子供達と、ふとした事からフォークダンスの話になった。
しかし、 男子校を出た息子、女子高に通う娘は、
どちらもフォークダンスの経験がないという。
フォークダンス。
私は、ずっと共学だったので、 フォークダンスを踊る機会は多かった。
記憶にある一番の古い思い出は、小学3年生の運動会。
『グスタフスコール』だった。
手をつないだ男女4組が、それぞれ正方形の向かい合わせに立ち、
2組ずつが前進して、片足をチョンと出す踊りだ。
(ダンスを文章で表現するのって、難しい・・。)
その後は、6年生になって最後の運動会で、 『コロブチカ』を踊った。
そして中学になると、 林間学校(移動教室だったか)で、
『オクラホマミクサー』を踊る。
そして、高校も共学だった私は、 さらにその機会が増える。
体育祭や、文化祭の前夜祭というと、 必ずフォークダンスが登場した。
『マイム・マイム』か、オクラホマ・ミクサーだった。
高校ともなれば、当然『手をつなぎたい相手』がいる。
フォークダンスは、 合理的かつ芸術的に手をつなげる、絶好の手段だった。
しかし、マイム・マイムには欠点があった。
最後まで「両隣ずっと同じ相手」ということだ。
お気に入りの相手ならば、長く手をつないでいられるこの踊りは歓迎だ。
でも、もし逆だったら・・。
そして、次々に相手が変わるオクラホマミクサーにも欠点があった。
こちらは、一曲12~13人程度と代わる曲だ。
しかし、それだけに運・不運もあったりして、
『手をつなぎたい相手』に辿り着かない不満が出る。
高2の文化祭の時、 その不満を聞いた音楽の先生が提案する。
「それなら、全員と手をつなげるまで踊りましょう」
かくして、 前夜祭では、オクラホマミクサーを延々流し続けた。
だが、当時8クラス、男女とも180人ずつという我が校では、
全員回りきるところまで行かなかった。
でもこの時、『飽きた』という声は聞かれなかった。
延々と流れる曲は、次々に新しい相手がめぐって来る。
文句を言う者などいなかった。
マイム・マイムは1年生の時の文化祭で踊ったが、
もしかしたら、あの時も文句なんて出ていなかったのかもしれない。
フォークダンスって、そういう気持ちになれるのだろう。
マイム・マイムで、右隣でずっと手をにぎり続けたKさんは、
その後、私の子供と幼稚園が同じになりそこで再会する。
オクラホマミクサーで、一番最後に相手になったSさんは、
今、イギリスで暮らしているという。
フォークダンスは、ちょっぴり大人になった気がしたものだ。
異性との手の触れ合い。 相手への誠実な動作。
そして、指先の温かさから伝わる想い・・。
私は、幸せ者だったのかもしれない。