シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

「たき火」のうた

2022-02-25 11:43:12 | 音楽を聴く

『かきねのかきねの まがりかど

    たき火だ たき火だ   落ち葉たき』

 

誰もがよく知っている童謡の『たき火』。

この歌詞が作られた場所は、

意外にも東京23区、中野区の住宅街だった。

 

地図を見ていて、たまたま中野区の辺りをたどっていたら

『たき火のうた発祥の地』という表示があった。

この歌が中野区の、普通の住宅地が舞台とは・・と思い、

この場所へ行ってみた。

 

中野区上高田3丁目。新井薬師前駅からすぐの所だ。

写真の所だが、見事な垣根である。

歌にちなんで復元された資料館かと思いきや、

ここは普通の個人宅である。

 

垣根の間に案内板があり、ここがモデルと記されている。

岩手出身の児童文学者、巽聖歌(本名・野村七蔵)が

上高田に住んでいた際に作られたそうだ。

1941年(昭和16年)、NHKラジオで紹介された。

戦前の作なので、当然この辺りは住宅街などなく、

畑に農家がぽつり、という場所だったのだろう。

 

『春の小川』も渋谷区の川がモデルと言われている。

都心で作られた童謡は、それだけでも今となると感慨深い。

これが地方の、今でも田舎の風景の場所で作られた詞だったら

「当たり前」となり、それほどの趣きは感じない。

東京も昔は、田舎の風景そのものだったのだ。

 

 

たき火は今、環境問題からほとんど見ない。

田舎でもあまりしなくなったようだ。

そして、この「たき火」の歌詞も、

著作権の問題で、このブログで全部掲載出来ないようだ。

寂しい世の中である。

 


豪徳寺のまねき猫

2022-02-22 11:03:03 | 神社・仏閣

今日2月22日はネコの日。

 

今年は、2022年2月22日ということで、

スーパーネコの日らしい。

 

うちは犬がいるし、どちらかといえばイヌ派だ。

最近は犬より猫の方が人気らしいが、

家庭での飼育が問題になっている今、

どちらにしても最後まで、大事に飼うことが大切だ。

 

先日、世田谷の豪徳寺に行ってみた。

小田急線の駅名にもあり、世田谷の古い寺だが、

一度も訪れた事がなかった。

豪徳寺駅からは歩いて15分ほど。

だが、東急世田谷線の宮の坂駅の方が近い。

豪徳寺駅からだと、寺の裏門に出てしまう。

宮の坂の方が、正門へ近いという場所だ。

 

ここは招き猫で有名だ。

彦根藩主・井伊直孝がこの寺の前を通りかかった時、

門前にいた猫が手を挙げ、おいでおいでをする仕草をした。

井伊が引かれるように寺の中に入ると、

直後に激しい雷雨となり、ずぶ濡れを免れた。

のちに、猫への感謝から豪徳寺を支援。

以来、商売繁盛などのシンボルのように招き猫は有名になった。

 

招き猫そのものは有名でも、

この豪徳寺が発祥はあまり知られていないようだ。

寺では招き猫の置物が多数売っており、

またそれを奉納する人もいて、たくさんの猫が並んでいる。

豪徳寺駅前には招き猫の像があり、

付近の店でも『招き猫饅頭』などを売っている。

 

私も商人なので、一体置こうかなとも思ったが、

招き猫はなんとなく、食堂やそば屋など

食べ物系の店頭というイメージが強いため、

うちではやめておく事にした。

 

愛嬌のある招き猫。

実際に目の前に現れた猫が、おいでおいでをしたら、

私もついていくかもしれない。

 


ドリームランド閉園20年

2022-02-17 12:01:20 | 懐しい話
横浜市にあった『横浜ドリームランド』
2002年2月17日に閉園されてから
今日でちょうど20年だ。

私は1才10ヶ月の時にここへ行った。
アルバムにそう記されているのでそうであろう。
昭和40年(1965年)4月。
写真が私である。

入口に近衛兵が立つ。
イギリスと同じ、真っ赤な服に黒い帽子。
私はこの写真のあと、この近衛兵を下から覗きこんだが、
この兵隊さんはピクリともしなかったという。

右の写真は私の叔母とであるが、
奥に「ホテルエンパイア」の高い建物が見える。
あまり高層建築物などなかったこの当時、
このホテルはとても目立ったという。

ドリームランドではヘリコプターに乗るアトラクションもあった。
私は父と一緒に乗ったのだが、
今でも、空から駐車場に停まっている車を見た記憶が残っている。
ここで、というのが正しければ、
私の記憶で最も古いものになる。
2才前の記憶なんて残っているものなのかとも思うが、
父は「たしかに駐車場の上を飛んでいた」と言った。


ドリームランドは、
大船駅からモノレールが開通したが、
強度不足が問題になり、一年後に早々に休止。
それ以来動くことはなく廃止された。
車やバスも、横浜有数の渋滞地点を通過するため、
アクセスに難があった。

その後、各地に遊園地やテーマパークが出来、
ドリームランドは廃れ
20年前の今日廃止となったのだ。

でも私のような
昭和の30~40年代生まれにとって、
ドリームランドは、家族とのレジャーを楽しむ
最たる場所だったと思う。
雰囲気も当時としては斬新で、新鮮味があったのではないか。
今のディズニーランドのような役割を
ドリームランドは提供していたように思う。

今はどのテーマパークも体験型。
この当時は、列に並んで見せる乗せる、
そして売店や食堂で、家族並んで昼食のタイプだったが、
皆、楽しく幸福な時間を過ごしたに違いない。


古い写真に写る、50年以上も前の私。
この時一緒にいた写真の叔母は健在だが、
両親も叔父も他界した。
年月とはそういうものなのだろう。