私も東京の物流倉庫で仕事をしていて、あの地震に遭った。
天井には大きな看板や、配水管が剥き出しで通っている。
その下で揺れを感じ、座り込んだ。
その時初めて、これで死ぬだろうと思った。
ガタガタではなく、
ガッタンガッタンという、規則正しい大きな音は
今でも耳に残っている。
収まったあと見ると、
看板はいくつも落ち、配水管からは水が漏れている。
だが、職場でケガをした人はいなかった。
とにかく、お客様宛の荷物を濡らさないように移動する。
その頃、東北では津波が押し寄せていたが、
私達は知る由もない。
後年、スマホの記事でチラっと見ただけなので、
細かいことは覚えていないのだが、
このような記事があった。
あの日、JRの海岸線を走る路線、
たぶん仙石線か気仙沼線だったと思うが、
途中のある駅で上りと下りの列車がすれ違った。
単線のこの線は、
途中駅で上下の列車が待ち合わせをする。
山の中腹にあるその駅で、
14時45分発の上下の列車が、同時に出発した。
一方は、これから山に向かう列車。
もう一方は、海へ向かって下っていく列車。
その1分後、大きな地震に遭遇する。
双方の列車は止まり、その場所で動かなくなった。
やがて津波が押し寄せる。
山に向かった列車は被害はなかったが、
海へ下った列車は、津波に飲まれてしまった。
海への列車に、どの程度津波の接近が伝わっていたかは、
記事からは、はっきりわからなかったが、
おそらく乗員、乗客とも降りて逃げれる場所ではなかっただろう。
同じ時刻に出会い、反対方向に出発し、
そのあと運命を分けることになった2本の列車。
私が、職場の仲間の無事に安堵し、
荷物を移動させているその時、
東北ではこのような出来事が数多くあったのだ。
同じ揺れを体験したが、
東京の私達は、山に向かった列車。
東北の人々は、海に向かった列車。
その列車に乗っていたのだと考えるしかない。
今、出会った人と、
1分後に明暗を分ける人生なんて、誰にもわからない。