の地域は、平日は午後2回集配に来る。
以前は、朝昼夕の1日3回だったが、いつの間にか2回。
それも14時半と16時半。
ずいぶん接近しているが、何か理由があるのだろうか。

その、ポストに投函するたびに思う。
今、このポストの中には何通手紙が入っているのか。
そんなに沢山の人が投函するように見えない。
もしかしたら、次の集配まで私の一通だけではないか。


昨日、そんな疑問を解決してくれるような?記事があった。
今年6月、全国の郵便局の集配社員に聞き取り調査をし、
ポストに何通くらい投函されていたかをまとめたのだ。
それによると、

月に0~1通が3.9% (ほとんど利用されていない)
月に2~9通が7.0% (週に1通程度)
月に10~19通が7.4%(数日に1通程度)
月に20~30通が6.9%(1日1通程度)
全国のポストのうち約25%が、1日1通以下なのだ。

それでも郵便屋さんは集配に来る。
ご苦労はもちろんだが、何かうまい手はないかとも思う。
まあこれは、乗客がいるかいないかわからなくても、
時刻通りに運転する路線バスにも似ている。

郵政が民営化された時、
ポストの数は減らさないという取り決めがあったようだ。
でも民営化どうこうに関係なく、
手紙離れが進んでいれば、投函自体減るのは当然だ。
それにしても、月に1通しか投函されてないとは、
週2回は投函する私などは、ヘビーユーザーではないか。

解決策として、ポストの数を減らすと言われているが、
近くのポストが廃止、不便になればますます利用は無い。
コンビニのポストの活用も良いが、
私は、大事なものをコンビニから送るのがイヤなので、
ポストまで足を向ける。


63円を責任持って送り届けてくれる日本郵便。
イタリアのように、いつ届くか不明という国もある。
もう少し手紙の存在が重視されても良い。
でも画期的な通信手段、と言われたFAXでさえ、
今は古い道具として廃れはじめている。
ポスト、手紙、切手・・。
やがて姿を消す時が来るのだろうか。

電話応対の方々

2023-07-27 17:50:54 | 世の中あれこれ

持病の喉の病気のため、

以前診察してもらった病院に電話した。

その応対に出た女性が、とても感じが良く、

ハッキリとした口調で、ちゃんと要点を案内して下さった。

 

パソコンを操作しながらだろうが、

症状を細かく聞いたあと、経過を聞き取り、

前回の医者の次の予約可能日、

そして持参する物など、要領良く教えて戴いた。

 

医者が聞くような事を、電話の女性がここで聞く。

なので、診察の時点では医者は大概を理解している。

流れとしては理想的である。

だが、知人で病院のコールセンターの仕事をしている女性がいるが、

質問通り答えてくれる人は助かる、と言っていた。

「この前と同じだよ!」と怒鳴る人もいるらしい。

他にもコールセンターの仕事の知人がいるが、

いずれも、ストレスがたまる。でもその時だけで引きずらないのが大事、

との答えだった。

 

私は電話で話すのが苦手で、

電話で聞くくらいだったら、直接聞きに行くほうがいいという性格なので、

電話の仕事、コールセンターの方々には頭が下がる。

 

これはコールセンターではないが、

以前、ある会社からFAXで印鑑の注文があった。

その通り作って送ったのだが、

後日、そこの女性事務員から電話があった。

とても丁寧な口調で、声も綺麗。  だが、

『先日お届け戴いた印が間違っておりましたが・・』と言われ、

そんなはずはないと思い、FAXを読み上げると、

『あ~っ! 私間違えた~! ショック~ゥ! 』

と、普通の女性の言葉になった。

 

コールセンターの女性方も、

やめてよー!  とか、サイテー! とか、

叫びたい時があるのだろうな。

 

何にしても暑い季節、どうか頑張って下さい。

 


森村誠一さん、ありがとう

2023-07-24 20:22:39 | 人とのつながり

作家の森村誠一さんが亡くなった。

私が中学・高校時代夢中になって読んだ作家だった。

 

森村さんは、現代社会の矛盾や裏、

そして人間の繋がりや愛情などを、

一つの話に織り交ぜて語るような小説が多かった。

どれも引き込まれる話だった。

 

青山学院大卒、趣味が登山、ホテルマン、作家。

私が憧れ、理想としていた生き様だった。

森村さんはしかし、

『ホテルは泊まる所。仕事をする所ではない』と

ハッキリ書かれていたのも印象に残る。

 

それに、氏はなかなかカッコいい人で、

写真のような厳しさと優しさを感じさせる人でもある。

スーツ姿で、新幹線の横に立つ写真の姿は、

私もマネをしたことがあるくらいだ。

 

高1の時、森村さんにファンレターを書いた。

当時は、本の巻末に自宅住所まで記されてあった。

「森村さんのような物書きの仕事をしたい」

などと偉ぶって書いた。

その翌年の正月、ご本人から年賀状を戴いた。

宝物のように、今も大切に保管してある。

 

このブログでも、

森村さんから得たような文体を使う時がある。

『何をか言わんや』 『推して知るべし』などは

森村さんの小説から知った言葉である。

 

 

森村誠一さん。

 

私は結局、物書きの仕事など出来ませんでしたが、

こういったブログや手紙などで、

言葉や文字の力、そしてそれに込められた想いを

表現していく難しさ、楽しさを感じております。

これからも自分の文章を大切にしていきます。

 

 

ありがとうございました。

森村さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 


夏のトラウマ

2023-07-23 20:21:08 | 日常から

学校も夏休みに入り、今日は最初の日曜日。

楽しい夏のスタート・・と言うべきだが、

実は私は、夏にまつわる二つのトラウマを持っている。

 

一つは、「泳げない」ということだ。

三歳の時プールで溺れた。 その時は、近くにいた男性に抱えられて事なきを得たが、

それ以来、 水恐怖症というほどではないが 基本的に水泳がキライである。

ちょうど今日あたり・・。 夏休みに入ってすぐの4日間くらいは、

学校では、水泳の「初心者講習」というのがある。

これに私は、 小学校から中学・高校の時まで参加した。 なのに泳げなかった。

夏が終り、二学期になり、 だいたい9月に校内の水泳大会があるが、

そこでなんとか、25mを泳げるように間に合わせ、

翌年また初心者講習に顔を出す、という繰り返しだった。

泳げないのはトラウマとは少し違うかもしれないが、 今でも「プール」は興味がない。

 

もう一つは、「音」。

こちらは一歳の時、西武園の夏の花火大会に連れて行かれ、

その一発目の花火がドーン、と鳴ったところで 私は大泣きして、

両親はやむなく途中で帰ってきたという。

それ以来、 雷の音がキライ。 風船の割れる音がキライ。 陸上部にいたのにピストルの音がキライ。

楽器の中では、シンバルだけはキライ。

とにかく大きな音がキライなのだ。

父はよく、『あの時花火連れて行かなければよかった』と言っていた。

もちろん両親のせいでないが、なぜ大きな音がダメなのだろう。

 

「水」 と 「音」。 文字にすると、夏の素敵な風物詩なのだが、

私にとっては、 夏がキッカケとなった恨むべき?ものなのだ。 

 


私が若かった時

2023-07-20 16:16:20 | 懐しい話

60歳になったばかりだが、

早くも若い人達との距離感・温度差を感じている。

 

今、地元の盆踊りの準備を進めている。

私はこの春から役員になった関係で、

極力準備に関わらなければいけないが、

とにかく暑さの中、体が動かない。

大病したこともあり、無理も出来ない。

早々に動き出し頑張っている若いメンバーに、頼りっきりである。

『決められた事はやるから、他は頼むよ』という感じだ。

 

思い出すのは36年前。

当時24歳の私は、地元の合唱団のサークルにいた。

広報係を務めていた関係で、

演奏会に向けてとにかく動き回った。

 

毎週出す会報誌も書いた。

楽しい会報にしようと、音楽と関係ない記事を書いたり、

団員から原稿を貰って載せたりした。

私は、団の男性の中では最年少だった。

40~60代の、親ほどの年齢の人に対して

『練習、ちゃんと出席のこと!』とか

『本番まであと○日。頑張りましょう!』などと

会報を通じて、団員を鼓舞し続けた。

 

「若い人達で頑張って」という年配の人の声も多かった。

きっと、気持ちは付いていきたいが、

体が動かないという感じだったのだろう。

それでも24歳の私は、団員を励まし続けていた。

 

そして今。

私が逆に、「若い人に頑張ってほしい」と言っている。

あの頃、自分が一生懸命になれたのは何だったのか。

体も心も溌剌とした、若かった自分。

「歳をとっても頑張れる」

そんな思いは36年経った今、

若かったから感じた思いだったと知る。

 


池上線にまつわる想い

2023-07-17 14:51:01 | 恋&愛

所用があり、五反田に行った。

帰りの五反田駅で、ふと目にした「東急池上線」の案内図。

思わず、その池上線に乗り込んだ。

 

この線には、なんともせつない思いが二つある。

一つは、1975年に発売された、西島三重子さんの『池上線』。

私が子供の頃で、それほどヒットした曲ではなかったと思うが、

今聞いてみると、昭和の歌詞・メロディーでありながら、

すごく大人の切なさを感じる曲なのである。

この線に乗り、恋愛を経験した人にとっては、

この歌は思い出の中から消えない曲であろう。

 

私は池上線を利用したことはほとんどなく、

この曲にまつわるエピソードがあるわけでもない。

でもこの曲は本当にジンとくる。

 

そしてもう一つ。

大学時代、一つ下の後輩の女子がいた。

この子が池上に住んでいて、ここから通っていた。

とにかく明るく、いつもニコニコと笑顔を見せていた。

私とは、特にお付き合いしていたわけではなかったが、

バス停で待っていると、後ろから『セーンパイ!』などと言って

背中をポンと叩いてくるような、

ドラマに出てきそうな後輩だった。

 

しかし、2年生になって突然登校しなくなる。

やがて、学校を辞めてしまった。

聞くところでは、お母様が急逝され、

家庭の都合で退学した、ということだった。

 

詳しい事はそれ以上わからなかった。

当時、携帯などない。

本人に連絡も取れず、ドラマのような後輩は

風のように姿を消してしまった。

 

 

池上、と聞くとこの子を思い出す。

元気でやっているかな。

幸せな人生送っているかな・・。

そのまま池上線に揺られ、私は池上で降り立った。

曲のイメージとは違い、

電車も駅も、とても綺麗になっていた。

 

池上線を聴いてジンとくるのは、

この子の存在もあったからだろう。

 

もう40年が経った。

 


お寺の掲示板・3

2023-07-16 17:12:52 | 世の中あれこれ

今日はこの暑い中、私の「散歩コース」でもある、

旧東海道を歩いてみた。

 

『お寺の掲示板』にハマってしまい、

実際に探してみようと思った。

旧東海道は、それなりに寺社も多く、

昨年正月には、この沿道にある『七福神めぐり』もして来た。

でも今日は暑かったのであまり無理をせず、

目に付く掲示板を、と思っていた。

 

しかし、意外と書いてある所が少ない。

一ヶ所見つけて写真に収めて、

暑かったので他は諦めた。

 

品川区の嶺雲寺。

写真の言葉通りだ。

生きた証しか・・。仕事でお客さんが一生持つ印鑑を作るが、

それは仕事の範囲内。

仕事以外では、自分次第で

これから何かあるかな・・と思う。  頑張ろう。

 

そして、前回の記事からの続きの言葉である。

 

「人は損得を言うと揉め始める」

「ほんとうのご利益とは  欲望を満たすことではありません」

「できない理由を探すな」

「いい会話とは、『意見が違う』 という出発点から始まり 『協力しよう』でしめくくるもの」

「あと何年 周りの顔を伺い続けますか。  伺い続けても  あなたを大切にしてくれるわけではありません」

「死に対する恐怖と同じくらい  生に対して感謝したことがあるだろうか」

「子や孫に願うことは  どれも皆自分のできぬことばかり」

「くらべるのが人間  くらべないのが仏様」

「たった一言が人の心を傷つける    たった一言が人の心を温める」

 

(続)

 

 

 


お寺の掲示板・2

2023-07-14 11:23:38 | 世の中あれこれ

3つ前の記事、7月3日の『お寺の掲示板』だが、

その後、この掲示板に興味を持って調べてみた。

私はFacebookもやっているが、

こちらで「掲示板の法語」 というグループがあり、

寺社の様々な掲示板の言葉を写真で紹介する

なかなか面白い内容である。

早速加わらせて戴いた。

 

とにかく、全国の寺で日替りで貼り出されている中の一枚を、

多くの会員が写真に収めているのだから、膨大な数だ。

その中の言葉を、今後何度かに分けて紹介したい。

 

実際に筆字で貼り出されている言葉と、

パソコンで入力した文字だと有り難みも違うが、

言葉として残していきたいと思う。

 

 

「当たり前のことが当たり前のとき  それを幸せと呼ぶ」

「いい人を演じていると  いつか都合のいい人になる」

「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は  どこに行っても満足はない」

「正しいものに遇(あ)って 正しくない自分を知らされている」

「十億の人に十億の母あらむも  我が母に勝る母ありなむや」

「過去に囚われてはいけない  未来を待つだけでもいけない  ただ、現在に集中すること」

「今を逃げる人には 未来も過去もない

「にぎっているから  新しいものがつかめない」

「いいとこよりも 嫌なことが気になるのが人間」

「信じられないのは 私の役不足   信じられたのは 私の力不足」

 

(続)

 


カノンと映画「夫婦」

2023-07-09 17:50:10 | 恋&愛

夏の日曜日、

久しぶりに、パッヘルベルの「カノン」を聴いた。

心に響く名曲である。

 

このブログの、私のHNでもある。

このブログで知り合った方で、私の本名を知っている人もいるが、

「カノンさん」と呼んでくる。

呼びやすいというか、響きも良いのかもしれない。

 

なぜ、『カノン』にしたかというと、

高校生の時、この曲を聴きながら、 当時好きだった子にラブレターを書いた。

心に響く曲は、文章にも乗り移る?と思った私は、

この曲を延々とリピートしながら書き続けた。

便箋2枚ほど書いただろうか。

「君が心に止まって、幸せと苦しさで一杯なんです」

などと、17歳らしからぬ・・いや、17歳が書きそうな

今思い出すだけでも恥ずかしい文章を書いた。

 

彼女からも返事の手紙をもらった。

『素敵な友達が出来て嬉しいです。

廊下ですれ違ったら声をかけて下さいね!』

と、高校生らしい可愛い文字での文章だった。

 

その一週間後に、神戸へ修学旅行があったが、

私はこの彼女と一緒に、神戸の海岸を散歩するという

本当に素敵な思い出を作ることが出来た。

この時の彼女からの手紙は、今も大切に取ってある。

 

この思い出から、

綺麗な文章でのブログを書きたいと思い、

HNを「カノン」にした。

 

今ならメールだろう。

でも、今カノンを聴きながら打ったとしても、

こんな文章は打てないと思っている。

彼女からの文字にも触れることなく、

17歳の思い出は、あっさり流れていたかもしれない。

 

 

ところで、この曲が使われている映画がある。

1969年、ベルナール・ポール監督のフランス映画、

『夫婦』という題名の映画である。

 

ある人妻が、息子の担任の先生に恋をする。

その先生はパッヘルベルのカノンが好きで、

人妻はいつも家で「カノン」を聴きながら、 先生の事を想うという話である。

ちょっとオトナの内容?だが、 この映画はあまり知られなかった。

ただ、カノンが使われていた映画として、 話題に上る程度である。

 

私は映画にはあまり興味ないのだが、 一度観てみたいと思った。

しかし、以前TSUTAYAを探しても置いていなかった。

巡り合うことは難しいかもしれない。

ただ、 この「カノン」という曲と、 高校時代の思い出と、

映画のあらすじに惹かれている自分。

それらが重なり合ったまま、 いつも心の中に流れている名曲である。

 


お寺の掲示板

2023-07-03 15:03:52 | 世の中あれこれ

今日のニュース記事で興味深い話があった。

大阪・専念寺の門前の掲示板に

こちらのご住職がいつも「胸に刺さる」言葉を書いているという。

 

 

全国的に今、

いわゆる『お寺の掲示板』の言葉が注目されている。

それぞれ、そこのご住職が記すものだが

SNSなどで人気を集めているという。

 

お坊さんの言葉だ。

やはり、普通に生きている我々とはどこか違う、

なるほど、たしかに、そうかもしれない、

という言葉が多い。

 

 

専念寺のご住職の言葉をいくつか紹介させて戴くと、

 

『優しい人ほど あなたに何も言わないかわりに

あなたから離れるときも 何も言わない』

 

『人は、恐れている人より

愛をそそいでくれる人を

時として 大きく傷付けるものである』

 

『人との会話で

「言っていけないこと」 「言っていいこと」

の境に

「言ってもいいかわりに  あなたの価値を落とす」会話が多くある』

 

『出会った時より 相手を大切にできていますか』

 

 

すべて今の私に当てはまるようだ。

相手を優しくしてあげればいい、

楽しく会話すればいい、

それだけでは真に相手の事を理解して

いたわってあげているわけではない、という事を。

 

近所にこのようなお寺などなく、

あまりこのような、お坊さんの言葉を目にする事はない。

ただ、いくら毎日目にしたとしても、

(なるほどね)と思うだけで反省することがなければ、

ただの、その辺の交通標語と同じである。

 

それを自身の気持ちに戒めとしなければいけない。

胸に刺さるだけでは

成長も進歩もないのだから。