シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

三十三間堂の線香

2022-05-06 10:40:12 | 神社・仏閣

建仁寺に続いて京都の記事。

三十三間堂である。

 

京都に行った事のない人でも名前は知っているであろう三十三間堂。

正式寺名は蓮華王院というが

やはり三十三間堂のほうが名が通っている。

 

今回の京都旅行、建仁寺から下鴨神社などを見てまわり、

最後に三十三間堂にたどり着いた。

私は京都には20回近く行っているが、

一番多く参拝したのが三十三間堂である。

観光バスのコースで定番なのと、

京都駅からも至近にあり、最初にせよ最後にせよ訪れやすい。

そして何よりもここへ来ると、京都に来たという気持ちになる。

 

初めて京都を訪れたのは、小2のとき。

家族で来て、新幹線もこの時初めて乗った。

『京都一日コース』というバスに乗り、

西本願寺・平安神宮・金閣寺・清水寺・知恩院・三十三間堂という

順番は忘れたが、名所の寺社を回ったコースだった。

 

そしてこの時、8才の私に一番衝撃を与えたのが

三十三間堂の千手観音だった。

こんなすごい仏像があるのか、という驚きと、

その時の独特の線香の匂いがずっと残っていた。

以来、京都に行き時間がある時は必ず訪れている。

 

今回は建仁寺の写経がメインだったのだが、

もう一つ、ここ三十三間堂の線香が販売されている事を知り

是非手に入れたいと思ったのだ。

特別良い香りとか、好きな香りというわけではないのだが、

とにかく私の中にずっとあった『京都の香り』だ。

 

今回の三十三間堂は8年ぶりくらいになるが、

来るたびに線香の香りが薄くなり、少し埃っぽい匂いを感じる。

建物も古くなり、観光客も多いので当然だが、

何よりも、私に子供の頃の強烈な香りの印象が抜けていないのだろう。

 

 

線香は800円で売っていた。そんなに高いものではない。

が、いろいろな思いから普通の線香とは一緒に出来ない。

両親の月命日か、特別な日に仏壇で焚こうと思う。

 


京都で写経

2022-05-03 13:50:47 | 神社・仏閣

GW。 京都で念願の写経をした。

 

写経。

言うまでもなく、心を落ち着かせ

筆で般若心経を書くという精神修行のひとつである。

般若心経は、実はすべて唱えられる私だが、

写経の経験は一度もなかった。

どうせなら、京都の寺でやってみたい。

その願いが叶った。

 

建仁寺。

臨済宗・栄西が開山した大本山である。

1202年、建仁2年に開創されたところからこの寺名になった。

清水寺や金閣寺といった観光名所ほどではないが、

京都最古の禅寺として有名である。

 

建仁寺は広い境内で、京都らしい威厳を保った寺だった。

受付で写経をしたい旨を言うと、

紙と筆ペン、見本に文鎮、ミニ電気スタンドを一式渡され、

写経道場なる部屋への案内図を持ち、その場所へ向かった。

 

GWだし、混んでて何時間も待つようだったら諦めようかと思ったが、

なんと私がこの日の最初の体験者らしく、

道場には誰もいなかった。

正座だと思っていたら、きれいな机とイスが用意してあった。

席は10席ほどの部屋だった。

 

「寒い部屋ですが、我慢して下さい」と受付で言われていたが、

それよりも、暗い部屋で文字が読み取れないほうが難儀だった。

薄く書かれてある般若心経を上からなぞるだけ、というもので

たいがいの寺の写経はこのタイプである。

しかし、その文字がはっきり読み取れない。

 

最初は丁寧になぞる事に集中したが、

三分の一くらい書いた所で40分ほど経過した。

だいたい全文書いて60~70分くらいとあったので、

時間を気にしながらになった。

 

ただ、そこからはなぞる事よりも

綺麗な楷書で書く事を心がけたら、割りとすんなり進んだ。

仕事で筆字を書くことも多いので、

途中からは普段の感覚で綴ることに専念した。

 

途中で親子連れが入ってきて書き始める。

お母さんと中学生くらいの娘さんだったが、

娘さんのほうはやはり、「字がわからない」と言いながら書いていた。

 

書いていて気づいたのは、

般若心経に一番多く出てくる文字は『無』であるようだ。

逆に最後のほうの『ぎゃてい』の字などは、般若心経以外でお目にかからない。

薄い下書き文字で、たしかに字がわからない。

 

とりあえず文字の間違いだけは気をつけて、なんとか書き終えた。

結局90分かかってしまった。

最後に願い事と名前、日付を書く。

『無病息災』と書いて、生まれて初めての写経は終了した。

 

書いた般若心経は、そのまま建仁寺に納められる。

それだけでも、大変な格式のある体験だ。

両親ともにいなくなってから、初めて訪れた京都。

京都が好きだった両親へ、少しだけ落ち着いた挨拶をする事ができた。