シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

大原三千院

2008-11-29 16:20:52 | 神社・仏閣

JR東海の「そうだ、京都行こう」のCMで、 大原・三千院が紹介されている。

秋の紅葉が映える中、 京都の町から離れた三千院は、独特の美しさを持っている。

 

三千院は、中学の修学旅行で行った。 今から、ちょうど30年前の10月だ。

クラス毎にコースを選択出来た。 太秦映画村や、嵐山などが人気のコースだった。

その中、私のクラスは、 「三千院に行ってみたい」という声が多かった。

しかし先生が言う。 「三千院は、京の中心地から離れている。

行ったらその日はもう、他の場所は見れないぞ。それでもいいか?」

私達は、それでもいいと答えた。 なぜ、あのクラスメートが、それほど三千院に行きたがったのか、

もちろん私も、一番行きたかったのだが、 今も不明なのである。

 

その日は、雨が降った。

バスは、一時間以上の道のりをかけて洛北を目指す。 そして、三千院に着いた時は、 しとしと雨に変わっていた。

朝早くに出たため、 三千院の門はまだ閉まっていた。

門前にある土産物屋が店を開ける。 店のおばさんが言う。 「えらい早よぅ来はったなぁ」

私達は、おばさんからしば漬けを戴いた。 たったの一切れ食べたしば漬けの、おいしかったこと。

今まで食べた漬物の中で、一番忘れられない味だ。

 

しっとり雨は、情緒満点だった。 他に、観光客の姿は見えなかった。

私達は三千院の前で、バスガイドさんとともに写真を撮ったり、 それぞれの時間を楽しんだ。

のちにクラスメートの男子の一人は、 このバスガイドさんと文通を続けたという。

三千院の中自体は、実はあまり印象に残っていない。

ただ、この開門前のひと時が、 今も鮮明に残っている。

 

 

 『女ひとり』の歌詞の最初に出てくる、 「京都大原三千院、恋に疲れた女がひとり・・」

この詞は、永 六輔氏が作詞したのだが、 実は、日本全国旅めぐりのような歌を作ろうとして、

一曲目・北海道からスタートして、 三曲目が京都府、この「女ひとり」の曲になったという。

しかし、このシリーズはヒットしなかった。永氏も、この三曲目で早くも断念したという。

ところが、当時の三千院の住職が、 この売れない曲に、自分の寺が登場するのを知って、

この詞を、筆で木の板に書き、 門の前に掲げたという。

そしてこの当時は、「アンノン族」と呼ばれる、 女性のひとり旅がブームだった。

雑誌に、この詞と三千院の看板が紹介され、

静かな山あいの寺ということで、たちまち観光客が訪れるようになった。

三千院が脚光を浴びるのは、この時からだった。

 

でも、私達が訪れた三千院は、 やはり静かに時間が通り過ぎる寺だった。

結局、あれ以来ここを訪れたことはない。

いや、あの時・・15歳の目で見て感じた三千院を、 そのまま残しておきたかったからかもしれない。

 

何年前かに、両親が三千院を訪れたのたが、

中に入るには、「般若心経」を一行、 筆で書いてからという決まりがあった。

実際には、お願いのような型で、何もせず入る人も多かったようだ。

だが、筆を使う仕事の両親は喜んで、畳の上に正座をして記してきたという。

今はどうなっているかわからないが、 三千院も観光ずれしていない、

厳格な顔を保ち続けていることが嬉しかった。

 

そうだ、京都行こう・・・

 

 


書き込みのある古本

2008-11-26 17:37:44 | 日常から
高2の息子が、
古本屋で、英語の問題集を買ってきた。

結構格安だったらしい。
店の主人が言うには、
使っていたのは、国立大に合格した学生だったという。
本当かどうかはともかく、
息子は、喜んで手にした。

ところが、開いてみてビックリだ。
ほとんどの、三択や四択の問題に、
答えが○で囲ってあったのだ。

しかし、鉛筆での書き込みだったので、
息子は、とにかく全部消して使うという。



以前、新聞に載った話だ。

小さな子を持つお母さんが、
図書館で、「ウォーリーを探せ」を借りてきた。
子供と一緒に楽しもうと、
家に帰って開いてみると・・、

すべてのページで、
ウォーリーに、大きく○が書かれていたという。

間違い探しや、宝探しの類の楽しみを、
根本から奪われたような思い。
書いた人も書いた人だが、
こんな本を置いた図書館も図書館だ。
お母さんは、憤慨したという。


息子の問題集を見て、
その話を思い出した。

笑い話のようで、
怒りも感じる複雑な話。


結論は、
新品の本を買え、ということか。

42年前の私がいた

2008-11-10 17:34:47 | 懐しい話

昨日、用事があってある町を訪れた。

今の、私の住んでいる市からそれほど離れていない。

しかし、あまり訪れる機会がない町だ。

 

私はこの町に、 1歳から3歳までの二年間を過ごした。

当然、記憶などほとんど無い。

しかし、断片的に当時の光景が甦る時がある。

 

古い病院があった。 私は風邪をひくと、よくそこに連れていかれた。

その先には、長い垣根があって、 垣根越しによく焚き火の煙が見えた。

「垣根の垣根の曲がりかど・・」の、 童謡そのままの光景だった。

そして・・ バラの花が咲く、「お姉さん」の家。

近所に住んでいた、当時小学生だったと思う女の子。

私はよくその子の家に遊びに行き、お菓子を食べたりした。

ピアノがあったらしく、いつも練習しているピアノの音が聞こえていた。

それは私が、生まれて初めて触れた「音楽」だったように思う。

 

私は、子供の頃の記憶力が良いほうなので、

もしかしたら、その町を歩けば 何か記憶が甦るかもしれない・・。

そんな思いで昨日、育った地域を歩いてみた。

 

私の住んでいた家は、道路の拡張で何も面影はなかった。

近所の銭湯はとっくに無くなったようだが、 跡地は、スポーツジムに変わっていた。

コロッケを買った店を覚えていたが、 当然、もうその店もなかった。

あの古くさい病院の位置は、 やはり思い出すことさえ出来なかった。

お姉さんの家は、カンでその方向に歩いてみた。

しかし、 新しい家やワンルームマンションが立ち並び、

バラの花の庭は、とっくに過去のものとなっていた。

 

しばらく歩いたが、 虚しさばかりが残った。

42年も経った場所を歩くなんて、 私は、何をやってるんだろう・・。

昔の思い出を辿っても仕方ない。 今日、そして明日のことで精一杯の毎日だ。

駅への道を戻ろうとした時だ。

2~3歳くらいの男の子が、 お母さんに手をつながれて歩いている。

その子は、私を見ると、 まんまるな目を残してすれ違った。

私も、子供の頃は大きなまんまるな目だった。

今のあの子のように、 この町を、母に連れられて歩いていたのだ。

見ず知らずのその子に、 幸せな人生を送ってほしいと願う。

 

自分を、瞬時に重ねていた。 そこに、42年前の私がいたからだ。

そして、 私を可愛がってくれた、お姉さんの人生をも想う。 

 


日本シリーズ

2008-11-01 17:54:56 | スポーツ大好き
    


巨人と西武の日本シリーズ第一戦が、
間もなくプレーボールとなる。

今年のプロ野球は、
わが阪神が、13ゲーム差をひっくり返され失速。
一方で、渡辺監督の西武は、
堅実に、パ・リーグの覇者となった。


阪神は残念だったが、
西武は4年ぶりにシリーズに来た。
そして相手は巨人。
アンチ巨人の私としては、
これほどハッキリした、応援スタイルを貫ける対戦はない。

しかし、正直なところ、
いい試合を見せてほしい、という思いが強い。
両者は、あの伝説にもなっている、
1983年の死闘を演じている。
私が、一番アツくなり、夢中になったシリーズだ。

サヨナラゲームが3試合。
第七戦までもつれ込み、
最後は、西武が盟主を倒したのだ。


その後も、西武はヤクルトと2年連続で、
第七戦までのゲームを戦うなど、
死闘が多かった。

巨人も、
長嶋監督の下、メイクドラマで日本一など、
劇的な優勝を続けてきた。


近年、
第四戦・五戦あたりで終わってしまうシリーズが多い。
第七戦までもつれ込むことが、ベストというわけではないが、
日本一を決める対決は、一試合でも多く見たい。


tou tubeで、1983年の対戦を見た。
田淵・東尾・テリー、大田、
江川、西本、原、山倉・・。
あれからもう、四半世紀になるのか。