シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

脳内メーカー

2007-08-28 15:06:30 | 世の中あれこれ
今さら・・と思われるが、

「脳内メーカー」

初めてやってみた。
というより、やっと繋がった。


この夏、かなりのアクセスがあり、
なかなか繋がらないというサイトだ。

名前を入力するだけで、
その人の脳内を、文字で表現するというもの。

なにやら、どういう理屈だかわからないが、
「なんとなく当たっている」というのが、
やってみた人の感想らしい。


で、やってみた私の脳内は、画像の通り。

「友」の端に、わずかな「夢」。

当たっている。
今の私そのものだ。

「脳内メーカー」

線香花火

2007-08-25 18:21:17 | 日常から
夏休みもあと一週間。
子供達はともかく、
自分自身はもう、学校とは縁のない歳になっても、
夏休みの終わりは、寂しい気持ちになる。


夏の終りの線香花火。

子供の頃、花火が好きだったけど、
特に線香花火が大好きだった。
大きな音を立てて飛び立つロケット花火より、
最後に残った線香花火にワクワクした。

ジーッ・・という音と、
パチパチ、という音。
これほど、音を言葉で表現できる花火はない。
そして、
どこかせつない思いを残して終わる。


この夏は、
とびきり寂しい夏だった。


花火大会を見に行こう、と約束したのはまだ冬だった。
『浴衣着てくね。私、可愛い浴衣持ってるんだよ。』
夏まで、楽しいお付き合いが続くと信じていた。


海岸で、花火をしようよ。
でも風が強くてダメかな・・。

笑いながら、そう約束したのは、昨年の夏だった。
『そうですね。来年の今頃に、いつもの海岸でしましょうか』


ふたりのひとと、
花火に寄せた思い。
果たせなかった約束。


そして・・

今の私は、線香花火のようだ。
静かに、脆く、せつない気持ち。

今の人には、
華やかな大輪を咲かせるような、派手な花火になってほしくない。

じっと、指先で小さな音を立てて、
ほのかにはじける線香花火であってほしい。

引かれている一線

2007-08-21 17:35:59 | 恋&愛
不夜城の街。

あなたが、この街で働き出したことを、
昨夜、初めて聞かされました。

いいのです。
大人であるあなたが、大切な人のために、
働くことを決めた街ですから。

私は見守るだけです。


あなたと私は、
限りなく同じ空間にいます。
でも、あなたと私の間には、
とてもはっきりした一線が引かれています。

その一線を踏み越えてはならない。
それが、約束です。


私が一番心配なのは、
あなたの身体と心。

あなたが一番心配したのは、
私の心変わり。

でも、変わる理由なんてどこにもない。
引かれている一線の両方から、
お互いを尊敬し、理解しあえれば。



屋台風の焼き鳥の店で、
二本の串を食べたところで、
ふと思い出しました。

「昨年も、8月20日に会ったよね」
『日曜日だっけ。再試合の時よね。』

そう。
あなたも高校野球好き。
早実と駒大苫小牧の、決勝戦が行なわれた日。
思わず、街のテレビに足を止めましたね。

帰ってから、引き分けだったことを知りました。

昨日会ったのは偶然だったけど、
あなたは面白いことを言いました。
『身体と心のサイクルが、同じ日に会いたいって働いたのかも』


あれから一年。
ふたりは何も変わっていない。
環境が変わっただけ。
だから、今年も理解しあって会っている。

ふたりで決めた、一線に守られて。

梨ウォーター

2007-08-18 17:00:38 | 日常から
この夏は暑かった。
東京は、梅雨明けが遅かったが、
8月1日の梅雨明けからは、一気に猛暑になった。

「暑かった」と過去形にしたのは、
今日が、やっと暑さも一段落したからだ。
それでも29度あるようだが、
冷房のない部屋でも過ごせるところまで、涼しくなった。


そんな中、
この夏は、おもしろい飲み物に出会った。
サッポロ・『梨ウォーター』
500mlのペットボトル飲料だ。

飲んでみると、梨の甘さそのものだ。
梨の汁をそのまま飲んでいる感じで、
梨好きな私には、とても美味しい飲み物だった。

ただしこれは、
ファミマ限定、期間も限定。
取扱店舗も限定らしく、
そういえば、同じファミマでも、隣町の店にはなかった。

そして今日はもう、
いつも売っていた店舗にもなかった。
期間限定品というのは、
どんなに美味しいものでも、撤収されてしまうようだ。


梨の季節を前に、姿を消した『梨ウォーター』。
この夏は、
この甘さに助けられた。

私が見たものは・・

2007-08-15 21:44:15 | 懐しい話
私の不思議体験・後編は、
あとからゾクッときた話である。

これはたしか、中学生くらいの時の話なので、
かなり確信を持っている。


ある夏の夜、
この時も私は、高熱を出して寝込んでいた。

ふと、部屋の窓の外に何かいる気配を感じて
私は目が覚めた。
すると、いきなり窓がパリン!と割れて、
何かが部屋の中に飛び込んできた。

鳥か何かかと思ったが、
その程度で割れるほどの窓ではない。
私は半分ボーッとした気分で、
窓を見たのだが・・

割れていない。
でもたしかに割れて、何か入ってきたのだ。
泥棒かと思ったが、
人の気配はまったくない。


いや、足元に何か立っている。
やっぱり泥棒か・・と思ったが、
やけに小さな姿である。
暗い中で、目を凝らしてみると・・。

それは、
真っ赤な服を着た小人だった。
それこそ、童話に出てくるような姿通りで、
真っ赤なとんがり帽子をかぶっていた。

ただ、顔は見えない。
大声をあげようと思ったが、声が出ない。
やがて小人は、
私の周りをぐるぐる回り始めた。

最初はゆっくりと、そのうちだんだん早く、
そして気がつくと、
小人は3~4体に増えていた。
それらが私の周りを素早く回り続ける。

やがて、
再びパリン!と窓の割れる音がして、
小人たちは出て行った。

金縛りのようになっていた私だったが、
そこでやっと体が動き、窓を見る。

割れていなかった。


その体験を私は、
半分夢だと思っていた。
そして、小人が登場する夢なんて、
なかなか見れないぞ、と納得していた。

ただ、
とても不気味な夢ではあった。


それから何年か経ち、
オカルトに詳しい友達と出会った。
彼にこの話をすると、
信じがたい答えが返ってきた。

『おまえ、良かったな。死ななくて。』

どういうことかと思ったら、

『小人というのは、童話ではメルヘンだけど、
実は、あの世から来た物・・、つまり死の使いだ。
小人に連れ去られる夢を見るというのは、
すなわち、死の世界に連れて行かれるという事だ。』


つまりは、死神らしい。
臨終間際の人が、小人に手を引っ張られ、
あの世につれて行かれるのだそうだ。
生き返った人がよく言う、「お花畑を見た」のと同じように、
小人は、死の世界からのお迎えなのだそうだ。

『さらに言うなら、赤い服は血の色。
かなり危険な小人に遭遇したな』
とも言われた。


ただ私はあの時、
高熱を出していたものの、死に直面する程ではなかったし、
死神と言われても・・というのが正直なところだ。
でも、あの小人はたしかに不気味だった。
「くるみ割り人形」で、
クララが夢の中で、人形の世界に入って小人と出会った、
というのとワケが違う。

あの頃、私ももし不摂生や病気持ちだったら、
警告として受け入れる事もできるだろう。
でも、いたって健康な中学生だったし、
今でも、なぜ死の使いが来たのか、不明である。


その後、一度も小人とは出会っていない。

幽体離脱

2007-08-14 23:30:00 | 懐しい話
このブログでは、
オカルト系の、怖い話は記事にしないことにしている。
しかし、お盆のこの時期、
昔経験した、不思議な体験を書こうと思う。

前編は、「幽体離脱」・・・


小学生の頃、
高熱が出て、寝込んでいた時の話である。

夜中、ふと目が覚めた私。
そのまますっと起き上がって、時計を見る。
11時30分。
そのまま部屋の真ん中に立つ。
足元に、寝ている私自身がいる。

私は、私自身の周りをぐるぐる歩き始めた。
そして、部屋を出て、
他の部屋へと向かう。

居間で、父親がテレビを見ている。
スポーツニュースだった。
ある、プロ野球投手のインタビューの映像だ。
私は、父の隣でそれを見る。

しばらくして、
店の電気がついていたので、店をのぞく。
当時(も今も)、私の家は自営業で、店舗がある。

中で、母が仕事をしていた。
ずいぶん遅い時間だったが、
何かの書類の整理をしていた。
隣で私は、それを見ている。

やがて、部屋に戻る。
時計を見ると、12時ちょっと前だった。
そのまま、再び眠りに入る。


翌日、少し熱が引いた。
私は、昨夜のことを両親に聞いた。
まず父に、
プロ野球ニュースを見ていたかどうか、
それに、某投手が出ていなかったかどうか。

父は驚いた。
見ていたと言う。その投手も出ていた。
「起きて見ていたのか?」
そんなはずはない。
テレビは当時一台だけ。しかも、父の隣にいたのだから。

次に、母に聞く。
やはり、12時頃まで店にいて書類整理をしていたらしい。
翌朝一番で来るお客さんがいて、
その注文書を確認していたと言うのだ。

母も言う。
「起きて店にいたの?」

二人とも、私がいたことは知らなかった。
というか、私はそこにいなかったのだ。
両親は、「夢を見ていたのだろう」と言うが、
その時たまたま出ていた選手、
その時偶然店にいた母のことを、
どうして知る由があるのか。


高熱が出たときや、臨終の間際になると、
「幽体離脱」が起きることを知ったのは、
それからずっと後である。

あの時の私は、
幽体離脱だったのだろうか。
だとしたら、とても貴重な経験である。
いまでも、怖いという思いはない。
とにかく、不思議な体験をしたと思う。



しかしこの何年後かに、
さらに不思議な現象を経験することになる。
これは本当に、
「怖い」体験だった・・。


明日の後編へ。

甲子園の熱戦

2007-08-12 18:05:45 | スポーツ大好き
8日から始まった、甲子園大会。
熱戦が続いているが、
昨日の大会4日目は、負けたチームの「投手」に、
これからの人生を、ふと感じた一日だった。


第一試合  創価 3-1 愛工大名電

名電の、柴田章吾投手(3年)は、
国の難病(特定疾患)とされている、ベーチェット病と闘っている。
失明の恐れもあるという病気だ。

中3の時に発病し、医者から野球を止められたというが、
名電に入学、ベンチ入りをつかみ、見事甲子園へ。
昨日の試合では、打ってはチーム唯一の得点も叩き出した。

「同じ病気を持っている人を勇気づけたい」という柴田君。
両親、主治医の見守る中、素晴らしい活躍を残していった。


第二試合  大垣日大 2-1 金足農

四回表、大垣日大の選手の打球が、
金足農の投手、高橋健介君(2年)の首を直撃する。
しかし高橋君は、その打球をしっかり一塁へ送球しアウトにする。
その直後、マウンドに倒れこんでしまった。

頚部打撲で、全治二日間ということで、
大事には至らずに済んだのだが、
チームはその後、二人の三年生が継投したものの、
一点差で敗れ去った。

二年生エースの、突然の負傷を、
先輩たちがつなぎ、接戦としたが、
秋田県はこれで、夏の甲子園10連敗。
しかし、来年はぜひ高橋君の手で、勝利を勝ち取ってほしい。


第三試合  東福岡 4-3 桜井 (延長11回)

ともに夏の甲子園は4回目。そして初勝利を目指す同士の対戦。
こういう対戦は、時として好ゲームになる。
9回裏。 東福岡はツーアウト、あと一人という場面で、
同点タイムリーが飛び出し、この夏初めての延長戦となる。

そして、延長11回裏。
最後は、ノーアウト満塁からの、押し出し四球。
東福岡が、初勝利を手にした。
桜井の投手、長川原祐希君は二年生だ。
悔しい負け方だったと思うが、来年に向けて頑張ってほしい。

甲子園での、押し出しサヨナラ四球といえば、
97年夏の、浜田高の和田(ソフトバンク)がいる。
古くは、73年の作新学院・江川もそうだった。
将来の名投手のキーワード、と思っていたい。


第四試合  広陵 5-4 駒大苫小牧

3年連続、決勝に進出した「北の王者」は、
最後の最後、エラーで敗れ去った。
前の試合と同じ、9回ツーアウトから広陵は同点に追いつき、
その直後、駒大苫小牧の信じられないようなミスで逆転。
一点差で、広陵が勝った。

昨夏の決勝戦、
田中(楽天)と、ハンカチ王子の再試合を出すまでもなく、
この、北の王者は、甲子園の歴史を覆した。
北海道のチームという、甲子園の「定説」を、
ことごとくひっくり返した感がある。

しかし、田中が抜けて、
新生・駒苫は、それなりに苦労の連続だった。
三回の不祥事、香田監督の辞任問題、特待生問題・・。
野球とは別の部分でも、選手は重圧を受けた。
しかし、5年連続の甲子園を手にしたのは見事だった。

リリーフした、久田良太投手(3年)は、
目の前で、広陵の選手が同点・逆転のホームを踏むのを見る。
あと一つのアウトで、
今年もまた、王者は力強く発進するはずだった。

準優勝でも、輝かしい最後を終えて卒業した田中と、
あと一人を打ち取れず、校歌を歌えずに終わった久田投手。
でも、プレッシャーや、無用な重圧・雑音に勝ったことは、
高く評価をしたいと思う。
そして、田中先輩にも負けない、強い人生を歩んでほしい。



甲子園を、
ノスタルジックやセンチメンタルに見ることを、
ナンセンスに感じる人もいる。
たしかにこれは、高校のクラブ活動の、一つの大会に過ぎない。
でも、
一人の選手を、一つの人生としてみると、
さまざまな想いを持つことができるものだ。


先日亡くなられた、高校野球の大ファンでもあった、
作詞家の阿久悠さんは、高校野球をこう語っている。

「二週間、少年があり、浪漫があり、故郷があり、
 だから人々は、そして、ぼくも、
 心の巡礼になり、ある晴れた日を記憶する。」

どんな仕事をするか

2007-08-07 15:35:11 | 日常から
気がついたら、
8月に入って初めての記事になった。

この一週間は、
地元の夏祭り続きであった。
三つの商店街が、それぞれに催しているのだが、
私もその都度、手伝いに行った。

露店で焼きそばを販売したり、警備に出たりと、
三つの祭りを、各2日間ずつ、
計6日出かけたことになる。
年々、しんどくなってくる。


さて、清掃の仕事のほうだが、
仲間は皆、お盆休みを取っている。
事務所の、『8月の欠勤届け』の欄には、
軒並み、15日前後に名前が連なっている。

しかし、デパートにお盆休みはないし、
当然清掃の仕事も、いつも通りだ。
私も考えたが、
結局盆休みは取らないことにした。

シフトのやりくりに頭を抱えていた上司は、
とても喜んでくれたのだが、
ふと思った。

今回、人手が足りなくなる時に出席する私は、
歓迎されている。
ただ、仕事自体は、誰がどのフロアでも出来るし、
「自分しかできない」場所はない。


仕事の中身、というか「やり甲斐」に関しては、
人によって考え方が違うと思う。
「自分しかできない」仕事を重んじる人と、
「人が一人でも欲しい所」で働くことを重んじる人。

前者は、仕事を通じてキャリアやスキルを生かし、
自分を成長させていける人だし、
進歩のある人だと思う。

後者は、職場や人間関係、ひいては世の中まで、
トータルに見渡せる人だと思っている。

私は、どちらかといえば後者のタイプだ。
これは、学生時代の部活や、
社会人になってのサークル活動、
そして今の地域活動を通じて、切実に感じてきたことだからだ。

優れた頭脳や技術を持っていても、
本当に必要な時に、その場にいてくれない人は困るのである。
個々の努力や才能が必要なのは言うまでもないが、
それを、職場の皆と一緒に生かせていけなければ意味がない。

私の場合、常に「人員が必要」という仕事での
責任者やリーダーを勤めてきたことが多かったからだろうが、
自分が仕事を選ぶときも、
「自分を必要としている職場」よりも、
「とにかく人がすぐ欲しい職場」を選んできた気がする。

それはともすれば、
「誰でもできる」 「頭数さえそろっていればいい」的な、
マイナスイメージに取られるかもしれない。
しかし、根本は、
やる気のある人でなければダメなのだし、
「私も出席します」 「私も手伝います」
という気持ちがないと、勤まらない。

結局のところ、
前者も後者も大事なのである。
イコールで繋がっているということだろう。
能力のある人と、協調性のある人がいないと、
職場は成り立たないと思っている。