シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

うなぎ大好き

2007-07-30 17:07:27 | きょうは何の日?
今日は、土用の丑の日。
うなぎが、一年で一番脚光を浴びる日だ。


★江戸時代、商売がうまく行かない鰻屋が、平賀源内の所に相談に行った。
源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という
民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、
その鰻屋は大変繁盛した。
その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、
土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着した。



広めたのは、平賀源内だが、
丑の日に『う』のつく食べ物、というルーツは、
もっと古くからあったということだ。

日本は、この日にこの食べ物、という伝統と文化が多いが、
丑の日のうなぎは、その代表格だろう。
私もうなぎは大好きなので、
今夜、食べたいと思っている。


さて、漫画『美味しんぼ』では、
鰻に関する話が登場する。
その中で、山岡士郎が言う。

『うな重が高級とされているが、それは見た目が美しいだけだ。
本当にうまい鰻は、うな丼でなければダメだ。
鰻は、さばいたら停滞させず、一気に焼いてタレをつけて出す。
焼きたてを、熱いまま食べるのが一番だ。
冷めやすい重箱に入れてしまうより、丼で食べるのが一番なんだ』

うな重は、それはそれで良さもあるだろうが、
私も山岡士郎の意見に賛成。
うな重は、すぐ冷めてしまうし、
丼のほうがうまいと思う。

よく、地域の宴会で行く店で、
最後に、うな重が出てくるのだが、
これが、絵に描いたように「冷めたマズイ鰻」。
山岡士郎なら、「こんなのは、鰻とはいえない」と言いそうだ。
海原雄山なら、「主を呼べ」とでも言うだろうか。

鰻は、多少冷めてもうまいと思う。
が、ご飯も一緒になって冷めているとマズイのだ。
あつあつのご飯に乗っているのなら、
それなりに食べられる。

そう考えると、
関西の、いわゆる「マムシ」はうまく考えてある。
冷めないようにという、ご飯の二重構造なわけだ。
でも、私はマムシも食べたが、
やはり関東のタイプのほうがいい。
上に乗っている姿を見ながら食べたいからだ。

近所の鰻専門店は、
今日はいつもより早くから開店した。
年に一度の、一番目立つはずの鰻屋さんだが、
隣のコンビニの、「丑の日・鰻弁当」の旗の方が目立っていた。

頑張れ、全国の鰻屋さん。

男泣き

2007-07-23 18:30:42 | 日常から
おととい、私が代表になっている地域活動で、
暑気払いを行なった。

ビールやサワー、寿司にピザなど、
料理をたくさん並べ、
久しぶりに盛り上がった。

OBの先輩をお呼びし、
コンパニオンの女の子も加え、
楽しいひとときを過ごした。


しかし、


今、この会は、少し皆の足並みが揃わなくなっている。
規律が悪いのではなく、
毎回、出席者が少ないのだ。
このご時勢、皆、仕事が優先になってしまう。
宴会といって、喜んで来る者も少なくなった。

そして、皆、家庭の父親である。
この日も、子供が熱を出したため、
残念ながら欠席した者もいた。


ひとり、
奥様が病気の者がいる。
入院生活を送っているのだが、
良い経過が聞かれない。


コンパニオンの子達が帰り、
少し静まった頃、
私達は本音をぶつけあった。

全員酒が入っていた。
だから、ぶつけあった。
私達は皆、おとなしく真面目なメンバーばかりだ。
普段は、仲間の悪口など決して言わない。

私から皆に、言いたいことを言った。
皆も、私に対していろんな事を言った。
黙って聞いていたOBも、
たくさんの意見を出してくれた。


奥様が入院中の彼も来た。
子供を風呂に入れたあと、駆けつけたのだ。
『みんなに謝りに来ました』

「なんで謝るんだ?」

『休んでばかりで、迷惑かけて・・』

OBの一人が、そこで言った。
「お前ら、ひとりひとり、大事なものを考えろ!」

そのOBは、まだ若い頃、父を亡くした人だ。

私が言おうとしたことを、その人が言ってくれた。
私が言うより、ずっと説得力があった。


最後に私が言った。
「みんなが好きだから、ずっと代表をやっている。
みんなも、私の事を好きだったら、協力して下さい」

隣で、
私のすぐ下で頑張ってくれている、副代表が言う。
「家族も仕事も、この仲間も大事に考えてくれよ」

そこで皆、泣いた。
なぜか、私も泣けた。

いいメンバーだ。


みんな、つらいけど頑張ろう。

あれから20年

2007-07-14 15:04:53 | 旅・町歩き
台風4号が上陸し、九州を直撃している。

明日未明、
博多では、山笠の追い山が行なわれる。
昨年、この祭りに行った思い出を記事にしたが
2006-7.15「博多祇園山笠」

今年は、あの日からちょうど20年目である。

だが、台風の影響で、
山車を町中に飾る「飾り山」も昨日で撤去。
明日の追い山も、場合によっては中止らしい。
博多っ子も、『追い山の中止は記憶にない』という。

ぜひ、開催してほしいところだが、
祭りも今は、安全第一である。
明日未明の天気が気になる。


さて、20年前の今日の私。
新幹線で博多に向かい、昼すぎ到着。
初めての九州だった。
そしてこの年も、台風が翌日上陸、という時だった。

柳川に向かい、水郷めぐりを満喫。
そして、博多に戻って、
この夜は、平和台球場で西武の試合を見に行った。

そのまま朝まで街中をさまよい、
未明の山笠見物に至る。


その後、特急で別府へ。
「別府地獄めぐり」が見たくて、定期観光バスに乗る。
しかし、この時の乗客は、二人だけ。
二人のために、年配のガイドさんは丁寧に案内してくれた。

その時の、もう一人の乗客というのは、
私と同じくらいの歳の女の子だった。
当然ながら、話も合った。

その彼女は、香川県の、瀬戸内海に面する町から来た子だった。
会社の研修が別府であり、
この日は、日中に時間がとれたため、
「地獄めぐり」を見ようと思い、一人でバスに乗ったのだという。

お互い、シャッターを押しあったり、
子供のように、「血の池地獄」に手を突っ込んではしゃいだり、
一緒にアイスを買って食べたりした。


『おばあちゃんにお土産買うていかんと』
『台風近づいてはるわなぁ』

四国の言葉、イントネーションは、
関西弁に近いが、もう少し柔らかい。
話を続けていくうちにふと、
この子と友達になりたい、と思った。

旅に出て、そういう想いを持ったのは、
後へも先へも、この時だけである。

しかし、別府駅に戻ったところで、
彼女は、会社の友達が待っているとのことで、
そこでお別れになった。


「どうぞお元気で」と私が言うと、
『ぜひ四国にも来はってください』と、柔らかな言葉が返って来た。


その後私は、別府の温泉に浸かり、
その足でもう九州を後にした。

帰りの、東京行きブルートレインが別府を離れる時、
台風が一気に近づき、横なぐりの雨になった。
まるで、九州を追い出されるかのように・・。


思えば、これが独身時代の、最後の一人旅になった。
この年の秋、ひとりの女性と知り合い、
しばらくは、一人旅からも遠ざかった。

そして翌年、妻と知り合ったが、
この女性もその後、結婚したという知らせを貰った。
嫁ぎ先は、香川県だった。

別府で、ほんの数時間一緒だった彼女も、
元気で暮らしているだろうか。


20年が過ぎた。

新聞広告に載る

2007-07-11 17:20:24 | 日常から
このたび、新聞広告に、
私が掲載されることになった。

といっても、地元地域だけに配られている、
ミニコミ紙のようなものだ。
商店街の広告や、ちょっとしたコラムなど、
数ページにわたって掲載されている。

新聞の折込広告として、
月に一度、入ってくる。
その、地元で仕事をしている人達の紹介コーナー。
連載物で、次の人を紹介しながら進んでいく、
リレー形式である。


私の前号は、近所の建設関係の人。
地域活動でも一緒の、良き先輩的な人だ。
その人が、『次、指名したから頼むよ』と言ってきた。

そして昨日、取材が来た。
若い女性だったが、質問は決まっている感じで、
私はただ、それに答えれば良いだけだった。


『店の仕事で、一番気をつけている所は?』
『子供の頃、どの辺で遊んでいましたか?』 
『この町の好きな所、嫌いな所は?』
『座右の銘は何ですか?』

素直に受け答えした私。
取材の彼女が感心する。
『すごく具体的に、ハッキリ答えて下さって助かります』

皆、適当に答えているのだろうか・・?
たしかにそういう人は、編集する方は大変だ。

しかし、その彼女が一番驚いたのは、この質問。
『年齢はおいくつでしょうか?』
「44です」
『エーッ!? 全然見えないですぅ』

『お子さんは、おいくつですか?』
「高1の長男、中2の長女・・」
『エーッ!? そんな大きい子がいらっしゃるんですかー?』

でも、このやり取りは掲載されないだろう。
これはあくまでも、雑談の範囲。
でもちょっと、反映されたら嬉しいな・・
などとも思ったが。


『最後の質問です。 今の夢を語って下さい』
今度は私がエーッ!? である。
この歳になって、もう夢も何もないのだが・・。

ただ、ここで、
「家族と幸せに暮らせること」とか、
「商売繁盛すること」とか、
「世界が平和になること」とか、

そんなのは、あまりにもつまらなすぎる。

私、という人物を紹介してもらうのだから、
私、という人物を語りたい。

そして、答えた。

「一番の夢は・・ 旧東海道を歩いて京都まで行くこと。
歩くと二週間程かかるんです。
だから二週間、仕事を休んで歩いてみたい!」

これは、私が若い頃からの夢だ。
でも、夢・・というには、
ちょっとこじんまりしているかもしれない。

だけど、「ヨットで太平洋横断」「自転車で日本一周」
それと同じくらい、私の中では「夢」なのである。


顔写真も掲載されるので、写真も撮られた。
選挙の候補者のようだ。
もうすぐ、新聞と一緒に、
私の「夢」が地域に配られる。

一夜の出逢い

2007-07-07 17:57:37 | 恋&愛
七夕。

織姫と彦星は、
一年のうちで、今夜一度しか逢えないのである。


以前、こんな質問をしたことがある。
『一年に一度しか逢えないカップルがいたら、
 何と言ってあげますか?』

ある女性は、
「お互いを信じて、がんばってね、と言います。」

別の女性は、
「浮気しちゃダメよ。大丈夫?」

そして別の女性。
「楽しい?」


三人三様だったが、共通していたのは、
「自分には耐えられない」ということだった。
最初の女性も、他人だからこそ応援できるけど、
自分だったら、寂しくてしょうがない、と・・。

しかし、実際には、
そのようなカップルは大勢いるだろうし、
皆も、実際に自分がそうだったとしても、
案外耐えていけるのではないだろうか。

本当に、好きな相手ならば・・・。


子供の頃見た、七夕の絵。
天の川が輝き、
織姫と彦星が、ふたり手を伸ばしあって、
今まさに触れ合おうとしている。

子供心に、その絵は感動した。
同時に、『一年に一度、この日しか会えません』 という文に、
「自分だったら、そんなのイヤだな」と思った。
妙にマセていた。・・というより寂しがりやだったのかも・・。


でも、逢いたくても、逢えない。
一年我慢しなければならない。
大人になってそれが、
「大人の恋」だとわかる。


東京は、晴れ間が出て来た。
2007年の、織姫と彦星へ。


がんばってね。

ifの世界

2007-07-03 17:43:05 | 世の中あれこれ
「もし」 あの時○○だったら・・
「もし」 こうしていれば・・

「もし」、そして「たら」「れば」の、
いわゆるifの世界・・。

いろいろ考えると、
楽しくなったり怖くなったり、後悔したり・・。

でも、歳をとるにつれて、
私も考えが堅くなったのか、
それとも空想を否定するようになったのか・・。

もし違った方向に進んだとしても、
結果はたいして変わらなかっただろう、
と感じるようになった。


一番簡単な例は、
「今の妻と結婚していなかったら」である。
当然、別の人と一緒になっていて、
まったく別の家庭を持っていたわけだ。

しかし、私自身は変わらないわけだし、
妻になる人への接し方、
自分自身の、家庭や仕事への考え方などは変わらない。

どんな相手だったとしても、
べったりおしどり夫婦ではなく、
ケンカばかりの夫婦でもなく、
そこそこな家庭だったろう、と考えたりする。


スポーツなどを見ていても、
特に野球などは、
「もし打っていれば」 「捕っていれば」という世界だが、
試合結果は変わらなかったのでは・・と思ったりする。


あるタレントが、
『友達が10分遅れたため、待っていた間にスカウトされた』
と言っていた。
『友達が遅れなかったら、私は歌手になっていなかった・・』

たしかに、人生の劇的なifかもしれない。
しかし、それだけの器量の良い子なら、
案外、帰り道でスカウトされたのではないか。
この子は、どちらにしてもこの日、声を掛けられたのでは・・。

そんなふうに考えてしまう。
冷めた目で見てしまうとつまらないが、
人生は、意外と堅実に動いている気がする。


今、好きな人がいる人は、
その出会いや運命を思うと、
とても大きな力だと、感じることだろう。

でも、その人とは、
早かれ遅かれ、どこかで出逢っていた。
そして、どんな形であれ、
惹かれる相手には、必ず惹かれているのだろうと思う。


ただ、大切なのは、
ifを考えた時、他のほうが良かったのでは・・
と考えてはいけないことだろう。

それはあくまでも、仮定の世界なのだから。