神奈川の名門横浜高校・渡辺監督が、
監督生活50年を迎え、
今夏を最後に勇退されるそうだ。
甲子園で春夏5回の優勝。
愛甲、松坂、鈴木尚、湧井といった選手を育てた手腕は、
文句なしに名監督の一人である。
しかし正直、昔はこの監督が好きではなかった。
横浜高校自体が、あまり品の良くない学校であり、
野球の指導だけで、選手の素行には関知しない、
そんな話を聞いていたからだ。
私が高2の夏に、横浜高校は愛甲投手で優勝した。
だが、この年の東東京は、
一年生エース荒木大輔投手の早稲田実。
西東京は、都立初の国立高校。
東京の2校が進学校で、話題性もあっただけに、
野球だけの不良高なんて・・と、
応援できなかったのだ。
高校生だったからこその、正直な思いだ。
しかし、
1998年、松坂投手の活躍で春夏連覇。
この年の、渡辺監督の言葉で見方が変わった。
夏の準々決勝、PL学園との延長17回の熱戦。
この試合を制した後の、監督インタビューだ。
「私は監督をやってきて、
試合中に選手に『勝て』などと言ったことは
一度もありませんでした。
いつも、『練習でやってきた事をやりなさい』と
それしか言いませんでした。
でも今日は、延長に入ってから選手に、
『絶対勝つんだ。負けちゃいかん』と言いました。
負けたら選手にダメージが残ってしまう、
どうしても勝ちたいと思ったゲームでした。」
この言葉が、妙に胸を打った。
日頃から、試合中にもハッパを掛け通しの
厳しい監督だと思っていたからだ。
だからこそ、この大一番に勝てたのかもしれない。
渡辺監督は、翌年の皇居での園遊会に招待された。
松坂が、西武ライオンズの18番を背負った一年目だ。
天皇陛下から、『松坂投手も調子が良いようで』と、
お声を掛けられた渡辺監督は、
「多くの方々に応援を戴き、松坂も幸せ者だと思っています」
と、嬉しそうに答えた。
この時の監督も、非常に印象に残っている。
渡辺監督自身が、挫折の多かった方と聞く。
だからこそ思う。
素行不良な生徒を指導し、日本一になる凄さ。
もしかしたら、渡辺監督だからこそ、
横浜高校の監督でいられたのかもしれない。
13日、今夏の神奈川予選の組み合わせが決まった。
最後の花を咲かせて戴きたいと思う。
監督生活50年を迎え、
今夏を最後に勇退されるそうだ。
甲子園で春夏5回の優勝。
愛甲、松坂、鈴木尚、湧井といった選手を育てた手腕は、
文句なしに名監督の一人である。
しかし正直、昔はこの監督が好きではなかった。
横浜高校自体が、あまり品の良くない学校であり、
野球の指導だけで、選手の素行には関知しない、
そんな話を聞いていたからだ。
私が高2の夏に、横浜高校は愛甲投手で優勝した。
だが、この年の東東京は、
一年生エース荒木大輔投手の早稲田実。
西東京は、都立初の国立高校。
東京の2校が進学校で、話題性もあっただけに、
野球だけの不良高なんて・・と、
応援できなかったのだ。
高校生だったからこその、正直な思いだ。
しかし、
1998年、松坂投手の活躍で春夏連覇。
この年の、渡辺監督の言葉で見方が変わった。
夏の準々決勝、PL学園との延長17回の熱戦。
この試合を制した後の、監督インタビューだ。
「私は監督をやってきて、
試合中に選手に『勝て』などと言ったことは
一度もありませんでした。
いつも、『練習でやってきた事をやりなさい』と
それしか言いませんでした。
でも今日は、延長に入ってから選手に、
『絶対勝つんだ。負けちゃいかん』と言いました。
負けたら選手にダメージが残ってしまう、
どうしても勝ちたいと思ったゲームでした。」
この言葉が、妙に胸を打った。
日頃から、試合中にもハッパを掛け通しの
厳しい監督だと思っていたからだ。
だからこそ、この大一番に勝てたのかもしれない。
渡辺監督は、翌年の皇居での園遊会に招待された。
松坂が、西武ライオンズの18番を背負った一年目だ。
天皇陛下から、『松坂投手も調子が良いようで』と、
お声を掛けられた渡辺監督は、
「多くの方々に応援を戴き、松坂も幸せ者だと思っています」
と、嬉しそうに答えた。
この時の監督も、非常に印象に残っている。
渡辺監督自身が、挫折の多かった方と聞く。
だからこそ思う。
素行不良な生徒を指導し、日本一になる凄さ。
もしかしたら、渡辺監督だからこそ、
横浜高校の監督でいられたのかもしれない。
13日、今夏の神奈川予選の組み合わせが決まった。
最後の花を咲かせて戴きたいと思う。