シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

人が必要であること

2024-03-04 18:30:56 | 人とのつながり
2ヶ月ぶりの記事になった。

今日のスマホのニュースを見ていて
対照的な話があった。

一つは、スーパーなどのセルフレジが、
高齢者や体の不自由な方には使いづらいということ。
バーコードを読み取らせていく事が
楽どころか、かえってイライラ感がつのる。
昔の店員は袋詰めまでしてくれたのに。
なぜ客が面倒なことをしなければいけないのか。

そして、 ファミレスで浸透してきた
タッチパネル式の注文に、
猫型配膳ロボット。
店員との会話など皆無だ。

若い世代にはセルフ式が良いだろうが
年寄りはまごつくばかりだ。


反対のニュースは、
もうすぐ3.11がやって来る。
あの日、被災地のあちこちで
他人に助けられた人、他人に励まされた人、
数知れない。
13年経って、今度は自分が助ける側になったなど
人をめぐる震災のその後の話は尽きない。

一方で、人がいらない店舗。
一方で、人のつながりを知る出来事。

ロボットもAIも結構だが、
本当に困った時、最後に励まして助けてくれるのは
人間なのだということ。

配膳の猫はしっかり持ってきてくれるけど、
こちらの質問には答えない。
届けたら笑顔で遠ざかってしまう。

ちゃんと、人と喋ることの出来る人間でいたい。
そして自分は、
必要とされる人間でありたい。

森村誠一さん、ありがとう

2023-07-24 20:22:39 | 人とのつながり

作家の森村誠一さんが亡くなった。

私が中学・高校時代夢中になって読んだ作家だった。

 

森村さんは、現代社会の矛盾や裏、

そして人間の繋がりや愛情などを、

一つの話に織り交ぜて語るような小説が多かった。

どれも引き込まれる話だった。

 

青山学院大卒、趣味が登山、ホテルマン、作家。

私が憧れ、理想としていた生き様だった。

森村さんはしかし、

『ホテルは泊まる所。仕事をする所ではない』と

ハッキリ書かれていたのも印象に残る。

 

それに、氏はなかなかカッコいい人で、

写真のような厳しさと優しさを感じさせる人でもある。

スーツ姿で、新幹線の横に立つ写真の姿は、

私もマネをしたことがあるくらいだ。

 

高1の時、森村さんにファンレターを書いた。

当時は、本の巻末に自宅住所まで記されてあった。

「森村さんのような物書きの仕事をしたい」

などと偉ぶって書いた。

その翌年の正月、ご本人から年賀状を戴いた。

宝物のように、今も大切に保管してある。

 

このブログでも、

森村さんから得たような文体を使う時がある。

『何をか言わんや』 『推して知るべし』などは

森村さんの小説から知った言葉である。

 

 

森村誠一さん。

 

私は結局、物書きの仕事など出来ませんでしたが、

こういったブログや手紙などで、

言葉や文字の力、そしてそれに込められた想いを

表現していく難しさ、楽しさを感じております。

これからも自分の文章を大切にしていきます。

 

 

ありがとうございました。

森村さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 


贈られた「聖夜」

2007-12-23 21:35:11 | 人とのつながり
Merry Christmas Ⅳ

十数年前、私は合唱団にいて、
大勢の人達とのコーラスを楽しんでいた。

ある年の年末。
恒例となった、ベートーヴェンの「第九」の、
出演の依頼があった。

相手は、小さな町の、小さな合唱団。
初めて「第九」に挑戦するという。
私達のK市合唱団は、何度も第九を歌っている。
指揮者を通じて、私達に「助っ人」の依頼があったのだ。

私を含め、数人だったが、
そこの合唱団に加わり、練習に参加することになった。
お世辞にも、上手ではなかったが、
皆、真剣に練習した。

そして、本番は12月20日頃だったと記憶している。


何とか仕上がり、
本番前日、最後の練習となった。

練習の直前、団長さんが提案をした。
『せっかくなので、クリスマスの曲も一曲歌いたい。
 「聖しこの夜」はどうでしょう。
 第九を歌い終わったら、そのまま続けて歌うんです。』

皆も賛成した。
「聖しこの夜」なら、誰でも歌える・・、
と思ったが、じっくり聴かせて歌おうとすると、
意外に難しい曲だとわかる。

とにかく、この曲の2番の歌詞を皆、知らない。
暗譜なので、歌詞を覚えることから始まった。
本番まで、24時間を切っているというのに・・。
さすがに、団長さんも焦ったようだ。

結局、第九の練習の半分もの時間を費やし、
「聖しこの夜」は、形になった。


そして翌日。
第九は、練習の甲斐あって、
無事歌い上げた。

最後のエンディングと同時に、拍手が起こる。
しかし、指揮者は姿勢を崩さない。
鳴り止まない拍手の中、
私達は、ゆっくりと「聖しこの夜」を歌い出した。

客席の人々は、少しざわついた感じで拍手をやめ、
思わぬ、もう一曲の歌に聴き入っていた。

第九を歌い終えたあと、
別の曲を歌う演奏会は、そう無いと思う。
小さな町の、小さなステージだったが、
特別な時間が生まれていた。


「聖しこの夜」が終わると、
今度は、客席からさざなみのような拍手が鳴った。
先ほどの、第九の終了と同時に手を叩くような、
お決まりの拍手とは違った温かさを感じた。

団長さんが、嬉しそうに客席を見渡す。
指揮者のM氏が、満足そうに私達を見る。
そして、静かに幕が下ろされた。


そのあと、会場を移して打ち上げとなった。
団長さんが言う。

『即席の、聖しこの夜でしたが、
 歌っていてとても感動しました。
 第九も素晴らしいが、宗教の持つ曲も素晴らしいですね』

続けて、

『応援で歌って下さった、K合唱団の皆さん、
 本当にありがとうございました。
 皆さんにとって、これからも聖なる音楽に包まれますよう、
 今日の聖しこの夜は、K合唱団の皆さんに贈りたいと思います』

嬉しかった。
合唱をやっていて良かった、と思えたひとときだった。


団長さんは、
素敵な聖夜をプレゼントして下さった。
今は、合唱から離れてしまった私だが、
このステージは、記憶に残っている中で、
一番温かな思い出である。

Tちゃんのサンタ

2007-12-22 15:41:20 | 人とのつながり
Merry Christmas Ⅲ

この話は、最も新しい、
去年と、今年のクリスマスの話になる。


昨年、一人の女性と知り合った。
病気がちの主婦さんだが、
娘さんのために、身体を張ってパートに出ている。

家庭の状況が思わしくなく、
彼女は、娘さんのために働き、
娘さんを守っていくことで必死。

しかし、真面目でしっかりした彼女には、
私も励まされ、また癒されてきた。
真の友達と呼べる人でもある。


娘さんの名は、Tちゃん。 小学4年生。
とても明るい、ハキハキした子だ。
私は、一度も会ったことがないのだが、
よく電話口で、元気な声が聞こえてくる。

一度、電話に出た時、
『こんにちはー!』と、大きな声で挨拶をしてきた。
彼女とともに、
この娘さんも、私にとっては元気の素である。


昨年のクリスマス。

彼女は、『Tには今年、何もプレゼントできない』
と、寂しそうに言った。
彼女の、去年の家計は苦しかったのだ。

しかし私は、小学生の子供には、
せめて、クリスマスを楽しんでほしいと思った。
プレゼントという、物だけが全てではないけれど、
イヴの夜、夢は見させてあげたいと思ったのである。

私は、
Tちゃんが好きな、キティちゃんのぬいぐるみと、
綺麗なチョコレートを買い、
クリスマスの前日、彼女に渡した。

彼女は、とてもクールな性格だ。
変に有難がることなく、
変に遠慮することなく、
『ありがとうございます』と言って、静かに受け取った。


彼女は、イヴの夜Tちゃんに、
『靴下ぶら下げときなさい』と言った。
Tちゃんは喜んで、枕元に下げた。

深夜、彼女は私があげたぬいぐるみとチョコを、
そっと靴下の中に入れた。

翌朝彼女は、
Tちゃんの、「わぁーっ」という歓声で目が覚めた。
そして、
「お母さん、サンタが来たよ」と嬉しそうに伝えたという。
彼女は、『良かったね』と答えた。

いや、それしか答えられなかった。


夜、メールが届いた。

『昨日はありがとうございました。
 Tは、朝からキティちゃんを離しません。
 私もチョコレート、一緒に戴きました。
 Tの前で、泣きながら食べました・・』

私は、メールを読んで、
(私のした事は、正しかったのかな・・)と思った。
同情したつもりではなかったが、
出しゃばったかな・・という思いを持った。

しかし、メールの最後にあった。
『カノンさん・・本当にありがとう。
 来年は私、頑張ります。
 Tのために、来年はいいサンタになります・・』


そして今年。
彼女は、毎日のようにパートに出て働き、
Tちゃんのために、とにかく頑張った。

家計が苦しいのは、変わらない。
しかし彼女には、去年なかった明るい表情があった。
そして、先日言った。

『今年のクリスマスは、何か買ってあげます。
 去年の、Tの嬉しそうな顔が忘れられなくて・・』


今年のTちゃんのサンタクロースは、
Tちゃんの一番近くにいる人である。
24日の夜、
今年は彼女も、去年と同じ言葉を、
まったく違った思いで言うだろう。

『靴下ぶら下げときなさい』と・・。

先生のクリスマスカード

2007-12-21 16:35:11 | 人とのつながり
Merry Christmas Ⅱ

私は、小学生の時、
近くの英会話教室に通っていた。

といっても、今あちこちにあるような、
大手の、外人講師と話すといった教室ではない。
日本人の、若い女の先生と、
10人くらいの小学生で、
アットホームに会話をするような、そんな教室だった。


ある年のクリスマス。
教室では、
授業をせず、クリスマスパーティーとし、
一人一つずつ、プレゼントを持参することになっていた。

ところが、
その話が出た日、私は風邪で欠席していた。
先生も、10人そこらの生徒だし、
特にお知らせも作らず、口頭で伝えただけだった。

その時、私にも伝えたと思っていたのだろう。

パーティーの日、
私は、いつも通りの授業だと思い、
いつもの教科書を持って、教室に行った。

妙に華やかな教室。
机も出ておらず、
床の上に皆、思い思いに座っている。

『それじゃ、みんなプレゼントを出してね。
 英語の歌を歌いながら、プレゼントを回しましょう!』


私はそこで初めて、
その日がクリスマスパーティーで、
プレゼントを持参してくることを知った。

皆、「持って来なかったのかよー」と言う。
聞いていなかったことを先生に言うと、
先生は謝った。
『ごめんなさいね!連絡してなかったわね!』

私は、子供心に少し白けた感じになり、
先生に「僕、帰ります」と言った。

すると先生は、
『みんな、ちょっとだけ待ってね。
 んー・・、プリーズ・ウェイト・10ミニッツ!』

10分だけ待って。

その間先生は、
教室にあった画用紙に大きな顔を書き、
色を塗り、英語の言葉を書き入れた。
そして、器用に折りたたみ・・

あっという間に、クリスマスカードを作成した。


先生のカードを加えて、
プレゼント交換は始まった。
歌を歌いながら、
止まったところのプレゼントが、その子のもの。

そして・・

私は、先生のカードが当たった。

先生は私に、開口一番 『カノンくん、ごめんなさいねー』

しかし私は、とても嬉しかった。
先生の、手作りのカード。
どこにもない、世界でただひとつのもの。

私が忘れたために生まれたプレゼントが、
奇しくも私の手に届いた。

帰り際、「先生ありがとう」と言ったら、
『カノンくんに当たって良かった』と笑ってくれた。


カードの、英語の言葉は結局わからなかった。
カードも、どこかに行ってしまった。
しかし、その後大人になり、
全国の方と、文通を始めた私。

ペンフレンドさんに、
クリスマスカードだけは、毎年送り続けた。
それは、あの時の先生の記憶が、
ずっと残っていたからだと思っている。

あのカードはもしかしたら、
私の人生で、
一番嬉しいプレゼントだったかもしれない。



先生のカード、当たって良かったです。
クリスマスになると、
カードを贈りたい、って気持ちになるんですから。
大人になった今も・・。

先生、どうもありがとう。
今年も、メリー・クリスマス!

彼はサンタクロースだった

2007-12-20 15:55:02 | 人とのつながり
Merry Christmas Ⅰ

私の知人の男性の話だ。


もう20年前くらいになるだろうか。
知人の、独身の男性がいた。
人の善い、真面目な若者だった。

ある年のクリスマスイヴ。
友達は皆、
彼女と一緒や、仲間とのパーティーに繰り出した。
しかしその彼だけは、
イヴの夜は、個人的な用事があるという。

「彼女もいないお前がどこ行くんだ?」

友達にからかわれた彼だったが、
何も明かさなかった。


しかし、人づてで、
彼のイヴの夜の真相がわかる。

彼は、ある福祉施設に行き、
サンタクロースの服を着て、
子供達にプレゼントを配っていたという。

誰に頼まれたわけではない。
バイトでもない、ボランティアだ。

サンタの服はレンタル。
プレゼントは、
彼がバイトで貯めたお金で買った、
お菓子や文房具だったという。

豪華なプレゼントではない。
でも、とびっきりの心のこもった贈り物。
なにより、
彼のまっ赤なサンタの服に、大勢の子供達が飛びつき、
帰るまで離れなかったという。

私がそれを知った時は、
もう既に、三年目の訪問だった。
そして、
彼自身が幼い頃、その福祉施設で育ったのを知ったのは、
それからもっと、あとの事である。


彼は今、
奥様と、二人の子供のお父さんだ。
彼から、プレゼントを受け取った大勢の子供達も、
今は、立派な大人になっているだろう。

今年もまたクリスマスがやって来る。
彼のようなサンタクロースと、
それを待ち望んでいる子供達が、
どこかにいる。

27年ぶりの再会

2007-12-03 17:57:42 | 人とのつながり
先日、ひとりの女性とお会いした。
私より、6歳上の方なのだが、
私が前回、この人とお会いしたのは・・、

1980年夏。
当時、彼女は大学4年生。私は高校2年生。

27年ぶりの再会だった。


27年前・・、
バイト先で知り合ったこの女性、
私はずっと「お姉さん」と呼んでいた。
高校生だった私にとって、
彼女は、ある時は優しく、ある時は厳しく、
本当に、親身になって下さったお姉さんだった。

受験を目指していた私に、
彼女は、良い参考書や本などを教えてくれたり、
人生についてのアドバイスも、
手紙に、便箋10枚近く書き綴ってくれるなど、
本当に、大切な人だった。


彼女は、美大の学生だったが、
やがて絵画の勉強をするために、
結婚して、イタリアへ旅立って行った。
私は高3になり、
受験勉強の毎日となった。

1981年の秋。
花の街・フィレンツェからの絵葉書を最後に、
彼女との音信は不通となった。

それでいい、と思っていた。
若かりし頃の、ひと時出会った大切なお姉さん。
思い出の中にしまっておこう・・と。


しかし二年前、
彼女から戴いた手紙を、たまたま読み返し、
何か大事なものを忘れてしまった気がした。

その後の私、そして彼女の人生。
お互いに知らないままの四半世紀。

お姉さんはどうしているだろう・・

会おうとは思わない。
でも、連絡だけでも取りたい。

昔の連絡先を頼りに、
お姉さんと連絡がついたのは、間もなくのことだ。
彼女は、日本に帰っていて、
実家の近くで暮らしていた。

その後二年間、
手紙やメールで連絡を取り合ってきた。
そして・・

今回、再会することになった。


彼女は、綺麗に、美しく歳を重ねていた。
お互い、長い年月すぎて、
昔のイメージすらおぼろげになっていた。
しかし、昔の会話は、
やはり正真正銘の「お姉さん」だった。

私からの手紙は、
相次ぐ渡伊・帰国の連続で、
失ってしまったという。

しかし、そんなことはどうでも良かった。
なぜなら、
私のことを、今も変わらずに接してくださるのだから・・。


お姉さんは今、養護学校で美術の教員になられている。
毎日が、子供達との格闘だという。
多忙な中、時間を作って会って下さったのだ。

翌日、メールが来た。
『昔のままの、純な部分を持ち続けているあなたに、
 とても偉いなぁと思いました』

そう、お姉さんだから、
ずっと純でいられたんですよ・・。
思わず、そう返したくなった。


写真はスイートピー。
昔、彼女から戴いた手紙に、種が同封されていた。
結局、蒔くこともせず、
今もそのまま、封筒の中に収まっている。

スイートピーの花言葉は、
青春の喜び、別離、優しい思い出、門出・・だという。

お姉さんは、それらを知ってて同封したのだろうか。
それを聞くのを忘れてしまったが、
聞かないでおこうと思う。

27年目の、素敵な再会をしたのだから・・。

幼い子供を残して・・

2007-10-31 16:17:32 | 人とのつながり
28、29日に、葬儀に参列した。

地域活動で一緒の仲間の、
奥様が亡くなられたのだ。

夫婦ともに、31歳。
結婚して、まだ7年。
3歳の男の子と、
1歳の女の子がいる。

今年の春。
癌が見つかり、入院する。
かなり、早期に発見できたと思われたが、
あまりにも早く、方々に転移してしまっていた。

しかし気丈な彼は、いつも私達に、
「大丈夫です」「良くなってきています」
と告げていた。

そして、奥様が入院中、
子供二人にご飯を食べさせ、お風呂に入れて、
それから地域活動に顔を出していた。
私達の前では、
一度も泣き言を言わなかった。

しかし、奥様の病状は、
日毎に悪くなっていたのだ。


私は、この活動でのリーダーである。
奥様のことは、随時伝えてもらっていた。
しかし、彼の言葉は一貫して、
「大丈夫です」だった。

自分に言い聞かせていたのだろう。

私は、地元の神社にお参りし、
大きなお札を貰ってきた。
『病気全快』
活動場所の事務所に掲げ、いつも皆で祈っていた。



26日夕方。
彼から電話が入った。
「今朝・・妻が亡くなりました」

絶句した。何も返事ができなかった。

そして、夜遅くメールが入る。
淡々と、葬儀の日程が書かれていた。
最後に、
「お世話になります。よろしくお願いします。」


通夜。

昨年生まれたばかりの娘さんは、
彼・・いや、お父さんに抱っこされ笑っている。
お母さんとは、一年だけの日々。
でも、それは今、この子にわからない。

通夜の席でも、彼は温和な表情を崩さなかった。
私達の前に来ても、
「いつも集まらないメンバーなのに、
 今日はこんなに集まらせてすみません」と、笑わせた。
でも皆の方が、堅い表情だった。


そして、告別式。

二人の、思い出の写真が、式場に飾られる。
デートでのツーショット。
結婚式での神妙な二人。
そして、上の子が生まれ、
下の子も写真に加わってきた。
ディズニーランドでの、4人の笑顔。

でも、もうお母さんは写真に写らない。


そういえば、
奥様を初めて見たのが、結婚式のあとのパーティーだった。
彼は、タレントの優香さんのファンだったが、
射止めた奥様は、本当に優香さんそっくりの、
かわいらしい女性だった。

一度、仲間とお見舞いを申し出たが、
彼は固辞した。
今となっては、彼の気持ちがわかる。


出棺前の、最後のお別れ。
「ご参列の方も花をたむけて下さい」、という声に、
私達も、花を一輪手にして、
最後のお別れをした。

棺の中。
穏やかなお顔、と言いたかったが、
私が見た奥様は、
小さな子供を残して旅立つ、無念でいっぱいの表情に見えた。

そして、
彼はここで、子供を抱えながら号泣した。


喪主である彼には、
最後の挨拶が残っている。

「二人の子供を、しっかり育てていきます。
 そして・・
 この世から、妻の病気が無くなることを願っています」

私も、この言葉に泣いてしまった。


私もしかし、最後の挨拶が残っている。
活動の決まりに乗っ取った、
出棺時の敬礼である。

仲間を並ばせる。
「気をつけ!」

出棺。霊柩車のクラクション。
「最敬礼!」


私達の前を、
無言の奥様と、
初めて人の前で泣いた彼と、
何も知らずに笑っている子供達が通り過ぎた。


神様は、残酷なことをするものだ。

仕事と人間関係

2007-06-08 17:30:20 | 人とのつながり
デパートの清掃の仕事を始めて、
3ヶ月になる。

仕事は大変だが、
慣れてくれば、なかなか面白い。
担当する場所も、日替わりで違うし変化がある。

そして何より、今の職場は和気あいあいとしている。


昨夏、パソコンを扱う会社で仕事をした。
全員が黙々とパソコンに向かい、
その日の書類を作成する。

そのため、ほとんど一日中、会話はない。
休憩時間は、全員サッと席を立ち昼食に向かう。
帰ってくると、すぐ仕事再開である。

ここで二ヶ月働いたが、
結局、話の合う人には出会えなかった。

仕事もだが、そこでどんな人と知り合うか、
それも社会勉強であり、楽しみの一つだった。

しかし、それは皆無だった。
本当に、「自分の仕事をするためだけ」に皆、通っている。
休憩時間も、会話はない。
息苦しさばかりだった。

「会社なんてそんなもの」という声もあった。
たしかにそうだが、
私はもっと、ふれあいが欲しかった。


そして、今の仕事を見つける。
清掃こそ個人作業。 一見、人とのつながりなどないようだが、
実は、会話から始まる。

上司から細かく指示がある。
『○階のフロアに汚れがある』とか、
『あそこは、この洗剤を持っていけ』とか、
まず、会話から入っていく。

私達も、詳しく報告する。
「○階の階段は、こうやって掃除しました」とか、
「この洗剤は色落ちします」とか、
気が付いたことを、上司に言う。

結果、かなりの会話を伴う仕事になる。

加えて私の場合、外の清掃もあるので、
通行人からの質問なども多い。
私としては、自分に合った職場だった。


今日、長く勤めたバイトの大学生が辞めた。
朝礼の時、上司は皆にきちんと報告。
皆、「ご苦労様でした」と声をかけ、
彼も、「お世話になりました」と頭を下げた。

パソコン会社を辞めた時、
上司に「お世話になりました」と頭を下げたら、
上司は私の顔も見ず、パソコン画面を眺めながら
「んー・・」と声を発しただけであった。

会社は仕事をするところ。
仕事は、金を得るための作業。
でも、そこには必ず人がいる。
会社が、仕事が、楽しいと感じるかどうかは、
人次第だと、あらためて思う。


帰り際、
仲間の一人の人(40代の男性)が、
「今度、このメンバーで飲みに行きましょうよ」と誘ってきた。

断る理由はなかった。
私が理想としていた、仕事と人のつながりだったから。

どんなに離れてても・・

2007-05-28 17:10:05 | 人とのつながり
ZARDの坂井泉水さんが亡くなった。

驚いた。
そして、無性に悲しくなった。

特に、ZARDのファンでも
坂井さんが好きというわけでもなかったが、
耳に残るメロディは、とても覚えやすく、美しかった。


病院内での事故死、ということらしいが、
原因はともかく、
40歳でこの世を去ることが悲しい。

亡くなってみて、
あらためて、その人を想う。
素敵な思い出しか浮かばない。

自分もそんな一生でありたいと思う。


坂井さんという一人の歌手と、
じっくり向き合ってみたのは、今日が初めてだ。
この世から、いなくなってしまった後に、
その人に向かい合う悲しさ。
でも、
素敵なメロディが残っている幸せ・・。


どんなに離れてても
心はそばにいる・・・

私の好きな言葉だ。


そう・・

坂井さんは、
歌を通じて、たくさんのメッセージを残してくれた。
これからも、
私達と、ずっと向き合っている。



ふとした瞬間に 視線がぶつかる
しあわせのときめき 覚えているでしょう
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように輝いてる
あなたでいてね

負けないで
もうすこし 最後まで走りぬけて
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
追いかけてね はるかな夢よ


なにが起きたって ヘッチャラな顔して
どうにかなるサと おどけてみせるの
今宵はわたくしと一緒におどりましょう
今もそんなあなたが好きよ
忘れないでね

負けないで
ほらそこに ゴールは近づいてる
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
感じてね見つめる瞳


        『負けないで』 坂井泉水