妹よ
今夜は雨が降っていて
おまえの木琴が聞けない
おまえはいつも
大事に木琴を抱えて 学校へ通っていたね
暗い家の中でも おまえは木琴と一緒に歌っていたね
そしてよくこう言ったね
早く町に 赤や青や黄色の電灯がつくといいな
あんなにいやがっていた戦争が
おまえと木琴を 焼いてしまった
妹よ
おまえが地上で木琴を鳴らさなくなり
星の中で鳴らし始めてから まもなく
町は明るくなったのだよ
私のほかに 誰も知らないけれど
妹よ
今夜は雨が降っていて
おまえの木琴が聞けない
中学生の時、国語の時間で読んだ詩だ。
この詩は、合唱曲にもなっている。
詩の内容に、解説はいるまい。
綴られているそのままだ。
国語のテストでこの詩が出され、
いくつもの設問があった。
「なぜ雨の日に木琴が聞けないのか」
「早く電灯がつくといいな、と言う妹の言葉は、どういう意味か」
「私のほかに誰も知らない、とはどういう意味か」
この詩は、ストレートだ。
戦争で、妹を失った兄の詩である。
どういう意味もなにもない。
この詩で、問題は作ってほしくなかった。
中学生の時の思いである。
合唱曲の「木琴」は、
妹を想う静かなもの悲しさと、
戦争への怒りをうたう激しさで構成される。
この曲を聴けば、
国語の問題のナンセンスさの、解答が出てくる。
昨日、久しぶりにこの曲を聴いた。
今日の記事にしようと思い、
「金井直」という、この詩人を検索したが、
とにかく、これといった情報がない。
写真もなかった。
でも、この詩は胸を打つ。
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そして、あたしの中ではまだ解決されていない部分があることを思い出しました。
この詩の中での『雨』って、何を表しているんでしょう。
「今夜が雨じゃなくても、妹の木琴は聞けないのでは?」
そんな疑問を抱いていたはずなのに…。
あたしは大学で何を学んできたんだろうと、ちょっぴり凹みました
こういう文学に、久々に触れてみようかな?
たしかにその通りですよね。
だけどこの詩の場合、妹は星という前提で書かれている気がしますし、
やはり雨は雨で捉えていいと、私は思っています。
私は、詩ってストレートに(単純に?)伝わるものと考えていますので、
この詩も、「読んで字のごとく」で考えていました。
とまとさんは、文学部のご出身ですか・・?
詩って、中学生から大学生、社会人と
歳を重ねるにつれ、それぞれ捉え方は違ってきますよね。
でも私は、昔感じたそのままの思いを変えないほうなんです。
ですから、大学時代で学んだ事なんて、
知識だけで、感性までは変わらなかったな、なんて思ってます。
私、今度合唱コンクールでこの曲歌うんですよ。
本当胸にツーんときますね。
悲しい気持ちになります……。
最優秀賞取れるといいなー。
頑張ります!!
こんにちは。
合唱コンクールですか・・、懐しいです♪
蛍さんは、高校生ですか? 混声で歌うのかな・・?
私は、合唱コンクールでこの詩を知ったので、
とても思い出深いんです。
『あんなにいやがっていた戦争が
おまえと木琴を 焼いてしまった』
この曲は、この部分が一番大事かなと思います。
感情を前面に出して歌うことですね。
あとは、音の強弱さえ気をつければ・・。
最優秀賞目指して、頑張って下さいね!!
「木琴」の記事、リンクさせていただきましたが、よろしいでしょうか?(事後報告で申し訳ございません)もし差支えがあるようでしたら、すぐに取り消しをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
↓
http://follia.at.webry.info/200701/article_2.html
とても光栄に思います。
ありがとうございます。
この詩は、いろいろな方の胸を打っていますね。
あらためて、人の心を動かす詩なのだな、と思います。
その後、私はなんの因果か詩人という肩書を持つようになりまして、金井直という詩人もH氏賞受賞詩人であることは知っていますが、ご本人には妹さんはいなかった模様です、だからご自分の経験そのまま、ということではないようですね。
いやあ、今でも歌われていると知って驚きました。
貴重なご意見ありがとうございます。
妹は存在しなかった・・となると、
この、金井直という人の感性はすごいですね。
詩というのは、創作の世界と解釈していますが、
この詩に関しては、現実のものと思っていました。
この詩が、大勢の方の中で、
合唱曲とセットになって記憶にある、というのが興味深いです。
良い詩と曲は、不滅なのでしょうね。
『木琴』は詩集「愛と死の歌」(何故かWikipediaでは「金井直の愛と詩の歌」になってますが)に載っていたんですね。
私はこの詩集の中のこの詩がずっと好きでした。
☆空蝉
なにげなく
木の葉をかえして
蝉のぬけがらをみつけるように
人は
心のうらがわに見出すだろう
激しく飛去っていったもののかたみを
うつろな内部がのぞける
ひとつのするどい裂目を
同じ詩集の中に「木琴」があったのに、実はあなたのブログを読むまでこの詩に気づきませんでした。気づかせていただきありがとうございます。
この詩を読んで、木原孝一の「鎮魂歌」を思い出しました。「鎮魂歌」は戦災で死んだ弟の思い出を歌ったものですが、共通する思いもありますね。
昭和19年(1944)
夏から叔父の事務所(産業報国会滝野川支部を兼務)に勤務する。ボードレールなどを読む。同僚の高島ツネを愛するようになる。ツネは、ぼくより五才年上だった。ツネの影響で、樋口一葉を読み、クラシック音楽にも興味をもつようになる。
昭和20年~昭和22年(1945~47)
空襲が激しくなる。3月10日、本所千歳町でツネ戦災死。死体のるいるいたる焼跡を探しまわったが、ついにツネの死体は発見できなかった。その体験は「白い花」「木琴」「あじさい」などのモチーフとなる。
……(昭和21年)僕になついていた従弟が2才で病死。詩集『疑惑』の中の詩「無実の歌U+2162」及び詩集『無実の歌』の中の詩「鎮魂歌」のモチーフとなる。……隣家に住む浅田美代子と恋愛。約1年ののち美代子、急性肺炎で死去。それは、「夏」「雪」「小曲」などのモチーフとなる。祖父、ツネ、従弟、美代子、その死を考えると、ぼくにはどうしても、死ななくてよい死を死んだとしか思われなかった。